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「ネット碁を打ちたいけどどこで打ったらいいのかわからない」という方は、参考にしてください。
オススメするネット囲碁対局場3選
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3:幽玄の間
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推薦者のブログ
幽玄の間の口コミ
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Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0)
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Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0)
太田雄蔵
太田 雄蔵(おおた ゆうぞう、文化4年(1807年) - 安政3年(1856年))は、江戸時代の囲碁棋士。江戸生まれ、安井門下、七段上手。天保四傑と呼ばれる一人。幼名は川原卯之助、後に良輔、その後太田姓を名乗り、雄蔵とした。号は一石庵爛柯。気合いがよく華麗な碁と言われる。本因坊跡目秀策との三十番碁が著名。
目次 [非表示]
1 経歴
1.1 対秀策三十番碁
2 評価
3 著作
4 参考文献
5 外部リンク
経歴[編集]
江戸の商家に生まれる。「坐隠談叢」では横山町の商家、「白棋助左衛門手記」では本町の丁字屋という糸屋とされている。幼児から七世安井仙角仙知門下で学び、3歳下の安井算知 (俊哲)と競い合う。また八世安井知得仙知の二女を妻とした。天保4年(1833年)から8年にかけて、名古屋、京都、大阪、九州各地へ対局のために遠征。少年時代からこの時までの棋譜は、天保10年(1839年)から12年に『西征手談(上下巻)』として刊行した。天保9年(1838年)に六段。天保14年(1843年)に、既に七段であった本因坊跡目秀和との先合先白番でジゴとした碁は佳作として知られる。 嘉永元年(1848年)に、伊藤松和、林柏栄門入とともに七段に進む。七段になると剃髪して御城碁を勤め、扶持を受けるのが当時の通例であり、棋士の目標であったが、美男子であった雄蔵は剃髪を嫌ったとされ(「坐隠談叢」)、御城碁には出仕しないという異例の昇段となった。
対秀策三十番碁[編集]
秀策との初手合は、天保13年(1842年)秀策14歳二段、雄蔵36歳六段の時の二子局で、雄蔵勝ちだった。この後秀策とは互先になるまで50局ほどを打っている。
あるとき、碁好きの旗本赤井五郎作の家に雄蔵、算知、仙得、松和の四傑と服部一が集まり、秀策の話題となって現在かなうものはいないであろうと口々に言うのを、それまで秀策に互先で2勝2敗2打ち掛けだった雄蔵が同調できないと発言した。そこで五郎作が発起人となり、嘉永6年(1853年)に三十番碁が行われた。17局までで6勝10敗1ジゴとなり先相先に打ち込まれ、さらにここから1勝3敗1ジゴと追い込まれるが、雄蔵は絶妙の打ち回しで白番ジゴとし、この第23局で三十番碁は終了となった。
秀策はこの年に七段昇段し翌年昇段披露会を開き、雄蔵はその席上で松和と対局している(打ち掛け)。この後、越後遊歴に出て、安政3年(1856年)に高田の旅宿梶屋敷で客死、天保四傑では最も早く没した。
三十番碁の第23局、1853年(嘉永6年)11月5、28日 本因坊秀策(先番) - (先相先)太田雄蔵 Yuzo-shusaku-18531105-62-72.jpg
左辺で競り合いが始まり、白1(62手目)から3と軽く進出。右辺白5と消して、双方に地が少なく細碁模様、中央白も9まで薄いが黒から厳しい手はない。白はその後も戦いながら薄みをシノギきり、終盤に左上でコウ材有利を見越して白A〜Eとコウを仕掛け、ついにジゴとした。黒に悪手らしい手は無いにも関わらずジゴとしたことで、雄蔵の代表作とされ、秀策は「恐らくは太田氏畢生の傑局とならん」と評している。
また秀和とは互先から始まり、その後雄蔵先相先と定先を往復し、約140局が残されている。
評価[編集]
秀策は天保四傑のうちでは「雄蔵が芸、毫厘の力勝れり」(「囲碁見聞誌」)と高く評価しているが、阪口仙得には先相先のままなど、対戦成績ではそれほど好成績ではなかった。ただし22歳も年下で日の出の勢いの棋聖秀策に対し、初老に近い年齢の雄蔵が17局まで互先で持ちこたえて見せた実力は高く評価される。現代でも藤沢秀行など、好きな棋士として雄蔵の名を挙げる者は少なくない。
秀和とは140局近くの棋譜が残されている。高目、目外しを多用し、振り替わりの多いことで柔軟、華麗の印象を持たれている。
目外し定石の一つである、白A、黒B、白Cは、雄蔵が対秀策戦で打ち出したとされる。
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嘉永2年 秀策(先相先、先番)戦
著作[編集]
『西征手談(上下)』1839、41年(打碁集。囲碁名著選集6、池田書店 1979年として再刊)
『六石集』1846年(天保13年以降の打碁集)
『斧之柄伝記』(打碁集)
参考文献[編集]
安藤如意、渡辺英夫『坐隠談叢』新樹社 1955年
橋本昌二『松和・雄蔵 日本囲碁大系(13) 』筑摩書房 1975年
福井正明、相場一宏『太田雄蔵に学ぶ柔軟な石さばき』(『碁ワールド』2000年2月号)
福井正明『碁界黄金の十九世紀-江戸後期から明治‐日本の碁を頂点に導いた名手たち』日本棋院 2007年
外部リンク[編集]
木石庵「太田雄蔵」
カテゴリ: 江戸時代の囲碁棋士武蔵国の人物1807年生1856年没
尼崎駅 (阪神)
尼崎駅
駅舎(北側)
駅舎(北側)
あまがさき
Amagasaki
所在地 兵庫県尼崎市東御園町93[1]
北緯34度43分7.18秒 東経135度25分2.31秒
駅番号 ○HS 09
所属事業者 Hanshin-logo-black.png阪神電気鉄道
駅構造 高架駅[1]
ホーム 4面6線[1]
乗降人員
-統計年次- 51,887人/日
-2015年-
開業年月日 1905年(明治38年)4月12日[1]
乗入路線 2 路線
所属路線 本線
キロ程 8.9km(梅田起点)
◄HS 08 大物 (0.9km)(1.2km) 出屋敷 HS 10►
所属路線 阪神なんば線
キロ程 0.0km(尼崎起点)
(0.9km) 大物 HS 08►
テンプレートを表示
ホーム
尼崎駅(あまがさきえき)は、兵庫県尼崎市東御園町にある、阪神電気鉄道の駅[1]。駅番号はHS 09。住所の東御園町は、駅の部分だけがこの町名であるため、地図ではスペースの都合で省略されていたり、索引には載っていない場合がある。
西日本旅客鉄道(JR西日本)にも同じ駅名の尼崎駅があるが、直線距離で 1,800m程離れている。このため、一般的には、当駅を「阪神尼崎」「阪尼」、JR駅を「JR尼崎」「J尼」と区別することが多い。
なお、この項目では阪神なんば線が開業した2009年以前については、旧路線名の西大阪線または、その前の正式路線名であった伝法線を使用する。
目次 [非表示]
1 概要
2 歴史
3 利用可能な鉄道路線
4 駅構造
4.1 のりば
4.2 駅改良工事前
4.3 工事による変動
5 その他
6 利用状況
7 駅周辺
7.1 南側
7.2 北側
7.2.1 尼崎中央公園と空中庭園
7.3 タクシー乗り場
8 発着バス路線
9 隣の駅
10 脚注
11 関連項目
12 外部リンク
概要[編集]
阪神電気鉄道が神戸三宮駅以東で運行している全ての種別が停車する唯一の駅[2]。
昼間時間帯は当駅で急行と普通が緩急接続を行う。また梅田 - 当駅間の急行は、基本的に大阪難波方面に直通する快速急行と接続して神戸三宮方面へのアクセスを確保している。
阪神なんば線と本線間を直通運転する快速急行は6・8・10両編成で運転され、8・10両編成で当駅に到着した列車は4番線で大阪難波・奈良側の2両または4両の解放作業を行い、当駅 - 三宮駅間は6両編成で運行される。
歴史[編集]
1954年(昭和29年)頃の梅田方から見た尼崎駅。右奥に尼崎中央商店街がある。
1905年(明治38年)4月12日 - 阪神本線の開業と同時に開業[1]。なお、尼崎車庫は前年8月に完成している[1]。
1928年(昭和3年)12月28日 - 伝法線(西大阪線を経て現在の阪神なんば線)が当駅まで延伸される。
1963年(昭和38年)1月20日 - ホームの高架化が完了。
1964年(昭和39年)
2月 - ホーム有効長を98mから120mに延伸[1]。
5月20日 - 伝法線が西大阪線に改称。
2001年(平成13年)3月10日 - 直通特急および特急の停車駅となる。
2003年(平成15年)
7月1日 - 施設改良工事を開始。これに伴い神戸高速鉄道に駅施設を譲渡。
7月26日 - 当駅 - 大物駅間立体交差工事に伴い、西大阪線の同区間が単線となる。
2006年(平成18年)11月12日 - 当駅 - 大物駅間を立体交差へ切替。本線神戸方面と西大阪線のホームを入替、3・4番線が4・5番線に改番。
2007年(平成19年)3月17日 - 本線大阪方面新ホーム(1・2番線)と、北改札口使用を開始[1]。
2008年(平成20年)2月2日 - 西大阪線新ホーム(3番線)が使用を開始。北改札口と西大阪線のりばが直接連絡。
2009年(平成21年)3月20日 - 西大阪線が阪神なんば線に改称し大阪難波駅まで延伸[1]。
2014年(平成26年)4月1日 - 駅番号導入[3][4]。
2016年(平成28年)3月19日 - 区間特急の停車駅となる。
利用可能な鉄道路線[編集]
阪神電気鉄道
本線
阪神なんば線
※当駅 - 大物駅間は両線の並立区間(二重戸籍)という扱いである。
駅構造[編集]
島式ホーム4面6線[5]を有する高架駅でホームは2階にある[1]。改札口は1階にあり、旧来の西改札に加え、2007年3月17日より北改札が新設され、2か所となった[1]。
新設された北改札口のコンコースは、1990年代前半、駅北側に隣接する「市立阪神尼崎駅前駐車場」の地下搬入路を建設した際、軌道下の盛土高架とともに掘削したため生じた空間を架道橋として整備、のちに利用されたものである。なお、当時からコンコースとしての計画があったかどうかは不明である。
のりば[編集]
阪神尼崎駅プラットホーム
ホーム 路線 方向 行先
1 ■■本線 上り 野田・大阪(梅田)方面
2 ■■本線 上り 野田・大阪(梅田)方面
(阪神なんば線へのホーム上乗換可)
3 ■阪神なんば線 - 西九条・ドーム前・難波・奈良・名古屋・伊勢志摩方面
4 ■本線 下り 甲子園・神戸(三宮)・明石・姫路方面
(奈良・難波方面からの快速急行)
5 ■■本線 下り 甲子園・神戸(三宮)・明石・姫路方面
(梅田方面からの列車 阪神なんば線からのホーム上乗換可)[6]
6 ■■本線 下り 甲子園・神戸(三宮)・明石・姫路方面
(梅田方面からの列車)
このほか、4番線は阪神なんば線からの当駅止まり列車の降車ホームとしても使われている。該当列車は4番線で乗客を降ろした後、ホーム西側の引き上げ線で折り返して、改めて大阪難波方面行きとして3番線に入線する[7]。
2番線は本線上りホームと阪神なんば線上りホーム、5番線は本線下りホームと阪神なんば線下りホームで挟まれる形となり、本線と阪神なんば線相互の同一平面上での対面乗り換えが可能となる。梅田・難波方面を例に取ると、3番線のなんば線ホームから2番線の本線列車へ、さらには、その2番線列車を通り抜けて1番線の本線列車へ、直接乗換えることができる。そのため、配線上では2番線と5番線が主本線ではあるが、緩急接続時には待避する普通列車の方が主本線に入線し、優等列車の方が待避線(1番線および6番線)に入線する形にすることで、円滑な乗り換えができるようにしている。なお、2番線は大阪難波方面への発車にも対応している。
ホーム有効長は、1番線と2番線(1番線側ホーム)は近畿日本鉄道車両6両編成対応の 130 m、2番線(3番線側ホーム)、3番線、4番線は近鉄車両10両編成対応の 215 m[1] 、5番線、6番線は阪神・山陽電気鉄道車両6両編成対応の 120 m[8]である。
4番線の乗車位置は阪神なんば線開業時1から10まであったが、編成両数に関係なく停止位置目標は同一であるため、大阪難波・奈良側の乗車位置7 - 10は通常は当駅で解放される車両用であったが、2014年(時期不明)に撤去された。但し、2016年3/19のダイヤ改正からは、近鉄列車用の△7が復活した。これは、阪神6両の最後尾付近(○6)は、旧・近鉄6両乗車位置(一旦撤去されていた、△7)がなかった為、新・近鉄6両最前部停止位置(△2)を阪神・山陽6・8・10両最前部(○1)停止位置とほぼ同じ位置に合わせて直した。(5番内のりばの6両編成と、ほぼ対面する。)但し、近鉄列車8・10両編成で突っ込んで来た場合は、従来通り(△1〜6)の乗車位置となり、前にずれる。
尼崎駅配線略図
←
阪神なんば線 : 大阪難波方面
本線 : 梅田方面 尼崎駅配線略図 →
本線 : 三宮・元町方面
凡例
出典:「阪神なんば線 エクスプローラー」『鉄道ダイヤ情報』2009年4月号、交通新聞社 17頁
赤 : 本線、 橙 : 阪神なんば線
阪神電鉄による工事着手前のニュースリリース[1]からは一部が変更されている。
駅改良工事前[編集]
2006年11月11日までは、現在の阪神なんば線上りホームが本線上りホーム(旧1・2番線ホーム)、現在の阪神なんば線下りホームが本線下りホーム(旧3・4番線ホーム)、現在の本線下りホームが当時の西大阪線ホーム(旧6番線ホーム)であった。旧4番線(現・5番線)は当時から本線下りホームと西大阪線ホームで挟まれており、本線・西大阪線相互の同一平面上での乗換えが可能となっていた。なお、当時は現在の本線上りホームは存在しなかった。
さらに、かつては旧6番ホーム大物寄りの切欠部に旧5番線が存在しており、当時は5番線に西大阪線の普通列車、6番線には西九条駅 - 三宮駅間運転の西大阪線特急が発着していた。しかし、西大阪線特急の廃止と、有効長は2両編成分であったため、4両編成が通常の編成となってからは使用されなくなり、直下を通る駅前駐車場の地下通路建設工事に伴い、1990年代に撤去された。
工事による変動[編集]
阪神なんば線開通に備えた改良工事が2003年7月より行われ、2009年3月20日の同線完成をもって完成、島式4面6線に拡張された。これにより、この駅は大阪市のキタ(梅田駅)とミナミ(大阪難波駅)への分岐点となった。なお鉄道駅総合改善事業としての補助を受けるため工事着手前に当駅の関連施設は神戸高速鉄道に譲渡され、同社が事業主体となって施工している。2009年3月まで神戸市主体の第三セクターであった同社として初めて市外に鉄道施設を持つことになった。
まず第1段階として、2006年11月12日より3・4番線がそれぞれ4・5番線に改番(当面3番線は欠番となる)され、4番線(旧3番線)に西大阪線、5・6番線(旧4・6番線)に神戸方面行きが発着するようになり、従来の神戸方面行きホームと西大阪線ホームが逆転した。
さらに、2007年3月17日より、旧1番線の反対側に本線上り用新ホームが完成。本線上りホームも新ホームに切り替えられたため、新ホームの北側に新たに引かれた線路が1番線となり、旧1番線は2番線に改番。それに合わせて、北改札口が新たに開設された。なお、旧1・2番線ホームは一時閉鎖(旧2番線の線路も使用停止)され、改良工事に入った。
2008年2月2日に、旧2番線を3番線に改番のうえ、改良工事が完成した新2・3番線ホーム(旧1・2番線ホーム)の使用が開始される。それまで4番線に発着していた西大阪線の西九条行きは新3番線からの発車に変わり、改良工事で新設された新2・3番線ホームのエレベーターも使用開始となる。同時に4・5番線ホームは一時閉鎖(4番線は一時使用停止となり、5番線は本線下りホーム側のみの供用となる)され、改良工事に入った。
2009年3月20日の阪神なんば線の開通によって、4番線の営業列車の発着および4・5番線ホームの使用を再開。
改良工事の変遷
- 2006年11月11日 2006年11月12日
- 2007年3月16日 2007年3月17日
- 2008年2月1日 2008年2月2日
- 2009年3月19日 2009年3月20日 -
→1番線→ →1番線→ →1番線→
新設中 本線上り 本線上り 本線上り
→1番線→ →1番線→ →2番線→ →2番線→ →2番線→
本線上り 本線上り 工事中 西大阪線 なんば線上り
→2番線→ →2番線→ →3番線→ →3番線→
←3番線← →4番線→ →4番線→ ←4番線←
本線下り 西大阪線 西大阪線 工事中 なんば線下り
←4番線← ←5番線← ←5番線← ←5番線← ←5番線←
西大阪線 本線下り 本線下り 本線下り 本線下り
→6番線→ ←6番線← ←6番線← ←6番線← ←6番線←
その他[編集]
阪神なんば線が西大阪線と呼ばれていた時代、列車発車時には梅田駅などと同様の発車メロディが流れていたが、延伸区間の開業に合わせて阪神なんば線に改称された後は使用を停止。本線と同じように必要に応じて電子ベルで乗車を促す形になった。2009年1月の駅改良工事の完了から同年3月の延伸区間開業まで2か月弱の短期間ではあったが、現行バージョンの発車メロディも使用されていた。
当初、尼崎駅が高架化された時点では、阪神なんば線上り線(大阪難波方面)は現在の1番線を使用する予定であり、尼崎駅を出ると次の大物駅までの間で阪神なんば線上り線が本線上下線をオーバークロスして大物駅3番線に入線する構想であった[9]。そのため、1978年に大物駅が高架化された際も両駅がともに高架駅であるにもかかわらず、本線上下線は両駅間で一度地平に下りて再び高架橋を上る構造とされた。ただ、後に本線下り線が阪神なんば線上下線をオーバークロスする現在の形とされたものの、本線上り線は高架化されずそのままとされている。
2008年8月下旬にホームと改札口付近にLED方式の発車標が新たに設置され、同年9月10日からの使用開始と同時に旧来の幕式のものは使用を停止し、のちに撤去された。なお、3番ホームの新型発車標の案内部分には阪神なんば線開通に備えて「西九条 難波 奈良 名古屋 伊勢志摩方面」と表記されており、阪神なんば線開通以前は暫定的に上から「西九条方面」のシールを貼って使用していた。
利用状況[編集]
2015年(平成27年)次の1日平均乗降人員は51,887人である。阪神電鉄の駅では梅田駅、神戸三宮駅、甲子園駅に次ぐ第4位。
近年の1日平均乗車・乗降人員数は下表の通り。
年次 1日平均
乗降人員 1日平均
乗車人員 出典
2001年(平成13年) 45,466 22,458 [10]
2002年(平成14年) 45,984 22,745 [10]
2003年(平成15年) 46,473 23,059 [10]
2004年(平成16年) 45,907 22,758 [10]
2005年(平成17年) 46,038 22,740 [10]
2006年(平成18年) 46,409 22,945 [11]
2007年(平成19年) 46,396 23,018 [12]
2008年(平成20年) 46,636 23,292 [13]
2009年(平成21年) 47,813 23,738 [14]
2010年(平成22年) 48,540 24,158 [15]
2011年(平成23年) 48,660 24,220 [16]
2012年(平成24年) 49,868 24,800 [17]
2013年(平成25年) 49,500 24,658 [18]
2014年(平成26年) 50,871 25,256 [19]
2015年(平成27年) 51,887 25,734 [20]
駅周辺[編集]
尼崎車庫・工場の旧尼崎発電所
駅東側には尼崎車庫・工場があり、以前は阪神電気鉄道本社が設けられていたこともある[1](その後一旦梅田に移転し、平成時代に野田に移転)。その他PTC指令所がある。車庫の線路が駅構内まで延びているため、高架橋は比較的幅が広い。神戸側にも引き上げ線が設置されている。
西改札向かいに専門店街「AMASTA AMASEN」(アマスタ アマセン)がある。また、北口脇には阪神タクシー専用乗り場とコンビニエンスストア「アズナス」がある。南口脇にはかつて存在した菓子メーカーのパルナス製菓から独立して開業した喫茶店「モンパルナス」がある。
尼崎市役所は立花駅が最寄りで、行政的な中心地はこの方面になるが、実質的な中心地は阪神尼崎駅周辺になる。駅南側には尼崎城址や桜井神社など古い町並が広がり、歴史的にも中心であることをうかがわせる。また、尼崎市立中央図書館や尼崎市総合文化センター・アルカイックホール、尼信博物館、世界の貯金箱博物館などの文化施設も多い。大中規模商業施設の建設等も行われ再開発が進行中であり、駅そのものも前記したように改良工事が実施された。
南側[編集]
駅を降りて東方面には、尼崎城址や桜井神社を含む古い町並みが、西方面には国宝・重要文化財も多く含む寺町が広がっており、歴史的な側面をうかがわせる[1]。
また、老朽家屋が密集した南地区では、2004年1月に都市計画決定を受けて、「尼崎ルネッサンス」を掲げての再開発事業が行われ、さきタワーや、阪神尼崎南地区市街地再開発組合の高層建築の建設が続いている。南口正面には2005年12月に東横インが開業した。寺町寄りには阪神尼崎駅前郵便局がある。
開明小学校跡地は、校舎を改装して尼崎市役所の中央支所となっている。校庭は公園として利用されており、近隣住民の憩いの場となっている。公園の南西の交差点近くの壁には、戦時中の機銃掃射の跡[21]が残っている。また、尼崎城の天守閣も建設中である。
北側[編集]
尼崎中央公園
空中庭園
駅北側は、駅前広場の尼崎中央公園とバスターミナルがある[1]。西方面に尼崎中央・三和・出屋敷商店街のアーケード街が出屋敷駅近くまで延び、神田北通といった歓楽街も備えている。東方面には中央公園と直結する「空中庭園」と、国道2号線に沿って文化都市としての側面を担うあましんアルカイックホールや尼崎商工会議所、尼崎南警察署、尼崎市消防局・中消防署、尼崎郵便局などの施設が並ぶ[1]。
尼崎中央公園と空中庭園[編集]
駅北側の広場(尼崎中央公園)は、駅舎北口正面はタイルで舗装され、中央に噴水が設けられている。その西側は緑地で、東側は1階バスターミナル、地下駐車場、2階は大型のペデストリアンデッキ「空中庭園」[1]の三層構造となっている。この、駅前広場から北東方向に商業施設アマゴッタを経て文化施設あましんアルカイックホールまで伸びる「空中庭園」は、再開発事業「尼崎ルネッサンス」により設けられた。駅直結の地上の広場、デッキ上の空中庭園の広場はともに、週末になると市民コンサートなどの各種のイベント、フリーマーケットなど、多くの行事の会場となっている。また尼崎中央公園では、時期によってさまざまな花が植え替えられる。春には桜の花が満開に咲き誇り、植えられた花と交じり合い一層華やかになる。
尼崎中央公園では、2003年と2005年に、阪神タイガースのセントラル・リーグ制覇直前から当日にかけて移動車による特設テレビが設置され、パブリックビューイングが開催された。優勝当日は数千人規模の観衆が集まり、露店も多く出店、優勝後は鏡開きも行われた。
タクシー乗り場[編集]
北改札口前は阪神タクシー専用で、あとは西改札口の北側と南側にある。
発着バス路線[編集]
阪神バス阪神線
南口に発着
尼崎芦屋線 西大島・西宮戎・芦屋川経由 阪神芦屋 行
一部、阪神西宮 行(主に昼間時)、尼崎浜田車庫 止あり
尼崎宝塚線 西大島・昆陽里・西野経由 宝塚 行
西宮尼崎線 出屋敷・高洲・阪神甲子園経由 阪神西宮 行(土休日1便のみ)
空港リムジンバス 関西国際空港 行(関西空港交通と共同運行)
阪神尼崎駅北停留所(北口徒歩3分、国道2号沿い)
西行
尼崎芦屋線 西大島・西宮戎・芦屋川経由 阪神芦屋 行
一部、阪神西宮 行(主に昼間時)、尼崎浜田車庫 止あり
尼崎宝塚線・杭瀬宝塚線 西大島・昆陽里・西野経由 宝塚 行
野田甲子園線 西大島・鳴尾高校前経由 阪神甲子園 行
一部、尼崎浜田車庫止あり
西宮尼崎線 出屋敷・高洲・阪神甲子園経由 阪神西宮 行(土休日1便のみ)
東行
杭瀬宝塚線・野田甲子園線 阪神杭瀬駅北 行
以前は「トワイライト神戸号」熊本・鹿児島行(九州産交バス)や、「尼崎 - 福山線」福山駅・鞆の浦行(鞆鉄道)の高速バス、大阪国際空港行リムジンバスも南口から発車していた(阪神バスと大阪空港交通の共同運行)。また、一般路線は西は神戸三宮を経て神戸税関前まで、東は大阪市内(野田・梅田新道・内本町)まで運行していた。
阪神バス尼崎市内線(旧尼崎市営バス路線)
特記以外は北口発着。11番・13番・13-2番・70番は尼崎交通事業振興との共同運行。北口ロータリー内に阪神バスサービスセンター(案内所・定期券等発売所)がある。
1番のりば
13番 - 阪急塚口 行 (東難波町3丁目、尼崎総合医療センター、尾浜西口経由)
13-2番 - 阪急塚口 行 (東難波町3丁目、尼崎総合医療センター正門前、尾浜西口経由。平日のみ運行)
2番のりば
15番 - 阪急武庫之荘 行 (東難波町3丁目、中央公民館、市役所、JR立花(上)、裁判所[22]経由)
31番 - 阪急塚口 行 (東難波町3丁目、中央公民館、市役所、三反田、尼崎北小学校経由)
43番 - 宮ノ北団地 行 (東難波町3丁目、尼崎総合医療センター、水道局、市役所、JR立花(下)、労災病院、阪急武庫之荘(南)、富松城跡、近畿中央病院、常松、産業技術大学経由)
43-2番 - 武庫営業所 行 (常松まで43番と同じ。以遠、武庫支所、西武庫公園経由)
3番のりば
11番 - 阪急園田 行 (西長洲本通2丁目、工業高校、JR尼崎(北)、近松公園、百合学院経由)
23番 - 戸ノ内 行 (西長洲本通2丁目、JR尼崎(南)、小田支所、神崎、阪急園田経由)
23番 - JR尼崎(南) 行 (西長洲本通2丁目経由)
4番のりば
22番 - 阪急園田 行 (西長洲本通2丁目、スポーツセンター、尾浜、塚口営業所、園田支所、競馬場経由)
5番のりば(南口)
70番 - クリーンセンター第2工場 行(尼崎港経由)
阪急バス
北口から発着。方向幕には「阪神尼崎」と表示されるが、2009年10月31日まで正式な停留所名はただ単に「尼崎」だった。かつては川西から先、池田まで運行していた。
5番のりば(尼崎線)
56系統 - 川西バスターミナル 行 (スポーツセンター・尾浜・つかしん前、伊丹営業所前、伊丹中央、北村、久代口経由)
56系統 - 伊丹営業所前 止 (スポーツセンター、尾浜、つかしん前経由、阪急塚口は経由しない)
6番のりば(尼崎線)
55系統 - 伊丹営業所前 行 (スポーツセンター、尾浜、阪急塚口、つかしん前経由)
57系統 - 阪急塚口 行 (スポーツセンター・尾浜経由)
隣の駅[編集]
阪神電気鉄道
本線
■■直通特急(平日朝ラッシュ時の上り)
梅田駅 (HS 01) ← 尼崎駅 (HS 09) ← 西宮駅 (HS 17)
■■直通特急(上記以外)・■特急
梅田駅 (HS 01) - 尼崎駅 (HS 09) - 甲子園駅 (HS 14)
■区間特急(梅田行きのみ運転)
野田駅 (HS 03) ← 尼崎駅 (HS 09) ← 甲子園駅 (HS 14)
■急行
野田駅 (HS 03) - 尼崎駅 (HS 09) - 武庫川駅 (HS 12)
■区間急行
千船駅 (HS 06) - 尼崎駅 (HS 09) - 武庫川駅 (HS 12)
■普通
大物駅 (HS 08) - 尼崎駅 (HS 09) - 出屋敷駅 (HS 10)
阪神なんば線
■快速急行(平日朝晩)
西九条駅 (HS 45) - 尼崎駅 (HS 09) - (本線)甲子園駅 (HS 14)
■快速急行(平日日中・土休日)
西九条駅 (HS 45) - 尼崎駅 (HS 09) - (本線)武庫川駅 (HS 12)
■準急・■区間準急・■■普通
大物駅 (HS 08) - 尼崎駅 (HS 09)
脚注[編集]
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^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 『兵庫の鉄道全駅 私鉄・公営鉄道』 神戸新聞総合出版センター、2012年12月10日、50頁。ISBN 9784343006745。
^ 阪神電車 路線図 (PDF) - 阪神電車 ホームページ
^ “阪神「三宮」を「神戸三宮」に駅名変更、駅ナンバリングを導入し、すべてのお客さまに分かりやすい駅を目指します” (PDFlink) (プレスリリース), 阪神電気鉄道株式会社, (2013年4月30日), オリジナルの2016年4月8日時点によるアーカイブ。 2016年4月8日閲覧。
^ “[アラカルト]3月20日=兵庫 ◆駅ナンバリング、神鉄が導入”. 読売新聞(大阪朝刊) (読売新聞大阪本社): p. p.32. (2014年3月20日)
^ 尼崎駅構内案内図(平成21年3月現在) (PDF)
^ 平日8:07発当駅始発の快速急行のみこのホームから出発。
^ 平日23:24着を除く。この列車はホーム手前で転線して3番線に到着し、そのまま普通奈良行き(最終)となるため、4番線・引き上げ線には入らない。
^ 阪神電鉄 尼崎駅付近の改良工事に7月1日着手
^ 『全国鉄道事情大研究 神戸編』p.70
^ a b c d e 尼崎市統計書(平成18年) (PDF)
^ 尼崎市統計書(平成19年) (PDF)
^ 尼崎市統計書(平成20年) (PDF)
^ 尼崎市統計書(平成21年) (PDF)
^ 尼崎市統計書(平成22年) (PDF)
^ 尼崎市統計書(平成23年) (PDF)
^ 尼崎市統計書(平成24年) (PDF)
^ 尼崎市統計書(平成25年) (PDF)
^ 尼崎市統計書(平成26年) (PDF)
^ 尼崎市統計書(平成27年) (PDF)
^ 尼崎市統計書(平成28年) (PDF)
^ 旧開明小学校の塀に残る「機銃掃射の跡」
^ 神戸地方裁判所尼崎支部
関連項目[編集]
ウィキメディア・コモンズには、尼崎駅 (阪神)に関連するカテゴリがあります。
日本の鉄道駅一覧
日本の同一駅名・同一市町村で所在地が異なる駅の一覧
宝塚尼崎電気鉄道
外部リンク[編集]
尼崎駅(阪神電気鉄道)
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表 話 編 歴
阪神電気鉄道 阪神電気鉄道 本線
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表 話 編 歴
阪神電気鉄道 阪神電気鉄道 阪神なんば線
カテゴリ: 尼崎市の鉄道駅日本の鉄道駅 あ阪神電気鉄道の鉄道駅1905年開業の鉄道駅
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桂朝太郎
桂 朝太郎かつら ちょうたろう
桂 朝太郎
結三柏は、桂米朝一門の定紋である。
本名 小田 幸吉(おだ こうきち)
生年月日 1946年2月11日(71歳)
出生地 日本の旗 日本・大阪府
師匠 3代目桂米朝
活動期間 1966年 -
所属 松竹芸能
備考
上方落語協会理事
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桂 朝太郎(かつら ちょうたろう、1946年2月11日 - )は大阪府出身の落語家。本名は小田 幸吉(おだ こうきち)。大阪高等学校出身。独身。愛称は「朝(ちょう)さん」。
目次 [非表示]
1 来歴・人物
2 エピソード
3 出典
4 関連項目
5 脚注
来歴・人物[編集]
学生時代に3代目桂米朝の「愛宕山」をラジオで聴いて落語家に憧れる。1965年4月に米朝に入門。初舞台は翌年の1966年に千日劇場であった。千日劇場閉鎖後は神戸松竹座などで修行。所属事務所は松竹芸能[1]。上方落語協会理事。手品、バルーンアート、日本舞踊などを得意としており、自称「いろもん落語家(マジカル落語)」。マジックの師匠はジョニー広瀬。
米朝一門ではあるものの米朝事務所に所属していない[1]ため、一門会や勉強会に出演することは少なく、一門との交流も少ない(ただし同じ時期に内弟子修行をした桂ざこばとは交流がある)。また2015年の「第25回彦八まつり」で行なわれた奉納落語会(2日目夜の部)「桂米朝追善落語会」では、座談会のパネラーとして出演した。
エピソード[編集]
正式な初舞台は1966年の千日劇場だがそれ以前にも数度舞台を踏んでいる。入門間もない頃に神戸国際会館で行なわれた大喜利に3代目桂文我が酔っ払って舞台に出られないので急遽舞台に出ている。その他、関西学院大学の落語会にも出演したことがある[2]。
マジカル落語は、一門が集まった際に米朝から「おまえ おもろいことやれ」と言われ、趣味だった手品を小噺を交えやったところ米朝の好評を得て、高座でかけるようになった。
日本舞踊は米朝の夫人から教わった。
『笑福亭鶴光のオールナイトニッポン』のコーナーであった「小咄その1.小咄その2」は朝太郎が考案。枕でやっていたのを鶴光がヒントにしラジオでやるようになった。
出典[編集]
松竹芸能株式会社 - タレント一覧:桂朝太郎 - 松竹芸能公式プロフィール
協会員プロフィール:桂朝太郎 - 上方落語協会公式プロフィール
関連項目[編集]
落語家一覧
脚注[編集]
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^ a b 1974年の米朝事務所発足当時、朝太郎の兄弟子である桂枝雀は松竹芸能に所属していた(ABCラジオ「ラジオわろうてい」2016年7月3日放送分より、米朝事務所前会長・田中秀武談。また米朝事務所発足前年の枝雀襲名時には、同事務所だった桂福團治、笑福亭枝鶴とトリプル襲名披露興行を行なっている)。なので朝太郎は、枝雀がいた松竹芸能に入り、米朝事務所発足後もそのまま所属し続けていると思われる。
^ ABCラジオ「米朝よもやま噺」ゲスト出演時の発言。
執筆の途中です この項目は、落語家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:舞台芸術/PJ芸能人)。
カテゴリ: 落語家松竹芸能大阪府出身の人物1946年生存命人物
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最終更新 2016年11月12日 (土) 22:22 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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