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Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0)

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Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0) 井山裕太 井山裕太 棋聖 本因坊 王座 天元 碁聖 十段 名前 井山裕太 生年月日 1989年5月24日(28歳) プロ入り年 2002年 出身地 大阪府東大阪市 所属 日本棋院関西総本部 師匠 石井邦生 名誉称号 名誉棋聖 二十六世本因坊[注 1] 名誉碁聖[注 1] 在位中タイトル 棋聖 本因坊 王座 天元 碁聖 十段 段位 九段 概要 タイトル獲得合計 43 七大タイトル 棋聖 5期 (2013-17) 名人 5期 (2009-10・13-15) 本因坊 6期 (2012-17) 王座 4期 (2012-13・15-16) 天元 5期 (2011-13・15-16) 碁聖 5期 (2012-16) 十段 4期 (2011-12・16-17) 世界タイトル TVアジア選手権 優勝 (2013) この表について[表示] 井山 裕太(いやま ゆうた、1989年5月24日 - )は、日本棋院関西総本部所属の囲碁棋士。大阪府東大阪市出身。石井邦生九段門下。名誉棋聖・二十六世本因坊・名誉碁聖の名誉称号資格保持者[注 1]。号は本因坊文裕(もんゆう)[1][2]。 囲碁界史上初の七冠達成者(棋聖・名人・本因坊・王座・天元・碁聖・十段)。史上2人目の大三冠達成者。史上3人目のグランドスラム達成者。また、七大タイトルの数々の最年少記録を保持している。棋道賞最優秀棋士賞を4度受賞。 目次 [非表示] 1 経歴 1.1 プロ入り前 1.2 デビュー 1.2.1 2008年 最年少挑戦者 1.2.2 2009年 名人位 1.2.3 2010年 名人連覇 1.2.4 2011年 十段・天元 1.3 七冠独占へ 1.3.1 2012年 五冠達成 1.3.2 2013年 六冠達成 1.3.3 2014年 棋聖・名人・本因坊・碁聖 1.3.4 2015年 六冠復帰 1.3.5 2016年 七冠達成 1.3.6 2017年 名誉棋聖位獲得 2 棋風 3 履歴 4 記録 4.1 連勝記録 4.1.1 24連勝 4.1.2 七大タイトル挑戦手合 4.1.2.1 18連勝 5 棋戦決勝進出結果 5.1 55回 (44勝11敗) 6 タイトル・棋戦優勝歴 6.1 七大タイトル 6.2 同時保持 6.3 国際棋戦 6.4 その他の棋戦 7 年度別成績 8 表彰 9 昇段記録 10 年表 11 関連書籍 12 出演 13 論文 14 関連記事 15 脚注 16 出典 17 外部リンク 経歴[編集] プロ入り前[編集] 5歳で父が買ってきたテレビゲームで囲碁を覚え、アマチュア高段者の祖父の薫陶を受ける。まだ小学校入学前の年齢にもかかわらず、碁を始めて半年で5級、さらに半年で3段になる。6歳の時、ミニ碁一番勝負に出場し、5人抜き。小学1年の夏に番組の解説者だった石井邦生九段に弟子入り。石井は囲碁の師弟としては異例な1000局もの対局(多くはネット対局)を通じて井山を鍛え上げた。この番組のインタビューで何になりたいかの問いに「野球選手」、誰みたいになりたいかとの問いに「イチロー」と答えた。 1997年(東大阪市立孔舎衙東小学校2年)、少年少女囲碁大会全国大会で優勝。小学2年での優勝は昭和61年の山下敬吾(現九段)以来二人目。決勝の相手は後にプロになる万波奈穂だった。翌年に2年連続優勝。NHKの企画で小林千寿五段と3子で対局。この年、修行のため中国棋院で行われる全国児童囲碁大会に特別に参加した。また同年にはじまった全日本こども囲碁大会の初代優勝者にも輝き、平成生まれのチャンピオンとして話題を集めた。週刊碁の企画で山田規三生王座(当時)と3子で記念対局し勝利する。10月に日本棋院関西総本部の院生となる。小学4年生のこの頃、自ら研究会を開き、井山研究会を発足させた。当初は武井孝志、佃亜希子、井澤秋乃らすでに入段していた先輩を仲間に入れ、井山自身が入段してからは荒木一成、坂本寧生らも呼びかけた。[3] 2001年、関西・中部で1名の入段者決定戦に関西代表として出場も、川田晃平に敗れ、最年少入段ならず(入段していれば、趙治勲の記録を1月あまり更新)。 デビュー[編集] 2002年、関西枠1名で東大阪市立孔舎衙中学校1年生時にプロ入り。院生リーグで46連勝を含む71勝8敗という圧倒的な成績で入段(中学一年生)した。12歳の入段は林海峰名誉天元などに並ぶ記録。平成生まれ初の棋士であり、ちょうどこの頃『ヒカルの碁』のテレビ放送が始まった時期でもあり、様々な新聞に取り上げられた。[3]入団記念対局としてNHK教育テレビでは張栩と対局。週刊碁主催の新初段シリーズでは山田規三生八段〈当時)と対局。同年二段。この年の成績は21勝4敗。翌年は三段に進んで32勝13敗。 2005年3月、第52期NHK杯に出場する50名に選出。15歳10ヵ月での出場は史上最年少記録。16歳になってすぐに第2回中野杯・U20選手権でも優勝、以後この大会で3連覇。9月、新人王戦準優勝。 10月8日、第12期阿含・桐山杯全日本早碁オープン戦で小林覚九段を破り優勝、早くも頭角を現した。16歳4か月での優勝は日本囲碁史上最年少(従来の最年少優勝は、1973年に新鋭トーナメント戦で優勝した趙治勲の17歳0か月、また全棋士出場の棋戦では1975年にプロ十傑戦で趙治勲の記録した18歳10ヵ月[3])。張栩、王立誠、趙治勲、小林覚という超一流棋士を連破しての優勝であった。棋戦優勝で規定により七段へ昇段したが、これも史上最年少、四段から七段への飛び級昇段も史上初であった[注 2]。40勝13敗(.755)で棋道賞勝率一位賞を受賞。初の天元戦本戦入り。 2006年 初の王座戦本戦入り。 2007年には第32期棋聖戦リーグ入りを果たし、17歳10か月の3大リーグ入り最年少記録を作る。また名人戦リーグ入りを果たし、黄翊祖が2005年に記録した18歳6か月を1月あまり更新した。  2008年 最年少挑戦者[編集] 2008年には名人リーグを勝ち抜いて張栩名人への挑戦権を獲得、現行7大タイトル戦での最年少挑戦記録を塗り替えた(19歳3か月。これまでの記録は趙治勲が王座に挑戦した20歳4か月、名人戦では林海峰の23歳2か月)。名人戦挑戦者となったことで規定により7月11日に八段に昇段した。名人戦では3-4で惜敗。棋聖リーグA組優勝。第56期王座戦挑戦者決定戦進出。世界囲碁選手権富士通杯出場、2回戦進出。初の十段戦本戦入り。NECカップ囲碁トーナメント戦出場。第1回大和証券杯ネット囲碁グランドチャンピオン戦優勝。第2期幽玄杯精鋭リーグ優勝。48勝21敗(69局)で棋道賞最多対局賞を受賞。さらに、棋道賞優秀棋士賞を受賞。 2009年 名人位[編集] 第2回大和証券杯ネット囲碁グランドチャンピオン戦2連覇。7月本因坊リーグ入り(最年少)。名人リーグは8戦全勝で張栩名人に対する挑戦権を獲得、4-1で勝利し名人位を20歳4か月で獲得。名人戦・7大タイトル戦でのタイトル獲得の最年少記録を更新した(これまでの記録は名人戦では林海峰の23歳4か月、7大タイトル戦では趙治勲が王座を獲得した20歳5か月)。 名人位を獲得することで規定により10月16日に九段に昇段した。この九段昇段により、入段からの8年10か月と九段昇段の最短記録を更新した。9月第18期竜星戦で張栩名人を破り優勝。初の碁聖戦本戦入り後、挑戦者決定戦進出。富士通杯出場、2回戦進出。LG杯世界棋王戦出場、2回戦進出。43勝14敗(57局)で棋道賞年間最多勝、最多対局賞。また、この年47回秀哉賞、棋道賞優秀棋士賞受賞。 2010年 名人連覇[編集] 2010年 2月(放映は3月)、第57回NHK杯テレビ囲碁トーナメントで準優勝。7月、第1回世界囲碁名人争奪戦に出場、中国の古力名人に敗れる。10月、第35期名人戦で挑戦者高尾紳路を名人戦では10年ぶりとなる4-0のストレートで降し、名人位初防衛。11月、アジア大会男子団体戦に出場、韓国戦で李世乭九段を破る健闘を見せるも、チームは銅メダル。12月、第6回大和証券杯ネット囲碁オープン戦で張栩棋聖を破り優勝。2010年の賞金ランキングは5648万円で3位[4]。 2011年 十段・天元[編集] 2011年 3月、35期棋聖戦で張栩棋聖に挑戦するも2-4で敗れる。4月29日、十段戦第5局で張栩十段を下し、初の十段位獲得(21歳11か月での戴冠は十段戦での最年少記録)、自身初の二冠(史上最年少)となった。 5月、博賽杯金仏山国際囲碁超覇戦(非公式戦)で李世乭、古力を破り優勝。日本の棋士が、国際棋戦で優勝するのは、6年ぶり。6月、第16回LG杯において2回戦に進出するも、李昌鎬九段に敗れた。8月、24回世界囲碁選手権富士通杯で古力、崔哲瀚、坂井秀至を破り準決勝に進出するも、朴廷桓に敗れ3位決定戦に回る、決定戦で江維傑を破り、休止前の富士通杯最後の日本人棋士の入賞者となった。同月、第2回世界囲碁名人争覇戦では、朴永訓名人(韓国)、江維傑名人(中国)に敗れた。9月、第36期棋聖戦Aリーグ優勝。9月30日、第20期竜星戦で結城聡を降し、2回目の優勝。10月1日、第18期阿含・桐山杯で山下敬吾桐山杯を降し、2回目の優勝。阿含・桐山杯日中決戦では敗退。10月28日、第36期名人戦で山下敬吾本因坊に2-4で敗北し、3連覇ならず。 11月17日、第37期天元戦で結城聡天元を3-0で降し初の天元位獲得(22歳6か月での戴冠は天元戦での最年少記録)。48勝19敗で、日本棋院における最多勝利、最多対局。賞金総額は9151万円で、初の賞金ランキング1位となる[5]。 七冠独占へ[編集] 2012年 五冠達成[編集] 2012年2月20日、将棋女流棋士の室田伊緒(井山と同年同月同日生)と5月に結婚することを発表し[6]、予定通り両者の誕生日の5月24日に入籍を済ませ、12月23日に挙式した(その後、2015年に離婚)。3月24日、第7回大和証券杯ネット囲碁オープンで二十五世本因坊治勲を降し2連覇。4月18日、第50期十段戦で張棋聖を3-1で下し、十段位初防衛。4月、67期本因坊戦リーグで6勝1敗の成績で挑戦権獲得。7月19日、67期本因坊戦で山下道吾本因坊を4-3で降し、初の本因坊位獲得。史上最年少での三冠に輝いた(23歳1ヶ月)。 7月23日、37期碁聖戦で羽根直樹碁聖を3-0で下し、初の碁聖位獲得。史上最年少四冠となる(23歳2ヶ月)。37期名人戦リーグで7-1の成績を挙げてプレーオフ進出も、羽根直樹に敗れて挑戦権を逸する。8月9日、第37期棋聖戦Bリーグ優勝。8月30日(放送は9月28日)、21期竜星戦決勝で林漢傑を下し、竜星戦2連覇。11月8日、棋聖戦挑戦者決定戦で高尾紳路を下し、棋聖戦挑戦者に。 11月22日、60期王座戦で張栩王座を3-0で下し、初の王座位獲得。史上二人目の五冠となる。11月29日、38期天元戦で河野臨を3-0で降し、天元位防衛。2012年は51勝12敗(勝率8割1分)の成績を残した。2012年の賞金総額は1億620万円で、初の賞金1億超えとなった[7]。 2013年 六冠達成[編集] 2013年3月14日、37期棋聖戦で張栩棋聖を4-2で下し、初の棋聖位獲得(23歳10か月での獲得は史上最年少)。史上初の六冠となり、史上三人目のグランドスラムも達成(最年少記録)。4月26日、十段戦で結城聡に2-3で敗れ、五冠に後退。六冠保持は43日で終了した。6月30日、自身初、日本では2005年の張栩以来8年ぶりのテレビ囲碁アジア選手権戦優勝(初の公式世界棋戦優勝)。7月18日、高尾紳路を4-3で下し、本因坊連覇。8月23日、碁聖戦で河野臨を3-2で下し、碁聖を防衛(二連覇)。10月17日、第38期名人戦で山下敬吾名人を4-1で下し、六冠に復帰。これにより、趙治勲に続く史上2人目の大三冠を達成。また実力制7人目の名人本因坊でもある。11月28日、第39期天元戦で秋山次郎を3-0で下し、天元を防衛(三連覇)。12月2日、第61期王座戦で張栩を3-1で下し、王座位を防衛(連覇)。43勝18敗(防衛戦が増えたためにリーグやトーナメントの出場機会が少なくなり前年よりも勝ち数を減らした)[8]。賞金・対局料の総額が史上最高の1億6461万円に昇り、3年連続の賞金王となった[9]。2013年は七大タイトル戦の挑戦手合にフル出場(史上初)。自己初の1億円突破となった前年(1億620万円)の1.5倍以上を稼ぎ、獲得額は2位の約5倍(3524万円)[9]。 2014年 棋聖・名人・本因坊・碁聖[編集] 2014年1月23日、第52期十段戦挑戦者決定戦決勝で高尾紳路に敗れ、七冠挑戦には至らなかった。[10]。3月13日、第38期棋聖戦で挑戦者の山下敬吾を4-2で下し、棋聖初防衛。[11]。3月22日、日本棋院90周年記念として創設された現役タイトルホルダーによる棋戦優勝者選手権決勝で山下敬吾に勝ち、初代優勝者となる[12]。7月1日、第69期本因坊戦で初の年少の挑戦者伊田篤史を4-1で下し、本因坊3連覇。8月29日、第39期碁聖戦で挑戦者の河野臨を3-2で下し、碁聖3連覇。10月18日、第21期阿含・桐山杯で河野臨を降し、3回目の優勝。 10月30日、第39期名人戦で挑戦者の河野臨を4-2で下し、名人連覇。11月28日、第53期森ビル杯十段戦本戦準々決勝で小林覚に半目負けし、この時点で2015年中の七冠独占は無くなった[13]。12月16日、第62期王座戦で村川大介七段に2-3で破れ失冠。五冠に後退。12月19日、第40期天元戦で高尾紳路十段に2-3で敗れ、四冠となる。賞金総額は1億4078万円で4年連続1位となり、3年連続で1億超えとなった。 2015年 六冠復帰[編集] 2015年3月20日、第39期棋聖戦で山下敬吾の挑戦を受け、三連勝三連敗後、最終局で一勝を返し3連覇。6月30日、第70期本因坊戦で挑戦者の山下敬吾を4-1で下し4連覇。8月7日、第40期碁聖戦で山下敬吾の今年三度目の挑戦を受け、3-1で下し4連覇。10月6日、第40期名人戦で高尾紳路天元を名人戦では5年ぶりとなる4-0のストレートで下し3連覇。11月19日、第63期王座戦で村川大介を3-0のストレートで下し王座位を奪還。七大タイトル獲得数24となり張栩を抜いて歴代4位となる。11月25日、第41期天元戦で高尾紳路を3-0のストレートで下し天元位を奪還。黄雲嵩を下し阿含・桐山杯日中決戦初優勝。下半期に林海峰と並ぶ歴代2位となる公式戦24連勝を記録する。賞金総額は過去最高の1億7,212万円で2013年の総額記録を更新した[14]が、この年の年末に妻の室田と離婚した。 2016年 七冠達成[編集] 2016年1月21日、第54期十段戦挑戦者決定戦で余正麒を下し、伊田篤史への挑戦権を獲得する。2013年以来、3年ぶり2度目となる7大タイトル戦フル出場を果たす。2016年4月20日、伊田から十段を奪取し、七大タイトル戦が行われるようになった1976年以来初の七冠となった。6月30日、第71期本因坊戦挑戦手合七番勝負第5局で高尾紳路九段に黒番177手中押し勝ちし、シリーズ対戦成績4勝1敗で本因坊防衛を果たした。井山はこれで本因坊5連覇で、永世本因坊資格を獲得した(二十六世本因坊)。七大タイトルでの名誉称号資格獲得は1993年の林海峯名誉天元以来、23年ぶりとなる。[15]7月28日、第41期碁聖戦で村川大介に3連勝し碁聖5連覇。史上3人目の名誉碁聖となる。9月9日の本因坊就位式で本因坊の号を「文裕(もんゆう)」とすると発表した[1]。本因坊ゆかりの京都・寂光寺の大川定信(じょうしん)住職が、知恵を象徴する文殊菩薩(ぼさつ)と、井山の名前から1字ずつ借りて命名した。[16] しかしながら2016年11月3日の囲碁名人戦第7局において、挑戦者である高尾紳路九段に3連敗3連勝ののち敗れ、七冠全独占は197日で終了した[17]。第64期王座戦では3-0で余正麒七段を、第42期天元戦では3-1で一力遼七段をそれぞれ下し、6冠を保持した。 2017年 名誉棋聖位獲得[編集] 2017年3月10日、第41期棋聖戦挑戦手合い七番勝負第6局で河野臨九段に白番150手中押し勝ちし棋聖位を防衛、棋聖5連覇を果たして名誉棋聖資格を獲得した。名誉称号3つは小林光一と並び最多タイ。また七大タイトル通算獲得数は32となり故加藤正夫名誉王座を抜いて単独3位となった。3月19日、NHK杯トーナメント決勝で一力遼7段を下し、初優勝。公式戦で唯一手にしていなかったNHK杯を獲得し、現行の国内すべての公式棋戦で優勝を記録した(参加資格の無い王冠戦、参加資格年齢に達していないマスターズカップ、創設当時にすでに7段昇段して参加資格が無かった若鯉戦を除く)。4月21日、第55期十段戦で余正麒7段を3-1で、6月16日、第72期本因坊戦で本木克弥8段を4-0で下し、七大タイトル獲得数を34に伸ばして小林光一の持つ歴代2位の記録にあと1と迫った。また三大タイトル(棋聖、名人、本因坊)の獲得数を16とし小林光一の歴代2位に並んだ。 棋風[編集] 「打ちたい所に打つ」という信条をもとにした、盤面全体を巧みに使う柔軟なスタイル。全局的な発想に長け、あらゆる局面を自在に打ちこなす真のオールラウンドプレーヤー。 履歴[編集] 1996年 (7歳) ミニ碁一番勝負5人抜き。石井邦生門下。 1997年 (8歳) 少年少女囲碁大会全国大会で優勝(山下敬吾と並び最年少学年記録)。 1998年 (9歳) 少年少女囲碁大会全国大会連覇。全日本こども囲碁大会優勝(現在も最年少記録)。日本棋院関西総本部の院生になる。 2002年(13歳) 院生リーグ71勝8敗(48連勝)で入段、同年二段。 2003年(14歳) 三段。 2005年 (16歳) 四段。阿含・桐山杯全日本早碁オープン戦優勝(女流を除き最年少記録)。七段に昇段。新人王戦準優勝。NHK杯テレビ囲碁トーナメント出場(最年少記録)。天元戦本戦入り。 棋道賞勝率一位賞(40勝13敗.755)・新人賞。 2006年 (17歳) 中野杯U20選手権優勝。王座戦本戦入り。 2007年 (18歳) 第32期新人王戦優勝。棋聖戦リーグ入り。名人リーグ入り(最年少記録)。 天元戦挑戦者決定戦進出。中野杯U20選手権優勝。 2008年 (19歳) 名人戦挑戦者(最年少記録)。八段。棋聖リーグA組優勝。王座戦挑戦者決定戦進出。世界囲碁選手権富士通杯出場、2回戦進出。 十段戦本戦入り。NECカップ囲碁トーナメント戦出場。第1回大和証券杯ネット囲碁グランドチャンピオン戦優勝。第2期幽玄杯精鋭リーグ優勝。 棋道賞優秀棋士賞・最多対局賞(69局)。 2009年 (20歳) 名人位獲得(最年少七大タイトル獲得記録)。九段に昇段(最年少記録)。第2回大和証券杯ネット囲碁グランドチャンピオン戦2連覇。本因坊リーグ入り。 第18期竜星戦優勝。碁聖戦、初本戦入りで挑戦者決定戦進出。富士通杯2回戦進出。LG杯世界棋王戦出場、2回戦進出。 棋道賞優秀棋士賞、最多勝(43勝)、最多対局賞(57局)。47回秀哉賞。 2010年 (21歳) 名人位初防衛。NHK杯テレビ囲碁トーナメント準優勝。世界囲碁名人争奪戦に出場。 アジア大会男子団体戦銅メダル。 大和証券杯ネット囲碁オープン戦優勝。2010年の賞金ランキングは5648万円で3位[18]。 2011年 (22歳) 十段位獲得(最年少記録)。天元位獲得(最年少記録)。二冠(最年少記録)。棋聖戦挑戦者。博賽杯金仏山国際囲碁超覇戦優勝。LG杯2回戦進出。世界囲碁選手権富士通杯3位。 第36期棋聖戦Aリーグ優勝。9月30日、第20期竜星戦優勝。10月1日、第18期阿含・桐山杯2回目の優勝。 棋道賞優秀棋士賞、最多勝利(48勝)、最多対局(67局)。賞金総額は9151万円で、初の賞金ランキング1位となる[19]。 2012年 (23歳) 大和証券杯ネット囲碁オープン2連覇。十段位初防衛。本因坊位獲得。三冠(最年少記録)。名人本因坊(最年少記録)。碁聖位獲得。四冠(最年少記録)。名人戦リーグでプレーオフ進出。 竜星戦二連覇。棋聖戦挑戦者。王座位獲得。史上二人目の五冠(最年少記録)。天元位防衛。2012年は51勝12敗(勝率8割1分)。 2012年の賞金総額は1億620万円で、初の賞金1億超えとなった[20]。 棋道賞最優秀棋士賞、最多勝利賞、最多対局賞、勝率第一位賞。 2013年 (24歳) 棋聖位獲得(最年少記録)。六冠(史上初)。グランドスラム達成(最年少記録)。4月26日五冠に後退。テレビ囲碁アジア選手権戦優勝)。本因坊位二連覇。碁聖位を防衛。名人位獲得で六冠に復帰。史上2人目の大三冠を達成(最年少記録)。天元位を防衛(三連覇)、七大タイトル獲得数歴代8位。 王座位を防衛。43勝18敗[21]。 賞金・対局料の総額が史上最高の1億6461万円。3年連続の賞金王[9]。 2013年は七大タイトル戦の挑戦手合にフル出場(史上初)。 棋道賞最優秀棋士賞、最多勝利賞(43勝)、最多対局賞(61局)、国際賞 2014年 (25歳) 棋聖初防衛。[22]。十段戦挑戦者ならず。[23]。「2013年棋戦優勝者選手権戦」初代覇者。[24]。本因坊3連覇。碁聖3連覇で七大タイトル獲得数歴代7位。名人2連覇。6冠保持。王座位失冠。天元位失冠。賞金総額 1億4078万円で1位。 棋道賞最優秀棋士賞 2015年 (26歳) 棋聖3連覇。本因坊4連覇。碁聖4連覇で七大タイトル獲得数歴代5位。名人3連覇。王座位奪還で七大タイトル獲得数歴代4位。天元位奪還。阿含・桐山杯日中決戦初優勝。賞金総額は過去最高の1億7,212万円。[25] 棋道賞最優秀棋士賞、最多勝利賞(41勝10敗)、連勝賞(24連勝) 2016年 (27歳) 棋聖4連覇。十段戦挑戦権獲得。十段を獲得し囲碁界史上初の7大タイトル同時制覇。本因坊防衛・5連覇・永世本因坊資格を獲得。碁聖位防衛5連覇・名誉碁聖資格獲得。 2017年(28歳)棋聖5連覇。名誉棋聖資格獲得。NHK杯テレビ囲碁トーナメント初優勝。十段戦防衛。本因坊防衛・6連覇 記録[編集] 史上初の七冠 史上初の六冠 賞金・対局料の史上最高総額 1億6461万円 年間の7大タイトル挑戦手合にすべて出場(史上初) 最年少グランドスラム 23歳10か月 (史上三人目のグランドスラム) 最年少大三冠 24歳4か月 (史上二人目の大三冠) 最年少六冠 23歳10か月 最年少五冠 23歳5か月 (史上二人目の五冠) 最年少四冠 23歳2か月 (史上五人目の四冠) 最年少三冠 23歳1か月 最年少二冠 22歳10か月 最年少名人本因坊 24歳4か月 (史上八人目の名人本因坊) 最年少七大タイトル獲得 名人 20歳4か月 最年少棋聖 23歳10か月 最年少天元 22歳6か月 最年少挑戦権獲得 名人戦 19歳3か月 最年少NHK杯出場 15歳10か月 最年少タイトル(七大タイトル以外) 阿含・桐山杯 16歳4か月 最年少名人戦リーグ入り 18歳5か月 最年少九段 20歳4か月 九段昇段最短記録 8年10か月 タイトル戦・挑戦手合い 18連勝 連勝記録歴代2位タイ 24連勝 名誉称号資格最多タイ 3タイトル(棋聖、本因坊、碁聖) 最長タイトル戦連続出場 16回(2015年本因坊戦~2017年碁聖戦) 連勝記録[編集] 24連勝[編集] ※2015年7月23日から12月21日まで。歴代2位タイ記録。 連勝 相手 段位 大会 結果 先番 タイトル 1 藤村洋輔 二段 桐山杯 中押し  △ 2 山下敬吾 九段 碁聖戦挑戦手合③ 1目半 △ 3 李沂修 七段 天元戦 中押し △ 4 溝上知親 九段 桐山杯 中押し △ 5 山下敬吾 九段 碁聖戦挑戦手合④ 中押し 防衛 6 結城聡 九段 王座戦 中押し △ 7 孫喆 三段 桐山杯 7目半 △ 8 高尾紳路 天元 名人戦挑戦手合① 中押し 9 余正麒 七段 王座戦挑戦者決定戦 中押し △ 10 結城聡 九段 天元戦挑戦者決定戦 中押し 11 片岡聡 九段 NHK杯 中押し 12 高尾紳路 天元 名人戦挑戦手合② 半目 △ 13 高尾紳路 天元 名人戦挑戦手合③ 中押し 14 二十五世本因坊 治勲 九段 十段戦 中押し △ 15 高尾紳路 天元 名人戦挑戦手合④ 中押し △ 防衛 16 許家元 三段 桐山杯決勝 中押し △ 17 村川大介 王座 王座戦挑戦手合① 半目 △ 18 高尾紳路 天元 天元戦挑戦手合① 中押し △ 19 結城聡 九段 十段戦 中押し △ 20 倉橋正行 九段 NHK杯 10目半 △ 21 村川大介 王座 王座戦挑戦手合② 中押し 22 高尾紳路 天元 天元戦挑戦手合② 半目 23 村川大介 王座 王座戦挑戦手合③ 中押し △ 奪取 24 高尾紳路 天元 天元戦挑戦手合③ 中押し △ 奪取 - 河野臨 九段 NHK杯 中押し負け 七大タイトル挑戦手合[編集] 18連勝[編集] 歴代1位記録。 連勝 大会 日付 相手 結果 先番 タイトル 1 碁聖戦第3局 7/27 山下敬吾 1目半 △ 2 碁聖戦第4局 8/7 山下敬吾 中押し 防衛 3 名人戦第1局 9/4 高尾紳路 中押し 4 名人戦第2局 9/18 高尾紳路 半目 △ 5 名人戦第3局 9/25 高尾紳路 中押し 6 名人戦第4局 10/6 高尾紳路 中押し △ 防衛 7 王座戦第1局 10/20 村川大介 半目 △ 8 天元戦第1局 10/23 高尾紳路 中押し △ 9 王座戦第2局 11/12 村川大介 中押し 10 天元戦第2局 11/16 高尾紳路 半目 11 王座戦第3局 11/19 村川大介 中押し △ 奪取 12 天元戦第3局 11/25 高尾紳路 中押し △ 奪取 13 棋聖戦第1局 1/15 山下敬吾 中押し 14 棋聖戦第2局 1/29 山下敬吾 2目半 △ 15 棋聖戦第3局 2/2 山下敬吾 中押し 16 棋聖戦第4局 2/18 山下敬吾 中押し △ 防衛 17 十段戦第1局 3/8 伊田篤史 中押し 18 十段戦第2局 3/23 伊田篤史 中押し △ 十段戦第3局 4/14 伊田篤史 中押し負け 棋戦決勝進出結果[編集] 55回 (44勝11敗)[編集] 棋戦 三大タイトル (16-4) 他七大タイトル (18-3) 国際タイトル (1-0) 他大会 (9-4) 数 棋戦 期・回 対局日 相手 準優勝 1 新人王戦 30期 2005.9.24 金秀俊 優勝 1 阿含・桐山杯 12期 2005.10.8 小林覚 優勝 2 新人王戦 32期 2007.9.17 望月研一 挑戦 2 名人戦 33期 2008.11.7 張栩 準優勝 3 NHK杯 57回 2009.3.22 結城聡 優勝 3 竜星戦 18期 2009.8.20 張栩 奪取 4 名人戦 34期 2009.10.15 張栩 防衛 5 名人戦 35期 2010.10.7 高尾紳路 挑戦 4 棋聖戦 35期 2011.3.12 張栩 奪取 6 十段戦 49期 2011.4.29 張栩 優勝 7 竜星戦 20期 2011.9.5 結城聡 優勝 8 阿含・桐山杯 18期 2011.10.1 山下敬吾 失冠 5 名人戦 36期 2011.10.29 山下敬吾 奪取 9 天元戦 37期 2011.11.17 結城聡 防衛 10 十段戦 50期 2012.4.18 張栩 奪取 11 本因坊戦 67期 2012.7.19 山下敬吾 奪取 12 碁聖戦 37期 2012.7.23 羽根直樹 優勝 13 竜星戦 21期 2012.8.30 林漢傑 奪取 14 王座戦 60期 2012.11.22 張栩 優勝 15 天元戦 38期 2012.11.29 河野臨 奪取 16 棋聖戦 37期 2013.3.14 張栩 準優勝 6 NHK杯 60回 2013.3.24 結城聡 優勝 17 テレビアジア選手権 25回 2013.6.30 朴廷桓 防衛 18 本因坊戦 68期 2013.7.18 高尾紳路 失冠 7 十段戦 51期 2013.4.27 結城聡 防衛 19 碁聖戦 38期 2013.8.23 河野臨 奪取 20 名人戦 38期 2013.10.17 山下敬吾 防衛 21 天元戦 39期 2013.11.28 秋山次郎 防衛 22 王座戦 61期 2013.12.2 張栩 防衛 23 棋聖戦 38期 2014.3.13 山下敬吾 防衛 24 本因坊戦 69期 2014.7.1 伊田篤史 防衛 25 碁聖戦 39期 2014.8.29 河野臨 優勝 26 阿含・桐山杯 21期 2014.10.18 河野臨 防衛 27 名人戦 39期 2014.10.30 河野臨 失冠 8 王座戦 62期 2014.12.17 村川大介 失冠 9 天元戦 40期 2014.12.20 高尾紳路 防衛 28 棋聖戦 39期 2015.3.20 山下敬吾 防衛 29 本因坊戦 70期 2015.6.30 山下敬吾 防衛 30 碁聖戦 40期 2015.8.7 山下敬吾 防衛 31 名人戦 40期 2015.10.6 高尾紳路 優勝 32 阿含・桐山杯 22期 2015.10.10 許家元 奪取 33 王座戦 63期 2015.11.19 村川大介 奪取 34 天元戦 41期 2015.11.25 高尾紳路 防衛 35 棋聖戦 40期 2016.2.18 山下敬吾 奪取 36 十段戦 54期 2016.4.20 伊田篤史 防衛 37 本因坊戦 71期 2016.6.30 高尾紳路 防衛 38 碁聖戦 41期 2016.7.28 村川大介 準優勝 10 竜星戦 25期 2016.9.26 一力遼 失冠 11 名人戦 41期 2016.11.3 高尾紳路 防衛 39 王座戦 64期 2016.11.18 余正麒 防衛 40 天元戦 42期 2016.12.12 一力遼 防衛 41 棋聖戦 41期 2017.3.10 河野臨 優勝 42 NHK杯 64回 2017.3.19 一力遼 防衛 43 十段戦 55期 2017.3.19 余正麒 防衛 44 本因坊戦 72期 2017.6.16 本木克弥 タイトル・棋戦優勝歴[編集] 七大タイトル[編集] 色付きは現在在位。 他の棋士との比較は、囲碁のタイトル在位者一覧 、囲碁の記録一覧 を参照。 タイトル 番勝負 獲得年 登場 獲得期数 連覇 名誉称号 棋聖 七番勝負 1-3月 13(37期)-17 6 5期 (歴代4位タイ) 5 (歴代3位) 名誉棋聖 名人 七番勝負 9-11月 09(34期)-10,13-15 7 5期 (歴代4位) 3 本因坊 七番勝負 5-7月 12(67期)-17 6 6期 (歴代4位タイ) 6 (歴代4位) 二十六世本因坊 王座 五番勝負 10-12月 12(60期)-13,15-16 5 4期 (歴代5位タイ) 2 天元 五番勝負 10-12月 11(37期)-13,15-16 6 5期 (歴代1位タイ) 3 (歴代3位タイ) 碁聖 五番勝負 6-8月 12(37期)-16 5 5期 (歴代4位) 5 (歴代3位タイ) 名誉碁聖 十段 五番勝負 3-4月 11(49期)-12,16-17 5 4期 (歴代6位タイ) 2 登場回数合計40回、獲得合計34期=歴代3位、 3大タイトル獲得数16=歴代2位タイ ※2017年3月11日現在。 同時保持[編集] 期間 タイトル 日数 二冠 2011.4.30 - 2011.10.28 名人・十段 182日 一冠 2011.10.29 - 2011.11.17 十段 20日 二冠 2011.11.18 - 2012.7.19 天元・十段 245日 三冠 2012.7.20 - 2012.7.23 本因坊・天元・十段 4日 四冠 2012.7.24 - 2012.11.22 本因坊・天元・碁聖・十段 122日 五冠 2012.11.23 - 2013.3.14 本因坊・天元・王座・碁聖・十段 112日 六冠 2013.3.15 - 2013.4.26 棋聖・本因坊・天元・王座・碁聖・十段 43日 五冠 2013.4.27 - 2013.10.17 棋聖・本因坊・天元・王座・碁聖 174日 六冠 2013.10.18 - 2014.12.16 棋聖・名人・本因坊・天元・王座・碁聖 425日 五冠 2014.12.17 - 2014.12.19 棋聖・名人・本因坊・天元・碁聖 3日 四冠 2014.12.20 - 2015.11.19 棋聖・名人・本因坊・碁聖 335日 五冠 2015.11.20 - 2015.11.25 棋聖・名人・本因坊・王座・碁聖 6日 六冠 2015.11.26 - 2016.4.20 棋聖・名人・本因坊・王座・天元・碁聖 147日 七冠 2016.4.21 - 2016.11.3 棋聖・名人・本因坊・王座・天元・碁聖・十段 197日 六冠 2016.11.4 - 棋聖・本因坊・王座・天元・碁聖・十段 囲碁七大タイトル獲得記録 順位 獲得回数 棋士名 1位 42期 趙治勲* 2位 35期 小林光一* 3位 34期 井山裕太* 4位 31期 加藤正夫 5位 23期 張栩* 6位タイ 21期 坂田栄男 | 林海峰* 8位 17期 大竹英雄* 9位タイ 14期 藤沢秀行 | 山下敬吾* 表示 *は現役棋士 2016年天元戦終了時点 国際棋戦[編集] テレビ囲碁アジア選手権戦 1期(2013年 = 25期) 博賽杯金仏山国際囲碁超覇戦(非公式戦)1回(2011年) 阿含・桐山杯日中決戦 2015年(○黄雲嵩) その他の棋戦[編集] NHK杯 1期 (2017年 = 64期) 阿含桐山杯 4期 (2005年 = 12、2011年 = 18期、2014年=21、22期) 竜星戦 3期 (2009年 = 18、2011年 = 20、21期) 新人王 1期 (2007年 = 32期) 棋戦優勝者選手権戦 1期 (2014年 = 1期) 大和証券杯ネット囲碁グランドチャンピオン戦 2期(2008年 = 1~2期) 大和証券杯ネット囲碁オープン戦 2期(2010年 = 6、2012年 = 7期) 精鋭リーグ戦 1期 (2009年 = 2期) 中野杯U20選手権 3期 (2005年 = 2~4期) 年度別成績[編集] 年 対局 勝 敗 勝率 2002 25 21 4 0.840 2003 45 32 13 0.711 2004 32 25 7 0.781 2005 53 40 13 0.755 2006 48 34 14 0.708 2007 55 44 11 0.800 2008 69 48 21 0.696 2009 57 43 14 0.754 2010 54 34 20 0.630 2011 67 48 19 0.716 2012 63 51 12 0.810 2013 61 43 18 0.705 2014 50 31 19 0.620 2015 51 41 10 0.804 通算 730 535 195 0.732 2015年度終了時 太字は日本棋院最高 表彰[編集] 棋道賞 最優秀棋士賞: 5回 (2012,2013,2014,2015,2016) 優秀棋士賞: 3回 (2008,2009,2011) 勝率第1位賞: 2回 最多対局賞: 5回 最多勝利賞: 5回 連勝勝:1回 秀哉賞:5回 賞金ランキング1位:4回 ジャーナリストクラブ賞〈2008) 大阪市長賞詞 〈2009) 第27回ジャーナリストクラブ賞 (2009) 大阪文化賞 (2010) 関西元気文化圏賞・ニューパワー賞 (2011) 東大阪市名誉市民 (2016) 昇段記録[編集] 段位 年 詳細 初段 2002 二段 2002 三段 2003 四段 2005 賞金ランキングによる昇段 五段 - 六段 - 七段 2005 阿含・桐山杯優勝による昇段 八段 2008 名人位挑戦による昇段 九段 2009 名人位獲得による昇段 年表[編集] タイトル戦の欄の氏名は対戦相手。うち、色付きのマス目は獲得(奪取または防衛)。濃い色付きのマス目は名誉称号獲得。GSはグランドスラム。青色挑戦者または失冠。黄色はリーグ入り。 棋道賞は、最 : 最優秀棋士賞、 優 : 優秀棋士賞、 特別 : 特別賞、 率 : 勝率一位賞、 勝 : 最多勝利賞、 対 : 最多対局賞、 連 : 連勝賞、 国際 : 国際賞、 新人 : 新人賞、 哉 : 秀哉賞 賞金&対局料は、年度区切りではなく1月 - 12月の集計。単位は万円。色付きの年は全棋士中1位。 棋聖 十段 本因坊 碁聖 名人 王座 天元 一般棋戦 棋道賞 賞金対局料 備考 棋聖戦 1-3月 十段戦 3-4月 本因坊戦 5-7月 碁聖戦 6-8月 名人戦 9-11月 王座戦 10-12月 天元戦 10-12月 2002年 297位 2003年 75位 2004年 41位 2005年 阿含 率 新 1748 (12位) 棋戦初優勝 2006年 初本戦入り 初本戦入り 中野杯 969 (16位) 2007年 初リーグ入り 初リーグ入り 本戦決勝 進出 新人王 1485 (10位) 2008年 5位 初本戦入り 張栩 ooxxxox 本戦決勝 進出 大和杯 優 対 哉 3209 (7位) 2009年 3位 初リーグ入り 本戦決勝 進出 張栩 xoooo 大和杯 優 勝 対 哉 6244 (4位) 2010年 1位 プレーオフ 高尾紳路 oooo 大和 5648 (3位) 2011年 張栩 xxxox 張栩 xoxoo 2位 山下敬吾 xoxxox 本戦決勝進出 結城聡 ooo 阿含 竜星 優 勝 対 9151 (1位) 2012年 1位 張栩 ooxo 山下敬吾 ooxxoxo 羽根直樹 ooo プレーオフ 張栩 ooo 河野臨 ooo 竜星 最 勝 率 対 哉 10620 (1位) 五冠 2013年 張栩 ooxxoo 六冠達成 GS達成 結城聡 oxxox 六冠終了 高尾紳路 oxxooxo 河野臨 xxooo 山下敬吾 xoooo 六冠達成 大三冠達成 張栩 ooxo 秋山次郎 ooo アジア 最 勝 対 国際 哉 16461 (1位) 六冠 2014年 山下敬吾 oooxxo 本戦決勝 進出 伊田篤史 oooxo 河野臨 xooxo 河野臨 oxxooo 村川大介 oxoxx 六冠終了 高尾紳路 oxoxx 阿含 棋戦 最 哉 14078 (1位) 四冠 2015年 山下敬吾 oooxxxo 山下敬吾 oooxo 山下敬吾 oxoo 高尾紳路 oooo 村川大介 ooo 高尾紳路 ooo 六冠達成 阿含 棋戦 最 勝 連 哉 17212 (1位) 六冠 2016年 山下敬吾 oooo 伊田篤史 ooxo 七冠達成 高尾紳路 xoooo 永世本因坊 村川大介 ooo 名誉碁聖 高尾紳路 xxxooox 七冠終了 大三冠終了 余正麒 ooo 一力遼 oxoo NHK 最 13494 (1位) 七冠→六冠 2017年 河野臨 xooxoo 名誉棋聖 余正麒 ooxo 本木克弥 oooo vs山下敬吾 関連書籍[編集] 『至高の決断―依田、山下、井山の頭脳 (マイコミ囲碁ブックス) 』 『わが天才棋士・井山裕太』 石井邦生著(集英社インターナショナル) 『井山裕太20歳の自戦記―史上最年少名人までの17局』 井山裕太著 『井山裕太 自戦細解』(誠文堂新光社) 『勝運をつかむ』谷川浩司・井山裕太共著(致知出版社) 『碁ワールド 井山裕太物語』 画/松田一輝(日本棋院) 出演[編集] トップランナー(NHK総合、2011年1月8日) 情熱大陸(MBS制作・TBS系列、2013年1月13日) プロフェッショナル 仕事の流儀(NHK総合、2014年1月13日) 論文[編集] CiNii収録論文 国立情報学研究所 関連記事[編集] ミニ碁一番勝負(讀賣テレビ放送 この番組に少年時代に数回出場した) 脚注[編集] ^ a b c 襲位は60歳以上に達したとき、もしくは引退時 ^ 後に余正麒など、三段から七段への昇段例が出ている。 出典[編集] ^ a b 本因坊就位式で井山が号を発表 【第71期本因坊戦就位式】 ^ 名人戦 井山、7冠陥落 高尾返り咲く ^ a b c 『わが天才棋士・井山裕太』石井邦生 集英社インターナショナル2009年 ^ 張棋聖が4年連続で1位 日本棋院賞金ランキング 朝日新聞2011年2月10日付。 ^ 井山、初の1位 張抜く 日本棋院賞金ランキング 朝日新聞2012年1月31日付。 ^ 囲碁の井山十段と将棋の室田女流初段が婚約 産経新聞 2012年2月20日閲覧 ^ 井山初の1億円 日本棋院賞金ランク 朝日新聞 2013年1月29日 ^ 井山六冠、最多勝 囲碁2013年成績 朝日新聞2014年1月7日 ^ a b c 井山六冠、賞金総額1億6千万円 囲碁界史上最高 朝日新聞2014年2月11日 ^ 井山名人敗退、七冠独占遠のく 囲碁・十段戦 朝日新聞 2014年1月23日 ^ 囲碁・井山棋聖が初防衛 山下九段を4勝2敗で退ける 朝日新聞 2014年3月13日。 ^ 井山が初代覇者 棋戦優勝者選手権戦 朝日新聞 2014年3月25日 ^ [1] ^ 井山裕太名人、過去最高1.7億円 5年連続の賞金王 ^ 井山が防衛!5連覇達成で永世本因坊資格を獲得【第71期本因坊戦挑戦手合七番勝負第5局】 ^ 井山本因坊、号「文裕」 地元・大阪で就位式 ^ 高尾紳路九段が名人奪取 囲碁名人戦、井山の七冠崩れる ^ 張棋聖が4年連続で1位 日本棋院賞金ランキング 朝日新聞2011年2月10日付。 ^ 井山、初の1位 張抜く 日本棋院賞金ランキング 朝日新聞2012年1月31日付。 ^ 井山初の1億円 日本棋院賞金ランク 朝日新聞2013年1月29日付。 ^ 井山六冠、最多勝 囲碁2013年成績 朝日新聞2014年1月7日付。 ^ 囲碁・井山棋聖が初防衛 山下九段を4勝2敗で退ける 朝日新聞2014年3月13日。 ^ 井山名人敗退、七冠独占遠のく 囲碁・十段戦 朝日新聞2014年1月23日。 ^ 井山が初代覇者 棋戦優勝者選手権戦 朝日新聞2014年3月25日。 ^ 井山裕太名人、過去最高1.7億円 5年連続の賞金王 外部リンク[編集] 日本棋院による井山裕太の紹介ページ 冷静な棋風、先輩惑わす――棋戦優勝の年少記録更新、井山裕太七段 朝日新聞 天才の育て方囲碁名人・井山裕太のお母さん 宏美さん1・2・3・4 井山裕太~かがやく先輩からのメッセージ~:子どもゆめ基金 日本棋院 井山裕太七冠達成 記録 典拠管理 WorldCat VIAF: 253982984 ISNI: 0000 0003 7696 5434 NDL: 01177689 [表示] 表 話 編 歴 囲碁のタイトル在位者 [表示] 表 話 編 歴 名誉称号資格者 [表示] 表 話 編 歴 歴代本因坊 [表示] 表 話 編 歴 最優秀棋士賞 [表示] 表 話 編 歴 日本の現役囲碁棋士 [表示] 表 話 編 歴 第72期本因坊戦挑戦者決定リーグ(2016年秋 - 17年春) (第71期本因坊:本因坊文裕) [表示] 表 話 編 歴 第42期名人戦挑戦者決定リーグ(2016年冬 - 17年夏)(第41期名人:高尾紳路) [表示] 表 話 編 歴 第41期棋聖戦挑戦者決定リーグ(2016年5月-11月) (第40期棋聖:井山裕太) [表示] タイトル(7冠)32期 カテゴリ: 日本の囲碁棋士1989年生存命人物大阪府出身の人物 ---------------------------------------------------------- うんつく酒 『うんつく酒』(うんつくざけ)は上方落語の演目の一つ。原話は、安永5年(1776年)に出版された笑話本・「鳥の町」の一遍である『金物見世』。 道中噺『伊勢参宮神乃賑』の一編。主な演者として、橘ノ円都、6代目笑福亭松鶴等がいる。 あらすじ[編集] お馴染みの喜六と清八は伊勢参りの最中。安物の酒で二日酔いをした喜六の為、たまたま見かけた造り酒屋で休息をとることになった。 主に酒を注文するが、造り酒屋であるというプライドがあるせいか「一杯二杯の酒が売れるか」と断られてしまう。 挙句には「馬に何荷、船に何艘」などと主が言い出したため、とうとう清八の堪忍袋の緒が切れた。 「このドうんつくめ! こんな酒屋など、大坂には掃いて捨てるほどあるわ!!」 さんざんに罵倒し、喜六を引き連れ帰っていく清八。頭に来た主は、隣室に割り木で武装した若い者を待機させ、番頭に二人を連れ戻すように命令した。 そんな事とはつゆ知らず、番頭に騙されて戻ってきた二人は突然やさしくなった主の出す酒に舌鼓。 「末期の酒じゃ」と言われた時には時すでに遅く、なだれ込んできた若い者に十重二十重に取り巻かれてしまった! 予想外の事態にガチガチになってしまう喜六。代わりに清八が立ちあがる。 「お前の後ろには何がある? 長者番付? 大坂ではそれを『うんつく番付』と言うんじゃ!」 ――たとえば三井家。初代は元巡礼だったが、ある時ひょんな事から化け物屋敷に宿泊することになり、化け物の正体であった金銀財宝を手に入れ一大財閥を築きあげた。 「お前の事も、こんな山なかで立派な造り酒屋やっとるから『運つく』と言ったんや」 この清八の詭弁を主はすっかり信用。迷惑をかけたとペコペコ謝ったうえ、酒のたっぷり入った瓢箪をお詫びの品だと言って渡してくれた。 「よくもあんな話が出来たもんやなぁ…」 「あぁ、寄席で噺家に聞いたんや」 何とか店を脱出した二人が、巧くいったと話し合っていると後から酒屋の主が追いかけてくる。 「あんたたちも、頑張って働いてうんつくにならなあかんで」 酔っていた清八は思わず「うんつくは嫌いじゃ!!」。 「あー、これだから貧乏人は困る」 概要[編集] 「うんつく」とは、関西弁でアホ・間抜けの事。原話では、江戸ッ子が「唐変木」と罵倒した事から同様の事件が起こってしまう。 清八に丸めこまれた主が、息子の嫁や孫の事を「めうんつく、こうんつく」とコケにされているのに大喜びするところなど笑いどころが多い。 バリエーション[編集] 演者によっては、インチキ『三井家の事始め』の前に、「酒屋のくせにこんな事も知らんのか」と鴻池家にまつわる清酒の事始め(もちろん嘘)を述べる演出もある。 これは首になった手代のいやがらせが、たまたま清酒の発明につながった…という物で、そのまま「ビートたけしの!こんなはずでは!!」で紹介された事もある。 カテゴリ: 落語の演目 案内メニュー ログインしていませんトーク投稿記録アカウント作成ログインページノート閲覧編集履歴表示検索 Wikipedia内を検索 表示 メインページ コミュニティ・ポータル 最近の出来事 新しいページ 最近の更新 おまかせ表示 練習用ページ アップロード (ウィキメディア・コモンズ) ヘルプ ヘルプ 井戸端 お知らせ バグの報告 寄付 ウィキペディアに関するお問い合わせ 印刷/書き出し ブックの新規作成 PDF 形式でダウンロード 印刷用バージョン ツール リンク元 関連ページの更新状況 ファイルをアップロード 特別ページ この版への固定リンク ページ情報 ウィキデータ項目 このページを引用 言語 リンクを追加 最終更新 2016年4月16日 (土) 01:14 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。 テキストはクリエイティブ・コモンズ 表示-継承ライセンスの下で利用可能です。追加の条件が適用される場合があります。詳細は利用規約を参照してください。 プライバシー・ポリシーウィキペディアについて免責事項開発者Cookieに関する声明モバイルビューWikimedia Foundation Powered by MediaWiki