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囲碁は、陣地を囲むゲームです。
RPGゲームやアクションゲームとは異なる思考で次の一手を考える、面白いゲームです。
将棋、チェスと並ぶ、究極の思考ゲームとも言われます。
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ドンジャラも麻雀の基礎ルールの説明には有用ですね。


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当サイトに、お越しいただいて有難うございます。 一局の碁をお楽しみください。 当サイトで、御覧頂いているブラウザを使用して囲碁対局ができます。HTML5を使用するので、ソフトのインストールは不要です。 初心者の方も、対局できるようになっております。 ルールを知ったが、対局する機会がない人に最適です。ルールが解らない方は、申し訳ありませんが事前に習得して頂けれは幸いです。 囲碁のルールは単純なのでずか、ゲームは難しいです。 入門者もベテランもロボットと対局できるサイトは多々あります。
実体験に基づいた、オススメ記事もネット上にあります。 「ネット碁を打ちたいけどどこで打ったらいいのかわからない」という方は、参考にしてください。 オススメするネット囲碁対局場3選 ここによると、
・いつでもどこでも打てる!それがネット碁の魅力
・囲碁はワールドワイドなゲーム
・ユーザーの多さ
・ユーザーの質


・コミュニティ機能の充実
・サポートの充実
・コンテンツの充実

これらを鑑みると、
3:幽玄の間
2:KGS
1:パンダネット
だそうです。 推薦者のブログ 幽玄の間の口コミ 幽玄の間サイト KGSの口コミ KGS パンダネット

当サイトも、及ばずながら、がんばります。




Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0)

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Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0) --------- カカリ カカリは囲碁において、相手の打った隅の石に対して接近して打ち、シマリを妨害して敵に確定地を作らせないように打つ着点のことである。カカリは囲碁における石の接触の第一段階であり、ほとんど全ての対局で打たれる。下図の△がカカリの一例である。 カカリは相手に接近しすぎると2対1の不利な兵力で密着戦を戦わねばならなくなり、よい結果をもたらさないことが多い。上図のようにケイマの位置あるいは一間・二間などにやや離して打つのがセオリーである。カカリは3線または4線に打たれることがほとんどで、4線へのカカリを「高ガカリ」と呼ぶことがある。 目次 [非表示] 1 小目 2 星 2.1 一般的なカカリ 2.2 両ガカリ 2.3 スソガカリ 3 目ハズシ 4 高目 5 三々 小目[編集] 小目に対してはaの「小ゲイマガカリ」、bの「一間高ガカリ」が最もポピュラーなカカリ方であり、ここから数多くの定石形が発生する。これらのカカリ方ではハサまれて不利が予想されるときには、cの「大ゲイマガカリ」が用いられ、隅の地は譲るがゆっくりした展開に持ち込める。dの二間高ガカリは呉清源が推奨しているが、実戦例はさほど多くない。 またeなどに黒のヒラキがある中国流・ミニ中国流布石などで、f方面からの「裏ガカリ」が打たれるようになってきた。様々な手法が試され、発展中の分野である。 星[編集] 一般的なカカリ[編集] 星に対するカカリ方はaの小ゲイマガカリがほとんどである。勢力を重視するときなどbの一間高ガカリが打たれる。局面によりcの二間高ガカリもあるが、例は多くない。 両ガカリ[編集] 星へのカカリに対して黒が手を抜いたときには、aやbなどへの両ガカリが打たれる。一般にこれ以上手を抜くと封鎖されて不利と考えられる。また、b,cに両一間高ガカリを許すのも一般に不利とされる。 スソガカリ[編集] 黒が星からシマった場合、白から場合によりaやbなど2線から侵入する「スソガカリ」が打たれることがある。白は三々入りと辺への展開を見合いにする。 目ハズシ[編集] 目ハズシに対してはaの小目へのカカリが一般的。ただしこのカカリは相手に勢力を与える他、大斜定石など難解形に持ち込まれやすい。勢力を重視する際にはb、簡明に分かれたい場合はcやdなどが採用される。eは勢力重視の特殊なカカリ。目ハズシの項目も参照。 高目[編集] 高目に対してカカるときはaの小目にカカるのが最も一般的である。状況によりbと三々に入る手法や、cと一歩遠慮してカカる手段もある。高目の項目も参照。 三々[編集] 三々は一手で隅を打ち切っているため、他の着点に比べてカカリはさほど急がない。カカる時はa - dなど。カカリとはいえないが、eの肩ツキが三々に対するアプローチとしては最も一般的である。 --------- 最もよく用いられる小目からの小ゲイマジマリでは、白に連打を許すなどの特殊事情でない限り、○のついた10目前後を2手でほぼ確実に確保できる。このように、まだ完全に囲い込んだわけではないが、ほぼ侵入が不可能なエリアを「確定地」ということがある。 --------- カケ カケは囲碁用語の一つで、相手の石より高い位置からかぶせるように打って封鎖を図る、あるいは相手を低位に圧迫するような手のこと。動詞では「カケる」となる。下図黒1に打つ手が「カケ」の一例である。 カケの例[編集] aにカケるのを「ケイマガケ」、bにカケるのを「大斜ガケ」と称する。 (白2,4は手抜き) いわゆる三手抜き。黒5のカケを喫して封鎖されては、白が良くないとされる。黒3と両ガカリされた段階で、白は5の点にコスんで頭を出しておくのがよい。 黒1のカケで下辺の黒模様拡大を目指す。 図の黒1のような手は「ゲタにカケる」と表現する。 --------- 欠け眼生き 出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2014年1月) 欠け眼生き(かけめいき)は、囲碁用語の一つ。 目次 [非表示] 1 例 2 参考文献 3 関連項目 4 外部リンク 例[編集] 囲碁はルール上、ダメを詰めていくといずれアタリになる眼を「欠け眼」と呼ぶ。囲碁の死活では、欠け眼ではない(ダメを詰めてもアタリにならない)眼が2つあれば生きとなる。 上の局面は、白の生きている石を黒が囲い、その周りをさらに白が囲んでいるという状態。黒が持っている2つの眼a、bはどちらも欠け眼に見えるが、黒の石はぐるりと一周しているため、白は黒石をアタリにすることはできない。このように、2つの眼が欠け眼でも、一周してつながっていることによって生きるのを欠け眼生きという。 参考文献[編集] 趙治勲『基本死活辞典』全2巻 日本棋院 1984-85年 関山利一、利夫『傑作詰碁辞典』誠文堂 新光社 1975年(改訂版 2010年) 関連項目[編集] 詰碁 隅のマガリ四目 セキ (囲碁) 長生 --------- 形 (囲碁) 形(かたち)は囲碁用語で、眼を作りやすい、相手の攻撃を受けにくい、相手を封鎖しやすいなど何らかのメリットがある、部分的に定まった打ち方のことを指す。「ここはこう打つのが形」「形を整えて反撃を狙う」といったように用いられる。 例えば下図の場合、黒1とサガると、白2スベリから4のツキアタリを利かされ、眼形を奪われる。 黒1とカケツイでおけば眼形に不安はなく、後を強く戦える。この場合「黒1のカケツギが形」などと表現される。 またこれと逆に、石の働きが重複して能率が悪い形などを「悪形」「愚形」などと表現する。「形」に従って打つことは絶対ではなく、愚形の妙手というものも存在するが、ある程度の形を身につけることは上達に重要である。 目次 [非表示] 1 好形 2 愚形 2.1 空き三角 2.2 陣笠 2.3 凝り形 2.4 裂かれ形 3 参考図書 好形[編集] 石の働きが重複せず、打ちやすい姿であることを「好形」と表現する。眼が作りやすい、後に相手からの利かしや反撃の余地を与えないなどの状態を指す。 星に三々入りした場合の定石。aとbの2つの断点が生じているが、ここでは黒1とカケツぐのが好形。2つのキリを同時に防いでおり、万一包囲されても眼形が豊富なので心配が少ない。aやbに堅くツぐのは、眼形が少なく、働きに乏しい。 1やaの点に打ってもキリは防げるが、白2のハサミツケなどから下辺侵入の手がかりを与えてしまう。 愚形[編集] 好形と逆に、石の働きが重複している姿を「愚形」と呼ぶ。本来広く展開できる石が不必要に固まっている状態などを呼ぶ。 空き三角[編集] 上左図が「空き三角」と呼ばれる典型的な愚形。aの点のダメが空いた三角形なのでこの名がある。本来2つ並んだ石からは、上右図の▲のようにトンでも決して切断されることはない。にも拘わらず左図のように隣接させて打っているのは、石の働きがだぶっていると考えられる。が、グズミのように、自らわざとアキ三角を作りに行き、狙いを作る手もある。なおaの点に白石がある場合には「空き三角」とは呼ばず、愚形でもない。 陣笠[編集] 白5までの姿は、その形から「陣笠」と呼ばれる。空き三角にさらに石がくっついた愚形。眼形も乏しく、黒に攻撃目標を与えるだけとなる。白5ではaとコウで戦うなどが普通。 凝り形[編集] 石が密集し、その効果が重複して効率の悪い形になっていることを「凝り形」と呼ぶ。 白1と二間にヒラくと、黒2とコスミツケられ、白3となる。この場合、白の2つ並んだ石からは本来aくらいまでヒラきたいところであるにも拘わらず(二立三析)、狭く開いてしまっていることになる。これは効率が悪く、「凝り形」ということになる。 裂かれ形[編集] 図の形から、例えば隅を守ることだけを考えて黒1・3とツケヒくのは、白4とツガれて黒▲との連絡を自ら断ち切ってしまう。▲は白の強い石に張り付いた形で、自軍の石を自ら弱体化させたことになる。このように、自ら分断されに行くような手を「裂かれ形」と称し、悪形の代表とされる。 参考図書[編集] 三村智保『石の形 集中講義―楽に身につくプロの感覚 (MYCOM囲碁ブックス)』2006年 --------- 肩ツキ 肩ツキは囲碁用語の一つで、相手の石の斜め上に打つ手を指す。文字通り、相手の石の「肩」を上方から衝く手段で、「カタツキ」とカタカナで表記されることも多い。動詞では「肩をつく」と表現される。 下図黒1が肩ツキの一例である。 肩ツキという術語は、相手の石より上の位置に打つ場合を指す。下図のように低位に打つ場合は、「カド」という言葉が使われる。 (カドの例) 肩ツキの例[ソースを編集] 消しの肩ツキ 肩ツキは、相手の模様を消す手段としてよく用いられる。 図のような局面では、白aあたりに囲われると手のつけにくい大模様が完成する。その前に、黒1の肩ツキによる消しが絶好となる。 黒5までと軽く逃げ出して、この石はそう厳しい攻めを受けない。 AIの肩ツキ AlphaGoをはじめとした、モンテカルロ法を基礎とする囲碁対戦ソフトウェアは、肩ツキを多用する傾向にある[1]。上図は2016年のAlphaGo対李世ドル第2局においてAlphaGoが放った肩ツキ。第四線の石への肩ツキはそれまでの常識にない手で、世界に衝撃を与えた。 参考文献[ソースを編集] ^ 「囲碁AI新時代」p. 38 マイナビ出版, 王銘エン著 --------- 関西棋院 囲碁 Go board part.jpg ゲームの詳細 囲碁のルール 囲碁のハンデキャップ (互先 - 定先 - 置き碁) 囲碁の格言 囲碁用語 歴史と文化 囲碁の歴史 碁盤 - 碁石 囲碁の記録一覧 囲碁のタイトル在位者一覧 棋道賞 組織と棋士 国際囲碁連盟 日本棋院 関西棋院 中国棋院 韓国棋院 台湾棋院 全日本学生囲碁連盟 棋戦 棋士 日本の囲碁棋士一覧 コンピュータ コンピュータ囲碁 幽玄の間 AlphaGo対李世乭 表 話 編 歴 一般財団法人関西棋院(いっぱんざいだんほうじんかんさいきいん)は囲碁の棋士を統括し、近畿を中心として棋戦や囲碁普及などの活動をう組織(一般財団法人)。日本棋院から1950年に分離独立。現在117人の棋士、女流棋士が所属。機関誌『囲碁関西』(月刊)を発行している。 目次 [非表示] 1 概要 2 歴史 2.1 独立までの動き 2.2 東西対立から独立 2.3 発展と現状 3 顕彰 4 近年の関西棋院棋士のタイトル戦 5 所属棋士 6 役員 7 脚注 8 出典 9 外部リンク 概要[編集] 本院は大阪府大阪市中央区北浜にあり、全棋士が本院所属である。 事業活動として、プロ棋士の対局の実施運営、 各種囲碁大会・囲碁セミナー・囲碁ツアーの実施。機関紙『囲碁関西』など出版事業、免状の発行、囲碁サロン・囲碁教室・子ども囲碁学園の経営、 囲碁ネット事業等。2010年現在、48支部ある。 所属棋士が各種タイトル戦に参加する場合、まず3段階(ABC方式)の院内予選を行ない、その勝者が日本棋院所属棋士と混合の最終予選に出場することが多い[注 1]。また関西棋院独自の棋戦として、関西棋院第一位決定戦と産経プロアマトーナメント戦がある[注 2]。その一方、本因坊戦最終予選の参加枠は4人(日本棋院の7分の1)に限られ、竜星戦・阿含桐山杯・NECカップ囲碁トーナメント戦についても出場制限が課されている。 日本棋院同様の院生からの入段(プロ入り)制度とは別に、特例で年長のアマ強豪をプロ編入してきた歴史があり、陳嘉鋭・坂井秀至・石井茜らにプロ棋士への道を開いた。2009年からは「研修棋士制度」[注 3]としてプロ編入試験(試験碁)を制度化し、日本だけでなく中国・韓国出身のアマ強豪が続々入段している[1]。 歴史[編集] 独立までの動き[編集] 日本棋院設立から昭和初期までの関西囲碁界は、主な棋士は日本棋院に参加し、関西支部(後に関西本部)が設立されていた。中心にいたのは久保松勝喜代、光原伊太郎などで、独自の大手合も行っていたが、五段以上の昇段は東京でなければ認められず、若手の高川格や田中不二男をはじめ、有力な棋士は東京の大手合にも参加していた。 終戦後は、戦時中に宝塚に疎開していた橋本宇太郎を中心にまとまり、関西在住の棋士達の待遇面(主に昇段制度、交通関係)での地位向上を目指した。1947年(昭和22年)には、空襲で焼けた日本棋院会館の復興のために全棋士による募金活動が行われ、関西支部には計50万円の目標が課せられたが、関西でも資金が必要であることから、募金の半分を東京に送ることにして募金を行った。その結果100万円が集まったが、全額を関西で使おうという意見が棋士や後援者で強まり、関西の会館の建物を買い、財団法人関西棋院として財務上は独立した組織となった。 東西対立から独立[編集] 関西棋院が法人として独立した後も、日本棋院との関係はそれまでとは変わりなかった。1950年(昭和25年)には日本棋院と関西棋院の12人ずつの選手による東西対抗戦、及び東西対抗勝ち抜き戦が行われ人気を博す。同年第5期本因坊戦で橋本宇太郎が本因坊位を獲得するが、その就位式席上で日本棋院津島寿一総裁が、これまで2年で1期だった本因坊戦を1年1期に改めると述べた。本因坊当人に相談もなく決められたことで、関西棋院の内部は独立派が生まれて、協調派と分かれ、多数となった独立派により同年9月に免状発行権を持った組織として独立が宣言される。協調派の棋士は、日本棋院関西総本部を設立した。 翌年の第6期本因坊戦では、日本棋院新鋭の期待株坂田栄男が挑戦権を得た。この七番勝負で橋本は坂田に1勝3敗に追い込まれたが、そこから3連勝して本因坊を防衛。もしこの勝負に橋本が敗れていたら関西棋院は発足直後に解散に追い込まれていただろうとも言われている。 また1958年に日本棋院東海本部が中部総本部に再編成した際に、伊神肇、植松弘聖らが離脱して、名古屋市に関西棋院中部総本部を設立した。 発展と現状[編集] この後、橋本宇太郎と橋本昌二の「両橋本」(両者に血縁関係はない)が関西棋院の二枚看板となり、十段・王座のタイトルを奪うなど活躍した。1962年には名人戦リーグに10名中4名、本因坊リーグにも8名中3名の関西棋院所属棋士が参加(半田道玄が本因坊挑戦権獲得)、第1期・第2期の十段の座を橋本宇太郎と半田道玄の関西勢同士が争うなど、大いに気勢を上げた。橋本昌二は「組織存続のため、日本棋院との戦いは死活問題だった」と語る[2]。 しかし日本棋院との緊張関係が緩和に向かった上、独立によって日本棋院所属棋士との対局機会が減少したこともあり、所属棋士の活躍は次第に目立たなくなった。七大タイトル保持者も、1981年の橋本昌二(王座)以降、長らく出現しなかった(次項参照)。三大タイトル(棋聖・名人・本因坊)リーグ在籍者もゼロの年が目立ちはじめ、特に本因坊リーグへは2000年度(結城聡)以降、2009年度(同)まで参加がなかった。 しかし2010年になり、坂井秀至が碁聖のタイトルを奪取すると、結城聡も天元位を獲得してこれに続いた。若手の瀬戸大樹・村川大介らの活躍もあり、関西棋院は久々にかつての勢いを取り戻しつつある。2012年の第68期本因坊リーグは8名中3名(32期ぶり)、2013年の第38期名人戦リーグも9名中3名を関西棋院勢が占めた。 中部総本部には一時は20名を超える棋士が所属したが、2010年3月末をもって閉鎖された[3]。 2012年4月1日、法人制度改革に伴い、公益法人より活動の制約が少ない一般財団法人となった[4]。日本棋院との再統合も何度か話題に上っているが、両院の段位の調整、(主に日本棋院側の)財政問題などがネックとなり、未だに実現していない。全日本囲碁連合結成に参加するなど、そのあり方の模索が続いている。 顕彰[編集] 1973年に関西棋院賞を創設し、最優秀棋士賞、利仙賞(敢闘賞)、道玄賞(殊勲賞)、新人賞を設ける。1981年からは連勝賞、1992年には永井賞(30歳未満が対象)、山野賞(普及貢献賞)、2007年には吉田賞(対外戦最多勝)を設けた。 近年の関西棋院棋士のタイトル戦[編集] 詳細は囲碁のタイトル在位者一覧を参照。色付きはタイトル獲得。 年 棋戦 関西棋院棋士 結果 相手 1941年 本因坊 関山利一 3-3 加藤信 1943年 本因坊 橋本宇太郎 1-0 関山利一 1945年 本因坊 橋本宇太郎 0-2 岩本薫 1949年 本因坊 橋本宇太郎 4-0 岩本薫 1951年 本因坊 橋本宇太郎 4-3 坂田栄男 1952年 本因坊 橋本宇太郎 1-4 高川格 1953年 王座 橋本宇太郎 1-0 前田陳爾 1955年 王座 橋本宇太郎 2-1 島村利博 1956年 王座 橋本宇太郎 2-0 坂田栄男 1957年 王座 半田道玄 0-2 島村利博 1958年 王座 半田道玄 0-2 藤沢朋斎 1959年 王座 橋本昌二 2-0 山部俊郎 1960年 王座 半田道玄 2-0 大窪一玄 1962年 十段 橋本宇太郎 3-1 半田道玄 1962年 本因坊 半田道玄 1-4 坂田栄男 1963年 十段 半田道玄 3-1 橋本宇太郎 1965年 王座 半田道玄 2-0 大窪一玄 1967年 王座 橋本昌二 0-2 藤沢秀行 1971年 王座 橋本昌二 0-2 坂田栄男 1972年 王座 橋本宇太郎 1-2 坂田栄男 1974年 十段 橋本昌二 3-1 坂田栄男 1975年 十段 橋本昌二 0-3 林海峰 1977年 棋聖 橋本宇太郎 1-4 藤沢秀行 1977年 天元 苑田勇一 1-3 島村俊宏 1979年 十段 橋本昌二 1-3 加藤正夫 1981年 十段 橋本昌二 2-3 大竹英雄 1981年 王座 橋本昌二 2-1 加藤正夫 1982年 王座 橋本昌二 2-0 加藤正夫 1986年 天元 苑田勇一 1-3 小林光一 1988年 天元 苑田勇一 1-3 趙治勲 1989年 碁聖 今村俊也 1-3 小林光一 1997年 碁聖 結城聡 1-3 依田紀基 1998年 碁聖 苑田勇一 0-3 依田紀基 2002年 碁聖 結城聡 1-3 小林光一 2005年 棋聖 結城聡 3-4 羽根直樹 2005年 碁聖 結城聡 0-3 依田紀基 2007年 王座 今村俊也 1-3 山下敬吾 2007年 碁聖 横田茂昭 0-3 張栩 2009年 碁聖 結城聡 0-3 張栩 2010年 碁聖 坂井秀至 3-2 張栩 2010年 天元 結城聡 3-0 山下敬吾 2011年 碁聖 坂井秀至 2-3 羽根直樹 2011年 天元 結城聡 0-3 井山裕太 2013年 十段 結城聡 3-2 井山裕太 2013年 十段 結城聡 2-3 高尾紳路 2014年 王座 村川大介 3-2 井山裕太 2015年 王座 村川大介 0-3 井山裕太 2016年 王座 余正麒 0-3 井山裕太 所属棋士[編集] 結城聡 苑田勇一 今村俊也 坂井秀至 白石裕 横田茂昭 橋本昌二 本田邦久 村川大介 中野泰宏 瀬戸大樹 清成哲也 余正麒 藤井秀哉 芦田磯子 小西和子 榊原史子 倉橋正行 吉田美香 石井茜 佐田篤史 他、総勢117人 役員[編集] 理事長:中川和雄 副理事長:永井一夫 常務理事:滝口政季(九段)、太田清道(棋士会会長)、勝間史朗(七段)、今村俊也(九段)、藤原克也(六段)、 理事:東郷武、田口榮一 監事:五味正義、久保田大 (2010年10月1日現在) 脚注[編集] ^ ただし棋聖戦は第1期から第24期まで、各段優勝戦が両棋院混合で行なわれていた。第25期からリーグ制移行に伴い、他棋戦同様に院内予選がおこなわれるようになったが、第29期以降は予選C段階から日本棋院中部総本部・関西総本部との混合で行なわれている。 ^ かつては関西棋院選手権戦(神戸新聞社主催)や関西棋院早碁名人戦(産経新聞社主催)もあった。関西棋院選手権戦は天元戦に、関西棋院早碁名人戦は十段戦にそれぞれ統合された。 ^ http://www.kansaikiin.jp/kenshukishi/index.html 出典[編集] [ヘルプ] ^ 試験碁で2人採用 関西棋院(朝日新聞2009年7月15日付) ^ 関西の若手 台頭の兆し 「西高東低」の囲碁会に旋風(神戸新聞2005年4月5日付、題字ママ) ^ 『碁ワールド』2010年5月号 ^ 一般財団法人に関西棋院が移行(朝日新聞 2012年4月10日) 坂田栄男『囲碁百年 3 実力主義の時代』平凡社 1969年 外部リンク[編集] 関西棋院(公式サイト) 関西棋院の棋士ら大活躍――切磋琢磨し組織に活力 --------- 利かし 利かし(きかし)とは囲碁用語の一つで、「相手が応ぜざるを得ず、しかも将来のはたらきを含んだ手」(大辞林)のことである。将棋でもほぼ同じような意味で通じる。 利かしの定義には、「先手であること」「打つことで何らかの利益が見込まれること」が含まれる。先手で打てるが、将来の利益や手段を失うマイナスの方が大きい場合のことを味消しという。しかし、利かしを打つタイミング、利かしか味消しであるかは時として微妙で、利かしを打ち損ねて失敗する場合もある。 プロ棋士の間でも、比較的ドライに利かしを決めるタイプと、可能な限り利きを残すタイプの2種類に大別される。前者としては小林光一、後者は大竹英雄や井山裕太などが有名。 また、プロは利かされを嫌い、利かしに対する反発によって思わぬところから戦いが始まることがある。 目次 [非表示] 1 利かしの実例 2 利かしの保留 3 利き筋 4 参考図書 利かしの実例[編集] 高目定石の一形。黒は1のアテを利かし、左辺への白の進出を止める。さらに3から5を利かせて外勢を固めることができる。この際、黒3・5を先に打ってしまうと黒1が利かないことに注意。このように、利かしは手順も重要になる。 白からは8のノゾキが利く。黒は切らせるわけにいかないので9とツイでおく。白8の石は対隅のシチョウアタリになる可能性や、この近辺で戦いが起こった時に役に立つ可能性、さらに黒の眼型を奪う意味があり、多くの場合無駄にならない(「打ち得」などと表現する)。 上図の定石で、もし黒が7のカケツギを打たずに手を抜いた場合、同じように白1とノゾいてしまうのは味消しの悪手になる。この形では白が2の点に直接切断して戦えるのに、それを自ら放棄して相手を強化させてしまうからである。このように、先手で打てるからといって、何でも打ってしまえばよいというものではない。 利かしの保留[編集] 利かしをいつ打つかは判断が難しい。 大ナダレ外マガリ定石の一形。かつては白a、黒bを換わってから1にツグのが定石とされてきたが、現在ではこの交換を打たずに黙って白1と打つことが多い。状況によってaではなくcから利かす可能性もあるため、絶対の利きを保留する手段である。 利き筋[編集] 現在△の2子は取られているが、将来白石がaのどこかに来ると、白bからアテて▲の5子が逆に取られてしまう。このため黒は、aの地点に白石があるものと思って戦わねばならない。こうした場合、aは「白の利き筋」と表現される。 参考図書[編集] 山城宏『消しと利かし (烏鷺うろブックス) 』日本棋院 1989年 『実力五段囲碁読本―キカシを考える 』誠文堂新光社 2000年 趙治勲『利かしの哲学(最強囲碁塾)』河出書房新社 2003年 小林覚『「利かし、利き筋」集中講義 (マイコミ囲碁ブックス) 』2007年 --------- 鶴聖戦 鶴聖戦(かくせいせん)は、囲碁の早碁棋戦。1979年開始、2003年25期まで実施。2003年末から早碁選手権戦と統合され、「スーパー早碁」と名称を変更。 後援 日本航空 開始から1985年まではTBSにて全局テレビ放映した。1986年以降は、公開対局とテレビ放映が行われた。1989年からは、北海道新聞、東京新聞、中日新聞、愛媛新聞、南日本新聞、西日本新聞、琉球新報に棋譜掲載。2001年から囲碁・将棋チャンネルで放映。 目次 [非表示] 1 方式 2 歴代優勝者と決勝戦 3 リーグ戦成績 4 記録 5 参考文献 方式[編集] 出場棋士は、第1-7期はタイトル保持者上位4名と予選勝ち抜き者1名の5人によるリーグ戦。8期以降は、賞金ランキング上位の日本棋院10名と関西棋院2名の、12人によるトーナメント戦。 持ち時間は、第1-23期は一人10分、24期以降は1時間。使い切ると1手30秒の秒読み。 コミは5目半。 歴代優勝者と決勝戦[編集] (第8期からトーナメント決勝戦、左が優勝者) 1979年 林海峰 1980年 加藤正夫 1981年 大竹英雄 1982年 趙治勲 1983年 大竹英雄 1984年 大竹英雄 1985年 趙治勲 1986年 加藤正夫 - 大竹英雄 1987年 大竹英雄 - 小林光一 1988年 大竹英雄 - 高木祥一 1989年 王立誠 - 橋本昌二 1990年 片岡聡 - 王立誠 1991年 武宮正樹 - 大竹英雄 1992年 林海峰 - 大竹英雄 1993年 王立誠 - 加藤正夫 1994年 小林光一 - 趙治勲 1995年 加藤正夫 - 趙治勲 1996年 加藤正夫 - 小林覚 1997年 小林光一 - 加藤正夫 1998年 林海峰 - 加藤正夫 1999年 王立誠 - 加藤正夫 2000年 王立誠 - 彦坂直人 2001年 小林光一 - 依田紀基 2002年 依田紀基 - 小林光一 2003年 結城聡 - 羽根直樹 リーグ戦成績[編集] 第1期(1978-79年) 順位 出場者 / 相手 林 藤沢 加藤 島村 工藤 勝 負 1 林海峰 − × ○ 藤沢秀行 ○ − × 加藤正夫 ○ − 島村俊宏 × − ○ 工藤紀夫 × - 第2期(1979-80年) 順位 出場者 / 相手 加藤 林 大竹 石田 藤沢 勝 負 1 加藤正夫 − ○ ○ × ○ 3 1 1 林海峰 × − ○ ○ ○ 3 1 3 大竹英雄 × × − ○ ○ 2 2 4 石田芳夫 ○ × × − ○ 2 2 5 藤沢秀行 × × × × - 0 4 加藤と林が3-1の同率プレーオフを行い、加藤が勝って優勝した。 第3期(1980-81年) 順位 出場者 / 相手 大竹 加藤 石田 藤沢 趙 勝 負 1 大竹英雄 − 加藤正夫 − 石田芳夫 − 藤沢秀行 − 趙治勲 − 第4期(1981-82年) 順位 出場者 / 相手 趙 大竹 藤沢 橋本 武宮 勝 負 1 趙治勲 − × ○ ○ ○ 3 1 大竹英雄 ○ − × × ○ 2 2 藤沢秀行 × ○ − × ○ 2 2 橋本昌二 × ○ ○ − 武宮正樹 × × × − 第5期(1982-83年) 順位 出場者 / 相手 大竹 趙 藤沢 加藤 林 勝 負 1 大竹英雄 − ○ ○ 趙治勲 × − ○ ○ 藤沢秀行 × - × × 加藤正夫 ○ - × 林海峰 × × ○ ○ − 2 2 第6期(1983-84年) 順位 出場者 / 相手 大竹 趙 加藤 武宮 片岡 勝 負 1 大竹英雄 − ○ × ○ ○ 3 1 1 趙治勲 × − ○ ○ ○ 3 1 1 加藤正夫 ○ × − ○ ○ 3 1 4 武宮正樹 × × × − ○ 1 3 5 片岡聡 × × × × - 0 4 大竹、趙、加藤が3-1の同率プレーオフを行い、大竹が優勝した。 1回戦 趙治勲 - 加藤正夫 決勝戦 大竹英雄 - 趙治勲 第7期(1984-85年) 順位 出場者 / 相手 趙 大竹 林 小林 加藤 勝 負 1 趙治勲 − × ○ ○ ○ 3 1 2 大竹英雄 ○ − × × ○ 2 2 2 林海峰 × ○ − × ○ 2 2 2 小林光一 × ○ ○ − × 2 2 5 加藤正夫 × × × ○ - 1 3 記録[編集] 最多優勝 5回 大竹英雄 参考文献[編集] 『棋道』『囲碁年鑑』日本棋院--------- --------- 鹿島杯女流将棋トーナメント 鹿島杯女流将棋トーナメント(かじまはい じょりゅうしょうぎトーナメント)は、東京メトロポリタンテレビジョン(TOKYO MX)が主催、鹿島建設が協賛する女流棋士による将棋の棋戦。決勝トーナメントは10月から11月にかけてTOKYO MXで放送される。1996年度創設、2006年度をもって終了。 しくみ[編集] 2005年までは予選と決勝トーナメントからなっていた。予選にはシード棋士を除く全女流棋士が参加し、決勝トーナメントは、予選を勝ち抜いた6名とシードされた2名の計8名で行われた。 2006年は選抜者8名によるトーナメントで行われ、全女流棋士が参加しない唯一の女流公式棋戦となった(非公式戦ではきしろ杯争奪関西女流メイショウ戦、NSN女流プロトーナメント戦、白瀧あゆみ杯争奪戦 U-20女流トーナメントが、いずれも選抜者により行われている)。選抜基準は、前回優勝者1名と前年度公式棋戦成績における勝数上位者から選抜した7名(タイトル保持者を除く)となっている。 決勝戦は2002年までは三番勝負で行われていたが、2003年以降は一番勝負となっている。 予選、決勝トーナメントとも、持ち時間は10分で、持ち時間を使い切ったら1手30秒以内で指すことになる。 歴代決勝結果[編集] 2002年までは三番勝負、2003年からは一番勝負。○●は優勝者から見た勝敗。 回 開催年 優勝 勝敗 準優勝 1 1996年 林まゆみ ○○ 高群佐知子 2 1997年 清水市代 ●○○ 中井広恵 3 1998年 中井広恵 ○○ 矢内理絵子 4 1999年 清水市代 ○○ 斎田晴子 5 2000年 碓井涼子 ●○○ 中井広恵 6 2001年 中井広恵 ○●○ 碓井涼子 7 2002年 石橋幸緒 ●○○ 竹部さゆり 8 2003年 中井広恵 ○ 清水市代 9 2004年 清水市代 ○ 石橋幸緒 10 2005年 石橋幸緒 ○ 中井広恵 11 2006年 甲斐智美 ○ 中村真梨花 --------- 関西女流囲碁トーナメント 関西女流囲碁トーナメントは、日本の囲碁の女流棋戦。2002年創設、2007年終了。テレビ大阪主催。 過去の優勝者[編集] (左が優勝者、段位は当時) 第1回 2002年 吉田美香七段 - 小西和子七段 第2回 2003年 吉田美香七段 - 芦田磯子六段 第3回 2004年 吉田美香八段 - 芦田磯子六段 第4回 2005年 吉田美香八段 - 小西和子八段 第5回 2006年 小西和子八段 - 榊原史子六段 第6回 2007年 井澤秋乃四段 - 榊原史子六段 --------- 関西棋院選手権戦 関西棋院選手権戦(かんさいきいんせんしゅけんせん)は、日本の囲碁の棋戦で、関西棋院の棋士が出場した。1955年にトーナメント戦として開始、1962年から紅白勝ち抜き戦となり、1966年から再度トーナメント戦となった。1974年終了、日本棋院選手権戦と統合されて天元戦となった。 主催 神戸新聞 方式[編集] 12期までは決勝三番勝負。13期以降は挑戦手合三番勝負。 コミは4目半。 歴代優勝者と決勝戦・挑戦手合[編集] (左が優勝者) 1. 1955年 鯛中新 2. 1956年 半田道玄 3. 1957年 橋本昌二 4. 1958年 鈴木越雄 5. 1959年 東野弘昭 6. 1960年 橋本昌二 - 半田道玄 7. 1961年 窪内秀知 1962-65年(紅白勝ち抜き戦) 8. 1966年 窪内秀知 - 半田道玄 9. 1967年 宮本直毅 - 東野弘昭 10. 1968年 11. 1969年 12. 1970年 石井新蔵 13. 1971年 橋本宇太郎 2-0 東野弘昭 14. 1972年 橋本宇太郎 2-0 東野弘昭 15. 1973年 橋本宇太郎 2-1 藤木人見 16. 1974年 橋本宇太郎 2-1 窪内秀知 参考文献[編集] 坂田栄男『囲碁百年 3 実力主義の時代』平凡社 1969年 --------- 関西棋院第一位決定戦 山陽新聞杯 関西棋院第一位決定戦(さんようしんぶんはい かんさいきいんだいいちいけっていせん)は、囲碁の棋戦で、関西棋院の棋士が出場する。1957年から開始。 山陽新聞社主催。同社はかつて「山陽新聞三番碁」を主催していた。 方式[編集] 第1期から第8期までは決勝一番勝負、第9期から第50期までは決勝三番勝負、第51期からは挑戦手合三番勝負で第一位を決する。 第48期までは賞金ランキング上位22人と山陽新聞社推薦10人(岡山・広島・香川出身者、若手・女流棋士など)の計32人によるトーナメント。第49期からは賞金ランキング上位17人、山陽新聞社推薦5人、予選通過者10人の計32人によるトーナメント。 予選には「山陽本因坊」(山陽新聞社主催)をはじめとする岡山県在住のアマ強豪も参加する。 歴代優勝者と決勝戦[編集] (左が優勝者) 1957年 佐藤直男 - 半田道玄 1958年 半田道玄 - 橋本昌二 1959年 宮本直毅 - 藤木人見 1960年 半田道玄 - 鯛中新 1961年 半田道玄 - 佐藤直男 1962年 小山靖男 - 宮本直毅 1963年 窪内秀知 - 赤木一夫 1964年 佐藤直男 - 窪内秀知 1965年 橋本昌二 2-0 白石裕 1966年 橋本昌二 2-0 窪内秀知 1967年 橋本昌二 2-1 関山利夫 1968年 橋本宇太郎 2-0 鯛中新 1969年 橋本宇太郎 2-0 半田道玄 1970年 橋本昌二 2-0 佐藤直男 1971年 橋本昌二 2-0 宮本直毅 1972年 橋本昌二 2-0 東野弘昭 1973年 橋本昌二 2-0 宮本義久 1974年 橋本昌二 2-0 東野弘昭 1975年 本田邦久 2-1 大山国夫 1976年 本田邦久 2-1 橋本昌二 1977年 関山利夫 2-0 石井新蔵 1978年 橋本昌二 2-0 太田清道 1979年 橋本昌二 2-0 橋本宇太郎 1980年 橋本宇太郎 2-1 石井新蔵 1981年 佐藤直男 2-1 関山利夫 1982年 大山国夫 2-1 牛之浜撮雄 1983年 苑田勇一 2-0 白石裕 1984年 苑田勇一 2-0 牛之浜撮雄 1985年 牛之浜撮雄 2-0 苑田勇一 1986年 宮本義久 2-0 牛之浜撮雄 1987年 東野弘昭 2-0 白石裕 1988年 橋本昌二 2-1 苑田勇一 1989年 東野弘昭 2-0 白石裕 1990年 橋本昌二 2-1 宮本義久 1991年 関山利夫 2-0 小山靖男 1992年 清成哲也 2-1 倉橋正蔵 1993年 白石裕 2-1 久保勝昭 1994年 今村俊也 2-1 苑田勇一 1995年 苑田勇一 2-0 宮本直毅 1996年 結城聡 2-1 本田邦久 1997年 本田邦久 2-0 苑田勇一 1998年 今村俊也 2-1 橋本昌二 1999年 森山直棋 2-1 長谷川直 2000年 今村俊也 2-1 長谷川直 2001年 本田邦久 2-0 久保勝昭 2002年 今村俊也 2-1 倉橋正行 2003年 坂井秀至 2-1 湯川光久 2004年 清成哲也 2-1 坂井秀至 2005年 横田茂昭 2-0 中野泰宏 2006年 結城聡 2-0 矢田直己 2007年 結城聡 2-1 坂井秀至 2008年 結城聡 2-1 清成哲也 2009年 結城聡 2-1 今村俊也 2010年 村川大介 2-0 結城聡 2011年 坂井秀至 2-0 村川大介 2012年 坂井秀至 2-0 村川大介 2013年 坂井秀至 2-0 古谷裕 2014年 結城聡 2-1 坂井秀至 2015年 結城聡 2-0 中野泰宏 2016年 結城聡 2-0 村川大介 記録[編集] 優勝12回の橋本昌二九段に、名誉第一位の称号が与えられている。 2005年1月より、大手合廃止に伴い昇段規定が変更され、勝ち星による昇段の対象棋戦となる。また優勝者が、六段以下であった場合、七段に飛付昇段する。本年までにこの対象者となったのは、村川大介。 --------- --------- 桜町天皇 桜町天皇 桜町天皇像(泉涌寺蔵) 第115代天皇 在位期間 1735年4月13日-1747年6月9日 元号 享保 元文 寛保 延享 先代 中御門天皇 次代 桃園天皇 誕生 1720年2月8日 崩御 1750年5月28日 陵所 月輪陵 称号 若宮 父親 中御門天皇 母親 近衛尚子 女御 二条舎子 子女 盛子内親王 智子内親王(後桜町天皇) 遐仁親王(桃園天皇)  皇居 京都御所 テンプレートを表示 桜町天皇(さくらまちてんのう、享保5年1月1日(1720年2月8日) - 寛延3年4月23日(1750年5月28日))は、江戸時代の第115代天皇(在位:享保20年3月21日(1735年4月13日) - 延享4年5月2日(1747年6月9日))。幼名を若宮、諱を昭仁(てるひと)という。 目次 [非表示] 1 系譜 1.1 系図 2 略歴 3 在位中の元号 4 諡号・追号・異名 5 陵・霊廟 6 脚注 7 参考文献 8 著書 系譜[編集] 中御門天皇の第一皇子。母は関白太政大臣近衛家熙の娘、女御近衛尚子(新中和門院、徳川家宣の猶子)。 女御 二条舎子(青綺門院)(1716-1790) 第一皇女 盛子内親王(1737-1746) 第二皇女 智子内親王(後桜町天皇)(1740-1813) 典侍 姉小路定子(開明門院)(1717-1789) 第一皇子 遐仁親王(桃園天皇)(1741-1762) 系図[編集] 114 中御門天皇 閑院宮直仁親王 115 桜町天皇 典仁親王 (慶光天皇) 倫子女王 鷹司輔平 117 後桜町天皇 116 桃園天皇 美仁親王 119 光格天皇 118 後桃園天皇 120 仁孝天皇 桂宮淑子内親王 121 孝明天皇 和宮親子内親王 122 明治天皇 略歴[編集] 桜町天皇懐紙 享保13年(1728年)に立太子、同20年(1735年)に父帝の譲位により践祚。江戸幕府の将軍徳川吉宗の助力と関白一条兼香の補佐を得て朝廷の儀式の復古に力を入れ、大嘗祭の再復活や新嘗祭、奉幣使などの他の儀礼の復活にも力を注いだ。また、自ら「大日本天皇昭仁親王」と記している[要出典]ことから、朝儀の復興を通して天皇の権威向上に努めていたことが窺える。 延享4年(1747年)桃園天皇に譲位して院政を開始するが、寛延3年(1750年)に脚気衝心により31歳で崩御。なお、徳富蘇峰の『近世日本国民史』以来、天皇が幕府の圧力によって退位したとする説があるが、実際には退位後においても積極的に政治や学問の振興策を主導しており、むしろ幕府からの干渉を避けるために院政による政治運営を行う狙いがあったと考えられている。実際に天皇は延享3年(1746年)より度々退位の意向を示していたが、議奏である柳原光綱・広橋兼胤の諫言や院政に反対する江戸幕府の意向もあって押し止められていた[1]が、最終的には譲位を強行したとされている[2]。桜町上皇は表向きには摂政一条道香(兼香の子)を立てつつ、道香や武家伝奏らの補佐を受ける形で院政を行っている[3]。ただ、院政を充実させるには残された3年という期間は余りにも短すぎるものであった。 神沢貞幹の『翁草』によると生まれが元旦でそのとき火事があり且つ実績も立派という共通点から聖徳太子の再来といわれ、歴史家としても知られた公家の柳原紀光も「延喜・天暦の治以来の聖代である」と評したという。烏丸光栄に古今伝授を受けるなど歌道に優れ、御製は『桜町院御集』や『桜町院坊中御会和歌』としてまとめられている。また曽祖父・霊元天皇の御製を分類して『桃蕊類題(とうずいるいだい)』を残している。 一乗院宮尊賞親王から入木道を伝授され、書にも優れた。 在位中の元号[編集] 享保 (1716年6月22日 - 1736年4月28日) 元文 (1736年4月28日 - 1741年2月27日) 寛保 (1741年2月27日 - 1744年2月21日) 延享 (1744年2月21日 - 1748年7月12日) 諡号・追号・異名[編集] 仙洞御所の宮名である桜町殿により桜町院と追号された。 陵・霊廟[編集] 陵(みささぎ)は、京都府京都市東山区今熊野泉山町の泉涌寺内にある月輪陵(つきのわのみささぎ)に治定されている。公式形式は石造九重塔。 また皇居では、皇霊殿(宮中三殿の1つ)において他の歴代天皇・皇族とともに天皇の霊が祀られている。 脚注[編集] ^ 『光綱卿記』「別記・関東御往交事」延享3年4月23日条 ^ 村、2013年、P168-170 ^ 村、2013年、P171-191 参考文献[編集] 宮内省図書寮 編『桜町天皇実録』1~2巻(ゆまに書房、2006年) ISBN 978-4-8433-2034-1 村和明「桜町上皇と朝廷運営」 『近世の朝廷制度と朝幕関係』(東京大学出版会、2013年) ISBN 978-4-13-026233-0(原論文:2010年) 著書[編集] ウィキメディア・コモンズには、桜町天皇に関連するカテゴリがあります。 『桜町天皇御集Ⅰ』(2016年8月)桜耶書院 [表示] 表 話 編 歴 天皇旗 天皇一覧 菊の御紋 典拠管理 WorldCat VIAF: 53930439 LCCN: no2007077852 NDL: 01043876 カテゴリ: 日本の天皇日本の幼帝江戸時代の人物1720年生1750年没 案内メニュー ログインしていませんトーク投稿記録アカウント作成ログインページノート閲覧編集履歴表示検索 Wikipedia内を検索 表示 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