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韓国の囲碁タイトル在位者一覧

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囲碁は、陣地を囲むゲームです。
RPGゲームやアクションゲームとは異なる思考で次の一手を考える、面白いゲームです。
将棋、チェスと並ぶ、究極の思考ゲームとも言われます。
ブラウザーのみで動作するケースを特に囲碁ブラウザゲームと称することもあります。
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ドンジャラも麻雀の基礎ルールの説明には有用ですね。


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当サイトに、お越しいただいて有難うございます。 一局の碁をお楽しみください。 当サイトで、御覧頂いているブラウザを使用して囲碁対局ができます。HTML5を使用するので、ソフトのインストールは不要です。 初心者の方も、対局できるようになっております。 ルールを知ったが、対局する機会がない人に最適です。ルールが解らない方は、申し訳ありませんが事前に習得して頂けれは幸いです。 囲碁のルールは単純なのでずか、ゲームは難しいです。 入門者もベテランもロボットと対局できるサイトは多々あります。
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Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0) 韓国の囲碁タイトル在位者一覧 韓国の囲碁タイトル在位者一覧は韓国の囲碁タイトルの獲得者の一覧である。 BYR color wheel.svg この項目では色を扱っています。閲覧環境によっては、色が適切に表示されていない場合があります。 目次 [非表示] 1 一覧 1.1 1970 1.2 1990- 1.3 2010- 1.4 2015- 2 関連項目 3 外部リンク 一覧[編集] 年 名人 覇王 最高位 国手 王位 1956 趙南哲 1957 趙南哲 1958 趙南哲 1959 趙南哲 趙南哲 趙南哲 1960 趙南哲 趙南哲 趙南哲 1961 趙南哲 趙南哲 趙南哲 1962 趙南哲 趙南哲 趙南哲 1963 ‐ ‐ 趙南哲 1964 全昶炫 趙南哲 趙南哲 1965 金寅 趙南哲 金寅 1966 金寅 趙南哲 金寅 金寅 1967 金寅 金寅 金寅 金寅 1968 趙南哲 金寅 姜哲民 金寅 金寅 1969 金寅 金寅 金伊四 金寅 金寅 1970[編集] 年 KBS杯 名人 覇王 最高位 国手 王位 最強者 棋王 国棋 帝王 バッカス 大王 1970 趙南哲 金寅 姜哲民 金寅 金寅 1971 徐奉洙 金寅 金寅 尹奇鉉 金寅 1972 徐奉洙 ‐ 金寅 尹奇鉉 金寅 1973 徐奉洙 ‐ 曺薫鉉 河燦錫 河燦錫 趙南哲 MBC 1974 徐奉洙 ‐ 曺薫鉉 河燦錫 金寅 曺薫鉉 鄭昌鉉 徐奉洙 1975 ‐ ‐ 曺薫鉉 曺薫鉉 徐奉洙 曺薫鉉 ‐ 曺薫鉉 金熙中 1976 徐奉洙 金寅 曺薫鉉 曺薫鉉 曺薫鉉 曺薫鉉 金熙中 曺薫鉉 金熙中 1977 曺薫鉉 曺薫鉉 曺薫鉉 曺薫鉉 曺薫鉉 曺薫鉉 金寅 曺薫鉉 1978 徐奉洙 曺薫鉉 曺薫鉉 曺薫鉉 曺薫鉉 曺薫鉉 金熙中 曺薫鉉 1979 曺薫鉉 曺薫鉉 曺薫鉉 曺薫鉉 曺薫鉉 曺薫鉉 曺薫鉉 曺薫鉉 1980 曺薫鉉 曺薫鉉 曺薫鉉 徐奉洙 曺薫鉉 徐奉洙 ‐ 徐奉洙 1981 ‐ 曺薫鉉 曺薫鉉 曺薫鉉 曺薫鉉 曺薫鉉 曺薫鉉 曺薫鉉 1982 曺薫鉉 徐奉洙 曺薫鉉 曺薫鉉 曺薫鉉 曺薫鉉 曺薫鉉 曺薫鉉 曺薫鉉 1983 徐奉洙 ‐ 曺薫鉉 曺薫鉉 曺薫鉉 曺薫鉉 徐奉洙 曺薫鉉 徐奉洙 曺薫鉉 1984 曺薫鉉 曺薫鉉 曺薫鉉 曺薫鉉 曺薫鉉 曺薫鉉 曺薫鉉 曺薫鉉 曺薫鉉 河燦錫 曺薫鉉 1985 河燦錫 曺薫鉉 曺薫鉉 曺薫鉉 曺薫鉉 曺薫鉉 曺薫鉉 曺薫鉉 曺薫鉉 曺薫鉉 曺薫鉉 1986 曺薫鉉 曺薫鉉 曺薫鉉 曺薫鉉 徐奉洙 曺薫鉉 曺薫鉉 曺薫鉉 曺薫鉉 姜勲 曺薫鉉 1987 曺薫鉉 曺薫鉉 曺薫鉉 曺薫鉉 徐奉洙 曺薫鉉 曺薫鉉 曺薫鉉 徐奉洙 曺薫鉉 曺薫鉉 1988 李昌鎬 曺薫鉉 曺薫鉉 曺薫鉉 曺薫鉉 曺薫鉉 徐奉洙 徐奉洙 曺薫鉉 曺薫鉉 劉昌赫 1989 曺薫鉉 曺薫鉉 曺薫鉉 李昌鎬 曺薫鉉 曺薫鉉 曺薫鉉 ‐ 曺薫鉉 曺薫鉉 曺薫鉉 1990-[編集] 年 KBS杯 名人 GS 最強戦 国手 覇王 最高位 王位 最強者 棋王 国棋 帝王 バッカス 大王 棋聖 倍達王 物価 十段 1990 曺薫鉉 曺薫鉉 李昌鎬 曺薫鉉 李昌鎬 李昌鎬 曺薫鉉 ‐ 李昌鎬 李昌鎬 李昌鎬 曺薫鉉 1991 李昌鎬 李昌鎬 曺薫鉉 曺薫鉉 李昌鎬 劉昌赫 曺薫鉉 ‐ 李昌鎬 李昌鎬 李昌鎬 劉昌赫 1992 曺薫鉉 李昌鎬 曺薫鉉 曺薫鉉 曺薫鉉 劉昌赫 曺薫鉉 徐奉洙 李昌鎬 李昌鎬 李昌鎬 曺薫鉉 1993 ‐ 李昌鎬 李昌鎬 李昌鎬 李昌鎬 李昌鎬 劉昌赫 李昌鎬 李昌鎬 曺薫鉉 劉昌赫 曺薫鉉 李昌鎬 李昌鎬 1994 李昌鎬 李昌鎬 李昌鎬 李昌鎬 李昌鎬 李昌鎬 劉昌赫 李昌鎬 李昌鎬 曺薫鉉 曺薫鉉 李昌鎬 李昌鎬 李昌鎬 1995 劉昌赫 李昌鎬 李昌鎬 李昌鎬 曺薫鉉 李昌鎬 李昌鎬 曺薫鉉 李昌鎬 ‐ 李昌鎬 李昌鎬 李昌鎬 1996 曺薫鉉 李昌鎬 劉昌赫 劉昌赫 李昌鎬 曺薫鉉 李昌鎬 李昌鎬 李昌鎬 李昌鎬 李昌鎬 李昌鎬 曺薫鉉 1997 曺薫鉉 曺薫鉉 李昌鎬 劉昌赫 李昌鎬 曺薫鉉 李昌鎬 李昌鎬 李昌鎬 李昌鎬 李昌鎬 李昌鎬 1998 李昌鎬 李昌鎬 李昌鎬 曺薫鉉 曺薫鉉 李昌鎬 李昌鎬 李昌鎬 李昌鎬 劉昌赫 1999 曺薫鉉 李昌鎬 徐奉洙 芮廼偉 ‐ 李昌鎬 李昌鎬 李昌鎬 李昌鎬 劉昌赫 2000 睦鎮碩 李昌鎬 崔明勲 崔珪昞 曺薫鉉 曺薫鉉 李昌鎬 李世乭 李昌鎬 李世乭 2001 李昌鎬 李昌鎬 李昌鎬 劉昌赫 李昌鎬 李昌鎬 李昌鎬 朴永訓 李昌鎬 2002 李昌鎬 李昌鎬 李世乭 劉昌赫 李昌鎬 李昌鎬 李昌鎬 曺薫鉉 宋泰坤 李昌鎬 2003 宋泰坤 李昌鎬 李昌鎬 江鋳久 崔哲瀚 劉昌赫 李昌鎬 劉昌赫 崔哲瀚 李昌鎬 2004 李昌鎬 - 李昌鎬 芮廼偉 崔哲瀚 李昌鎬 崔哲瀚 崔哲瀚 2005 李昌鎬 - 崔哲瀚 李世乭 李昌鎬 李昌鎬 朴正祥 高根台 朴永訓 朴永訓 2006 李世乭 - 李世乭 李世乭 尹畯相 李昌鎬 趙漢乗 趙漢乗 朴永訓 李世乭 李昌鎬 2007 李昌鎬 李世乭 朴永訓 李世乭 李世乭 李昌鎬 朴廷桓 元晟溱 朴永訓 李世乭 安祚永 2008 ‐ 李世乭 朴永訓 朴永訓 李世乭 姜東潤 朴永訓 洪性志 李昌鎬 2009 李昌鎬 李昌鎬 趙漢乗 崔哲瀚 李昌鎬 朴廷桓 金志錫 朴廷桓 年 KBS杯 名人 GS 最強戦 国手 王位 戦神 棋王 国棋 帝王 バッカス 大王 棋聖 倍達王 物価 十段 2010-[編集] 年 KBS杯 名人 GS 最強戦 PARK 国手 バッカス 物価 十段 Olleh 2010 李昌鎬 朴永訓 元晟湊 崔哲瀚 崔哲瀚 崔哲瀚 李世乭 朴廷桓 李世乭 2011 朴廷桓 朴永訓 朴廷桓 朴永訓 趙漢乗 崔哲瀚 李映九 李世乭 李世乭 2012 朴廷桓 李世乭 李世乭 朴廷桓 趙漢乗 朴永訓 安成浚 崔哲瀚 李世乭 2013 朴廷桓 崔哲瀚 金志錫 朴廷桓 李世乭 朴永訓 朴廷桓 姜東潤 金志錫 2014 李世乭 朴永訓 金志錫 李世乭 李世乭 趙漢乗 羅玄 2015-[編集] 年 KBS杯 名人 GS 最強戦 PARK 国手 2015 李東勲 - 睦鎮碩 崔哲瀚 申眞諝 朴廷桓 2016 朴廷桓 李世乭 李東勲 李世乭 関連項目[編集] 韓国棋院 囲碁のタイトル在位者一覧 囲碁世界タイトルの獲得者一覧 国際団体棋戦の優勝国一覧 外部リンク[編集] 韓国棋院 [表示] 表 話 編 歴 韓国の旗 韓国囲碁棋戦 [表示] 表 話 編 歴 囲碁の棋戦 [表示] 表 話 編 歴 囲碁のタイトル在位者 ---------------------------------- 後桜町天皇 後桜町天皇 第117代天皇 在位期間 1762年9月15日 - 1770年5月23日 元号 宝暦 明和 先代 桃園天皇 次代 後桃園天皇 誕生 1740年9月23日 崩御 1813年12月24日 陵所 月輪陵 諱 智子 称号 以茶宮 緋宮 父親 桜町天皇 母親 藤原舎子 皇居 京都御所 2015年現在、最後の女帝である。 テンプレートを表示 後桜町天皇(ごさくらまちてんのう、元文5年8月3日(1740年9月23日) - 文化10年閏11月2日(1813年12月24日))は第117代天皇(在位:宝暦12年7月27日(1762年9月15日)- 明和7年4月28日(1770年5月23日))。江戸時代、また今上天皇までで最後の女性天皇。幼名を以茶宮(いさのみや)・緋宮(あけのみや)、諱を智子(としこ)[注釈 1]という。 目次 [非表示] 1 系譜 1.1 系図 2 略歴 2.1 天皇時代 2.2 上皇として 2.3 文化人(歌人) 3 陵・霊廟 4 脚注 4.1 注釈 4.2 出典 5 参考文献 6 外部リンク 系譜[編集] 第115代桜町天皇の第二皇女。母は関白左大臣二条吉忠の娘で桜町女御の藤原舎子(青綺門院)。姉に早世した盛子内親王、異母弟に第116代桃園天皇。 系図[編集] 114 中御門天皇 閑院宮直仁親王 115 桜町天皇 典仁親王 (慶光天皇) 倫子女王 鷹司輔平 117 後桜町天皇 116 桃園天皇 美仁親王 119 光格天皇 118 後桃園天皇 120 仁孝天皇 桂宮淑子内親王 121 孝明天皇 和宮親子内親王 122 明治天皇 略歴[編集] 天皇時代[編集] 宝暦12年(1762年)、異母弟桃園天皇の遺詔を受けて践祚。 だが、実際には桃園天皇の皇子英仁親王(のちの後桃園天皇)が5歳の幼さであったこと、桃園天皇治世末期に生じた宝暦事件では、天皇が幼い頃から自分に付き従っていた側近たちを擁護して側近の追放を要請した摂関家との対立関係に陥ったことから、英仁親王が即位した場合に同じ事態が繰り返されることが憂慮された。 このため、五摂家の当主ら[注釈 2]が秘かに宮中で会議を開き、英仁親王の将来における皇位継承を前提に、中継ぎとしての新天皇を擁立することを決定し、天皇の異母姉である智子内親王が英仁親王と血縁が近く、政治的にも中立であるということで、桃園天皇の遺詔があったということにして即位を要請したのである。 この決定は、皇位継承のような重大事は事前に江戸幕府に諮るとした禁中並公家諸法度の規定にも拘らず、「非常事態」を理由に幕府に対しても事後報告の形で進められた。また、明正天皇以来119年ぶりの女帝誕生となった。 即位および大嘗祭は男帝同様に挙行された。女帝の礼服(即位用の正装)と束帯(通常の正装・男帝の黄櫨染に相当)は明正天皇の例に従って白の無地を用いた。(明正天皇の礼服は白生絹であったが、後桜町天皇の礼服は男帝の礼服の生地である竜文(無文の綾地綾)であった)を使用した。礼服はほぼ男子の礼服に準じた形式で(纐纈裳が加わる)、束帯は裳唐衣五衣のいわゆる十二単であった。明正天皇の時にはまだ復興していなかった大嘗祭・新嘗祭の装束としては、御斎服・帛御服があるが、前者は男子同様の仕立てで髪型が大垂髪であることだけが異なり、後者は白平絹の裳唐衣五衣である。普段は大腰袴姿であった[1]。 代初めの小朝拝にも出御、在位中は正月の諸礼などの対面儀礼にも出御することが多かった。しかし例年の節会の出御は少なく、新嘗祭の出御は譲位直前の1度だけであった。また庭上に降りる四方拝も、御座は設けるものの出御に及ばない例であった。基本的には男帝と同じ儀礼をこなしながらも、種々の便宜上出御を見合わせることも多かったようである[2]。なお、譲位後は色物の装束を着用しており、その控え裂が國學院大學に所蔵されている。 上皇として[編集] 在位9年の後、明和7年(1770年)、[3]甥である後桃園天皇に譲位して上皇となった。 しかし安永8年(1779年)、皇子を残さぬまま後桃園天皇は崩御した。後桜町上皇は廷臣の長老で前関白の近衛内前と相談し、伏見宮家より養子を迎えようとした[注釈 4]が、結局現関白九条尚実の推す9歳の師仁王(閑院宮典仁親王六男、諡号は光格天皇)に決まった。 皇統の傍流への移行以後も、後桜町院は上皇として幼主をよく輔導したといわれる。上皇はたびたび内裏に「御幸」し、光格天皇と面会している。ことに寛政元年(1789年)の尊号一件に際し、「御代長久が第一の孝行」と言って光格天皇を諭したことは有名である。このように朝廷の権威向上に努め、後の尊皇思想、明治維新への端緒を作った光格天皇の良き補佐を務めたことから、しばしば「国母」といわれる。 天明2年(1782年)、天明の京都大火に際しては青蓮院に移り、ここを粟田御所と号した[注釈 5]。生母青綺門院の仮御所となった知恩院との間に、幕府が廊下を設けて通行の便を図っている。 天明7年(1787年)6月、御所千度参りに集まった民衆に対し、後桜町上皇から3万個のリンゴ(日本で古くから栽培されている、和りんご)が配られた。 文化10年(1813年)、74歳で崩御。後桜町院の追号が贈られた。ちなみに、その後に崩御した光格天皇以降は「院」でなく「天皇」の号を贈られたため、最後の女帝であるとともに崩後に「院」と称された最後の天皇でもある。 文化人(歌人)[編集] 古今伝授に名を連ねる歌道の名人であった。文筆にもすぐれ、宸記・宸翰・和歌御詠草など美麗な遺墨が伝世している。また、『禁中年中の事』という著作を残した。和歌の他にも漢学を好まれ、譲位後、院伺候衆であった唐橋在熙・高辻福長に命じて、『孟子』『貞観政要』『白氏文集』等の進講をさせている。 陵・霊廟[編集] 陵(みささぎ)は、京都府京都市東山区今熊野泉山町の泉涌寺内にある月輪陵(つきのわのみささぎ)に治定されている。公式形式は石造九重塔。 また皇居では、皇霊殿(宮中三殿の1つ)において他の歴代天皇・皇族とともに天皇の霊が祀られている。 脚注[編集] 注釈[編集] [ヘルプ] ^ はじめ智子を“さとこ”と訓じたが、霊元天皇諱の識仁(さとひと)と音が通うため、践祚後の宝暦12年7月29日“としこ”に改めた。 ^ 近衛家から内前・輝久、鷹司家から輔平、一条家から輝良、九条家から尚実。二条家当主で12歳の重良は不在。 ^ なお、大腰袴は女官の服装といわれることが多いが、武家で徳川宗家・御三家・御三卿の正妻などの礼装のひとつ「袴着掻取」に用いることからわかるように、高貴な女性が小袖の上に袴を着てその上に袿などの装束を用いないときに使用する袴である。『後桜町天皇宸記』の天皇の即位以前の時期の記事に、さまざまな模様の小袖とともに袴を着た記事があるが、これも大腰袴の着用を示すとみてよい。 ^ この時の伏見宮当主は18代邦頼親王。 ^ この時、光格天皇は聖護院を仮御所とし、恭礼門院は妙法院をそれぞれ行宮とした。 出典[編集] [ヘルプ] ^ 『旧儀御服記』ほか[注釈 3]。 ^ 『続史愚抄』ほか。 ^ 『ビジュアル日本史ヒロイン1000人』183頁 参考文献[編集] 宮内省図書寮 編『後桜町天皇実録』1 - 4巻(ゆまに書房、2006年) ISBN 4-8433-2036-6 所 京子「後桜町女帝年譜稿」京都女子大学史学会『史窓』第58号 2001年2月 p353 - p363 所 京子「後桜町上皇年譜稿」『岐阜聖徳学園大学紀要 外国語学部編』第40集 2001年3月 p116 - p92 野村 玄「女帝後桜町天皇の践祚とその目的」吉川弘文館『日本歴史』2006年10月号 No.701 p69 - p84 外部リンク[編集] 京都大学歴史研究会 - 後桜町天皇 [表示] 表 話 編 歴 天皇旗 天皇一覧 菊の御紋 典拠管理 WorldCat VIAF: 7172492 LCCN: no2007077891 NDL: 01043946 カテゴリ: 日本の天皇女性天皇江戸時代の女性1740年生1813年没 案内メニュー ログインしていませんトーク投稿記録アカウント作成ログインページノート閲覧編集履歴表示検索 Wikipedia内を検索 表示 メインページ コミュニティ・ポータル 最近の出来事 新しいページ 最近の更新 おまかせ表示 練習用ページ アップロード (ウィキメディア・コモンズ) ヘルプ ヘルプ 井戸端 お知らせ バグの報告 寄付 ウィキペディアに関するお問い合わせ 印刷/書き出し ブックの新規作成 PDF 形式でダウンロード 印刷用バージョン ツール リンク元 関連ページの更新状況 ファイルをアップロード 特別ページ この版への固定リンク ページ情報 ウィキデータ項目 このページを引用 他言語版 العربية English Español Français Bahasa Indonesia 한국어 Português Русский 中文 他 19 リンクを編集 最終更新 2017年6月19日 (月) 04:18 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。 テキストはクリエイティブ・コモンズ 表示-継承ライセンスの下で利用可能です。追加の条件が適用される場合があります。詳細は利用規約を参照してください。 プライバシー・ポリシーウィキペディアについて免責事項開発者Cookieに関する声明モバイルビューWikimedia Foundation Powered by MediaWiki