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囲碁は、陣地を囲むゲームです。
RPGゲームやアクションゲームとは異なる思考で次の一手を考える、面白いゲームです。
将棋、チェスと並ぶ、究極の思考ゲームとも言われます。
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ドンジャラも麻雀の基礎ルールの説明には有用ですね。


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当サイトに、お越しいただいて有難うございます。 一局の碁をお楽しみください。 当サイトで、御覧頂いているブラウザを使用して囲碁対局ができます。HTML5を使用するので、ソフトのインストールは不要です。 初心者の方も、対局できるようになっております。 ルールを知ったが、対局する機会がない人に最適です。ルールが解らない方は、申し訳ありませんが事前に習得して頂けれは幸いです。 囲碁のルールは単純なのでずか、ゲームは難しいです。 入門者もベテランもロボットと対局できるサイトは多々あります。
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Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0)

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Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0) 未完の対局 『未完の対局』(みかんのたいきょく)は、日中国交正常化10周年記念映画として製作された、戦後初の日中合作映画。1982年公開。大正から日中戦争を挟んだ昭和にかけて、日本と中国の囲碁の天才棋士の交流を描いた作品。同名のノベライゼーションも出版されている。 目次 [非表示] 1 諸元 2 制作の経緯 3 あらすじ 4 キャスト 5 受賞・評価 5.1 受賞 5.2 評価等 6 ノベライゼーション 7 脚注 8 参考文献 9 関連項目 10 外部リンク 諸元[編集] 製作 「未完の対局」製作委員会(東光徳間、北京電影制片廠) 配給 日本では東宝にて配給 監督 佐藤純彌、段吉順 134分 制作の経緯[編集] 1979年に北京映画撮影所発行「電影制片」7月号に、李洪洲、葛康同の共同名による文学台本「一盤没有下完的棋」が発表され、これを読んで感動した北京映画撮影所の李華が日中合作による映画化を大映社長徳間康快に提案した。監督には日本側は中村登が予定されたが、制作途中の1981年に中村が死去したため、『君よ憤怒の河を渉れ』が中国で大ヒットした佐藤純彌を起用。中国側の主演も当初は中国映画界の大スター趙丹だったがクランクイン直前にガンで死去、孫道臨に変更された。日本側では興行的要素から主人公を棋士以外とすることを提案したが、中国側の熱意でこれを変更することはせず、脚本を安部徹郎、脚本改訂を神波史男で撮影台本を完成させる。 あらすじ[編集] 1924年(大正13年)、日本の棋士松波麟作六段は中国を訪れ、江南の棋王と呼ばれる況易山と対局するが、官憲の妨害が入って中断する。松波は易山の息子阿明の才能を見込み、日本で囲碁の修行をさせるために引き取るが、その後日中は戦争の波に飲み込まれる。阿明は天分を発揮し、1941年(昭和16年)に天聖位に就くが、軍部に日本帰化を強要され、密航により中国帰国を企てるが憲兵に射殺される。戦争が終り、1960年(昭和35年)に第1回日中囲碁交流の代表団として訪中した松波は易山と再会する。 本作の登場人物は、1928年に14歳で来日した呉清源とそのライバル木谷實を思わせる点もある。実際の呉清源は戦前、戦後にかけて日本囲碁界の第一人者となったが、中国側の脚本家は呉清源の故事が念頭にあったことを述べている。[1] キャスト[編集] 況易山:孫道臨 松波麟作:三國連太郎 况阿明(少年時代):劉新 况阿明:沈冠初 况巴(松波の娘):紺野美沙子 恩田忍(松波の妹):三田佳子 况華林(阿明と巴の娘):伊藤つかさ 况婉怡:黄宗英 况阿恵(少女時代):茅為恵 况阿恵:沈丹萍 関小舟:杜彭 恩田雄二:山本亘 森川:石田純一 森川よね:乙羽信子 立花医師:松坂慶子 張医師:于紹康 篠原八段:中野誠也 橋本隆吉:大滝秀治 黒田参謀:待田京介 尾崎大佐:室田日出男 情報局・滝井:小林稔侍 小阿恵:張磊 張医院の書生:林道紀 警察署長:織本順吉 日本領事:鈴木瑞穂 日華會館婦 : 小川眞由美 受賞・評価[編集] 受賞[編集] 1982年度毎日映画コンクール日本映画優秀賞、音楽賞(林光、江定仙)、録音賞(橋本文雄、呂慶昌) 1983年モントリオール世界映画祭グランプリ 1983年日本アカデミー賞優秀作品賞 1983年金鶏奨特別賞 1983年文化部優秀作品賞 評価等[編集] 中国では制作段階から大きく評判になり、ロケ先の各地方では大歓迎を受けた。[2] 中国側の脚本家は陳祖徳とも親しいなど囲碁に理解が深かったが、日本側スタッフは囲碁に詳しくないためか、対局の場面に迫力がないとの批判もある。[3] 日本国内では作品内容に関して右翼が反発し、上映を妨害する事件が発生した。 ノベライゼーション[編集] 映画制作と並行してノベライゼーション『未完の対局』が南里征典によって書かれ、公開と同時に刊行された。 脚注[編集] ^ 松島利行『囲碁と映画の文化論(21)』(「碁ワールド」誌2005年1月号) ^ 南里征典『未完の対局』あとがきにかえて ^ 松島利行『囲碁と映画の文化論(18)』(「碁ワールド」誌2004年12月号) 参考文献[編集] 南里征典『未完の対局』徳間書店 1982年 関連項目[編集] 江ノ島電鉄800形電車 - 「青電」塗装に変更され、本作の撮影で使用された。 外部リンク[編集] 未完の対局 - allcinema 未完の対局 - KINENOTE The Go Masters - AllMovie(英語) Mikan no taikyoku - インターネット・ムービー・データベース(英語) 青森県 あおもりけん 青森県 OiraseValley2.JPG 奥入瀬渓流 青森県の旗 青森県章 青森県旗 青森県章 国 日本の旗 日本 地方 東北地方 団体コード 02000-1 ISO 3166-2:JP JP-02 面積 9,645.56km² 総人口 1,282,136人 (推計人口、2017年5月1日) 人口密度 133人/km² 隣接都道府県 岩手県、秋田県、北海道 県の木 ヒバ 県の花 リンゴの花 県の鳥 ハクチョウ 他のシンボル 県の魚 : ヒラメ 県の歌 : 青森県賛歌(1971年制定) 県民の歌 : 青い森のメッセージ(2001年制定) 青森県庁 知事 三村申吾 法人番号 2000020020001 所在地 〒030-8570 青森県青森市長島一丁目1番1号 北緯40度49分 東経140度44分 青森県庁 外部リンク 青森県庁 青森県の位置 青森県行政区画図 ■ ― 市 / ■ ― 町 / ■ ― 村 地理院地図 Googleマップ Bing GeoHack MapFan Mapion Yahoo! NAVITIME ゼンリン ウィキポータル 日本の都道府県/青森県 表示・ノート・編集・履歴 ウィキプロジェクト 青森県(あおもりけん)は、日本の本州最北端に位置する県である。県庁所在地は青森市。県の人口は全国31位、面積は全国8位である。令制国の陸奥国(むつのくに、りくおうのくに)で構成される。 目次 [非表示] 1 概要 2 名称 3 地理・地域 3.1 地形 3.2 広袤(こうぼう) 3.3 自然公園 3.4 気候 3.5 自治体 3.6 都市圏 3.7 地域区分 4 歴史 4.1 先史 4.2 古代 4.3 中世 4.4 近世 4.5 青森県の成立 4.6 近代以降の年表 4.6.1 明治 - 昭和初期(戦前) 4.6.2 戦後 5 人口 5.1 概況 5.1.1 収入と家計 5.2 趨勢 5.3 出生・死亡 5.4 転出・転入 5.4.1 県外移動後の住所地(2008年) 5.4.2 年齢別県外転出入の状況 5.5 平均寿命・平均余命 5.6 乳幼児・新生児 5.6.1 死亡数 5.6.2 婚前妊娠率の割合 5.7 婚姻数・離婚数 5.8 生活保護世帯 5.9 市町村の人口統計 6 政治・行政 6.1 国政 6.2 県政 6.3 財政 6.4 姉妹地域・提携地域 6.5 軍事 6.5.1 自衛隊 6.5.2 在日米軍 6.5.3 軍事史 7 経済・産業 7.1 農業 7.2 林業 7.3 水産業 7.4 商工業 7.5 エネルギー産業 7.6 青森県内に本社を置く企業 8 生活・交通 8.1 警察 8.2 交通 8.2.1 空港 8.2.2 鉄道 8.2.3 海路 8.2.4 道路 8.2.4.1 高速自動車国道 8.2.4.2 有料道路 8.2.4.3 一般国道 8.2.4.4 県道・主要地方道 8.2.5 路線バス 8.3 医療・福祉 8.4 教育 8.5 マスメディア 8.5.1 新聞 8.5.2 テレビ局 8.5.2.1 ケーブルテレビ 8.5.3 ラジオ局 9 文化・スポーツ 9.1 方言 9.2 食文化 9.3 伝統工芸 9.4 生活文化 9.5 スポーツ 10 観光 11 姉妹地域・提携地域 12 青森県出身の人物 13 青森県を舞台とした作品 13.1 映画 13.2 小説 13.3 紀行文 13.4 アニメ 13.5 ドラマ 13.6 ドキュメンタリー 13.7 漫画 13.8 音楽 14 脚注 15 関連項目 16 外部リンク 概要[編集] 青森県は、東北地方の北部に位置する本州北端の県である。県庁所在地は青森市。県の人口は約130万人で、日本の総人口の約1%を占め、県面積は9,644km2で、国土の約2.5%を占める。県内の市町村数は40で、うち市は10、郡は8、22の町と8の村がある。県人口の52%は青森市、八戸市、弘前市に居住する。 東は太平洋、西は日本海、北は津軽海峡に面し、太平洋側の南に岩手県、日本海側の南に秋田県が隣接し、津軽海峡の対岸に北海道が位置する。同海峡の中央部は公海[1](但し日本の排他的経済水域[2])であるが、同海峡を潜る青函隧道は公海下も日本の領土であり、ここで東津軽郡外ヶ浜町と北海道松前郡福島町が隣接している[3]。 世界遺産白神山地を有し、景勝地十和田湖をはじめ八甲田山、岩木山、下北半島の仏ヶ浦などの自然環境が数多く残されている。青森県の中央部には奥羽山脈が縦走し、西側の津軽地方と東側が南部地方(三八地方・上北地方・下北地方)ではそれぞれ異なる歴史や気候、文化、風土を持つ。 青森県は全国有数の農業産出県であり、食料自給率はカロリーベースで118%である[4]。主要な出荷品目はリンゴ、ナガイモ、ニンニクが全国一の生産量である。漁業においても全国有数の水揚高を誇る八戸港があり、サバ、イカが国内一の水揚げがあり、全国に出荷されている。 県南部では国策で建設された八戸臨海工業地帯があり、火力発電所、製紙工場、電気機器工場、造船所およびその関連産業が立地する。下北半島ではむつ小川原湖周辺に国家事業の原子力関連施設の建設が続いている。核燃料サイクル施設や国際原子力機関のITER関連施設、原子力発電所が立地し、県内主要企業の日本原燃が本社を置く。他に、県内には国内で最大級の風力発電施設がある。 県内には青森空港と三沢空港があり、東北新幹線が新青森駅から東京駅まで最短2時間59分で結び、北海道新幹線が青函トンネルにより北海道と結ぶ。在来線は青い森鉄道線、弘南鉄道(弘南線・大鰐線)、奥羽本線などがある。主要道路は東北縦貫自動車道弘前線および八戸線(八戸自動車道)、国道4号が日本橋と青森市を終点にして通る。国道7号が新潟市と青森市を結ぶ。また青森港、八戸港から北海道を結ぶカーフェリー八戸港から国際コンテナ航路が就航している。 祭りは青森ねぶた祭、弘前ねぷたまつり、五所川原立佞武多、八戸三社大祭などが有名である。県内では縄文時代の遺跡が数多く出土し、三内丸山遺跡(青森市)や二ツ森貝塚、是川遺跡(八戸市)などで住居や土器および土偶が発見されている。 県の失業率は6.1%(2010年 モデル推計値)で、ドイツ(2011年)と同じ値である[5]。県民の平均年収は247.6万円(2008年 現金付与額)[6]。2011年現在の県の有効求人倍率は、0.42倍で、都市別では高い順に、八戸(0.51倍)、青森(0.48倍)、野辺地(0.48倍)、弘前(0.42倍)[7][8]。県では2005年から2008年までの平均の社会減数が9,263人の転出超過で[9]高校卒業時に約5600人が転出[10][11][12]、大学卒業時の転出は2270人である[13]。20歳から24歳の転出理由の60.7%は他県への就職を理由としている[14]。青森県は2004年に青森県若年者就職支援センター(ジョブカフェあおもり)を設置し、高校生から40歳までを対象として、青森、八戸、弘前、むつで就労支援を実施している[15]。 名称[編集] 明治4年(1871年)9月に当時弘前町に設置されていた県庁が青森町に移設された際に、県庁所在地の地名がそのまま採用されたものである。「青森」という地名は、江戸時代前期の寛永元年(1624年)に弘前藩が現在の青森市の場所に港町の建設を始めたときに名付けられたもので、現在の青森市本町付近に海上からの目印になる青い森があったことが由来とされている(当該「森」は現在は消失。)。[16] この場合の[青]は英語の[blue]の意味ではなく、中国語の(日本語も)意味の[green]を含んでいる[青]である為、実際は[緑の森]に見えた。 地理・地域[編集] 2001年5月30日地球観測衛星テラ搭載のMODISセンサにより撮影 県中央部の陸奥湾を東側の下北半島と西側の津軽半島が取り囲む県の形は、県章にそのまま図案化されており、その特徴的な形や本州最北端の位置関係から、全国的な認知度は高い。小・中学生を対象とした調査では、北海道・沖縄県に青森県を含めた3道県が、他の都府県に比べ突出した認知度を有する結果となっている[17][18]。 地形[編集] 半島 津軽半島 下北半島 夏泊半島 山脈、山地 奥羽山脈 津軽山地 白神山地 恐山山地 山、丘 岩木山 八甲田山 釜臥山 下北丘陵 階上岳 名久井岳 恐山 四角岳 櫛ヶ峯 乗鞍岳 白神岳 平野、台地 津軽平野 青森平野 三本木原台地 河川 奥入瀬川 岩木川 赤石川 馬淵川 高瀬川 田名部川 新井田川 湖沼 十和田湖 小川原湖 十三湖 宇曽利湖 鷹架沼 津軽富士見湖(廻堰大溜池) 十二湖 田面木沼 岬、崎 竜飛崎 大間崎 尻屋崎 黄金崎(艫作崎) 大戸瀬崎 鳥居崎 夏泊崎 高野崎 小泊岬 牛ノ首岬 島 弁天島 久六島 鯛島 茂浦島 湯の島 蕪島 海峡、湾港、海岸 津軽海峡 平舘海峡 陸奥湾 野辺地湾 青森湾 大湊湾 芦崎湾 三厩湾 七里長浜 淋代海岸 仏ヶ浦 広袤(こうぼう)[編集] [表示]節内の全座標を示した地図 - OSM 節内の全座標を示した地図 - Google 国土地理院の全国都道府県市区町村別面積調によると、青森県の面積は9645.56平方キロメートルである[19]。 青森県の東西南北それぞれの端、および、都道府県界未確定部分に仮の境界線を入れて求めた重心は以下の位置である[20][21]。北端は弁天島 (大間町)、南端は花木ダムの約4キロ南、東端は階上町立小舟渡小学校の東側の海岸線、西端は久六島にある。また統計局の平成22年国勢調査によると、人口重心は青森市駒込の田代平湿原付近にある[22]。 重心 北緯40度46分59秒東経140度49分42秒 北端 北緯41度33分22秒東経140度54分42秒 ↑ 人口重心 北緯40度42分47.2秒東経140度54分60秒 西端 北緯40度32分03秒東経139度29分49秒← 青森県庁舎所在地 北緯40度49分28秒東経140度44分24秒 東端 →北緯40度27分07秒東経141度41分00秒 ↓ 南端 北緯40度13分04秒東経141度00分46秒 自然公園[編集] 国立公園 2箇所 十和田八幡平国立公園、三陸復興国立公園 国定公園 2箇所 下北半島国定公園、津軽国定公園 県立自然公園 7箇所 浅虫夏泊県立自然公園、大鰐碇ヶ関温泉郷県立自然公園、名久井岳県立自然公園、芦野池沼群県立自然公園、黒石温泉郷県立自然公園、岩木高原県立自然公園、赤石渓流暗門の滝県立自然公園 気候[編集] 日本海側気候の地域(2:青色) 太平洋岸気候の地域(緑色) 県内全域が豪雪地帯に指定されており、そのうち一部地域は特別豪雪地帯に指定されている。また、青森市は都道府県庁所在地都市では唯一、市域すべてが特別豪雪地帯に指定されている。 那須火山帯の山麓および西側は日本海側気候。それ以外の地域は太平洋側気候。 ケッペンの気候区分でいうと、下北半島など太平洋側の一部は夏も冷涼のため、定義上では西岸海洋性気候とされることもある。また、山岳地帯や碇ヶ関など南部の内陸部は亜寒帯(冷帯)湿潤気候である。 南部ほど内陸性気候のため、寒さが厳しく、北部は海洋性気候のため寒さはそれほど厳しくない。特に、日本海側沿岸部は緯度の割には温暖であるが冬季の日照時間は非常に少ない。太平洋側の内陸部を除き、全般に日較差は小さく、岩手県などと比べても寒さは厳しくないが、青森市の酸ヶ湯(標高890m)は日中の気温が低いことで有名であり、1月の平均最高気温は−5.5°Cにしかならない。また、日本有数の豪雪地でもある。 深浦 気象庁 深浦 青森 気象庁 青森 むつ 気象庁 むつ 八戸 気象庁 八戸 青森県各地の平年値(統計期間:1971年 - 2000年、出典:気象庁・気象統計情報) 平年値 (月単位) 東青津軽 北五津軽 西津軽 中南津軽 青森 青森市 青森大谷 青森市 酸ケ湯 今別 外ヶ浜町 蟹田 五所川原市 市浦 五所川原 鰺ヶ沢 深浦 黒石 弘前 平川市 碇ヶ関 平均 気温 (°C) 最暖月 23.0 (8月) 18.4 (8月) 22.0 (8月) 22.0 (8月) 22.4 (8月) 23.1 (8月) 22.6 (8月) 23.1 (8月) 22.8 (8月) 23.3 (8月) 22.9 (8月) 最寒月 −1.4 (1月) −7.8 (1月) −1.2 (1月) −1.7 (1月) −0.9 (1月) −1.6 (1月) −0.7 (1月) −0.4 (1月) −2.1 (1月) −2.0 (1月) −3.1 (1月) 降水量 (mm) 最多月 148.6 (12月) 175.2 (9月) 169.8 (9月) 125.7 (9月) 132.2 (9月) 149.9 (9月) 176.0 (9月) 116.7 (9月) 124.9 (8月) 174.9 (8月) 最少月 60.7 (4月) 82.0 (3月) 67.9 (3月) 57.2 (3月) 57.2 (4月) 65.3 (3月) 77.3 (2月) 45.2 (3月) 62.3 (4月) 98.6 (6月) 平年値 (月単位) 下北 三八上北 大間 むつ むつ市 脇野沢 東通 小田野沢 六ヶ所 野辺地 三沢 十和田 十和田市 休屋 八戸 三戸 平均 気温 (°C) 最暖月 21.5 (8月) 21.7 (8月) 21.6 (8月) 20.7 (8月) 21.4 (8月) 22.1 (8月) 21.8 (8月) 21.0 (8月) 22.3 (8月) 22.9 (8月) 最寒月 −0.4 (1月) −1.6 (1月) −0.9 (1月) −1.4 (1月) −1.7 (1月) −1.4 (1月) −2.0 (1月) −3.9 (1月) −1.2 (1月) −2.1 (1月) 降水量 (mm) 最多月 168.5 (8月) 172.7 (9月) 164.4 (9月) 172.2 (9月) 173.9 (9月) 170.8 (9月) 164.3 (9月) 202.8 (8月) 167.7 (9月) 166.8 (9月) 最少月 55.0 (2月) 77.3 (3月) 60.0 (3月) 48.3 (2月) 53.3 (3月) 38.9 (1月) 28.5 (1月) 63.7 (1月) 41.7 (12月) 40.3 (1月) 自治体[編集] 青森県の地方行政区分を示した地図 以下の10市8郡22町8村がある。町の読み方はおいらせ町、南部町、階上町が「ちょう」、その他は「まち」である。村はすべて「むら」と読む。 市部 青森市(県庁所在地) 弘前市 八戸市 黒石市 五所川原市 十和田市 三沢市 むつ市 つがる市 平川市 郡部 東津軽郡 平内町 - 今別町 - 蓬田村 - 外ヶ浜町 西津軽郡 鰺ヶ沢町 - 深浦町 中津軽郡 西目屋村 南津軽郡 藤崎町 - 大鰐町 - 田舎館村 北津軽郡 板柳町 - 鶴田町 - 中泊町 上北郡 野辺地町 - 七戸町 - 六戸町 - 横浜町 - 東北町 - 六ヶ所村 - おいらせ町 下北郡 大間町 - 東通村 - 風間浦村 - 佐井村 三戸郡 三戸町 - 五戸町 - 田子町 - 南部町 - 階上町 - 新郷村 (全国地方公共団体コード順に列記) 都市圏[編集] 都市雇用圏(10%通勤圏)の変遷 1980年 1990年 1995年 2000年 青森 都市圏 33万 6677人 青森 都市圏 33万 2838人 青森 都市圏 33万 7827人 青森 都市圏 34万 0558人 八戸 都市圏 33万 1608人 八戸 都市圏 33万 2275人 八戸 都市圏 33万 3129人 八戸 都市圏 33万 2242人 弘前 都市圏 27万 8234人 弘前 都市圏 27万 2460人 弘前 都市圏 32万 9279人 弘前 都市圏 32万 6102人 十和田 都市圏 7万 7582人 十和田 都市圏 9万 0255人 五所川原 都市圏 10万 7301人 五所川原 都市圏 11万 1232人 むつ 都市圏 6万 9913人 むつ 都市圏 6万 7326人 十和田 都市圏 9万 0696人 十和田 都市圏 9万 0715人 五所川原 都市圏 5万 5464人 三沢 都市圏 6万 1178人 むつ 都市圏 7万 2995人 むつ 都市圏 7万 4997人 黒石 都市圏 4万 0755人 五所川原 都市圏 5万 2792人 三沢 都市圏 6万 2783人 三沢 都市圏 6万 5470人 三沢 都市圏 3万 9962人 黒石 都市圏 3万 9213人 黒石都市圏は 弘前都市圏に包含された 野辺地 都市圏 1万 8419人 野辺地は中心性を失って 都市圏を形成しなくなった 地域区分[編集] 青森県 地域区分図 津軽地方(■:東青 / ■:中南 / ■:西北) 南部地方(■:下北 / ■:上北 / ■:三八) 県西部にある日本海側の津軽地方と、県東部にある太平洋側の南部地方の2つの地域に大別される[23]。津軽地方の面積は4828.08km2(全県比:50.06%)[24]、人口は718,857人(全県比:56.1%)、一方の南部地方の面積は4817.18km2(全県比:49.94%)[24]、人口は563,207人(全県比:43.9%)となっており、両地方の面積は県のほぼ半分ずつであるが、人口はやや津軽地方の方が多い(人口は2017年5月1日現在の推計人口[25])。 このほか、以下のような地域呼称がある(太字は県の地域県民局に用いられている呼称)。 郡 市 地域呼称 東津軽郡 青森市 東青 津軽 中津軽郡 弘前市 中弘 中弘南黒 (中南) 南津軽郡 黒石市 平川市 南黒 西津軽郡 つがる市 西北五 (西北) 北津軽郡 五所川原市 北五 下北郡 むつ市 下北 二北 南部 上北郡 十和田市 三沢市 上北 (上十三) 三八上北 三戸郡 八戸市 三八 青森県庁では県内を6つの地域に区分し、各地域に総合的な出先機関である地域県民局を設置している[26][27]。 青森県庁による区分 名称 所管区域 面積 (km2) 人口 (人) 東青地域県民局 青森市、東津軽郡 1477.37 304,831 中南地域県民局 弘前市、黒石市、平川市、中津軽郡、南津軽郡 1555.92 272,812 西北地域県民局 五所川原市、つがる市、西津軽郡、北津軽郡 1794.79 141,214 下北地域県民局 むつ市、下北郡 1415.59 72,010 上北地域県民局 十和田市、三沢市、上北郡 2126.81 197,183 三八地域県民局 八戸市、三戸郡 1274.78 294,014 地域県民局の所在都市は太字 面積は2010年(平成22年)10月1日現在[24] 人口は2017年5月1日現在の推計人口[25] 歴史[編集] 先史[編集] 三内丸山遺跡 日本列島では1万2000年前になると、ものを貯蔵・煮沸する容器として土器が考案され、津軽半島の蟹田町(外ヶ浜町に合併)にある大平山元I遺跡では、無文土器や局部磨製石斧が出土し、生活の様相が大きく変わった。縄文時代の遺跡として、三内丸山遺跡、亀ヶ岡遺跡、是川遺跡などが現在までに発見されている。これらの遺跡には豊富な土器・広い集落、また他地方のものと思われる遺物が発見され、文化・経済などの面で周辺にも強い影響を与えていたと考えられている。 また、弥生時代前期の水田跡遺跡として知られる砂沢遺跡や中期後半の垂柳遺跡が発掘されており、米の栽培が行われたことが確認されている。ただし、弥生時代中期に稲作は衰え、大幅な人口流出があったものと考えられている。 畿内でヤマト王権が成立し、東国を含め日本列島各地では在地勢力やヤマト王権の影響を受けた勢力による古墳の築造が開始されるが、同地域では前期古墳以来の前方後円墳は見られず、律令制国家成立期の末期古墳が多数存在する。上北郡では阿光坊古墳群、八戸市では鹿島沢古墳群、丹後平古墳群・殿見古墳群、平川市では原古墳群などが存在する。出土した土師器・須恵器の編年や周辺遺跡の出土品から、鹿島沢・阿光坊は7世紀後半、丹後平は8世紀初頭に中心を置く遺跡と推定されている。 この古墳は小規模な円形墳丘の中に石室を造ったり墓壙を掘っている。その周りを1m強の幅を持つ周溝で円形に取り囲んでいる。7世紀から9世紀にかけて東北北部や道央部にまで達している[28]。 古代[編集] 弥生時代から古墳時代の日本列島において、北九州から関東地方までの諸勢力を配下に治める中央政権たるヤマト政権(大和朝廷)が成立した後も、東北地方中部以北は中央政権の統治領域外にあり、本州北部の住民は蝦夷(毛人、エミシ)の呼称で呼ばれていた。現在の考古学的知見では、当時の青森県を含む東北地方中北部は、続縄文文化の段階にあった。 『日本書紀』においては朝廷より津軽地方の蝦夷が冠位を授けられた内容を記す斉明天皇元年(655年)条をはじめ津軽地方の地名が出現し、この頃には朝廷に服従し朝貢関係を結び、中央政権に把握されていったものであると考えられている。また『書記』に拠れば斉明天皇4年(658年)からは阿倍比羅夫による「北征」が行われているが、これは数か年に及ぶ大事業で、朝廷軍は北海道や樺太にまで渡ったと伝えられる。この頃の青森県では、古墳文化の影響を受けた末期古墳の造営が活発化するが、大和朝廷との関係の深まりの中で造営が行われたものと推察される。 律令国家の成立に伴い、8世紀から9世紀には奥羽経営もさらに進められ、坂上田村麻呂・陸奥出羽按察使征夷将軍文室綿麻呂による征討において、閉伊(へい)爾薩体(にさたい[29])地方の蝦夷を平定したという。北奥地域は陸奥国に属さず、蝦夷は服属・抵抗を繰り返しつつも、次第に律令国家に組み込まれていったと考えられている。 平安時代の11世紀には、岩手県北上平野の地域に俘囚長安倍氏の勢力が確立すると、岩手県北から下北半島にかけての糠部地方で同族と見られる安倍富忠が有力となった。前九年の役において、富忠は源頼義に使わされた金為時の誘いを受け、朝廷方に付いた。 安倍頼時は富忠に対する説得のため出兵するが、富忠の反攻により戦死した。頼良を滅ぼした富忠だったが、朝廷や源頼義からの恩賞を受けた記録は無く、以後の糠部安倍氏に関する史料はない。北上平野の安倍氏はついに滅ぼされたが、貞任の子の高星丸が叔父の安倍則任とともに糠部を経て津軽に落ち延び、津軽安東氏(安倍姓)の祖となったとの伝承がある。 中世[編集] 青森県域が明確に中央政権に組み込まれるようになったのは延久北奥蝦夷合戦以後であると考えられている。正確な時期は不明だが、延久北奥蝦夷合戦から奥州藤原氏時代までのいずれかの時期に中央と同様の郡郷制が敷かれ、糠部郡、平賀郡、鼻和郡、田舎郡、西浜、外浜が設置されたのである。平安時代末期に奥州藤原氏を倒した源頼朝によって南部光行が糠部五郡を与えられたとの伝承があるが、史実かどうかは確認されていない[30]。13世紀後半までに県域のすべてが北条氏の得宗領となり、その地頭代として津軽安藤氏が下北半島や津軽半島、また蝦夷島(北海道)の沿岸部を支配し、室町時代中期にかけて海上交易で栄えた。特に十三湖沿岸に築いた港(十三湊)には大きな町が形成され、現在でも中国や日本各地の陶磁器が出土している。 ところが、津軽安藤氏は鎌倉時代末期に内訌を起こして(津軽大乱)勢力を後退、また、南北朝時代の到来に当たっては北朝側につき、現在の岩手県南部から青森県東部の内陸部に勢力を持ち始めた南部氏は南朝方についたために同氏と対立、抗争した。情勢は南部氏有利に進み、安藤氏は蝦夷が島に駆逐された。南部氏は海上交易にはあまり力を入れず、安藤氏によって繁栄した各港は衰退した。一方、室町時代半ばには津軽地方では浪岡を中心に北畠氏(浪岡氏)が大きな勢力を誇った。 15世紀半ばに安藤氏を駆逐した南部氏は大きく勢力を拡大、16世紀半ばには津軽・下北・糠部地方一帯の広い領土を支配し、「三日月の丸くなるまで南部領(領土が広いために南部領を進んでいるうちに三日月が満月になってしまうということ)」と讃えられた。しかし、16世紀後半になると南部氏の一族の大浦為信(津軽為信)が他の南部氏の諸城を落城させ、津軽地方、外ヶ浜、糠部の一部を支配した。為信とその子信枚の2代をかけて弘前城の築城、同地への城下町の建設、羽州街道や岩木川の整備などが行われた。大浦家の本姓は源氏で、対外的には南部と名乗っていたが、為信の代に藤原氏に鞍替えし、苗字を津軽とした。一方東部は三戸南部氏の領地となった。 近世[編集] 弘前城 近世には豊臣政権時代の奥州仕置を経て、北奥大名領が成立する。慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いにおいて南部氏ら東北大名は会津上杉景勝包囲への動員を命じられており、津軽氏は東軍本隊と合流し美濃大垣城攻めなどに参加している。関ヶ原の後、東北では会津上杉氏の出羽米沢への転封をはじめ、大規模な大小名の再配置が行われるが、陸奥北部では南部・津軽領の支配に大きな変動はなく、陸奥国北部のうち太平洋側の東部が南部氏の盛岡藩領8万石(後に20万石に高直し)、日本海側の西部が津軽氏の弘前藩領4万5000石(後に10万石に高直し)となり、両大名領の藩境は津軽側の狩場沢、南部側の馬門に定められた。ほか、県南東端から岩手県北東部端にかけては盛岡藩と同じ南部氏一族が支配する八戸藩2万石があり、県中部には弘前藩の支藩として黒石藩1万石とその飛地があった。 県域は本州アイヌの居住地で、弘前藩領である陸奥湾沿いの夏泊半島や、盛岡藩領では津軽海峡に面した下北半島が主な居住地であり、アイヌ語地名も見られる。アイヌの居住地は領主側に把握され、アイヌは弘前・盛岡両藩主へお目見えし、産物を上納したという。アイヌの生業は畑作や漁業・廻船業のほか蝦夷地(北海道)の松前藩領との交易で、狩猟や漁労を生業の中心とする蝦夷地のアイヌとは異なり、北奥地域の漁民と変わらないものであったと考えられている。江戸時代後期にはアイヌ居住地への和人の進出が顕著になり、同化が進んだ。 南部と津軽では気候風土も異なり、特に太平洋岸の南部地方では冷害・凶作が発生しやすく飢饉の際に大きな被害を受けたが、下北地方では餓死者がほとんどいなかったという。 戊辰戦争時、弘前藩も盛岡藩も当初奥羽列藩同盟に属していたが、途中で弘前藩は官軍に寝返った。戦後、盛岡藩は大幅に石高を減らされ、その跡に斗南藩が置かれ、もと会津藩の松平家が3万石で入った。同じ頃、盛岡新田藩とも呼ばれ、その領域が明確ではなかった七戸藩1万石の領域が確定した。 青森県の成立[編集] 明治4年7月14日(1871年8月29日)に廃藩置県の詔が発せられ、現在の青森県域には、旧藩を引き継いだ弘前県(弘前藩)、黒石県(黒石藩)、斗南県(斗南藩)、七戸県(七戸藩)、八戸県(八戸藩)が成立したが、同年9月4日にはこれら5県と北海道渡島半島に成立していた館県(館藩)の6県が合併し、弘前県が成立している。この時点での県庁は弘前に置かれている。 しかし、翌日の9月5日に野田豁通(のだ ひろみち)が初代県大参事に任命され、19日後の9月23日に県庁を弘前から青森に移転し、県名を青森県に変更することが決定されている。県権令として菱田重禧が任命された。今日の青森県庁に当たる民事堂で県議会が開かれ、この本庁以外に、弘前・福山・田名部・八戸・七戸・五戸に支庁が置かれた。翌年の明治5年(1872年)には、戸籍編成のため県内各地は区・小区に分けられ、翌1873年(明治6年)には行政の単位として大区(区長)・小区(正副戸長)が設けられ、行政事務を行った。青森県内には大区が10個設置され、それぞれ大区会所が設置された。 6県の合併について、弘前県・黒石県は旧津軽氏領であり、七戸県・八戸県は旧南部氏領となっており、両氏は津軽氏の南部氏からの独立から始まり、弘前藩主暗殺未遂事件や野辺地戦争など敵対が続いていたが、廃藩置県後に全国で最も早く合併された。この合併を画策した人物は、八戸県大参事の太田広城と斗南県小参事の広沢安任で、両人の連名で政府に対し5県合併案が8月13日に建言されており、内務卿大久保利通をはじめ明治政府高官による事情聴取の結果、9月4日に館県も含めた6県の合併令達に至っている。この怨恨を無視した合併に至った背景には、津軽と南部の敵対とは無縁の斗南藩(会津藩の亡命先)の存在も少なからぬ影響を与えていると思われるが、そもそも両県とも穀倉地帯になりうる平野部が少ない上にやませの常襲地帯で冷害が頻発しており、特に斗南県に至っては亡命藩がそのまま県に移行したばかりで困窮の極みにあったことから、過去の因縁に囚われている余裕がなかったというのが実情であった。それに対し、弘前県は1県で他4県の石高合計の3倍以上(実高ベース)という財政力を有する八戸・斗南両県とは比べ物にならない大県で、その上に弘前藩は戊辰戦争で明治政府軍に与していたこともあって、弘前県との合併により明治政府からの覚えも高く、両県の救済に有利と考えたのではないかといわれている。この合併工作が、廃藩置県により成立した全国3府302県の削減を目論んでいた明治政府との思惑と合致したものだったことから、早々に実現されたものと考えられる。 また、県庁移転について、当時県内で突出した都市だった弘前から一港町に過ぎなかった青森に移転されたものであるが、野田が県大参事に任命された折、大蔵省に対し21項目に及ぶ伺を立てており、その1項目目にある県庁の位置についての意見が結果的に採用されたものである。その内容は、6県合併による県土は現在の青森県域に北海道渡島半島の一部と岩手県二戸地方が含まれたものであり、弘前県庁では地理的位置が偏っていること、弘前県庁では藩政時代の旧弊に囚われてしまうこと、青森の港湾の将来性が見込まれること、となっている。これは、野田が戊辰戦争時に当地に半年近く滞在しており地勢に明るかったことから、着任早々にも拘らずこれだけの見解を持っていたと言われている。 なお、当事者であるはずの弘前において、6県合併や県庁移転について、特に関知していたような記録はなく、穏便に進められている。しかし、県庁についてはその後、幾度か弘前移転に関する陳情がなされているものの、そのまま現在に至っている。 近代以降の年表[編集] 明治 - 昭和初期(戦前)[編集] 明治元年9月23日(1868年11月7日) - 野辺地戦争。野辺地で弘前藩兵と盛岡藩兵・八戸藩兵とが交戦 明治4年7月14日(1871年8月29日) - 廃藩置県。現在の青森県域には、旧藩を引き継いだ弘前県、黒石県、斗南県、七戸県、八戸県が成立 明治4年(1871年)9月 - 弘前県、黒石県、斗南県、七戸県、八戸県、館県の合併により、弘前県が成立するが、その直後、県庁が弘前から青森に移ったことで、青森県と改称。歩兵第5連隊、青森に駐屯。 明治5年10月10日(1872年11月10日) - 福島郡など(旧館県)が開拓使に移管 1875年(明治8年)4月 - 内務省勧業寮から県庁にリンゴ苗木3本配付 1876年(明治9年) 明治天皇巡幸 5月 - 二戸郡を岩手県に移管して現在の県域が確定 1886年(明治19年) - 亀ヶ岡遺跡で遮光器土偶が出土 1889年(明治22年)4月1日 - 中津軽郡弘前が市制施行し、弘前市となる 1891年(明治24年)1月 - 青森駅が開業(東北本線 上野-青森 全線開通) 1896年(明治29年) - 第8師団弘前に駐屯 1898年(明治31年)4月1日 - 東津軽郡青森町が市制施行し、青森市となる 1902年(明治35年)1月 - 八甲田雪中行軍遭難事件。歩兵第5連隊第2大隊210名が八甲田山で遭難。死者199名。 1908年(明治41年)3月 - 青函連絡船の運航が始まる 1922年(大正11年)3月 - 「小湊のハクチョウおよびその渡来地」が天然記念物に指定(1952年3月に特別天然記念物に指定) 1928年(昭和3年)4月 - 「十和田湖および奥入瀬渓流」が名勝および天然記念物に指定(1952年3月に特別名勝および天然記念物に指定) 1929年(昭和4年)5月1日 - 三戸郡八戸町・小中野町・湊町・鮫村が合併・市制施行し、八戸市となる 1930年(昭和5年)9月 - 米国の太平洋横断機タコマ市号、三沢淋代海岸から出発したが東通村尻労に引き返す 1931年(昭和6年)10月 -米国の太平洋横断機ミス・ビードル号、三沢淋代海岸から出発し合衆国ワシントン州ウェナッチに着陸。世界初の太平洋無着陸横断飛行。 1936年(昭和11年)2月 - 十和田国立公園(現:十和田八幡平国立公園)が設立 1945年(昭和20年) 3月 - 赤石川で雪泥流が発生。鯵ヶ沢町大然地区で死者87名、流出家屋20棟。 7月 - 青森大空襲、また八戸、三沢、大湊などでも空襲、青函連絡船7隻沈没、青森大空襲での死傷者1769名 戦後[編集] 1945年(昭和20年)9月 - 米第7艦隊、大湊に入港(8日)。米陸軍、旧日本海軍三沢飛行場を接収して三沢基地に。 1952年(昭和27年)1月 - 三沢空港が営業開始(1965年 - 1975年は運航休止し、八戸飛行場において代替運航) 1953年(昭和28年)11月 - 櫛引八幡宮所有の鎧・兜2領が国宝に指定 1954年(昭和29年)4月 - 青森発上野行き夜行列車、通称:集団就職列車が運行開始(1975年3月廃止) 1960年(昭和35年)5月 - チリ地震津波が来襲。県内で死者3名、負傷者3名、家屋全壊24棟、家屋半壊91棟。八戸市での浸水家屋3,000余棟。 1961年(昭和36年)3月 - 青函トンネル着工 1962年(昭和37年)4月 - 藤崎町にあった農林水産省園芸試験場東北支場で育成された新種リンゴを「ふじ」として品種登録する 1963年(昭和38年)4月 - むつ製鉄株式会社設立(国策会社) 1964年(昭和39年)9月 - 津軽華子が義宮正仁親王と結婚 1965年(昭和40年) 4月 - むつ製鉄事業化断念 6月 - 青森空港営業開始 県内のリンゴ生産量572,100t(歴代最高。その後は400,000t台/年で推移 1966年(昭和41年) - 八戸漁港の水揚量が日本一を記録(以降、3年連続日本一を記録) 1967年(昭和42年) - 科学技術庁、大湊港を原子力船母港に決定 1968年(昭和43年)5月 - 十勝沖地震が発生。県内で、死者・行方不明者48名、建物全壊646棟、半壊2,885棟、津波による建物浸水529棟。 1971年(昭和46年)4月 - むつ小川原開発会社設立 1972年(昭和47年)6月 - むつ小川原開発第1次基本計画が策定。同年12月より用地買収開始。 1973年(昭和48年) - 県内のホタテ水揚量のうち、初めて養殖ホタテが地まきホタテの水揚量を上回る(その後は養殖ホタテが主流) 1974年(昭和49年) - 県外への出稼労働者80,486人(歴代最高。その後は漸減) 1975年(昭和50年)8月 - 岩木山蔵助沢で土石流が発生。岩木町(現:弘前市)百沢地区で死者22名、重軽傷者31名、全壊流出家屋17戸、半壊9戸。 1979年(昭和54年)9月 - 東北自動車道青森ICが開業(東北自動車道全線開通は1987年9月) 1980年(昭和55年) 車力ミサイル基地発足 5月 むつ小川原国家石油備蓄基地着工 1983年(昭和58年) 5月 日本海中部地震が発生。県内で、死者17名、負傷者25名、建物全壊447棟、半壊865棟、津波による建物浸水62棟。 県人口1,529,269人(歴代最高。その後は漸減) 1985年(昭和60年) 核燃料サイクル施設、六ヶ所村に立地決定。 米空軍三沢基地へのF-16戦闘機配置が開始。 3月 - 青函トンネル本坑貫通 夏 - 冷夏、青森県の作況指数は47 9月 - むつ小川原国家石油備蓄基地完成 1986年(昭和61年)11月 - 八戸自動車道八戸ICが開業(東北自動車道との接続は1989年9月) 1987年(昭和62年)7月 - 現在の青森空港が供用開始 1988年(昭和63年) 3月 - 青函トンネル営業開始。これに伴い青函連絡船営業廃止。 7月9日から9月18日まで - 青函トンネル開通記念博覧会が行われた。マスコットは「シャコちゃん」。エアドームの愛称は「夢来ちゃん」。 10月 - ウラン濃縮工場着工 1991年(平成3年)9月 - 台風19号によるリンゴ落下(被害面積22,400ha)。最大瞬間風速は青森市で53.9m/s。 1992年(平成4年) 原子力船むつ解体 4月 - 三内丸山遺跡発掘調査開始 3月 - ウラン濃縮工場操業開始 1993年(平成5年) 4月 - 核燃料再処理工場着工 夏 - 冷夏、青森県の作況指数は28、とくに太平洋側は皆無作 12月 - 白神山地、ユネスコ世界遺産に登録 1994年(平成6年) 8月 - 三内丸山遺跡の永久保存と活用が決定。八戸港に国際定期コンテナ航路(東南アジア航路)が開設。 12月 - 三陸はるか沖地震が発生。県内で、死者3名、負傷者783名、住家全壊72棟、半壊427棟。 1995年(平成7年)4月 - 青森空港にソウル線とハバロフスク線が開設される 1997年(平成9年) 3月 - 三内丸山遺跡が史跡に指定(2000年11月に特別史跡に指定) 6月 - 是川遺跡 から出土した合掌土偶が重要文化財に指定(2009年7月に国宝に指定) 10月 - 第1回北東北知事サミット、十和田湖で開催 2000年(平成12年) 10月 - 第4回北海道・北東北知事サミット、黒石市内で開催 11月 - 岩手・青森県警察合同捜査本部による青森・岩手県境の産業廃棄物不法投棄の強制捜査 2001年(平成13年) 8月 - 弘前市で全国高等学校ファッションデザイン選手権大会(通称:ファッション甲子園)が開催(以後、毎年開催) 10月 - 青森県住宅供給公社巨額横領事件が仙台国税局の税務調査において発覚 2002年(平成14年)12月 - 東北新幹線盛岡 - 八戸駅間開業。同日、東北本線目時 - 八戸間を第三セクター青い森鉄道に移管。 2003年(平成15年)2月 - 2003年アジア冬季競技大会開催 2005年(平成17年)11月 - 仏沼がラムサール条約に登録される 2006年(平成18年)1月 - 2月 平成18年豪雪の被害を受ける 2008年(平成20年)12月 - 十和田湖湖面の青森・秋田県境が確定。青森県の県境が確定。 2009年(平成21年)1月 - 県内の縄文遺跡が、「北海道・北東北を中心とした縄文遺跡群」としてユネスコ世界遺産の暫定一覧表に記載 2010年(平成22年)12月 - 東北新幹線八戸 - 新青森駅間開業。東北新幹線全線開通。同日、東北本線八戸 - 青森駅間を第三セクター青い森鉄道に移管 2011年(平成23年)3月11日 - 東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)が発生。死者3名。 2013年(平成25年)5月 - 陸中海岸国立公園に種差海岸階上岳県立公園及び八戸市鮫町の2地区を編入の上、三陸復興国立公園に改称 2016年(平成28年)3月 - 北海道新幹線新青森 - 新函館北斗駅間開業。 人口[編集] 基礎データ 概況[編集] 人口:1,373,339人 (2010年)[31] 世帯数:513,385世帯(2010年)[32] 人口密度:142.395人/km2 住居数:581,000軒(2008年)[33] 住居密度:60.24軒/km2 外国人口 4,457人(人口に占める割合:0.32%)[34] アジア人:3,856人(中国人:1,828人 韓国・朝鮮人: 1,039人 フィリピン人: 563人) ヨーロッパ人:149人 アフリカ人:22人 北米人:357人(アメリカ人:308人) 南米人:36人 オセアニア人:33人 年齢別人口構成(2010年)[35] 年少人口(0歳 - 14歳)12.7% 労働人口(15歳 - 64歳)61.6% 老年人口(65歳 - )26.6% 平均年齢: 47.0歳 年齢中位: 49.1歳 性比(女性100人あたり男性の人口) 総人口: 88.9 従属人口指数(2010年)[36] 総数 61.6% 年少人口 20.6% 老年人口 41.8% 老年化指数 202.9% 教育 大学・大学院卒業者の割合 9.1%(2010年)[37] 高校・高専・短大卒業者の割合 58.5%(2010年)[38] 世帯と家族(対世帯数)[39] 核家族世帯:53.7% 夫婦のみの世帯:18.6% 夫婦に子供がいる世帯:23.9% 母子家庭:9.8% 単身世帯:27.6% 65歳以上の老人1人暮らし世帯:9.9% 高齢者夫婦世帯:9.8%(夫65歳以上妻60歳以上の夫婦1組のみの一般世帯) 3世代世帯:13.1% 平均構成人数 世帯:2.40人 生活保護世帯数:13,728世帯(市部10,073 郡部3655)(2008年) 収入と家計[編集] 勤労収入[40] 勤労者一人あたりの収入:332.2万円[41] 男性: 377.6万円[42] 女性: 260.4万円[43] 2人以上の世帯の収入と収支 可処分所得: 473.2 万円 消費支出: 337.9 万円 年収分布 全世帯(年金生活者含む)[44] 年収200万円以下の世帯:17.8% 年収300万円以下の世帯:31.7% 労働者世帯のみ 年収200万円以下の世帯:7.0% 年収300万円以下の世帯:16.4% 趨勢[編集] 東北地方の人口の推移 1920 - 2010(国勢調査) 東北地方の人口の推移 1920 - 2010(国勢調査) 青森県の人口の推移および将来予測 1920 - 2035(国勢調査、国立社会保障・人口問題研究所) 青森県の人口の推移および将来予測 1920 - 2035(国勢調査、国立社会保障・人口問題研究所) 青森県年齢3区分推移 1920 - 2005 及び将来予測 2010 - 2035(国勢調査、国立社会保障・人口問題研究所) 青森県年齢3区分推移 1920 - 2005 及び将来予測 2010 - 2035(国勢調査、国立社会保障・人口問題研究所) 青森県人口動態 1975 - 2009 青森県人口動態 1975 - 2009 1920年(大正9年)東北地方では最も少ない75万人であったが、その後は増加傾向が続き、1940年(昭和15年)に100万人を超えた。1955年(昭和30年)に秋田県、山形県の人口を上回り、1965年(昭和40年)に岩手県を超えて東北地方では宮城県、福島県に次いで3番目の人口規模になった。 1983年(昭和58年)、青森県の人口は過去最高の152.9万人に達した。しかし出生数の低下と転出者の増加により、1983年から人口減少が始まり、その後再び人口が増加に転じる事はなく、2000年(平成12年)に147万人、2005年(平成17年)に143万人に減少した。 2009年(平成21年)11月時点の県の推定人口は138万人で、ピーク時より15万人減少した。特に2000年以降は合計で9万人減少し、人口規模は1955年の水準にまで低下している。 国立社会保障・人口問題研究所によると2020年までに126万人、2035年までに105万人に減少すると予想されている[45]。 Demography02000.svg 青森県と全国の年齢別人口分布(2005年) 青森県の年齢・男女別人口分布(2005年) ■紫色 ― 青森県 ■緑色 ― 日本全国 ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 青森県(に相当する地域)の人口の推移 1970年 1,427,520人 1975年 1,468,646人 1980年 1,523,907人 1985年 1,524,448人 1990年 1,482,873人 1995年 1,481,663人 2000年 1,475,728人 2005年 1,436,657人 2010年 1,373,339人 2015年 1,308,265人 総務省統計局 国勢調査より 出生・死亡[編集] 青森県の出生数は、ベビーブームの1950年(昭和25年)の46,137人をピークに減少している。県の出生数は1975年(昭和 50年)には約2.4万人だったが、2000年(平成12年)には1,2万人になり、この四半世紀で半減した。さらに、2009年(平成21年)に初めて1万人を割り、長期的な出生数の低下傾向が続いている。合計特殊出生率は1975年(昭和50年)には2.0人だったが長期間低下し続けた結果、2009年(平成21年)に過去最低の1.26人を記録した。2010年(平成22年)に1.30人で、全国平均値と同程度で推移している。これは隣県の秋田も同じ傾向にある。 一方、死亡数は増加し続けている。戦後から昭和の終わりにかけて長らく毎年1万人前後だったが、平成期からは徐々に増加し、2008年(平成20年)に初めて15,000人を超えた。県では1999年(平成11年)に、死亡数が出生数を上回る自然減の状態が続いている[46]。 人口動態年次推移1975年-2011年 西暦 出生数 死亡数 自然増加数 合計特殊 出生率 1975年 24,031人 9,546人 14,485人 2.00 1980年 21,761人 10,052人 11,709人 1.85 1985年 19,095人 10,547人 8,548人 1.80 1990年 14,635人 10,812人 3,823人 1.56 1995年 13,972人 12,496人 1,476人 1.56 2000年 12,920人 13,147人 △227人 1.47 2005年 10,524人 14,882人 △4,358人 1.29 2006年 10,556人 14,733人 △4,177人 1.31 2007年 10,162人 14,968人 △4,806人 1.28 2008年 10,187人 15,400人 △5,213人 1.30 2009年 9,523人 15,387人 △5,864人 1.26 2010年 9,711人 16,030人 △6,319人 1.30 2011年 9,559人 16,254人 △6,695人 -- 転出・転入[編集] 青森県の転出転入数は、1975年以降では1985年の11,877人の転出超過をピークに、2005年以降では概ね3,500人から10,000人台で推移している。なお、2000年までは県内移動者数も含まれた数値になっている。青森県の転出超過率は全国的にも高い水準である[47]。 人口動態年次推移1975年-2011年 西暦 転入数 転出数 社会増加数 転入超過率 1975年 75,382人 77,942人 △2,560人 △0.18% 1980年 72,882人 78,466人 △5,584人 △0.37% 1985年 65,855人 77,732人 △11,877人 △0.78% 1990年 62,566人 72,893人 △10,327人 △0.69% 1995年 61,613人 62,554人 △ 941人 △0.06% 2000年 55,299人 57,939人 △2,640人 △0.18% 2005年 24,596人 32,077人 △7,481人 △0.50%(全国46位) 2006年 23,778人 33,002人 △9,224人 △0.66%(全国47位) 2007年 23,075人 33,068人 △9,993人 △0.73%(全国47位) 2008年 22,906人 31,479人 △8,573人 △0.67%(全国47位) 2009年 23,167人 29,453人 △6,286人 (全国47位) 2010年 21,808人 26,907人 △5,099人 △0.37%(全国47位) 2011年 21,937人 25,393人 △3,456人 △0.26% 2001年以降から転入、転出に県内移動者を含まない 転入超過率とは「県内への転入者」と「県外への転出者」の比率。マイナスは転出超過を表す 県外移動後の住所地(2008年)[編集] 青森県転出者総数 29,494名[48] 東京 5308名 (18.0%) 宮城 3539名 (12.0%) 神奈川 3273名 (11.1%) 埼玉 2271名 (7.7%) 北海道 2241名 (7.6%) 年齢別県外転出入の状況[編集] 年齢別県外転出入の状況 青森県(2009年) 青森県は若年層の人口流出が他の年齢層に比べ非常に多い。右の図に示すように、特に高校卒業の18歳、20歳、大学卒業後の22歳の転出が多く、転出超過が他の年齢層に比べ顕著である。青森県教育委員会の高校生を対象にした進路調査によると、大学進学者の64.8%、就職者の54.3%が県外へ転出する。また、本県の22歳の転出は2270人で、高校卒業時に次いで多い。青森県全体の転入超過率においても全国の中で最低であり、最も転出が多い県である。2005年から2008年までの転入から転出を引いた差は毎年平均で−9263人以上になる。 若年層に限ると、毎年3月から4月にかけて高校卒業と同時に就職、進学などで約5600人の若者が県外へ流出している。2009年の20歳から24歳までの転出者7118人のうち60.7%は他県への就職を理由に、青森県を去っている。他の年齢層は転勤の理由が一番多い。 平均寿命・平均余命[編集] 総務省統計局の社会生活統計指標2012によると、2005年の調査では、本県の平均寿命は、男性76.27歳(全国平均:78.56歳)、女性84.80歳(全国平均:85.52歳)で全国最下位となった。1995年の調査よりも男性で約1年、女性で2.2年寿命が延びた。また、2005年の市町村生命表(全国の市町村別の平均寿命調査)によると、男性の平均寿命は全国の自治体の下位2位に板柳町75.2歳、3位:位鰺ヶ沢町75.2歳、4位:五所川原市75.5歳、6位:田舎館村75.6歳、7位:藤崎町75.6歳、8位:平川市75.6歳、9位:中泊町75.6歳の順となり、主に津軽地方の自治体が上位を独占した。女性では、下位2位に大鰐町83.1歳が入った。 県の平均余命は、2005年の0歳、20歳、40歳、65歳、75歳の各年齢別で男女ともすべての順位が全国最下位になった[49][50]。 青森県民の平均寿命 西暦 男性平均寿命 女性平均寿命 1965年 65.32歳(全国47位) 71.77歳(全国47位) 1970年 67.82歳(全国47位) 74.68歳(全国47位) 1975年 69.69歳(全国47位) 76.50歳(全国47位) 1980年 71.41歳(全国47位) 78.39歳(全国47位) 1985年 73.05歳(全国47位) 79.90歳(全国47位) 1990年 74.18歳(全国47位) 81.49歳(全国47位) 1995年 74.71歳(全国47位) 82.51歳(全国47位) 2000年 75.67歳(全国47位) 83.69歳(全国47位) 2005年 76.27歳(全国47位) 84.80歳(全国47位) 青森県民の主な年齢の平均余命(2005年) 男性の平均余命 女性の平均余命 0歳 76.27歳(全国47位) 84.80歳(全国47位) 20歳 56.79歳(全国47位) 65.26歳(全国47位) 40歳 37.88歳(全国47位) 45.74歳(全国47位) 65歳 17.04歳(全国47位) 22.77歳(全国47位) 75歳 10.39歳(全国47位) 14.45歳(全国47位) 乳幼児・新生児[編集] 死亡数[編集] 乳幼児死亡数:21人 新生児死亡数:12人 死産数:283胎(自然死産142 胎、人工死産141 胎) 死産率:28.3[51] 周産期死亡数:39件(妊娠満22週以後の死産30 胎、早期新生児死亡9人) 周産期死亡率:4.0[52] 婚前妊娠率の割合[編集] 36.2%(2009年)単純割合(全国4位) 32.4%(2009年)標準化後の割合(全国3位)[53] 厚生労働省の『平成22年度 「出生に関する統計」の概況』(平成21年度人口動態統計特殊報告)によると、青森県における結婚期間が妊娠期間より短い出生数の摘出第一子出生に占める割合、婚前妊娠(俗に言う「できちゃった結婚」)の割合は、36.2%で、3人に1人に相当する。これは、全国平均25.3%を上回り、上位の沖縄(42.4%)、佐賀 (37.5%)、福島 (36.7%) に次いで、全国で4番目に高い。下位は、東京、神奈川 (19.5%)、京都 (21.6%)、滋賀 (21.7%)、愛知 (21.8%)、兵庫 (22.5%)。 また、別の指標の「標準化後の割合」では、青森県は32.4%で上位3位[54]。立教大学兼任講師の本川氏は、「できちゃった結婚は、南北の遠隔地である東北や九州・沖縄で多く、大都市圏ではむしろ少ないという傾向が認められる。」[55]としている。 婚姻数・離婚数[編集] 婚姻・離婚件数1935年-2011年 婚姻数および離婚数は、2011年は婚姻5685組、離婚2460組だった。統計によると、婚姻数は記録が残っている1935年以降で最も少なくなった。婚姻数のピークは1940年の14487組で、戦後は、1955年の13205組が最大で以降減少を続け1985年に10000組みを割った。2000年には8138組の婚姻数があったが、2000年と2011年では2453組少なく、30.1%減少した。離婚数は、1970年に2000組、2000年以降3000組を超え、2003年の3645組をピークに減少している。2011年の離婚数はピーク時に比べ1185組少なく、率にして32%減少した。 生活保護世帯[編集] 青森県生活保護世帯の推移 1997-2010 青森県の生活保護世帯数は、1997年は11467世帯で以降増加が続き、2005年には17120世帯で最大になった。その後、2006年から2007年までは保護世帯が減少し、07年に13288世帯になったものの、再び増加に転じ、2010年に15521世帯になった。保護率は、人口1000人あたり1997年は10.9に対し、2010年では19に増加した。保護率は全国平均に比べ高い値で推移している。 市町村の人口統計[編集] 2010年の国勢調査によると、青森県の人口は2005年に比べ、63,300人減、人口増加率は-4.4%で減少し、95%の自治体で人口が減少した。市部では、2005年の人口1,096,028人に対し2010年に人口1,054,602人になり、−41,426人、増加率は−3.8%。郡部では、2005年、340,629人に対し、2010年に318,737人になり、−21,892人、増加率は-6.4%。人口減少率の高い順に今別町−15.7%、佐井村−14.8%、外ヶ浜町−13.7%、深浦町−11.2%、田子町−10.3%、中泊町−10.2%。人口が増加した自治体は、大間町2.1%増、おいらせ町0.2%増のみだった。 青森県の地方自治体の人口増加率分布図。2005年度と2010年度国勢調査から算出した。 増加 0.0 - 2.5 % 減少 0.0 - 2.5 % 2.5 - 5.0 % 5.0 - 7.5 % 7.5 - 10.0 % 10.0 % 以上 国勢調査結果に基づく青森県各市町村の人口 市町村 2010年(人) 2005年(人) 増減人口(人) 増減率(%) 1 青森市 299,520 311,386 −11,866 −3.8 2 弘前市 183,473 189,043 −5,570 -2.9 3 八戸市 237,615 244,700 −7,085 −2.9 4 黒石市 36,132 38,455 −2,323 −6.0 5 五所川原市 58,421 62,181 −3,760 −6.0 6 十和田市 66,110 68,359 −2,249 −3.3 7 三沢市 41,258 42,425 −1,167 −2.8 8 むつ市 61,066 64,052 −2,986 −4.7 9 つがる市 37,243 40,091 −2,848 −7.1 10 平川市 33,764 35,336 −1,572 −4.4 11 平内町 12,361 13,483 −1,122 −8.3 12 今別町 3,217 3,816 −599 −15.7 13 蓬田村 3,271 3,405 −134 −3.9 14 外ヶ浜町 11,449 12,662 −1,126 −13.7 15 鰺ヶ沢町 11,449 12,662 −1,213 −9.6 16 深浦町 9,691 10,910 −1,219 −11.2 17 西目屋村 1,594 1,597 −3 −0.2 18 藤崎町 16,021 16,617 −596 −3.6 19 大鰐町 10,978 11,921 −943 −7.9 20 田舎館村 8,153 8,541 −388 −4.5 21 板柳町 15,227 16,222 −995 −6.1 22 鶴田町 14,270 15,218 −948 −6.2 23 中泊町 12,743 14,184 −1,441 −10.2 24 野辺地町 14,314 15,218 −904 −5.9 25 七戸町 16,759 18,471 −1,712 −9.3 26 六戸町 10,241 10,430 −189 −1.8 27 横浜町 4,881 5,097 −216 −4.2 28 東北町 19,106 20,016 −910 −4.5 29 六ヶ所村 11,095 11,401 −306 −2.7 30 おいらせ町 24,211 24,172 +39 +0.2 31 大間町 6,340 6,212 +128 +2.1 32 東通村 7,252 8,042 −790 −9.8 33 風間浦村 2,463 2,603 −140 −5.4 34 佐井村 2,422 2,843 −421 −14.8 35 三戸町 11,299 12,261 −962 −7.8 36 五戸町 18,712 20,138 −1,426 −7.1 37 田子町 6,175 6,883 −708 −10.3 38 南部町 19,853 21,552 −1,699 −7.9 39 階上町 14,699 15,356 −657 −4.3 40 新郷村 2,851 3,143 −292 −9.3 - 青森県 1,373,339 1,436,657 −63,318 −4.4 政治・行政[編集] 国政[編集] 詳細は「衆議院小選挙区一覧#青森県」および「青森県選挙区」を参照 衆議院の小選挙区が4。参議院では、全県で1区を構成。 衆議院(2014年(平成26年)改選) 青森県第1区:津島淳(自民) 青森県第2区:江渡聡徳(自民) 青森県第3区:大島理森(自民) 青森県第4区:木村太郎(自民) 参議院(定数2) 2013年(平成25年)改選:滝沢求(自民) 2016年(平成28年)改選:田名部匡代(民進) 県政[編集] 詳細は「青森県知事一覧」、「青森県庁」、および「青森県議会」を参照 知事:三村申吾(みむら しんご、3期目) 財政[編集] 非常に厳しい状態であったが、近年は取り組みの成果もあり改善傾向にある。 平成19年度 財政力指数 0.31 IIIグループ(財政力指数0.3以上、0.4未満)11自治体中8位 平成18年度 財政力指数 0.29 IVグループ(財政力指数0.3未満)10自治体中1位 平成17年度 財政力指数 0.27 IVグループ(財政力指数0.3未満)14自治体中5位 平成16年度 財政力指数 0.26 IVグループ(財政力指数0.3未満)15自治体中5位 姉妹地域・提携地域[編集] ブラジルの旗 ブラジル サンタ・カタリーナ 産業経済・科学技術・文化教育等の交流 1980年(昭和55年)10月23日提携 ロシアの旗 ロシアハバロフスク地方 産業経済・科学技術・文化教育等の交流 1992年(平成4年)8月27日提携 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国メーン州 産業経済・科学技術・文化・芸術・スポーツ等の交流 1994年(平成6年)5月25日提携 イタリアの旗 イタリアリグーリア州 産業・文化芸術・教育等の交流 2002年(平成14年)5月7日提携 軍事[編集] 本州最北端の地であり、重要な防衛拠点であるため日米の軍事施設が集中している。中でも津軽海峡は軍事上『チョークポイント』と呼ばれ、国際海峡に指定されている最重要海域の一つである。津軽海峡は、国際海峡(特定海域)、すなわち公海であるため、他国の核兵器を搭載した潜水艦や軍艦の航行、および、津軽海峡上空の軍用機の通過が可能である。そのため、突発的な戦闘に対する専守防衛には、津軽海峡に面した警備所と、近接する後方基地が必要であり、青森県には海上自衛隊の拠点が置かれている。県内には、陸・海・空自衛隊が配備され、アメリカ空軍も駐留するなど重要な防衛拠点として、青森県をはじめとして北日本全般の防衛を担っている。なお、同一都道府県内に陸海空三自衛隊の将が駐在しているのは、東京都を除くと青森県だけである。(陸将:第9師団長、海将:大湊地方総監、空将:北部航空方面隊司令官) 陸上自衛隊は、普通科連隊などが青森市、弘前市に、ヘリコプター部隊が八戸市に駐屯地している。 海上自衛隊は、大湊地方総監部、大湊航空基地がむつ市に、八戸航空基地が八戸市にある。 航空自衛隊は、三沢基地が三沢市にありアメリカ空軍と共同使用しているほか、むつ市、車力にレーダーサイトを設置している。 また各地に実弾演習場、射爆場、猿ヶ森砂丘の試験所などの広大な軍事演習場、実験場が置かれている。 また、戦後の冷戦時代には、仮想敵国のソビエト連邦が実効支配するサハリンや北方四島と近接する北海道に陸上自衛隊の主力拠点が置かれたが、航空基地攻撃に遭わない程度離れた青森県三沢市には、支援戦闘機の基地が置かれた。 このような背景から、海・空においては北海道を含めた領域の拠点が青森県に置かれている。 陸に関しては、北海道が奪取された場合を考えての基地配備となっており、本州防衛のための前線基地とされている。そのため、方面総監部(上位の司令部)は、後方の仙台に置かれている。 なお、海上保安庁による沿岸警備に関しては、宮城県塩竈市にある第二管区海上保安本部の管轄となっている。 自衛隊[編集] 陸上自衛隊(東北方面隊・第9師団) 北東北3県に駐屯。方面隊(全国5区分)の総監部は仙台(仙台市) 駐屯地 : 青森(師団司令部)、弘前、八戸、岩手(滝沢市)、秋田 海上自衛隊(大湊地方隊) 津軽海峡・宗谷海峡と青森県以北の沿岸海域を警備。地方隊(全国5区分)の総監部が大湊(むつ市) 大湊基地(地方総監部)、函館基地隊、稚内基地分遣隊、余市防備隊、竜飛警備所、松前警備所 北方領土などの問題でロシアからの攻撃があった場合、八戸基地に対策司令本部が置かれることになっている。 海上自衛隊(第2航空群) 日本最北端に位置する固定翼機の離着陸可能な海上自衛隊航空基地。航空群(全国7個)が配属する航空集団の司令部は厚木(綾瀬市) 八戸航空基地(航空群司令部・第2航空隊) 航空自衛隊(北部航空方面隊) 北海道および北東北3県を警備。方面隊(全国4区分)の司令部が三沢(三沢市)。 三沢基地(方面隊司令部・第3航空団・第6高射群)、千歳基地(第2航空団・第3高射群)。分屯地(稚内・網走・根室・襟裳・当別・奥尻島・長沼・八雲・大湊・東北町・車力・山田・加茂・秋田) 在日米軍[編集] 第5空軍第35戦闘航空団 三沢飛行場に駐屯 軍事史[編集] 1871年9月 東北鎮台隷下歩兵第5連隊、青森に駐屯 1896年 第8師団、弘前に駐屯 1899年8月 大湊水雷団創設 1902年1月 歩兵第5連隊第2大隊、八甲田山雪中遭難 1902年11月 大湊要港部が設置 1905年 第8師団日露戦争に従軍、黒溝台会戦で死傷6300人 1922年6月13日 第8師団シベリア出兵 1941年11月 大湊要港部、警備府へ昇格 1945年7月 青森、八戸、三沢、大湊など空襲、青函連絡船7隻沈没、青森市での死傷者1769名 1945年9月 米第七艦隊、大湊に入港(8日)。米陸軍、旧日本海軍三沢飛行場を接収して三沢基地に。 1953年9月 保安庁警備隊大湊地方隊が編成 1956年12月 陸上自衛隊第9混成団が編成(1962年8月第9師団に改編) 1957年 海上自衛隊大湊地方隊八戸航空隊が編成(1961年第2航空群に改編) 1958年8月 三沢に航空自衛隊北部航空方面隊が編成 1985年2月 米空軍三沢基地へのF-16戦闘機配置が開始 1997年7月 第9師団第5普通科連隊のレンジャー訓練中、八甲田山中で二酸化炭素ガス中毒事故 2002年6月 大湊基地の護衛艦「せとぎり」がインド洋派遣(テロ対策特別措置法) 2002年9月 第9師団が東ティモール派遣(国連平和維持活動) 2003年8月 第9師団がゴラン高原派遣(国連平和維持活動) 2004年8月 第9師団がイラク派遣(イラク特措法) 2006年5月 大湊基地でミサイル艇誤射事件 2006年6月 航空自衛隊車力分屯基地に米軍Xバンド・レーダー・システムを配備 2009年10月 大湊基地の護衛艦「はまぎり」がアフリカ・ソマリア沖派遣(海賊対処法) 2010年2月 第9師団がジブチ(ソマリア沖)派遣 (海賊対処法) 2010年2月 第2航空群がソマリア沖派遣(海賊対処法) 2010年8月 第9師団がハイチ派遣(国際緊急援助隊) 経済・産業[編集] 青森県は製造などに関わる第二次産業は弱く、求人倍率や県民所得は低迷し、人口減少率は高いという問題を抱えている。むつ小川原計画やクリスタルパレイ構想など工業県に脱皮するための取り組みを行ってきたがいずれも失敗に終わっており、いまでも農業漁業といった第一次産業が主力となっている。 県内総生産 青森県の県内総生産(名目)は4兆6238億8600万円で、全国第28位(2006年度)。オマーンの国内総生産と同程度[56]。産業別生産額とその構成比は、第一次産業が2039億7900万円 (4.2%)、第二次産業が1兆1308億4800万円 (23.5%)、第三次産業が3兆4703億6100万円 (72.2%) となっている。全国に比べ、農林水産業の比率が高く、製造業の比率が低い。 県民所得 県民所得は3兆4752億円。一人当たり県民所得は244万3000円で、全国第37位(2006年度)。 就業者数 青森県労働状態(国勢調査) 就業者数は68万5401人(2005年国勢調査)。産業別就業者数とその構成比は、第一次産業が9万5725人 (14.0%) 、第二次産業が14万6847人 (21.4%) 、第三次産業(分類不能を含む)が44万2829人 (64.6%) となっている。第一次産業就業者比率は全国で最も高い。 農業[編集] 青森県は国内でも有数の生産高を誇る農業生産地の一つである。平成18年(2006年)農林水産統計によると、農業産出額は2,885億円。食料自給率は118%(カロリーベース:概算値)であり、北海道や岩手県、秋田県、山形県などと共に、自給率 100% を超える数少ない県の一つである。津軽平野、南部平野と、山岳に富んだ地形であり、地域によって気候が大きく異なっているため、地域特性にあった農業が営まれている。野菜生産額全体では、平成15年全国で14位。東北では10年連続第1位。 リンゴ生産日本一(弘前) - 青森県はリンゴの生産地であり、日本産リンゴの約半数が青森県産である。品種はふじが有名。ふじは育成地である藤崎町のふじを取って名付けられた。糖度は 14 - 16%。室温では4か月、冷蔵では7か月保存可能。リンゴ栽培は生産量日本一の弘前市を中心とする津軽地方で盛んだが、三戸郡・上北郡を中心とした南部地方でも行われている。最大の輸出対象国である台湾は輸出リンゴの9割を消費する[57][58][59]。 三戸・下北地方は古くからの馬産地であり、現在でも競走馬の生産頭数は北海道に次いで多い ニンニク生産日本一(十和田市) カシス生産日本一(青森市) - 国産カシスの約9割が青森産である フォアグラ(青森市) - 日本国内では唯一の産地である 長芋(東北町)(三沢市) 菜の花作付け面積日本一(横浜町) サクランボ(名川町) ブルーベリー(南部地方) メロン(津軽地方) ゴボウ (三沢市) 大根 カブ 鶏卵 林業[編集] 日本三大美林の青森ヒバの産地であり、とくに下北半島のものは品質がよい ブナ天然林としては世界最大級(白神山地) - 世界遺産 ソメイヨシノ(桜)日本最古(弘前公園) 水産業[編集] 三方を海に囲まれて、真ん中に陸奥湾を抱え暖流寒流の4つが流れ込む青森県は水産業も盛んである 主要魚種は、イカ類、ホタテ、ヒラメ、カレイ類 とくに陸奥湾は、ホタテ、ナマコ、ヒラメ、トゲクリガニの漁場 津軽海峡で獲れるマグロは高級マグロとして首都圏に向け、出荷される。特に大間町産のものは「大間のマグロ」としてブランド化されている。 八戸港は、日本でも1、2位の漁獲高を誇る。主な水揚げはイカ、サバ等。ちくわ、塩辛等水産加工業も盛ん。 しじみ(十三湖、小川原湖) - 2011年(平成23年)から2013年(平成25年)まで3年連続で日本一の水揚げ量であったが、2014年(平成26年)は3350トンで島根県に次ぐ第2位となった[60]。 商工業[編集] 農作物の産物を利用した食品加工業が盛んである。 青森県りんごジュース (Shiny) 青森県農村工業農業協同組合連合会(JAアオレン) 上北農産加工 ワダカン 太子食品 かねさ ヤマヨ ヤマモト食品 味の加久の屋 鎌田屋商店 かくみつ食品 県南の八戸市は県内で一番工業が盛んであり、三菱製紙、大平洋金属などが操業、八戸セメントでは同市内にある八戸鉱山から採掘した石灰石を利用したセメントを製造している。他に、県内各所で精密機械関係も盛んになってきている。 テフコ青森 - 時計文字盤用電着時字 エネルギー産業[編集] 水力発電:県内には総出力10,000kW以上の発電所が5か所立地している 立石…1939年(昭和14年)5月運転開始、総出力10,500kW 十和田…1943年(昭和18年)12月運転開始、総出力31,100kW 大池第二…1956年(昭和31年)3月運転開始、総出力10,000kW 岩木川第一…1960年(昭和35年)4月運転開始、総出力11,000kW 浅瀬石川…1988年(昭和63年)6月運転開始、総出力17,100kW 火力発電:県内では、八戸市に1箇所立地している 八戸…1958年(昭和33年)6月運転開始、出力250,000kW 八戸5号機…2012年(平成24年)7月運転開始、出力416,000kW 風力発電:県内には2010年(平成22年)3月末現在で、10kW以上の出力を持つ風力発電設備が11市町村に立地し、県全体で200基・総出力292,540kWを有する。基数は北海道に次いで全国で2番目、総出力は全国一の風力発電県となっている。うち、総出力10,000kW以上となっている町村は以下の通りである[61]。 野辺地町…1998年(平成10年)1月より順次運転開始、全27基、総出力50,800kW 東通村…1998年(平成10年)4月より順次運転開始、全72基、総出力104,550kW 六ヶ所村…2003年(平成15年)1月より順次運転開始、全78基、総出力105,850kW 横浜町…2003年(平成15年)10月より順次運転開始、全6基、総出力10,500kW 五所川原市…2010年(平成22年)1月より順次運転開始、全8基、総出力15,440kW 太陽光発電:東北電力で、同社の八戸火力発電所構内に1施設を有する 八戸…2011年(平成23年)12月運転開始、総出力約1,500kW 原子力関連 東通原子力発電所…東北電力と東京電力の2社による。2社の施設がすべて完成すると、総出力5,255,000kWとなる予定。 東北電力1号機…2005年(平成17年)12月運転開始、出力1,100,000kW 東京電力1号機…2010年(平成22年)12月着工、2017年(平成29年)3月運転開始、出力1,385,000kW(予定) 東北電力2号機、東京電力2号機の正確な着工時期は未定。 大間原子力発電所…2008年(平成20年)5月着工、2014年(平成26年)11月運転開始、出力1,383,000kW(予定) 核燃料サイクル施設…六ヶ所村に建設されている施設群の総称 使用済み核燃料中間貯蔵施設…むつ市に計画。2010年(平成22年)7月着工、2012年(平成24年)7月1棟目運転開始、貯蔵量約5,000t(うち1棟目約3,000t)(予定) 原子力船むつ…当初の母港が大湊港(むつ市)。のち新母港として関根浜港(むつ市)を新設。 国際熱核融合実験炉 (ITER)…本体はフランス=カダラッシュに建設されるが、関連施設(幅広いアプローチ)が六ヶ所村に立地 原子力関連年表 1967年9月 大湊港を原子力船の母港に決定 1969年4月 原子力船の船名を「むつ」に決定 1970年6月 東北電力および東京電力の2社による東通村への原子力発電所立地を発表 1970年7月 「むつ」が大湊港に入港。入港時は原子炉は搭載されておらず、入港後大湊港内で艤装された 1974年8月 「むつ」が大湊港を出港。陸奥湾内での原子炉運転に対する湾内漁民の猛抗議(約100隻の漁船による「むつ」出港阻止の実力行使)のため、25日出港が26日未明にずれ込む。 1982年8月 大湊港に代わり、むつ市関根浜地区に「むつ」の新定係港(関根浜港)建設が決定 1983年2月 関根浜港着工 1985年4月 核燃料サイクル施設、六ヶ所村に立地決定 1985年5月 大間町への新型転換炉実証炉建設(大間原子力発電所の立地)決定 1988年1月 関根浜港の係留施設が完成。「むつ」入港 1988年10月 核燃料サイクル施設のうち、ウラン濃縮工場着工 1990年11月 核燃料サイクル施設のうち、低レベル放射性廃棄物埋設センター着工 1992年3月 ウラン濃縮工場操業開始 1992年5月 核燃料サイクル施設のうち、高レベル放射性廃棄物貯蔵管理センター着工 1992年9月 「むつ」解役工事着手(原子炉を撤去し、改装のうえ、1996年(平成8年)8月海洋地球研究船みらいとして進水) 1992年12月 低レベル放射性廃棄物埋設センター操業開始 1993年4月 核燃料サイクル施設のうち、核燃料再処理工場着工 1995年4月 高レベル放射性廃棄物貯蔵管理センター操業開始 1995年8月 大間原子力発電所について、新型転換炉実証炉からMOX燃料による改良型沸騰水型軽水炉に転換 1998年12月 東通原子力発電所(東北電力1号機)着工 2002年6月 ITER政府間協議において、建設予定地として六ヶ所村を提案 2005年6月 ITER閣僚級会合において、ITER本体の建設地がフランス国内に決定。六ヶ所村は落選。 2005年10月 使用済み核燃料中間貯蔵施設、むつ市に立地決定 2005年12月 東通原子力発電所(東北電力1号機)運転開始 2006年11月 ITERプロジェクトの「幅広いアプローチ (BA)」施設が六ヶ所村に立地決定 2007年7月 BA施設である国際核融合エネルギー研究センターが開所 2008年5月 大間原子力発電所着工 2008年5月 国際核融合エネルギー研究センター研究棟着工 2009年4月 国際核融合エネルギー研究センター管理研究棟完成 2010年4月 国際核融合エネルギー研究センター完成 2010年8月 使用済み核燃料中間貯蔵施設着工 青森県内に本社を置く企業[編集] 上場企業のみ記載した。 みちのく銀行 青森銀行 サンデー 東北化学薬品 大平洋金属 - 登記上の本社は東京都となっているが、実質的な本社機能は八戸製造所内に設置 日本原燃 - 非上場企業であるが、資本金・売上高は県内最大の企業(国策会社) ユニバース - 東証一部に上場していたが、アークスとの経営統合により上場廃止 「Category:青森県の企業」を参照 生活・交通[編集] 警察[編集] 青森県警察 交通[編集] 空港[編集] 青森空港 三沢空港 鉄道[編集] JR東日本・JR北海道 東北新幹線・北海道新幹線 新青森駅 JR東日本 東北新幹線 八戸駅 JR東日本・弘南鉄道 弘前駅 津軽鉄道線 拠点となる駅 新青森駅、青森駅、八戸駅、弘前駅 路線 東日本旅客鉄道 東北新幹線 奥羽本線 大湊線 五能線 八戸線 津軽線 北海道旅客鉄道 北海道新幹線 海峡線 弘南鉄道 弘南線 大鰐線 津軽鉄道 津軽鉄道線 青い森鉄道 青い森鉄道線(第二種鉄道事業者) 青森県鉄道施設条例に基づき青森県が「設置」(保有)する鉄道路線。県が第三種鉄道事業者、青い森鉄道が第二種鉄道事業者(他日本貨物鉄道)。東日本旅客鉄道から東北本線の一部(青森駅〜目時駅)を譲受。 IGRいわて銀河鉄道 いわて銀河鉄道線 東日本旅客鉄道から東北本線の一部(目時駅以南)を譲受 海路[編集] 青函航路:青森港 - 函館港 津軽海峡フェリー 青函フェリー(北日本海運・共栄運輸) 八苫航路:八戸港 - 苫小牧港 シルバーフェリー(川崎近海汽船) 大函航路:大間港 - 函館港 津軽海峡フェリー むつ湾フェリー:蟹田 - 脇野沢 シィライン:青森 - 脇野沢 - 牛滝 - 福浦 - 佐井 2008年11月を以って青函航路、青蘭航路(青森港 - 室蘭港)、大函航路でフェリーを運航していた東日本フェリーがフェリー事業から撤退。青蘭航路は廃止され、12月から青函航路と大函航路はグループ会社の津軽海峡フェリーが運航を引き継いだ。 道路[編集] 高速自動車国道[編集] 東北自動車道 八戸自動車道 青森自動車道 津軽自動車道 上北自動車道 有料道路[編集] みちのく有料道路 第二みちのく有料道路 百石道路 青森空港有料道路 津軽岩木スカイライン 一般国道[編集] 国道4号 国道7号 国道45号 国道101号 国道102号 国道103号 国道104号 国道279号 国道280号 国道282号 国道338号 国道339号 国道340号 国道394号 国道454号 県道・主要地方道[編集] 詳細は「青森県の県道一覧」を参照 路線バス[編集] 弘南バス 青森市営バス(青森市企業局企業部) 下北交通(下交バス) 十和田観光電鉄(十鉄バス) 八戸市営バス(八戸市交通部) 南部バス(岩手県北自動車南部支社) JRバス東北 青森観光バス 脇野沢交通 川内交通 今別町巡回バス 外ヶ浜町循環バス 蓬田村営バス 六戸町民バス ながわ里バス 医療・福祉[編集] 詳細は「Category:青森県の医療機関」を参照 災害拠点病院 青森県災害拠点病院 保育所 青森県保育所一覧 教育[編集] 詳細は「Category:青森県の大学」を参照 専修学校 青森県専修学校一覧 特別支援学校 青森県特別支援学校一覧 高等学校 青森県高等学校一覧 中学校 青森県中学校一覧 小学校 青森県小学校一覧 幼稚園 青森県幼稚園一覧 マスメディア[編集] 新聞[編集] 全国紙 読売新聞 朝日新聞 毎日新聞 日本経済新聞 産経新聞 ブロック紙 河北新報 地方紙 東奥日報(青森市) デーリー東北(八戸市) 陸奥新報(弘前市) 津軽新報(黒石市) テレビ局[編集] 地上波放送においては、県内に以下の各局が所在している。 NHK青森放送局 青森放送(RAB、NNN/NNS系列) 青森朝日放送(ABA、ANN系列) 青森テレビ(ATV、JNN系列) ※青森県にはFNN/FNS系列局が存在しないため、同県のFNN系列局による報道取材はフジテレビ青森支局及び岩手めんこいテレビ八戸支局が担当している。 ケーブルテレビ[編集] カテゴリ(Category:青森県のケーブルテレビ局)を参照 ラジオ局[編集] AMラジオ局 NHK青森放送局 青森放送(JRN・NRN系列) AFN三沢(米軍三沢基地向けのラジオ放送。周辺地域でも聴くことができる) FMラジオ局 NHK青森放送局 エフエム青森(AFB、JFN系列) コミュニティFM局 エフエムむつ(むつ市) Be FM(八戸市) FMアップルウェーブ(弘前市) FMジャイゴウェーブ(南津軽郡田舎館村) G.Radio(五所川原市) 文化・スポーツ[編集] 方言[編集] 青森県内で話される方言は大きく以下の三種類に分けられるが、津軽弁と南部弁の違いの大きさは県民の間でもしばしば話題になる。 津軽弁 - 津軽地方の方言。 南部弁 - 南部地方の方言。八戸弁など。岩手県北部にまたがる。 下北弁 - 下北半島の方言。アクセントは南部弁に近い。 食文化[編集] 「:Category:青森県の食文化」も参照 郷土料理 詳細は「日本の郷土料理一覧#青森県」を参照 食文化 海産物 - 七子八珍 食材 - 津軽味噌 - 生姜味噌おでん 津軽地方には砂糖を入れた甘口の赤飯があり、コンビニなどで買うこともできる。また、栗などを入れた甘口の茶碗蒸しも食べられており、塩味の赤飯や茶碗蒸しを食べ慣れている県民は多くなく、ほとんどの地域で甘口の物を食べている。 伝統工芸[編集] 経済産業大臣指定伝統的工芸品 津軽塗(漆器、1975年) 伝統工芸品 詳細は「日本の伝統工芸品の一覧#青森県」を参照 生活文化[編集] 芥川賞第44回 三浦哲郎「忍ぶ川」 直木賞第23回 今日出海「天皇の帽子」 直木賞第35回 今 官一「壁の花」 直木賞第36回 今 東光「お吟さま」 直木賞第61回 佐藤愛子「戦いすんで日が暮れて」 直木賞第69回 長部日出雄「津軽世去れ節」「津軽じょんから節」 文化勲章1970年(昭和45年) 棟方志功 スポーツ[編集] 「:Category:青森県のスポーツチーム」も参照 青森ワッツ 男子バスケットボール(ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ) ヴァンラーレ八戸(JFL・八戸市) ラインメール青森(JFL・青森市) 東北フリーブレイズ(アジアリーグアイスホッケー・八戸市(郡山市)) オリンピックメダリスト(県出身者) 金3名(7個) 伊調馨 - レスリング(2004アテネ、2008北京、2012ロンドン、2016リオ・デ・ジャネイロ) 小原日登美 - レスリング(2012ロンドン) 斉藤仁 - 柔道(1988ソウル、1984ロサンゼルス) (三ヶ田礼一 - スキー・ノルディック複合(1992アルベールビル)…東奥義塾高等学校卒) 銀6名(7個) 太田忍 - レスリング(2016リオ・デ・ジャネイロ) 古川高晴 - アーチェリー(2012ロンドン) 伊調千春 - レスリング(2004アテネ、2008北京) 泉浩 - 柔道(2004アテネ) 斎藤春香 - ソフトボール(2000シドニー) 赤石光生 - レスリング(1984ロサンゼルス) (水谷準 - 卓球(2016リオ・デ・ジャネイロ)…青森山田中学高等学校卒) (丹羽孝希 - 卓球(2016リオ・デ・ジャネイロ)…青森山田中学高等学校卒) (福原愛 - 卓球(2012ロンドン)…青森山田中学高等学校卒) (藤井瑞希 - バドミントン(2012ロンドン)…青森山田高等学校卒) (垣岩令佳 - バドミントン(2012ロンドン)…青森山田高等学校卒) 銅4名(4個) 斎藤春香 - ソフトボール(2004アテネ) 赤石光生 - レスリング(1992バルセロナ) 坂本勉 - 自転車(1984ロサンゼルス) 田辺清 - ボクシング(1960ローマ) (水谷準 - 卓球(2016リオ・デ・ジャネイロ)…青森山田中学高等学校卒) (福原愛 - 卓球(2016リオ・デ・ジャネイロ)…青森山田中学高等学校卒) 大相撲の県出身横綱6名 第42代鏡里喜代治 第45代初代若乃花幹士 第49代栃ノ海晃嘉 第56代2代目若乃花幹士 第59代隆の里俊英 第63代旭富士正也 1883年(明治16年)5月場所に「一ノ矢」が入幕して以来、青森県出身の幕内力士が途絶えたことがない 県内で開催された主なスポーツイベント 1925年 大鰐町で第3回全日本スキー選手権大会が開催(以後、複数回開催) 1929年 八戸町(現:八戸市)で第1回全日本スピードスケート選手権大会が開催(以後、複数回開催) 1932年 八戸市で第3回全日本アイスホッケー選手権大会が開催(以後、複数回開催) 1947年1月 八戸市で第1回冬季国民体育大会が開催(以後、複数回開催) 1977年 第32回国民体育大会(テーマ:あすなろ国体、冬季、夏・秋季)が開催 2001年10月 弘前市で第10回世界相撲選手権大会、第1回世界女子相撲選手権大会が開催 2003年2月 第5回アジア冬季競技大会開催 2007年3月 青森市で世界女子カーリング選手権大会が開催 2007年9月 第20回全国スポーツ・レクリエーション祭(スポレクあおもり)開催 ※本県はプロ野球公式戦を開催可能な規格の野球場が無いため、東北地方で唯一プロ野球公式戦が開催されていない。 観光[編集] 名所・旧跡等。マウスを点に合わせてください ■:県庁所在地、■:温泉、■:名所旧跡等、■:山 詳細は「青森県の観光地」を参照 姉妹地域・提携地域[編集] イタリアの旗 リグーリア州 (イタリア)[62] 2002年5月7日 友好協定締結 青森県出身の人物[編集] 詳細は「青森県出身の人物一覧」を参照 青森県を舞台とした作品[編集] 映画[編集] 青い山脈 由起子 - 監督:今井正、出演:津島恵子、木村功、野添ひとみ 飢餓海峡 - 監督:内田吐夢、出演:三國連太郎、左幸子、伴淳三郎 乱れ雲 - 監督:成瀬巳喜男、出演:司葉子、加山雄三、草笛光子 出所祝い - 監督:五社英雄、出演:仲代達矢、安藤昇、黒沢年男、夏八木勲 混血児リカ ひとりゆくさすらい旅 - 監督:中平康、出演:青木リカ、峰岸隆之介、殿山泰司 田園に死す - 監督:寺山修司、出演:菅貫太郎、高野浩幸 トラック野郎・御意見無用 - 監督:鈴木則文、出演:菅原文太、中島ゆたか、愛川欽也 八甲田山 - 監督:森谷司郎、出演:北大路欣也、三國連太郎、高倉健 看護婦のオヤジがんばる - 監督:神山征二郎、出演:前田吟、佐藤オリエ 海峡 - 監督:森谷司郎、出演:高倉健、吉永小百合、三浦友和 魚影の群れ - 監督:相米慎二、出演:緒形拳、夏目雅子、佐藤浩市 刑事物語2 りんごの詩 - 監督:杉村六郎、主演:武田鉄矢 いこかもどろか - 監督:生野慈朗、出演:明石家さんま、大竹しのぶ、小林稔侍 満月 Mr.Moonlight - 監督:大森一樹、出演:時任三郎、原田知世、石黒賢、天宮良、加藤治子 ゴジラvsメカゴジラ - 監督:大河原孝夫 出演:高嶋政宏、佐野量子 傷だらけの天使 - 監督:阪本順治、出演:豊川悦司、真木蔵人、原田知世 夜の哀しみ - 監督:岡泰叡、出演:平淑恵、石原良純、小此木優也 青いうた〜のど自慢 青春編〜 - 監督:金田敬、出演:濱田岳、冨浦智嗣 、寺島咲、斉藤由貴 アオグラ - 監督:小林要、出演:内田朝陽、橋爪遼、坂本真 素敵な夜、ボクにください - 監督:中原俊、出演:吹石一恵、キム・スンウ、占部房子 五重塔 - 監督:秋原正俊、出演:ガッツ石松、飯田圭織、小倉一郎 伊藤の話 - 監督:秋原正俊、出演:温水洋一、田丸麻紀 三本木農業高校、馬術部 - 監督:佐々部清、出演:長渕文音、柳葉敏郎、黒谷友香 へばの - 監督:木村文洋、出演:西山真来、吉岡睦雄 ウルトラミラクルラブストーリー - 監督:横浜聡子、出演:松山ケンイチ、麻生久美子 わさお - 監督:錦織良成、出演:薬師丸ひろ子、きくやわさお 津軽百年食堂 - 監督:大森一樹、出演:藤森慎吾、中田敦彦、福田沙紀、ちすん、伊武雅刀 明日に架ける愛 - 監督:香月秀之、出演:市井紗耶香、アレックス・ルー、八千草薫 奇跡のリンゴ - 監督:中村義洋、出演:阿部サダヲ、菅野美穂、池内博之、笹野高史、伊武雅刀 りんごのうかの少女 - 監督:横浜聡子、出演:とき(りんご娘)、永瀬正敏、工藤夕貴 ライアの祈り(2015年6月13日公開、配給:アイエス・フィールド、監督:黒川浩行、出演:鈴木杏樹、宇梶剛士、武田梨奈) 小説[編集] 津軽(太宰治) 思ひ出(太宰治) 若い人(石坂洋次郎) 青い山脈(石坂洋次郎) 草を刈る娘(石坂洋次郎) わが日わが夢(石坂洋次郎) 八甲田山死の彷徨(新田次郎) 海峡(井上靖) 飢餓海峡(水上勉) 菜の花の沖<第五巻>(司馬遼太郎) 津軽世され節(長部日出雄) 津軽じょんから節(長部日出雄) 消えた城塞(長部日出雄) 風雪平野(長部日出雄) 辻音楽師の唄 - もう一つの太宰治伝(長部日出雄) 桜桃とキリスト - もう一つの太宰治伝(長部日出雄) 鬼が来た 棟方志功伝(長部日出雄) 白い闇(松本清張) おろおろ草紙(三浦哲郎) 白夜を旅する人々(三浦哲郎) 百日紅の咲かない夏(三浦哲郎) 拳銃と十五の短篇(三浦哲郎) 野(三浦哲郎) はまなす物語(三浦哲郎) 夜の哀しみ(上)(下)(三浦哲郎) しづ女の生涯(三浦哲郎) おらんだ帽子(三浦哲郎) みちづれ 短篇集モザイク(三浦哲郎) 愁月記(三浦哲郎) 曠野の妻(三浦哲郎) 冬の雁(三浦哲郎) 宇曽利湖心中(三浦哲郎) 愛はこんがらがって(みうらじゅん) 魚影の群れ(吉村昭) ブルー・スノウ(川田拓矢) 津軽三味線(倉光俊夫) 晴子情歌(高村薫) 新リア王(高村薫) 生(田山花袋) あん火(佐藤紅緑) 父の葬式(葛西善蔵) やり・へら・にっこ(安岡章太郎) 空と山のあいだ(田澤拓也) 津軽太平記(獏不次男) 私の胸には蝮が宿り(長坂秀佳) 蒼茫の大地、滅ぶ(西村寿行) 紀行文[編集] 街道をゆく三、陸奥のみち肥薩のみち(司馬遼太郎) 街道をゆく、北のまほろば(司馬遼太郎) アニメ[編集] 雲のむこう、約束の場所 センチメンタルジャーニー第十一話 安達妙子〜ほろにがトライアングル〜 ガンパレード・オーケストラ・白の章 機甲戦記ドラグナー第22話『ギガノス要塞破壊命令』 .hack//Quantum ふらいんぐうぃっち弘前市 ドラマ[編集] 私の青空 黒革の手帖スペシャル〜白い闇 新春ドラマスペシャル・マグロ いのち 青い鳥 繭子ひとり 筆談ホステス ドキュメンタリー[編集] マグロに賭けた男たち 漫画[編集] ザ・ワールド・イズ・マイン(1997年 - 2001年、新井英樹) シャーマンキング(武井宏之) 韃靼タイフーン(安彦良和:弘前大学出身) FRONT MISSION DOG LIFE & DOG STYLE「防人の詩」編(作:太田垣康男、画:C.H.LINE) リアリズムの宿(つげ義春) 音楽[編集] 「津軽のふるさと」(1952年)(美空ひばり) 「リンゴ追分」(1952年)(美空ひばり)- モノローグ部分の方言を間違えていることが指摘されている 「津軽海峡・冬景色」(1977年)(石川さゆり)- ただし、歌詞中の人々は北海道へと都市部(東京)から帰る途上であり、当歌と青森県の関連は比較的薄い 「世去れのお涼」(1979年)(小林旭) 「風雪ながれ旅」(1980年)(北島三郎)- ただし、歌詞には「留萌」「滝川」「稚内」など北海道の地名も登場する 「帰ってこいよ」(1980年)(松村和子) 「津軽平野」(1984年)(千昌夫、吉幾三) 組曲「フォー・シーズンズ」 (Four Seasons of Morita Village) (1996年)(穐吉敏子) 「津軽恋女」(1987年)(新沼謙治) 「青森ロック大臣」(1998年)(人間椅子) 「青森駅」(2005年)(マニ☆ラバ) 「JAZZDAJA?JAZZDAGA!」(2007年)(伊藤君子)(津軽弁のジャズ) 「恐山ル・ヴォワール」(2011年)(林原めぐみ) 「林檎華憐歌」(2012年)(ビートまりお) 脚注[編集] [ヘルプ] ^ “【正論】津軽海峡を全面領海にして守れ 東海大学教授・山田吉彦”. 産経新聞. (2013年11月5日). オリジナルの2017年6月20日時点によるアーカイブ。 2017年6月23日閲覧。 ^ “日本の領海等概念図”. 海上保安庁海洋情報部. 2017年6月23日閲覧。 ^ 1988年(昭和63年)3月13日に開催された事務次官等会議において、公海下約4.7kmが東津軽郡三厩村(現・外ヶ浜町)、約5kmが福島町に編入されることとなった。外ヶ浜町の青函トンネル記念館には、三厩村と福島町の境界を示す標識が展示されている。 ^ 農林水産省 平成19年度(概算値)、平成18年度(確定値)の都道府県別食料自給率 ^ 労働力調査 年平均 都道府県別完全失業率(モデル推計値) http://www.stat.go.jp/data/roudou/pref/zuhyou/lt06y.xls ^ 厚生労働省 平成20年賃金構造基本統計調査(都道府県別速報)統計表1 ^ デーリー東北 青森県の有効求人倍率0.42倍(2011/08/30 22:05)http://cgi.daily-tohoku.co.jp/cgi-bin/news/2011/08/30/new1108302203.htm ^ 青森労働局 最近の雇用情勢について (PDF) - (平成23年7月)Ⅳ 安定所別求人倍率の状況(学卒を除きパートタイムを含む全数…原数値) ^ 青森県社会経済白書(平成20年度版) (PDF) pp.50 図1-1-12県外転出、県内転出の推移 ^ 青森県教育委員会 高等学校卒業者の進路状況—平成21年5月1日現在— pp2.表 卒業後の進路状況 ^ 大学進学者の 64.8% 、就職者の 54.3% 、その他短大生含む。専修学校の学生は県内外に分類されていないため、実際には県外に流出する学生数は若干多いことを考慮しなければならない。 ^ 高校卒業後の県外進学者・就職者の中には住民票を県内に置いたままの可能性があるため、県の人口統計の転出者数と異なる。このため、ここではデータに信頼性がある青森県教育委員会の進路状況調査の数値を利用している。 ^ 22歳の数値は本県の大学卒業生以外の転出者も含む。 ^ 青森県企画政策部 平成21年青森県の人口 2009年の20歳から24歳までの転出者7118人を対象にした調査 ^ ジョブカフェあおもり http://www.jobcafe-aomori.jp/index.php ^ 青森県の由来や地名について(2008年7月1日 青森県県民生活文化課)http://www.pref.aomori.lg.jp/bunka/culture/shitsumon01.html ^ (財)総合初等教育研究所 社会についての基礎的知識の習得に関する調査(平成19年:小学5 - 6年生) ^ 帝国書院 都道府県名認知度調査(平成14年:小学生)(平成16年:中学生) ^ 全国都道府県市区町村別面積調 国土地理院 2013年11月28日閲覧 ^ 北海道・東北地方の東西南北端点と重心の経度緯度 国土地理院 2013年9月26日閲覧 ^ 青森県 市区町村の役所・役場及び東西南北端点の経度緯度(世界測地系) 国土地理院 2013年9月26日閲覧 ^ 我が国の人口重心 -平成22年国勢調査結果から- 統計局 2013年9月26日閲覧 ^ 青森県・青森県観光連盟 あおもり教育旅行ガイド ^ a b c 平成22年全国都道府県市区町村別面積調(国土交通省国土地理院) ^ a b 青森県統計データランド ^ 青森県庁 東青地域県民局の概要 ^ 青森県庁 青森県地域県民局及び行政機関設置条例 ^ 小口雅史「古代蝦夷の時代」 長谷川成一・村越潔・小口雅史・斉藤利男・小岩信竹『青森県の歴史』2002年3月 53ページ ^ 「爾薩体」は、岩手県二戸郡・九戸郡から青森県三戸郡にあたる地域を指すと考えられている。青森県では従来「にさて」と読まれることが多かった。「にさたい」「にさったい」とも読まれる。岩手県二戸市に「仁左平(にさったい)」という地名がある。かつては「爾薩体」と表記されており、古代の「爾薩体」に繋がると考えられる。 ^ 糠部五郡とは糠部郡、岩手郡、閉伊郡、鹿角郡、津軽郡 (陸奥国)のことだとされているが、これらは後の16世紀半ば南部氏領の最大版図とほぼ同域であり、豊臣政権から領地安堵してもらうことと津軽地方を押領している大浦(津軽)為信が惣無事令に違反する逆徒と訴えていることについて、歴史的にも正当性があるように南部家伝を捏造したと考えられている。 ^ 2010年国勢調査 ^ 2010年国勢調査 ^ 2008年住宅土地統計調査 ^ 外国人登録者数:「平成22年版在留外国人統計」(法務省) ^ 2010年国勢調査 ^ 2010年国勢調査 ^ 2010年国勢調査 ^ 2010年国勢調査 ^ 2010年国勢調査 ^ 平成23年賃金構造基本統計調査 ^ 平均年齢:42.4歳,勤続年数11.6年 ^ 平均年齢:43.3歳,勤続年数12.8年 ^ 平均年齢:40.9歳,勤続年数 9.6年 ^ 平成21年全国消費実態調査,世帯分布編 - 総世帯 ^ 将来の都道府県別総人口 http://www.ipss.go.jp/pp-fuken/j/fuken2007/kanmatu/kan/kanmatu01.xls ^ 青森県平成21年青森県保健統計年報 表1 ^ 転入超過率(降順)の推移(平成17年 - 平成23年) http://www.stat.go.jp/data/idou/2010np/shousai/youyaku/index.htm ^ 都道府県別転出者の主な移動後の住所地(平成20年) http://www.stat.go.jp/data/idou/2008np/ritsu/zuhyou/sankou2.xls ^ http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/List.do?bid=000001036793&cycode=0 総務省統計局 社会生活統計指標 -都道府県の指標-2012 ^ http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/life/tdfk05/02.html 厚生労働省 都道府県別にみた平均余命 ^ 平成 22 年青森県人口動態統計(確定数)の概況 ^ 平成 22 年青森県人口動態統計(確定数)の概況 ^ 厚生労働省の『平成22年度 「出生に関する統計」の概況』p.34 ^ 厚生労働省 都道府県別にみた出生 ^ 社会実情データ図録 都道府県別できちゃった結婚比率 ^ 国民経済計算 ^ リンゴ:輸出商戦熱く 県協会が台湾バイヤーを招待、安全訴え /青森 ^ データで見るりんご:輸出入 ^ 青森県 農水産物輸出額が過去最高 リンゴがアジアで人気 ^ 長宗拓弥(2015年4月25日). “シジミ漁獲量:県、4年ぶり全国一 青森から奪還 湖沼別でも宍道湖”. 毎日新聞 (毎日新聞社) ^ (独)新エネルギー・産業技術総合開発機構 (NEDO) 資料 ^ “日本・イタリア間で提携された姉妹都市(リスト)”. 在イタリア日本国大使館. 2012年11月24日閲覧。 関連項目[編集] ポータル 日本の都道府県/青森県 ポータル 日本の都道府県/青森県 Large format camera lens.jpg 青森県に関連するメディアがあります。 ウィキペディアの姉妹プロジェクトで 「青森県」に関する情報が検索できます。 ウィクショナリーの辞書項目 ウィキブックスの教科書や解説書 ウィキクォートの引用句集 ウィキソースの原文 コモンズでメディア(カテゴリ) ウィキニュースのニュース ウィキボヤージュの旅行ガイド ウィキデータのデータ ウィキスピーシーズの生物目録 Category:青森県 陸奥国 青森県の建築物 青森県の自然景勝地 日本の地理、日本の地域 外部リンク[編集] オープンストリートマップには、青森県に関連する地理データがあります。 行政 青森県 青森県庁 (@AomoriPref) - Twitter 広報 青森県広報広聴課 (@aomorist) - Twitter あおもり映像素材ライブラリー - 公式YouTubeチャンネル(青森県企画政策部広報広聴課) 観光 青森県観光情報 アプティネット あおもり産品情報サイト うまいものたち 先代: 弘前藩 館県・黒石県・斗南県・ 七戸県・八戸県 行政区の変遷 1871年 - (弘前県→青森県) 次代: ----- 開拓使(旧館県) [表示] 表 話 編 歴 日本の旗 日本の都道府県 [表示] 表 話 編 歴 青森県の旗 青森県の自治体 典拠管理 WorldCat VIAF: 125435807 LCCN: n80022938 ISNI: 0000 0001 2033 7282 GND: 4390420-8 NDL: 00262431 カテゴリ: 日本の都道府県青森県並行在来線事業者日本の鉄道事業者 案内メニュー ログインしていませんトーク投稿記録アカウント作成ログインページノート閲覧編集履歴表示検索 Wikipedia内を検索 表示 メインページ コミュニティ・ポータル 最近の出来事 新しいページ 最近の更新 おまかせ表示 練習用ページ アップロード (ウィキメディア・コモンズ) ヘルプ ヘルプ 井戸端 お知らせ バグの報告 寄付 ウィキペディアに関するお問い合わせ 印刷/書き出し ブックの新規作成 PDF 形式でダウンロード 印刷用バージョン 他のプロジェクト コモンズ ウィキクォート ツール リンク元 関連ページの更新状況 ファイルをアップロード 特別ページ この版への固定リンク ページ情報 ウィキデータ項目 このページを引用 他言語版 العربية English Español हिन्दी Bahasa Indonesia 한국어 Русский اردو 中文 他 68 リンクを編集 最終更新 2017年7月5日 (水) 08:26 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。 テキストはクリエイティブ・コモンズ 表示-継承ライセンスの下で利用可能です。追加の条件が適用される場合があります。詳細は利用規約を参照してください。 プライバシー・ポリシーウィキペディアについて免責事項開発者Cookieに関する声明モバイルビューWikimedia Foundation Powered by MediaWiki