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Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0)

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Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0) 白川正芳 白川 正芳(しらかわ まさよし、1937年1月2日 - )は、日本の文芸評論家。 福岡県大川市生まれ。慶應義塾大学中退。特選塾員。國學院大學非常勤講師、東京経済大学非常勤講師。埴谷雄高を中心に文芸評論を書き、第22回日本文芸大賞受賞。また文壇屈指の碁打ちとしても知られる。34期、36期、38期、39期文壇本因坊。 著書[編集] 『埴谷雄高論 評論集』書肆深夜叢書 1967 のち冬樹社 『吉本隆明論』永井出版企画 1972 『現代文学の思想』冬樹社 1974 『不可視の文学』潮出版社 1974 『稲垣足穂』冬樹社 1976 『立原正秋』竜門出版社 1981 『黙示の時代 埴谷雄高と現代の文学』河出書房新社 1983 『超時間文学論 鴎外から大江まで27人の作家たち』洋泉社 1985 『碁は断にあり 碁と人生』三一書房 1985 『碁に勝てなければ他のことにも勝てない』三一書房 1987 『星のきらめく夜は私の星座 現代文学の行方 評論集』三一書房 1988 『囲碁の実戦的研究』三一書房 1990 『ドストエフスキイへの旅』武蔵野書房 1991 『埴谷雄高論全集成』武蔵野書房 1996 『始まりにして終わり 埴谷雄高との対話』文藝春秋 1997 『囲碁の源流を訪ねて』日本棋院 1999 『埴谷雄高の肖像』慶應義塾大学出版会 2004 『埴谷雄高との対話』慶應義塾大学出版会 2006 編著[編集] 『現代作家論』(編)第三文明社〈レグルス文庫〉 1972 『三島由紀夫 批評と研究』(編)芳賀書店 1974 『昭和文学を語る』(編)第三文明社 1978 『「死霊」論 頭蓋のシムフォニイ 思索的想像力=あっは・ぷふい』(編)洋泉社 1985 『立原正秋 追悼』(編)創林社 1985 『埴谷雄高独白「死霊」の世界』NHK編 責任編集 日本放送出版協会 1997 カテゴリ: 日本の文芸評論家囲碁の著述家福岡県出身の人物1937年生存命人物 春日野道駅 (阪神) 春日野道駅 西口(2009年9月) 西口(2009年9月) かすがのみち Kasuganomichi ◄HS 30 岩屋 (1.1km)(1.3km) 神戸三宮 HS 32► 所在地 神戸市中央区吾妻通一丁目1番131号 北緯34度42分10.68秒 東経135度12分19.02秒 駅番号 ○HS 31 所属事業者 Hanshin-logo-black.png阪神電気鉄道 所属路線 本線 キロ程 30.8km(梅田起点) 駅構造 地下駅[1] ホーム 2面2線[1] 乗車人員 -統計年度- 7,251人/日(降車客含まず) -2015年- 開業年月日 1905年(明治38年)4月12日[1]* * 地上駅としての開業日。現在の地下駅としての再開業日は、1934年(昭和9年)5月1日 テンプレートを表示 春日野道駅(かすがのみちえき)は、兵庫県神戸市中央区吾妻通一丁目にある、阪神電気鉄道本線の駅[1]。駅番号はHS 31。本項では、1968年(昭和43年)まで存在した神戸市電春日野道電停についても記述する。 目次 [非表示] 1 駅構造 1.1 「日本一幅の狭いホーム」 1.2 新ホームへの切り替え 2 利用状況 3 駅周辺 3.1 東口 3.2 西口 3.3 バス路線 4 神戸市電春日野道電停 5 歴史 5.1 阪神電気鉄道 5.2 神戸市電 6 隣の駅 6.1 かつて存在した路線 7 脚注 8 関連項目 9 外部リンク 駅構造[編集] 国道2号の真下に相対式ホーム2面2線を有する地下駅である[1]。分岐器や絶対信号機を持たないため、停留所に分類される。 2004年(平成16年)9月25日始発から新ホームに切り替えられ、三宮方に西改札口が新設された。2005年(平成17年)8月6日までは仮使用状態でホーム有効長が19m級の阪神車5両編成分しかなく、平日朝に停車する東須磨行準急6両編成は三宮方1両をドアカットしていた。このため、阪神赤胴車6両編成の三宮寄り先頭車 (1号車) には「下り春日野道駅 ではこのドアは 開きません」というステッカーが貼られていた[2]。東改札口および新地下道設置工事が進捗した同年8月7日から旧ホームと同様に阪神車6両編成が停車可能となった。ただし、2006年(平成18年)10月28日のダイヤ改正以降は6両編成の停車はなくなっている。21 m級の近畿日本鉄道車両6両編成の停車は不可能である。 2004年までの旧ホームは、ホームから線路を挟んだ反対側(上下線間)に一部施設が未撤去の状態で残っており、ホームから見ることができる。 のりば ホーム 路線 方向 行先 1 ■本線 上り 尼崎・大阪(梅田)・難波・奈良方面 2 ■本線 下り 神戸(三宮)・明石・姫路方面 実際には構内に上記ののりば番号表記はないが、公式サイトの構内図では上りホームが1番線、下りホームが2番線とされている。 春日野道駅配線略図 ← 梅田方面 春日野道駅配線略図 → 三宮・元町方面 凡例 出典:[3] 東口 東改札口 西改札口 大阪方面行きホーム(旧ホームが見える) 姫路方面行きホーム 「日本一幅の狭いホーム」[編集] 旧ホーム(2004年8月8日)。幅が電車よりも狭い。また反対側に工事中の現行ホームが見える。 1934年(昭和9年)から2004年まで、当駅は島式ホーム1面2線の地下駅であり、ホームの幅はわずか2.6 mだった。これは電車の車体の幅(約2.8 m)よりも狭い。「日本一危ない駅」や「日本一怖い駅」[1]として、『投稿!特ホウ王国』など全国ネットのテレビ番組で取り上げられたこともある。 岩屋 - 三宮間地下化工事は、大林組の施工により1931年2月着工、1933年6月に開通した。春日野道新駅は、地下化の翌年である1934年5月1日に開業した。 社史類には記述はないが、この狭いホームは以下のような経緯で成立したと言われている。春日野道駅は、1933年に岩屋駅以西が地下化される際に廃止される予定であった。しかし、当時駅周辺は川崎製鉄などの工場地帯で、沿線住民に加えて多くの工場労働者が当駅を利用しており、その反対を受け、地下化直前に駅存続へと方針転換されたという。 しかし、実際には1929年8月の施工認可申請の時点で春日野道新駅設置の計画は既にあり[4]、1930年11月時点でも計画に変更は無かった[5]。当初は幅3 m×長さ120 mでホームが建設されたが、その後の車体拡幅によりホームが上下各0.2 m削られ、幅2.6 mになった。1986年に公布された鉄道事業法ではホームの幅を原則3 m以上と規定している。 こうして線路に挟まれた幅わずか2.6 mのホームが出来上がったが、さらにホーム中央には一定間隔毎に地下トンネル特有の太いコンクリート柱があったため、柱からホームの端までは子ども1人が両手を横に広げた程度であった。当駅を電車が通過する際は、幅の狭さと地下駅ゆえの強い列車風により、危険であったため、阪神も以下に挙げられる様々な対策をとっていた。 待合用のベンチはホームではなく改札口横の一角に設置され、その場所が待合空間として利用されていた。ホームには柱間に金属製の安全柵が設置された。 電車接近時の案内放送は、以下の通りだった。 待合空間では、到着電車接近時に、「まもなく、(大阪/神戸)方面行電車がまいります。ホームへお越し下さい」という駅独自の自動音声が、ホームまでの階段移動時間も考慮して流れるようになっていた。自動音声の直前に阪神標準の電車接近予告メロディが流れたが、この待合空間だけは到着電車の接近を知らせるにもかかわらず、通過電車接近用のメロディが使われていた。 ホームでは、電車接近時に他駅と同様の自動音声並びに冒頭のメロディに加えて、踏切警報機音と壁に設置された電車接近を知らせる電光表示器(橙色の「電車が来ます・ご注意下さい」のLED表示と4つの矢印が時間差で点滅)により、聴覚的・視覚的に到着および通過電車の接近を警告した。 通過電車は長らく75 km/h程度で通過していたが、やがて45 km/hに制限され、駅進入時に警笛を鳴らすようになった。 幅の狭い危険なホームであったが、阪神による上記の対策、及び駅構造を要因とする利用者自身の注意喚起があった結果、設置から廃止までの70年間、無事故であった[1]。 新ホームへの切り替え[編集] 旧ホームが廃止された背景として、危険の回避、ダイヤ編成上のネックの解消がある。また、地下化時の当駅存続運動のきっかけとなった近隣の工場群が移転し、跡地がHAT神戸として再開発が進んだことも挙げられる。再開発の計画時期には阪神・淡路大震災が発生し、建設されていた公営マンションに家を失った多くの人々、とりわけ高齢者が暮らすようになった。これを機に、バリアフリー・ユニバーサルデザイン・災害時の避難経路複数確保を考慮に入れたホームを含めた駅全体の改良工事が必要になり、諸検討の結果、「既設の島式ホームは廃止し、相対式ホームを新設するのが適当」となった。 新ホームは、線路は従来のままに存置し、かつ営業運転を継続したままで、旧ホームの反対側の地下トンネルの壁を開削・拡幅して、旧ホームの線路を挟んだちょうど反対側に設置されることになった[1]。鉄道駅総合改善事業により法的に神戸高速鉄道が事業主体となることで国・兵庫県・神戸市から補助金を受け、2001年(平成13年)11月6日に改良工事が開始された。そして、2004年9月25日初発から新ホームに切り替えられ、日本一幅が狭いと言われた旧ホームはその役目を終えた。同時に、通過電車の速度も開業時の75 km/hに戻されている。旧ホームはその後安全柵が撤去されて補強用柱などが取り付けられたものの現存し、新ホームや電車内から見ることができる[1]。またコンコースには旧ホームや周辺の風景が掲示されている[1]。 新ホームは、旧ホームよりも約1両分大阪側にずらして設置された。新ホーム使用開始時に、ホームの有効長が一時的に5両編成分しかなかったのは、開削することになった大阪側1両分のトンネルの壁がアーチ構造、つまり線路と新ホームの間に立ちはだかる壁だけで上層部を支えていたことによる。この壁を撤去するにはアーチごと撤去しなければならないが、アーチ上層部には旧ホームにとって唯一の改札口があったため、壁を撤去する前に改札口を別に確保する必要があった。そこでまず西改札口および新ホームのうち、アーチ構造に関係しない5両編成分のみを完成させてアーチ撤去期間中の改札口を確保し、そして実際にアーチごと壁を撤去することになったのである。そして、撤去されたアーチの跡地には東改札口が開設され、新ホームとの間を連絡するエレベーターと上りエスカレーターが設置された。なお、地下道の一部は旧ホーム時代のまま残っている。 利用状況[編集] 各年11月の1日平均乗降人員は下記の通り。 年度 1日平均 乗降人員 出典 1996年 9,897 [6] 1999年 8,182 [7] 2001年 9,590 [8] 2002年 9,018 [9] 2003年 10,553 [10] 2004年 10,341 [11] 2005年 10,790 [12] 2006年 10,917 [13] 2007年 10,065 [14] 2008年 11,290 [15] 2009年 11,811 [16] 2010年 11,573 [17] 2011年 12,432 [18] HAT神戸の開発進展と前後して、利用者数は増加傾向にある。2011年時点では、阪神本線の各駅停車のみが停車する駅の中では最も利用者数が多い。 駅周辺[編集] 阪急電鉄神戸本線にも同じ駅名の春日野道駅があるが、JR神戸線の線路を越えたところにあり、直線距離で約450 m離れている。両駅の間には春日野道商店街がある。なお、阪急春日野道駅もホームの幅が狭く、阪神側が改良されてからは阪急側の方が狭くなっている。 東口[編集] HAT神戸[1] 神戸赤十字病院・日本赤十字社兵庫県支部・兵庫県赤十字血液センター 兵庫県災害医療センター 兵庫県こころのケアセンター 神戸こども初期急病センター 神戸防災合同庁舎 神戸地方気象台 海洋気象学会 自衛隊兵庫地方協力本部 人と防災未来センター 防災未来館 ひと未来館 ヤマダ電機テックランド神戸本店(東へ徒歩10分[19]) ケーズデンキHAT神戸店 ブルメールHAT神戸(関西スーパー・ユニクロなど) MEGAドン・キホーテ神戸本店 ライフ春日野道店(川崎製鉄本社跡地) 葺合郵便局 春日野道商店街[1] 西口[編集] 葺合警察署 神戸日暮通郵便局 大安亭市場(おおやすていいちば)[1] 神戸ものづくり職人大学 バス路線[編集] 阪神バス 西宮神戸線 春日野道停留所 神戸市バス 101系統 筒井町3丁目停留所 神戸市電春日野道電停[編集] 1910年(明治43年)4月5日に、神戸電気鉄道(現在の神戸電鉄とは無関係)が開通した際に設置された。当時は南北方向の終点であったが、1932年(昭和8年)9月21日には敏馬(廃止時には脇浜町)まで開業した際に東西方向の途中停留所となった。当停留所近くには車両基地があった。1968年(昭和43年)4月21日に神戸市電東部国道線が廃止となった際と同時に廃止となった。阪神春日野道駅改札外地下通路に写真が掲げてあり、当時の阪神春日野道駅の出入口と隣接する車両基地が写っている。写真は阪神の地下入口があるため昭和9年以降のものであると推測される。 歴史[編集] 阪神電気鉄道[編集] 1905年(明治38年)4月12日 - 阪神本線の開業と同時に開業[1]。開業当初は現国道2号線の北側の2車線道路のところにあった。 1933年(昭和8年)6月17日 - 地下線化に伴い、一旦廃止。 1934年(昭和9年)5月1日 - 地下駅として新規開業。 1968年(昭和43年)4月7日 - 山陽電気鉄道が神戸高速鉄道東西線を経て大石駅までの直通運転を開始。 1995年(平成7年) 1月17日 - 阪神・淡路大震災が発生、阪神本線運休。当駅も一時営業中止。 2月20日 - 岩屋駅 - 三宮駅間運転再開により営業再開(同年6月26日に全線復旧)。 1998年(平成10年)2月15日 - 山陽電気鉄道、山陽特急の阪神本線乗り入れを三宮駅までに短縮。当駅に停車する山陽の列車はS特急と普通に限定される。 2001年(平成13年) 3月10日 - 山陽電気鉄道、S特急と普通の阪神本線乗り入れを三宮駅まで短縮。当駅に停車する山陽の営業列車は消滅。 11月6日 - 駅施設の改良工事開始。改良工事にあたって神戸高速鉄道に駅施設を譲渡[20]。 2004年(平成16年) 9月25日 - 新ホーム(相対式)の仮使用開始(有効長5両編成相当)。西改札口を新設。 9月27日 - 6両編成(平日朝の下り準急)の神戸側1両をドアカットさせて停車( - 2005年8月6日)。 2005年(平成17年)8月7日 - バリアフリー設備・ホーム延伸部の使用を開始。 2006年(平成18年) 3月27日 - 駅施設の改良工事完成。 10月28日 - 準急の当駅への乗り入れがなくなり、全優等列車が通過駅となる。 2014年(平成26年)4月1日 - 駅番号導入[21][22]。 神戸市電[編集] 1910年(明治43年)4月5日 - 神戸電気鉄道の開業と同時に開業。開業当初の春日野道電停は旧阪神春日野道駅南側直角になっていた。現在の春日野道商店街のすぐ東側にあった[23]。 1913年(大正2年)5月1日 - 神戸電気へ社名変更時に同社の電停となる。 1917年(大正6年)8月1日 - 神戸市電気局へ組織名変更時に同局の電停となる。 1932年(昭和8年)9月21日 - 神戸市電東部国道線開業時に春日野道電停は国道沿いの現在の阪神春日野道駅の地上付近に移転。 1942年(昭和17年)5月19日 - 神戸市交通局へ組織変更時に同局の電停となる。 1968年(昭和43年)4月21日 - 神戸市電廃止と同時に同電停も廃止。 隣の駅[編集] 阪神電気鉄道 本線 ■■直通特急・■特急・■快速急行 通過 ■普通 岩屋駅 (HS 30) - 春日野道駅 (HS 31) - 神戸三宮駅 (HS 32) * 地上駅時代は、岩屋駅と当駅の間に脇浜駅が、当駅と三ノ宮駅(旧)の間に新川駅が、それぞれ存在した。 かつて存在した路線[編集] 神戸市交通局(神戸市電) 東部国道線 吾妻通4丁目 - 春日野道電停 - 脇浜3丁目 神戸電気鉄道 南本町1丁目 - 春日野電停 *春日野道電停が終点だった頃は阪神旧駅に対し直角となっていた。 脚注[編集] [ヘルプ] ^ a b c d e f g h i j k l m n 『兵庫の鉄道全駅 私鉄・公営鉄道』 神戸新聞総合出版センター、2012年12月10日、28頁。ISBN 9784343006745。 ^ 但し、山陽列車6両編成の先頭車 (6号車) には貼られていなかった. ^ 『東海道ライン 全線・全駅・全配線 第7巻 大阪エリア-神戸駅』 川島令三 編著、講談社〈図説 日本の鉄道〉、2009年。ISBN 978-4-06-270017-7。 23頁 ^ 神戸新聞1929年8月6日「愈設計が出来たので地下乗入を急ぐ阪神 : 免許指令を待たず施行認可を申請 : 岩屋新三宮駅間に停留所は一個所」(神戸大学附属図書館 デジタルアーカイブ新聞記事文庫) ^ 大阪朝日新聞1930年11月2日「濃厚な大阪色 : 迷わぬ「色」の停車場」(神戸大学附属図書館 デジタルアーカイブ新聞記事文庫) 佐藤 博之、浅香 勝輔『民営鉄道の歴史がある景観1』(1986年7月、古今書院)p.189によれば、大林組所蔵の1931年当時の資料には「十月上旬 特命 阪神電気鉄道株式会社 神戸岩屋増設線、春日野道停留所工事」などの記述がある。 ^ 「ハンドブック阪神 1997」阪神電気鉄道株式会社、1997年 ^ 「ハンドブック阪神 2000」阪神電気鉄道株式会社、2000年 ^ 「ハンドブック阪神 2002」阪神電気鉄道株式会社、2002年 ^ 「ハンドブック阪神 2003」阪神電気鉄道株式会社、2003年 ^ 「ハンドブック阪神 2004」阪神電気鉄道株式会社、2004年 ^ 「ハンドブック阪神 2005」阪神電気鉄道株式会社、2005年 ^ 「ハンドブック阪神 2006」阪神電気鉄道株式会社、2006年 ^ 「ハンドブック阪神 2007」阪神電気鉄道株式会社、2007年 ^ 「ハンドブック阪神 2008」阪神電気鉄道株式会社、2008年 ^ 「ハンドブック阪神 2009」阪神電気鉄道株式会社、2009年 ^ 「ハンドブック阪神 2010」阪神電気鉄道株式会社、2010年 ^ 「ハンドブック阪神 2011」阪神電気鉄道株式会社、2011年 ^ 「ハンドブック阪神 2012」阪神電気鉄道株式会社、2012年 ^ ヤマダ電機HPテックランド神戸本店 ^ 「阪神電鉄 春日野道駅の改良工事に11月6日着手」阪神電気鉄道・神戸高速鉄道、2001年10月25日。この資料に「改良工事は、鉄道駅総合改善事業として国、兵庫県および神戸市の補助を得て、神戸高速鉄道が事業主体となり実施するもので、工事の施行は神戸高速鉄道から委託を受け、阪神電気鉄道が行う」という記述が見られる。 ^ “阪神「三宮」を「神戸三宮」に駅名変更、駅ナンバリングを導入し、すべてのお客さまに分かりやすい駅を目指します” (PDFlink) (プレスリリース), 阪神電気鉄道株式会社, (2013年4月30日), オリジナルの2016年4月8日時点によるアーカイブ。 2016年4月8日閲覧。 ^ “[アラカルト]3月20日=兵庫 ◆駅ナンバリング、神鉄が導入”. 読売新聞(大阪朝刊) (読売新聞大阪本社): p. p.32. (2014年3月20日) ^ 實地踏測神戸市街全圖(昭和5年6月10日印刷、昭和5年6月20日発行) - 国際日本文化研究センター 所蔵地図データベース 関連項目[編集] 日本の鉄道駅一覧 日本の同一駅名・同一市町村で所在地が異なる駅の一覧 美佐島駅 - 地下駅で通過列車があることから、当駅の島式ホーム時代と似た安全対策が取られている駅。 外部リンク[編集] ウィキメディア・コモンズには、春日野道駅 (阪神)に関連するカテゴリがあります。 春日野道駅(路線図・駅情報) - 阪神電気鉄道 [隠す] 表 話 編 歴 阪神電気鉄道 阪神電気鉄道 本線 梅田 - (出入橋) - 福島 - 野田 - 淀川 - 姫島 - 千船 - (千船信号場) - 杭瀬 - 大物 - (大阪難波・近鉄奈良方面<<)尼崎 - 出屋敷 - 尼崎センタープール前 - 武庫川 - (武庫川信号場) - 鳴尾 - 甲子園 - 久寿川 - 今津 - (西宮東口) - 西宮 - 香櫨園 - (堀切信号場) - 打出 - 芦屋 - 深江 - 青木 - 魚崎 - 住吉 - 御影 - 石屋川 - 新在家 - 大石 - 西灘 - 岩屋 - 春日野道 - 神戸三宮 - 元町(>>高速神戸・須磨浦公園・山陽姫路方面) 1933年路線切替区間:岩屋(旧) - 岩屋東口 - 岩屋西口 - 脇ノ浜 - 春日野道 - 新川 - 三ノ宮 - 滝道 カテゴリ: 神戸市中央区の鉄道駅日本の鉄道駅 か阪神電気鉄道の鉄道駅1905年開業の鉄道駅 案内メニュー ログインしていませんトーク投稿記録アカウント作成ログインページノート閲覧編集履歴表示検索 Wikipedia内を検索 表示 メインページ コミュニティ・ポータル 最近の出来事 新しいページ 最近の更新 おまかせ表示 練習用ページ アップロード (ウィキメディア・コモンズ) ヘルプ ヘルプ 井戸端 お知らせ バグの報告 寄付 ウィキペディアに関するお問い合わせ 印刷/書き出し ブックの新規作成 PDF 形式でダウンロード 印刷用バージョン 他のプロジェクト コモンズ ツール リンク元 関連ページの更新状況 ファイルをアップロード 特別ページ この版への固定リンク ページ情報 ウィキデータ項目 このページを引用 他言語版 English Esperanto リンクを編集 最終更新 2017年7月2日 (日) 13:41 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。 テキストはクリエイティブ・コモンズ 表示-継承ライセンスの下で利用可能です。追加の条件が適用される場合があります。詳細は利用規約を参照してください。 プライバシー・ポリシーウィキペディアについて免責事項開発者Cookieに関する声明モバイルビューWikimedia Foundation Powered by MediaWiki