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Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0)

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Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0) 本因坊知伯 本因坊知伯(ほんいんぼう ちはく、宝永7年(1710年) - 享保18年8月20日(1733年9月27日))は江戸時代の囲碁棋士で、六世本因坊。武蔵国生まれ、本因坊道知門下、六段。本姓は井口、道知の甥にあたる。法名は日了。 父は武州多摩郡井草村の百姓井口半衛門で、母は本因坊道知の姉。享保7年(1722年)に、13歳四段格で本因坊道知の跡目となる。この年から御城碁に出仕。享保11年から部屋住みのまま十人扶持を受けるようになる。享保12年に道知が死去し、知伯が家督を継いで六世本因坊となる。しかし享保18年8月20日に突然卒倒し、家族が医師と各家元に急報したが、その参集を待たずに24歳で死去。急遽家元三家にて、門人で奥州帰郷途中であった18歳五段の佐藤秀伯を家督と定めて寺社奉行に跡目届けを出し、呼び戻した秀伯の帰府後に相続させて七世本因坊とした。墓所は杉並区の妙正寺で、1983年に杉並区指定史跡文化財となっている。 本因坊家は、六世知伯24歳、七世秀伯26歳、八世伯元29歳と、三代続けて当主がいずれも六段位で早世して七段に至らず、この30年ほどの時期は本因坊家衰微の時代とも、碁道中衰の時代とも呼ばれる。 御城碁戦績[編集] 享保7年(1722年) 先番6目勝 井上策雲因碩 享保8年(1723年) 先番ジゴ 林朴入門入 享保10年(1725年) 先番1目負 井上友碩、二子番6目勝 林因長門入 享保11年(1726年) 先番ジゴ 井上策雲因碩 享保12年(1727年) 先番ジゴ 安井仙角 享保13年(1728年) 先番2目勝 林因長門入 享保15年(1730年) 白番4目負 井上春碩因碩 享保16年(1731年) 先番3目勝 井上春碩因碩 享保18年(1733年) 白番4目負 井上春碩因碩 参考文献[編集] 安藤如意、渡辺英夫『坐隠談叢』新樹社 1955年 外部リンク[編集] 木石庵「本因坊知伯」 奇譜士「本因坊知伯」對手分類 [隠す] 表 話 編 歴 歴代本因坊 世襲本因坊 一世 本因坊算砂 / 二世 本因坊算悦 / 三世 本因坊道悦 / 四世 本因坊道策 跡目 本因坊道的 跡目 本因坊策元 / 五世 本因坊道知 / 六世 本因坊知伯 / 七世 本因坊秀伯 / 八世 本因坊伯元 / 九世 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その他 3 駅構造 3.1 駅ビル 3.2 駅ナカ 3.3 地下街 3.4 のりば 3.5 発車メロディ 4 可動式ホーム柵 5 ダイヤ 5.1 近距離列車 5.2 優等列車 5.3 引き上げ線 5.4 ホームの使い分け 6 大阪駅開発プロジェクト 6.1 ホームの変更 6.2 案内サイン 7 駅弁 8 利用状況 9 駅周辺 10 バス 11 乗車制度の特例 12 隣の駅 13 脚注 13.1 注釈 13.2 出典 13.2.1 官報 13.2.2 広報資料・プレスリリースなど一次資料 13.2.3 統計資料 14 参考文献 15 関連項目 16 外部リンク 概要[編集] 大阪府の代表駅(府庁所在地駅)として第1回近畿の駅百選にも選定され、JR西日本で最多の乗降客が利用する駅。駅長が配置された直営駅であり、管理駅として東海道本線(JR神戸線)の塚本駅を管轄している。JRの特定都区市内制度における「大阪市内」に属する駅であり、運賃計算の中心駅となる。また、アーバンネットワークの運行の要衝となる駅で、運行系統の軸をなしている。 駅シンボルフラワーは「バラ」である。「大阪」と付く駅が多いことから、「大阪(梅田)駅」とも呼ばれている(新大阪駅などの一部周辺のJR西日本の駅でも表示がある)。 大阪市街の北玄関である梅田に位置し、駅前や駅の東側・南側を中心に繁華街が広がっている。 東京・山陽・九州方面への長距離列車については、1964年(昭和39年)10月1日に開業した新大阪駅を発着する東海道・山陽新幹線に地位を譲ったものの、当駅は現在でも北陸方面との特急の始発・終着駅であり、新快速を始めとする京阪神の都市間連絡列車や、北近畿・山陰方面との特急、東京駅発着の寝台特急などの在来線特急も発着している。かつては東北・北海道方面に向かう夜行列車も発着していたが、2015年(平成27年)3月14日のダイヤ改正で寝台特急トワイライトエクスプレスが廃止されたことで東北・北海道方面を行き来する夜行列車は全て消滅した。これによって大阪駅を起点、終点とする夜行列車は全て消滅した。ただし、トワイライトエクスプレスは同年5月16日に山陽方面のツアー列車「特別なトワイライトエクスプレス号」として復活し、翌年3月19日まで運転された。 南紀・関西空港方面への特急列車や貨物列車は北方貨物線および梅田貨物線(いずれも通称)を利用するため大阪駅を通過しない。 当駅(JR大阪駅)の事務管コードは、▲610130となっている。なお、大阪・新大阪の事務官コードは▲619910、大阪市内の事務管コードは▲619901が用いられている[1]。 乗り入れ・接続路線[編集] 当駅を発着する運転系統 東海道本線を所属線として[2]、大阪環状線を加えた2路線が乗り入れている。また東海道本線の尼崎駅を起点とする福知山線に直通する列車も乗り入れており、普通列車のみ東海道本線の京都駅方面との相互直通運転を行っている。 JR西日本による独自の愛称路線名として、東海道本線の京都方面には「JR京都線」、東海道本線の神戸方面には「JR神戸線」、福知山線の宝塚方面には「JR宝塚線」がそれぞれ設定されている。これらの路線について、JR西日本の旅客案内では正式名称である「東海道本線」「福知山線」などではなく愛称路線名が使用されている。 このほか、大阪環状線を経由して桜島線(JRゆめ咲線)・関西本線(大和路線)・阪和線に直通する列車も当駅を発着する。 付近には地下鉄や私鉄があるが、「大阪駅」と名乗っているのはJRのみで、それぞれ次の駅が近接して設けられており、乗り換えることができる。 北新地駅 - HJR東西線 「 § 乗車制度の特例」および「JR東西線 § 乗車制度」も参照 梅田駅 - M大阪市営地下鉄御堂筋線 東梅田駅 - T大阪市営地下鉄谷町線 西梅田駅 - Y大阪市営地下鉄四つ橋線 梅田駅 - 阪神本線 梅田駅 - 阪急神戸本線・宝塚本線・京都本線 これらの駅と一体となり、キタ・梅田のターミナルを形成している。 歴史[編集] 初代駅舎 構内(1870年代) 初代駅舎(1874年 - 1899年) 二代目駅舎 清水太右衛門殉職碑 (写真は1956年に再建され、2011年に移設したもの) 二代目駅舎 東から(大正期) 地上駅最終日の二代目駅舎構内 奥は阪急百貨店 (1934年5月31日) 未完成のまま使用中の三代目駅舎 左奥は大阪中央郵便局(1940年頃) 北口(現在の御堂筋北口、1944年頃) 空襲で焼け野原と化した大阪駅前(1945年) 三代目駅舎(1950年頃) 大規模改修前の四代目大阪駅「アクティ大阪」(2008年) 現在の五代目大阪駅「サウスゲートビルディング」(旧アクティ大阪)(2011年) 場所決定の背景[編集] 1874年(明治7年)に大阪駅 - 神戸駅間の鉄道開業と同時に開業した。当時の駅舎はゴシック風の赤煉瓦造り2階建てで現在地より西の大阪中央郵便局旧局舎付近に当たる場所にあり、周辺は民家がわずかにあるだけで田圃が広がっていた。駅のある場所は1889年(明治22年)の市制施行時における大阪市域にも含まれず、1897年(明治30年)まで西成郡曽根崎村に属していた。 当初の計画では市街地に近い堂島付近に頭端式で建設される予定であったが、上述の通り設置場所は曽根崎村の梅田に変更された。 堂島から梅田へ設置箇所が変更されたのは、将来東へ線路が延伸された際に京都駅 - 神戸駅間の直通運転に都合が良いよう、従前の日本のターミナル駅のような頭端式を採らず、通過式の駅構造にするためだと言われている。鉄道黎明期に頭端式ホームを採用した横浜駅がその後の時勢変化で二度移転を強いられたことからしても、折り返しを要さない東西直通運転を可能にしつつ市街地に駅をできるだけ近づけさせる構造にした大阪駅には、先見の明があったといわれることもある[3]。それは、明治末期に山陽鉄道や九州鉄道といった大私鉄が国有化された後、西日本各地から東京への直通運転の実現が容易となり、利便性を高めたという点でも大いに役立つこととなった。 開業後の推移[編集] Question book-4.svg この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2014年11月) 開業当初、大阪駅は「梅田駅」「梅田ステーション」「梅田すてんしょ」などと呼ばれていたが、阪神・阪急や貨物駅の梅田駅が開業すると、次第に大阪駅のことを「梅田駅」などと呼ぶことはなくなった。 当初は貨物輸送の比重が大きく、水運の便を図るため堂島川から駅の南西まで梅田入堀川(堂島堀割川)が開削された。しかし、旅客輸送が次第に増大すると入堀のある狭小な駅前では手狭となり、大阪市電の乗り入れ計画に合わせて十分な駅前広場を確保すべく1901年(明治34年)7月に現在地へ移転された。なお、貨物の取り扱いに関しては後に梅田貨物駅が設置された際に全面移管され、梅田入堀川も北東へ延伸された。 1906年(明治39年)に公布された鉄道国有法に基づき主要私鉄が国有化される前は、当駅に官営鉄道(国鉄)の列車のほか、山陽鉄道(今の山陽本線)・阪鶴鉄道(同じく福知山線)・西成鉄道(大阪環状線・桜島線)・関西鉄道(関西本線・大阪環状線など)・南海鉄道(南海本線)といった5つもの私鉄の列車が乗り入れていたことがあった。南海鉄道の列車は、1984年と1993年の2段階で廃止された天王寺線経由で関西鉄道線に乗り入れる形で、山陽鉄道と阪鶴鉄道の列車は官営鉄道へ乗り入れて当駅に達していた。 1934年(昭和9年)には大阪市街の踏切の撤去を目的とし、城東線(のちの大阪環状線)と共に大阪駅の高架工事が実施されるが、それに先駆けて1926年(昭和元年)に阪神急行電鉄(現在の阪急電鉄)が大阪市街の高架化工事を実施し、同社線起点の梅田駅も東海道本線・城東線をまたぐ形で仮設の高架駅となっていたため、高架化に際しては阪急梅田駅を地上駅にする工事も同時に行う必要があり、結果として路線の上下を同時に入れ替えるという大工事を、5月31日から6月1日にかけての一夜で実施することになった(工事についての詳細は阪神急行電鉄#梅田駅付近の変遷を参照)。この時地上駅となった阪急梅田駅は、1970年代に北へ移設して再び高架駅に戻っている。 それまで田圃だった大阪駅周辺の地盤は非常に脆く、地下20 m付近までが粘土層である。高架化の際には、軟弱地盤に対処するため鉄筋コンクリート製の杭を打ったものの、粘土層で基礎杭が留まっていたために建設直後から地盤沈下が生じた。当時は地下水の汲み上げ規制がなかったことで脱水圧密も生じ、沈下量は最大で1.8 mにもなった。一方で、御堂筋線との交差部では基礎杭が砂礫層に達していたために沈下量が極小であったが、その前後の沈下量に著しい差があったために不等沈下が生じた。その結果、当時の大阪駅構内は駅東端で最大23.6 ‰の急勾配が生じ、ホームの屋根が建築限界を超えて車両限界に抵触するなど、列車運行に支障をきたすようになった。 深刻な地盤沈下に対処するために、当駅では日本初のアンダーピニング工法が採用された。1962年(昭和37年)までの5年間に計245本の杭が砂礫層に打たれたことにより、沈下は沈静化した。また、同年には地下水の汲み上げを規制する法律が制定されたことにより、沈下原因も解消に向かった。地盤沈下の名残として、現在でも駅構内は数段の階段や勾配が数多くある。 1964年(昭和39年)10月1日に東海道新幹線が開業した際には、既に梅田地区には新たに新幹線用の施設を設けるだけの土地の余裕がほとんどなかったことや(北は阪急梅田駅や梅田貨物駅、南は阪神百貨店など)、将来の山陽新幹線建設を考慮した際に北方貨物線の上の用地を使えるようにした方がいいと考えられたため、大阪の市街地から3 kmほど離れた新大阪駅をターミナルとした。 その後、梅田貨物線を使用して京都駅・新大阪駅から和歌山・関西国際空港への直通列車を走らせることになった際には、当駅はそのルート上に駅を設けるには大きく離れていたため通過扱いとなった。将来的な計画としては梅田貨物駅(梅田北ヤード)の再開発に合わせて梅田貨物線のルートを変更した上で地下化し、大阪駅付近に新駅(仮称北梅田駅)を設置するというものがある。 年表[編集] 1874年(明治7年) 5月11日 - 国有鉄道(官設鉄道)の駅として当駅 - 神戸駅間の鉄道開通と同時に開業。旅客扱いのみ[4]。 12月1日 - 貨物の取り扱いを開始。 1876年(明治9年)7月26日 - 向日町駅 - 当駅間が開業し、途中駅となる。 1889年(明治22年)7月1日 - 東京駅 - 神戸駅間の全通により、東京駅までの直通運転が行われるようになる。 1895年(明治28年)10月17日 - 大阪鉄道の玉造駅 - 梅田駅間が延伸開業。その終着駅として同線の梅田駅が開業。 1898年(明治31年)4月5日 - 西成鉄道が当駅 - 安治川口駅間を開業させ当駅に乗り入れ。 1900年(明治33年)6月6日 - 関西鉄道による大阪鉄道線承継に合わせ、旧大阪鉄道の梅田駅が当駅に統合。当駅は国有鉄道・関西鉄道・西成鉄道の駅になる。 1901年(明治34年)7月 - ゴシック風石造りの二代目駅舎が完成。最初の駅舎の位置から東の、現在地に移転。 1906年(明治39年)12月1日 - 西成鉄道が国有化され、当駅は国有鉄道と関西鉄道の駅になる。 1907年(明治40年) 5月31日 - 18時ごろ、西第一踏切(昭和初期に廃止)で踏切番をしていた駅員の清水太右衛門が踏切内に入った幼女を救ったが、太右衛門は列車に接触し殉職する事故が起こった。太右衛門の功績をたたえるため、同年10月に碑が立てられた(1945年の大阪大空襲により碑は破壊され、1956年に再建。2011年1月にノースゲートビルディングと立体駐車場をつなぐ通路に碑を移設した[5])。 10月1日 - 関西鉄道が国有化、当駅は国有鉄道の単独駅になる。 1908年(明治41年)8月1日 - 大阪市電気局の大阪市電梅田(大阪駅前)停留場が開業。 1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称制定により、東京駅 - 神戸駅間は東海道本線、旧大阪鉄道線は城東線、旧西成鉄道の区間は西成線になる。 1928年(昭和3年)12月1日 - 貨物の取り扱い業務が新設された梅田駅に移管。 1934年(昭和9年) 6月1日 - 高架化[6]。 7月20日 - 当駅を含む吹田駅 - 須磨駅間で電車運転を開始。 1935年(昭和10年) - 二代目駅舎が解体され、仮駅舎建設。 1940年(昭和15年)6月 - 三代目駅舎が2階まで完成し使用を開始。当初の予定では5階建てのインターナショナルスタイルの四角いビルであり、中央に5階分の高さの吹き抜けを設け、上層階は1940年東京オリンピックに合わせて鉄道ホテルとして使用される予定であった。 1943年(昭和18年) - 三代目駅舎が完成(3階建てコンクリート造り)。中央の吹き抜け部分を除き、4・5階部分の鉄骨は切断し軍に供出。 1945年(昭和20年)6月1日・6月7日 - 大阪大空襲により機銃掃射、焼夷弾、爆弾の直撃被害を受け、当分営業を休止する。仮復旧時は上り電車は東構内、下り電車は西構内で折り返し運転を行い、旅客は高架軌道を歩き急造の梯子で列車に乗車した[7]。 1953年(昭和28年)9月1日 - 大阪市営トロリーバスの大阪駅前 - 神崎橋間が開業。 1957年(昭和32年)3月21日 - 自動券売機が設置される[8]。 1959年(昭和34年)12月21日 - 0番のりばが使用開始[9]。 1960年(昭和35年)2月1日 - 座席予約端末装置(マルス1)の使用を開始[10]。 1961年(昭和36年)4月25日 - 城東線全線と西成線の西九条駅 - 当駅間が大阪環状線として開業。 1962年(昭和37年)10月1日 - 11番のりばが使用を開始[11]。 1966年(昭和41年) 7月1日 - 大阪市電の大阪駅前停留場が廃止(大阪市電の全廃は1969年〈昭和44年〉)。 11月17日 - 大阪環状線ホームの工事が開始される。 1969年(昭和44年)10月1日 - 大阪市営トロリーバスが大阪駅前より撤退(大阪駅前 - 神崎橋、大阪駅前 - 森小路一丁目間廃止)。 1970年(昭和45年)3月12日 - 大阪環状線ホーム(環状1番・環状2番のりば)が使用を開始[12]。 1979年(昭和54年)12月18日 - 四代目駅舎の北駅ビル完成[13]。 1982年(昭和57年)3月1日 - 大阪環状線ホームが環状1番・環状2番のりばから、環状内回り・環状外回りのりばに変更[14]。 1983年(昭和58年) 2月15日 - 自動放送装置の使用を開始[15]。 4月27日 - 大阪ターミナルビル「アクティ大阪」が開業。 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。 1988年(昭和63年)3月13日 - 路線愛称の制定により、東海道本線の当駅 - 京都駅間で「JR京都線」、東海道本線の当駅 - 神戸駅間および山陽本線の神戸駅 - 姫路駅間で「JR神戸線」、東海道本線の当駅 - 尼崎駅間および福知山線の尼崎駅 - 篠山口駅間で「JR宝塚線」の愛称を使用開始。 1991年(平成3年)4月23日 - 待ち合わせスポット「旅立ちの鐘」が除幕。東口を「御堂筋口」、北口を「御堂筋北口」、西口を「桜橋口」と命名。駅ナカ施設「ギャレ大阪」が開業。 1993年(平成5年)5月2日 - 改札口に電光掲示板導入。 1994年(平成6年)3月18日 - 桜橋口の改装工事が開始される。 1995年(平成7年) 1月17日 - 午前5時46分に阪神・淡路大震災が発生し、駅名を表示する看板が外れたりするなどの被害を受けた。また関西の在来線は各線で運休となった。 1月18日 - JR神戸線の当駅 - 尼崎駅間で営業運転を再開。 8月6日 - 復旧工事がすべて完成。 1997年(平成9年) 2月16日 - 桜橋口の改装が完成。ホームに電光掲示板導入。 3月8日 - JR東西線に北新地駅が開業し、連絡駅となる。 9月4日 - 接近メロディ導入。 1999年(平成11年)12月27日 - 中央口・桜橋口に自動改札機導入。 2000年(平成12年)9月12日 - 御堂筋口・南口に自動改札機導入。 2002年(平成14年)7月29日 - JR京都線・JR神戸線にJR京都・神戸線運行管理システム導入。 2003年(平成15年) 4月23日 - 中央コンコースの南側に設置された「砂時計」が除幕。8月に「サンドファンタジー」と命名。 11月1日 - ICカード「ICOCA」の利用が可能となる[広報 1]。 2004年(平成16年)5月16日 - 改良工事が本格的に開始[広報 2]。旧1・2番のりばが使用停止。 2005年(平成17年) 2月27日 - 環状内回り・環状外回りのりばが1・2番のりばに変更[広報 3]。旧1・2番のりばの改良工事が完成し、新3・4番のりばとして使用を開始。旧3・4番のりばは使用停止。 3月1日 - 仮駅舎東棟「フロートコート」が開業[広報 4]。列車非常停止警報装置の使用を開始。 4月8日 - 仮駅舎西棟「トラベルコート」が開業[広報 4]。 10月16日 - 旧3・4番のりばの改良工事が完成し、新5・6番のりばとして使用を開始。旧5・6番のりばは使用停止。 2006年(平成18年)7月30日 - 旧5・6番のりばの改良工事が完成し、新7・8番のりばとして使用を開始。旧7・8番のりばは使用停止。 2007年(平成19年) 3月18日 - ダイヤ改正に合わせてJR京都線・JR神戸線で駅自動放送を更新。 4月1日 - 高架下コンコースの改装工事がすべて完成。 4月8日 - 旧7・8番のりばの改良工事が完成し、新9・10番のりばとして使用を開始。旧9・10番のりばは使用停止。旧11番のりばの撤去工事が開始される。 2009年(平成21年) 10月4日 - 大阪環状線に大阪環状・大和路線運行管理システム導入。 12月22日 - 旧9・10番のりばの改良工事が完成し、新11番のりばとして使用を開始。旧11番のりばの撤去工事が完成し、駐車場連絡通路・タクシーのりばに転用。 2010年(平成22年) 8月18日 - 異常時情報提供ディスプレイの使用を開始。 10月12日 - 7・8番のりばの拡幅工事が完成。 11月1日 - 橋上駅舎の一部が乗り換え専用通路として使用を開始する。 2011年(平成23年) 3月31日 - 「ギャレ大阪」が閉館。 4月11日 - 橋上駅舎が全面使用開始。連絡橋口開設。 5月4日 - 五代目駅舎と大阪ステーションシティが開業。 5月24日・6月1日 - バスターミナルが北口に集約される(大阪市営バスは5月24日から、西日本JRバスは6月1日から)。 6月16日 - ギャレ大阪西館跡地に「ALBi」が開業。 10月12日 - 改札口の電光掲示板をフルカラーのものに交換。 12月28日 - JR京都線・JR神戸線ホームにガラス製の屋根が設置される。 2012年(平成24年) 3月16日 - ダイヤ改正前日にあたるこの日をもって当駅に乗り入れていた福知山線の113系電車は撤退となり、寝台特急日本海が当日の発車分と翌日3月17日の到着分をもって定期運用から引退した。その後の臨時運用も2013年1月6日を最後に終わった。これによって当駅から113系の旅客営業列車と当駅を起点、終点とするブルートレインは全て消滅した。 6月30日 - 「フロートコート」が閉鎖。 10月31日 - 「エキマルシェ大阪」が開業。エキマルシェ大阪口開設。「トラベルコート」が閉鎖。 2013年(平成25年) 4月26日 - グランフロント大阪が駅北側の再開発エリア「うめきた」地区に開業。大阪ステーションシティと新たに建設したペデストリアンデッキで直結。 5月2日 - 中央口・桜橋口の自動改札機をJR西日本テクシア製、AG50型に交換。 8月7日 - 御堂筋口・南口の自動改札機をJR西日本テクシア製、AG50型に交換。 2014年(平成26年)5月1日 - 大阪環状線ホームに発車メロディを導入。曲はやしきたかじんの代表曲「やっぱ好きやねん」[広報 5]。 2015年(平成27年) 2月16日 - タクシー乗り場を御堂筋口側から桜橋口側に移設。 3月12日 - 寝台特急トワイライトエクスプレスがこの日の発車分と当日の到着分をもって引退した。これにより、当駅を起点、終点とする一般営業の寝台特急列車はすべて消滅した。なおトワイライトエクスプレスは同年5月16日に山陽方面のツアー列車「特別なトワイライトエクスプレス号」として復活し、翌年3月19日まで運転された。 4月2日 - 「LUCUA 1100(ルクア イーレ)」が開業[16]。 12月4日 - 台湾鉄路管理局の台北駅と姉妹駅となる[広報 6]。 2016年(平成28年)3月26日 - ダイヤ改正に伴い、特急「しなの」の当駅までの乗り入れが廃止される。また、当駅を発車する新快速と快速の運転間隔が均等化される[広報 7]。 2017年(平成29年) 3月4日 - ダイヤ改正に伴い、新快速は平日の夕方に当駅を始発とする列車を除き、終日12両編成での運転となる[広報 8]。 3月24日 - 観光の総合相談窓口「Travel Service Center OSAKA」オープン[17]。 4月22日 - 6番のりばに可動式ホーム柵が設置され、使用を開始[広報 9]。 5月27日 - 7番のりばに可動式ホーム柵が設置され、使用を開始[広報 10]。 6月17日 - 周遊型臨時寝台列車「TWILIGHT EXPRESS 瑞風」の停車駅となる[18]。 2018年(平成30年)3月 - 駅ナンバリングが導入され、使用を開始する予定[広報 11]。 その他[編集] 新大阪駅構内にある在来線乗り場案内。「大阪(梅田)」が赤字で表示。 初代大阪駅舎の駅前には高さ10メートルの時鐘台があり、列車が発車する5分前になると鐘を鳴らしていた。この鐘は駅が二代目に改築された時に行方が分からなくなったが、三代目が建築された頃に保線区で逆さ向きにして手洗い鉢にされているのが発見され、急遽回収されたという逸話が残っている。その後、1960年(昭和35年)に日本国有鉄道により鉄道記念物に指定され、現在は京都鉄道博物館に保存展示されている。重さ約100 kg。後に大阪駅でもう一つの鐘(重さ28 kg)が保管されている事が発覚し、時鐘は二つあったと推測されている[19]。 この鐘は1980年(昭和55年)5月から大阪駅北ビルで「旅立ちの鐘」として展示されたが、駅改良工事に伴い2010年(平成22年)11月に撤去された[20]。 1901年(明治34年)の二代目駅舎の建設時に、正面玄関の左右に銅像の「噴水小僧」が2体設置された。1体は三代目駅舎建設時に移転する際に行方不明になり、もう1体が中央コンコースの人工池に展示され待ち合わせ場所として親しまれていたが、五代目大阪駅舎に引き継がれることなく、駅改良工事に伴い2004年(平成16年)3月に撤去された[20]。 新大阪駅構内にある在来線乗り場案内では「大阪(梅田)」と「梅田」が併記され、かつ赤字で表示されている。 1日に多くの列車が発着することや、臨時列車の始発駅・終着駅となることが多いことから、平日、休日、祝日と関係せず多くの鉄道ファンが集まる。 駅構造[編集] ホーム・線路は、高架上に東西に伸びている。以前は7面13線のホームがあったが、2004年より行われている再開発工事に伴い一時期5面10線にまで縮小した後、2009年12月22日より新11番のりばの使用を開始して以降は6面11線となって現在に至る[広報 12]。 大阪環状線のホームの有効長は9両編成分であるが、ホームを延伸しなくても10両編成分にすることが可能である。東海道本線 (京阪神本線) ・福知山線 (宝塚線) は12両編成分あり、一部のホームは16両編成分にも対応している。但し、電車線普通電車が発着する6番線と7番線は、7両編成4扉車専用のホーム扉が設置されている関係で、この2本のみ3扉車の入線は出来なくなっている。 改札口は、御堂筋口・南口・中央口・桜橋口・連絡橋口・エキマルシェ大阪口の6か所がある。中央口と桜橋口は、改札内の大半が中2階の乗り換え通路になっている。御堂筋口・中央口・連絡橋口には南北を結ぶ改札外のコンコースがあり、両端に駅の出入口がある。御堂筋南口・御堂筋北口・中央南口・桜橋口には地下街や阪急・阪神・地下鉄の梅田駅につながる階段やエスカレーターがある。 2010年11月1日より橋上駅舎3階の乗り換え専用通路の使用が開始され[広報 13]、2011年4月11日には新しい改札口「連絡橋口」の使用が開始された[広報 14]。 駅ビル[編集] 駅南側に27階建て、高さ122.3mの駅ビル「アクティ大阪」から改称した「サウスゲートビルディング」があり、大丸梅田店とホテルグランヴィア大阪が入居している。また駅北側には大阪駅開発プロジェクトに基づいて建設された「ノースゲートビルディング」があり、西側の高層棟(28階建て・高さ約150m)と東側の低層棟(13階建て・高さ約78m)から構成され、ファッションビル「ルクア」(LUCUA)と「ルクア1100(イーレ)」(旧JR大阪三越伊勢丹)、シネコンの「大阪ステーションシティシネマ」やスポーツクラブ、オフィスなどが入居している。サウスゲートビルの東側に、再開発工事に伴い駅内の商業施設を移設した、2012年までの期間限定の仮施設である「フロートコート」と、ビルの西側に同じく期間限定の仮施設「トラベルコート」があったが、フロートコートは先行して2012年6月30日をもって閉鎖された。北側にはかつて低層の駅ビル(北ビル)があり飲食店などが入っていたが、ノースゲートビル建設工事のため解体された。 駅ナカ[編集] 御堂筋口には「イーストコートミドー」(EAST COURT mido) があり、高級スーパーのいかりスーパー、カフェのデリカフェ (DELI CAFE) などがある。中央口には「セントラルコート」(CENTRAL COURT) があり、コンビニのセブン-イレブン Heart・in・土産物店・飲食店などが並ぶ。改札内にはキヨスクのほか、中央口と桜橋口を結ぶ連絡通路などに、ベーグル店 (BAGEL&BAGEL)、ロールケーキ店(クリオネ)、喫茶店やセブン-イレブン Heart・inがある。かつて中央口西側に専門店街「ギャレ大阪」(GARE) があったが、大阪ステーションシティの開業による商業施設の再編により2011年3月31日で閉館し、ギャレ大阪の西館は、2011年6月16日に新商業施設「ALBi」として再オープン。本館は2012年10月31日に「エキマルシェ大阪」としてオープンした[広報 15]。 地下街[編集] 大規模な地下街が展開する梅田にありながら、地下が存在するエリアは限られている。地下が存在するのはサウスゲートビル(大丸梅田店)とそれに沿って東西に延びる専門店街「クロスト」(crost) のみである。南北に駅を横断する地下通路や地下改札は設置されておらず、現在行われている再開発工事でも設置されない。これは軟弱な地盤と、地下水くみ上げによる地盤沈下対策として、1952年(昭和27年)から1964年(昭和39年)に、度重なる改良工事がアンダーピニング工法などにより行われた結果、地下深くの天満層まで200本を超える杭が埋まっているためである[注釈 1]。 桜橋口 南口改札 エキマルシェ大阪口 連絡橋口改札 連絡橋口コンコース 時空の広場への階段 時空の広場 アトリウム広場 ノースゲートビルディング側 駅前の様子 のりば[編集] のりば[広報 16] 路線 行先 備考 1 O 大阪環状線(内回り) 西九条・弁天町・天王寺方面 P JRゆめ咲線 ユニバーサルシティ・桜島方面 Q 大和路線 王寺・奈良・加茂方面 大和路快速・区間快速のみ、JR難波・平野・柏原方面は天王寺で乗り換え R 阪和線 鳳・日根野・和歌山方面 紀州路快速のみ、鶴ケ丘・我孫子町・杉本町方面とB快速・区間快速は天王寺で乗り換え S 関西空港線 Pictograms-nps-airport.svg関西空港方面 関空快速のみ 2 O 大阪環状線(外回り) 京橋・鶴橋・天王寺方面 関空快速・紀州路快速・大和路快速は当駅から各駅に停車 3・4 福知山線 特急 福知山・城崎温泉方面 「こうのとり」 特急「スーパーはくと」 鳥取・倉吉方面 播但線 特急 城崎温泉・香住方面 「はまかぜ」・原則として4番線から G JR宝塚線・福知山線 篠山口・福知山方面 3 - 6 A JR神戸線 三ノ宮・姫路方面 JR宝塚線の塚口・猪名寺・北伊丹方面は尼崎で乗り換え 6 G JR宝塚線 宝塚・三田方面 JR神戸線の立花・甲子園口・さくら夙川方面は尼崎で乗り換え 7 - 10 A JR京都線 新大阪・高槻・京都方面 10 東海道線上り 特急 草津・米原方面 「びわこエクスプレス」[広報 17] 11 福井・金沢方面 「サンダーバード」 高山方面 「ひだ」[広報 18] 静岡・横浜・東京方面 「サンライズ瀬戸・サンライズ出雲」[広報 19] 発車メロディ[編集] 「大阪環状線改造プロジェクト」の一環として、2014年5月1日から大阪環状線ホーム(1・2番のりば)の発車メロディに、大阪を心から愛していたやしきたかじんの代表曲「やっぱ好きやねん」を導入している[広報 5]。 可動式ホーム柵[編集] 2016年6月15日に、安全性の向上を目的として、当駅の6・7番のりばに可動式ホーム柵を設置することがJR西日本より発表された[広報 20]。2017年4月22日に6番のりば、2017年5月27日に7番のりばで可動式ホーム柵の使用が開始された。 ダイヤ[編集] 近距離列車[編集] JR神戸線・京都線 日中は、1時間に16本(新快速・快速がそれぞれ4本、普通が8本)発着する。朝ラッシュ時は新快速・快速(当駅止まり含む)がそれぞれ8分間隔と普通が4分間隔で到着する。夕方18時台は新快速で当駅始発があり、三ノ宮・神戸・姫路方面は8本、新大阪・高槻・京都方面は7本の7分半間隔で発車する。 JR宝塚線 日中は、1時間に8本(快速(丹波路快速を含む)・普通(JR京都線直通)がそれぞれ4本)発着する[広報 21]。朝晩は本数が多くなり、福知山駅発着の快速も設定されている。当駅始発の普通は塚本駅を通過する。 大阪環状線 日中は、1時間に12本(大阪環状線を一周する普通・大和路快速・関空快速・紀州路快速がそれぞれ4本)発着する[広報 21]。朝晩は本数が多くなる。JRゆめ咲線に直通する列車は日中と朝ラッシュ時を除く時間帯に運行されている。 優等列車[編集] 当駅は北陸方面への特急の始発・終着駅として機能している。西行きの特急は「はまかぜ」のみが当駅始発で、それ以外の列車は東海道新幹線・山陽新幹線への連絡を考慮して新大阪駅や京都駅まで直通する。米原駅・草津駅・京都駅 - 関西空港駅間の特急「はるか」や、京都駅・新大阪駅 - 和歌山駅・海南駅・紀伊田辺駅・白浜駅・新宮駅間の特急「くろしお」および快速は梅田貨物線を経由するため、当駅には停車しない。また、貨物列車は当駅を通らず北方貨物線や梅田貨物線を経由するが北ヤードの再開発とともに新線に移設し地下に北梅田駅(仮称)を設置する予定である。 北陸方面 特急「サンダーバード」(大阪駅 - 金沢駅・和倉温泉駅間) 東海道本線・中央本線・高山本線方面 寝台特急「サンライズ瀬戸・出雲」(高松駅・出雲市駅 → 東京駅間) 特急「ひだ」(大阪駅 - 高山駅間) 特急「びわこエクスプレス」(米原駅 - 大阪駅間) 山陰方面 特急「スーパーはくと」(京都駅 - 鳥取駅・倉吉駅間) 特急「はまかぜ」(大阪駅 - 香住駅・浜坂駅・鳥取駅間) 北近畿方面(福知山線経由) 特急「こうのとり」(新大阪駅 - 福知山駅・豊岡駅・城崎温泉駅間) 引き上げ線[編集] 引き上げ線が大阪環状線ホームの西に2線、東海道本線(JR京都線・JR神戸線)ホームの東と西にそれぞれ1線ずつ設置されている。大阪環状線の引き上げ線は、当駅止まりの列車の折り返しなどに使用され、東海道本線の引き上げ線はJR京都線の4時台の始発列車および、その次の列車が宮原総合運転所から回送されてくる時と、1時到着の最終列車が宮原総合運転所へ回送される際に、西引き上げ線で折り返す。 ホームの使い分け[編集] JR京都線・JR神戸線については、新快速・快速が5・8番のりば、普通(JR京都線とJR宝塚線を直通する列車を含む)が6・7番のりばに発着し、新快速とJR宝塚線発着の普通、快速とJR神戸線発着の普通が相互接続を行う。ただし、平日朝ラッシュ時の新快速・快速、平日17時以降の新快速は 3・4・9・10番のりばを使用する。 JR宝塚線の当駅始発の丹波路快速・快速・普通は3・4番のりばから発車する。また、当駅止まりの丹波路快速・快速・普通は9・10番のりばに到着する。だし、平日朝ラッシュ時は8番のりばに到着する。当駅—尼崎間は外側線運転のため普通でも塚本は通過する。 「ひだ」高山行き、「こうのとり」新大阪行き、「スーパーはくと」京都行き、「びわこエクスプレス」米原行きは9・10番のりばに発着する。ただし、平日朝ラッシュ時の「こうのとり」は8番のりばに発着する。「サンダーバード」金沢・和倉温泉行き、「サンライズ瀬戸・サンライズ出雲」東京行きは11番のりばから発車する。当駅止まりの「はまかぜ」は10番のりばに到着する。 「スーパーはくと」鳥取・倉吉行き、「こうのとり」福知山・豊岡・城崎温泉行き、「はまかぜ」香住・浜坂・鳥取行きは3・4番のりばに発着する。当駅止まりの「サンダーバード」・「ひだ」・「びわこエクスプレス」は3・4番のりばに到着するが、平日夕ラッシュ時の「サンダーバード」は5番のりばに到着する。 大阪駅開発プロジェクト[編集] ホーム上屋交換前 再開発エリアについては「大阪ステーションシティ」を参照 2004年より、大規模改良・再開発事業である「大阪駅開発プロジェクト」が行われている。 再開発エリアは「大阪ステーションシティ」(OSAKA STATION CITY) と名付けられ[広報 22]、広場・通路の整備、ノースゲートビルディングの建設、「アクティ大阪」から改称したサウスゲートビルディングの増築が行われている。店舗面積(三越伊勢丹・大丸・ルクアを合算)で134,000m2と大規模なものとなり、ららぽーとTOKYO-BAY(千葉県船橋市、115,000m2)を抜いて西日本最大、日本第2位の規模を誇る商業施設となる。2011年5月4日にグランドオープンした。 プラットホーム中央部を覆うように弧を描く巨大な片流れの大屋根が設置された。東西長約180m、南北長約100mで、高さは最も高い地点で約50mに達する。一部にガラスが使われ、自然光が差し込む作りである。これに伴って既存のホーム屋根は端部を残して撤去される予定であったが、風に飛ばされた雨が屋根の横から吹き込むことが判明したため[21]、透明なガラス製の屋根を設置することとなった[広報 23]。 また、駅改良工事としてホーム上に建設された人工地盤に新しく橋上駅舎が設置されるとともに、8番のりばなどの拡幅による混雑緩和や御堂筋口の中2階通路の廃止によるコンコースのフラット化やエスカレーター増設などのバリアフリー化も図られた。橋上駅舎には新しい改札口「連絡橋口」が設置され、2010年11月1日から暫定的に乗り換え専用通路として使用し[広報 12]、2011年4月11日に使用を開始している[広報 14]。 総事業費は2,100億円に及ぶ[22]。現在の当駅の平均乗降客数は85万人だが、JR西日本では大阪ステーションシティの開業で91万人にまで増えると想定している。また、開業後の当駅の増収効果を鉄道業や流通業、ビルのテナント料収入などで年間725億円と試算され、開業当初は減価償却費などがかさむが、5 - 6年後には利益を生み始めると見積もられている[23]。 2009年6月の工事状況 2007年8月の工事状況 2009年9月の工事状況 2010年3月の工事状況 2011年4月の工事状況 全面開業後 ホームの変更[編集] 工事中当時の11番のりば 旧6番のりばと旧7番のりばに存在した留置線跡。非常に急な曲線を描き7番ホームに列車は入線する。 新北ビルの建設用地を捻出するため、ホームの削減工事が行われた。削減に伴い、7面13線から6面11線となっている。ホーム数削減工事は、2004年5月16日に福知山線方面への快速列車・特急列車の発車や北陸方面からの特急列車が到着していた旧1・2番のりば(現在の3・4番のりば)の使用を停止し、同ホームの工事が行われた[広報 2]。2005年2月27日から同ホームは3・4番のりばに改められると同時に、「環状内回りのりば」「環状外回りのりば」と割り振られていた大阪環状線のホームは1・2番のりばに変更された[広報 3]。その後も順次、各ホームごとに10番のりばまで工事が行われ、一時は5面10線まで縮小された。また、2010年10月12日に6番のりばと旧7番のりばの間にあった旧中線後を利用してホームが拡張され、末端部分に合った留置用の中線も撤去されている。 このホーム数の削減に合わせてホームの改修工事が行われた。主な工事内容は次の通り。 御堂筋口の中2階通路の撤去 エスカレーターの新設 階段の改良 ホーム上屋の改良 床の張替え(タイルへの変更) 橋上駅舎新設の準備工事 のりば表記と各ホームの切替日 ホーム 改良工事前 2004年5月16日 2005年2月27日 2005年10月16日 2006年7月30日 2007年4月8日 2009年12月22日 環状線ホーム 内回り 西九条・新今宮・天王寺方面 内回り 西九条・新今宮・天王寺方面 1 西九条・新今宮・天王寺方面 外回り 京橋・鶴橋方面 外回り 京橋・鶴橋方面 2 京橋・鶴橋方面 1号ホーム 1・2 JR宝塚線・山陰方面特急 使用停止 3・4 JR宝塚線・山陰方面特急 JR神戸線 三ノ宮・姫路方面 2号ホーム 3・4 JR神戸線 三ノ宮・姫路方面 3・4 JR宝塚線・山陰方面特急 JR神戸線 三ノ宮・姫路方面 使用停止 5・6 JR神戸線 三ノ宮・姫路方面 JR宝塚線 普通 3号ホーム 5・6 JR神戸線 三ノ宮・姫路方面 JR宝塚線 普通 5・6 JR神戸線 三ノ宮・姫路方面 JR宝塚線 普通 使用停止 7・8 JR京都線 新大阪・高槻・京都方面 4号ホーム 7・8 JR京都線 新大阪・高槻・京都方面 7・8 JR京都線 新大阪・高槻・京都方面 使用停止 9・10 JR京都線 新大阪・高槻・京都方面 北陸方面特急 9・10 JR京都線 新大阪・高槻・京都方面 5号ホーム 9・10 JR京都線 新大阪・高槻・京都方面 9・10 JR京都線 新大阪・高槻・京都方面 使用停止 11 北陸方面特急 6号ホーム 11 北陸方面特急 11 北陸方面特急 撤去(駐車場連絡通路、タクシー乗り場に転用) 旧11番のりばのうち約100mほどは立体駐車場への連絡通路へと転用されたが、ホーム時代の屋根等がほぼ廃止時のままの形で再利用されており往年の面影を残している[24]。 またホームの改良工事にあわせて、3・4番のりばとホーム前後のポイント改良工事により速度制限が緩和され(30→60km/h)、同様に10番のりば神戸側は50km制限へ、9・11番のりば神戸側も60km/h制限へと緩和された。 平日ラッシュ時はJR神戸線の新快速とJR宝塚線の当駅始発の列車(特急・快速)が同じホームに停車するため、この時間帯の北陸方面からの「サンダーバード」は比較的余裕のある5番のりばに到着することが多くなる。 案内サイン[編集] Edit-find-replace.svg この節には独自研究が含まれているおそれがあります。問題箇所を検証し出典を追加して、記事の改善にご協力ください。議論はノートを参照してください。(2013年7月) 大阪駅の案内サインはJR西日本の標準的な色分けで原則として青地に白抜き文字であったが、改良工事にあわせて変更されている。御堂筋口を中心に黒地に白抜き文字に変更されたが、中央口・桜橋口の中2階からホームに上がる階段の案内は赤茶色地になった。ホームへの階段やエスカレーターの横の案内は、従来よりもかなり大きなものが設置されており、遠くからものりば番号が把握しやすくなっている。2010年11月1日より使用できるようになった橋上駅舎では、のりば番号の下にラインカラーや路線記号(2015年から)が併用されている。また、御堂筋口・中央口を皮切りに日本語・英語・中国語・韓国語の4カ国語表示に切り替えられ、ユニバーサルデザインのピクトグラムも導入されている。また橋上駅舎の完成後は全面的に案内板などでLED照明が採用されている。このような案内サインは大阪駅のほかにも2017年現在、大規模な改良工事が行われている京阪神の主要駅や広島駅でも随時導入が行われている。 御堂筋口改札周辺の案内サイン LEDが採用された案内サイン 路線記号導入後の案内サイン また、2015年(平成27年)6月1日より、御堂筋口にて「4K解像度」の液晶70インチ・タッチパネル式デジタルサイネージを2台設置し、周辺地図や列車運行情報提供での運用が開始されている[広報 24]。 駅弁[編集] 主な駅弁は下記の通り[25]。 日本の朝食弁当 六甲山縦走弁当 地鶏弁当 ひっぱりだこ飯 京都牛膳 但馬牛めし 神戸のすきやきとステーキ弁当 神戸のステーキ弁当 利用状況[編集] 2015年(平成27年)度の1日平均乗車人員は431,743人である[統計 1]。JR西日本の駅では第1位であり、京阪神および西日本で最多の利用客であり、JRグループ全体では新宿駅、池袋駅、東京駅に次ぐ第4位である。 1987年度から1995年度にかけての8年間で乗車人員は16万人以上増加して47万人を越えた。1997年3月8日に隣接してJR東西線の北新地駅が開業した後は乗車人員が減少し、しばらく42万人程度で推移していたが、2009年3月20日に阪神なんば線が開業した後は2010年度まで大きく落ち込み、40万人を割り込んだ。その結果、同年度はJR各社の乗車人員の比較において、以前は大阪駅よりも下位であった横浜駅(JR東日本)に次ぐ第5位となったが、2011年5月4日に大阪ステーションシティが開業したことで、JR大阪駅の利用者が前年同期比で14%増加したと発表[26]したほか、大阪駅のリニューアル効果によりお盆期間中の利用が前年比で7%増加した[27]。これにより、2012年度はJR各社の乗車人員の比較において、横浜駅および渋谷駅(JR東日本)を上回る第3位となった。 各年度の1日平均乗車人員は以下の通り。 1985年度以前の1日平均乗車人員は、年度毎乗車人員を365(閏年が関係する年度は366)で割った値を、小数点第一位で四捨五入したものである。 定期率は、定期乗車人員を総乗車人員で除した値を、パーセントにして小数点第二位で四捨五入したものである。 年度 1日平均乗車人員 出典 総数 定期 定期率 1980年(昭和55年) 284,636 64.1% [統計 2] 1981年(昭和56年) 279,107 64.2% [統計 3] 1982年(昭和57年) 272,721 64.6% [統計 4] 1983年(昭和58年) 281,464 63.2% [統計 5] 1984年(昭和59年) 286,677 63.6% [統計 6] 1985年(昭和60年) 292,556 63.4% [統計 7] 1986年(昭和61年) 1987年(昭和62年) 316,334 [統計 8] 1988年(昭和63年) 326,138 206,793 63.4% [統計 9] 1989年(平成元年) 368,203 215,637 58.6% [統計 10] 1990年(平成2年) 400,043 228,789 57.2% [統計 11] 1991年(平成3年) 414,234 239,115 57.7% [統計 12] 1992年(平成4年) 430,109 249,674 58.0% [統計 13] 1993年(平成5年) 437,581 255,136 58.3% [統計 14] 1994年(平成6年) 444,277 259,803 58.5% [統計 15] 1995年(平成7年) 477,918 275,651 57.7% [統計 16] [注釈 2] 1996年(平成8年) 475,887 274,959 57.8% [統計 17] 1997年(平成9年) 439,302 256,473 58.4% [統計 18] 1998年(平成10年) 429,719 248,451 57.8% [統計 19] 1999年(平成11年) 425,461 243,474 57.2% [統計 20] 2000年(平成12年) 424,259 241,612 56.9% [統計 21] 2001年(平成13年) 430,995 241,777 56.1% [統計 22] 2002年(平成14年) 419,770 239,208 57.0% [統計 23] 2003年(平成15年) 425,876 240,172 56.4% [統計 24] 2004年(平成16年) 426,348 240,511 56.4% [統計 25] 2005年(平成17年) 425,197 239,462 56.3% [統計 26] 2006年(平成18年) 423,454 237,654 56.1% [統計 27] 2007年(平成19年) 425,010 236,289 55.6% [統計 28] [注釈 3] 2008年(平成20年) 422,429 233,298 55.2% [統計 29] 2009年(平成21年) 401,485 225,260 56.1% [統計 30] 2010年(平成22年) 394,503 220,602 55.9% [統計 31] [注釈 4] 2011年(平成23年) 406,576 220,755 54.3% [統計 32] 2012年(平成24年) 413,614 221,325 53.5% [統計 33] 2013年(平成25年) 429,519 226,571 52.7% [統計 34] 2014年(平成26年) 423,758 223,741 52.8% [統計 35] 2015年(平成27年) 431,743 226,384 52.4% [統計 36] 駅周辺[編集] 1985年当時の大阪駅付近。大阪駅は画面下。右上は阪急梅田駅、左上は梅田貨物駅。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成 詳細は「梅田」を参照 駅周辺は西日本最大の繁華街、オフィス街となっている。 高速バス乗り場やタクシー乗り場、ビジネス街も近いところから、近隣の交通や経済の要となっている駅である。リッツ・カールトンやヒルトンなどの有名ホテルも近い。 北側には梅田貨物駅があったが、2013年4月1日に廃止された(貨物駅の機能は百済貨物ターミナル駅と吹田貨物ターミナル駅に移転)。跡地(大阪駅北地区)は再開発が計画されている。そのうち東側の一部は貨物駅の廃止以前に先行して再開発が進められ、2013年4月26日にグランフロント大阪として開業した。 グランフロント大阪 阪急百貨店うめだ本店  阪神百貨店梅田本店 大阪府曽根崎警察署 ヨドバシ梅田 大阪駅南側 大阪駅南口 大阪駅中央口前のビル群 グランフロント大阪 バス[編集] 詳細は「大阪駅・梅田駅周辺バスのりば」を参照 乗車制度の特例[編集] 詳細は「JR東西線#乗車制度」を参照 JRの乗り換え駅である北新地駅とは別の駅であるが、JR東西線の京橋駅 - 北新地駅間、または北新地駅 - 尼崎駅間に有効な定期券・回数券では、北新地駅と同一駅扱いとして当駅でも乗り降りできる。また普通乗車券においては、大阪市内発着となる長距離券による両駅間の乗り換えが認められており、尼崎駅以遠(塚口・立花方面)各駅から相互発着となる近距離切符の場合は、当駅からの営業・運賃計算キロで計算する特例がある。 隣の駅[編集] ※特急・急行列車の停車駅は各列車記事を参照。 西日本旅客鉄道 A JR京都線 (東海道本線)・A JR神戸線 (東海道本線)・G JR宝塚線 (福知山線) 寝台特急「サンライズ瀬戸」「サンライズ出雲」停車駅(上りのみ停車)、特急「スーパーはくと」「こうのとり」停車駅、「サンダーバード」「ひだ」「びわこエクスプレス」「はまかぜ」発着駅 ■新快速・■快速(JR宝塚線を除く) 新大阪駅 - 大阪駅 - 尼崎駅 ■丹波路快速・■快速(JR宝塚線)・■普通(当駅発着のJR宝塚線 [列車線経由] ) 大阪駅 - 尼崎駅 ■普通(上記以外 [電車線経由] ) 新大阪駅 - 大阪駅 - 塚本駅 O 大阪環状線 ■大和路快速・■区間快速・■関空快速・■紀州路快速・■快速・■直通快速・■普通 天満駅 - 大阪駅 - 福島駅 脚注[編集] [ヘルプ] 注釈[編集] ^ 地盤沈下の名残は現在も駅構内にある。線路にまで段差ができてしまったため、「国鉄で最も急な勾配がある駅」とまで言われたこともある[要出典]。 ^ 1997年3月8日、JR東西線北新地駅が開業[要出典]。 ^ 2009年3月20日、阪神なんば線が開業[要出典]。 ^ 2011年5月4日、大阪ステーションシティが開業。 出典[編集] ^ 日本国有鉄道旅客局(1984)『鉄道・航路旅客運賃・料金算出表 昭和59年4月20日現行』。 ^ 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』JTB 1998年 ISBN 978-4533029806 ^ 「鉄道 歴史・地理なるほど探検ガイド」(川島令三・岡田直 2002年 PHP研究所) ^ 宮脇俊三、原田勝正(1993) 『近畿470駅』(JR・私鉄全線 各駅停車8)、p.32、小学館。 ^ 朝日新聞2011年5月31日「104年前殉職駅員の碑に新入社員ら献花 JR大阪駅」 ^ 原田勝正「大阪市街と環状線の建設」、『鉄道ジャーナル』第20巻第6号、鉄道ジャーナル社、1986年6月、 50-57頁。 ^ 「旧国鉄大阪駅学徒報国隊『あゝ紅の血は燃ゆる』学徒動員の思い出」p.95「6月1日、7日の大空襲」※復旧の日時は不明 ^ 『近畿地方の日本国有鉄道-大阪・天王寺・福知山鉄道局史』大阪・天王寺・福知山鉄道局史編集委員会、2004年、p.362。 ^ 『近畿地方の日本国有鉄道-大阪・天王寺・福知山鉄道局史』大阪・天王寺・福知山鉄道局史編集委員会、2004年、p.47。 ^ 『近畿地方の日本国有鉄道-大阪・天王寺・福知山鉄道局史』大阪・天王寺・福知山鉄道局史編集委員会、2004年、p.364。 ^ 『近畿地方の日本国有鉄道-大阪・天王寺・福知山鉄道局史』大阪・天王寺・福知山鉄道局史編集委員会、2004年、p.366。 ^ 『近畿地方の日本国有鉄道-大阪・天王寺・福知山鉄道局史』大阪・天王寺・福知山鉄道局史編集委員会、2004年、p.110。 ^ 『近畿地方の日本国有鉄道-大阪・天王寺・福知山鉄道局史』大阪・天王寺・福知山鉄道局史編集委員会、2004年、p.180。 ^ 『近畿地方の日本国有鉄道-大阪・天王寺・福知山鉄道局史』大阪・天王寺・福知山鉄道局史編集委員会、2004年、p.379。 ^ 『近畿地方の日本国有鉄道-大阪・天王寺・福知山鉄道局史』大阪・天王寺・福知山鉄道局史編集委員会、2004年、p.210。 ^ 神沢和敬、田幸香純 (2015年4月2日). “三越伊勢丹から衣替え JR大阪駅にルクア1100開業”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 夕刊 1 ^ “JR大阪駅に訪日客向け案内所、大阪観光局など”. 読売新聞. (2017年3月24日) 2017年3月24日閲覧。[リンク切れ] ^ 広島敦史、宮山大樹 (2017年6月17日). “「瑞風」感動運んで 萩・下関、一番列車に歓迎の人波”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 夕刊 8 ^ 時鐘に関しては「大阪駅物語」P187-191 ^ a b 「噴水小僧」「旅立ちの鐘」 新装大阪駅に居場所なく - 朝日新聞 2011年4月30日 ^ “JR大阪駅、古い屋根外せず 新装大屋根、雨吹き込む”. asahi.com (朝日新聞社). (2011年5月19日). オリジナルの2011年5月20日時点によるアーカイブ。 ^ “ドームと空中回廊の玄関駅、名称「大阪ステーションシティ」”. MSN産経ニュース (産経デジタル). (2010年1月15日)[リンク切れ] ^ “JR大阪駅改修で乗降客数は6万人増の91万人へ”. イザ! (産経デジタル). (2010年9月23日). オリジナルの2010年11月30日時点によるアーカイブ。 ^ “通路として残った!郷愁の大阪駅旧11番ホーム”. YOMIURI ONLINE (読売新聞社). (2011年5月19日)[リンク切れ] ^ 『JR時刻表』2017年3月号、交通新聞社、2017年、 245頁。 ^ “JR大阪駅の利用者14%増 商業施設は一日37万人 JR西日本・佐々木社長”. MSN産経ニュース (産経デジタル). (2011年5月20日). オリジナルの2011年5月23日時点によるアーカイブ。[リンク切れ] ^ “お盆期間、JR西日本利用は前年比7%増”. 神戸新聞NEWS (神戸新聞社). (2011年8月19日)[リンク切れ] 官報[編集] 広報資料・プレスリリースなど一次資料[編集] ^ 「ICOCA」いよいよデビュー! 〜 平成15年11月1日(土)よりサービス開始いたします 〜(インターネット・アーカイブ)- 西日本旅客鉄道プレスリリース 2003年8月30日 ^ a b 大阪駅改良工事の本体工事着手のおしらせ(インターネット・アーカイブ)- 西日本旅客鉄道プレスリリース 2004年4月19日 ^ a b 2005年1月定例社長会見(インターネット・アーカイブ)- 西日本旅客鉄道プレスリリース 2005年1月19日 ^ a b 2005年2月定例社長会見(インターネット・アーカイブ)- 西日本旅客鉄道プレスリリース 2005年2月17日 ^ a b 大阪駅の発車メロディ やしきたかじんさん「やっぱ好きやねん」に決定! - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2014年3月31日 ^ 台湾鉄路管理局台北駅と大阪駅との姉妹駅協定締結について - 西日本旅客鉄道ニュースリリース 2015年12月1日付 ^ 平成28年春ダイヤ改正について ^ 平成29年春ダイヤ改正(平成29年3月4日【土曜日】) ^ 大阪駅6番のりばで可動式ホーム柵を4月22日より使用開始します ^ 大阪駅7番のりばで可動式ホーム柵を使用開始します。 ^ 近畿エリアの12路線 のべ300駅に駅ナンバーを導入します! ^ a b 大阪駅 新5号ホーム(11番のりば)の使用開始について - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2009年11月19日(2009年11月22日時点のアーカイブ) ^ 2010年9月定例社長会見 - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2010年9月15日(2010年9月19日時点のアーカイブ) ^ a b 2011年1月定例社長会見 - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2011年1月19日(2011年1月24日時点のアーカイブ) ^ 大阪駅「ギャレ大阪」跡地の開発について - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2012年5月23日(2012年5月26日時点のアーカイブ) ^ 大阪駅|構内図:JRおでかけネット - 西日本旅客鉄道、2012年5月17日閲覧。 ^ 列車詳細情報|駅時刻表:JRおでかけネット - 西日本旅客鉄道、2012年5月17日閲覧。 ^ 列車詳細情報|駅時刻表:JRおでかけネット - 西日本旅客鉄道、2012年5月17日閲覧。 ^ 列車詳細情報|駅時刻表:JRおでかけネット - 西日本旅客鉄道、2012年5月17日閲覧。 ^ 「可動式ホーム柵」を大阪駅に設置します。 ^ a b 平成23年春ダイヤ改正について (PDF) - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2010年12月17日 ^ 大阪駅開発プロジェクトの開発エリアおよびビルの名称・ロゴ決定について - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2010年1月22日(2010年1月26日時点のアーカイブ) ^ 大阪駅ホーム屋根に関わる工事計画などについて - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2011年7月1日(2011年7月5日時点のアーカイブ) ^ “大阪駅に「4K解像度」のタッチパネル式デジタルサイネージを設置” (日本語) (プレスリリース), 西日本旅客鉄道, (2015年5月28日) 2015年5月29日閲覧。 統計資料[編集] ^ “データで見るJR西日本”. 西日本旅客鉄道. 2016年9月29日閲覧。 ^ 昭和56年度大阪府統計年鑑(昭和57年3月刊行)運輸及び通信 (PDF) - 大阪府 p.186 ^ 昭和57年度大阪府統計年鑑(昭和58年3月刊行)運輸及び通信 (PDF) - 大阪府 p.188 ^ 昭和58年度大阪府統計年鑑(昭和59年3月刊行)運輸及び通信 (PDF) - 大阪府 p.210 ^ 昭和59年度大阪府統計年鑑(昭和60年3月刊行)運輸及び通信 (PDF) - 大阪府 p.190 ^ 昭和60年度大阪府統計年鑑(昭和61年3月刊行)運輸及び通信 (PDF) - 大阪府 p.210 ^ 昭和61年度大阪府統計年鑑(昭和62年3月刊行)運輸及び通信 (PDF) - 大阪府 p.210 ^ 『'88 JR西日本』西日本旅客鉄道、1988年、p.20。 ^ 平成2年度大阪府統計年鑑(平成3年3月刊行)運輸及び通信 (PDF) - 大阪府 p.212 ^ 平成2年度大阪府統計年鑑(平成3年3月刊行)運輸及び通信 (PDF) - 大阪府 p.212 ^ 平成3年度大阪府統計年鑑(平成4年3月刊行)運輸及び通信 (PDF) - 大阪府 p.212 ^ 平成4年度大阪府統計年鑑(平成5年3月刊行)運輸及び通信 (PDF) - 大阪府 p.212 ^ 平成5年度大阪府統計年鑑(平成6年3月刊行)運輸及び通信 (PDF) - 大阪府 p.194 ^ 平成6年度大阪府統計年鑑(平成7年3月刊行)運輸及び通信 (PDF) - 大阪府 p.192 ^ 平成7年度大阪府統計年鑑(平成8年3月刊行)運輸及び通信 (PDF) - 大阪府 p.194 ^ 平成8年度大阪府統計年鑑(平成9年3月刊行)運輸及び通信 (PDF) - 大阪府 p.190 ^ 平成9年度大阪府統計年鑑(平成10年3月刊行)運輸及び通信 (PDF) - 大阪府 p.194 ^ 平成10年度大阪府統計年鑑(平成11年3月刊行)運輸及び通信 (PDF) - 大阪府 p.194 ^ 平成11年度大阪府統計年鑑(平成12年3月刊行)運輸及び通信 (PDF) - 大阪府 p.194 ^ 平成12年度大阪府統計年鑑(平成13年3月刊行)運輸及び通信 (PDF) - 大阪府 p.206 ^ 大阪府統計年鑑(平成14年3月刊行)JR各駅別乗車人員 Page white excel.png (XLS) - 大阪府 ^ 大阪府統計年鑑(平成15年3月刊行)JR各駅別乗車人員 Page white excel.png (XLS) - 大阪府 ^ 大阪府統計年鑑(平成16年3月刊行)JR各駅別乗車人員 Page white excel.png (XLS) - 大阪府 ^ 大阪府統計年鑑(平成17年3月刊行)JR各駅別乗車人員 Page white excel.png (XLS) - 大阪府 ^ 大阪府統計年鑑(平成18年3月刊行)JR各駅別乗車人員 Page white excel.png (XLS) - 大阪府 ^ 大阪府統計年鑑(平成19年3月刊行)JR各駅別乗車人員 Page white excel.png (XLS) - 大阪府 ^ 大阪府統計年鑑(平成20年3月刊行)JR各駅別乗車人員 Page white excel.png (XLS) - 大阪府 ^ 大阪府統計年鑑(平成21年3月刊行)JR各駅別乗車人員 Page white excel.png (XLS) - 大阪府 ^ 大阪府統計年鑑(平成22年3月刊行)JR各駅別乗車人員 Page white excel.png (XLS) - 大阪府 ^ 大阪府統計年鑑(平成23年3月刊行)JR各駅別乗車人員 Page white excel.png (XLS) - 大阪府 ^ 大阪府統計年鑑(平成24年3月刊行)JR各駅別乗車人員 Page white excel.png (XLS) - 大阪府 ^ 大阪府統計年鑑(平成25年3月刊行)JR各駅別乗車人員 Page white excel.png (XLS) - 大阪府 ^ 大阪府統計年鑑(平成26年3月刊行)JR各駅別乗車人員 Page white excel.png (XLS) - 大阪府 ^ 大阪府統計年鑑(平成27年3月刊行)JR各駅別乗車人員 Page white excel.png (XLS) - 大阪府 ^ 大阪府統計年鑑(平成28年3月刊行)JR各駅別乗車人員 Page white excel.png (XLS) - 大阪府 ^ 大阪府統計年鑑(平成29年3月刊行)JR各駅別乗車人員 Page white excel.png (XLS) - 大阪府 参考文献[編集] 朝日新聞大阪本社社会部編 『大阪駅物語 : だれも知らないマンモス駅の素顔』 弘済出版社、1980年11月。 『大阪駅の歴史』西日本旅客鉄道株式会社 監修、大阪ターミナルビル株式会社駅史編集委員会 編著、2003年。 「旧国鉄大阪駅学徒報国隊『あゝ紅の血は燃ゆる』学徒動員の思い出」旧国鉄大阪駅学徒報国隊合同懇親会編、1993年(関西大学図書館、立命館大学国際平和ミュージアム所蔵)。NCID BA85231173。 関連項目[編集] ウィキメディア・コモンズには、大阪駅に関連するカテゴリがあります。 日本の鉄道駅一覧 梅田駅 - 梅田 - キタ 大阪駅北地区 北梅田駅(仮称) 外部リンク[編集] 大阪駅|駅情報:JRおでかけネット - 西日本旅客鉄道 大阪ステーションシティ 捨てられかけた巨大駅 JR大阪駅 - 朝日新聞 [表示] 表・話・編・歴 乗り入れ路線と駅の一覧 [表示] 表 話 編 歴 近畿の駅百選 [表示] 表 話 編 歴 大阪・梅田の鉄道駅 [表示] 表 話 編 歴 Osaka Station City Logo.png 大阪ステーションシティ カテゴリ: 大阪市の鉄道駅日本の鉄道駅 お日本国有鉄道の鉄道駅西日本旅客鉄道の鉄道駅西成鉄道関西鉄道大阪鉄道(初代)JR京都線JR神戸線1874年開業の鉄道駅梅田大阪市北区の鉄道駅 案内メニュー ログインしていませんトーク投稿記録アカウント作成ログインページノート閲覧編集履歴表示検索 Wikipedia内を検索 表示 メインページ コミュニティ・ポータル 最近の出来事 新しいページ 最近の更新 おまかせ表示 練習用ページ アップロード (ウィキメディア・コモンズ) ヘルプ ヘルプ 井戸端 お知らせ バグの報告 寄付 ウィキペディアに関するお問い合わせ 印刷/書き出し ブックの新規作成 PDF 形式でダウンロード 印刷用バージョン 他のプロジェクト コモンズ ツール リンク元 関連ページの更新状況 ファイルをアップロード 特別ページ この版への固定リンク ページ情報 ウィキデータ項目 このページを引用 他言語版 Deutsch English Español Français Italiano 한국어 Nederlands Tiếng Việt 中文 他 4 リンクを編集 最終更新 2017年6月30日 (金) 08:27 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。 テキストはクリエイティブ・コモンズ 表示-継承ライセンスの下で利用可能です。追加の条件が適用される場合があります。詳細は利用規約を参照してください。 プライバシー・ポリシーウィキペディアについて免責事項開発者Cookieに関する声明モバイルビューWikimedia Foundation Powered by MediaWiki