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囲碁は、陣地を囲むゲームです。
RPGゲームやアクションゲームとは異なる思考で次の一手を考える、面白いゲームです。
将棋、チェスと並ぶ、究極の思考ゲームとも言われます。
ブラウザーのみで動作するケースを特に囲碁ブラウザゲームと称することもあります。
専用ソフト使用の囲碁ゲームも多々あります。

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一般的なゲームでは、「礼」に重きをおきませんが、知的ゲームでは、礼を重んじる利用者が多いので、礼を心がけたいものです。
将棋に「ハサミ将棋」や「山崩し」があるように、囲碁にも「ポン抜きゲーム」/「石取りゲーム」があります。基本となる「アタリ」の習得に有用です。
ドンジャラも麻雀の基礎ルールの説明には有用ですね。


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当サイトに、お越しいただいて有難うございます。 一局の碁をお楽しみください。 当サイトで、御覧頂いているブラウザを使用して囲碁対局ができます。HTML5を使用するので、ソフトのインストールは不要です。 初心者の方も、対局できるようになっております。 ルールを知ったが、対局する機会がない人に最適です。ルールが解らない方は、申し訳ありませんが事前に習得して頂けれは幸いです。 囲碁のルールは単純なのでずか、ゲームは難しいです。 入門者もベテランもロボットと対局できるサイトは多々あります。
実体験に基づいた、オススメ記事もネット上にあります。 「ネット碁を打ちたいけどどこで打ったらいいのかわからない」という方は、参考にしてください。 オススメするネット囲碁対局場3選 ここによると、
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Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0)

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Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0) 渋川春海 渋川春海 渋川春海。『天文大意録』(鳳晴堂光正著、1826年頃)より。 渋川春海。『天文大意録』(鳳晴堂光正著、1826年頃)より。 人物情報 別名 六蔵(幼名)、順正、助左衛門、新蘆 生誕 寛永16年閏11月3日(1639年12月27日) 京都四条室町 死没 正徳5年10月6日(1715年11月1日) 居住 江戸麻布 国籍 日本の旗 日本 学問 時代 江戸時代 研究分野 天文・暦・囲碁 特筆すべき概念 貞享暦 主要な作品 日本長暦、三暦考、貞享暦書、天文瓊統 テンプレートを表示 貞享暦。1729(享保14)年版。(国立科学博物館の展示) 渋川 春海(しぶかわ はるみ、しぶかわ しゅんかい、寛永16年閏11月3日(1639年12月27日) - 正徳5年10月6日(1715年11月1日))は、江戸時代前期の天文暦学者、囲碁棋士、神道家。幼名は六蔵、諱は都翁(つつち)、字は春海、順正、通称は助左衛門、号は新蘆、霊社号は土守霊社。貞享暦の作成者。姓は安井から保井さらに渋川と改姓した。 目次 [非表示] 1 生涯 2 囲碁の戦績 3 渋川春海が登場する作品 3.1 小説 3.2 映画 4 著作 5 参考文献 6 脚注 7 関連項目 8 外部リンク 生涯[編集] 天文分野之圖。保井春海(渋川春海)著。延寶5年(1677年)。 (上)渋川春海作の地球儀。1695年製。(下)渋川春海作の天球儀。1697年製。ともにレプリカ(国立科学博物館の展示)。 江戸幕府碁方の安井家・一世安井算哲の長子として京都四条室町に生まれた。慶安5年(1652年)、父の死によって二世安井算哲となるが、当時13歳であったため、安井家は一世算哲の養子・算知が継いで、算哲は保井(後に改字)姓を名乗った。これより、秋冬は江戸に、春夏は京に住んだ。 そして万治2年(1659年)に21歳で幕府より禄を受け、御城碁に初出仕、本因坊道悦に黒番4目勝ちした。この後、算知、弟の知哲、算知の弟ともいわれる春知などとともに御城碁に出仕する。延宝6年(1678年)に本因坊道策が碁所に任じられた際には、これに先の手合、上手並み(七段)とされた。 数学・暦法を池田昌意(まさおき)に、天文暦学を岡野井玄貞・松田順承に、和漢の書および垂加神道を山崎闇斎に、土御門神道を土御門泰福に学んだ。当時の日本は貞観4年(862年)に唐よりもたらされた宣明暦を用いていたため、かなりの誤差が生じていた。そこで21歳(1659年)の時に中国の授時暦に基づいて中国や四国の各地の緯度・経度を計測し[1]、その結果を元にして授時暦改暦を願い出た。ところが、延宝3年(1675年)に春海が授時暦に基づいて算出した日食予報が失敗したことから、申請は却下された。 当時用いられていた宣明暦は、月食・日食の予報が天の運行に二日も遅れていたので、彼は、1670年(寛文10年)32歳の時、天体を日夜観測し、新暦の作成に向かった。[2]。 春海は失敗の原因を研究していくうちに、中国と日本には里差(今日でいう経度差)があり、「地方時」(今日でいう時差)や近日点の異動が発生してしまうことに気づいた。そこで、授時暦に通じていた朱子学者の中村惕斎の協力を得ながら、自己の観測データを元にして授時暦を日本向けに改良を加えて大和暦を作成した。春海は朝廷に大和暦の採用を求めたが、京都所司代・稲葉正往の家臣であった谷宜貞(一齋・三介とも。谷時中の子)が、春海の暦法を根拠のないものと非難して授時暦を一部修正しただけの大統暦採用の詔勅を取り付けてしまう。これに対して春海は「地方時」の存在を主張して、中国の暦をそのまま採用しても決して日本には適合しないと主張した。その後、春海は暦道の最高責任者でもあった泰福を説得して大和暦の採用に同意させ、3度目の上表によって大和暦は朝廷により採用されて貞享暦となった。これが日本初の国産暦となる。春海の授時暦に対する理解は同時代の関孝和よりも劣っていたという説もある[3]が、惕斎のような協力者を得られたことや、碁や神道を通じた徳川光圀や泰福ら有力者とのつながり、そして春海の丹念な観測の積み重ねに裏打ちされた暦学理論によって、改暦の実現を可能にしたとされている。 この功により貞享元年12月1日(1685年1月5日)に初代幕府天文方に250石をもって任ぜられ、碁方は辞した。以降、天文方は世襲となる。 囲碁の打ち方へも天文の法則をあてはめて、太極(北極星)の発想から初手は天元(碁盤中央)であるべきと判断している。寛文10年10月17日(1670年11月29日)の御城碁で本因坊道策との対局において実際に初手天元を打っており、「これでもし負けたら一生天元には打たない」と豪語した。しかしこの対局は9目の負けに終わり、それ以後初手天元をあきらめることとなった。 貞享3年(1686年)、春海は幕府の命令で京都より家族とともに江戸麻布に移り住み、元禄2年(1689年)に本所に天文台の建設が認められた。1690年、52歳の時、日本で最初の地球儀(直径25センチメートル)を造った。1697年にも直径33センチメートルの地球儀を作っている[4] 元禄5年(1692年)に幕府から武士身分が認められたことにより、蓄髪して助左衛門と名乗り、元禄15年(1702年)に渋川に改姓した。これは、先祖が河内国渋川郡を領していたが、播磨国安井郷に変わり、再び渋川の旧領に還ったためである。元禄16年(1703年)、天文台は更に駿河台に移された。著書に天文暦学においては『日本長暦』『三暦考』『貞享暦書』『天文瓊統』、神道においては『瓊矛拾遺』がある。改暦の際に「地方時」の存在を主張したように、彼は中国や西洋では地球が球体であるという考えがあることを知っており、地球儀をはじめ、天球儀・渾天儀・百刻環(赤道型日時計)などの天文機器を作成している。 墓所(東京都品川区) 後に嫡男である昔尹に天文方の地位を譲ったが、正徳5年(1715年)に昔尹が子供のないまま急死すると、春海も後を追うように死去した。渋川家と天文方は春海の弟・知哲の次男敬尹が継承した。法号は本虚院透雲紹徹居士。墓は東京都品川区の東海寺大山墓地にある。明治40年(1907年)に改暦の功績によって従四位が贈位された。平成24年(2012年)、第9回囲碁殿堂入りが決まる。 囲碁の戦績[編集] 御城碁 御城碁は天和3年(1684年)まで17局を勤めた。 万治2年(1659年) 先番4目勝 本因坊道悦 寛文4年(1664年) 先番中押負 本因坊道悦 寛文5年(1665年) 先番1目勝 本因坊道悦 寛文6年(1666年) 先番ジゴ 本因坊道悦 寛文7年(1667年) 先番4目負 本因坊道悦 寛文8年(1668年) 白番10目負 本因坊道策 寛文9年(1669年) 白番13目負 本因坊道策 寛文10年(1670年) 先番9目負 本因坊道策 寛文11年(1671年) 不明 本因坊道策 寛文12年(1672年) 先番10目負 本因坊道策 延宝元年(1674年) 白番12目負 本因坊道策 延宝2年(1675年) 先番6目負 本因坊道策 延宝3年(1676年) 先番16目負 本因坊道策 延宝4年(1677年) 先番10目負 本因坊道策 延宝7年(1680年) 先番3目負 本因坊道策 天和2年(1683年) 先番15目負 本因坊道策 天和3年(1684年) 白番13目負 井上道砂因碩 「天元の局」寛文10年10月17日(1670年11月29日) 安井算哲(先番) - 本因坊道策 Dosaku-santetsu-16701017-1-22.jpg (22手目まで)244手完、白9目勝 渋川春海が登場する作品[編集] 小説[編集] 名人碁所(江崎誠致) 算聖伝(鳴海風) 和算忠臣蔵(鳴海風) 天地明察(冲方丁) 映画[編集] 天地明察(2012年、角川映画/松竹、演:岡田准一(V6)) 著作[編集] 「天文瓊統 巻之一」渋川春海編 中山茂校注『日本思想大系 63(近世科学思想 下)』岩波書店 1971年 参考文献[編集] 西内雅『渋川春海の研究』錦正社 1940年(1987年)   安藤如意、渡辺英夫『坐隠談叢』新樹社 1955年 脚注[編集] ^ その方法として、昼間には一本の木の柱を立てて太陽の陰影を、夜間には北極星に対する仰角を測定した(岡田俊裕著 『日本地理学人物事典 [近世編] 』 原書房 2011年 37ページ) ^ 岡田俊裕著 『日本地理学人物事典 [近世編] 』 原書房 2011年 37ページ ^ 中山茂 編『天文学人名辞典』(『現代天文学講座』別巻)(恒星社厚生閣、1983年 ISBN 978-4-769-90073-3)「関孝和」項参照。 ^ 岡田俊裕『日本地理学人物事典[近世編]』原書房 2011年 39ページ 関連項目[編集] 日本の地理学者の一覧 外部リンク[編集] ウィキメディア・コモンズには、渋川春海に関連するメディアがあります。 木石庵「渋川 春海(二世算哲・保井算哲)」 典拠管理 WorldCat VIAF: 86263190 NDL: 00271730 執筆の途中です この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 カテゴリ: 江戸幕府旗本江戸時代の天文学者17世紀の学者18世紀の学者江戸時代の囲碁棋士山城国の人物1639年生1715年没天文学に関する記事 御影駅 (阪神) 御影駅 北口(リニューアル後)右側に少し見えるところは御影クラッセ2階への歩道橋出入口 北口(リニューアル後)右側に少し見えるところは御影クラッセ2階への歩道橋出入口 みかげ Mikage ◄HS 24 住吉 (0.5km)(0.6km) 石屋川 HS 26► 所在地 神戸市東灘区御影本町四丁目12番4号 北緯34度42分53.42秒 東経135度15分20.25秒 駅番号 ○HS 25 所属事業者 Hanshin-logo-black.png阪神電気鉄道 所属路線 本線 キロ程 25.7km(梅田起点) 駅構造 高架駅[1] ホーム 2面4線[1] 乗車人員 -統計年度- 12,678人/日(降車客含まず) -2015年- 開業年月日 1905年(明治38年)4月12日[1] テンプレートを表示 南口(リニューアル前) プラットホーム 旧貨物専用ホーム 北口にある改札口 御影駅(みかげえき)は、兵庫県神戸市東灘区御影本町四丁目にある、阪神電気鉄道本線の駅[1]。駅番号はHS 25。 目次 [非表示] 1 概要 2 歴史 3 駅構造 4 利用状況 5 駅周辺 5.1 周辺施設等 6 発着バス路線 7 隣の駅 8 脚注 9 関連項目 10 外部リンク 概要[編集] 快速急行を除いた全列車が停車する。東海道本線(JR神戸線)の住吉駅(快速が停車)が比較的至近距離にあり、利用客は当駅より多い。 阪急電鉄神戸本線の御影駅からは約1.2km離れている。徒歩で北へ15分ほど。 当駅から六甲ケーブル線六甲ケーブル下駅方面へのバスは神戸市交通局(神戸市バス)によって運行されているが、六甲ケーブルは阪神の子会社である六甲摩耶鉄道が運営しており、六甲山には阪急阪神東宝グループのレジャー施設があることから、当駅から神戸市営バスを介して六甲ケーブルに乗り換え可能な時間帯に電車が当駅に到着する際「六甲山にお越しの方はバスにお乗換えください」という車内アナウンスが入る。 当駅高架下には沢の井という井戸が保存され、噴水も設けられている[1]。かつては飲用可能であったが、阪神・淡路大震災以後は水質などの問題から飲用禁止となり、「この井戸は水質基準を満たしていません」という趣旨の立て札が神戸市保健所によって設置されている。 2009年(平成21年)3月20日に阪神なんば線が開業し、近畿日本鉄道(近鉄)奈良線との相互直通運転が開始されたが、直通列車である快速急行は開業後も引き続き当駅を通過する。理由としては、魚崎駅より乗降客数が少ないこと、ホーム有効長が短く急カーブ上にあり(後述)、1両あたり21m級の近鉄車両6両編成の前後がホームからはみ出してしまうこと等が挙げられている[2]。因みに阪神列車及び、山陽列車の6両編成は約115mに対して、近鉄列車の6両編成は約126mにも及ぶ。ホームは6両編成ギリギリの118mしかない為、直通特急・阪神特急停車駅だが、近鉄6両の運用が入っている快速急行は、ゆっくりとした速度で通過する。また、当駅が今昔に渡って、快速急行停車駅になったことは全くない。 駅南側(旧270台収容駐輪場)は、「バレンタイン広場」として整備されている。当地近傍に本店がある洋菓子店モロゾフが[1]、1936年2月12日に東京で発行されていた英字新聞に「バレンタインデーにチョコレートを贈りましょう」という広告を出したことを理由として、当地を日本のバレンタインデー発祥地とみなす説に基づいている。1986年から神戸市と交流のあるイタリア中部のテルニ市(聖バレンタインの出身地とされる都市のひとつ)から、神戸市が許諾を得てバレンタインの名前を冠している。2013年5月3日には、テルニ市からジローラモ市長 (it:Leopoldo Di Girolamo) を迎え、盛大に記念式典が行われた。 階段状の御影石で囲んだ空間で、中央にはテルニ市の位置を示す陶板が埋め込まれている。聖バレンチノ教会 (it:Basilica di San Valentino) やステンドグラスの写真を貼り付けて教会をイメージしたものと、同教会の柱を模した、2つのチョコレート色のモニュメントもある。ハート形にくりぬかれたその上部は、中でカップルが手をつなぐようにという想定。さらに、阪神御影南口バス停のシェルターはチョコレートの形となっている。 駅前の「バレンタイン広場」 広場中央に埋め込まれた、テルニ市の位置を示す陶板。 広場にある2基のモニュメント。 チョコレートを模した阪神御影南口バス停シェルター 歴史[編集] 1910年の当駅の様子 1905年(明治38年)4月12日 - 阪神本線の開業と同時に開業[1]。 1929年(昭和4年)7月27日 - 併用軌道から移転・高架化される[1]。 1995年(平成7年) 1月17日 - 阪神・淡路大震災で被害を受け、阪神本線運休[1]。当駅も一時営業中止[1]。 2月11日 - 青木駅 - 当駅間復旧により営業再開[3]。 6月26日 - 当駅 - 西灘駅間運転再開[1]。これにより阪神本線は全線復旧[3]。 2009年(平成21年)3月20日 - ダイヤ改正で急行の西宮駅以西の運行が休止となる。これにより、当駅には急行が停車しなくなった。 2014年(平成26年)4月1日 - 駅番号導入[4][5]。 2016年(平成28年)3月19日 - 深夜に1本運行される急行が御影行きとなり、区間特急の始発駅が青木駅から当駅に変更される。これにより、当駅に急行が停車するようになった。 駅構造[編集] 待避設備を持つ島式ホーム2面4線の高架駅[1]。改札口は地上部にある1か所のみで、2階にあるホームの梅田寄りに通じる[1]。地上・改札・ホーム各階を連絡するエレベーターや身障者用トイレの設置などで、2011年にバリアフリー化されている(後述)。 プラットホームは急カーブ(半径140mないし160m)上に存在するため、構内の通過速度は35km/hに制限されている。快速急行や回送などの通過時は低速でも激しい軌鳴りが生じる。停車中の車両とホームのすき間が一部広く空いている上にホームの幅員自体も狭く、阪神の駅の中では特に危険な駅といえる(春日野道駅が相対式ホームに改築されて以降)。そのため、非営業車両の通過列車や一部の快速急行は必ず警笛を鳴らす[6][7][8]。ホーム幅員が狭いこともあり、空調機器を設置した待合室は設けられていない。近鉄車両の試運転開始後にホームの一部が近鉄車両の通過に支障することが判明し、2008年(平成20年)10月から12月までの間にホームを削る工事が行われた。工事完了後は従来よりもさらにホームが狭くなっている。これらのホームの北側にある短いホーム状の構造物はかつて貨物を取り扱いしていたときに使用していたものである[1]。 元々は1・4番線が待避線、2・3番線が本線であったが、現行ダイヤでは特急列車は奇数番線(1・3番線)に停車している。変更された理由は山陽電鉄5000系・5030系の車体下部の裾絞り幅が阪神車に比べて大きく、曲線でのホームとの隙間を小さくするためである。ただ、1番線が分岐器の速度制限を受ける配線構造は変わっていないこともあり、偶数番線を普通(青胴車)用、奇数番線を特急列車(赤胴車・山陽車)用とする形になっている。また、2番のりばの6両編成梅田寄り1両分には固定柵で仕切られ、快速用列車や、山陽列車と言った6両編成は、2番のりばでの営業停車が不可になった。 なお、駅の西側には御影留置線が隣の石屋川駅まで伸びている。これはかつて阪神が高速別線(第二阪神線)を建設する計画を進めていた際、この区間を複々線化する構想があったためである。阪神・淡路大震災では盛土が崩壊し、留置していた車両が転落(多くは廃車・解体)するなど大きな被害を受けた。この御影留置線は1963年頃はまだ設置されていなかった。 2010年度より駅構内のバリアフリー化を主体とした改良工事に着手。ホームをかさ上げし、車両との隙間を狭くする櫛状ゴムを設置した他、改札口・駅長室・トイレなどを2階へ移設し身障者用トイレを新設、各階を連絡するエレベーターとエスカレーター(改札階~地上のみ)を新設した。さらに駅北側にある商業施設・御影クラッセと改札階を直結するペデストリアンデッキを新設するなどした[9]。事業費は約3億円であり、国および自治体が3分の2を補助した[10]。 のりば ホーム 路線 方向 行先 1 ■本線 上り 尼崎・大阪(梅田)・難波・奈良方面 2 ■本線 3 ■本線 下り 神戸(三宮)・明石・姫路方面 4 ■本線 前述の通り偶数番線に普通列車が、奇数番線に特急列車が停車する。 1番線と2番線は三宮方面への発車にも対応している。 御影駅配線図 ← 本線 : 梅田方面 御影駅配線図 → 本線 : 三宮・元町方面 凡例 出典:[11] 利用状況[編集] 各年11月の1日平均乗降人員は下記の通り。 年度 1日平均 乗降人員 出典 2001年 22,942 [12] 2002年 22,557 [13] 2003年 21,944 [14] 2004年 20,647 [15] 2005年 20,667 [16] 2006年 20,427 [17] 2007年 19,762 [18] 2008年 22,014 [19] 2009年 22,441 [20] 2010年 23,046 [21] 2011年 24,082 [22] 1990年代より利用者数は減少傾向にあり、2007年は2万人台を割り込んでいたが、翌年より増加に転じ再び2万人を超えている。なお、2008年3月20日には駅前に大型商業施設の御影クラッセが開業している。 駅周辺[編集] バスターミナルのある北口 北口駅前広場 御影クラッセ 日本有数の高級住宅街である御影山手と違い、浜手は灘五郷の酒造りの街であり、どちらかというと下町になる。駅の高架下東側にはアイス最中で有名な「大西商店」があり、西側には昭和初期に建設された当初のスクラッチタイルの腰壁がある「御影マーケット」も残り、一部店舗が営業している。西側高架下は長大な市場である御影市場「旨水館」となっていて、パンの老舗「マスヤ」を始め庶民派の名店が多い。山手の高級パン店だけでなく、下町の市場にもパンの名店があるところなどはいかにも神戸らしい風情となっている。神戸市立御影工業高等学校跡地における阪神御影駅前開発の一環として、2008年(平成20年)3月20日には大規模商業施設御影クラッセが開業した。さらに2010年(平成22年)3月には、47階建ての御影タワーレジデンスが竣工。 周辺施設等[編集] タクシー乗り場(高架下 阪神タクシー専用) タクシー乗り場(バスターミナル東側) アズナス阪神御影店(高架下 旧きっぷ売り場あたり) 国道2号 (300m北) 弓弦羽神社[1] 東灘警察署 (320m北) 沢ノ井交番 (40m) 神戸市立御影公会堂 (590m北西) 阪神御影駅前郵便局 (150m北) 御影浜中郵便局(500m南西) 神戸御影中町郵便局(700m北西) 兵庫県立御影高等学校 (510m北西) 神戸市立御影中学校 (230m西) 神戸市立御影小学校 (380m西) 長崎屋御影店(2009年5月31日をもって閉店。閉店後は1階にローソンとライフォートが、2階にゲオが出店している) ココカラファイングループに属するドラッグストアは当駅付近に3店集中している。ライフォートは前述の旧長崎屋跡(阪神御影駅南店)と阪神御影駅前郵便局北側(御影中町店)、ドラッグセガミが御影クラッセ内にある。 御影市場・旨水館(110m) 御影クラッセ[1] (90m) 阪急オアシス御影店 阪神百貨店(阪神・御影) メトロ書店 ドラッグセガミ ドコモショップ auショップ ソフトバンクショップ他 御影タワーレジデンス(180m) 大西商店 兵庫県予防医学協会 田中屋本店 (100m) ケルン本店 旧モロゾフ本店(現在は研修センターになっている) ケーニヒスクローネ本店(800m北西) エディオン御影店 (310m南) デイリーカナートイズミヤ御影店 (330m南) ニトリ神戸御影店 (410m南) 三井住友銀行御影支店 (40m) 発着バス路線[編集] 神戸市バス 駅北側 16 JR六甲道・阪急六甲・神大国際文化学部前経由、六甲ケーブル下行 19 阪急御影経由、甲南病院前・鴨子ヶ原・神大附属前方面行 36 JR六甲道・阪急六甲・神大正門前経由、鶴甲団地行 38 東灘区役所前・白鶴美術館前経由、渦森台行 39 JR住吉駅前・阪急御影経由、甲南病院前・鴨子ヶ原・神大附属小学校前方面行 駅南側 33 東灘区役所前・岡本経由、JR甲南山手行 35 東灘区役所前経由、魚崎車庫前・魚崎浜町行 39 JR住吉駅前・阪急御影経由、甲南病院前・鴨子ヶ原・神大附属小学校前方面行 神戸フェリーバス 駅西側 ローソンストア100前 六甲アイランドフェリーターミナル(フェリーさんふらわあ・阪九フェリー)・六甲船客ターミナル(マルエーフェリー)行 みなと観光バス 駅西側 北行 旧モロゾフ本社付近 阪急御影駅・阪急岡本駅・夙川グリーンタウン(西宮市 阪急夙川駅西側)行 駅西側 南行 エディオン北側トヨタレンタリース前付近 六甲アイランド 神戸国際大学前行 阪神バス 駅北側300m 国道2号上 阪神御影駅北停留所 西宮神戸線(西行) 神戸税関前行(三宮駅前経由)/(東行)阪神西宮行(JR芦屋駅前経由) 隣の駅[編集] 阪神電気鉄道 本線 ■■直通特急・■特急 魚崎駅 (HS 23) - 御影駅 (HS 25) - 神戸三宮駅 (HS 32) ■区間特急(当駅始発、梅田行きのみ運転)・■急行(梅田方面からの到着列車のみ) 魚崎駅 (HS 23) - 御影駅 (HS 25) ■快速急行 通過 ■普通 住吉駅 (HS-24) - 御影駅 (HS-25) - 石屋川駅 (HS-26) 脚注[編集] [ヘルプ] ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 『兵庫の鉄道全駅 私鉄・公営鉄道』 神戸新聞総合出版センター、2012年12月10日、34頁。ISBN 9784343006745。 ^ 。阪神なんば線、近鉄車両長くて… 御影駅通過 - 神戸新聞 ^ a b 『不死鳥レールウェイ』 神戸新聞総合出版センター、2010年1月17日、125-126頁。ISBN 978-4-343-00537-3。 ^ “阪神「三宮」を「神戸三宮」に駅名変更、駅ナンバリングを導入し、すべてのお客さまに分かりやすい駅を目指します” (PDFlink) (プレスリリース), 阪神電気鉄道株式会社, (2013年4月30日), オリジナルの2016年4月8日時点によるアーカイブ。 2016年4月8日閲覧。 ^ “[アラカルト]3月20日=兵庫 ◆駅ナンバリング、神鉄が導入”. 読売新聞(大阪朝刊) (読売新聞大阪本社): p. p.32. (2014年3月20日) ^ https://www.youtube.com/watch?v=dNpNQe6VySY ^ https://www.youtube.com/watch?v=VgM1SK0Hti4 ^ 7分からhttps://www.youtube.com/watch?v=TpRNxxhCchs ^ 阪神電車 御影駅のエレベーター設置工事が完了 3月31日(木)から供用を開始します (PDF, 阪神電気鉄道 2011年3月30日) ^ 「東灘の2駅がバリアフリー化 阪神御影、摂津本山」[リンク切れ]神戸新聞 ^ 『東海道ライン 全線・全駅・全配線 第7巻 大阪エリア-神戸駅』 川島令三 編著、講談社〈図説 日本の鉄道〉、2009年。ISBN 978-4-06-270017-7。27頁 ^ 「ハンドブック阪神 2002」阪神電気鉄道株式会社、2002年 ^ 「ハンドブック阪神 2003」阪神電気鉄道株式会社、2003年 ^ 「ハンドブック阪神 2004」阪神電気鉄道株式会社、2004年 ^ 「ハンドブック阪神 2005」阪神電気鉄道株式会社、2005年 ^ 「ハンドブック阪神 2006」阪神電気鉄道株式会社、2006年 ^ 「ハンドブック阪神 2007」阪神電気鉄道株式会社、2007年 ^ 「ハンドブック阪神 2008」阪神電気鉄道株式会社、2008年 ^ 「ハンドブック阪神 2009」阪神電気鉄道株式会社、2009年 ^ 「ハンドブック阪神 2010」阪神電気鉄道株式会社、2010年 ^ 「ハンドブック阪神 2011」阪神電気鉄道株式会社、2011年 ^ 「ハンドブック阪神 2012」阪神電気鉄道株式会社、2012年 関連項目[編集] 日本の鉄道駅一覧 日本の同一駅名・同一市町村で所在地が異なる駅の一覧 灘五郷 外部リンク[編集] ウィキメディア・コモンズには、御影駅 (阪神)に関連するカテゴリがあります。 御影駅(路線図・駅情報) - 阪神電気鉄道 御影市場 阪神・御影 御影クラッセ 御影タワーレジデンス [隠す] 表 話 編 歴 阪神電気鉄道 阪神電気鉄道 本線 梅田 - (出入橋) - 福島 - 野田 - 淀川 - 姫島 - 千船 - (千船信号場) - 杭瀬 - 大物 - (大阪難波・近鉄奈良方面<<)尼崎 - 出屋敷 - 尼崎センタープール前 - 武庫川 - (武庫川信号場) - 鳴尾 - 甲子園 - 久寿川 - 今津 - (西宮東口) - 西宮 - 香櫨園 - (堀切信号場) - 打出 - 芦屋 - 深江 - 青木 - 魚崎 - 住吉 - 御影 - 石屋川 - 新在家 - 大石 - 西灘 - 岩屋 - 春日野道 - 神戸三宮 - 元町(>>高速神戸・須磨浦公園・山陽姫路方面) 1933年路線切替区間:岩屋(旧) - 岩屋東口 - 岩屋西口 - 脇ノ浜 - 春日野道 - 新川 - 三ノ宮 - 滝道 カテゴリ: 神戸市の鉄道駅日本の鉄道駅 み阪神電気鉄道の鉄道駅1905年開業の鉄道駅東灘区の交通阪神間モダニズム東灘区の建築物 案内メニュー ログインしていませんトーク投稿記録アカウント作成ログインページノート閲覧編集履歴表示検索 Wikipedia内を検索 表示 メインページ コミュニティ・ポータル 最近の出来事 新しいページ 最近の更新 おまかせ表示 練習用ページ アップロード (ウィキメディア・コモンズ) ヘルプ ヘルプ 井戸端 お知らせ バグの報告 寄付 ウィキペディアに関するお問い合わせ 印刷/書き出し ブックの新規作成 PDF 形式でダウンロード 印刷用バージョン 他のプロジェクト コモンズ ツール リンク元 関連ページの更新状況 ファイルをアップロード 特別ページ この版への固定リンク ページ情報 ウィキデータ項目 このページを引用 他言語版 English Esperanto リンクを編集 最終更新 2017年6月18日 (日) 04:48 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。 テキストはクリエイティブ・コモンズ 表示-継承ライセンスの下で利用可能です。追加の条件が適用される場合があります。詳細は利用規約を参照してください。 プライバシー・ポリシーウィキペディアについて免責事項開発者Cookieに関する声明モバイルビューWikimedia Foundation Powered by MediaWiki