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Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0)

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Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0) --------- --------- 福島県 ふくしまけん 福島県 Miharu Miharu-Takizakura Front 1.JPG 三春滝桜 福島県の旗 福島県旗 国 日本の旗 日本 地方 東北地方 団体コード 07000-9 ISO 3166-2:JP JP-07 面積 13,783.74km² 総人口 1,886,679人 (推計人口、2017年5月1日) 人口密度 137人/km² 隣接都道府県 宮城県、山形県、茨城県、栃木県、群馬県、新潟県 県の木 ケヤキ 県の花 ネモトシャクナゲ 県の鳥 キビタキ 県の歌 県民の日 福島県県民の歌 8月21日 福島県庁 知事 内堀雅雄 法人番号 7000020070009 所在地 〒960-8670 福島県福島市杉妻町2番16号 北緯37度45分1秒東経140度28分3.9秒 福島県庁 外部リンク 福島県庁 福島県の位置 福島県行政区画図 ■ ― 市 / ■ ― 町 / ■ ― 村 地理院地図 Googleマップ Bing GeoHack MapFan Mapion Yahoo! NAVITIME ゼンリン ウィキポータル 日本の都道府県/福島県 表示・ノート・編集・履歴 ウィキプロジェクト 福島県(ふくしまけん)は、日本の都道府県のひとつ。東北地方の南部に位置する。県庁所在地は福島市。太平洋に面し奥羽山脈の東西にまたがって存在する。 面積は北海道、岩手県に次ぐ第3位。都道府県別の人口は第18位。人口密度は第39位である。 目次 [非表示] 1 概要 2 地理 2.1 地形 2.2 気候 2.3 自然公園 2.4 地域圏 2.4.1 中通り 2.4.2 浜通り 2.4.3 会津 2.5 都市圏 3 歴史 3.1 先史 3.2 古代 3.3 鎌倉開府から戦国時代まで 3.4 豊臣政権と徳川藩政時代 3.5 幕末から福島県成立まで 3.6 福島県成立後 4 人口 5 政治・行政 5.1 国政 5.2 県政 5.3 歴代知事(公選後) 5.4 財政 5.5 キャッチコピー 5.6 イメージキャラクター 6 経済・産業 6.1 第一次産業 6.2 第二次産業 6.3 第三次産業 6.3.1 主な大型商業施設 6.4 福島県の企業 6.4.1 福島県に本社のある主な企業 6.4.2 福島県に進出した主な企業 7 生活・交通 7.1 警察 7.2 交通 7.2.1 空港 7.2.2 鉄道 7.2.3 バス路線 7.2.4 道路 7.2.5 県道 7.3 医療・福祉 7.4 教育 7.5 マスメディア 7.5.1 新聞社 7.5.2 放送局 8 文化・スポーツ 8.1 方言 8.2 食文化 8.3 伝統工芸 8.4 伝統芸能 8.5 スポーツ 9 観光 9.1 国宝 9.2 重要伝統的建造物群保存地区 10 福島県を舞台とした作品 10.1 映画 10.2 テレビドラマ 10.3 漫画・アニメ 11 福島県出身の人物 12 脚注 12.1 注釈 12.2 出典 13 関連項目 14 外部リンク 概要[編集] 地域区分と2017年5月1日推計人口[1] (推計人口が発表されない自治体は2015年国勢調査速報値[2]で代用) 区 分 日本海側 奥 羽 山 脈 太平洋側 太 平 洋 会津 (旧若松県) 27.1万人 (14.4%) 中通り (旧福島県) 116.1万人 (61.5%) 浜通り (旧磐前県) 45.6万人 (24.2%) 会津 245,248人 (会津若松市他) 県北 484,315人 (福島市他) 相双 109,603人 (南相馬市他) 県中 534,972人 (郡山市他) 南会津 26,086人 (南会津町他) いわき 346,442人 (いわき市) 県南 141,771人 (白河市他) 地形・気候・交通・歴史などの面から、越後山脈と奥羽山脈に挟まれた日本海側内陸の「会津」、奥羽山脈と阿武隈高地に挟まれた太平洋側内陸の「中通り」、阿武隈高地と太平洋に挟まれた太平洋側沿岸の「浜通り」の3地域に分けられる。現在の福島県は、1876年(明治9年)8月21日に会津地域の前身にあたる若松県と中通り地域の前身にあたる福島県(1876年以前)と浜通り地域の前身にあたる磐前県の3県の合併によって成立した。県名の福島は、当時県庁所在地だった福島町から採ったものである。「福島」の名は福島城として使われたのが最初とされている[3]。 県の広域行政単位は、これらをさらに細分している。方言単位は、上記3区分の他に、3区分横断的な南北分類もされる(関東方言の影響が県南部で見られるため)。 県内の主要都市はそれぞれの分野に特化しており、行政機能が集中し全国有数の果物果樹地帯を形成している福島市。商業・内陸工業地帯となっている郡山市。広大な面積を持ち沿岸工業に特化するいわき市となっており、人口は3市とも30万人前後である。また会津地方の中心都市で史跡が多く存在する観光都市の会津若松市、白河市も重要な歴史都市である。 地理[編集] 日本、東北地方 隣接県: 宮城県 - 山形県 - 茨城県 - 栃木県 - 群馬県 - 新潟県 東北地方の南部に位置し、面積は 13,782.75km2 で、北海道、岩手県に次ぐ全国第3位である。県庁所在地の福島市は、東京から約270km、JR東北新幹線で約90分の位置にある。 東部の阿武隈高地、中央部を南北に縦断する奥羽山脈、北部から西部に連なる飯豊連峰・越後山脈の山岳地帯と、それらにより区切られ県中央部を南から北へ流れる阿武隈川の地溝帯に連なる盆地群から構成される中通り地方、県東部浜通り地方の沿岸平野部、西部の会津盆地を中心とした会津の3地域に大別される。 東部の阿武隈川と太平洋に区切られる阿武隈高地は標高 400 - 1,000m で八溝山地に続く比較的なだらかな山地が連なる。 北部から西部にかけての山岳地帯は日本有数の豪雪地帯として知られ、日本海へ注ぐ阿賀川の流域であり、多くの大型水力発電所が設けられた日本を代表する電源地帯となっている。また、その流域は磐梯朝日国立公園、尾瀬国立公園、日光国立公園、越後三山只見国定公園に指定された自然の宝庫であり、吾妻山・安達太良山・磐梯山などの諸活火山をはじめ、磐梯高原・会津高原・尾瀬などの山岳観光地がある。 会津地方の北西部、三国岳から飯豊山に、ひげのように細長く延びている県域がある。これは福島県側の地域住民の信仰上の理由で、ご神体となる飯豊山への参道を確保したためである。 福島県と群馬県は隣接しており、県境に会津沼田街道が存在するが、中間にある尾瀬の環境保護の面から自動車道の建設が中止されたため、車両で直接行き来できない(徒歩でのみ往来可能である)都道府県境となっている(カーフェリーで海上移動となる北海道・青森県境、鹿児島・沖縄県境等を除く、国道401号も参照の事。現在の日本で車両が越境できない都道府県境は本項と富山・長野県境の2つのみである。後者は尾瀬のように自然保護目的ではないが地形的にあまりにも険しく非常に山奥であるため歩道も含め直結道が一切存在せずアルペンルートを使ってのみ越境可能である)。 地形[編集] 平地 福島盆地(信達平野)、会津盆地、郡山盆地、白河盆地、猪苗代盆地 山地 奥羽山脈、阿武隈高地、越後山脈、那須山地 島 翁島 山 吾妻山、安達太良山、栗子山、霊山、磐梯山、飯豊山、燧岳、会津駒ヶ岳、帝釈山、会津布引山、浅草岳、日山、蒲生岳、大滝根山、宇津峰山、八溝山 高原 会津高原、磐梯高原、阿武隈高原、羽鳥湖高原、甲子高原、布引高原 峠 土湯峠、板谷峠、鳩峰峠、国見峠、大峠、六十里越、八十里越、沼山峠、藤峠、中山峠、山王峠、駒止峠 川 阿武隈川(支流:荒川、松川、摺上川、大滝根川)、阿賀川(支流:只見川、日橋川、長瀬川)、久慈川、宇多川、請戸川、夏井川 湖沼 猪苗代湖、五色沼 (福島市)、五色沼 (北塩原村)、尾瀬沼、松川浦、沼沢湖、雄国沼、曽原湖、桧原湖、秋元湖、小野川湖、奥只見湖、田子倉湖、若郷湖、羽鳥湖、母畑湖、さくら湖、茂庭っ湖 湿原 尾瀬、田代山湿原、駒止湿原、谷地平湿原、雄国沼湿原 花見山公園より見る福島盆地 会津盆地 磐梯高原(吾妻小富士、猪苗代湖等) 蒲生岳と只見川 左から順に尾瀬沼、燧ケ岳、尾瀬ヶ原。手前の谷は三条ノ滝から奥只見湖に繋がる只見川最上流部 布引高原から望む磐梯山と猪苗代湖 安積原野 松川浦 気候[編集] 福島県は東西に広く、さらに海岸や山地の地形装飾を受け、標高差も大きいため同じ県内であっても気候差は大きい。 浜通り地方 - 太平洋沿岸部は暖流(黒潮)の影響により夏は涼しく、冬は暖かい顕著な海洋性気候である。夏から秋にかけて台風の影響を受けやすい。特にいわき市の小名浜周辺は東北で最も温暖な地域であり(南関東平野部の気候に近い)、降雪も東北では最も少ない。事実、小名浜の1月の平均気温は3.6°Cと、さいたまの3.5°C、佐倉(千葉県)の3.3°C、八王子(東京都)の3.1°Cよりも高い。 阿武隈高地 - 標高が高い内陸性気候で、日照時間も多いために放射冷却が効きやすく、氷点下 10 °C を下回ることも少なくないほど冬の寒さが厳しいが、太平洋側気候のために積雪は少ない。夏季は冷害を受けることも多く冷涼である。 中通り地方 - 基本的に内陸性気候の特徴が混じった太平洋側気候であるが、阿武隈川流域の西側は冬型の気圧配置が強まると日本海側気候の影響を受け降雪することが多く、福島市の一部などが豪雪地帯に指定されている。降水量は 1,100 - 1,400mm と東北地方の中では少ないほうである。全般に北へ行くほど標高が低くなるので、夏季、冬季ともに温暖になる。したがって、年間を通じて福島盆地が最も気温が高く、桜前線もその標高差により北部の福島盆地 (65m) より始まり、郡山盆地 (240m) 、白河盆地 (360m) と南下して行く。夏の最高気温も最高気温の高い順に福島市、郡山市、白河市となる。福島盆地は夏は酷暑となることが多く、冬は中通り地方の中でも最も降雪の多い地域であるが、曇りの日が多いうえに、標高も最も低いため朝晩の冷え込みは最も弱い。 会津地方 - 日本海側気候となり雪の多い地域となっており、全域が豪雪地帯(半数以上が特別豪雪地帯)に属する。また内陸性の気候でもあり寒さは福島県の中でも厳しく、標高の高い地域は−20°C以下にまで下がることもあり、亜寒帯(冷帯)湿潤気候に属する。会津盆地は東北地方の太平洋沿岸、内陸部に冷害をもたらすやませの影響を受けることも少なく、フェーン現象により高温となることがある。只見川流域は日本屈指の豪雪地帯として知られ、その雪解け水を利用した水力発電が盛んである。 福島県内各地の平年値(統計期間:1971年 - 2000年、出典:気象庁・気象統計情報) 平年値 (月単位) 浜通り 阿武隈高地 中通り 相馬 浪江 広野 いわき市 小名浜 いわき市 山田 いわき市 上遠野 飯舘 田村市 船引 川内 小野町 小野新町 白河 二本松 塙町 東白川 福島市 (松木町) 福島市 茂庭 福島市 鷲倉 郡山 平均 気温 (°C) 最暖月 23.7 (8月) 23.6 (8月) 23.4 (8月) 23.9 (8月) 23.9 (8月) 22.0 (8月) 22.6 (8月) 22.1 (8月) 22.7 (8月) 23.3 (8月) 23.9 (8月) 23.6 (8月) 25.2 (8月) 23.2 (8月) 18.1 (8月) 24.2 (8月) 最寒月 1.8 (1月) 2.0 (1月) 2.8 (1,2月) 3.6 (2月) 2.1 (1月) −1.4 (1月) −0.8 (1月) −0.8 (1月) −1.0 (1月) 0.2 (1月) 0.4 (1月) −0.2 (1月) 1.4 (1月) −6.6 (2月) 0.7 (1月) 降水量 (mm) 最多月 238.8 (9月) 256.6 (9月) 247.5 (9月) 205.8 (9月) 205.1 (9月) 211.9 (9月) 170.3 (9月) 218.0 (9月) 193.1 (9月) 228.2 (8月) 182.7 (9月) 219.2 (9月) 169.2 (9月) 197.0 (9月) 348.6 (8月) 178.6 (7月) 最少月 22.1 (12月) 30.5 (12月) 35.2 (12月) 35.0 (12月) 32.8 (12月) 24.7 (2月) 27.8 (1月) 32.0 (12月) 25.2 (1月) 25.0 (12月) 23.6 (12月) 29.3 (12月) 32.5 (12月) 27.0 (12月) 平年値 (月単位) 中通り 会津 伊達市 梁川 玉川 石川 北塩原村 桧原 猪苗代 喜多方 若松 西会津 天栄村 湯本 金山 只見 南会津町 南郷 南会津町 田島 檜枝岐 平均 気温 (°C) 最暖月 24.6 (8月) 23.6 (8月) 20.2 (8月) 22.3 (8月) 24.2 (8月) 24.8 (8月) 23.9 (8月) 21.2 (8月) 23.0 (8月) 22.6 (8月) 22.2 (8月) 20.1 (8月) 最寒月 1.0 (1月) 0.0 (1月) −4.5 (2月) −2.4 (1,2月) −1.2 (1月) −0.7 (1月) −0.7 (1月) −2.2 (1月) −1.6 (1月) −2.6 (1月) −2.7 (1月) −3.9 (2月) 降水量 (mm) 最多月 159.7 (9月) 195.1 (9月) 234.5 (7月) 193.1 (7月) 200.9 (7月) 160.1 (9月) 208.6 (8月) 245.2 (9月) 303.4 (1月) 194.8 (7月) 185.0 (7月) 174.8 (7月) 最少月 29.3 (12月) 30.0 (12月) 114.7 (4月) 64.3 (2月) 81.0 (4月) 63.4 (4月) 87.5 (4月) 65.7 (12月) 110.0 (4月) 63.7 (4月) 61.0 (3月) 79.2 (4月) 自然公園[編集] 国立公園 磐梯朝日国立公園 尾瀬国立公園 日光国立公園 国定公園 越後三山只見国定公園 県立公園 霊山県立自然公園 霞ヶ城県立自然公園 南湖県立自然公園 奥久慈県立自然公園 磐城海岸県立自然公園 松川浦県立自然公園 勿来県立自然公園 只見柳津県立自然公園 大川羽鳥県立自然公園 阿武隈高原中部県立自然公園 夏井川渓谷県立自然公園 地域圏[編集] 福島県の地域区分図 福島県は東西に長い形状をしているが、2つの山地によって浜通り・中通り・会津の3つの地域に分かれており、天気予報でもこの呼称が使われている。東から順に、太平洋と阿武隈高地に挟まれている浜通り、阿武隈高地と奥羽山脈に挟まれている中通り、そして奥羽山脈と越後山脈に挟まれている会津となっている。 地形的に山地で隔てられているために、山越えした地域同士の交流は浅く、気候や文化にも差があり、3地域での同一県として帰属意識は低い。また南北においても城下町として栄えた会津若松を中心とする北会津地方と南会津地方、宿場町だった郡山市をはさんで県北地方と県南地方で歴史の違いや交流が乏しい傾向がある。同様に沿岸部においても相双地方といわき市にもこの傾向があることから、福島県は他県に比較すると一つの県としての統一感に乏しい傾向にある。 以下、人口は2017年5月1日現在の推計人口(福島県の総人口は1,886,679人)。 中通り 1,161,058人 浜通り 456,045人 会津 271,334人 県内は、さらに県庁の出先機関である地方振興局の管内によって7つに分けられている。以下、地方振興局ごとに市町村を記載する。なお、県北の本宮市・安達郡(約4万人)が県中に、相双の双葉郡(約0.7万人)がいわきに入るとする地域圏の設定もある。 以下の13市13郡31町15村がある。福島県では、町はすべて「まち」、村はすべて「むら」と読む。東北6県の中で唯一、「ちょう」と読む町が存在しない。 中通り[編集] 由来 - 中通りという名称は中山道に由来する。現在の中山道は、徳川幕府が江戸を中心として引き直した路線で、京都から加納(関ヶ原合戦前の岐阜)、塩尻、高崎を経て江戸(戊辰戦争後の東京)に至る路線である。古代の中山道は「東山道」といい、奈良(後に京都)を始点として、岐阜、塩尻、高崎、宇都宮に至り、宇都宮以北が現在の国道4号沿いに北上する東山道(律令制下の道国制の行政区)の主要街道だった。「中山道」という呼称自体が「東山道」の別称である。この縦貫道は中世には奥大道(おくのだいどう)とも呼ばれた。この縦貫道の名称から、福島県中通り地方は古代から中山道(中仙道)と呼ばれ、中世には仙道(せんどう)とも呼ばれた。なお、高崎から東京に至る関ヶ原合戦後の中山道は、元々は「東山道武蔵路」と呼ばれる東山道(中山道)の支路である。武蔵国はもともと東山道の1国であったが、771年(宝亀2年)に東海道に移管された。 気候 - 那須火山帯山麓は豪雪地帯で日本海側気候、それ以外の地域は太平洋側気候に属する。北部の福島盆地は典型的な内陸性盆地型気候で、夏は非常に高温になる。南部は那須高原に連なる高原地帯となるとので、北部に比べると低温傾向がある。そのため、中通りでは桜前線が北部から南部に南下して移動する。降雪はあるが、通常は 数cm - 15cm 程度で、30cm も積もれば大雪といわれる。生活面では降雪よりも夜間の路面凍結が深刻である。 文化 - 古来より奥州の玄関口として、街道筋として重要な役割を担った。高度成長期以後は東北新幹線や東北自動車道も整備されており、東京まで新幹線で1 - 2時間、自動車で2 - 3時間ということもあり、東京との結び付きも強めている。 中心地 - 北部に県庁所在地の福島市、中部に郡山市、そして南部に白河市の、3極が定立している。 県北地方振興局管内 484,315人 福島広域行政圏 市 福島市(県庁所在地) 伊達市 伊達郡 桑折町 国見町 川俣町 安達広域行政圏 市 二本松市 本宮市 安達郡 大玉村 県中地方振興局管内 534,972人 郡山広域行政圏 市 郡山市(中核市) 須賀川市 田村市 田村郡 三春町 小野町 岩瀬郡 鏡石町 天栄村 石川郡 石川町 玉川村 平田村 浅川町 古殿町 県南地方振興局管内 141,771人 白河広域行政圏 市 白河市 西白河郡 西郷村 泉崎村 中島村 矢吹町 東白川郡 棚倉町 矢祭町 塙町 鮫川村 浜通り[編集] 由来 - 浜通りという名称は陸前浜街道に由来がある。陸前浜街道は、戊辰戦争前には単に「浜街道」や「海道」とも呼ばれた道で、鎌倉以北(関ヶ原合戦後は江戸以北)の東海道に当たる沿岸路線で、現在の国道6号とほぼ一致する沿岸の街道である。奈良時代や平安時代の東海道は、鎌倉以西のみならず、鎌倉以北も含まれており、奈良(後に京都)を始点として、現在の名古屋、浜松、東京(戊辰戦争前の江戸)、水戸を経由して多賀城に至る路線であった。 気候 - 太平洋側気候に属する。東北地方としては非常に温暖で、夏は涼しく、冬は乾燥して雪もほとんど降らない。東北地方の他の地域よりも関東地方の沿岸部に近い、穏やかな気候である。 文化 - 関東地方東部(茨城県と千葉県)との結びつきが強い。元々は海道で常陸国や下総国と繋がっていた上に、岩城氏が常陸府中(戊辰戦争後の石岡)に源流を持つ常陸平氏の氏族であることや、相馬氏が鎌倉時代初期に下総国相馬郡(現在の茨城県取手から千葉県松戸にかけての地域)から入植したこともあり、茨城県や千葉県に根源を持つ神社仏閣やお祭りなどが少なくない。現在でも、茨城県や千葉県を中心に展開するチェーン店や製造業が福島県浜通りに店鋪や工場を出す、あるいは浜通りに本社を持つチェーン店や製造業が茨城県に店鋪や工場を出すなどの現象がしばしば見られる。 中心地 - 夜ノ森以南(旧岩城氏領)はいわき市平地区が中心地だが、夜ノ森以北(旧相馬氏領)は相馬市中村地区と南相馬市原町区に中心が分散している。 相双地方振興局管内 109,603人 相馬広域行政圏 市 相馬市 南相馬市 相馬郡 新地町 飯舘村 双葉広域行政圏 双葉郡 広野町 楢葉町 富岡町 川内村 大熊町 双葉町 浪江町 葛尾村 いわき地方振興局管内 346,442人 市 いわき市(中核市) 会津[編集] 由来 - 記紀の記述には、崇神天皇(すじんてんのう)が北陸道に遣わした大彦命(おおひこのみこと)と東海道に遣わした建沼河別命(たけぬかわわけのみこと)が、日本海側と太平洋側から遠征して出会ったのが相津(あいづ)だったという記述があり、この相津が後に会津と表記されるようになった説が有力である。他に会津盆地でいくつかの川が合流するために舟運の拠点として会津と呼ばれるようになった、あるいは日本海側と太平洋側の物産を運ぶ隊商が会津盆地で取引をすために会津と呼ばれるようになった、など諸説ある。 気候 - 日本海側気候に属する。新潟県と多くの県境を接しており、全国有数の豪雪地帯(一部特別豪雪地帯)である。 文化 - 会津藩に由来する文化が色濃く投影されている。また現在の武術武道界に多大な影響を与えた近代最強の武術家とたたえられる大東流合気柔術の武田惣角(たけだそうかく)の出身地(会津坂下町)としても名高い。現在でも会津若松を中心に剣道をはじめとする現代武道や各種の古武術が非常に盛んで、県立高校でも体育の授業に薙刀術があるなどの特色がある。ナショナルジオグラフィック、ヒストリーチャンネル、ディスカバリーチャンネル等の海外のドキュメンタリー製作でも、武士道や侍文化に関するドキュメンタリーではしばしば会津を例として取り上げる。 中心地 - 北部(北会津)は会津若松市が中心地、南部(南会津)では南会津町の旧田島町が中心地となっている。 会津地方振興局管内 245,248人 喜多方広域行政圏 市 喜多方市 耶麻郡(磐梯町と猪苗代町は会津若松広域行政圏) 北塩原村 西会津町 会津若松広域行政圏 市 会津若松市 耶麻郡(北塩原村と西会津町は喜多方広域行政圏) 磐梯町 猪苗代町 河沼郡 会津坂下町 湯川村 柳津町 大沼郡 三島町 金山町 昭和村 会津美里町 南会津地方振興局管内 26,086人 南会津広域行政圏 南会津郡 下郷町 檜枝岐村 只見町 南会津町 都市圏[編集] 都市雇用圏(10 % 通勤圏)の変遷 東北新幹線の駅が設置された都市圏は太字。 1980年 1990年 1995年 2000年 2005年 いわき 都市圏 34万 7408人 郡山 都市圏 49万 3891人 郡山 都市圏 52万 1116人 郡山 都市圏 53万 7493人 郡山 都市圏 54万 8310人 福島 都市圏 34万 3063人 福島 都市圏 40万 4636人 福島 都市圏 41万 0964人 福島 都市圏 41万 2353人 福島 都市圏 47万 0961人 郡山 都市圏 34万 1004人 いわき 都市圏 36万 1286人 いわき 都市圏 36万 6207人 いわき 都市圏 36万 5864人 いわき 都市圏 36万 0025人 会津若松 都市圏 19万 7672人 会津若松 都市圏 19万 7213人 会津若松 都市圏 19万 7316人 会津若松 都市圏 18万 8686人 会津若松 都市圏 24万 6056人 須賀川 都市圏 8万 0990人 須賀川都市圏は郡山都市圏に包含 原町 都市圏 7万 4296人 白河 都市圏 8万 6678人 白河 都市圏 9万 5084人 白河 都市圏 9万 6786人 白河 都市圏 9万 7136人 白河 都市圏 7万 2914人 原町 都市圏 7万 7162人 原町 都市圏 7万 7860人 原町 都市圏 7万 5020人 原町 都市圏 7万 2837人 喜多方 都市圏 4万 5780人 二本松 都市圏 6万 6988人 二本松 都市圏 6万 7268人 二本松 都市圏 6万 6077人 二本松都市圏は 福島都市圏に包含 二本松 都市圏 4万 5568人 喜多方 都市圏 6万 0818人 喜多方 都市圏 6万 3413人 喜多方 都市圏 5万 9701人 喜多方都市圏は 会津若松都市圏に包含 交通の変遷 1982年(昭和57年) - 東北新幹線 大宮 - 盛岡駅間開業 1985年(昭和60年) - 東北新幹線 大宮 - 上野駅間開業 1991年(平成3年) - 東北新幹線 上野 - 東京駅間開業 歴史[編集] 先史[編集] 福島県を含む北関東・東北地方における人の足跡は、後期旧石器時代に始まる。県域における遺跡としては平林遺跡(桑折町)や会津若松湊の笹山原遺跡群がある。この遺跡から旧石器時代人が製作し使用したとみられる石器群が発見されている。年代は約2万2000年前の AT よりも下から出土していることから、後期旧石器時代前半に属する。少しくだって約1万5000年前の塩坪遺跡(喜多方市高郷町)から熱を受けた139個のこぶし大の石がまとまって発見された。 この時代はまだ土器がなく、焼石は食材を直接加熱するのに使用されたのであろう[4]。 東北地方最大の前方後方墳・大安場古墳 縄文時代・弥生時代を経て古墳時代に入るが、福島県は大型の古墳が少ない東北地方にあって大安場古墳(郡山市、前方後方墳、全長約 83m)、会津大塚山古墳(会津若松市、前方後円墳、114m 、4世紀後半、東北最古級、割竹形木棺検出、三角縁神獣鏡出土)、亀ヶ森・鎮守森古墳(会津坂下町、前方後円墳、127m)などの大型の古墳が集積する。 古墳時代、畿内に前方後円墳が登場するのとほぼ同時期に会津地方でも前方後円墳が作られ始めており、すでに大和朝廷の影響下にあったことが窺える。古墳時代中期以降は、会津地方の古墳造営が減少し、代わって県南地方で盛んに古墳が作られた。県南地方の前方後方墳は隣接する那須地方(那須国造)から連続しており、南那須地方から県南地方一帯は古墳街道ともいうべき古墳集積地帯ともなっている。 古代[編集] 5世紀にはすでに北関東・東北の一部までがヤマト王権の影響下にあったと思われ、福島県域においても各国に国造が成立した。当初、大和朝廷の勢力圏は福島県域が北限であり、蝦夷勢力圏との境界に当たる信夫国(福島盆地)などの国には防備の任もあった。 また、関東や近畿地方などから、盛んに開拓のための移民も行われている。その後、国は評(こおり)と呼び名が代わり、陸奥国に再編された。また、大和朝廷の勢力圏も宮城県域、あるいはさらに北に拡大し、信夫評(しのぶごおり)も「北端」ではなくなった。 701年(大宝元年)の大宝律令の施行時には陸奥国となり、評は郡、評司(国造)は郡司になった。拡大した陸奥国から718年(養老2年)に石城国と石背国が分置された。 石城国 - 菊多郡、石城郡、標葉郡(しねはぐん or しめはぐん)、行方郡(なめかたぐん)、宇太郡、曰理郡(わたりぐん)の6郡 石背国(いわせのくに) - 信夫郡、安積郡、石背郡、白河郡、会津郡の5郡 現福島県域は石城国または石背国に属することとなり、陸奥国の領域ではなくなった。 分置後も蝦夷との戦いが続き、東北全体(陸奥・出羽)で戦う必要性起こってきたので、724年(神亀元年)までには石城国と石背国は再び陸奥国に合併された。これらの郡は、その後、人口の増加などにより、さらに再分割されている。例えば信夫郡から伊達郡が分割され、安積郡からは安達郡などが分割され、会津郡も耶麻郡を始め多くの郡に分割された。 白水阿弥陀堂(国宝) 現在、福島県域は岩盤が固くて地震が少ないから「岩代国」と呼ぶ、という説があるが、これは「岩」という文字のイメージから生まれた俗説である。岩代国の由来は石背国にある。石背国の読み方は本来「いわせ」であったが、後に山背を「やましろ」と読むのに習って「いわしろ」とも読むようになったと思われる。明治旧国名では「いわしろ」の読みを採用し、「岩代」の文字を当てた。 平安時代には会津で恵日寺が強大な勢力を得たが、平安時代末期にはほぼ福島県全域が奥州藤原氏の勢力下に入り、藤原氏一族の信夫佐藤氏が福島盆地を本拠地として、中通りの中部まで、恵日寺後退後の会津、山形県置賜地方まで支配するまでになった。平安末期、福島県内で他には中通りの石川氏、浜通りの岩城氏があった。石川氏は清和源氏の流れで前九年の役に従軍して石川郡に定住した。岩城氏は桓武平家の氏族で、藤原清衡の養女を妻に迎えて石城郡に定住したとも石城郡司の子孫とも言われる。 国宝白水阿弥陀堂は平安時代末期1160年(永暦元年)に岩城則道の菩提を弔うために建立されたものである。 鎌倉開府から戦国時代まで[編集] 相馬野馬追 中世においては源頼朝が鎌倉に幕府を開府し東国において自立するが、頼朝は東北において奥州征伐により奥州藤原氏を滅ぼす。 県域においては信夫佐藤氏が信夫荘(信夫郡の西北、松川以北)に押し込められると、鎌倉による論功行賞で福島県内は伊達氏、相馬氏、二階堂氏、蘆名氏、畠山氏、結城氏など、多数の関東武士団に細分化された。南北朝の動乱においては結城氏の一族である白河結城氏が台頭し、白河結城氏を主力とする南朝方が大いに優勢となったが、しばらくすると相馬氏など北朝方が盛り返し、白河結城氏など多くの諸氏は奥州管領や鎌倉公方の支配を受けるようになる。 戦国時代に北関東・東北においては一国以上の領国を持つ戦国大名は少なく中小の地域勢力が分立する傾向をもっているが、伊達氏は伊達稙宗が南奥羽で外征や婚姻外交を繰り返し南奥羽のほとんど大名が勢力下に入るが天文の乱を起こし衰退したり、白河結城氏が衰退し代わって岩城氏が勢力を盛り返すなど、栄枯盛衰は止むことはなく、隣接する常陸国佐竹氏や越後国上杉氏の影響も受けるようになるが、最終的には蘆名氏や相馬氏、二本松氏などを圧倒した伊達氏の伊達政宗が短期間ではあるが、福島県域の浜通りを除く大半を領有することになる。 相馬野馬追は、相馬氏の遠祖・平将門が領内の下総国相馬郡小金原(現在の流山から松戸に広がる地域)に野生馬を放し、敵兵に見立てて軍事訓練をした事に始まると言われている1000年以上の歴史を持つ神事である。 豊臣政権と徳川藩政時代[編集] 重要伝統的建造物群保存地区 大内宿 若松城(鶴ヶ城) 白河小峰城 本丸お堀がきれいに残る棚倉城跡 豊臣秀吉による奥州仕置により伊達政宗が伊達氏の元の本領以外没収され、会津には蒲生氏郷が入る。翌年の葛西大崎一揆の戦後処理で伊達政宗が岩出山に移封させられると、蒲生氏郷が福島県中通り以西のほとんどを領有した。しかし子の蒲生秀行は会津から宇都宮に移され、代わって越後国の上杉景勝が会津120万石を得て福島県の中通り以西のほとんどの地域と山形県の置賜地方を領有した。なお、葛西大崎一揆の原因を作ったとして所領を奪われた岩出山の旧領主の木村吉清は、後に許されて蒲生氏郷に仕えて杉目城主となった。吉清は杉目を「福島」と改称し、今日の県名の由来となっている。 関ヶ原の戦いによって上杉景勝は信夫郡伊達郡を除く福島県域の所領を失い、30万石となる。代わって会津には蒲生秀行が再度入封し、会津藩60万石が成立する。が、2代目の蒲生忠郷が早世し伊予松山藩に移ることになる。次に1627年加藤嘉明が40万石で会津に入封するが、これも2代目加藤明成で会津騒動を起こして領地を徳川幕府に返上した。そして、1643年に松平氏保科正之が23万石で入封し、この松平氏会津藩が戊辰戦争まで続くことになる。 一方、信夫郡と伊達郡も1664年に上杉氏米沢藩から召し上げられ、会津藩以外の大藩はなくなり、会津と浜通り夜ノ森以北(相馬氏領)を除く県内のほとんどの地域で、江戸時代を通じて小・中藩、天領が入り乱れて激しく変遷した。尚この間白河藩は一時徳川譜代となり、寛政の改革を主導した松平定信など中央の名門家から城主が入り文人政治が行われた。 江戸時代に会津若松と日光街道を結んだ重要な交通路会津西街道(下野街道)の宿場大内宿が当時の街並みのまま重要伝統的建造物群保存地区として残され往時を偲ばせる。 幕末から福島県成立まで[編集] 1868年 - 1869年、戊辰戦争 会津戦争 白虎隊 諸外国の接近によって、幕府の政治が停滞。その中で尊王攘夷や開国といった主導で日本を立て直そうとする各藩の武士たちが京都に押し寄せた。白河藩主阿部正外は江戸老中として諸外国との折衝にあたり、神戸港を開港したことで攘夷派の公家などの反感を買い老中を罷免され、白河藩は棚倉へと移封され藩主不在となったにも関わらず、東西両軍にとって要衝の地と目された白河は戊辰の一大激戦地となる悲劇を生むこととなった。当代の会津藩主松平容保は京都守護職となり、京都の治安維持を担った。そして禁門の変では、孝明天皇を奪取しようとした長州藩勢から御所を守り抜いた。 しかし、新たに政治を担いたいと幕府を廃しようと目論む薩長同盟(薩摩藩・長州藩)との衝突が、大政奉還後の鳥羽・伏見の戦いから生じ、朝廷側を血守したにも関わらず朝敵に落とされてしまい、相争うが徳川幕府側は幾度も敗北を重ねた結果、戦禍が東北にまで伸びてしまった。圧倒的な西洋戦法を有する薩長の軍勢に、会津藩士は元より、奥羽越列藩同盟の磐城平藩や中村藩などでも各藩の勢力や民衆は徹底して反撃を繰り返したが、降伏してしまった。 廃藩置県 江戸時代幕末に置かれた藩及び城郭、交代寄合陣屋としては会津藩、支城の猪苗代城、二本松藩、棚倉藩、中村藩、三春藩、磐城平藩、福島藩、泉藩、湯長谷藩、下手渡藩、水戸藩支藩の守山藩、幕末に徳川幕府直轄地となった白河城、仙台藩の支城谷地小屋城などがあり、交代寄合の溝口家の横田陣屋、その他に代官陣屋もあった。 明治初期、版籍奉還後の1869年(明治2年)の太政官令により、陸奥国(むつのくに)南端である現在の福島県域は陸奥国から分離し、西側が岩代国(いわしろのくに)、東側が磐城国(いわきのくに)となった。岩代国は現在の福島県中通り地方の中北部と会津地方。磐城国は現在の福島県中通り地方南部と福島県浜通り地方と宮城県南部(亘理郡、伊具郡、刈田郡)にほぼ相当する。 1869年(明治2年)7月20日、福島藩が重原藩に移封され幕府領となっていた伊達郡、信夫郡を管轄するために福島県(第1次)が設置され、安達郡の二本松藩領37村、伊達郡の幕府領42村、盛岡藩領8村、棚倉藩領4村、館藩領2村、信夫郡の幕府領43村、重原藩領19村、足守藩領11村、新発田藩領8村、関宿藩領6村、二本松藩領4村、棚倉藩領2村、宇多郡の幕府領1村を管轄した。この第1次福島県は後述の二本松県に統合され、わずか2年で廃止されている。 1871年(明治4年)7月(旧暦)の廃藩置県で全国に多数の県が生まれた後、同年11月(旧暦)に現在の福島県域は、岩代国の会津地方(旧会津藩領の越後国蒲原郡の一部[のち東蒲原郡]を含む)が若松県、岩代国と磐城国からなる中通り地方が二本松県(二本松県になって、わずか12日間後に県庁が信夫郡福島町に移転、福島県に改称したのでほとんど機能はしていない)、磐城国はほぼそのまま磐前県(いわさきけん)の3つの県として統合された。 1876年(明治9年)8月21日に、福島県(第1次)、若松県、磐前県が合併され、現在の福島県(第2次)が成立した。その際、磐前県北部(亘理郡、伊具郡、刈田郡)が宮城県に、磐前県南部の一部が茨城県に移管され、さらに1886年(明治19年)に東蒲原郡が新潟県へ移管されて、現在の福島県域になった。これらの変遷は最後の東蒲原郡移管を除いて、1869年(明治2年)の藩の制度化の後、1871年(明治4年)の廃藩置県から1876年(明治9年)までの短期間に行われた。 福島県成立後[編集] 1882年(明治15年) - 福島事件が発生。 1888年(明治21年)7月15日、磐梯山噴火(檜原湖・小野川湖・秋元湖が形成される)。 1891年(明治24年)9月1日、東北本線全通。 1894年(明治27年)12月26日、信夫郡福島町で県内初めて電灯が点灯。 1895年(明治21年)信夫郡庭坂村に県内初の水力発電所完成。 1899年(明治32年)4月1日、北会津郡若松町が市制施行し、若松市となる。 1900年(明治33年)7月17日、安達太良山大噴火。 1907年(明治40年)4月1日、信夫郡福島町が市制施行し、福島市となる。 1910年(明治43年)4月、若松-坂下間に県内初の乗合バス路線が開業。 1917年(大正6年)8月13日、米騒動発生。 1922年(大正11年)4月1日、福島高等商業学校(後の福島大学)が発足。 1924年(大正13年)9月1日、安積郡郡山町・小原田村が合併・市制施行し、郡山市となる。 1937年(昭和12年)6月1日、石城郡平町・平窪村が合併・市制施行し、平市となる。 1940年(昭和15年)、福島県の全新聞が福島民報に統合(一県一紙完成)。 1942年(昭和17年)10月、歩兵第29連隊(会津若松)、ガダルカナル島の戦いにおいて2,200名戦死。 1944年(昭和19年)11月、東邦銀行が福島貯蓄銀行を合併し、県内唯一の地方銀行となる(一県一行完成)。 1945年(昭和20年)4月2日、郡山空襲。 1949年(昭和24年)4月1日 - 西白河郡白河町・大沼町が合併・市制施行し、白河市となる。 1956年(昭和31年)5月、県が財政再建団体となる。 1974年(昭和49年)1月、会津地方で記録的豪雪。 1986年(昭和61年)8月5日、8.5水害発生。 2011年(平成23年)3月11日14時46分頃、三陸沖を震源とするM9.0の東北地方太平洋沖地震が発生(東日本大震災)。県内の大部分が震度5弱-6強の激しい揺れに襲われた。また浜通り地方を大津波が襲い、東京電力の福島第一原子力発電所に被害が及ぶ(福島第一原子力発電所事故)など多くの爪痕を残した。 人口[編集] 福島県市町村人口増減率分布図(2005年度と2010年度国勢調査から算出) 増加 2.5 - 4.99 % 0.0 - 2.49 % 減少 0.0 - 2.5 % 2.5 - 5.0 % 5.0 - 7.5 % 7.5 - 10.0 % 10.0 % 以上 Demography07000.svg 福島県と全国の年齢別人口分布(2005年) 福島県の年齢・男女別人口分布(2005年) ■紫色 ― 福島県 ■緑色 ― 日本全国 ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 福島県(に相当する地域)の人口の推移 1970年 1,946,077人 1975年 1,970,616人 1980年 2,035,272人 1985年 2,080,304人 1990年 2,104,058人 1995年 2,133,592人 2000年 2,126,935人 2005年 2,091,319人 2010年 2,029,064人 2015年 1,914,039人 総務省統計局 国勢調査より 福島県の市の人口、人口密度、可住地人口密度(2005年) 順位 人口 人口密度 可住地人口密度 1位 いわき市 354,492人 郡山市 447人/km2 福島市 1,079人/km2 2位 郡山市 338,834人 福島市 387人/km2 いわき市 1,035人/km2 3位 福島市 297,357人 (本宮市) 356人/km2 郡山市 1,012人/km2 4位 (会津若松市) 131,389人 (会津若松市) 343人/km2 (会津若松市) 887人/km2 5位 須賀川市 80,364人 須賀川市 288人/km2 (伊達市) 524人/km2 政治・行政[編集] 国政[編集] 詳細は「衆議院小選挙区一覧#福島県」および「福島県選挙区」を参照 衆議院の小選挙区が5。参議院では、全県で1区を構成。 県政[編集] 詳細は「福島県知事一覧」、「福島県庁」、および「福島県議会」を参照 知事:内堀雅雄(うちぼり まさお、1期目) 前職の任期満了により、2014年(平成26年)10月26日投開票された。 歴代知事(公選後)[編集] 石原幹市郎(1947年4月12日 - 1949年11月30日) 大竹作摩(1950年1月28日 - 1957年7月25日) 佐藤善一郎(1957年8月25日 - 1964年3月23日) 木村守江(1964年5月16日 - 1976年8月11日 収賄容疑に問われ引責辞任) 松平勇雄(1976年9月19日 - 1988年9月18日) 佐藤栄佐久(1988年9月19日 - 2006年9月28日 親族による談合事件で引責辞任) 佐藤雄平(2006年11月12日 - 2014年11月11日) 内堀雅雄(2014年11月12日 - ) 財政[編集] 平成19年度 財政力指数 0.44 IIグループ(財政力指数0.4以上、0.5未満)11自治体中6位 平成18年度 財政力指数 0.42 IIグループ(財政力指数0.4以上、0.5未満)9自治体中5位 平成17年度 財政力指数 0.39 IIIグループ(財政力指数0.3以上、0.4未満)14自治体中3位 平成16年度 財政力指数 0.38 IIIグループ(財政力指数0.3以上、0.4未満)13自治体中2位 キャッチコピー[編集] 福島県は、1991年(平成3年)より県のイメージアップ事業で使用するため「うつくしま、ふくしま。」を使用している。これはコピーライターの眞木準の手により提示されたキャッチコピーである。眞木の説明によると、その由来は 「古語の『うつくし』は日本の原風景を残した福島に似合っており、『しま』は県土の形がオーストラリア大陸に似ていることから考えた」[5]ものとされる。同年11月27日に福島県で採用が決定し、初年度だけでも2600万円をイメージアップ事業のために投入した。 本キャッチコピーは当初こそ福島県民に対してその意図がなかなか浸透せず、「全国でも例を見ない」「奇抜なイメージデザイン」との見解が寄せられることもあった[6]が、1995年(平成7年)、1999年(平成11年)、2001年(平成13年)の3度の福島県デスティネーションキャンペーン (DC) のキャッチコピーにも用いられ、また、DC と同時期に開催された1995年(平成7年)のふくしま国体と全国障害者スポーツ大会(うつくしまふくしま大会)や、2001年(平成13年)の「うつくしま未来博」などのイベント名との相乗効果により県内外から広く認知されるに至った。 県の観光事業に主に用いられてきたキャッチコピーであったが、うつくしま大橋、うつくしま百名山に見られるように、福島県の美称として固有名詞に「うつくしま」のフレーズが単独で用いられることもある。 イメージキャラクター[編集] キビタン - 福島県のマスコットキャラクター(ゆるキャラ) 元々は 1995年に開催された第50回ふくしま国体のマスコットであり、国体終了後に広告代理店より無償提供され、現在キビタンの版権は福島県のものになっている。 経済・産業[編集] 2008年(平成20年)度の県内総生産は7兆6669億円である[7]。世界の国の国内総生産 (GDP) と比較しても、世界70位以内にランクインしており、県単独で世界の過半数の国より大きな経済規模を有している。 第一次産業では水稲、福島市や伊達エリアのモモに代表される果物などの農産物、いわき市のカツオ、郡山市の養殖鯉(出荷量日本1位[1])などの水産物が主要産物である。 第二次産業では東京首都圏に隣接する至便性のため首都圏より県内に進出する企業も多く製造品出荷額では宮城県を抑え東北地方1位である。電子機器関連の工場の立地が多く、福島市周辺では電子機器、会津若松周辺では半導体、郡山周辺ではプリント基板関連、電子部品、いわき市周辺では電子機器、化学製品、自動車エンジン工場などの立地がある。最近では田村市において自動車電装部品関連企業の誘致にも成功している。(2008年(平成20年)現在) 第三次産業では県内における最大の都市圏は、中通り中部の郡山を中心とする郡山都市圏であり、周辺地域とともに県内最大の郡山経済圏を形成し、郡山市は東北地方第2位の商業年間商品販売額を誇る。 第一次産業[編集] 農林水産省による統計では、2009年(平成21年)の都道府県別の農業産出額は福島県が2450億円となり、金額では全国7位である[8]。この内、米の948億円(全国5位)と野菜の546億円を含めた耕作物、つまり耕種の産出額は1931億円であり、肉用牛137億円や生乳97億円、豚100億円、鶏卵123億円を含む畜産は513億円となっており、これらが農業による主な産出額である。漁業に関しては2009年(平成21年)の都道府県別の農業産出額のうち、福島県は養殖での額が不明ながら海面漁業は160億円とされている[9]。また、2008年(平成20年)発表統計データによる青森県(2797億円)、岩手県(2541億円)に次いで東北第3位。県内では農業産出額が多い順に福島市(195億円、県内1位、東北12位)、郡山市(188億円、県内2位、東北14位)、伊達市(140億円、県内3位、東北20位)[10]。 2008年発表統計データによる 県内上位20市町の農業産出額[10] 1 福島市 195億円 2 郡山市 188億円 3 伊達市 140億円 4 須賀川市 127億円 5 喜多方市 121億円 6 いわき市 112億円 7 田村市 104億円 8 会津若松市 104億円 9 南相馬市 100億円 10 相馬市 99億円 11 二本松市 95億円 12 白河市 91億円 13 会津美里町 62億円 14 矢吹町 50億円 15 会津坂下町 49億円 16 猪苗代町 37億円 17 飯舘村 37億円 18 平田村 36億円 19 浪江町 36億円 20 鏡石町 34億円 主要農産物 福島盆地のモモ、ナシ、あんぽ柿、いわき市のイチゴ、いわきイチジク、会津身不知柿などの果物。会津盆地や郡山盆地他を中心とした水稲。さやいんげんやきゅうりなどの野菜類。 福島盆地のモモは全国有数の生産量を誇りながらも皇室・宮家への献上桃として指定されているなど高品質なことでも知られている。 会津産のコシヒカリは新潟県魚沼産同様高い評価を得ている(2008年(平成20年)現在、特Aクラスを得ている)。 主要水産物 いわき市のカツオ、目光、相馬市のホッキ貝、アサリ、海苔、浪江町、旧鹿島町の鮭、県内各所のニジマス、郡山市の養殖鯉など。 主要畜産品 旧都路村、葛尾村、飯舘村の牛肉など。 第二次産業[編集] 2008年(平成20年)発表統計データの製造品出荷額等によると、福島県は5兆5686億円となり東北1位。2位は宮城県(3兆5702億円)、3位は山形県(2兆8692億円)。県内では製造品出荷額等が多い順にいわき市(1兆0701億円、県内1位、東北1位)、郡山市(9667億円、県内2位、東北2位)、福島市(6608億円、県内3位、東北5位)は東北地方有数の工業都市。[10] 県内上位20市町の製造品出荷額[10] (2008年発表。喜多方市以外[※ 1]) 1 いわき市 1兆701億円 2 郡山市 9667億円 3 福島市 6608億円 4 会津若松市 2946億円 5 白河市 2743億円 6 伊達市 2544億円 7 本宮市 2269億円 8 須賀川市 1987億円 9 二本松市 1763億円 10 西郷村 1624億円 11 相馬市 1036億円 12 南相馬市 1014億円 13 棚倉町 958億円 14 (喜多方市) (916億円) 15 泉崎村 794億円 16 田村市 766億円 17 矢吹町 587億円 18 玉川村 501億円 19 桑折町 476億円 20 三春町 455億円 21 鏡石町 452億円 伝統工芸 昭和村のからむし織、旧梁川町のニット製品、絹製品、会津木綿、三春駒、白河だるま、赤べこ、こけし、会津漆器、タンス等桐製品、会津本郷焼などの陶器、磁器 会津地方を中心として日本酒酒蔵が多く、全国的に知名度の高い酒蔵もある。 鉱業 浜通り夜ノ森以南には、20世紀前半に常磐炭田と呼ばれる日本有数の炭鉱が存在した。 発電所 福島県は様々な形態の発電所が建設された電源地帯である。同県に送電しない企業も含め、複数の企業が発電所を建設した。 水力発電 阿賀川源流域の一つである磐梯高原、猪苗代湖の豊富な水とその落差を利用し、安積疏水、日橋川では水力発電が明治時代より行われ、この地域は日本の近代化に貢献してきた。 猪苗代湖と安積疏水の落差を利用した沼上発電所は、日本で初めての高圧送電を利用した長距離送電が郡山市内まで行われ紡績・繊維産業の発展に貢献した。 日橋川の総発電量は16万kw時に及び、その豊富な電力を利用したアルミ製品、金属工業などの近代工業の工場が古くから稼動している。 1930年代に入り、只見川・阿賀川は上流域から下流域までくまなくその水資源を有効活用した水力発電所が各所に設けられ日本を代表する電源地帯となった。 カルデラ湖である沼沢湖と宮下ダム湖(只見川)の落差約 220m を利用した揚水式発電所は50年以上の歴史を持つ。 詳細は「只見特定地域総合開発計画」を参照 原子力発電 浜通り地方の夜ノ森付近では、2011年に福島第一原子力発電所事故が発生するまで、福島第一原子力発電所(大熊。定格 470万kw)と福島第二原子力発電所(楢葉。定格 440万kw)が稼動していた。 火力発電 東北電力原町火力発電所、東京電力広野火力発電所、相馬共同火力発電新地発電所、常磐共同火力勿来発電所が稼動している。 地熱発電 日本の地熱発電所としては国内最大出力の東北電力・柳津西山地熱発電所(最大出力 65,000kW)が稼動している。 風力発電 風車33基を備える発電所出力 65,980kw の国内最大級出力の「グリーンパワー郡山布引」(電源開発の100%子会社)郡山布引高原風力発電所が稼動している。また、田村市には風車23基を備える「ユーラスエナジー滝根小白井」(出力46,000kw)と風車14基を備える「桧山高原風力発電所」(出力28,000kw)が稼働している。 第三次産業[編集] 2008年(平成20年)発表統計データによると、福島県の商業年間商品販売額は、4兆7,206億円となり宮城県(10兆2365億円)に次いで東北2位。県内では商業年間商品販売額が多い順に郡山市(1兆4,515億円、県内1位、東北2位)、福島市(9,150億円、県内2位、東北7位)、いわき市(8,153億円、県内3位、東北9位)[10]。 2008年発表統計データによる 県内の上位20市町の商業年間商品販売額[10] 1 郡山市 1兆4515億円 2 福島市 9150億円 3 いわき市 8153億円 4 会津若松市 3432億円 5 須賀川市 1280億円 6 南相馬市 1239億円 7 白河市 1151億円 8 伊達市 792億円 9 本宮市 755億円 10 相馬市 749億円 11 二本松市 703億円 12 喜多方市 638億円 13 田村市 428億円 14 浪江町 311億円 15 西郷村 283億円 16 矢吹町 247億円 17 富岡町 243億円 18 南会津町 232億円 19 棚倉町 227億円 20 会津坂下町 224億円 福島市、会津若松市、郡山市、いわき市をはじめ県内主要各都市では近年大型ショッピングモール、カテゴリーキラーなどの専門店がロードサイド店舗として車で便利な郊外に盛んに立地している。そのため中心市街地に立地する商業施設の空洞化が目立つ。 大型ショッピングモール例 下記主な大型商業施設参照 撤退した中心市街地の大型商業施設例 さくら野福島店(福島市) 丸井郡山店(郡山市) トポス郡山店(郡山市) 郡山西武(郡山市) 大黒屋(いわき市) 会津サティ(会津若松市) 中合会津店(会津若松市) イトーヨーカドー白河店(白河市) いわき市には炭鉱より開発された大型温泉観光施設スパリゾートハワイアンズがある。 中通りから会津にかけて大型のスキーリゾートが多数存在する。 飯坂温泉、磐梯熱海温泉、東山温泉など大型の温泉観光地がある。 主な大型商業施設[編集] 中合福島店 うすい百貨店(郡山市) ユニー アピタ会津若松店 イオングループ イオン福島店 イオンいわき店 ショッピングモールフェスタ(イオン郡山フェスタ店がキーテナント) イオン白河西郷店 イオン相馬店 イオンタウン郡山 イオンスーパーセンター鏡石店 セブン&アイホールディングス イトーヨーカドー福島店 イトーヨーカドー郡山店 イトーヨーカドー平店 ベイシアグループ ベイシア安達店 ベイシア白河モール 仙台ターミナルビル エスパル福島店 エスパル郡山店 ザ・モール郡山 メガステージ メガステージ白河 メガステージ矢吹 メガステージ石川 メガステージ須賀川 メガステージ田村 フレスポ須賀川 Latov(いわき市) エブリア(いわき市) 福島県の企業[編集] 詳細は「Category:福島県の企業」を参照 福島市の日東紡、福島キヤノン、NOK、パナソニックなどの工場 福島県に本社のある主な企業[編集] 東邦銀行(福島市) 福島銀行(福島市) 日東紡績(福島市) 福島テレビ(福島市) テレビユー福島(福島市) ラジオ福島(福島市) 福島民報(福島市) 福島民友(福島市) 福島キヤノン(福島市) NECネットワークプロダクツ(福島市) ダイユー・リックホールディングス(福島市) 富士通アイソテック(伊達市) 福島中央テレビ(郡山市) 福島放送(郡山市) エフエム福島(郡山市) 大東銀行(郡山市) ヨークベニマル(郡山市) ゼビオ(郡山市) 幸楽苑ホールディングス(郡山市) アサカ理研(郡山市) ソニーエナジーデバイス(郡山市) ニラク(郡山市) 恒和薬品(郡山市) 白河オリンパス(西郷村) アルパイン(いわき市) 常磐興産(いわき市) ハニーズ(いわき市) タンガロイ(いわき市) 福島県に進出した主な企業[編集] ヤクルト本社(福島市) NOK(福島市、二本松市、本宮市) 富士通(会津若松市) スパンション(会津若松市) アサヒビール(本宮市) パナソニック電工(郡山市) 保土谷化学工業(郡山市) LIXIL(須賀川市) 住友ゴム工業(白河市) 信越半導体(西郷村) 三菱製紙(西郷村) あすか製薬(いわき市) 荒川化学工業(いわき市) アルプス電気(いわき市) エステー(いわき市) FDK(いわき市) クリナップ(いわき市) クレハ(いわき市) 第一三共プロファーマ(いわき市) 日産自動車(いわき市) 日本化成(いわき市) 日本製紙(いわき市) 三菱マテリアル(いわき市) 生活・交通[編集] 警察[編集] 福島県警察 交通[編集] 山形新幹線と 奥は吾妻小富士 福島空港 白河市周辺。周囲は阿武隈川上流域にあたり国道4号、東北自動車道、東北本線、東北新幹線が集中する。解説付き画像はこちら(2007年1月撮影) 安積原野を進む東北線 奥は安達太良山 空港[編集] 福島空港(地方管理空港) ふくしまスカイパーク(農道空港) 鉄道[編集] 新幹線 東北新幹線 山形新幹線 JR在来線 東北本線 奥羽本線(山形線) 常磐線[11] 磐越西線 磐越東線 只見線 水郡線 福島臨海鉄道(JR貨物) 私鉄(民鉄)路線 福島交通 - 飯坂線 第三セクター 阿武隈急行 会津鉄道 - 会津線 野岩鉄道 - 会津鬼怒川線 バス路線[編集] 国鉄時代、福島県内が東京支社・水戸支社と仙台支社の境目になっていた。このため、地域ごとに分割したJRバスにおいても、日本で唯一2社が営業拠点を設置している県となっている。 福島交通 会津乗合自動車 新常磐交通 JRバス関東 JRバス東北 桜交通 磐梯東都バス 金子建設 道路[編集] 高速道路 東北自動車道 磐越自動車道 常磐自動車道 東北中央自動車道 あぶくま高原道路 国道 国道4号 国道6号 国道13号 国道49号 国道113号 国道114号 国道115号 国道118号 国道121号 国道252号 国道288号 国道289号 国道294号 国道352号 国道349号 国道399号 国道400号 国道401号 国道459号 県道[編集] 福島県の県道一覧を参照 医療・福祉[編集] 詳細は「Category:福島県の医療機関」を参照 災害拠点病院 福島県災害拠点病院 保育所 福島県保育所一覧 教育[編集] 大学・短期大学 国立大学法人 福島大学(福島市) 県立 福島県立医科大学(福島市) 会津大学(会津若松市) 会津大学短期大学部(会津若松市) 私立 福島学院大学(福島市) 桜の聖母短期大学(福島市) 福島学院大学短期大学部(福島市) 日本大学工学部(郡山市) 奥羽大学(郡山市) 郡山女子大学(郡山市) 郡山女子大学短期大学部(郡山市) 東日本国際大学(いわき市) いわき明星大学(いわき市) いわき短期大学(いわき市) 高等専門学校 福島工業高等専門学校(独立行政法人国立高等専門学校機構) 専修学校 福島県専修学校一覧 特別支援学校 福島県特別支援学校一覧 高等学校 福島県高等学校一覧 中学校 福島県中学校一覧 小学校 福島県小学校一覧 幼稚園 福島県幼稚園一覧 学校教育以外の施設 福島県農業総合センター農業短期大学校(農業者研修教育施設) マスメディア[編集] 新聞社[編集] 福島民報(本社 : 福島市) 福島民友(本社 : 福島市。読売新聞傘下) いわき民報(本社 : いわき市) 放送局[編集] 本社演奏所の立地として、福島市(県庁所在地。政治的中心地)と、郡山市(商業的中心地)との2都市に分かれるため、立地の違いによって地方ニュースの重点配分や話題に微妙な地域色がでる。しかし、コミュニティFM以外の全放送局とも、放送対象地域は福島県(全域)となっている。 戦後の福島県域2大新聞社である福島民報(毎日新聞系)と福島民友(読売新聞系)や、福島市と郡山市の対立を反映した影響からか、県域対象の民放VHFテレビ局は開局は日本全国で最も遅く、民放FM局も東北6県では最後の開局である。しかし、東北地方に系列局を持たないテレビ東京系列を除く民放テレビ局4局が出揃った時期は1983年(昭和58年)である[※ 2]。これは東北6県のなかでは宮城県に次いで2番目であり、比較的早い[※ 3]。 その影響もあり、県内民放テレビ局第1局となった福島テレビ開局にあたっては県が主導的な役割を果たし、現在も株式の約半数を所有している。この比率はやはり県主導で開局した南隣りのとちぎテレビより高い。 以下の通り、AMラジオ局はラジオ単営局であり、民放のラテ兼営局は存在しない[※ 4]。 "テレビ局舎外観" NHK福島放送局 (福島市) 福島テレビ (FTV) (福島市) テレビユー福島 (TUF) (福島市) 福島中央テレビ (FCT) (郡山市) 福島放送 (KFB) (郡山市) 福島都市圏に立地する放送局(全て福島市に所在) NHK福島放送局 NHK郡山支局(郡山市所在) NHKいわき支局(いわき市所在) 福島テレビ(フジテレビ系列、民報系) テレビユー福島(TBS系列、民報・民友両社出資) ラジオ福島(県域放送AMラジオ局、JRN・NRN系列。民報系) 郡山市、会津若松市、いわき市、南相馬市にも放送局があり、かつては局別の独自放送が行われていた。現在は福島局で一括制作。 FM POCO(コミュニティFM) 郡山都市圏に立地する放送局 福島中央テレビ(郡山市)(日本テレビ系列、民友系) 福島放送(郡山市)(テレビ朝日系列、朝日新聞・民報出資) エフエム福島(ふくしまFM)(郡山市)(県域放送FMラジオ局、JFN系列、平成新局) KOCOラジ(郡山市、コミュニティFM) FM Mot.com(本宮市、コミュニティFM) その他の都市に立地する放送局 SEA WAVE(いわき市、コミュニティFM) FM 愛'S(会津若松市、コミュニティFM) FMきたかた(喜多方市、コミュニティFM) 相馬市の一部では放送対象地域外の宮城県の民間放送4局が[12]放送区域になっている。 福島県と同様に、政治力と経済力の綱引きにより民放県域放送局の演奏所が県庁所在地以外にも立地している例は、山形県、富山県、山口県、福岡県にも見られる。 地上デジタル放送のリモコンキーIDはTXN系と独立局がない以外は関東広域圏と全て同じである(詳しくはリモコンキーIDの項を参照)。 文化・スポーツ[編集] 方言[編集] [icon] この節の加筆が望まれています。 東北方言 福島弁(中通り方言) 会津弁 浜通り方言 食文化[編集] 「:Category:福島県の食文化」も参照 郷土料理 詳細は「日本の郷土料理一覧#福島県」を参照 会津の代表的な郷土料理としては、「こづゆ」「いかにんじん」「ニシンの山椒漬け」「鯉の旨煮」が挙げられる。 また、会津の山間部では蕎麦を工夫した料理がみられ、今でも味わうことができるものとして「はっとう(檜枝岐村)」「裁ち蕎麦(南会津)」「祝言蕎麦(猪苗代町)」などがある。 いかにんじん(福島市を含む県北地方) あんぽ柿(伊達市を含む伊達エリア) ニシンの山椒漬け(会津地方) ご当地グルメ 餃子(福島市) - 宇都宮市の餃子同様、満州開拓団の帰国者により始まったと言われる。 みそパン(福島市) - 蒸しパンタイプのみそパン発祥地である。 喜多方ラーメン(喜多方市) - 日本三大ラーメンに数えられている。 白河ラーメン(白河市) なみえ焼きそば(浪江町) - B級ご当地グルメとして知名度を有する。 メヒコのカニピラフ(いわき市) メヒカリ(いわき市) ウニの貝焼き(いわき市) ほっき飯(相馬市など) 鮭のはらこ飯(相馬市など) 鯉の甘露煮(郡山市) 鯉のアライ(郡山市) クリームボックス(郡山市) ソースかつ丼(会津若松市) 会津カレー焼きそば(会津若松市) 伝統工芸[編集] 経済産業大臣指定伝統的工芸品 大堀相馬焼(陶磁器、1978年) 会津本郷焼(陶磁器、1993年) 会津塗(漆器、1975年) 奥会津編み組細工(木工品、2003年) 伝統工芸品 詳細は「日本の伝統工芸品の一覧#福島県」を参照 伝統芸能[編集] 重要無形民俗文化財(指定年月日) 御宝殿の稚児田楽・風流(1976年(昭和51年)5月4日 いわき市錦町御宝殿 御宝殿熊野神社田楽保存会) 相馬野馬追(1978年(昭和53年)5月22日 相馬市ほか 相馬野馬追保存会) 金沢の羽山ごもり(1980年(昭和55年)1月28日 福島市 羽山ごもり保存会) 田島祇園祭のおとうや行事(1981年(昭和56年)1月21日 南会津郡南会津町 田島祇園祭のおとうや行事保存会) 石井の七福神と田植踊(1995年(平成7年)12月26日 二本松市 石井芸能保存会) 木幡の幡祭り(2004年(平成16年)2月16日 二本松市 木幡幡祭保存会) 都々古別神社の御田植(2004年(平成16年)2月6日 東白川郡棚倉町 八規都々古別神社御田植保存会) 三島のサイノカミ(2008年(平成20年)3月13日 大沼郡三島町 三島町年中行事保存会) 祭事 信夫三山暁まいり「大わらじ奉納」 - 福島市 二本松提灯祭り - 二本松市 会津まつり「会津藩公行列」 - 会津若松市 農村歌舞伎 檜枝岐歌舞伎 - 檜枝岐村 柳橋歌舞伎 - 郡山市中田町 スポーツ[編集] 「:Category:福島県のスポーツチーム」も参照 サッカー J3リーグ 福島ユナイテッドFC 東北社会人サッカーリーグ FCプリメーロ バンディッツいわき メリー 日本女子サッカーリーグ JFAアカデミー福島 バスケットボール ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ 福島ファイヤーボンズ 野球 BCリーグ 福島ホープス アイスホッケー アジアリーグ 東北フリーブレイズ 駅伝大会 ふくしま駅伝 東日本女子駅伝 観光[編集] 国宝[編集] 建造物 白水阿弥陀堂 彫刻 勝常寺 - 木造薬師如来坐像及び両脇侍立像(3躯) 書跡典籍 龍興寺 - 一字蓮台法華経 開結共(巻第六欠)9巻 重要伝統的建造物群保存地区[編集] 大内宿(下郷町) 前沢(山村集落) 福島県を舞台とした作品[編集] 発表年順に記載 映画[編集] 百万人の大合唱 (1972年) - 郡山市 原子力戦争 (1978年) - 福島第一原子力発電所・福島第二原子力発電所 戦国自衛隊 (1979年) - 相馬野馬追 男はつらいよ 柴又より愛をこめて (1985年) - 会津若松市 遊びの時間は終らない (1991年) - いわき市平 釣りバカ日誌8 (1996年) - いわき市 容疑者 室井慎次 (2005年) - いわき市 親父 (2006年) - いわき市にオープンセットを立てて撮影[13] フラガール (2006年) - いわき市 ハーメルン(2012年) - 昭和村 テレビドラマ[編集] 十字路 (1978年、NHK) 獅子の時代 (1980年、NHK) - 会津 はね駒 (1986年、NHK) - 相馬市 白虎隊 (1986年、NTV) - 会津 ひまわり (1996年、NHK) - 福島市 花嫁は厄年 (2006年、TBS) - 福島市 風林火山 (2007年、NHK) - 映画『親父』のいわき市オープンセットを使用[13]。 白虎隊 (2007年、EX) - 会津 八重の桜 (2013年、NHK) - 会津を中心とした福島県内(会津若松市、猪苗代町、白河市、二本松市、福島市) 漫画・アニメ[編集] いちえふ 福島第一原子力発電所労働記 (竜田一人) (漫画:2011年) - 福島第一原子力発電所 今日もいい天気 (山本おさむ) (漫画:2013年) - 天栄村 黒塚 KUROZUKA (漫画:2002年、アニメ:2008年) - 二本松市安達ヶ原 そばもん ニッポン蕎麦行脚 (山本おさむ) (漫画:2008年) - 会津若松市など 宙のまにまに(漫画:2005年、アニメ:2009年) - 猪苗代町 ダンタリアンの書架(漫画:2010年、アニメ:2011年) - 天栄村 なのはな(漫画:2011年) はじまりのはる (端野洋子) (漫画:2013年) 劇場版 ハヤテのごとく! HEAVEN IS A PLACE ON EARTH (漫画:2004年、映画:2011年) - 会津地方 ぴたテン(漫画:1999年、アニメ:2002年) - 会津若松市 未確認で進行形(漫画:2012年、アニメ:2014年)- 郡山市 緑山高校(漫画:1984年、OVA:1990年) 福島県出身の人物[編集] 詳細は「福島県出身の人物一覧」を参照 脚注[編集] [ヘルプ] 注釈[編集] ^ 高郷村分データ不明により喜多方市が記載されていないため、福島県ホームページ (PDF) より概算値引用。 ^ この年の12月4日にTUFが開局したことにより民放TVが4局出揃った。 ^ 東北で3番目以降に民放TVが4局化された地域の出現は平成に入ってからとなり、1996年(平成8年)10月1日に岩手県が(岩手朝日テレビ開局により)、翌1997年(平成9年)4月1日に山形県が(さくらんぼテレビ開局により)民放TV4局化が実現した。 ^ 当初は福島県民放第1号であるラジオ福島がラテ兼営局になることを目指して1957年(昭和32年)10月22日にTV予備免許と「JOWR-TV」というコールサインを取得したが、役員人選等の難航によりそれらは僅か半年で(翌1958年(昭和33年)4月1日をもって)失効。以後 RFC はAM単営局となって現在に至る。これにより福島県では1963年(昭和38年)4月1日に(民放TV第1局となる)FTV が開局するまでの間、民放TVが全く視聴不可の状態が他県より長く続いた。 出典[編集] ^ 福島県の推計人口(福島県現住人口調査結果)(福島県) ^ 平成27年国勢調査 調査の結果(総務省統計局) ^ 福島県公式ホームページ 県名の由来 ^ 工藤雅樹「福島のあけぼの」p.12(丸井佳寿子・工藤雅樹・伊藤喜良・吉村仁作『福島県の歴史』山川出版社 2003年2月) ^ 『読売新聞』1991年11月28日 東京夕刊23面 ^ 『河北新報』1992年2月17日 ^ 平成20(2008)年度 福島県県民経済計算の概要 ^ “農林水産省大臣官房統計部 平成21年農林水産統計 全国農業地域別農業産出額”. 2011年11月28日閲覧。 ^ 平成21年漁業生産額 (PDF) - 農林水産省 ^ a b c d e f “総務省統計局 統計でみる市区町村のすがた 2008”. 2011年11月28日閲覧。 ^ 勿来 - いわき間は福島県内、および、東北地方唯一の東京近郊区間である。 ^ Dpa放送エリアのめやす(仙台局) ^ a b 堀田眞三 (2006年7月21日). “親父 - 撮影快調!”. 俳優 堀田眞三(グランパ)です。. 2012年3月30日閲覧。 関連項目[編集] ポータル 日本の都道府県/福島県 ポータル 日本の都道府県/福島県 Large format camera lens.jpg 福島県に関連するメディアがあります。 「Category:福島県」も参照 岩代国 磐城国 福島県出身の人物一覧 福島県の県道一覧 北関東・磐越地域 北関東磐越五県知事会議 福島未来 NN運動 Category:福島県の企業 Category:福島県の大学 Category:福島県の自然景勝地 日本の地理、日本の地域 外部リンク[編集] ウィキメディア・コモンズには、福島県に関連するメディアおよびカテゴリがあります。 ウィキクォートに福島県に関する引用句集があります。 ウィキソースに二本松県福島県ト改称の原文があります。 オープンストリートマップのロゴ オープンストリートマップに福島県の地図があります。 福島県 福島県 (@Fukushima_Pref) - Twitter ふくしまから はじめよう。 - Facebook 観探福島ナビ - 福島県観光物産交流協会 先代: 旧福島藩領 (岩代国内の幕府領) 行政区の変遷 1869年 - 1871年 (第1次福島県) 次代: 二本松県 先代: 二本松藩 福島県(第1次)・白河県 磐前県・若松県 行政区の変遷 1871年 - (二本松県→第2次福島県) 次代: ----- [表示] 表 話 編 歴 日本の旗 日本の都道府県 [表示] 表 話 編 歴 福島県の旗 福島県の自治体 典拠管理 WorldCat VIAF: 155936801 ISNI: 0000 0004 0405 3935 NDL: 00260737 カテゴリ: 日本の都道府県福島県 案内メニュー ログインしていませんトーク投稿記録アカウント作成ログインページノート閲覧編集履歴表示検索 Wikipedia内を検索 表示 メインページ コミュニティ・ポータル 最近の出来事 新しいページ 最近の更新 おまかせ表示 練習用ページ アップロード (ウィキメディア・コモンズ) ヘルプ ヘルプ 井戸端 お知らせ バグの報告 寄付 ウィキペディアに関するお問い合わせ 印刷/書き出し ブックの新規作成 PDF 形式でダウンロード 印刷用バージョン 他のプロジェクト コモンズ ウィキクォート ツール リンク元 関連ページの更新状況 ファイルをアップロード 特別ページ この版への固定リンク ページ情報 ウィキデータ項目 このページを引用 他言語版 العربية English Español हिन्दी Bahasa Indonesia 한국어 Русский اردو 中文 他 67 リンクを編集 最終更新 2017年7月3日 (月) 08:22 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。 テキストはクリエイティブ・コモンズ 表示-継承ライセンスの下で利用可能です。追加の条件が適用される場合があります。詳細は利用規約を参照してください。 プライバシー・ポリシーウィキペディアについて免責事項開発者Cookieに関する声明モバイルビューWikimedia Foundation Powered by MediaWiki --------- 応神天皇 この項目には、一部のコンピュータや閲覧ソフトで表示できない文字が含まれています(詳細)。 応神天皇 応神帝御影(『集古十種』より) 第15代天皇 在位期間 応神天皇元年1月1日 - 同41年2月15日 先代 仲哀天皇 次代 仁徳天皇 誕生 宇瀰 崩御 明宮(一説に大隅宮) 陵所 誉田御廟山古墳 別称 誉田天皇 誉田別尊 誉田別天皇 胎中天皇 品陀和気命 大鞆和気命 品太天皇 凡牟都和希王 父親 仲哀天皇 母親 神功皇后 皇后 仲姫命 子女 仁徳天皇 額田大中彦皇子 大山守皇子 菟道稚郎子皇子 八田皇女 稚野毛二派皇子 隼総別皇子 草香幡梭皇女他多数 皇居 軽島豊明宮 大隅宮 テンプレートを表示 応神天皇(おうじんてんのう、仲哀天皇9年12月14日 - 応神天皇41年2月15日)は、第15代天皇(在位:応神天皇元年1月1日 - 同41年2月15日)。諱は誉田別尊(ほむたわけのみこと)、誉田別命(ほんだわけのみこと)、大鞆和気命(おおともわけのみこと)。誉田天皇(ほむたのすめらみこと/ほんだのすめらみこと)、胎中天皇(はらのうちにましますすめらみこと)とも称される。麛坂皇子と忍熊皇子は異母兄にあたる。 目次 [非表示] 1 諸説 2 諡号 2.1 諡号か実名か 3 系譜 3.1 系図 4 皇居 5 事績 6 陵・霊廟 7 在位年と西暦との対照 8 脚注 9 参考文献 10 関連項目 11 外部リンク 諸説[編集] 井上光貞は、確実に実在が確かめられる最初の天皇としている[1]。一方、岡田英弘は越前出身の継体天皇の祖先神であって、人間ではない、としている[2]。仁徳天皇の条と記載の重複・混乱が見られる。河内王朝の始祖と見なす説[3]、日本国外の史料との相対比較から、『宋書』や『梁書』に見える倭の五王の讃に比定する説(ほかに仁徳天皇や履中天皇を比定する説もある)がある[4]。 諡号[編集] 『日本書紀』には、譽田天皇(ほむたのすめらみこと)[5]。この名は、天皇が生まれた時、その腕の肉が弓具の鞆(ほむた)のように盛り上がっていた事に由来し、ほむたに譽田をあてたものだという。また、母の神功皇后の胎内にあったときから皇位に就く宿命にあったので、「胎中天皇」とも称された。 『古事記』には、品陀和氣命(ほむだわけのみこと)、別名は大鞆和気命(おおともわけのみこと)とある。 『播磨国風土記』には、品太天皇(ほむだのすめらみこと)と表記。 『上宮記』逸文には、凡牟都和希王(ほむたわけのみこ)と表記。 諡号か実名か[編集] 応神天皇の名とされる「ホムダワケ」(『日本書紀』では誉田別、『古事記』では品陀和気と表記)は、実は生前に使われた実名だった、とする説がある。確実性を増してからの書紀の記述による限り、天皇に和風諡号を追号するようになったのは6世紀の半ば以降と見られる。とくに応神天皇から継体天皇にかけての名は概して素朴であり、ワカタケルのように明らかに生前の実名と証明されたものもある[6]。第22代清寧天皇のシラカタケヒロクニオシワカヤマトネコ(白髪武広国押稚日本根子、『日本書紀』に因る)のように明らかな和風諡号も見られるが、これはむしろ清寧天皇が後に皇統の列に加えられた架空の天皇である可能性を物語っている(ただし、清寧天皇の和風諡号は実名を基にした物であるため、実在した可能性が高い、とする説もある)。 『日本書紀』には、吉備臣の祖として御友別(みともわけ)の名が、『古事記』には、近江の安(やす)国造の祖先として意富多牟和気(おほたむわけ)の名が見えるが、これらの豪族の名の構成は「ホムダワケ」と全く同じである。これらのことから、「ワケ」(別・和気・和希などと表記)の称を有する名は4世紀から5世紀にかけて皇族・地方豪族の区別なく存在し、ごく普遍的に用いられた名であることが分かる。事実、景行・履中・反正の各天皇の名にも「ワケ」が含まれており、実名を基にした和風諡号である可能性が高い。以上の点から、応神天皇の「ホムダワケ」と言う名も実名だったと、この仮説では見なしている。 なお、この「ワケ」の語義ならびに由来については、諸説あって明らかにしがたい。『古事記』では、景行天皇が設置した地方官の官職名であり、皇族から分かれて諸地方に分封された豪族の称としている。が、これは観念的説明であろう。姓としての「ワケ」の項も参照。 系譜[編集] 父は先帝仲哀天皇で、母は神功皇后こと息長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)とされるが、異説も多い。その理由は仲哀天皇死後にもかかわらず異常に出産が遅れたことにある。父として「是に皇后、大神と密事あり」(住吉大社の『神代記』)とある住吉三神や、あるいはまた武内宿禰とする考えもある[7]。 皇后:仲姫命(なかつひめのみこと、中日売命) - 品陀真若王(五百城入彦皇子王子)女 荒田皇女(あらたのひめみこ、木之荒田郎女) 大鷦鷯尊(おおさざきのみこと、大雀命・仁徳天皇) 根鳥皇子(ねとりのみこ) - 大田君祖 妃:高城入姫命(たかきのいりびめ、高木之入日売命) - 品陀真若王女、仲姫命同母姉 額田大中彦皇子(ぬかたのおおなかつひこのみこ) 大山守皇子(おおやまもりのみこ) - 土形君・榛原君祖 去来真稚皇子(いざのまわかのみこ、伊奢之真若命) - 深河別祖 大原皇女(おおはらのひめみこ) - 『先代旧事本紀』は弟姫命の所生とする。 澇来田皇女(こむくたのひめみこ、高目郎女) 妃:弟姫命(おとひめ、弟日売命) - 品陀真若王女、仲姫命同母妹 阿倍皇女(あへのひめみこ) 淡路御原皇女(あわじのみはらのひめみこ、阿具知能三腹郎女) - 根鳥皇子妃 紀之菟野皇女(きのうののひめみこ、木之菟野郎女) 滋原皇女(しげはらのひめみこ) - 記紀に見えず、『先代旧事本紀』より補う。 三野郎女(みののいらつめ) 妃:宮主宅媛(みやぬしやかひめ、宮主矢河枝比売) - 和弭日触使主女[8] 菟道稚郎子皇子(うじのわきいらつこのみこ、宇遅能和紀郎子) - 応神天皇皇太子 矢田皇女(やたのひめみこ、八田皇女・八田若郎女) - 仁徳天皇皇后(仁徳は異母兄弟) 雌鳥皇女(めとりのひめみこ、女鳥王) - 隼総別皇子妃(隼総別は異母兄弟)。仁徳に求婚されたが隼総別と結婚し、のちに仁徳に反逆したことにより夫婦とも殺害される[9]。 妃:小甂媛(おなべひめ) - 和弭日触使主女、宮主宅媛妹[8] 菟道稚郎女皇女(うじのわきいらつひめのひめみこ、宇遅能若郎女) - 仁徳天皇妃(仁徳は異母兄弟) 妃:息長真若中比売(おきながまわかなかつひめ、弟媛) - 河派仲彦王(息長田別王子、日本武尊孫)女 稚野毛二派皇子(わかぬけのふたまたのみこ、若沼毛二俣王) - 息長君等祖、継体天皇高祖父、忍坂大中姫・衣通姫父 妃:糸媛(いとひめ、糸井比売) - 桜井田部連島垂根女、男鉏妹 隼総別皇子(はやぶさわけのみこ、速総別命) 妃:日向泉長媛(ひむかのいずみのながひめ) 大葉枝皇子(おおはえのみこ、大羽江王) 小葉枝皇子(おはえのみこ、小羽江王) 幡日之若郎女(はたびのわかいらつめ) - 履中天皇皇后 妃:迦具漏比売(かぐろひめ) - 須売伊呂大中日子(稚武彦王王子、日本武尊孫)王女 川原田郎女(かわらたのいらつめ) 玉郎女(たまのいらつめ) (忍坂大中比売) - 以下の2皇女は稚野毛二派皇子の女であろう。 (登富志郎女)  迦多遅王(かたじのみこ、堅石王) 妃:葛城野伊呂売(かつらぎののいろめ、怒能伊呂比売?) - 武内宿禰女? (伊奢能麻和迦王) - 去来真稚皇子の重複か。 妃:兄媛(えひめ) - 吉備武彦命(稚武彦命子)女、吉備御友別妹 系図[編集] 豊城入彦命 [毛野氏族] 10 崇神天皇 11 垂仁天皇 12 景行天皇 日本武尊 14 仲哀天皇 倭姫命 13 成務天皇  彦坐王 丹波道主命  山代之大 筒木真若王 迦邇米雷王  息長宿禰王 神功皇后 (仲哀皇后) 15 応神天皇 16 仁徳天皇 17 履中天皇 市辺押磐皇子 飯豊青皇女 18 反正天皇 24 仁賢天皇 手白香皇女 (継体皇后) 菟道稚郎子皇子 23 顕宗天皇 25 武烈天皇 19 允恭天皇 木梨軽皇子 20 安康天皇 21 雄略天皇 22 清寧天皇 春日大娘皇女 (仁賢皇后) 稚野毛 二派皇子  意富富杼王  乎非王 彦主人王 26 継体天皇 忍坂大中姫 (允恭皇后) 皇居[編集] 都は軽島豊明宮(かるしまのとよあきらのみや、現在の奈良県橿原市大軽町に比定[10])。『古事記』には、軽島之明宮と見える。『日本書紀』によると、難波にも大隅宮(おおすみのみや。現在の大阪市東淀川区大隅、一説に同市中央区)が置かれた。 事績[編集] 神功皇后の三韓征伐の帰途に筑紫の宇瀰(神功皇后紀。うみ:福岡県糟屋郡宇美町)、または筑紫の蚊田(応神天皇紀。かだ:筑後国御井郡賀駄郷あるいは筑前国怡土郡長野村蚊田)で生まれたとされる。神功4年に立太子。応神天皇元年に71歳で即位、同41年に111歳で崩御。『古事記』に130歳。 『日本書紀』によると応神天皇14年に弓月君(秦氏の先祖)が百済から来朝して窮状を天皇に上奏し援軍を求めた。 弓月君(秦氏の先祖)は百二十県の民を率いての帰化を希望していたが新羅の妨害によって叶わず、葛城襲津彦の助けで弓月君の民は加羅が引き受けるという状況下にあった。 しかし三年が経過しても葛城襲津彦は、弓月君の民を連れて帰還することはなかった。 そこで、応神天皇16年8月、新羅による妨害の危険を除いて弓月君の民の渡来を実現させるため、平群木莵宿禰と的戸田宿禰が率いる精鋭が加羅に派遣され、新羅国境に展開した。新羅への牽制は功を奏し、無事に弓月君の民が渡来した。 『古事記』に「この御世に、海部(あまべ)、山部、山守部、伊勢部を定めたまひき。また、剣池(つるぎのいけ)を作りき。また新羅人参渡(まいわた)り来つ。ここをもちて建内宿禰命引い率て、堤池に役ちて、百済池(くだらのいけ)を作りき」。『日本書紀』にも同様の記事が見え、応神五年八月条に「諸国に令して、海人及び山守を定む」、応神十一年十月条に「剣池・軽池(かるのいけ)・鹿垣池(ししかきのいけ)・厩坂池(うまやさかのいけ)を作る」とある。剣池は奈良県橿原市石川町の石川池という。 『古事記』に、百済の国主照古王(百済の近肖古王)が、雄雌各一頭を阿知吉師(あちきし)に付けて献上したとある。この阿知吉師は阿直史等の祖。また、横刀(たち)や大鏡を献上した。また「もし賢人しき人あらば貢上れ」と仰せになったので、「命を受けて貢上れる人、名は和邇吉師(わにきし)。すなわち論語十巻、千字文一巻、併せて十一巻をこの人に付けてすなわち貢進りき。この和爾吉師は文首等の祖。また手人韓鍛(てひとからかぬち)名は卓素(たくそ)また呉服(くれはとり)の西素(さいそ)二人を貢上りき」。『書紀』の十五年八月条と十六年二月条に同様の記事が見える。また、応神二十年九月条に「倭の漢直の祖阿知使主(あちのおみ)、其の子都加使主、並びに己が党類十七県を率て、来帰り」とあって、多くの渡来人があったことを伝えている。 後世、神功皇后と共に八幡神に付会され、皇祖神や武神として各地の八幡宮に祭られる。 陵・霊廟[編集] 陵(みささぎ)は、大阪府羽曳野市誉田6丁目にある惠我藻伏崗陵(恵我藻伏岡陵、えがのもふしのおかのみささぎ)に治定されている。公式形式は前方後円。考古学名は誉田御廟山古墳(前方後円墳、全長約420m)。 『古事記』には「御陵は川内の恵賀(えが)の裳伏(もふし)岡にあり」、『日本書紀』には陵名の記載はないが、雄略紀に「蓬蔂丘(いちびこのおか)の誉田陵」とある。誉田御廟山古墳は大仙陵古墳(仁徳天皇陵)に次ぐ(第2位の規模)5世紀初ともいわれる大前方後円墳である。ただし考古学の絶対年代はよほど強力な史料などが出ない限り、常に浮動的であることに注意する必要がある。2011年宮内庁により考古学者らの立ち入り調査が認められた。 上記とは別に、大阪府堺市北区百舌鳥本町にある宮内庁の百舌鳥陵墓参考地(もずりょうぼさんこうち)では、応神天皇が被葬候補者に想定されている[11]。考古学名は御廟山古墳。 また皇居では、皇霊殿(宮中三殿の1つ)において他の歴代天皇・皇族とともに天皇の霊が祀られている。 在位年と西暦との対照[編集] 当天皇の在位について、実態は明らかでない。『日本書紀』に記述される在位を機械的に西暦に置き換えた年代については「上古天皇の在位年と西暦対照表の一覧」を参照。 年代に関して、『日本書紀』では応神天皇3年条に百済の辰斯王が死去したことが記述されているが、『三国史記』「百済本紀」の辰斯王が死去したと記述されている年は西暦392年である。また、『日本書紀』では応神天皇8年条に「百済紀には、阿花王(あくえおう、あかおう)が王子直支を遣わしたとある。」と記述されているが、『三国史記』「百済本紀」において阿花王(阿莘王/阿芳王と記載)が太子腆支(直支のこと)を遣わしたと記述されている年(阿莘王6年)は西暦397年である。また、『日本書紀』では応神天皇16年条に百済の阿花王が死去したことが記述されているが、『三国史記』「百済本紀」において阿花王(阿莘王/阿芳王と記載)が死去したと記述されている年(阿莘王14年)は西暦405年である。[12][13](詳しくは'百済史年表'を参照) 脚注[編集] ^ 『日本の歴史 第1巻 神話から歴史へ』 中央公論社 1964年、中公文庫 1973年/文庫改版 2005年,405頁 ^ 岡田英弘『倭国』中公新書、1977年、189-190頁。 ^ 塚口義信の説。古代日向の謎 「神武東征」伝説の背景 : こだわり歴史考 : 教育 文化 : 九州発 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)2004年07月03日(リンク切れ) ^ “【倭の五王(わ‐の‐ごおう)】” (日本語). デジタル大辞泉. 2012年11月28日閲覧。 ^ 『書紀』は分注に一伝として、元は去来紗別尊(いざさわけのみこと)といい、気比神宮の笥飯大神と名前を交換して譽田別尊の名を得たのであろうが、他に所見なく未詳、としている。これは『古事記』仲哀天皇段に見える「魚(な)と名(な)の交換」の説話を、「名前の交換」と解釈した誤伝であるが、詳しくは「氣比神宮」参照。 ^ 赤城(2006,118) ^ 佐藤(2006,213) ^ a b 『先代旧事本紀』は記紀と異なり、宮主宅媛を山無媛(やまなしひめ、香室媛)、日触使主を物部多遅麻連(たじまのむらじ)女とする。 ^ 雌鳥皇女 めとりのおうじょKotobank ^ 岡田隆夫「軽島豊明宮」『国史大辞典』 吉川弘文館。 ^ 外池昇『事典陵墓参考地 もうひとつの天皇陵』(吉川弘文館、2005年)pp. 49-52。 ^ 阿花王(デジタル版 日本人名大辞典+Plus)(朝日新聞社コトバンクより)。 ^ 『日本古代氏族人名辞典 普及版』(吉川弘文館、2010年)阿花王項。 参考文献[編集] 赤城毅彦 『『古事記』『日本書紀』の解明: 作成の動機と作成の方法』 文芸社、2006年。ISBN 4286017303。 佐藤裕一 『日本古代史入門』 文芸社、2006年。ISBN 4286018644。 関連項目[編集] ウィキメディア・コモンズには、応神天皇に関連するカテゴリがあります。 『古事記』 『日本書紀』 王朝交替説 八幡神 誉田八幡宮 宇美八幡宮 米餅搗大使主 外部リンク[編集] 惠我藻伏崗陵 - 宮内庁 [表示] 表 話 編 歴 天皇旗 天皇一覧 菊の御紋 典拠管理 WorldCat VIAF: 9695462 LCCN: nr90018721 NDL: 00622051 カテゴリ: 日本の天皇 案内メニュー ログインしていませんトーク投稿記録アカウント作成ログインページノート閲覧編集履歴表示検索 Wikipedia内を検索 表示 メインページ コミュニティ・ポータル 最近の出来事 新しいページ 最近の更新 おまかせ表示 練習用ページ アップロード (ウィキメディア・コモンズ) ヘルプ ヘルプ 井戸端 お知らせ バグの報告 寄付 ウィキペディアに関するお問い合わせ 印刷/書き出し ブックの新規作成 PDF 形式でダウンロード 印刷用バージョン 他のプロジェクト コモンズ ツール リンク元 関連ページの更新状況 ファイルをアップロード 特別ページ この版への固定リンク ページ情報 ウィキデータ項目 このページを引用 他言語版 العربية English Español Français Bahasa Indonesia 한국어 Português Русский 中文 他 18 リンクを編集 最終更新 2017年6月11日 (日) 03:19 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。 テキストはクリエイティブ・コモンズ 表示-継承ライセンスの下で利用可能です。追加の条件が適用される場合があります。詳細は利用規約を参照してください。 プライバシー・ポリシーウィキペディアについて免責事項開発者Cookieに関する声明モバイルビューWikimedia Foundation Powered by MediaWiki --------- --------- --------- ---------