TOP > 本因坊伯元
本因坊伯元

本因坊伯元 氏に関する検索

本因坊伯元氏に関する検索


ネット囲碁対局なら『みんなの碁』

ネット囲碁対局 入口 (ここをクリック)


ページ     補足                 
本因坊伯元

本因坊伯元 に関する検索

お問い合わせ
メールはこちらまで
minnanogo99@gmail.com
囲碁は、陣地を囲むゲームです。
RPGゲームやアクションゲームとは異なる思考で次の一手を考える、面白いゲームです。
将棋、チェスと並ぶ、究極の思考ゲームとも言われます。
ブラウザーのみで動作するケースを特に囲碁ブラウザゲームと称することもあります。
専用ソフト使用の囲碁ゲームも多々あります。

碁を知りたい。
なのに、打つ機会がない。

相手がいない。碁会所に入ってみたい。でも躊躇する。これが現実のようです。

面白くて、夢中になる碁です。この機会に碁を始めてはいかがでしょうか。ネット碁会所なら、敷居が低いです。

相手が見つからないときは、思考エンジンが、お相手します。待ち惚けになりません。

『考慮時間制』の対局場です。勝敗でスコアが増減します。

対局(専用)ソフトを使用しません。ブラウザーのみで動作します。インストール不要なので不安がありません。

一般的なゲームでは、「礼」に重きをおきませんが、知的ゲームでは、礼を重んじる利用者が多いので、礼を心がけたいものです。
将棋に「ハサミ将棋」や「山崩し」があるように、囲碁にも「ポン抜きゲーム」/「石取りゲーム」があります。基本となる「アタリ」の習得に有用です。
ドンジャラも麻雀の基礎ルールの説明には有用ですね。


ネット碁会所、囲碁対局
フリーソフト
関連語
碁序盤打ち方
ネット碁会所サイト
あれこれ
あれこれ2

本因坊伯元
▲TOPページ
当サイトに、お越しいただいて有難うございます。 一局の碁をお楽しみください。 当サイトで、御覧頂いているブラウザを使用して囲碁対局ができます。HTML5を使用するので、ソフトのインストールは不要です。 初心者の方も、対局できるようになっております。 ルールを知ったが、対局する機会がない人に最適です。ルールが解らない方は、申し訳ありませんが事前に習得して頂けれは幸いです。 囲碁のルールは単純なのでずか、ゲームは難しいです。 入門者もベテランもロボットと対局できるサイトは多々あります。
実体験に基づいた、オススメ記事もネット上にあります。 「ネット碁を打ちたいけどどこで打ったらいいのかわからない」という方は、参考にしてください。 オススメするネット囲碁対局場3選 ここによると、
・いつでもどこでも打てる!それがネット碁の魅力
・囲碁はワールドワイドなゲーム
・ユーザーの多さ
・ユーザーの質


・コミュニティ機能の充実
・サポートの充実
・コンテンツの充実

これらを鑑みると、
3:幽玄の間
2:KGS
1:パンダネット
だそうです。 推薦者のブログ 幽玄の間の口コミ 幽玄の間サイト KGSの口コミ KGS パンダネット

当サイトも、及ばずながら、がんばります。




Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0)

囲碁

ゲーム




Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0) 本因坊伯元 本因坊伯元(ほんいんぼう はくげん、1726年〔享保11年〕 - 1754年11月10日〔宝暦4年9月26日〕)は江戸時代の囲碁棋士、八世本因坊。本因坊秀伯門下、六段。本姓は小崎。 目次 [非表示] 1 経歴 2 御城碁戦績 3 参考文献 4 外部リンク 経歴[編集] 武蔵国幸手郡天神島村の生まれ。15歳で本因坊秀伯の門に入る。寛保元年(1741年)に秀伯が危篤となったため、家元会議で跡目に選ばれ、安井春哲仙角添頑で家督願いを出して認められ、秀伯死去で家督を相続。同年に御城碁初出仕、仙角に先番ジゴとする。寛保3年(1743年)には、林因長門入が名人碁所就位願いを出すが、仙角とともに反対し、断念にいたらせる。宝暦元年の御城碁で井上春碩因碩に先番3目勝ちし、これにより六段昇段したと伝えられる。 宝暦4年(1754年)4月に病に倒れ、井上春碩因碩が代理となって弟子の間宮察元を跡目とする願書を提出、寺社奉行からは一旦病気療養の命とともに差し戻されるが、8月に再提出し認められた。9月27歳で没する。法名は日浄。本妙寺に葬られる。御城碁は12局を勤めた。 御城碁戦績[編集] 寛保元年(1741年) 先番ジゴ 安井俊哲仙角 寛保2年(1742年) 二子番4目負 井上春碩因碩 寛保3年(1743年) 先番2目勝 安井俊哲仙角 延享元年(1744年) 白番1目負 林門利門入 延享2年(1745年) 白番4目負 安井俊哲仙角 延享3年(1746年) 先番3目勝 安井俊哲仙角 延享4年(1747年) 先番16目負 井上春碩因碩 寛延2年(1749年) 白番5目勝 安井仙哲 寛延3年(1750年) 向二子ジゴ 林転入門入 宝暦元年(1751年) 先番3目勝 井上春碩因碩 宝暦2年(1752年) 白番1目勝 安井仙哲 宝暦3年(1753年) 先番3目勝 井上春達 参考文献[編集] 安藤如意、渡辺英夫『坐隠談叢』新樹社 1955年 外部リンク[編集] 幸手市内で発見された本因坊家第8世「伯元」、第9世「察元」、第10世「烈元」の墓石マップ [隠す] 表 話 編 歴 歴代本因坊 世襲本因坊 一世 本因坊算砂 / 二世 本因坊算悦 / 三世 本因坊道悦 / 四世 本因坊道策 跡目 本因坊道的 跡目 本因坊策元 / 五世 本因坊道知 / 六世 本因坊知伯 / 七世 本因坊秀伯 / 八世 本因坊伯元 / 九世 本因坊察元 / 十世 本因坊烈元 / 十一世 本因坊元丈 跡目 本因坊知策 / 十二世 本因坊丈和 / 十三世 本因坊丈策 / 十四世 本因坊秀和 跡目 本因坊秀策 / 十五世 本因坊秀悦 / 十六世 本因坊秀元 / 十七世 本因坊秀栄 / 十八世 本因坊秀甫 / 十九世 本因坊秀栄 / 二十世 本因坊秀元 / 二十一世 本因坊秀哉 タイトル五連覇による本因坊 二十二世 本因坊秀格 / 二十三世 本因坊栄寿 / 二十四世 本因坊秀芳 / 二十五世 本因坊治勲 / 二十六世 本因坊文裕 カテゴリ: 江戸時代の囲碁棋士武蔵国の人物1726年生1754年没 尼崎駅 (JR西日本) Question book-4.svg この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2010年11月) Camera-photo Upload.svg 画像提供依頼: 1.引き上げ線に停車中の列車 2.JR東西線開業前の神戸線・宝塚線の駅構内の画像提供をお願いします。(2012年2月) 尼崎駅 南口広場(2006年10月) 南口広場(2006年10月) あまがさき Amagasaki 所在地 兵庫県尼崎市潮江一丁目1番1号 北緯34度43分53.88秒 東経135度25分54.07秒 所属事業者 JR logo (west).svg西日本旅客鉄道(JR西日本) 電報略号 アマ 駅構造 地上駅(橋上駅) ホーム 4面8線 乗車人員 -統計年度- 44,125人/日(降車客含まず) -2015年- 開業年月日 1874年(明治7年)6月1日 乗入路線 4 路線 所属路線 A 東海道本線(JR神戸線) キロ程 564.1km(東京起点) 大阪から7.7km ◄塚本 (4.3km)(3.0km) 立花**► 所属路線 東海道本線貨物支線(北方貨物線) キロ程 12.2km(吹田貨物ターミナル起点) ◄***宮原(操) (5.6km) 所属路線 G 福知山線(JR宝塚線) キロ程 0.0km(尼崎起点) ◄****(塚本) (-km)(2.5km) 塚口► 所属路線 H JR東西線 キロ程 12.5km(京橋起点) 木津から57.3km ◄加島 (2.2km) 備考 直営駅(管理駅) みどりの窓口 有 東海道本線・福知山線・JR東西線の3路線は相互に直通運転 * 1949年に神崎駅から改称。 ** この間に大阪支社と神戸支社の境界標あり(当駅は大阪支社管内) *** 実際はこの間で塚本駅構内を経由する。 **** JR宝塚線は大阪 - 尼崎間も含む。 テンプレートを表示 尼崎駅(尼崎臨時乗降場)* 駅全景(1981年頃?) 駅全景(1981年頃?) あまがさき Amagasaki ◄塚口 (2.5km)(0.5km) 金楽寺► 所在地 兵庫県尼崎市 所属事業者 日本国有鉄道 所属路線 福知山線(尼崎港線) キロ程 2.5km(塚口起点) 駅構造 地上駅 開業年月日 1911年(明治44年)9月6日 廃止年月日 1981年(昭和56年)4月1日 備考 旅客営業廃止に伴う廃駅。 *1949年(昭和24年)1月1日「神崎乗降場」→「尼崎乗降場」 1969年(昭和44年)4月30日 「尼崎乗降場」から現在の駅名に変更と同時に尼崎駅と同一駅扱い。 テンプレートを表示 尼崎駅(あまがさきえき)は、兵庫県尼崎市潮江一丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅である。 JR線内では、兵庫県内で最東端の駅となる。第4回近畿の駅百選に選定された。 目次 [非表示] 1 概要 1.1 乗り入れ路線 2 歴史 2.1 開業から国鉄分割民営化まで 2.2 東西線の建設に伴う構内改良 2.2.1 当初の改良計画 2.2.2 最終的に決定した改良計画 2.2.3 追加の改良 2.2.4 その後 2.3 貨物取り扱い 2.4 沿革 3 駅構造 3.1 のりば 3.2 備考 4 ダイヤ 4.1 JR神戸線 4.2 JR宝塚線 4.3 JR東西線 5 利用状況 6 駅周辺 6.1 駅北側(潮江地区) 6.2 駅南側(長洲地区) 7 バス 7.1 一般路線 7.2 その他 8 隣の駅 8.1 かつて存在した路線 9 その他 10 脚注 11 関連項目 12 外部リンク 概要[ソースを編集] 神戸・宝塚・大阪・京都・京橋方面を相互に結ぶ結節点で、はまかぜ号・スーパーはくと号とサンライズ瀬戸・出雲号を除く各方面に向かう全ての営業列車が停車する。 アーバンネットワーク、およびIC乗車カード『ICOCA』の利用エリアに含まれている(相互利用可能ICカードはICOCAの項を参照)。駅長が配置された直営駅で、管理駅として福知山線の塚口駅と猪名寺駅を管轄している。 隣の塚本駅との駅間距離はJR神戸線内では最長の4.3kmである。 乗り入れ路線[ソースを編集] 東海道本線(JR神戸線、当駅の所属線[1]) 福知山線(JR宝塚線、当駅起点。ただし、全列車が他の2線に直通) JR東西線(当駅終点。ただし、一部を除き福知山線や東海道本線・神戸方面に直通) JR西日本では旅客案内上で独自の愛称路線名がよく使用されているが、上記では東海道本線が「JR神戸線」の区間内に含まれている。また、福知山線も大阪駅(東海道本線所属)から当駅を経て篠山口駅までの区間が「JR宝塚線」と呼ばれている。 案内上では、東海道本線の下り(神戸方面)のみが「JR神戸線」と表記されており、反対の上り(大阪・京都方面)は「JR京都線」と表記されている。JR京都線の正式な起点は大阪駅だが、当駅 - 大阪駅間ではJR神戸線とJR宝塚線の列車が混在するため、直通先の名称を使うことで案内を統一している。「JRおでかけネット」の駅構内図でもこのような表記が使われている。 以下では、新大阪駅を越えて運行される列車は上記の形態を考慮して「JR京都線」系統として扱う。ただし、JR宝塚線方面からの列車のうち大阪・新大阪駅終着のものについては、塚本駅を通過することから区別し「JR宝塚線」系統として扱う。 この他にも東海道本線支線(北方貨物線)の登記上の終点となっているが、実際には当駅より1つ大阪方の塚本駅の構内(東海道本線所属、厳密には東西線・加島駅の地上付近)で本線に合流している。 なお、当駅の前後には特定都区市内制度における「大阪市内」に属する駅(塚本駅と加島駅)があるが、「大阪市内」発着の乗車券で乗車している場合は、大阪市外にある当駅で途中下車しないことを条件に、東海道本線・大阪駅方面と東西線方面への乗り換えが認められている。 歴史[ソースを編集] Question book-4.svg この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2010年11月) 開業から国鉄分割民営化まで[ソースを編集] 尼崎港線仮乗降場駅名標 (1981年頃) 東海道本線の当駅は、1874年(明治7年)に神崎駅(かんざきえき)として開業した。1891年(明治24年)には現在の福知山線の前身にあたる川辺馬車鉄道が尼ヶ崎駅(のちの尼崎港駅) - 伊丹駅間を開業させたが、東海道本線との交差地点には連絡線が設置されなかった。 川辺馬車鉄道は1893年(明治26年)に摂津鉄道となり、さらに摂津鉄道を買収した阪鶴鉄道が有馬口駅(現在の生瀬駅)まで延伸開業した1898年(明治31年)、大阪駅乗り入れのために阪鶴鉄道の塚口駅と東海道本線の神崎駅を結ぶ連絡線が設けられた。 尼ヶ崎駅 - 塚口駅間は阪鶴鉄道国有化後は福知山線(国有化当初は、阪鶴線と呼称)の支線として扱われ、尼崎港線・尼港線と呼ばれた。1911年(明治44年)には、この支線上にも「神崎乗降場」が東海道本線との交差地点南側に設けられた(この時点では神崎駅と別駅扱いだが、運賃上は神崎駅と同一扱い)が、東海道本線の駅とは約300m離れていた。 「神崎乗降場」は東海道本線を越える築堤の上に片面ホーム1面1線で設置されていた。1949年(昭和24年)、街の代表駅としての実状を考慮して尼崎港線の尼ヶ崎駅を尼崎港駅、神崎駅を尼崎駅に改称した。1969年に「尼崎乗降場」は当駅と同一駅扱いとなり「尼崎臨時乗降場」に変更された。 「尼崎駅」と尼崎港線は1981年に旅客営業が廃止された後、1984年に廃止された。 本線の「尼崎駅」は、駅西側に貨物駅を持ち、また麒麟麦酒の工場や周辺の工場への専用線を持つなど、尼崎市における国鉄の貨物取り扱いが中心であった。1964年9月30日までは、当駅で折り返す東海道本線の各駅停車が運転されていたが、翌10月1日の改正で甲子園口駅まで延長された。 当駅に停車するのは、各駅停車と福知山線の快速・普通のみで、東海道本線の新快速・快速は通過していた。特急・急行列車も全て通過していたが、1981年4月の福知山線の宝塚駅までの電化の時に、急行「丹波」が1往復停車し、1986年11月1日改正で特急「北近畿」に格上げされた後も、そのままで受け継がれた。 東西線の建設に伴う構内改良[ソースを編集] JR化後も大きな変化は無く、3面9線のやや変則的な配線のままであった。しかし、JR東西線の建設に伴い当駅が東西線との分岐駅にもなるため、配線の変更やホーム1面の増設、駅舎の橋上駅化(地下通路は廃止)が行われた。以下、計画の概要をJR西日本がまとめた講演資料に基づき説明する(「課題」「効果」といった事項も同様)[2]。 当初の改良計画[ソースを編集] 最初の構内改良計画は1989年2月、運輸大臣より鉄道施設の変更認可を受けた。その内容は次のようなものであった。 駅起点方でのJR東西線と東海道線との相互乗り入れを考慮し、東海道線の内側線と外側線の間に東西線の線路が挟まれるようにトンネルへのアプローチを設定、配線する。 東西線終点方(神戸方)は東海道線内側上下線の間に折り返し設備を1線設ける。 形態的には4面7線となる[3]。 しかし、計画作成後、福知山線と東海道本線の輸送量が予想以上に伸張したため、社内で次のような問題点が指摘された。 駅西方において東海道本線大阪方外側線と福知山線尼崎方の平面交差が発生し、福知山線から東海道本線・JR東西線への直通列車がラッシュ時計10本に制限される。 JR東西線-東海道本線間の相互乗り入れ、およびJR東西線の折り返し本数が増大すると運転支障が発生する。 貨物列車待避線を2番線とするため、JR東西線から当駅に進入する列車に支障が発生する。 最終的に決定した改良計画[ソースを編集] このため、最終的に決定した計画では次のような考え方が打ち出された。 福知山線の上り(尼崎方面)を立体交差とし、ホームを4面7線から2線増やし4面9線とする。これは、上下線の行き先別案内を対称形とするためである[4]。 東海道線とJR東西線の当駅折り返しを分離し、折り返し列車の集中を避ける。JR東西線は福知山線塚口駅での折り返しとする。 東海道線下り線(神戸方面)貨物待避線を尼崎駅から分離し、西ノ宮駅(現在の西宮駅)に移設する。このことは、当駅の改良用地の生み出しにも資する。 次のような制約条件・要求が求められ、改良に盛り込まれた。 ホーム長は245m(12両対応)とする。 ホーム幅は、エスカレーター設置を考慮し、8.0mを確保する。 東海道線外側線の設定速度は130km/hとする。 分岐器は進入16番、進出12番とする[5]。 上り貨物待避線の有効長は570mを確保する。 東海道線外側線・JR東西線・内側線の同時進入が可能であること。 駅舎は尼崎市から要望のあった橋上構造とし、幅2mの地下通路を廃止して幅6mの連絡通路を設置し、キャパシティを増強する。エスカレーターのほかにエレベーターを設置し、バリアフリー化に対応する。 改良工事は1駅に対する工事としては比較的規模の大きなものとなり、大規模な切り替えだけでも22回に及んでいるが、1997年3月8日のJR東西線開業に間に合わせることができた。 追加の改良[ソースを編集] この改良で、次のような課題が社内で意識された。 東海道線内側線列車とJR東西線-福知山線直通列車:同一ホームで乗り換え可能となったのに対して 福知山線-東海道線(大阪方)間の直通列車と、JR東西線-東海道線(神戸方)間の直通列車:同一ホーム乗り換えできない このため、当駅の大阪方にJR東西線-東海道本線内側線を結ぶ渡り線が追加され、1997年9月1日のダイヤ改正より使用を開始した。この改良で上記の問題は解決し、各ホームの行き先を統一した[6]。また、一連の改良計画を扱った発表は日本鉄道施設協会より「総合技術講演会最優秀論文」を受賞した[7]。 その後[ソースを編集] 最初の改良の以前、福知山線上り線は駅西方の貨物線群北側を沿っていた。最初の計画でもその経路を踏襲していたが、計画変更を行った際、貨物線群南側を回り込む下り線に平行する形に変更された。このため、上り線は駅西北の名神高速道路南側の地点に半径304mの曲線が設定された。半径300m程度の曲線は日本の在来狭軌鉄道としては珍しいものではないが、2005年4月25日にJR福知山線脱線事故が発生した後には、「魔のカーブ」として事故当初から一部マスコミがこの経路変更を問題視した[8]。5年後、遺族団体が鉄道事故調査委員会の調査報告を検証する過程で、当該区間の運転経験がある運転士にアンケートを行った。このアンケートに回答した者の21.5%が速度超過の経験があったことや、41.5%が事故前より当該のカーブへATSを設置するべきと考えていたことなどが明らかになっている[9]。 詳細は「JR福知山線脱線事故」を参照 ダイヤ面からは、改良工事後当駅での折り返し列車が復活し、JR神戸線の新快速・快速に加え、福知山線の特急も全列車停車するようになった。このことで乗降客はさらに増加基調が続いた。貨物取り扱いは専用線の廃止や麒麟麦酒の工場の移転などもあって、後に廃止されている。 貨物取り扱い[ソースを編集] かつて当駅はJR貨物の駅(国鉄時代は貨物取り扱い駅)であり、駅周辺の工場から多くの専用線が当駅に接続していた。専用線はクボタ阪神工場・神崎製紙神崎工場・麒麟麦酒尼崎工場・住友軽金属工業工場へ続くものがあった。 このうち最後まで使用されていたのは駅東側にある神崎製紙(当時は新王子製紙、現在の王子製紙)神崎工場へ続く専用線であった。この線は、東海道本線の北側に沿って東へ向かい、本線の盛土下を通り抜けて、その南側にある工場へ至っていた。主に有蓋車による紙製品の発送で使用されていたため、当駅から飯田町駅へ向かう貨物列車も運行されていたが、コンテナ化により1995年(平成7年)9月29日の発送をもって専用線は廃止された。これに伴い、当駅を発着する定期貨物列車も廃止された。 定期列車が廃止された後も、阪急電鉄が保有する専用線が敷設されていた。立花駅寄りにあるアルナ工機が製造した鉄道車両の搬出用に使用されていたが、2001年(平成13年)11月の発送をもって廃止された[10]。 沿革[ソースを編集] 1874年(明治7年)6月1日 - 官設鉄道(現在の東海道本線)の大阪駅 - 西ノ宮駅(現在の西宮駅)間に「神崎駅」として新設開業。 1895年(明治28年)4月1日 - 線路名称制定。東海道線(1909年より東海道本線)の所属となる。 1898年(明治31年)6月8日 - 阪鶴鉄道(現在の福知山線)の当駅 - 塚口駅間が開業。 1907年(明治40年)8月1日 - 阪鶴鉄道が国有化され、国有鉄道のみの駅になる。 1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称制定。当駅を含む東海道線にあたる区間を東海道本線、旧・阪鶴鉄道が阪鶴線となる。 1911年(明治44年)9月6日 - 尼ヶ崎駅(のちの尼崎港駅) - 塚口駅間に「神崎乗降場」を開設(運賃計算や時刻表上では当駅と同一扱い)。 1912年(明治45年)3月1日 - 線路名称改定。当駅を含む阪鶴線福知山駅以南が福知山線に改称される。 1918年(大正7年)8月1日 - 吹田駅への貨物支線(北方貨物線にあたる)が開業。 1949年(昭和24年)1月1日 - 尼崎駅に改称。「神崎乗降場」も「尼崎乗降場」に改称。 1953年(昭和28年)6月18日 - 神崎製紙神崎工場(後の新王子製紙神埼工場、現・王子製紙神崎工場)への専用線が開通[11]。 1967年(昭和42年)10月1日 - 貨物支線 当駅 - 尼崎市場駅間が開通。 1969年(昭和44年)4月30日 - 「尼崎乗降場」を統合し「尼崎臨時乗降場」とする。 1980年(昭和55年)10月1日 - 当駅 - 尼崎市場駅間が廃止。 1981年(昭和56年)4月1日 - 尼崎港線の旅客営業廃止により「尼崎臨時乗降場」を廃止。 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)・日本貨物鉄道(JR貨物)の駅となる。 1988年(昭和63年)3月13日 - 路線愛称の制定により、東海道本線で「JR神戸線」、東海道本線の大阪駅 - 当駅間および福知山線の当駅 - 篠山口駅間で「JR宝塚線」の愛称を使用開始。 1995年(平成7年) 1月17日 - 阪神・淡路大震災により、営業休止。 1月18日 - 大阪駅 - 当駅間が営業再開。 1月19日 - 当駅 - 甲子園口駅間が営業再開。 9月29日 - 橋上駅舎に改築。7・8番ホームの使用を開始。新王子製紙神崎工場が貨車輸送を終了[12]。 1997年(平成9年) 2月16日 - JR神戸線標準接近メロディ「さざなみ」導入。 3月8日 - JR東西線の当駅 - 京橋駅間が開業。JR神戸線の新快速・快速がすべて停車するようになる。また、当駅で折り返す列車の設定も復活。 9月1日 - 改良工事がすべて完成。JR宝塚線方面の特急と急行「だいせん」がすべて停車するようになる。 2002年(平成14年)7月29日 - JR京都・神戸線運行管理システム導入。 2003年(平成15年)11月1日 - ICカード「ICOCA」の利用が可能となる。 2005年(平成17年) 4月25日 - 福知山線(JR宝塚線)の当駅 - 塚口駅間のカーブでJR福知山線脱線事故が発生。福知山線の当駅 - 宝塚駅間が不通となる。 6月19日 - 福知山線の当駅 - 宝塚駅間が55日ぶりに復旧。 2006年(平成18年)4月1日 - JR貨物の駅が正式に廃止。 2007年(平成19年)3月18日 - 駅自動放送を更新。 2008年(平成20年) 3月15日 - おおさか東線の放出駅 - 久宝寺駅間の部分開業によるダイヤ改正に伴い、新設された直通快速の発着駅となる。 3月30日 - 異常時情報提供ディスプレイが設置される(使用開始は4月1日)。 2011年(平成23年)2月9日 - 自動改札機をJR西日本テクシア製、AG50型に交換。 2014年(平成26年) 6月28日 - 新橋上駅舎の一部が使用開始。 11月29日 - 新橋上駅舎(東口)が全面使用開始。 2018年(平成30年)3月 - 駅ナンバリングが導入され、使用を開始する予定[13]。 駅構造[ソースを編集] ホーム(2010年4月) JR西日本では珍しい、隣駅が左右ともに複数記された駅名標(3・6番のりばのみに掲示)。 東口コンコース 島式4面8線のホームを有する地上駅で、橋上駅舎を有する。南北の自由通路を挟み東西に、改札(東口・西口)が配置されている。 改札内にはJR西日本の子会社が経営する書店やカフェ等が設けられ、改札外には調剤薬局(一部改札内からも利用可能)、セブン-イレブン Heart・in等が入居している。 3路線共に、方向別にホームが1つ以上割り当てられており、有効長は全て12両編成分。ホーム間は跨線橋で連絡している。 のりば[ソースを編集] 乗り入れ路線の項にあるように、大阪方面は直通運転先の路線名で記載する。 のりば 路線 行先 備考 1 A JR神戸線 三ノ宮・姫路方面 新快速・一部の快速 2 G JR宝塚線 宝塚・福知山方面 特急『こうのとり』・快速 3・4 G JR宝塚線 宝塚・福知山方面 JR京都線・JR東西線からの直通列車 A JR神戸線 三ノ宮・姫路方面 普通・快速 5・6 A JR京都線 大阪・新大阪・高槻方面 快速・普通 H JR東西線 北新地・京橋・四条畷方面 快速・区間快速・普通 ラッシュ時の一部は7番のりば 7 G JR宝塚線 大阪・新大阪方面 特急『こうのとり』・快速 朝の一部は8番のりば 8 A JR京都線 大阪・新大阪・高槻方面 新快速・一部の快速 上記の他に、8番のりばの北隣にもホームのない待避線(9番線)がある。 備考[ソースを編集] JR神戸線の本線は、外側線が1・8番線、内側線が4・5番線となる。JR宝塚線及びJR東西線の本線は、2・7番線である。 下り外側線からは1・2番線に、JR東西線下り線からは2・3・4番線に、下り内側線からは3・4番線に、到着できる 下り外側線へは1・2番線から、JR宝塚線下り線へは2・3番線から、下り内側線へは2・3・4番線から、発車できる 上り外側線からは9・8番線に、JR宝塚線上り線からは9・8・7・6番線に、上り内側線からは7・6・5番線に、到着できる 上り外側線へは9・8・7番線から、JR東西線上り線へは7・6・5番線から、上り内側線へは6・5番線から、発車できる 駅西方への引上げ線へは、4・5番線にのみつながっている。 全ての新快速電車と朝ラッシュ時の外側線運転の快速電車は、全て1・8番のりばに発着する。 JR京都線—JR神戸線系統の内側線運転の快速電車と普通電車は4・5番のりばに発着する。朝ラッシュ時の一部は3・6番のりばに発着する(JR東西線の当駅発着電車が4・5番のりばを使用する場合など) 大阪‐JR宝塚線の丹波路快速・快速・普通電車は2・7番のりばに発着する(土休日1220Bを除く)。朝ラッシュ時上りの一部は8番のりばに発着する。大阪‐当駅間は外側線<特急線>運転のため、各駅停車であっても塚本駅は通過する。 JR京都線—JR宝塚線系統の普通電車は3・6番のりばに、JR東西線—JR神戸線系統の普通電車は4・5番のりばに発着し、相互接続を行う。当駅上り方のポイントで転線し平面交差するため、上り方での同時発着はできない。下り方では同時発着が可能 JR東西線—JR宝塚線系統の快速・区間快速・普通電車は3番・6番のりばに発着し、JR京都線—JR神戸線系統の快速・普通電車と相互接続を行う。(ラッシュ時は2番・7番のりばにも発着する) 朝のラッシュ時に当駅止まりとなる電車は主に4番のりばに到着し、駅西方の引き上げ線で折り返して5番のりばから発車する。2・3番のりばに到着した場合は、配線の関係で当駅では折り返せないため、塚口駅や新三田駅まで回送される。また、おおさか東線経由の直通快速は2番のりば(土休日の一部は3番のりば)に到着し、7番のりばから発車する。 ダイヤ[ソースを編集] いずれも、日中の1時間あたりの運行本数である。また朝晩は本数が多くなり、当駅発着便の設定もある。 JR神戸線[ソースを編集] 新快速と快速がそれぞれ4本と普通が8本の計16本が停車する。 普通は当駅で半数が入れ替わりとなる。(JR京都線—JR宝塚線電車とJR東西線—JR神戸線電車が相互接続) 上りはJR神戸線→JR京都線の電車は後の快速電車よりも大阪まで先着する。JR宝塚線→JR京都線の電車は塚本付近で新快速に追い抜かれる。 下りはJR東西線→JR神戸線の電車は後の快速電車よりも芦屋まで先着する。JR京都線→JR神戸線の電車は西宮付近で新快速に追い抜かれる。 JR宝塚線[ソースを編集] 快速・区間快速・普通がそれぞれ4本と特急『こうのとり』1本の計13本が停車する。 快速は大阪駅発着系統(宝塚駅発着系統・篠山口駅発着の『丹波路快速』が2本ずつ)である。東西線直通の区間快速は次の塚口駅で折り返す。宝塚方面・新三田行きの下り普通は当駅を出ると川西池田駅まで先着する。 JR東西線[ソースを編集] 区間快速・普通が4本ずつの計8本が停車する。区間快速は東西線内の各駅に停車し、直通先の学研都市線・京橋駅 - 四条畷駅間で通過運転を行う。 利用状況[ソースを編集] 2015年(平成27年)度の1日平均乗車人員は44,125人[14]で、尼崎市内の駅としては最多である。JR西日本の駅では第18位で、兵庫県内のJR西日本の駅では三ノ宮駅、神戸駅、明石駅、姫路駅、元町駅に次ぐ第6位である。 ここ20年は増加傾向が続いており[15]、2010年度に4万人を上回った。 近年の1日平均乗車人員推移は下表のとおりである。 年度別1日平均乗車人員[16][17] 年度 1日平均乗車人員 総数 定期 1995年(平成7年) 24,223 15,523 1996年(平成8年) 24,274 15,707 1997年(平成9年) 26,546 17,178 1998年(平成10年) 27,830 17,748 1999年(平成11年) 28,520 17,887 2000年(平成12年) 30,107 18,844 2001年(平成13年) 30,520 19,127 2002年(平成14年) 30,769 19,262 2003年(平成15年) 32,626 20,710 2004年(平成16年) 33,078 21,426 2005年(平成17年) 33,506 22,001 2006年(平成18年) 34,499 22,631 2007年(平成19年) 35,610 23,443 2008年(平成20年) 36,496 24,324 2009年(平成21年) 38,959 25,546 2010年(平成22年) 40,085 26,347 2011年(平成23年) 40,679 26,898 2012年(平成24年) 41,793 27,629 2013年(平成25年) 42,921 28,872 2014年(平成26年) 43,071 29,393 2015年(平成27年) 44,125 30,112 駅周辺[ソースを編集] 駅北側ロータリー、バスターミナル 駅北側ペデストリアンデッキ 阪神本線にも尼崎駅があるが、直線距離で約2km程離れている。両駅間は阪神バスで連絡している。 他社線で一番近い駅は、阪神杭瀬駅。こちらへも阪神バスで連絡している(徒歩では南東へ30分)。 タクシー乗り場は北口と南口の両方にある。 駅北側(潮江地区)[ソースを編集] 尼崎東警察署 あまがさきキューズモール 阪神百貨店 平和堂 アル・プラザあまがさき MOVIXあまがさき アミング潮江 ホテルホップインアミング(JR西日本ホテルズグループ、キリンビールにより開設) 尼崎市小田公民館 尼崎潮江郵便局 尼崎中央病院 尼崎新都心病院 関西国際大学 尼崎キャンパス 極楽湯尼崎店(無料送迎バスあり) クボタ阪神工場 駅南側(長洲地区)[ソースを編集] エディオン JR尼崎駅店(旧・ミドリ電化) JR西日本の子会社が所有するビルに入居する形で、2002年オープン。ミドリ電化時代には、上層階に本社事務所が入居していた(阪急神戸本線塚口駅前にあった「塚口店」[18]から移転)。 尼崎市役所小田支所 尼崎長洲本通郵便局 梅花東幼稚園、梅花幼稚園 尼崎市立清和小学校 尼崎市記念公園 ベイコム総合体育館 ベイコム野球場 ベイコム陸上競技場 ヤンマー 尼崎工場 Jリーグ・セレッソ大阪が育成組織の練習で使用するサッカー練習場も併設されている。 バス[ソースを編集] 阪神バスなどが乗り入れ、主に市内各地へと向かう路線が発着している。以下、特記しないものは阪神バスが運行する。 阪神バスの乗り場は北口と南口に3か所ずつあり、1 - 3番のりばが北口、4 - 6番のりばが南口にある。また、阪神バス以外の乗り場は南口に2か所ある。 一般路線[ソースを編集] 1番のりば 11番 - 阪急園田 行(下坂部、近松公園、若王寺、百合学院経由) 12番 - 阪急塚口 行(下坂部、近松公園、若王寺、JR塚口、ピッコロシアター経由) 2番のりば 48-2番 - 阪急武庫之荘 行(尾浜町2丁目、尾浜西口、立花支所、尼崎北小学校経由) 58番 - 阪急塚口 行(阪神水道前、ピッコロシアター経由、阪急バスと共同運行) 3番のりば 11番 - 阪神尼崎 行(工業高校、西長州本通2丁目経由) 12番 - 阪神杭瀬 行(工業高校、杭瀬団地経由) 4番のりば 23番 - 阪神尼崎 行(西長州本通2丁目経由) 48番 - 阪急武庫之荘 行(スポーツセンター、尾浜西口 、立花支所、尼崎北小学校経由) 50・50-2番 - 阪神出屋敷 行(波洲橋、東難波町3丁目、尼崎総合医療センター、水道局、市役所、JR立花(下)、労災病院経由) 50-3番 - 尼崎総合医療センター正門前 行 (波洲橋、東難波町3丁目経由) 5番のりば 23番 - 戸ノ内 行(小田支所、神崎、額田、阪急園田経由) 24番 - 阪急園田 行(小田支所、小園、額田経由) 6番のりば 24・50-2番 - 阪神杭瀬 行(工業高校、杭瀬団地経由) 51番 - 阪神杭瀬 行(社協会館、東大物町1丁目、小田南公園経由) 52番 - コスモ工業団地前方面 循環(社協会館、東大物町1丁目、阪神大物経由) その他[ソースを編集] 競馬場ファンバス(南口・1番のりば) 園田競馬場 行(阪急バス、2012年4月3日より尼崎市バスから移管) 空港リムジンバス(南口・2番のりば) 関西国際空港 行(関西空港交通と共同運行) 隣の駅[ソースを編集] 西日本旅客鉄道 A JR神戸線(東海道本線) ■新快速 大阪駅 - 尼崎駅 - 芦屋駅 ■快速 大阪駅 - 尼崎駅 - 西宮駅 ■普通 塚本駅 - 尼崎駅 - 立花駅 G JR宝塚線(福知山線、大阪駅方面で東海道本線 [JR京都線] に直通) 特急『こうのとり』停車駅 ■丹波路快速・■快速 大阪駅 - 尼崎駅 - 伊丹駅 ■快速(JR東西線経由、塚口駅発着)・■区間快速 (加島駅 -) 尼崎駅 - 塚口駅 ■普通 大阪駅 - 塚本駅 (大阪駅始終着一部電車は通過。但し、緩行線経由の普通電車は全て停車) - 尼崎駅 - 塚口駅 H JR東西線 ■快速 加島駅 - 尼崎駅 (- 塚口駅 ・伊丹駅 ) ■直通快速(おおさか東線経由) 加島駅 - 尼崎駅 ■区間快速(※) 加島駅 - 尼崎駅 (- 塚口駅 ) ■普通 加島駅 - 尼崎駅 (- 立花駅 ・塚口駅 ) 東海道本線貨物支線(北方貨物線、原則旅客運行なし) 宮原操車場 - (塚本駅) - 尼崎駅 (※)JR東西線の区間快速は、当駅または塚口駅で折り返す電車のみ、全区間を区間快速として運行される。JR宝塚線猪名寺駅以北またはJR神戸線に乗り入れる電車は、当駅から立花方・塚口方は普通電車として運転される(JR東西線内も該当)。ただし、JR宝塚線から乗り入れる上りは当駅まで快速電車として運転されるものもある。 かつて存在した路線[ソースを編集] 日本国有鉄道 福知山線(尼崎港線) 塚口駅 - 尼崎駅(尼崎臨時乗降場) - 金楽寺駅 東海道本線貨物支線 尼崎駅 - (貨)尼崎市場駅 その他[ソースを編集] 当駅と放出駅と長尾駅のみ、電車が停車中の時、電光掲示板に停車中と表示されている。 脚注[ソースを編集] [ヘルプ] ^ 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』JTB 1998年 ^ 「尼崎駅構内改良」『総合技術講演会概要集(停車場・計画)』日本鉄道施設協会 1997年10月 ^ この計画では南側から1番目、2番目のホーム、および3番目、4番目のホームの間には線路が1本しかない。ホーム間の線路が2本設定されているのは真ん中に当たる2番目と3番目のホームである。 ^ 貨物線を含めば対称ではないが、貨物線は客扱いのホームがない。講演資料では利用客からの視点を意識して「対称」という説明を行っている。なお、当初の計画においては下り方面は1番線、2番線から福知山線に進出が可能であったが、福知山線の上り線からは、ホームに接している線路としては6番線にしか進入できない(当初の計画で対称とするには5番線にも進入が出来なければならない)。加えて、当初計画においても下り線に貨物専用の待避線は設定されていないため、上述の「2番線に貨物列車が待避する」状態は1番目と2番目のホーム間に貨物列車が待避することを意味する。JR東西線からの列車は1番線、2番線の2線を選べるので2番線が占有されても1番線が使用可能なら停車は不可能ではないが、「支障が生じる」可能性が指摘されたのはこのため。なお、本脚注での番線呼称は最初の計画に基づいたもの。 ^ 大阪駅などでも同様の改良が実施された。 ^ 東西線上り(京橋方)と東海道線上り(大阪方)、東西線下り(尼崎方)と東海道線下り(神戸方)、同一方向にそれぞれ1線ずつの計2線。 ^ 「総合技術講演会最優秀論文停車場・計画部門 尼崎駅構内改良」『日本鉄道施設協会誌』1998年1月 ^ 例:「時流超流 News&Trends 深層 JR西日本、ブレーキなき組織の暴走体質 重大事故はまた起きる」『日経ビジネス』2005年5月16日 ^ 「【JR福知山線脱線事故】半数近く「現場カーブは危険」と認識 検証チームのアンケートにJR西運転士」『産経新聞』2010年9月3日22時38分配信 「脱線現場で速度超過」運転士の2割経験 宝塚線事故 『朝日新聞』2010年9月4日5時0分配信 ^ 阪急電鉄向けは1984年に終了しトレーラーによる道路輸送に切り替えられたが、東武鉄道向けが後年まで行われていた ^ 王子製紙(編) 『王子製紙社史』合併会社編、王子製紙、2001年、p324 ^ 王子製紙(編) 『王子製紙社史』本編、王子製紙、2001年、p561 ^ 近畿エリアの12路線 のべ300駅に「駅ナンバー」を導入します! ^ “データで見るJR西日本”. 西日本旅客鉄道. 2015年9月29日閲覧。 ^ それに対して、周辺の阪急園田駅や阪神杭瀬駅では乗降客数が軒並み減少している。 ^ 兵庫県統計書 ^ 尼崎市統計書 ^ 現存する「塚口店」(つかしんの北側、伊丹市との市境付近に立地。一時期のみ、つかしんに入居)とは別の店舗。 関連項目[ソースを編集] ウィキメディア・コモンズには、尼崎駅 (JR西日本)に関連するメディアがあります。 日本の鉄道駅一覧 尼崎駅 (阪神) - 日本の同一駅名・同一市町村で所在地が異なる駅の一覧 アーバンネットワーク 外部リンク[ソースを編集] 尼崎駅|駅情報:JRおでかけネット - 西日本旅客鉄道 [表示] 表・話・編・歴 乗り入れ路線と駅の一覧 [表示] 表 話 編 歴 近畿の駅百選 カテゴリ: 鉄道の画像提供依頼尼崎市の画像提供依頼尼崎市の鉄道駅日本の鉄道駅 あ摂津鉄道阪鶴鉄道日本国有鉄道の鉄道駅西日本旅客鉄道の鉄道駅日本貨物鉄道の廃駅JR神戸線1874年開業の鉄道駅 案内メニュー ログインしていませんトーク投稿記録アカウント作成ログインページノート閲覧ソースを編集履歴表示検索 Wikipedia内を検索 表示 メインページ コミュニティ・ポータル 最近の出来事 新しいページ 最近の更新 おまかせ表示 練習用ページ アップロード (ウィキメディア・コモンズ) ヘルプ ヘルプ 井戸端 お知らせ バグの報告 寄付 ウィキペディアに関するお問い合わせ 印刷/書き出し ブックの新規作成 PDF 形式でダウンロード 印刷用バージョン 他のプロジェクト コモンズ ツール リンク元 関連ページの更新状況 ファイルをアップロード 特別ページ この版への固定リンク ページ情報 ウィキデータ項目 このページを引用 他言語版 English Esperanto Français Italiano 한국어 Nederlands 中文 リンクを編集 最終更新 2017年6月6日 (火) 14:53 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。 テキストはクリエイティブ・コモンズ 表示-継承ライセンスの下で利用可能です。追加の条件が適用される場合があります。詳細は利用規約を参照してください。 プライバシー・ポリシーウィキペディアについて免責事項開発者Cookieに関する声明モバイルビューWikimedia Foundation Powered by MediaWiki