TOP > お(囲碁)
お(囲碁)

お(囲碁)

お(囲碁)について


ネット囲碁対局なら『みんなの碁』

ネット囲碁対局 入口 (ここをクリック)


ページ     補足                 
お(囲碁)

お(囲碁) に関する検索

オイオトシ(囲碁)

オイオトシ(囲碁) に関する検索

王座(囲碁)

王座(囲碁) に関する検索

大ザル(囲碁)

大ザル(囲碁) に関する検索

大ゲイマ(囲碁)

大ゲイマ(囲碁) に関する検索

大高目(囲碁)

大高目(囲碁) に関する検索

大目ハズシ(囲碁)

大目ハズシ(囲碁) に関する検索

オキ(囲碁)

オキ(囲碁) に関する検索

置き碁(囲碁)

置き碁(囲碁) に関する検索

オサエ(囲碁)

オサエ(囲碁) に関する検索

オサマリ(囲碁)

オサマリ(囲碁) に関する検索

オシ(囲碁)

オシ(囲碁) に関する検索

オシツブシ(囲碁)

オシツブシ(囲碁) に関する検索

押し潰し(囲碁)

押し潰し(囲碁) に関する検索

重い(囲碁)

重い(囲碁) に関する検索

追い落とし(囲碁)

追い落とし(囲碁) に関する検索

追い込む(囲碁)

追い込む(囲碁) に関する検索

追い出す(囲碁)

追い出す(囲碁) に関する検索

大きい碁(囲碁)

大きい碁(囲碁) に関する検索

大ゴミ(囲碁)

大ゴミ(囲碁) に関する検索

大手合(囲碁)

大手合(囲碁) に関する検索

大トンボ(囲碁)

大トンボ(囲碁) に関する検索

大どころ(囲碁)

大どころ(囲碁) に関する検索

大目外し(囲碁)

大目外し(囲碁) に関する検索

大模様(囲碁)

に関する検索

大ヨセ(囲碁)

大ヨセ(囲碁) に関する検索

オールスター(囲碁)

オールスター(囲碁) に関する検索

侵す(囲碁)

侵す(囲碁) に関する検索

置き(囲碁)

置き(囲碁) に関する検索

置く(囲碁)

置く(囲碁) に関する検索

置碁(囲碁)

置碁(囲碁) に関する検索

置碁定石(囲碁)

置碁定石(囲碁) に関する検索

オサエコむ(囲碁)

オサエコむ(囲碁) に関する検索

抑え込む(囲碁)

抑え込む(囲碁) に関する検索

御城碁(囲碁)

御城碁(囲碁) に関する検索

押す手なし(囲碁)

押す手なし(囲碁) に関する検索

オドリコミ(囲碁)

オドリコミ(囲碁) に関する検索

オドリ出す(囲碁)

オドリ出す(囲碁) に関する検索

躍る(囲碁)

躍る(囲碁) に関する検索

鬼手(囲碁)

鬼手(囲碁) に関する検索

斧の柄(囲碁)

斧の柄(囲碁) に関する検索

面白い(囲碁)

面白い(囲碁) に関する検索

面白く打つ(囲碁)

面白く打つ(囲碁) に関する検索

オリる(囲碁)

オリる(囲碁) に関する検索

オリキリ(囲碁)

オリキリ(囲碁) に関する検索

オヨぐ(囲碁)

オヨぐ(囲碁) に関する検索

オワ(囲碁)

オワ(囲碁) に関する検索

王冠戦(囲碁)

王冠戦(囲碁) に関する検索

おかげ杯(囲碁)

おかげ杯(囲碁) に関する検索

王座戦(囲碁)

王座戦(囲碁) に関する検索

大場(囲碁)

大場(囲碁) に関する検索

お問い合わせ
メールはこちらまで
minnanogo99@gmail.com
囲碁は、陣地を囲むゲームです。
RPGゲームやアクションゲームとは異なる思考で次の一手を考える、面白いゲームです。
将棋、チェスと並ぶ、究極の思考ゲームとも言われます。
ブラウザーのみで動作するケースを特に囲碁ブラウザゲームと称することもあります。
専用ソフト使用の囲碁ゲームも多々あります。

碁を知りたい。
なのに、打つ機会がない。

相手がいない。碁会所に入ってみたい。でも躊躇する。これが現実のようです。

面白くて、夢中になる碁です。この機会に碁を始めてはいかがでしょうか。ネット碁会所なら、敷居が低いです。

相手が見つからないときは、思考エンジンが、お相手します。待ち惚けになりません。

『考慮時間制』の対局場です。勝敗でスコアが増減します。

対局(専用)ソフトを使用しません。ブラウザーのみで動作します。インストール不要なので不安がありません。

一般的なゲームでは、「礼」に重きをおきませんが、知的ゲームでは、礼を重んじる利用者が多いので、礼を心がけたいものです。
将棋に「ハサミ将棋」や「山崩し」があるように、囲碁にも「ポン抜きゲーム」/「石取りゲーム」があります。基本となる「アタリ」の習得に有用です。
ドンジャラも麻雀の基礎ルールの説明には有用ですね。


ネット碁会所、囲碁対局
フリーソフト
関連語
碁序盤打ち方
ネット碁会所サイト
あれこれ
あれこれ2

お(囲碁)
▲TOPページ
当サイトに、お越しいただいて有難うございます。 一局の碁をお楽しみください。 当サイトで、御覧頂いているブラウザを使用して囲碁対局ができます。HTML5を使用するので、ソフトのインストールは不要です。 初心者の方も、対局できるようになっております。 ルールを知ったが、対局する機会がない人に最適です。ルールが解らない方は、申し訳ありませんが事前に習得して頂けれは幸いです。 囲碁のルールは単純なのでずか、ゲームは難しいです。 入門者もベテランもロボットと対局できるサイトは多々あります。
実体験に基づいた、オススメ記事もネット上にあります。 「ネット碁を打ちたいけどどこで打ったらいいのかわからない」という方は、参考にしてください。 オススメするネット囲碁対局場3選 ここによると、
・いつでもどこでも打てる!それがネット碁の魅力
・囲碁はワールドワイドなゲーム
・ユーザーの多さ
・ユーザーの質


・コミュニティ機能の充実
・サポートの充実
・コンテンツの充実

これらを鑑みると、
3:幽玄の間
2:KGS
1:パンダネット
だそうです。 推薦者のブログ 幽玄の間の口コミ 幽玄の間サイト KGSの口コミ KGS パンダネット

当サイトも、及ばずながら、がんばります。




Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0)

囲碁

ゲーム




Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0) --------- オイオトシ オイオトシは囲碁用語の一つ。漢字表記では「追い落とし」となる。 ツグ手を打っても引き続きアタリになり、取られてしまう状態をいう。別名をトントン、ツギオトシ、バタバタとも。 黒1で3子はアタリになっているが、aにつないでもさらに全体がアタリであるためbで取られてしまう。 上図では白が先に1につないでも黒2にアテ、さらに白3とツゲば黒4で全体が落ちる。このようなケースもオイオトシと呼ぶ。--------- --------- 王座 (囲碁) 曖昧さ回避 この項目では、日本の囲碁の棋戦について説明しています。韓国の囲碁の棋戦については「王座戦 (韓国)」を、台湾の囲碁の棋戦については「王座戦 (台湾)」をご覧ください。 王座(おうざ)は囲碁の棋戦の一つである王座戦で優勝した棋士に贈られるタイトル。 目次 [非表示] 1 王座戦 2 名誉王座 3 歴代王座と決勝戦・挑戦手合 4 全本因坊全八段戦 5 注 6 外部リンク 7 関連項目 王座戦[編集] 1953年創設。囲碁のタイトル戦としては、本因坊戦に次ぐ長い伝統がある。日本経済新聞社、日本棋院、関西棋院主催。トーナメント戦による勝者がタイトル保持者と挑戦手合を行い、優勝者を決める。当初はトーナメント制を採り、第1期は決勝一番勝負、第2-15期は決勝三番勝負。またいち早く5目半コミ出しを取り入れた。第16期より挑戦手合制を導入し、第31期までは三番勝負、第32期以降は五番勝負へと変更された。また2006年から国際戦の基準に合わせ、持ち時間3時間制を導入した。 前身として1952年に行われた全本因坊全八段戦がある。1953年に、同年に同じ日本経済新聞で開始された将棋の王座戦とともに、加藤治郎考案の出場棋士横一線のトーナメントとして、花村元司命名の「王座戦」と同名で開始された[1]。 2014年の第62期より契約金などから、天元戦と入れ替わって、タイトルの序列が5位から4位に変更となった[2]。 名誉王座[編集] 王座を5連覇、または通算10期以上獲得した棋士は、60歳以降に名誉王座を名乗る権利を得る。 通算 連覇 年 1 加藤正夫 11期 8連覇 1979-1980、1982-1989、1993 歴代王座と決勝戦・挑戦手合[編集] 左が勝者。1-15期は決勝三番勝負、16期以降は前年優勝者との挑戦手合。○●は勝者から見た勝敗、網掛けはタイトル保持者。 期 開催年 優勝者 勝敗 準優勝 1 1953 橋本宇太郎 1-0 前田陳爾 2 1954 高川格 2-1 宮下秀洋 3 1955 橋本宇太郎 2-1 島村利博 4 1956 橋本宇太郎 2-0 坂田栄男 5 1957 島村利博 2-0 半田道玄 6 1958 藤沢朋斎 2-0 半田道玄 7 1959 橋本昌二 2-0 山部俊郎 8 1960 半田道玄 2-0 宮下秀洋 9 1961 坂田栄男 2-1 高川格 10 1962 宮下秀洋 2-0 加田克司 11 1963 坂田栄男 2-0 藤沢朋斎 12 1964 坂田栄男 2-0 梶原武雄 13 1965 半田道玄 2-0 大窪一玄 14 1966 坂田栄男 2-1 林海峰 15 1967 藤沢秀行 2-0 橋本昌二 16 1968 藤沢秀行 2-0 坂田栄男 17 1969 藤沢秀行 2-0 大竹英雄 18 1970 坂田栄男 2-0 藤沢秀行 19 1971 坂田栄男 2-0 橋本昌二 20 1972 坂田栄男 2-1 橋本宇太郎 21 1973 林海峰 2-1 坂田栄男 22 1974 石田芳夫 2-1 林海峰 23 1975 大竹英雄 2-0 石田芳夫 24 1976 趙治勲 2-1 大竹英雄 25 1977 工藤紀夫 2-0 趙治勲 26 1978 石田芳夫 2-1 工藤紀夫 27 1979 加藤正夫 2-0 石田芳夫 28 1980 加藤正夫 2-0 石田芳夫 29 1981 橋本昌二 2-1 加藤正夫 30 1982 加藤正夫 2-0 橋本昌二 31 1983 加藤正夫 2-0 大竹英雄 32 1984 加藤正夫 3-0 山城宏 33 1985 加藤正夫 3-0 小林光一 34 1986 加藤正夫 3-1 林海峰 35 1987 加藤正夫 3-1 趙治勲 期 開催年 優勝者 勝敗 準優勝 36 1988 加藤正夫 3-0 武宮正樹 37 1989 加藤正夫 3-1 羽根泰正 38 1990 羽根泰正 3-2 加藤正夫 39 1991 藤沢秀行 3-1 羽根泰正 40 1992 藤沢秀行[注 1] 3-2 小林光一 41 1993 加藤正夫 3-0 藤沢秀行 42 1994 趙治勲 3-2 加藤正夫 43 1995 王立誠 3○○○0 趙治勲 44 1996 柳時熏 3○○○0 王立誠 45 1997 山田規三生 3○●○○1 柳時熏 46 1998 王立誠 3○○○0 山田規三生 47 1999 王立誠 3●○○○1 趙治勲 48 2000 王立誠 3●○○○1 趙治勲 49 2001 趙治勲 3○○○0 王立誠 50 2002 王銘琬 3●○○●○2 趙治勲 51 2003 張栩 3●○○○1 王銘琬 52 2004 張栩 3○○●○1 山下敬吾 53 2005 張栩 3○○○0 山下敬吾 54 2006 山下敬吾 3●○○○1 張栩 55 2007 山下敬吾 3○●○○1 今村俊也 56 2008 張栩 3○○●○1 山下敬吾 57 2009 張栩 3○○○0 山田規三生 58 2010 張栩 3○○○0 山田規三生 59 2011 張栩 3○○○0 羽根直樹 60 2012 井山裕太 3○○○0 張栩 61 2013 井山裕太 3○○●○1 張栩 62 2014 村川大介 3●○●○○2 井山裕太 63 2015 井山裕太 3○○○0 村川大介 64 2016 井山裕太 3○○○0 余正麒 ^ 藤沢67歳、最高齢タイトル記録 全本因坊全八段戦[編集] 1952年に日本経済新聞社の大軒順三の提案により、当時の本因坊経験者関山利一、橋本宇太郎、岩本薫と、八段位雁金準一、鈴木為次郎、瀬越憲作、加藤信、木谷實の8名によるトーナメント戦が行われた。コミは4目半、持時間各10時間。 トーナメントは岩本薫が1回戦で関山、2回戦で瀬越に勝ち、決勝三番勝負で木谷を2-1で破って優勝した。 翌1953年に発展解消して、王座戦が創設された。 トーナメント表 準々決勝 準決勝 決勝 加藤信 × 木谷實 ○ 木谷實 ○ 橋本宇太郎 × 雁金準一 × 橋本宇太郎 ○ 木谷實 1 岩本薫 2 岩本薫 ○ 関山利一 × 岩本薫 ○ 瀬越憲作 × 瀬越憲作 ○ 鈴木為次郎 × 注[編集] ^ 加藤治郎『昭和のコマおと』旺文社 1980年 ^ 朝日新聞 「七大タイトルの序列変更 囲碁」2014年5月27日 外部リンク[編集] 日本棋院「王座戦」 関連項目[編集] 囲碁タイトルの在位者一覧 王座 王座戦 (将棋) --------- サルスベリ (囲碁) サルスベリは囲碁に現れる形のひとつで、2線の石から1線にスベリを打つこと。通常サルスベリといった場合大ゲイマスベリを指し、「大ザル」とも呼ぶ。小ゲイマスベリの場合は区別して「小ザル」と呼ぶことがある。大ザルは場合にもよるが先手8目ほどの大きなヨセであるため、ヨセの初期段階で打たれることが多い。 サルスベリはヨセの重要な基本手筋であり、対策も記憶しておく必要がある。下図、左上黒1が小ザルで白は2と止める。下辺黒1のサルスベリに対しては、白2とコスミツケて受け、以下番号順に打って進出を止めるのが基本である。 余談[編集] ポカ(凡ミス)で有名な藤沢秀行は、サルスベリの止め方を間違えて半目負けを喫したことがある。[1]。 --------- ケイマ 曖昧さ回避 この項目では、囲碁用語のケイマについて説明しています。将棋の駒については「桂馬」をご覧ください。 ケイマは囲碁において、すでにある石から横に二路、縦に一路(または横に一路、縦に二路)離れた位置関係のことを指す。下図がケイマの位置関係である。 英語では "knight jump" 。将棋の桂馬やチェスのナイトの動きのような位置関係であることから名づけられた。向きは問わない。なお将棋では「桂馬」と漢字で書くが、囲碁ではふつうカタカナで表記する。 上図のケイマより石が一路遠い、下図の黒石ような位置関係は「大ゲイマ(おおげいま)」と称する。下図の白石のような、さらにもう一路遠いものは「大々ゲイマ(だいだいげいま)」である(白の配置)。これに対比させて通常のケイマを「小ゲイマ」と称することもある。 目次 [非表示] 1 ケイマの活用 2 ケイマを含む形 3 格言 4 関連項目 5 参考文献 ケイマの活用[編集] ケイマは一間トビなどに比べて若干2つの石の連絡に隙を残すが、その分機動性に富む。このため相手の石を追いかけ、攻める際によく用いる(格言「追うはケイマ、逃げるは一間」)。下図の黒△は白石に迫りつつ厳しく攻めかかるケイマの手である。 隅の石からシマる際には、侵入の隙が少ない「小ゲイマジマリ」が多用される。星・小目・目ハズシいずれの着点からも、小ゲイマジマリは最も基本的なシマリ方とされる。下図は小目からの小ゲイマジマリである。 ケイマを含む形[編集] 図のように、一間にトンだ石からケイマに打った形を、族に「犬の顔」または「徳利」と称する。もう一路遠くaの大ゲイマに打つのは「馬の顔」といわれる。 黒1は、aの断点を補うツギ方で、「ケイマツギ」と称する。白がaに切ってきても、シチョウで取れる。aやbにツグより働いた形。 格言[編集] ケイマのツキダシ 相手のケイマの間を出ようとする手は、往々にして味消しの悪手となることが多い。例えば白1のツキダシは、黒2と受けられて安心させてしまう。 ケイマにツケコシ ケイマに対しては、ツケコシが切断などに有効であるという格言。白1とツケコシを打ち、黒2以下隅に封じ込めれば白が厚く、有利となる。 両ケイマ逃すべからず 両者から見てケイマの位置になるような点は、勢力の消長に関して要点となることが多く、逃がさず打つべきであるという格言。例えば下図黒1は左辺の白模様と中央の黒模様の接点となり、白模様を制限しつつ黒模様を大きく拡大する絶対の一手となる。「両ケイ逃すべからず」とも。 関連項目[編集] コスミ トビ ハザマ 参考文献[編集] 影山利郎『常識やぶり 影山囲碁教室〈その弐〉ケイマ専科・大ゲイマ専科の巻 (新・碁学読本)』独楽書房 1987年--------- --------- 大高目 大高目(おおたかもく)は囲碁用語の一つで、碁盤上の位置を指す言葉。高高目とも呼ぶ。碁盤の隅から数えて(4,6)または(6,4)の地点。布石の段階で隅の着点としてまれに打たれる。 白江治彦・王立誠・依田紀基が一時期愛用した。小目へのカカリを受けての大型で複雑な変化を含む。 隅の黒1またはaの地点を大高目と呼ぶ。 一つの隅に大高目に該当する位置は2箇所あるが、どちらに打つのも同じ意味である。ただし盤上の他の石の配置によって、戦略上異なる意味を持つ。 目次 [非表示] 1 特徴 1.1 シマリ 1.2 カカリ 2 アポロ流 特徴[編集] 四線と六線の交点であり、隅に甘い分辺への発言力は大きい。また、隅への侵入を誘って勢力を築く意味がある。 シマリ[編集] 大高目からのシマリはaの小目が普通だが、周辺の状況に応じてbからdまでの変則的シマリも用いられる。 カカリ[編集] 白からのカカリもaの小目が最も一般的である。これに対し黒はbのツケ、cへの圧迫、手抜きなどの対応がある。 状況によりbと三々に入る手法や、dと一歩遠慮してカカる手段もある。eと星へカカるのはfと両ガカリされ、一般に不利とされる。 アポロ流[編集] 図の黒のような布石を一時期白江治彦が多用し、当時月着陸を果たしたアポロ11号にちなんで「アポロ流」と呼んでいた。 --------- 大高目 大高目(おおたかもく)は囲碁用語の一つで、碁盤上の位置を指す言葉。高高目とも呼ぶ。碁盤の隅から数えて(4,6)または(6,4)の地点。布石の段階で隅の着点としてまれに打たれる。 白江治彦・王立誠・依田紀基が一時期愛用した。小目へのカカリを受けての大型で複雑な変化を含む。 隅の黒1またはaの地点を大高目と呼ぶ。 一つの隅に大高目に該当する位置は2箇所あるが、どちらに打つのも同じ意味である。ただし盤上の他の石の配置によって、戦略上異なる意味を持つ。 目次 [非表示] 1 特徴 1.1 シマリ 1.2 カカリ 2 アポロ流 特徴[編集] 四線と六線の交点であり、隅に甘い分辺への発言力は大きい。また、隅への侵入を誘って勢力を築く意味がある。 シマリ[編集] 大高目からのシマリはaの小目が普通だが、周辺の状況に応じてbからdまでの変則的シマリも用いられる。 カカリ[編集] 白からのカカリもaの小目が最も一般的である。これに対し黒はbのツケ、cへの圧迫、手抜きなどの対応がある。 状況によりbと三々に入る手法や、dと一歩遠慮してカカる手段もある。eと星へカカるのはfと両ガカリされ、一般に不利とされる。 アポロ流[編集] 図の黒のような布石を一時期白江治彦が多用し、当時月着陸を果たしたアポロ11号にちなんで「アポロ流」と呼んでいた。--------- --------- オキ (囲碁) オキ(おき、置き)は囲碁用語の一つで、相手の石にも自分の石にも触れないような位置に、文字通り「置く」ように打つ手のこと。動詞では「置く」となる。多くの場合一線や二線など辺の低い位置の、敵陣の急所に打つケースを指す。下図の黒1が「オキ」の一例である。 死活におけるオキ[編集] 詰碁などで、オキは眼を奪う重要な手段となることが多い。 図1: 図2: 図1の黒1が「三目の真ん中」と呼ばれる急所。図2の白2とツイできても、黒3のハイから黒5に切ればダメヅマリのため白はaに打てず、全滅となる。 黒は1の一線オキが好手で、白がaのツギなら黒bと引き出して黒が攻め合い勝ち。白はbと抜いてaと切らせるよりなく、△4子が落ちる。 黒1が「二の一の急所」と呼ばれる点。白aのサエギリならbにハネて攻め合い勝ち。白cに詰めてきたら、bにワタってよい。同じ「二の一」でも、黒1でdにオイてしまうと負けになる。--------- --------- 置き碁 置き碁、置碁(おきご)は、囲碁用語のひとつで、棋力の差がある二人が対局する場合、ハンデとしてあらかじめ碁盤に石を置いて対局する事をいう。将棋の「駒落ち戦」に相当する。 通常実力下位の者を下手(したて)、上位の者を上手(うわて)と呼び、下手は黒石、上手は白石を持つ。通常の対局では黒が先に着手して対局が開始されるが、置き碁の場合は黒があらかじめ盤上に石を置き(棋譜の記録上は着手とされない)、ここに白が先に着手して対局が開始される。 あらかじめ置く石を置き石と言い、通常その数は対局者の実力差に応じて2~9子の間で調整される。置き石の数によって9子局、8子局、…2子局のように呼ぶが、「1子局」というものはない。置き碁と互先の間に位置づけられるものに、定先といって下手が常に先手番を持ち、コミなしで打つ方法がある。 現在、置碁は雑誌等に掲載されるプロアマの交流対局などで見られる程度であり、プロの公式戦においては見られない。ただし、大手合などでは棋力差に応じて置き碁も行われていた。 目次 [非表示] 1 置き石の配置 2 置き石の効果 3 自由置き碁 4 事前置石制 5 参考図書 6 関連項目 置き石の配置[編集] 石の置き場所は下記のように定められており、2子から4子までは全て隅の星(2子の場合最も離れた隅の星に置く)、6子では4子に加えて対辺の二つの星、8子では隅と辺のすべての星、5子、7子、9子ではそれぞれ4子、6子、8子に加えて天元(すなわち、9子ではすべての星)となる。数字は、開始の際に石を置いていく順序を表す。 別名として9子局のことを「星目・井目(せいもく)」、4子局のことを「四本柱」と呼ぶこともある。 2子局 3子局 4子局 5子局 6子局 7子局 8子局 9子局 対戦者の実力が大きく離れている場合には、星目の配置にさらに三々や7の七の位置に石を加えることもある。前者を「星目風鈴(井目風鈴)」、後者を「中四目」と呼ぶ。一方が全くの初心者である場合などでは、星目風鈴と中四目を両方採用したり(星目風鈴中四目)、最大25子まで置き石を増やすケースもある。 星目風鈴 中四目 星目風鈴中四目 25子局 置き石の効果[編集] 通常置き石1つは、目数にして約10目のハンデといわれる。例えば互先で打って30目ほどの開きが出る実力差であれば、3子で打つのが適当ということになる。ただし置き石が増えるとその相互の関連によってさらに威力が増し、9子局のハンデは約130目に相当するといわれる。 自由置き碁[編集] 置き場所を下手の好きな場所に決めて良い、自由置き碁と呼ぶ方式もある。自分の得意なスタイルに合わせて自由に配置できる、星以外の定石も学べる、様々な配置を工夫できるなど、通常の置き碁にはない楽しみ方ができる。プロアマ本因坊対抗戦などで採用されている。 自由置き碁の配置の一例(6子) 事前置石制[編集] 当初、囲碁は互先であっても、下図のように白黒2子ずつを置き合った状態から対局を始めていた。これを事前置石制または「鎮子碁」と呼ぶ。日本では早くからこの制度が消え、第一着から自由に打つ方法が広まっていたが、中国などでは20世紀初頭まで事前置石制が行われていた。また、チベットの碁(密芒)では、17路の盤に白黒6子ずつを置いてスタートする。 参考図書[編集] 大竹英雄『基本置碁事典 上・下』日本棋院 『新・早わかり置碁小事典―九~三子局パターンの研究』日本棋院 関連項目[編集] ハンデキャップ --------- オサエ オサエは囲碁用語の一つで、相手の石が進出してくるのを止めるように打つ手。形式としてはハネの形になるもの、マガリの形になるものなどが含まれ、きちんとした定義は難しい。あくまで進出を止めるニュアンスの手段の総称である。例えば、下の図1・2の黒1のように、相手の隅への侵入を防ぐ手はいずれも「オサエ」と表現される。 図1 オサエのいろいろ[編集] 黒2,4,8,白5がいずれも「オサエ」である。 上図黒1のように、マガリの形で相手の進出を止め、厚く勢力圏を確保する手を「オサエコミ」と表現することがある。 参考図書:淡路修三『ハネとオサエ (烏鷺うろブックス)』1989年 --------- オシ (囲碁) オシは囲碁用語のひとつ。「押し」とも表記し、動詞では「押す」となる。自分の石と相手の石が斜めの位置関係にあるとき、その両方に隣接させるように打ち、相手の石を押しつけるようにして自分の石の勢力範囲を伸ばす手である。下図の黒1,3がオシの一例である。 また、オシの現れる場所が盤端近くで、押す方向が盤中央である場合、「オシアゲ」、「ソイアゲ」という用語を使うこともある。下図左の黒1が「オシアゲ」、右が「ソイアゲ」の一例。 オシアゲ ソイアゲ 「オシ」という術語は自分の石が中央方向へ向かう場合に用いる場合が多い。下図左・黒1のように相手の石の下の線に打つ場合には「ハイ」(這い)、右・白1のように盤端に向かう場合には「オサエ」あるいは「オサエコミ」という術語が用いられる。ただしこれらには明確な定義があるわけではなく、局面やニュアンスによって使い分けられる。 ハイ(這い) オサエ 格言[編集] 車の後押し 上図のように相手の石をどこまでも押し上げて行くのは、相手を強化させて一歩先に勢力圏を拡大させてしまうことになり、多くの場合良くないとされる。こうした打ち方を、相手のお手伝いという意味を込めて「車の後押し」と呼ぶ。「車の後押し悪手の見本」とも言われる。--------- --------- オシツブシ オシツブシは囲碁用語の一つで、相手の二団以上の石を同時にアタリにし、二眼を確保する手段。文字通り相手を押しつぶすイメージであることからつけられた。着手禁止点を利用して生きる手筋である。 黒1が「オシツブシ」の手筋。白は自殺手禁止のルールによりaの点にツグことができず、いずれ黒がaに打って白2子を同時に抜き、二眼を確保して生きとなる。 図1: 図2: 図1で、白が生きるには図2の白1ホウリコミしかない(さもなくば五目ナカデで生きられない)。黒2と取ったら、白3とオシツブシて生きとなる。aのダメが詰まっていると、白3に打てずコウとなる。 --------- 王冠戦 王冠戦(おうかんせん)は、囲碁の棋戦。日本棋院中部総本部と、中日新聞社が主催。トーナメントを勝ち上がった棋士がタイトル保持者との一番勝負で優勝者を決める。 出場できる棋士は中部総本部所属の棋士に限られ、「中部ナンバーワン決定戦」の意味合いがある。 優勝賞金 170万円 概要[編集] 7期より挑戦手合となり、15期まで1年半に1度行われていた。その後1年に1度行われている。 日本棋院中部総本部の所属する棋士により予選が行われ、予選通過者11名と前期挑戦手合敗退者の計12名によるトーナメントにより、挑戦者を決定する。1番勝負による、挑戦手合により王冠が決定される。 コミは、15期まで4目半、16期から43期まで5目半、44期から6目半。 過去の王冠戦挑戦手合結果[編集] 年は挑戦手合が行われた年 期 年 王冠 相手 1 1953 酒井通温 - 2 1956 岩田正男 - 3 1957 酒井通温 - 4 1958 岩田正男 - 5 1959 岩田正男 - 6 1960 島村俊宏 五十嵐正雄 7 1961 島村俊宏 岩田正男 8 1962 島村俊宏 五十嵐正雄 9 1964 島村俊宏 五十嵐正雄 10 1965 島村俊宏 岩田達明 11 1967 岩田達明 島村俊宏 12 1969 岩田達明 島村俊宏 13 1970 岩田達明 土田正光 14 1972 羽根泰正 岩田達明 15 1974 島村俊宏 羽根泰正 16 1975 島村俊宏 羽根泰正 17 1976 岩田達明 島村俊宏 18 1977 山城宏 岩田達明 19 1978 羽根泰正 山城宏 20 1979 岩田達明 羽根泰正 21 1980 岩田達明 馬場滋 22 1981 山城宏 岩田達明 23 1982 山城宏 羽根泰正 24 1983 羽根泰正 山城宏 25 1984 山城宏 羽根泰正 26 1985 山城宏 岩田達明 27 1986 山城宏 羽根泰正 28 1987 山城宏 土田正光 29 1988 小県真樹 山城宏 30 1989 小県真樹 岩田達明 期 年 王冠 相手 31 1990 小県真樹 羽根泰正 32 1991 小県真樹 羽根泰正 33 1992 羽根泰正 小県真樹 34 1993 山城宏 羽根泰正 35 1994 山城宏 小県真樹 36 1995 山城宏 羽根泰正 37 1996 山城宏 彦坂直人 38 1997 中野寛也 山城宏 39 1998 中野寛也 山城宏 40 1999 羽根直樹 中野寛也 41 2000 山城宏 羽根直樹 42 2001 山城宏 松岡秀樹 43 2002 羽根直樹 山城宏 44 2003 羽根直樹 彦坂直人 45 2004 羽根直樹 山城宏 46 2005 山城宏 羽根直樹 47 2006 松岡秀樹 山城宏 48 2007 羽根直樹 松岡秀樹 49 2008 羽根直樹 山城宏 50 2009 羽根直樹 山城宏 51 2010 山城宏 羽根直樹 52 2011 羽根直樹 山城宏 53 2012 羽根直樹 中野寛也 54 2013 羽根直樹 中野寛也 55 2014 羽根直樹 山城宏 56 2015 羽根直樹 小県真樹 57 2016 伊田篤史 羽根直樹 外部リンク[編集] 日本棋院 王冠戦のページ 王冠戦 王冠戦(おうかんせん)は、囲碁の棋戦。日本棋院中部総本部と、中日新聞社が主催。トーナメントを勝ち上がった棋士がタイトル保持者との一番勝負で優勝者を決める。 出場できる棋士は中部総本部所属の棋士に限られ、「中部ナンバーワン決定戦」の意味合いがある。 優勝賞金 170万円 概要[編集] 7期より挑戦手合となり、15期まで1年半に1度行われていた。その後1年に1度行われている。 日本棋院中部総本部の所属する棋士により予選が行われ、予選通過者11名と前期挑戦手合敗退者の計12名によるトーナメントにより、挑戦者を決定する。1番勝負による、挑戦手合により王冠が決定される。 コミは、15期まで4目半、16期から43期まで5目半、44期から6目半。 過去の王冠戦挑戦手合結果[編集] 年は挑戦手合が行われた年 期 年 王冠 相手 1 1953 酒井通温 - 2 1956 岩田正男 - 3 1957 酒井通温 - 4 1958 岩田正男 - 5 1959 岩田正男 - 6 1960 島村俊宏 五十嵐正雄 7 1961 島村俊宏 岩田正男 8 1962 島村俊宏 五十嵐正雄 9 1964 島村俊宏 五十嵐正雄 10 1965 島村俊宏 岩田達明 11 1967 岩田達明 島村俊宏 12 1969 岩田達明 島村俊宏 13 1970 岩田達明 土田正光 14 1972 羽根泰正 岩田達明 15 1974 島村俊宏 羽根泰正 16 1975 島村俊宏 羽根泰正 17 1976 岩田達明 島村俊宏 18 1977 山城宏 岩田達明 19 1978 羽根泰正 山城宏 20 1979 岩田達明 羽根泰正 21 1980 岩田達明 馬場滋 22 1981 山城宏 岩田達明 23 1982 山城宏 羽根泰正 24 1983 羽根泰正 山城宏 25 1984 山城宏 羽根泰正 26 1985 山城宏 岩田達明 27 1986 山城宏 羽根泰正 28 1987 山城宏 土田正光 29 1988 小県真樹 山城宏 30 1989 小県真樹 岩田達明 期 年 王冠 相手 31 1990 小県真樹 羽根泰正 32 1991 小県真樹 羽根泰正 33 1992 羽根泰正 小県真樹 34 1993 山城宏 羽根泰正 35 1994 山城宏 小県真樹 36 1995 山城宏 羽根泰正 37 1996 山城宏 彦坂直人 38 1997 中野寛也 山城宏 39 1998 中野寛也 山城宏 40 1999 羽根直樹 中野寛也 41 2000 山城宏 羽根直樹 42 2001 山城宏 松岡秀樹 43 2002 羽根直樹 山城宏 44 2003 羽根直樹 彦坂直人 45 2004 羽根直樹 山城宏 46 2005 山城宏 羽根直樹 47 2006 松岡秀樹 山城宏 48 2007 羽根直樹 松岡秀樹 49 2008 羽根直樹 山城宏 50 2009 羽根直樹 山城宏 51 2010 山城宏 羽根直樹 52 2011 羽根直樹 山城宏 53 2012 羽根直樹 中野寛也 54 2013 羽根直樹 中野寛也 55 2014 羽根直樹 山城宏 56 2015 羽根直樹 小県真樹 57 2016 伊田篤史 羽根直樹 外部リンク[編集] 日本棋院 王冠戦のページ --------- おかげ杯 おかげ杯(おかげはい)は、囲碁の非公式棋戦で、30歳以下の棋士によって争われる。2010年創設。正式タイトル名は、おかげ杯囲碁トーナメントである。2014年より、若手国際団体戦と若手国際女流個人戦である、おかげ杯国際新鋭対抗戦も開催されている。三重県伊勢市のおかげ横丁で開催され、名称もこれに由来する。 主催 日本棋院、横町棋院 協賛 株式会社濱田総業 後援 伊勢市、株式会社赤福、株式会社伊勢福、中日新聞社、三重テレビ放送、三重エフエム放送 優勝賞金 囲碁トーナメント300万円、国際対抗戦団体戦(第1回)270万円、女流個人戦20万円、(第2回-)450万円 目次 [非表示] 1 方式 2 囲碁トーナメント歴代優勝者と決勝戦 3 おかげ杯国際新鋭対抗戦 3.1 団体戦 3.2 女流個人戦 3.3 第1回結果 3.4 第2回結果 3.5 第3回結果 4 外部リンク 方式[ソースを編集] 16名によるトーナメント戦。シード4名と予選通過者12名。 コミは、6目半。 持時間は1手30秒、1分単位の考慮時間が10回。 囲碁トーナメントは第2回までは日本棋院の棋士のみであったが、3回から関西棋院から男女1名ずつの参加となった。 国際新鋭対抗戦団体戦は、日中韓台4か国の代表チームによって、総当たりでリーグ戦が行われる。その結果上位同士、下位同士で対戦し順位を確定する。団体戦メンバーは第1回は男子2名女子1名の3人、第2回以降は男子3名女子2名の5人。第1回の決勝は主将戦で行われた。 国際新鋭対抗戦女流個人戦の参加者は各国1名で、団体戦選手も兼ねる。団体戦と同様リーグ戦上位同士、下位同士で順位決定戦を行う。 囲碁トーナメント歴代優勝者と決勝戦[ソースを編集] 左が優勝者 第1回 2010年 張豊猷 - 大橋拓文 第2回 2011年 安斎伸彰 - 志田達哉 第3回 2012年 安斎伸彰 - 瀬戸大樹 第4回 2013年 一力遼 - 安斎伸彰 第5回 2014年 一力遼 - 瀬戸大樹 第6回 2015年 余正麒 - 一力遼 第7回 2016年 一力遼 - 安斎伸彰 おかげ杯国際新鋭対抗戦[ソースを編集] 団体戦[ソースを編集] 回次 年度 優勝 2位 3位 4位 1 2014 韓国 (羅玄、金庭賢、朴志娟) 中国 (柯潔、連笑、曹又尹) 中華台北 (王元均、陳詩淵、蘇聖芳) 日本 (一力遼、瀬戸大樹、謝依旻) 2 2015 韓国 (尹畯相、安国鉉、李志賢、崔精、呉侑珍) 日本 (伊田篤史、一力遼、余正麒、謝依旻、藤沢里菜) 中国 (楊鼎新、黄雲嵩、范蘊若、王晨星、於之瑩) 中華台北 (陳詩淵、林立祥、蕭正浩、黒嘉嘉、兪俐均) 3 2016 中国 (范蘊若、童夢成、黄雲嵩、於之瑩、陳一鳴) 韓国 (李東勲、李志賢、朴珉奎、呉侑珍、金彩瑛 中華台北 (林君諺、蕭正浩、楊博崴、黒嘉嘉、蘇聖芳) 日本 伊田篤史、一力遼、安斎伸彰、謝依旻、奥田あや) 女流個人戦[ソースを編集] 第1回(2014年) 優勝:朴志娟(韓国) 準優勝:曹又尹(中国) 3位:謝依旻(日本) 4位:蘇聖芳(台湾) 第1回結果[ソースを編集] 2014年11月1-2日 団体戦 予選 チーム/相手 中国 韓国 日本 中華台北 チーム勝数 個人勝数 順位 中国 − 3-0 3-0 3-0 3 9 1 韓国 0-3 - 3-0 2-1 2 5 2 日本 0-3 0-3 - 2-1 1 2 3 中華台北 0-3 1-2 1-2 - 0 2 4 決勝戦 羅玄(韓国) - 柯潔(中国)、3位決定戦 王元均(中華台北)- 一力遼(日本) 女子個人戦 1位決定戦 朴志娟(韓国)- 曹又尹(中国)、3位決定戦 謝依旻(日本) - 蘇聖芳(中華台北) 第2回結果[ソースを編集] 2015年10月2-3日 予選 チーム/相手 韓国 日本 中国 中華台北 チーム勝 個人勝 順位 韓国 − 4-1 4-1 5-0 3 13 1 日本 1-4 - 2-3 4-1 1 7 2 中国 1-4 3-2 - 2-3 1 6 3 中華台北 0-5 1-4 3-2 - 1 4 4 決勝戦 韓国 5 0 日本 尹畯相 ○ × 伊田篤史 李志賢 ○ × 一力遼 安国鉉 ○ × 余正麒 崔精 ○ × 謝依旻 呉侑珍 ○ × 藤沢里菜 3位決定戦 中国 5 0 中華台北 楊鼎新 ○ × 蕭正浩 范蘊若 ○ × 陳詩淵 黄雲嵩 ○ × 林立祥 於之瑩 ○ × 兪俐均 王晨星 ○ × 黒嘉嘉 第3回結果[ソースを編集] 2016年10月14-15日 予選 チーム/相手 中国 韓国 日本 中華台北 チーム勝 個人勝 順位 中国 - 4-1 4-1 5-0 3 13 1 韓国 1-4 - 5-0 4-1 2 10 2 日本 1-4 0-5 - 3-2 1 4 3 中華台北 0-5 1-4 2-3 - 0 3 4 決勝戦 中国 3 2 韓国 范蘊若 ○ × 李東勲 童夢成 × ○ 李志賢 黄雲嵩 ○ × 朴珉奎 於之瑩 × ○ 呉侑珍 陳一鳴 ○ × 金彩瑛 3位決定戦 中華台北 3 2 日本 林君諺 ○ × 伊田篤史 蕭正浩 × ○ 一力遼 楊博崴 ○ × 安斎伸彰 黒嘉嘉 ○ × 謝依旻 蘇聖芳 × ○ 奥田あや 外部リンク[ソースを編集] 日本棋院「おかげ杯」 --------- 王座 (囲碁) 曖昧さ回避 この項目では、日本の囲碁の棋戦について説明しています。韓国の囲碁の棋戦については「王座戦 (韓国)」を、台湾の囲碁の棋戦については「王座戦 (台湾)」をご覧ください。 王座(おうざ)は囲碁の棋戦の一つである王座戦で優勝した棋士に贈られるタイトル。 目次 [非表示] 1 王座戦 2 名誉王座 3 歴代王座と決勝戦・挑戦手合 4 全本因坊全八段戦 5 注 6 外部リンク 7 関連項目 王座戦[編集] 1953年創設。囲碁のタイトル戦としては、本因坊戦に次ぐ長い伝統がある。日本経済新聞社、日本棋院、関西棋院主催。トーナメント戦による勝者がタイトル保持者と挑戦手合を行い、優勝者を決める。当初はトーナメント制を採り、第1期は決勝一番勝負、第2-15期は決勝三番勝負。またいち早く5目半コミ出しを取り入れた。第16期より挑戦手合制を導入し、第31期までは三番勝負、第32期以降は五番勝負へと変更された。また2006年から国際戦の基準に合わせ、持ち時間3時間制を導入した。 前身として1952年に行われた全本因坊全八段戦がある。1953年に、同年に同じ日本経済新聞で開始された将棋の王座戦とともに、加藤治郎考案の出場棋士横一線のトーナメントとして、花村元司命名の「王座戦」と同名で開始された[1]。 2014年の第62期より契約金などから、天元戦と入れ替わって、タイトルの序列が5位から4位に変更となった[2]。 名誉王座[編集] 王座を5連覇、または通算10期以上獲得した棋士は、60歳以降に名誉王座を名乗る権利を得る。 通算 連覇 年 1 加藤正夫 11期 8連覇 1979-1980、1982-1989、1993 歴代王座と決勝戦・挑戦手合[編集] 左が勝者。1-15期は決勝三番勝負、16期以降は前年優勝者との挑戦手合。○●は勝者から見た勝敗、網掛けはタイトル保持者。 期 開催年 優勝者 勝敗 準優勝 1 1953 橋本宇太郎 1-0 前田陳爾 2 1954 高川格 2-1 宮下秀洋 3 1955 橋本宇太郎 2-1 島村利博 4 1956 橋本宇太郎 2-0 坂田栄男 5 1957 島村利博 2-0 半田道玄 6 1958 藤沢朋斎 2-0 半田道玄 7 1959 橋本昌二 2-0 山部俊郎 8 1960 半田道玄 2-0 宮下秀洋 9 1961 坂田栄男 2-1 高川格 10 1962 宮下秀洋 2-0 加田克司 11 1963 坂田栄男 2-0 藤沢朋斎 12 1964 坂田栄男 2-0 梶原武雄 13 1965 半田道玄 2-0 大窪一玄 14 1966 坂田栄男 2-1 林海峰 15 1967 藤沢秀行 2-0 橋本昌二 16 1968 藤沢秀行 2-0 坂田栄男 17 1969 藤沢秀行 2-0 大竹英雄 18 1970 坂田栄男 2-0 藤沢秀行 19 1971 坂田栄男 2-0 橋本昌二 20 1972 坂田栄男 2-1 橋本宇太郎 21 1973 林海峰 2-1 坂田栄男 22 1974 石田芳夫 2-1 林海峰 23 1975 大竹英雄 2-0 石田芳夫 24 1976 趙治勲 2-1 大竹英雄 25 1977 工藤紀夫 2-0 趙治勲 26 1978 石田芳夫 2-1 工藤紀夫 27 1979 加藤正夫 2-0 石田芳夫 28 1980 加藤正夫 2-0 石田芳夫 29 1981 橋本昌二 2-1 加藤正夫 30 1982 加藤正夫 2-0 橋本昌二 31 1983 加藤正夫 2-0 大竹英雄 32 1984 加藤正夫 3-0 山城宏 33 1985 加藤正夫 3-0 小林光一 34 1986 加藤正夫 3-1 林海峰 35 1987 加藤正夫 3-1 趙治勲 期 開催年 優勝者 勝敗 準優勝 36 1988 加藤正夫 3-0 武宮正樹 37 1989 加藤正夫 3-1 羽根泰正 38 1990 羽根泰正 3-2 加藤正夫 39 1991 藤沢秀行 3-1 羽根泰正 40 1992 藤沢秀行[注 1] 3-2 小林光一 41 1993 加藤正夫 3-0 藤沢秀行 42 1994 趙治勲 3-2 加藤正夫 43 1995 王立誠 3○○○0 趙治勲 44 1996 柳時熏 3○○○0 王立誠 45 1997 山田規三生 3○●○○1 柳時熏 46 1998 王立誠 3○○○0 山田規三生 47 1999 王立誠 3●○○○1 趙治勲 48 2000 王立誠 3●○○○1 趙治勲 49 2001 趙治勲 3○○○0 王立誠 50 2002 王銘琬 3●○○●○2 趙治勲 51 2003 張栩 3●○○○1 王銘琬 52 2004 張栩 3○○●○1 山下敬吾 53 2005 張栩 3○○○0 山下敬吾 54 2006 山下敬吾 3●○○○1 張栩 55 2007 山下敬吾 3○●○○1 今村俊也 56 2008 張栩 3○○●○1 山下敬吾 57 2009 張栩 3○○○0 山田規三生 58 2010 張栩 3○○○0 山田規三生 59 2011 張栩 3○○○0 羽根直樹 60 2012 井山裕太 3○○○0 張栩 61 2013 井山裕太 3○○●○1 張栩 62 2014 村川大介 3●○●○○2 井山裕太 63 2015 井山裕太 3○○○0 村川大介 64 2016 井山裕太 3○○○0 余正麒 ^ 藤沢67歳、最高齢タイトル記録 全本因坊全八段戦[編集] 1952年に日本経済新聞社の大軒順三の提案により、当時の本因坊経験者関山利一、橋本宇太郎、岩本薫と、八段位雁金準一、鈴木為次郎、瀬越憲作、加藤信、木谷實の8名によるトーナメント戦が行われた。コミは4目半、持時間各10時間。 トーナメントは岩本薫が1回戦で関山、2回戦で瀬越に勝ち、決勝三番勝負で木谷を2-1で破って優勝した。 翌1953年に発展解消して、王座戦が創設された。 トーナメント表 準々決勝 準決勝 決勝 加藤信 × 木谷實 ○ 木谷實 ○ 橋本宇太郎 × 雁金準一 × 橋本宇太郎 ○ 木谷實 1 岩本薫 2 岩本薫 ○ 関山利一 × 岩本薫 ○ 瀬越憲作 × 瀬越憲作 ○ 鈴木為次郎 × 注[編集] ^ 加藤治郎『昭和のコマおと』旺文社 1980年 ^ 朝日新聞 「七大タイトルの序列変更 囲碁」2014年5月27日 外部リンク[編集] 日本棋院「王座戦」 関連項目[編集] 囲碁タイトルの在位者一覧 王座 王座戦 (将棋) --------- 大場 大場(おおば)とは広い場所のこと。 転じて、囲碁の用語の一つとして、一手(一着)で地を広く囲うことができる点という意味で用いられる。(下記に記載) 囲碁用語としての大場[編集] 布石段階で一手の価値が大きい場所で、第一がアキ隅とシマリ、第二が辺のヒラキ、ヒラキヅメである。 実戦的には、シマリの向き、三線と四線の関係、幅の大小、打ち切った場所であるか発展性のある場所であるか、などによって微妙に大場の価値が変わる。 「生きている石の近くは小さい」(苑田勇一)という格言がある。 また、時に急場が優先される。 参考図書[編集] 石田芳夫『目で解く大場と急場 』誠文堂新光社 1989年 依田紀基『依田ノート―すぐに役立つ上達理論』講談社 2003年 外部リンク[編集] 大場 とは - コトバンク --------- 仁明天皇 仁明天皇 第54代天皇 在位期間 833年3月30日 - 850年5月4日 元号 天長 承和 嘉祥 先代 淳和天皇 次代 文徳天皇 誕生 810年 崩御 850年5月6日 陵所 深草陵 諱 正良 別称 深草帝 日本根子天璽豊聡慧尊 父親 嵯峨天皇 母親 橘嘉智子 女御 藤原順子 藤原沢子 藤原貞子 子女 文徳天皇 光孝天皇  ほか(后妃・皇子女節参照) テンプレートを表示 仁明天皇(にんみょうてんのう、弘仁元年(810年) - 嘉祥3年3月21日(850年5月6日)、在位:天長10年3月6日(833年3月30日) - 嘉祥3年3月19日(850年5月4日))は、平安時代初期の第54代天皇。諱は正良(まさら)。 嵯峨天皇の第二皇子[1]。母は橘清友の娘、皇后橘嘉智子(檀林皇后)。正子内親王は同父母の妹でありかつ同年の生まれのため、双子の妹と推測される。 目次 [非表示] 1 略歴 2 系譜 2.1 系図 3 后妃・皇子女 4 和風諡号・異名 5 在位中の元号 6 陵・霊廟 7 脚注 8 関連項目 略歴[編集] 天長10年(833年)3月6日、叔父に当たる淳和天皇の譲りを受けて即位。当初、淳和天皇の皇子恒貞親王を皇太子に立てたが、承和9年(842年)の承和の変により、恒貞は廃せられ、代わりに仁明天皇の第一皇子道康親王(文徳天皇)が立太子した。これには自らの息子に皇位を継がせたい帝の意思と、それを利用して甥である道康を立太子させたい藤原良房の陰謀があったと言われている。 承和10年(843年)、文室宮田麻呂が謀反を企てているとの告発を受け、宮田麻呂一族を流罪に処した[2]。この件の遠因は諸説あるが、承和の変の影響であるとも、良房ら藤原北家が貿易利権を独占したいとの思惑の中、同じく貿易に関与している宮田麻呂を排除した、などの説がある。 承和12年(845年)、自身の更衣であり子(貞登、当時は源登[3])をも成した三国町と、女御藤原貞子の弟で自身の幼少期からの側近の藤原有貞の密通を疑い、地方官に左遷する[4]。 嘉祥3年(850年)3月19日に病により、文徳天皇に譲位。太上天皇位に就くことなく、2日後の同年3月21日に崩御。 天皇は幼少時から病弱であったとされ、『続日本後紀』には7歳の頃からの様々な病歴が記載され、即位後もしばしば薬(丹薬・石薬)の調薬をして医師並みの知識を有していたとされる。また、『三代実録』の藤原良相の薨去の記事では、天皇は良相ら側近に自分が作成した薬の試飲を命じたとする記事が載せられている。『続日本後紀』嘉祥3年2月22日条には天皇が朝廷の会議に御簾を隔てて参加していたとする記事があり、既に重病であった自分の姿を見せないように御簾で隠して議論を聞いていたことが伺える(天皇はその1か月後に崩じている)[5]。 江戸時代の儒学者・頼山陽は、天皇が恒貞親王が度々皇太子を辞退した際には受け付けず、事件にかこつけてこれを廃して自分の実子を立てたことを厳しく非難している(『日本政記』)。 系譜[編集] [表示]仁明天皇の系譜 系図[編集] (50)桓武天皇 (51)平城天皇 高岳親王 (在原)行平 伊予親王 阿保親王 (在原)業平 万多親王 (54)仁明天皇 (52)嵯峨天皇 有智子内親王 (源)信 〔嵯峨源氏へ〕 (源)融 〔嵯峨源氏へ〕 (源)潔姫 (藤原良房妻) (53)淳和天皇 恒貞親王 葛原親王 (平)高棟 高見王 (平)高望〔桓武平氏へ〕 (良岑)安世 遍昭 素性 (54)仁明天皇 (55)文徳天皇 (56)清和天皇 (57)陽成天皇 (源)清蔭〔陽成源氏へ〕 惟喬親王 貞純親王 (源)経基〔清和源氏へ〕 (58)光孝天皇 (59)宇多天皇 (60)醍醐天皇 人康親王 藤原基経妻 真寂法親王 (斉世親王) 敦実親王 (源)雅信〔宇多源氏へ〕 后妃・皇子女[編集] 女御(皇太后):藤原順子(808-871) - 藤原冬嗣女 第一皇子:道康親王(文徳天皇)(827-858) 女御(贈皇太后):藤原沢子(?-839) - 藤原総継女[6] 第二皇子:宗康親王(828-868) 第三皇子:時康親王(光孝天皇)(830-887) 第四皇子:人康親王(831-872) - 子孫は仁明源氏 皇女:新子内親王(?-897) 女御:藤原貞子(?-864) - 藤原三守女 第八皇子:成康親王(836-853) 皇女:親子内親王(?-851) 皇女:平子内親王(?-877) 女御:滋野縄子 - 滋野貞主女 第五皇子:本康親王(?-901) - 子孫は仁明源氏・仁明平氏 皇女:時子内親王(?-847) - 賀茂斎院 皇女:柔子内親王(?-869)- 伊勢斎宮 女御:橘影子(?-864) - 橘氏公女 女御:藤原息子 更衣:紀種子(?-869) - 紀名虎女 第七皇子:常康親王(?-869) 皇女:眞子内親王(?-870) 更衣:三国町 - 三国氏女 皇子:貞登 宮人:藤原賀登子 - 藤原福当麻呂女 第六皇子:国康親王(?-898) 宮人:藤原小童子 - 藤原道長(藤原南家藤原真友男子)女 皇女:重子内親王(?-865) 宮人:高宗女王 - 岡屋王女 皇女:久子内親王(?-876) - 伊勢斎宮 宮人:山口氏 皇子:源覚(849-879) 宮人:百済王豊俊女 皇子:源多(831-888) 皇子:源光(845-913) 女嬬:百済王永慶 - 百済王教俊女 皇女:高子内親王(?-866) 生母不明 皇子:源冷(835-890) 皇子:源効 和風諡号・異名[編集] 和風諡号は日本根子天璽豊聡慧尊(やまとねこあまつみしるしとよさとのみこと)。和風諡号を奉贈された最後の天皇である。御陵の在所を以って深草帝(ふかくさのみかど)という異称がある。 在位中の元号[編集] 天長 承和 834年 - 847年 嘉祥 848年 - 850年 陵・霊廟[編集] 深草陵 陵(みささぎ)は、京都府京都市伏見区深草東伊達町にある深草陵(ふかくさのみささぎ)に治定されている。公式形式は方形。 これは文久の修復のさいに造られたもので根拠が乏しく、本来の深草陵は同区深草瓦町の善福寺周辺と考えられている。 また皇居では、皇霊殿(宮中三殿の1つ)において他の歴代天皇・皇族とともに天皇の霊が祀られている。 脚注[編集] ^ 『本朝皇胤紹運録』では第一皇子、『神皇正統記』・『椿葉記』では第二皇子とする。村田正志は同じ弘仁元年生まれとされている源信が、天皇よりも月日的に先に生まれたとする所伝があったと推測している(村田正志『村田正志著作集 第4巻證註椿葉記』(思文閣出版、1984年)P241)。 ^ のち、無罪であるとされた。 ^ 属籍を剥奪され出家。文徳天皇の治世に賄料が与えられるようになったがその後も冷遇され、天皇の薬の毒見役などをしていた。貞観8年(866年)に兄弟親王らの上奏により還俗したのちも「源」姓に復帰できず、「貞」姓を与えられた。 ^ 有貞は文徳天皇治世の仁寿2年(852年)に中央に復帰。 ^ 川尻秋生「陣定の成立」吉村武彦 編『日本古代の国家と王権・社会』塙書房、2014年 ISBN 978-4-8273-1268-3 ^ 一説に『源氏物語』中の桐壺更衣のモデル 関連項目[編集] 天皇 [表示] 表 話 編 歴 天皇旗 天皇一覧 菊の御紋 典拠管理 WorldCat VIAF: 4712513 LCCN: no2007077333 NDL: 01091511 カテゴリ: 日本の天皇平安時代の人物日本出身の双子810年生850年没 案内メニュー ログインしていませんトーク投稿記録アカウント作成ログインページノート閲覧編集履歴表示検索 Wikipedia内を検索 表示 メインページ コミュニティ・ポータル 最近の出来事 新しいページ 最近の更新 おまかせ表示 練習用ページ アップロード (ウィキメディア・コモンズ) ヘルプ ヘルプ 井戸端 お知らせ バグの報告 寄付 ウィキペディアに関するお問い合わせ 印刷/書き出し ブックの新規作成 PDF 形式でダウンロード 印刷用バージョン ツール リンク元 関連ページの更新状況 ファイルをアップロード 特別ページ この版への固定リンク ページ情報 ウィキデータ項目 このページを引用 他言語版 Deutsch English Español Français Bahasa Indonesia 한국어 Português Русский 中文 他 15 リンクを編集 最終更新 2017年6月14日 (水) 03:51 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。 テキストはクリエイティブ・コモンズ 表示-継承ライセンスの下で利用可能です。追加の条件が適用される場合があります。詳細は利用規約を参照してください。 プライバシー・ポリシーウィキペディアについて免責事項開発者Cookieに関する声明モバイルビューWikimedia Foundation Powered by MediaWiki --------- --------- --------- --------- ---------