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囲碁は、陣地を囲むゲームです。
RPGゲームやアクションゲームとは異なる思考で次の一手を考える、面白いゲームです。
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将棋に「ハサミ将棋」や「山崩し」があるように、囲碁にも「ポン抜きゲーム」/「石取りゲーム」があります。基本となる「アタリ」の習得に有用です。
ドンジャラも麻雀の基礎ルールの説明には有用ですね。


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当サイトに、お越しいただいて有難うございます。 一局の碁をお楽しみください。 当サイトで、御覧頂いているブラウザを使用して囲碁対局ができます。HTML5を使用するので、ソフトのインストールは不要です。 初心者の方も、対局できるようになっております。 ルールを知ったが、対局する機会がない人に最適です。ルールが解らない方は、申し訳ありませんが事前に習得して頂けれは幸いです。 囲碁のルールは単純なのでずか、ゲームは難しいです。 入門者もベテランもロボットと対局できるサイトは多々あります。
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Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0)

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Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0) --------- NHK杯テレビ囲碁トーナメント NHK杯テレビ囲碁トーナメント(NHKはいテレビいごトーナメント)とは日本放送協会が主催する囲碁の棋戦である。トーナメント方式で、優勝者には「NHK杯選手権者」(略して「NHK杯」)の称号が贈られ、次期の優勝者にその称号が贈られるまで主にNHKの囲碁番組内などで呼称される。対局はNHKのテレビスタジオで行われ、その模様はNHK教育テレビで毎週1局ずつ放送される(当初はNHKラジオ第2放送)。年度始めの4月に本選の放送がスタートし、年度末の翌年3月に決勝戦が行われる。 優勝賞金は500万円。1988年度からの優勝者と準優勝者はテレビ囲碁アジア選手権戦への出場権を得る。棋譜はNHK出版のテキスト『NHK囲碁講座』に掲載される。 目次 [非表示] 1 創設と歴史 2 対局ルール 3 名誉NHK杯 4 優勝記録 4.1 歴代優勝者 4.2 優勝回数 4.3 その他記録 5 テレビ放送 5.1 決勝戦 5.2 歴代の司会者 6 エピソード 7 備考 8 脚注 9 参考文献 10 関連項目 11 外部リンク 創設と歴史[編集] 1946年からラジオのNHK第2放送で日曜午後1時から、囲碁講座と、大手合の好局の解説を始め、やがて本因坊戦や十番碁も取り上げるようになり、囲碁が定期的に放送されることになった。特別番組として散発的にスタジオでの対局も行われていたが、1953年からトーナメント形式の「NHK杯争奪囲碁トーナメント」として開始。8人の出場者により、持時間50分、秒読み30秒で行い、毎週1時間ずつ、2週に分けて放送された。 第1回は島村利博が優勝、また第2回までで黒番が12勝2敗と優位であったため、第3回からはコミが4目半から5目半に改められた。1956年には放送時間が30分となり、持時間も25分に短縮された。 1961年4月に高川格とアマ本因坊村上文祥によるプロアマ本因坊の二子局が行われ、解説者と聞き手が大盤で解説を行う形で放送された。その後何回か試験的な放送がされ、1962年度第10回からトーナメントもテレビ放送に切り替えられた。1965年には初級者コーナーが作られ、出場者も16名となり、持時間も15分となった。 解説者は初期には長谷川章、棋譜読み上げは本田幸子が勤めた。 出場人数は下記: 第1 - 13回:8人 第14 - 24回:16人 第25 - 28回:26人 第29回 - :50人 対局ルール[編集] 互先で先番に6目半のコミが課される。持ち時間は無く、一手30秒の秒読み[1]。ただし途中1分単位で任意の10分間の考慮時間が設けられている。 名誉NHK杯[編集] 本棋戦を通算10回優勝すると、七大タイトル戦の名誉称号に相当するものとして、名誉NHK杯の称号が贈られる。2015年度終了時点で、名誉NHK杯の称号獲得者は坂田栄男(故人。優勝11回)のみである。 なお、坂田がNHK杯で打つ際は現在の選手権者同様、坂田名誉本因坊(二十三世本因坊)ではなく、坂田名誉NHK杯と呼ばれていた。 棋士 期 連覇 年 坂田栄男 11期 3連覇 1957-59、61-62、64-65、72、76-77、82 優勝記録[編集] 第64回(2016年度)までの最多優勝は坂田栄男の11回であり、次いで大竹英雄、依田紀基、結城聡が5回優勝している。 連覇したのは坂田栄男、依田紀基、結城聡の三人。またこの三人は三連覇も達成している。(坂田は第4~6回、依田は第45~47回、結城は第59~61回で三連覇を達成)。 最年長優勝は第29回(1981年度)の坂田栄男(当時62歳)、最年少優勝は第62回(2014年度)の伊田篤史(当時20歳)である。 歴代優勝者[編集] 回数 年度 優勝者 準優勝者 1 1953年 島村利博 高川格 2 1954年 岩本薫 藤沢朋斎 3 1955年 橋本宇太郎 坂田栄男 4 1956年 坂田栄男 藤沢朋斎 5 1957年 坂田栄男(2) 木谷実 6 1958年 坂田栄男(3) 高川格 7 1959年 木谷実 藤沢朋斎 8 1960年 坂田栄男(4) 木谷実 9 1961年 坂田栄男(5) 橋本宇太郎 10 1962年 橋本宇太郎(2) 藤沢秀行 11 1963年 坂田栄男(6) 藤沢秀行 12 1964年 坂田栄男(7) 宮下秀洋 13 1965年 高川秀格 藤沢秀行 14 1966年 橋本昌二 藤沢朋斎 15 1967年 大竹英雄 橋本昌二 16 1968年 藤沢秀行 藤沢朋斎 17 1969年 林海峰 坂田栄男 18 1970年 大竹英雄(2) 石田芳夫 19 1971年 坂田栄男(8) 大竹英雄 20 1972年 大竹英雄(3) 橋本昌二 21 1973年 林海峰(2) 加藤正夫 22 1974年 大竹英雄(4) 武宮正樹 23 1975年 坂田栄男(9) 呉清源 24 1976年 坂田栄男(10) 武宮正樹 25 1977年 林海峰(3) 大平修三 26 1978年 東野弘昭 高木祥一 27 1979年 橋本昌二(2) 趙治勲 28 1980年 藤沢秀行(2) 高木祥一 29 1981年 坂田栄男(11) 杉内雅男 30 1982年 趙治勲 大竹英雄 31 1983年 本田邦久 武宮正樹 32 1984年 橋本昌二(3) 石田芳夫 33 1985年 小林光一 武宮正樹 34 1986年 石田芳夫 林海峰 35 1987年 加藤正夫 王立誠 36 1988年 武宮正樹 小林覚 37 1989年 石田芳夫(2) 大竹英雄 38 1990年 依田紀基 王銘琬 39 1991年 趙治勲(2) 王立誠 40 1992年 依田紀基(2) 加藤正夫 41 1993年 大竹英雄(5) 加藤正夫 42 1994年 小林覚 清成哲也 43 1995年 趙治勲(3) 小林覚 44 1996年 王立誠 小林光一 45 1997年 依田紀基(3) 本田邦久 46 1998年 依田紀基(4) 東野弘昭 47 1999年 依田紀基(5) 今村俊也 48 2000年 石田芳夫(3) 趙治勲 49 2001年 張栩 羽根直樹 50 2002年 三村智保 王立誠 51 2003年 小林光一(2) 趙治勲 52 2004年 張栩(2) 依田紀基 53 2005年 羽根直樹 今村俊也 54 2006年 趙治勲(4) 結城聡 55 2007年 張栩(3) 趙治勲 56 2008年 結城聡 武宮正樹 57 2009年 結城聡(2) 井山裕太 58 2010年 山田規三生 依田紀基 59 2011年 結城聡(3) 羽根直樹 60 2012年 結城聡(4) 井山裕太 61 2013年 結城聡(5) 河野臨 62 2014年 伊田篤史 一力遼 63 2015年 張栩(4) 寺山怜 64 2016年 井山裕太 一力遼 優勝回数[編集] 順位 棋士 回数 1 坂田栄男 11回 2 大竹英雄 5回 依田紀基 結城聡 3 趙治勲 4回 張栩 その他記録[編集] 初出場優勝(第1回優勝者の島村俊廣を除く) 大竹英雄(第15回、当時25歳) 張栩(第49回、当時22歳) 伊田篤史(第62回、当時20歳) 最低段優勝 張栩(七段) テレビ放送[編集] 手数が長くなった場合、考慮時間や秒読みの時間が大幅にカットされる。 第57回(2009年度)の途中からはオープニングでの司会者の挨拶が廃止され、オープニング映像が終わると即座に先手と後手を決めるニギリが行われて対局が開始されるようになった(カメラ位置の関係から、ニギリの結果によっては、先後が席を入れ替わることもある)。だが第59回(2011年度)からはオープニングでの司会者の挨拶が復活し、代わりにニギリの場面は省略されるようになった。第58回(2010年度)と59回では、両対局者の対局前のインタビューも放送された。 放送時間より早く対局が終わった場合は時間になるまで局後の検討を行うことが多い。時間の余りが多い場合には、過去の対局のVTRを解説付きで放映することがある。 かつては将棋のNHK杯同様畳敷きの和室のスタジオセットの上に座って対局が行なわれたが、第45回(1997年度)より世界戦に合わせ、椅子対局に変更された。なお、対局に使われるテーブルは、通常の六寸盤をはめ込むための穴が開けてある特殊な物である。 画面では黒番の対局者が左側、白番の対局者が右側に来る様になっている。 第61回(2013年度)から、「私の一手」というコーナーがある。対局の放送終了後、勝ったほうの対局者が解説用の碁盤に石を並べ、勝利につながった手や、自分がいい手だったと思った自分の手を紹介する。 決勝戦[編集] 決勝戦の放送では司会をNHKアナウンサーが務め、番組冒頭、トーナメント表で勝ち上がりの結果を大まかに伝える。その後、アナウンサーが解説者と聞き手の紹介を行う。アナウンサーが聞き手に番組の進行を引き渡した以降は決勝戦以外の対局と実質的には同じである。番組最後の部分では準優勝者に賞状、優勝者にNHK杯(優勝カップ)と賞状が贈呈される様子を放送し(「NHK杯選手権者」の称号を贈ることは賞状に記されている)、それぞれの対局者が感想を語る。最後に司会者が次期の放送予定を伝えて番組は終わる。 歴代の司会者[編集] 放送開始 - 1983年度:大橋俊雄 1984 - 1993年度:小川誠子(一時真門和子が担当) 1994 - 1995年度:原幸子 1996 - 1997年度:梅沢由香里 1998 - 1999年度:穂坂繭 2000 - 2001年度:稲葉禄子 2002 - 2003年度:万波佳奈 2004 - 2005年度:青葉かおり 2006 - 2008年度:中島美絵子 2009 - 2011年度:万波奈穂 2012 - 2014年度:下坂美織 2015年度 - :長島梢恵 エピソード[編集] アタリに突っ込む 第54回(2006年度)の1回戦、中野泰宏九段と石田芳夫九段が対局。中盤、石田に見損じがあり、ヨセに入った段階では黒番の中野が優勢と目されていた[2]。ところが271手目、中野が自らの石のダメを詰め、5子を取られに行くという大失着を犯し(その結果、左辺の大石が全て取られる)、中野は投了した。その際解説の小林光一は「あれ…あっ、えっ!えええっ!…いやいやいやいやいや、いや~!」「いや~、いや凄い見損じだなこれは…」と驚きの声を上げた。 その後この事件は関西棋院発行の囲碁かるたにも「アタリに突っ込むプロもいる」として詠まれた。のちに中野は「目算に集中していて、正しい手を打ったつもりだったが間違えた」「石田先生には本当に申し訳ないことをした」と言っており、関西棋院による自身の棋士紹介ページにも「アタリ事件を忘れないでください」と書いていた時期があった。 名人が欠場 依田紀基は第50回(2002年度)、名人位にあったにも関わらず出場していない。これは、依田がよく対局日に寝坊をし、時間に遅れて来るためと説明されたが、後にこのことで依田とNHK側で主張の食い違いがありトラブルになった。しかしその後和解し、第52回(2004年度)には準優勝を果たしている。 石の下 第58回(2010年度)の2回戦、今村俊也九段対村川大介七段の対局。黒の今村が中盤まで有利に進め、黒優勢と目されていた。ヨセに入り、途中村川が時間つなぎと思われるキリを打った。そこから、今村が白4子を取った後に村川がキリを入れ、黒の4子がまた取り返されるという「石の下」が発生。石の下は典型的な手筋としてよくある形ではあるが、実戦で発生することは大変稀で、解説の横田は「実戦で見たのは初めてですね」と驚いた。ここから形勢が逆転し、白の3目半勝ちとなった。 喫煙 坂田栄男や藤沢秀行などは、対局中喫煙することがあった[3]。 47回(1999年度)には宮沢吾朗が喫煙し、その際「LARK」のパッケージが画面に映された。 備考[編集] 2004年10月24日放送予定分は新潟県中越地震に伴う安否確認放送の為、25日 3:00~5:00に放映され更に31日 1:25~3:25に改めて再放送を行った。 CSの囲碁将棋チャンネルでは『NHK杯テレビ囲碁トーナメント選』として1980年代のNHK杯テレビ囲碁トーナメントの対局を放送している(2012年10月現在、月曜日20:00~)。 脚注[編集] ^ かつては持ち時間5分の時代もあったが、現在はない。 ^ 解説によると、盤面13目差で黒が優勢。 ^ 坂田は第29回の杉内雅男戦、藤沢は第37回の加藤正夫戦等で喫煙が確認できる 参考文献[編集] 坂田栄男『囲碁百年 3 実力主義の時代』平凡社 1969年 関連項目[編集] NHK杯テレビ将棋トーナメント 外部リンク[編集] NHK杯テレビ囲碁トーナメント大会 --------- NHK囲碁講座 『NHK囲碁講座』(エヌエイチケイいごこうざ)は、NHK出版発行の月刊誌で、1986年から刊行(当初は日本放送出版協会発行)、NHK教育テレビで放送される『囲碁の時間』(2012年からは『囲碁フォーカス』)の囲碁講座、及びNHK杯テレビ囲碁トーナメントの内容、その他の囲碁情報を掲載する。 主な内容[編集] カラーグラビア テレビ囲碁講座テキスト 発行月の各週の講座のテキスト NHK杯テレビ囲碁トーナメント 棋譜、解説、写真 少年少女囲碁大会、テレビ囲碁アジア選手権戦、その他プロ、アマチュアの囲碁棋戦の結果、棋譜等 囲碁フォーカス「シリーズ棋士に聞く 敗れざる棋士たち」 各種囲碁講座 段・級囲認定 次の一手 各種エッセイ(棋士、著名人など) 連載記事の単行本化[編集] 大島正雄、松田一輝『コミック奥義秘伝囲碁3000年』2000年(1992〜97年連載) 横田茂昭『横田茂昭のこの厚みは星なんぼ?』2010年(2009年連載) 先崎学『先ちゃんの囲碁放浪記 桂馬の両アタリ』2014年(2007年連載) 万波佳奈、万波奈穂『NHK囲碁シリーズ 万波姉妹の明日は勝てるマジカル手筋』2014年(2013年連載) 他多数 外部リンク[編集] NHK出版「NHK囲碁講座」 --------- 垂仁天皇 垂仁天皇 第11代天皇 在位期間 垂仁天皇元年1月2日 - 垂仁天皇99年7月14日 先代 崇神天皇 次代 景行天皇 陵所 菅原伏見東陵 諱 活目入彦五十狭茅? 別称 活目入彦五十狭茅尊 活目尊 等 父親 崇神天皇 母親 御間城姫命 皇后 狭穂姫命 日葉酢媛命 子女 景行天皇 他 皇居 纒向珠城宮 テンプレートを表示 垂仁天皇(すいにんてんのう、崇神天皇29年1月1日 - 垂仁天皇99年7月14日)は第11代天皇(在位:垂仁天皇元年1月2日 - 垂仁天皇99年7月14日)。活目入彦五十狭茅尊(いくめいりびこいさちのみこと)・活目尊等と称され、『古事記』には「伊久米伊理毘古伊佐知命(いくめいりびこいさちのみこと)」、『常陸国風土記』には「伊久米天皇」、『令集解』所引「古記」に「生目天皇」、『上宮記』逸文に「伊久牟尼利比古(いくむにりひこ)大王」と見える。『日本書紀』、『古事記』に見える事績は総じて起源譚の性格が強いとして、その史実性を疑問視する説もあったが、近年においてはその実在を認めることが多い[1]。 目次 [非表示] 1 系譜 1.1 系図 2 事績 3 宮 4 陵・霊廟 5 在位年と西暦との対照 6 脚注 7 外部リンク 系譜[編集] 崇神天皇の第3皇子。生母は御間城姫命(みまきひめのみこと)。 皇后(前):狭穂姫命(彦坐王の女)。垂仁天皇5年に焼死したとされる 誉津別命 皇后(後):日葉酢媛命(丹波道主王の女) 五十瓊敷入彦命 大足彦忍代別尊(おおたらしひこおしろわけのみこと、景行天皇) 大中姫命(おおなかつひめのみこと、『古事記』には大中津日子命) 倭姫命。初代斎宮 稚城瓊入彦命(わかきにいりひこのみこと) 妃:渟葉田瓊入媛(ぬばたにいりひめ。日葉酢媛の妹) 鐸石別命(ぬてしわけのみこと)。和気氏の祖 胆香足姫命(いかたらしひめのみこと) 妃:真砥野媛(まとのひめ。日葉酢媛の妹) 妃:薊瓊入媛(あざみにいりひめ。同上) 息速別命 稚浅津姫命(わかあさつひめのみこと) 妃:迦具夜比売(かぐやひめ。大筒木垂根王の女)。かぐや姫のモデル? 袁那弁王(おなべのみこ、『古事記』のみ) 妃:綺戸辺(かにはたとべ、弟苅羽田刀弁。山背大国不遅の女) 磐衝別命。三尾氏の祖 両道入姫命(ふたじいりひめのみこと、石衝毘売命)。日本武尊の妃、仲哀天皇の母 妃:苅幡戸辺(かりはたとべ、苅羽田刀弁)。弟苅羽田刀弁の姉 祖別命(おおちわけのみこと、落別王・於知別命・意知別命)。伊賀国造・小槻氏の祖 五十日足彦命(いかたらしひこのみこと)。石田君らの祖。 胆武別命(伊登志別王) 母親未詳 円目王(『令集解』に見える) 系図[編集] 豊城入彦命 [毛野氏族] 10 崇神天皇 11 垂仁天皇 12 景行天皇 日本武尊 14 仲哀天皇 倭姫命 13 成務天皇  彦坐王 丹波道主命  山代之大 筒木真若王 迦邇米雷王  息長宿禰王 神功皇后 (仲哀皇后) 15 応神天皇 16 仁徳天皇 17 履中天皇 市辺押磐皇子 飯豊青皇女 18 反正天皇 24 仁賢天皇 手白香皇女 (継体皇后) 菟道稚郎子皇子 23 顕宗天皇 25 武烈天皇 19 允恭天皇 木梨軽皇子 20 安康天皇 21 雄略天皇 22 清寧天皇 春日大娘皇女 (仁賢皇后) 稚野毛 二派皇子  意富富杼王  乎非王 彦主人王 26 継体天皇 忍坂大中姫 (允恭皇后) 事績[編集] 『日本書紀』の編年に拠る。 崇神天皇29年1月1日に誕生。同48年4月、崇神天皇の夢の前兆により皇太子に立てられる。 垂仁天皇元年1月即位。翌2年2月に狭穂姫を立后、10月、纒向に遷都した。 同3年3月、新羅王子の天日槍が神宝を奉じて来朝。 同5年10月、皇后の兄・狭穂彦が叛乱を起こし、皇后は兄に従って焼死。 同7年7月、野見宿禰が当麻蹴速と相撲をとり蹴殺す(相撲節会の起源説話)。 同15年2月、丹波道主王の女たちを後宮に入れ、8月にその中から日葉酢媛を皇后とした。 同25年3月、天照大神の祭祀を皇女の倭姫命に託す(元伊勢伝承)。 同27年8月、諸神社に武器を献納し、神地・神戸を定める。この年、来目(奈良県橿原市久米町)に初めて屯倉を興す。 同28年、殉死の禁令。 同32年7月、日葉酢媛が薨去。野見宿禰の進言に従い、殉死の風に替えて埴輪を埋納する(埴輪の起源説話)。『古事記』に「石祝(棺か)作りを定め、土師部(はにしべ)を定めたまいき」とある。石棺を作る部民や赤土で種々の器を作る部民を定めたというのである。 同35年、河内国の高石池や茅渟(ちぬ)池を始め、諸国に多くの池溝を開いて、農業を盛んにしたと伝える。 同39年10月、五十瓊敷命が剣千振を作り、石上神宮に納める。この後、五十瓊敷命に命じて、同神宮の神宝を掌らせる。 同90年2月、田道間守に命じて、常世国の非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)を求めさせる。 同99年7月、崩御。140歳(『日本書紀』)、153歳(『古事記』)、139歳(『大日本史』)。12月、菅原伏見陵に葬られた。『住吉大社神代記』には、在位53年で辛未年に崩御したとあり、これは『書紀』の編年と相違する点で注目される(『書紀』の垂仁天皇99年を計算すると庚午)。 宮[編集] 垂仁天皇 纒向珠城宮跡碑 (奈良県桜井市) 宮(皇居)の名称は、『日本書紀』では纒向珠城宮(まきむくのたまきのみや)、『古事記』では師木玉垣宮(しきのたまかきのみや)。伝承地は奈良県桜井市穴師周辺。 なお京都府久世郡久御山町市田の地には宮城跡とされる地域があり、その地には垂仁天皇と和気清麻呂を祭った珠城神社(久世郡久御山町大字市田小字珠城2-1)がある。 陵・霊廟[編集] 垂仁天皇 菅原伏見東陵 (奈良県奈良市) 垂仁天皇の陵(みささぎ)は、宮内庁により奈良県奈良市尼辻西町にある菅原伏見東陵(すがわらのふしみのひがしのみささぎ)に治定されている。公式形式は前方後円。考古学名は「宝来山古墳」(前方後円墳、全長227m)。 『古事記』には「御陵は菅原の御立野(みたちの)の中にあり」、『日本書紀』には「菅原伏見陵(すがわらのふしみのみささぎ)」、『続日本紀』には「櫛見山陵」とある。『延喜式』諸陵寮には「菅原伏見東陵(すがわらのふしみのひがしのみささぎ)」と記される。 現在の宝来山古墳の濠の中、南東に田道間守の墓とされる小島がある。この位置は、かつての濠の堤上に相当し、濠を貯水のため拡張して、島状になったと推測される。しかし、戸田忠至等による文久の修陵図では、この墓らしきものは描かれていない。 また皇居では、皇霊殿(宮中三殿の1つ)において他の歴代天皇・皇族とともに天皇の霊が祀られている。 在位年と西暦との対照[編集] 垂仁天皇の在位年について、実態は明らかでない。『日本書紀』に記述される在位を機械的に西暦に置き換えた年代については「上古天皇の在位年と西暦対照表の一覧」を参照。 脚注[編集] ^ 吉村武彦「列島の文明化と律令制国家の形成(稿)」『古代学研究所紀要』第21号(2014)明治大学日本古代学研究所 外部リンク[編集] 菅原伏見東陵 - 宮内庁 [表示] 表 話 編 歴 天皇旗 天皇一覧 菊の御紋 カテゴリ: 日本の天皇 案内メニュー ログインしていませんトーク投稿記録アカウント作成ログインページノート閲覧編集履歴表示検索 Wikipedia内を検索 表示 メインページ コミュニティ・ポータル 最近の出来事 新しいページ 最近の更新 おまかせ表示 練習用ページ アップロード (ウィキメディア・コモンズ) ヘルプ ヘルプ 井戸端 お知らせ バグの報告 寄付 ウィキペディアに関するお問い合わせ 印刷/書き出し ブックの新規作成 PDF 形式でダウンロード 印刷用バージョン 他のプロジェクト コモンズ ツール リンク元 関連ページの更新状況 ファイルをアップロード 特別ページ この版への固定リンク ページ情報 ウィキデータ項目 このページを引用 他言語版 العربية English Español Français Bahasa Indonesia 한국어 Português Русский 中文 他 20 リンクを編集 最終更新 2017年5月11日 (木) 00:52 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。 テキストはクリエイティブ・コモンズ 表示-継承ライセンスの下で利用可能です。追加の条件が適用される場合があります。詳細は利用規約を参照してください。 プライバシー・ポリシーウィキペディアについて免責事項開発者Cookieに関する声明モバイルビューWikimedia Foundation Powered by MediaWiki --------- --------- --------- ---------