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囲碁は、陣地を囲むゲームです。
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実体験に基づいた、オススメ記事もネット上にあります。 「ネット碁を打ちたいけどどこで打ったらいいのかわからない」という方は、参考にしてください。 オススメするネット囲碁対局場3選 ここによると、
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・ユーザーの多さ
・ユーザーの質


・コミュニティ機能の充実
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これらを鑑みると、
3:幽玄の間
2:KGS
1:パンダネット
だそうです。 推薦者のブログ 幽玄の間の口コミ 幽玄の間サイト KGSの口コミ KGS パンダネット

当サイトも、及ばずながら、がんばります。




Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0)

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Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0) --------- 関西棋院第一位決定戦 山陽新聞杯 関西棋院第一位決定戦(さんようしんぶんはい かんさいきいんだいいちいけっていせん)は、囲碁の棋戦で、関西棋院の棋士が出場する。1957年から開始。 山陽新聞社主催。同社はかつて「山陽新聞三番碁」を主催していた。 方式[編集] 第1期から第8期までは決勝一番勝負、第9期から第50期までは決勝三番勝負、第51期からは挑戦手合三番勝負で第一位を決する。 第48期までは賞金ランキング上位22人と山陽新聞社推薦10人(岡山・広島・香川出身者、若手・女流棋士など)の計32人によるトーナメント。第49期からは賞金ランキング上位17人、山陽新聞社推薦5人、予選通過者10人の計32人によるトーナメント。 予選には「山陽本因坊」(山陽新聞社主催)をはじめとする岡山県在住のアマ強豪も参加する。 歴代優勝者と決勝戦[編集] (左が優勝者) 1957年 佐藤直男 - 半田道玄 1958年 半田道玄 - 橋本昌二 1959年 宮本直毅 - 藤木人見 1960年 半田道玄 - 鯛中新 1961年 半田道玄 - 佐藤直男 1962年 小山靖男 - 宮本直毅 1963年 窪内秀知 - 赤木一夫 1964年 佐藤直男 - 窪内秀知 1965年 橋本昌二 2-0 白石裕 1966年 橋本昌二 2-0 窪内秀知 1967年 橋本昌二 2-1 関山利夫 1968年 橋本宇太郎 2-0 鯛中新 1969年 橋本宇太郎 2-0 半田道玄 1970年 橋本昌二 2-0 佐藤直男 1971年 橋本昌二 2-0 宮本直毅 1972年 橋本昌二 2-0 東野弘昭 1973年 橋本昌二 2-0 宮本義久 1974年 橋本昌二 2-0 東野弘昭 1975年 本田邦久 2-1 大山国夫 1976年 本田邦久 2-1 橋本昌二 1977年 関山利夫 2-0 石井新蔵 1978年 橋本昌二 2-0 太田清道 1979年 橋本昌二 2-0 橋本宇太郎 1980年 橋本宇太郎 2-1 石井新蔵 1981年 佐藤直男 2-1 関山利夫 1982年 大山国夫 2-1 牛之浜撮雄 1983年 苑田勇一 2-0 白石裕 1984年 苑田勇一 2-0 牛之浜撮雄 1985年 牛之浜撮雄 2-0 苑田勇一 1986年 宮本義久 2-0 牛之浜撮雄 1987年 東野弘昭 2-0 白石裕 1988年 橋本昌二 2-1 苑田勇一 1989年 東野弘昭 2-0 白石裕 1990年 橋本昌二 2-1 宮本義久 1991年 関山利夫 2-0 小山靖男 1992年 清成哲也 2-1 倉橋正蔵 1993年 白石裕 2-1 久保勝昭 1994年 今村俊也 2-1 苑田勇一 1995年 苑田勇一 2-0 宮本直毅 1996年 結城聡 2-1 本田邦久 1997年 本田邦久 2-0 苑田勇一 1998年 今村俊也 2-1 橋本昌二 1999年 森山直棋 2-1 長谷川直 2000年 今村俊也 2-1 長谷川直 2001年 本田邦久 2-0 久保勝昭 2002年 今村俊也 2-1 倉橋正行 2003年 坂井秀至 2-1 湯川光久 2004年 清成哲也 2-1 坂井秀至 2005年 横田茂昭 2-0 中野泰宏 2006年 結城聡 2-0 矢田直己 2007年 結城聡 2-1 坂井秀至 2008年 結城聡 2-1 清成哲也 2009年 結城聡 2-1 今村俊也 2010年 村川大介 2-0 結城聡 2011年 坂井秀至 2-0 村川大介 2012年 坂井秀至 2-0 村川大介 2013年 坂井秀至 2-0 古谷裕 2014年 結城聡 2-1 坂井秀至 2015年 結城聡 2-0 中野泰宏 2016年 結城聡 2-0 村川大介 記録[編集] 優勝12回の橋本昌二九段に、名誉第一位の称号が与えられている。 2005年1月より、大手合廃止に伴い昇段規定が変更され、勝ち星による昇段の対象棋戦となる。また優勝者が、六段以下であった場合、七段に飛付昇段する。本年までにこの対象者となったのは、村川大介。 --------- --------- 棋聖 (囲碁) 棋聖(きせい) 囲碁の歴史の中で抜群の強さを発揮した棋士に与えられる尊称。碁聖とほぼ同義。 囲碁の棋戦の一つである棋聖戦に優勝した棋士に贈られるタイトル。 目次 [非表示] 1 棋聖と呼ばれた人物 2 棋聖戦 3 棋聖戦方式 3.1 ルール 3.2 棋聖戦4段階リーグ方式 4 過去の方式 4.1 最高棋士決定戦方式 4.2 棋聖戦2リーグ方式 5 海外対局 6 歴史 7 名誉棋聖 8 歴代棋聖位と挑戦手合 9 挑戦者決定トーナメント出場選手 9.1 Sリーグ 9.2 個人記録 10 各段戦・全段争覇戦成績 11 参考図書 12 外部リンク 13 脚注 14 関連項目 棋聖と呼ばれた人物[編集] 「棋聖」と尊称されるのは、歴代名手の中でも卓越した実績を残した江戸時代の本因坊道策(前聖)と本因坊丈和(碁聖)である、近年では本因坊秀策も棋聖の一人と数えられることもある[1]。また中国出身で日本で活躍し、全棋士を先相先以下に打ち込むなど輝かしい実績を残した呉清源は、「昭和の棋聖」と呼ばれている。 中国では清代初期の黄龍士に対して使っていたが、1988年に中国囲棋協会から聶衛平に棋聖の称号が与えられた。 棋聖戦[編集] 1976年創設。読売新聞社主催。国内棋戦の3大タイトルのひとつ、賞金が最高額(2009年現在、4500万円)である。またタイトル戦では現在唯一、2年に一回海外対局を行なう。 女流戦にも女流棋聖戦がある。また韓国にも同名の棋戦があり、中国では同名の棋戦が1998年から2001年まで実施されていた。 棋聖戦方式[編集] ルール[編集] コミは1-27期は5目半。28期からは6目半。予選・リーグ戦は持ち時間5時間の一日打ち切り、七番勝負は8時間、封じ手による二日制で行われる。 予選は第40期より棋聖戦4段階リーグ方式。過去には最高棋士決定戦方式、棋聖戦2リーグ方式で行われていた。 棋聖戦4段階リーグ方式[編集] 第40期(2014年12月11日-)より、囲碁界初の4段階のリーグを創設。S(定員6名2名降格)、A(定員8名2名昇格4名降格)、B(1と2に分かれそれぞれ定員8名各2名昇格各3名降格)、C(定員32名6名昇格、16名降格)の4段階のリーグおよび、次期のCリーグへの参加者を決めるファーストトーナメント予選(FT、約400名から16名が昇格)に再編された。 S、A、Bは総当たりリーグ戦で優勝を争う(B1とB2の優勝者はプレーオフを戦い、Bの優勝者を決める)。Cはスイス式トーナメントで原則5回戦を行い、5連勝した棋士が優勝、3敗した棋士はFTへの陥落が決まり対局打ち切りとなる。 [2] リーグ 定員 対局数 昇格 降格 決勝T進出 備考 S 6名 5戦(総当り) 2名 2名 A 8名 7戦(総当り) 2名 4名 1名 B1/B2 8名/8名 7戦(総当り) 2名/2名 3名/3名 1名 2リーグで行う C 32名 5戦  6名 16名 (3敗で降格) 1名 (5連勝で優勝) FT なし 16名 トーナメント方式 挑戦者決定トーナメントでは、Sリーグ優勝者と準優勝者、Aリーグ優勝者、Bリーグ1と2の優勝者によるプレーオフ勝者、Cリーグの優勝者によるパラマストーナメントで行われ、Bリーグ代表とCリーグ優勝者が1番勝負し、勝者がAリーグ優勝者と1番勝負を行う。続いて前述勝者がSリーグ準優勝者と1番勝負を行う。挑戦者決定戦は前述勝者とSリーグ優勝者によって行われ、Sリーグ優勝者には1勝のアドバンテージがある3番勝負を行う。(B1位vsC1位→その勝者vsA1位→その勝者vsS2位→その勝者vsS1位→棋聖挑戦者) またBリーグから挑戦者が出た場合、Sの陥落者が一人、Cリーグから挑戦者が出た場合はS、Aの陥落者が一人ずつ増える。 第40期リーグ出場棋士はSからAの6位までは39期棋聖戦A・Bリーグの出場棋士が成績順に並び、Aの残る2人とB1、B2は、過去3年間の棋聖戦の成績順に選ばれた。 [3] またアマチュアもネット棋聖戦最上位のSAクラス4強入りで予選トーナメントに出場ができるようになった[4]。 準々決勝 準決勝 挑戦者決定戦 1番勝負 Bリーグ決定戦勝者 - 1番勝負 Cリーグ1位 - - Aリーグ1位 - 1番勝負 - Sリーグ2位 - 変則3番勝負 - Sリーグ1位 - 過去の方式[編集] 最高棋士決定戦方式[編集] 第1期から9期までは、各段戦、全段争覇戦、最高棋士決定戦の三段階によるトーナメント制。まず初段から九段までの各段ごとのトーナメント各段優勝戦を日本棋院と関西棋院の混合で行う。続いて初段から六段までの優勝者による勝ち抜き戦と、七、八段戦の準優勝者以上、九段戦ベスト4以上によるトーナメントを組み合わせた全段争覇戦を行う。そして全段争覇戦のベスト8以上とタイトル保持者を加えての最高棋士決定戦を行い、この優勝者が棋聖位保持者との挑戦手合七番勝負を行なう。第1期は最高棋士決定戦の決勝七番勝負で棋聖位を決定、2期以降は決勝戦は三番勝負。 また、最高棋士決定戦の出場者には、棋聖審議会の推薦棋士という枠もあり、選考に恣意的な側面も残っていた[5]。 第10期からは、全段争覇戦と最高棋士決定戦が一本化され、24期まで続いた。 棋聖戦2リーグ方式[編集] 第25期以降は、棋聖戦リーグによる挑戦者決定方式に変更。まず日本棋院と関西棋院でそれぞれに院内予選を行い、それぞれの勝ち抜き者による最終予選での4名の勝ち抜き者と、前年度の挑戦者(または前棋聖)と前年度のリーグ戦の残留者の8人を加えた計12人をAリーグ、Bリーグに分けて、総当りリーグ戦を行う。両リーグの1位同士が挑戦者決定戦一番勝負を行い、勝者が前年度の棋聖位保持者と挑戦手合七番勝負を行う。リーグ戦は4位までが残留、下位2名が陥落となる。リーグ成績が同率の場合は、前年度順位で順位を決める。 予選は第28期までは日本棋院の院内予選は各段を4グループに分けて最終予選出場者を決定、関西棋院の院内予選は全棋士によるトーナメントで行われていたが、第29期以降は日本棋院東京本院と日本棋院中部総本部・関西総本部・関西棋院の2つに分けて最終予選出場者を決める。 六段以下の棋士が棋聖リーグ入りを果たした場合、七段に昇段する。またリーグに優勝して挑戦権獲得が決まった時点で八段に、さらに棋聖位を奪取した場合九段へ昇段する。 海外対局[編集] 1998年までは毎年、1999年からは原則2年に一回、第1局は海外で行なわれている。以下1997年(第21期)以降、海外対局の行なわれた国名(都市名)を挙げる。 1997年 アメリカ(ハワイ) 1998年 中国(香港) 1999年 フランス(パリ) 2001年 台湾(台北) 2002年 イギリス(ロンドン) 2004年 アメリカ(シアトル) 2006年 ドイツ(ベルリン) 2008年 ブラジル(サンパウロ) 2010年 台湾(台北) 2014年 スペイン(アルカラ・デ・エナーレス) 歴史[編集] 1961年から開始した名人戦において、当時「狂乱物価」とも呼ばれた中、1974年まで日本棋院からの契約金増額要請に主催者の読売新聞がほとんど応じなかったことから、日本棋院では名人戦の朝日新聞への移管を進め、1974年末に契約打切りを読売新聞に通告した。 読売新聞はこれに反発し傘下メディアを通じて日本棋院の対応を批判し続け、1975年8月には日本棋院を相手にした訴訟を起こした。同時に水面下の交渉を行い、日本棋院顧問岡田儀一による「名人戦は朝日と契約」「読売は序列第一位の新棋戦、最高棋士決定戦・棋聖戦を新たに契約」(岡田私案)とする斡旋案で、同年12月10日に和解した。この経緯は名人戦騒動として知られ、将棋の名人戦契約にも大きな影響を与えた。 棋聖戦は、前述のように「名人戦騒動」の渦中から生まれ、1976年にスタートした。当時全盛の林海峰や木谷一門の実力者たちを退け、第1期棋聖戦の最高棋士決定戦トーナメントを勝ち上がったのは、藤沢秀行・橋本宇太郎の両ベテランであった。決勝七番勝負では藤沢が70歳の橋本を4-1で降し、初代棋聖の座に就いた。 翌1977年の第2期は、四冠を保持する挑戦者・加藤正夫を迎え、藤沢はたちまち1勝3敗に追い込まれる。このカド番・第5局で藤沢は、2時間57分という大長考を払って加藤の大石を全滅させ、気迫の勝利を挙げた。最終局でも藤沢は半目差で逃げ切り、大逆転での防衛を果たした。 以降藤沢は超一流の挑戦者を迎えるも毎年ことごとく撃退、50代で棋聖戦6連覇を果たした。しかし1983年の第7期、挑戦者の趙治勲は3連敗から残り4番を連勝して棋聖を奪取、世代交代を果たした(藤沢はこの時期胃ガンが進行していた)。 1986年、3連覇を果たした趙は兄弟子の小林光一を挑戦者に迎えるが、直前に交通事故で両足と左手を骨折する重傷を負う。不戦敗やむなしとの声もあった中、趙は車椅子で対局に臨み、逆境の中2勝を挙げるが力尽き、小林に棋聖を明け渡した。以降小林は8連覇を果たし、碁界の第一人者として君臨する。この間、加藤正夫は3度棋聖に挑み、奪取すれば趙に続くグランドスラム達成となったが、全て小林の壁に阻まれた。 1994年、小林の連覇を止めたのは、宿命のライバル・趙であった。その翌年、小林覚が挑戦者として登場。初挑戦にして趙を降して棋聖の座に就く。しかし翌年には趙がすかさず奪回。するとその翌年、再び小林覚が挑戦者となり、3年連続同一カードとなった。趙はこの対決を制し、再び大三冠に君臨した。 2000年、趙の5連覇による名誉棋聖獲得を阻んだのは王立誠であった。王の3連覇目、挑戦者に柳時熏を迎えた第5局で、柳はダメ詰めの最中にアタリを放置、王がこれを打ち抜いて逆転勝ちするという事態が生じた。立会人裁定で王の勝利が認められたが、ルール・マナー・美学など様々なレベルで物議を醸すことになった。 2001年、推薦棋士枠の存在や、出場人数が年ごとに一定しないことなど、批判の声があった最高棋士決定戦方式を取りやめ、挑戦者選定はAリーグ・Bリーグに6人ずつ属する2リーグ制に変更となった。 2003年、山下敬吾が挑戦者として登場。第4局の封じ手でハナヅケの妙手を放つなど王を圧倒し、4-1で棋聖を奪取する。しかし翌年は羽根直樹の粘りに屈し、1年で棋聖を明け渡した。2005年には結城聡が挑戦権を獲得、関西棋院の棋士として28年ぶりの七番勝負に挑んだが、3勝2敗から後を連敗し、関西の悲願は成らなかった。 翌2006年は山下敬吾が4-0のストレートで棋聖を奪回、翌年の小林覚の挑戦も4-0で降し、実力を見せつけた。2008年には「七番勝負の鬼」趙治勲を挑戦者に迎えたが、乱戦に次ぐ乱戦を制してフルセットで山下が防衛、翌2009年には、実力者依田紀基をも4-2で撃破し、4連覇を達成した。2003年から2010年まで、1期を除いて山下は毎年挑戦手合に登場しており、現代の「棋聖戦男」と呼ばれた。 2010年、山下が5連覇による名誉棋聖獲得、挑戦者の張栩がグランドスラムの達成、という対局者双方に大きな記録を懸けた勝負となった。結果は張栩が4-1で山下を降し、山下の名誉棋聖を阻むと共に史上二人目のグランドスラムを達成した。 2011年、前期にグランドスラムを達成した張栩と挑戦者・井山裕太によって争われた。張栩が、3勝2敗で防衛に王手を掛けた第6局2日目の3月11日には、対局場となった山梨県甲府市の常磐ホテルも地震に見舞われ、8分の一時中断後打ち切り、張栩が1目半勝で防衛に成功した。翌2012年も高尾紳路の挑戦をフルセットの末に降して3連覇を果たすが、2013年には井山裕太の再挑戦の前に4-2で棋聖を明け渡す。井山は23歳で史上最年少棋聖となると共に、史上初の六冠王、3人目のグランドスラム達成を果たした。 第41期まで、棋聖を冠したのはわずか9人。そのうち名誉棋聖の藤沢、小林光一、井山と、名誉棋聖にあと一歩まで届いた趙と山下の5人で通算32期を制している。 棋聖戦リーグ入りした棋士:王立誠、趙治勲、淡路修三、今村俊也、楊嘉源、石田篤司、柳時熏、石田芳夫、宮沢吾朗、長谷川直、彦坂直人、張栩、三村智保、山田拓自、羽根直樹、溝上知親、依田紀基、中小野田智己、小林覚、山下敬吾、王銘エン、結城聡、本田邦久、加藤充志、小松英樹、高尾紳路、山城宏、井山裕太、片岡聡、河野臨、清成哲也、李沂修、秋山次郎、瀬戸大樹、小林光一、村川大介、張豊猷、一力遼 名誉棋聖[編集] 棋聖を5連覇、または通算10期以上獲得した棋士は、引退後または60歳以降に「名誉棋聖」となる資格を得る。 棋士 通算 連覇 年 1 藤沢秀行 6期 6連覇 1977年-1982年 2 小林光一 8期 8連覇 1986年-1993年 3 井山裕太 5期(継続中) 5連覇(継続中) 2013年~ 歴代棋聖位と挑戦手合[編集] ○●は勝者から見た勝敗、網掛けはタイトル保持者。第1期はトーナメント決勝七番勝負。 回 開催年 優勝者 勝敗 準優勝者 1 1977年 藤沢秀行 ○●○○○ 橋本宇太郎 2 1978年 藤沢秀行 ●●○●○○○ 加藤正夫 3 1979年 藤沢秀行 ○○●○○ 石田芳夫 4 1980年 藤沢秀行 ○○●○○ 林海峰 5 1981年 藤沢秀行 ○○○○ 大竹英雄 6 1982年 藤沢秀行 ●○○●●○○ 林海峰 7 1983年 趙治勲 ●●●○○○○ 藤沢秀行 8 1984年 趙治勲 ○○○●●○ 林海峰 9 1985年 趙治勲 ○●●○●○○ 武宮正樹 10 1986年 小林光一 ○●●○○○ 趙治勲 11 1987年 小林光一 ○○○●○ 武宮正樹 12 1988年 小林光一 ○○○●○ 加藤正夫 13 1989年 小林光一 ●○○○○ 武宮正樹 14 1990年 小林光一 ○●○○○ 大竹英雄 15 1991年 小林光一 ●○○●○●○ 加藤正夫 16 1992年 小林光一 ●●○○●○○ 山城宏 17 1993年 小林光一 ●●○●○○○ 加藤正夫 18 1994年 趙治勲 ●○○○●○ 小林光一 19 1995年 小林覚 ●○●○○○ 趙治勲 20 1996年 趙治勲 ●○○○●●○ 小林覚 期 開催年 優勝者 勝敗 準優勝者 21 1997年 趙治勲 ○○●○○ 小林覚 22 1998年 趙治勲 ○○○●●○ 依田紀基 23 1999年 趙治勲 ○○●○●○ 小林光一 24 2000年 王立誠 ●○●○○○ 趙治勲 25 2001年 王立誠 ●○○●○○ 趙善津 26 2002年 王立誠 ○●●○○○ 柳時熏 27 2003年 山下敬吾 ○○●○○ 王立誠 28 2004年 羽根直樹 ○○○●●●○ 山下敬吾 29 2005年 羽根直樹 ○●○●●○○ 結城聡 30 2006年 山下敬吾 ○○○○ 羽根直樹 31 2007年 山下敬吾 ○○○○ 小林覚 32 2008年 山下敬吾 ○●○○●●○ 趙治勲 33 2009年 山下敬吾 ○○●●○○ 依田紀基 34 2010年 張栩 ○○○●○ 山下敬吾 35 2011年 張栩 ●○●○○○ 井山裕太 36 2012年 張栩 ●○●○○●○ 高尾紳路 37 2013年 井山裕太 ○○●●○○ 張栩 38 2014年 井山裕太 ○○○●●○ 山下敬吾 39 2015年 井山裕太 ○○○●●●○ 山下敬吾 40 2016年 井山裕太 ○○○○ 山下敬吾 41 2017年 井山裕太 ●○○●○○ 河野臨 挑戦者決定トーナメント出場選手[編集] ◎は挑戦者。 期 年度 S1位 S2位 A1位 B1位 B1位 C1位 40 2016 山下敬吾 ◎ 村川大介 河野臨 山田規三生 淡路修三 許家元 41 2017 河野臨 ◎ 山下敬吾 張栩 趙治勲 結城聡 志田達哉 Sリーグ[編集] ◎は1位通過。○は2位通過。▼は降格。 棋聖位 1位 2位 3位 4位 5位 6位 40 井山裕太 山下敬吾 ◎ 村川大介 ○ 高尾紳路 依田紀基 山城宏 ▼ 小林覚 ▼ 41 井山裕太 山下敬吾 ○ 村川大介 依田紀基▼ 高尾紳路▼ 河野臨 ◎ 一力遼 個人記録[編集] 第41期まで。棋聖在位、七番勝負出場は第40期以降、()内は第1期からの通算。 氏名 棋聖在位 七番勝負出場 挑決T出場 (棋聖在位含む) Sリーグ残留 (棋聖在位含む) Sリーグ参加 (棋聖在位含む) 通算 連続 通算 連続 通算 連続 通算 連続 通算 連続 井山裕太 2(5) 2(5) 2(6) 2(5) 2 2 2 2 2 2 山下敬吾 0(5) 0(4) 1(9) 1(5) 2 2 2 2 2 2 河野臨 0 0 1 1 2 2 1 1 1 1 村川大介 0 0 0 0 1 1 2 2 2 2 趙治勲 0(8) 0(4) 0(12) 0(7) 1 1 0 0 0 0 張栩 0(3) 0(3) 0(4) 0(4) 1 1 0 0 0 0 山田規三生 0 0 0 0 1 1 0 0 0 0 淡路修三 0 0 0 0 1 1 0 0 0 0 許家元 0 0 0 0 1 1 0 0 0 0 結城聡 0 0 0 0 1 1 0 0 0 0 志田達哉 0 0 0 0 1 1 0 0 0 0 依田紀基 0 0 0(2) 0(1) 0 0 1 1 2 2 高尾紳路 0 0 0(1) 0(1) 0 0 1 1 2 2 一力遼 0 0 0 0 0 0 1 1 1 1 小林覚 0(1) 0(1) 0(4) 0(3) 0 0 0 0 1 1 山城宏 0 0 0 0 0 0 0 0 1 1 各段戦・全段争覇戦成績[編集] 回 全段争覇戦 九段戦 八段戦 七段戦 六段戦 五段戦 四段戦 三段戦 二段戦 初段戦 1 加藤正夫 白石裕 加藤正夫 小林光一 佐藤昌晴 宮沢吾朗 時本壱 王立誠 笠井浩二 伊藤庸二 2 林海峰 林海峰 苑田勇一 黒田幸雄 佐藤昌晴 山城宏 新垣武 笠井浩二 伊藤庸二 井上真知子 3 坂田栄男 大竹英雄 茅野直彦 趙治勲 中村秀仁 上村陽生 王立誠 河野征夫 土井誠 井上真知子 4 橋本昌二 林海峰 酒井猛 佐藤昌晴 金島忠 小林覚 石橋千濤 神田英 小松藤夫 J.カーウィン 5 趙治勲 坂田栄男 趙治勲 福井正明 菅野清規 新垣武 小林健二 王銘琬 池崎世典 新海洋子 6 小林光一 白石裕 石田章 長谷川直 山城宏 片岡聡 黄孟正 王銘琬 関和也 依田紀基 7 小林光一 牛之浜撮雄 羽根泰正 佐藤昌晴 王立誠 神田英 今村俊也 石倉昇 日高敏之 鄭銘琦 8 淡路修三 林海峰 淡路修三 清成哲也 新垣武 彦坂直人 依田紀基 森山直棋 恩田烈彦 横地進 9 小林覚 小林光一 川本昇 小林覚 新垣武 趙祥衍 石倉昇 村松竜一 鄭銘琦 平野則一 10 (廃止) 羽根泰正 上村陽生 宮沢吾郎 彦坂直人 橋本雄二郎 安田泰敏 藤沢一就 森田道博 山田和貴雄 11 羽根泰正 王立誠 宮沢吾郎 王銘琬 石倉昇 村松竜一 中小野田智巳 星野正樹 島田義邦 12 趙治勲 王立誠 王銘琬 依田紀基 小松英樹 趙善津 西村慶二 三村智保 奥村靖 13 大平修三 片岡聡 依田紀基 小松英樹 結城聡 山田和貴雄 島田義邦 松岡秀樹 大木啓司 14 林海峰 今村俊也 依田紀基 小松英樹 円田秀樹 篠田秀行 揚嘉栄 宮崎志摩子 小山竜吾 15 加藤正夫 久島国夫 依田紀基 結城聡 森田道博 松岡秀樹 井口秀一郎 有村比呂司 宮崎龍太郎 16 大平修三 王銘琬 森山直棋 橋本雄二郎 楊嘉源 柳時熏 有村比呂司 関山利道 黒滝正憲 17 加藤正夫 依田紀基 小松英樹 三村智保 中小野田智巳 柳時熏 加藤充志 河野貴至 高尾紳路 18 王銘琬 小県真樹 結城聡 三村智保 矢田直己 剣持丈 河野貴至 高尾紳路 河野光樹 19 小林覚 結城聡 森田道博 山田規三生 剣持丈 羽根直樹 高尾紳路 山下敬吾 田原靖史 20 加藤正夫 結城聡 宋光復 山田規三生 遠藤悦史 黒滝正憲 溝上知親 山下敬吾 鈴木嘉倫 21 片岡聡 趙善津 三村智保 星野正樹 加藤充志 溝上知親 山下敬吾 山田拓自 小林泉美 22 小林光一 結城聡 楊嘉源 加藤充志 中尾準吾 蘇耀国 鈴木嘉倫 金秀俊 稲垣陽 23 王立誠 広江広之 大垣雄作 秋山次郎 山下敬吾 古谷裕 桑本晋平 小林泉美 山本賢太郎 24 小林覚 大垣雄作 山田規三生 溝上知親 蘇耀国 金秀俊 河合将史 張豊猷 山本賢太郎 参考図書[編集] 『棋聖決定七番勝負 激闘譜』読売新聞社 1977年― 外部リンク[編集] 日本棋院 棋聖戦 読売新聞 棋聖戦 脚注[編集] ^ 水口藤雄『囲碁の文化誌』(日本棋院) ^ 日本棋院HP 棋聖戦挑戦者決定システムが一新―第40期より ^ 日本棋院HP 棋聖戦挑戦者決定システムが一新―第40期より ^ 「棋聖戦」初の4段階リーグ創設読売新聞 2014年10月27日 ^ ちなみに第1期の推薦棋士は橋本宇太郎。橋本は各段戦(九段戦)1回戦で敗退していた。 関連項目[編集] 囲碁タイトルの在位者一覧 棋聖戦 (韓国) 竜王戦 - 読売新聞社主催の将棋の棋戦。 棋聖戦 (将棋) - 主催は産経新聞社。 --------- 棋譜 Question book-4.svg この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2015年12月) 出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2015年12月) チェスの棋譜 (カパブランカ) Eisenberg vs Capablanca 1909 棋譜(きふ)とは囲碁・将棋・チェスなどのボードゲームにおいて、互いの対局者が行った手を順番に記入した記録を指す。また同時に、棋譜が記入された用紙(つまり棋譜用紙)を意味する場合もある。 目次 [非表示] 1 概要 2 チェスの棋譜 2.1 駒の表記 2.2 代数式と記述式の比較 2.2.1 代数式と記述式の共通点 2.3 代数式 2.3.1 曖昧さの回避 2.3.2 その他 2.4 記述式 2.4.1 記述式の列 2.4.2 記述式の行 2.5 その他の表記法 2.6 指し手の評価 3 将棋の棋譜 4 シャンチーの棋譜 5 囲碁の棋譜 6 チェッカーの棋譜 7 オセロの棋譜 8 バックギャモンの棋譜 9 他 10 記録の義務 10.1 チェス 10.2 将棋 10.3 囲碁 10.4 他 11 棋譜と著作権 11.1 チェス 11.2 将棋 11.3 囲碁 12 コンピュータ上での棋譜保存 12.1 チェス 12.2 チェッカー 12.3 コントラクトブリッジ 12.4 将棋 12.5 囲碁 13 注釈 14 参考文献 15 外部リンク 概要[編集] 正確な棋譜があれば、対局後もゲームの再現が可能となる。具体的な手だけでなく、対局者名・対局日・対局場所・考慮時間・戦型などが書き込まれる場合も多い。 その役割としては、野球やバレーボールなどのスコアブックに近い。 チェスの棋譜[編集] チェスは、公式戦では対局者自らが棋譜を記入する必要があるため、専用の棋譜用紙も販売されている。 棋譜の付け方には、主に代数式と記述式の2種類の表記法がある。書籍などでは、代数式と記述式以外の表記法はほとんどない。1980年代までは記述式の書籍も多数出版され、いずれも公式の記録法であった。しかし1981年に国際チェス連盟が代数式を唯一の公式記録法と定めたため、書籍でも現在はほとんど例外なく代数式である。 駒の表記[編集] 駒の表記文字が何になるかは、下記の通り国によって異なる。日本では英米式に準拠している。   キング クイーン ルーク ビショップ ナイト ポーン 英・米 K Q R B N P ドイツ K D T L S B フランス R D T F C P スペイン R D T A C P どこの国にも対応できるように、実際の駒の形を使った表記もある。この方法は「figure notation」と呼ばれている。 Unicodeでのfigure notation   キング クイーン ルーク ビショップ ナイト ポーン 白の駒 ♔ ♕ ♖ ♗ ♘ ♙ 黒の駒 ♚ ♛ ♜ ♝ ♞ ♟ 例: 「1.Nf3」は「1.♘ f3」となる。 代数式と記述式の比較[編集] 2つの表記法(それぞれの内容については、次項以下で解説) 代数式 Algebraic Notation   記述式 Descriptive Notation 手 白 黒   手 白 黒 1 e4 e5   1 P-K4 P-K4 2 Nf3 Nc6   2 N-KB3 N-QB3 3 Bb5 a6   3 B-N5 P-QR3 4 Bxc6 dxc6   4 BxN QPxB 5 0-0 f6   5 0-0 P-B3 6 d4 exd4   6 P-Q4 PxP 7 Nxd4 c5   7 NxP P-QB4 8 Nb3 Qxd1   8 N-N3 QxQ 9 Rxd1 Bd7   9 RxQ B-Q2 10 Bf4 0-0-0   10 B-B4 0-0-0局面図 (10手目まで) a b c d e f g h 8 Chessboard480.svg c8 black king d8 black rook f8 black bishop g8 black knight h8 black rook b7 black pawn c7 black pawn d7 black bishop g7 black pawn h7 black pawn a6 black pawn f6 black pawn c5 black pawn e4 white pawn f4 white bishop b3 white knight a2 white pawn b2 white pawn c2 white pawn f2 white pawn g2 white pawn h2 white pawn a1 white rook b1 white knight d1 white rook g1 white king 8 7 7 6 6 5 5 4 4 3 3 2 2 1 1 a b c d e f g h 10...0-0-0 代数式と記述式の共通点[編集] 駒の動きは「駒」+「移動後のマス」で表す。 ただし、代数式でポーンの動きを表すときは、「駒」を省略する。 相手の駒を取る場合は、「駒」+「x」+「移動後のマス(記述式では取られる駒)」とする。「x」は敵駒の捕獲を表し、「takes(テイクス)」または「captures(キャプチャーズ)」と読む[1]。 キング側へのキャスリングは 「0-0」、クイーン側は 「0-0-0」 で表す。 白と黒が、それぞれ駒を動かして1手と数える[2]。 白と黒の指し手は、通常セットで表記される。(例:「1. e4 e5」) 指し手を単独で表記する場合、黒の手には「...」を加える。(例: 白「1. e4」 黒「1. ... e5」) 代数式[編集] チェスボードの左下のマス(a1)を基点にして、全体のマスを座標式に表記した方法。英語では「Algebraic chess notation」、または「Algebraic (code) notation」と呼ばれている。書籍によっては「国際式」や「座標式」などの日本語訳もあるが、現在では「代数式」の表現が最も多い。 「代数式」は現在のチェスの標準となっている表記法で、ほとんどの書籍・雑誌・新聞で採用されている。 記述式とは異なり、白側から見ても黒側から見ても同じ表記になる。 FIDE(国際チェス連盟)も、この代数式の表記法を正式に採用している。 白を手前にして、チェスボードの左下のマス(a1)を基点とする。 横方向(→)に  a、b、c、d、e、f、g、h 縦方向(↑)に  1、2、3、4、5、6、7、8 Algebraic notation a8 b8 c8 d8 e8 f8 g8 h8 a7 b7 c7 d7 e7 f7 g7 h7 a6 b6 c6 d6 e6 f6 g6 h6 a5 b5 c5 d5 e5 f5 g5 h5 a4 b4 c4 d4 e4 f4 g4 h4 a3 b3 c3 d3 e3 f3 g3 h3 a2 b2 c2 d2 e2 f2 g2 h2 a1 b1 c1 d1 e1 f1 g1 h1    代数式表記法  Algebraic chess Notation 手 白 黒 意 味 1 e4 e5 白はポーンをe4へ移動させた。黒はポーンをe5へ移動させた。代数式はPを省略する。 2 Nf3 Nc6 白はナイトをf3へ、黒はナイトをc6へ移動させた。 3 Bb5 a6 白はビショップをb5に移動させた。黒はポーンをa6に移動させた。 4 Bxc6 dxc6 白はビショップでc6のナイトを取った。そのビショップを黒はdファイルのポーンで取った。 5 0-0 f6 白はキングサイドにキャスリングを行った。黒はポーンをf6に移動させた。 6 d4 exd4 白はポーンをd4に移動させた。黒はそのポーンをe5のポーンで取った。 7 Nxd4 c5 白はナイトでd4のポーンを取った。黒はポーンをc5に移動させた。 8 Nb3 Qxd1 白はナイトをb3に移動させた。黒はクイーンで白のクイーンを取った。 9 Rxd1 Bd7 白はルークで黒のクイーンを取った。 黒はビショップをd7に移動させた。 10 Bf4 0-0-0 白はビショップをf4に移動させた。黒はクイーンサイドにキャスリングを行った。 a b c d e f g h 8 Chessboard480.svg a3 white circle c3 white rook a1 white rook 8 7 7 6 6 5 5 4 4 3 3 2 2 1 1 a b c d e f g h 動ける駒が複数ある場合 曖昧さの回避[編集] 動ける駒が複数ある場合は、駒の記号の直後に動く前の場所を書く。 動く前の場所はファイルまたはランクどちらか一文字で構わない。結果的に2通りの書き方が生じるが、曖昧さが無くなればどちらの書き方でも問題ない。 例えば右図のように、a1とc3にルークがあったとする。現在、白丸の地点へルークを移動させた。しかし「Ra3」と書いてしまうと、どちらのルークを動かしたのか判断できなくなってしまう。そこで、 c3のルークを動かした場合は、「Rca3」または「R3a3」と表記する。 a1のルークを動かした場合は、「Raa3」または「R1a3」と表記する。 その他[編集] アンパッサンは末尾に 「e.p. 」 と記す。 → 例: e5のポーンがd5のポーンを捕獲した場合は 「exd6 e.p. 」 ポーンのプロモーションは、末尾に昇格した駒を付ける。 → 例: 「b8=Q」または「b8Q」[3] チェックは「+」で、チェックメイトは 「#」 で表す。ダブルチェックは「++」となる。 ゲームの結果の表記は次の通り。 → 白勝ち:1-0、黒勝ち:0-1、引き分け:1/2-1/2 さらに代数式の表記法には、下記のようなバリエーションもある。一部の書籍などで使われている。 Abbreviated Algebraic Notation : 省略した形の代数式表記法。「+」や「x」の記号を省略する。 Long Algebraic Notation[4] : 長くて完全な形の代数式表記法。例えば「1.e4 Nf6」を、「1.e2-e4 Ng8-Nf6」と表現する。 記述式[編集] 記述式は現在はあまり用いられないが、19世紀からある伝統的な表記方法である。古いチェスの書籍(特に名著)には、記述式で書かれた物が数多く存在している。 記述式は代数式よりも、棋譜を付けるのに多くの字数が必要となる。そのためチェス・クロックを使った実戦では、時間切れになりそうな場合に非常に不利となる。 記述式では「-」(ハイフン)が用いられるが、これは日本語の「~へ」「~に」(英語の「to」)に相当する。 → 例:P- K4(ポーンをK4へ移動させた。) P(ポーン)を省略しない点も、記述式の特徴の一つである。 記述式の列[編集] ファイル(縦の列)の列名は、左端から次のようになっている。初期配置のチェスボードに合わせてあり、この名を好んで使用するプレイヤーも多い。 これらは「King's Pawn Opening」や「Queen's Pawn Opening」などの名前の由来にもなっている。 駒の初期配置 a b c d e f g h 8 Chessboard480.svg a8 black rook b8 black knight c8 black bishop d8 black queen e8 black king f8 black bishop g8 black knight h8 black rook a7 black pawn b7 black pawn c7 black pawn d7 black pawn e7 black pawn f7 black pawn g7 black pawn h7 black pawn a2 white pawn b2 white pawn c2 white pawn d2 white pawn e2 white pawn f2 white pawn g2 white pawn h2 white pawn a1 white rook b1 white knight c1 white bishop d1 white queen e1 white king f1 white bishop g1 white knight h1 white rook 8 7 7 6 6 5 5 4 4 3 3 2 2 1 1 a b c d e f g h クイーンサイド(Q)とキングサイド(K) QR QN QB Q K KB KN KR QR QN QB Q K KB KN KR QR QN QB Q K KB KN KR QR QN QB Q K KB KN KR QR QN QB Q K KB KN KR QR QN QB Q K KB KN KR QR QN QB Q K KB KN KR QR QN QB Q K KB KN KR チェスボードの左端から QR:クイーン・ルーク QN:クイーン・ナイト QB:クイーン・ビショップ Q:クイーン K:キング KB:キング・ビショップ KN:キング・ナイト KR:キング・ルーク 記述式の行[編集] 代数ではなく、「QR」「KN」といった初期配置の駒の位置で列(ファイル)を表現する方法。英語では「Descriptive chess notation」、または「Descriptive (code) notation」と呼ばれている。書籍によっては「英米式」[5]などの日本語訳もあるが、現在では「記述式」の表現が最も多い。 記述式の最大の特徴は、白側と黒側で行(ランク)の数字が逆になり、座標が二重化・複雑化する点である。 例えば白の「P-K4」と黒の「P-K4」は、ポーンを同じマスに移動させたのではない。それぞれ、代数式の「e4」「e5」にあたる。 記述式の棋譜を扱う場合は、白側と黒側とで異なる対応表を使用した方がわかりやすい。 白の手前(↑)から  1、2、3、4、5、6、7、8 黒の手前(↓)から  1、2、3、4、5、6、7、8    ↓ 黒から見た記述式の対応表 ↓ QR8 QN8 QB8 Q8 K8 KB8 KN8 KR8 QR1 QN1 QB1 Q1 K1 KB1 KN1 KR1 QR7 QN7 QB7 Q7 K7 KB7 KN7 KR7 QR2 QN2 QB2 Q2 K2 KB2 KN2 KR2 QR6 QN6 QB6 Q6 K6 KB6 KN6 KR6 QR3 QN3 QB3 Q3 K3 KB3 KN3 KR3 QR5 QN5 QB5 Q5 K5 KB5 KN5 KR5 QR4 QN4 QB4 Q4 K4 KB4 KN4 KR4 QR4 QN4 QB4 Q4 K4 KB4 KN4 KR4 QR5 QN5 QB5 Q5 K5 KB5 KN5 KR5 QR3 QN3 QB3 Q3 K3 KB3 KN3 KR3 QR6 QN6 QB6 Q6 K6 KB6 KN6 KR6 QR2 QN2 QB2 Q2 K2 KB2 KN2 KR2 QR7 QN7 QB7 Q7 K7 KB7 KN7 KR7 QR1 QN1 QB1 Q1 K1 KB1 KN1 KR1 QR8 QN8 QB8 Q8 K8 KB8 KN8 KR8 ↑ 白から見た記述式の対応表 ↑    記述式表記法  Descriptive chess Notation 手 白 黒 意 味 1 P-K4 P-K4 白はポーンをK4へ、黒はポーンをK4へ移動させた。記述式はPを省略しない。 2 N-KB3 N-QB3 白はナイトをKB3へ、黒はナイトをQB3へ移動させた。 3 B-N5 P-QR3 白はビショップをQN5に移動させた[6]。黒はポーンをQR3に移動させた。 4 BxN QPxB 白はビショップでナイトを取った。そのビショップを黒はクイーン・ポーンで取った。 5 0-0 P-B3 白はキングサイドにキャスリングを行った。黒はポーンをKB3に移動させた。 6 P-Q4 PxP 白はQ4にポーンを移動させた。黒はそのポーンをポーンで取った。 7 NxP P-QB4 白はナイトでポーンを取った。黒はポーンをQB4に移動させた。 8 N-N3 QxQ 白はナイトをQN3に移動させた。黒はクイーンで白のクイーンを取った。 9 RxQ B-Q2 白はルークでクイーンを取った。黒はビショップをQ2に移動させた。 10 B-B4 0-0-0 白はビショップをKB4に移動させた。黒はクイーンサイドにキャスリングを行った。 その他の表記法[編集] (図1)郵便チェス International Postal Chess Notation (図2)電報チェス Uedemann Code (図1)郵便チェスには、「5254」のように数字のみの表記法がある。 (図2)電報チェスには、「GEGO」のようにアルファベットのみの表記法もある。 ※両方とも代数式の「1.e4」を表している。 指し手の評価[編集] 書籍・雑誌などにおいてチェスの指し手の評価には一般に次の記号が用いられている。 !! 絶妙手 ! 好手 ? 疑問手 ?? 大悪手 !? 注目すべき手 ?! 疑わしい手 ± 白が優勢(上下逆の記号は「黒が優勢」) +- 白が勝勢 -+ 黒が勝勢 = 形勢互角 ∞ 形勢不明 将棋の棋譜[編集] Shogi zhor 22.png 91 81 71 61 51 41 31 21 11 92 82 72 62 52 42 32 22 12 93 83 73 63 53 43 33 23 13 94 84 74 64 54 44 34 24 14 95 85 75 65 55 45 35 25 15 96 86 76 66 56 46 36 26 16 97 87 77 67 57 47 37 27 17 98 88 78 68 58 48 38 28 18 99 89 79 69 59 49 39 29 19 Shogi zver 22.png 将棋の棋譜の表記例 基本的な考え方はチェスの代数式と同様である。 石本検校 vs 大橋柳雪 (1839年) 先手、もしくは下手を下として、盤面を右上を基点として、横を1、2、……、9、縦を一、二、……、九とし、手番と進んだ先、駒を示す。例えば、第一手で先手が角道を開ける手は、「▲7六歩」である。▲は先手、△は後手を示し、印刷物では将棋の駒をかたどったもの(☗(Unicode文字参照2617)=Shogi kifu sente.png、☖(2616)=Shogi kifu gote.png)を使うことが多い。 ただし、日本将棋連盟では、漢数字を使わずにすべて算用数字で棋譜を記録するように定めてある[7]。 直前の相手の移動先の駒もしくは打った駒を取る場合は、「同」を用いて移動先は用いない。なお、「同」を用いるのは直前に相手が移動もしくは打った駒を取る場合のみであり、それ以外の駒を取る場合は通常通り移動先を用いる。 移動によって成ることができる場合、成った場合は「成」、成らなかった場合は「不成」(「ならず」と読む)を付け加える。ルール上成れない場合「不成」は付けない。但しルール上必ず成らなければいけない場合(歩や香が最前線に移動した場合)は「成」を付ける。なお、字数を減らす、あるいは字数を整えるためなどの理由により「不成」を「生」と表記することもある。 詰将棋においては、特に駒の種類を特定しなくてもよい合駒を「合」と表記することがある(「△2三合」など)。また、「合駒である」ということを強調するため、指し手に「△2三銀合」などと「合」を加えることもある。 上記の表現のみではどの駒を動かしたのか特定できない場合は、さらに以下の文字を付記して区別する。 「打」(うち、うつ) その位置に盤上の同種の駒が移動できる位置に持ち駒を打った場合、駒の後ろに「打」をつける。右の図で、持ち駒の銀将を7三に打ったときは「▲7三銀打」となるが、7二に打ったときは7二に動ける盤上の銀は存在しないので単に「▲7二銀」となる。 「寄」(よる)「引」(ひく)「上」(あがる) その位置に盤上の同種の別の駒が移動できる位置に盤上の駒を移動させた場合「寄」「引」「上」によって具体的な移動を記述する。横方向にのみ移動し縦方向の移動がなかった場合は「寄」、縦方向に1段以上下がった場合は横方向への移動に関係なく「引」、縦方向に1段以上上がった場合はこちらも横方向への移動に関係なく「上」で表す。なお、縦方向への昇降は指した主体から見てのものであり、先手の側からではない。 「右」(みぎ)「左」(ひだり)「直」(すぐ) 「寄」「引」「上」では判断不可能な場合は「右」「左」「直」で区別する。桂馬は「上」以外の動きができない駒であり、3枚以上が同じ場所に移動できることはあり得ないため2枚のうち「右」と「左」どちらにあった方を動かしたかだけで区別する。銀将、金将(成金を含む)の場合は動いた先から見た元の位置が左右どちらにあるかで表し、まっすぐ上に上がった場合は「直」となる。なお、まっすぐ下に下がる場合は考える必要はない。まず、銀はそもそもまっすぐ下に下がれない(但し反則が発生した場合はこの限りではない)。金(成金も含む)の場合、まっすぐ下に下がる動きは「引」に当たるが、金(成金も含む)ができる「引」の動きはまっすぐ下に下がる動きだけなので「引」で必ず区別がつく(但し反則が発生した場合はこの限りではない)。角行、飛車、竜馬、竜王の場合は2枚までしか盤上に存在し得ないので同種の別の駒から見て左右どちらにあったかで表し、「直」は使わない。2枚とも同じ筋にあって左右が区別できない場合も考えられるが、この場合「寄」「引」「上」で判別できるため考える必要はない(但し反則が発生した場合はこの限りではない)。右の図で、1三の竜が2四に動いたときは「▲2四竜右」、2二の竜が動いたときは「▲2四竜左」となる(▲2四竜引ではどちらの竜が動いたが判別できない)。なお、ここでの左右も縦方向への昇段と同様指した主体から見てのものであり、先手の側からではない。また、「右」「左」は動かす前の位置を表してるのであり、「寄」「引」「上」のように動いた方向を表してるわけではないので注意が必要である(例えば銀将や金将に「右」がついた場合、動かす前は右にあった駒を表してるのであり、動いた方向は左である)。 銀将、金将(成金を含む)の場合、「寄」「引」「上」と「右」「左」が複合する場合もある(「直」はまっすぐ上に上がる場合にしか使われないので動く方向は「上」しか考えられないので複合することはない)。右の図で、4二のと金が5一に移動した場合、「▲5一と右上」となる(「上」だけでは5二のと金と区別が付かず、「右」だけでは4一のと金と区別が付かないので両方付記する必要がある)。なお、他の駒はどちらか片方だけで判別できるので複合することはない(但し反則が発生した場合はこの限りではない)。銀将と金将(成金を含む)の場合もこの複合だけで全て判別できる(但し反則が発生した場合はこの限りではない)。 表記順序は(先手or後手)、〔{(移動先の筋)、(移動先の段)}or「同」〕、(移動させた(打ったのも含む)駒の移動させる前の種類)、(「右」or「左」or「直」)、(「寄」or「引」or「上」)、(「成」or「不成」or「打」)の順である。例えば右の図で、先手が8四の銀将を9三に動かし、成ったときは「▲9三銀右上成」となる。 速記する場合は下のような略記法を使うことがある。略記法ではアラビア数字だけを用い、漢数字は用いない。 歩兵 香車 桂馬 銀将 金将 角行 飛車 玉将 フ、・ 禾 土 ヨ 人 ク ヒ、乙 玉 原始筋違い角戦法の出だしの棋譜を例にあげる。 ▲7六歩 △3四歩 ▲2二角成 △同銀 ▲4五角 △6二銀 ▲3四角 △3二金 シャンチーの棋譜[編集] 詳細は「シャンチー#棋譜の表記方法」を参照 シャンチーの手は「炮二平五」のように記す。この例は「炮の駒を二筋から真横に五筋へ移動」を意味する。チェスや将棋と異なり、左右方向の筋(競技者から見て右から左へ数える。)のみを記し、上下方向の座標は記さない。同じ筋でも先手と後手で異なる数字になることに注意。なお後手は算用数字を使用する。移動方向にはこの例の「平」のほかに「進」(上方向)、「退」(下方向)がある。真上または真下に移動する場合、移動後の筋のかわりに移動量を一から九までの数字で表す。 同じ筋に同じ種類の駒が2枚または3枚ある場合は、駒名の前に「前・中・後」をつけることで区別する。この場合、あいまいさがなければ移動前の位置は省略される。 囲碁の棋譜[編集] 囲碁の盤面図を印刷した用紙(碁罫紙)に、1手目から終局までの着手点を、1からの数字で順に記録したもの。現在では、記入の際には黒番と白番を別の色(黒と赤など)で書き分けて見やすくし、印刷する場合には黒番の着手を黒丸に白色数字、白番の着手を白丸に黒色数字で表示する。1局の全着手を1枚の盤面図に記載したものを総譜と呼ぶ。解説書や新聞の観戦記などでは見やすくするために数十手毎に複数の図に分割して記載することが多い。石取りなどで石が存在しなくなった箇所に打たれた場合や、コウなどで複数回同じ場所に打たれた場合は、「160は158の下」「159(157)」「159コウトリ(153)」などと盤面図の外に記す。また終局時のダメを詰める過程の着手(黒白どちらがその点に打っても地の増減に影響しない着手)は省略することが多い。 盤面の向きは、先手番の者から見た盤面となるようにするのが通例だが、後手番の者が記録した場合には逆向きになっていることもある。 持ち時間の決まっている公式戦などで、一手打つのにかかった所要時間の記録が必要な場合には、通常の棋譜と同時に所要時間の表を作る。 特に囲碁では棋譜を記録することを採譜と呼ぶ。 チェッカーの棋譜[編集] チェッカーではチェスと違って駒が動けるマス目に通し番号を振る。白から見て左上端を1として、左から右へ、上から下へと数える。国際ドラフツの場合は1から50までの番号がつけられる。移動前のマスと移動後のマスの番号をハイフンでつなぐ。駒を取るときはハイフンのかわりに「x」を記す[8]。 オセロの棋譜[編集] オセロでは単に座標のみを記す。座標は左から右に a…h、上から下(チェスと逆)に 1…8 で記す[9]。 バックギャモンの棋譜[編集] バックギャモンでは、「51: 10/5 6/5」のように記す。「51:」は2つのダイスの目が5と1だったことを意味し、10/5 は10ポイントから5ポイントへ移動したことを意味する。ヒットは後ろに * をつける。ポイントは1から24までで、バーは 25、ベアオフは 0 と記す[10]。 他[編集] 麻雀では牌譜と呼ばれる。 記録の義務[編集] 管轄する団体によって異なるが、次回の対戦に生かすため棋譜をまとめている者も少なくない。 チェス[編集] 公式戦では必ず対局者本人が一手指すごとに、専用の用紙にペンで記録することが義務づけられており、例外は認められていない。ゲーム終了後は棋譜用紙(またはコピー)を大会の主催者へ提出する必要がある。 将棋[編集] アマチュアだけでなくプロ同士の対局でも、対局者自身が棋譜を付ける義務はない。主催者やスポンサーによって公開が予定されている対局では、記録者が用意されるケースがほとんどである。当日に記録者がいない場合は、終了後か後日にまとめて書き留める。 囲碁[編集] 日本棋院では、勝者が棋譜を提出することを義務付けている。その他については将棋と同様である。 他[編集] チェッカーやバックギャモンでは棋譜(記録)を付ける義務はない。熱心なプレイヤーが自発的に付ける場合もあるが、ゲーム内容は記録しないのが一般的である。 棋譜と著作権[編集] Unbalanced scales.svg この節は中立的な観点に基づく疑問が提出されているか、議論中です。そのため偏った観点から記事が構成されているおそれがあります。議論はノートを参照してください。(2010年12月) 日本において、棋譜に著作権があるのか否かについては、さまざまな議論が行われており、法律の専門家の中にも著作権ありとする見解[11]も、著作権を否定する見解[12]もある。裁判に訴えた事例は無いため、判例は存在しない。 チェス[編集] 「棋譜(score)は単なる事実の記述なので、パブリックドメインとして自由に扱ってよい」という古くからの慣例があり、FIDEと海外の下部組織はこれを踏襲している。しかし日本チェス協会(JCA)は公式ルールの翻訳文に原文にない語句を追加し、国際慣習に反して主催者(JCA)に権利があると主張している(詳細は「日本チェス協会#会則・規程の諸問題」参照)。 高度な棋譜データベースソフトでは、ある対局者が用いたオープニングの種類と頻度、そのオープニングに対して勝率の高いディフェンスなど、特定の条件で検索する機能を有しているものがある。またそれに近いサービスをインターネット上に構築しているサイトも数多くある。また近年では競技会終了後に、公式サイト上に棋譜がまとめて公開されることも多い。 日本国外では将棋や囲碁についても、棋譜は「著作物ではなく記録」というチェスの慣例があるためか、後述のように管轄団体が規約で禁止していてもネット上で棋譜が出回る例もある。 将棋[編集] 日本将棋連盟は、過去には法的根拠は無い(棋譜に著作権は無い)とした上で、収入問題に発展しかねないので頒布を控えてほしいとの「お願い」をネットコミュニティに対して行っていた[13]が、最近では、棋譜に著作権ありとして、許諾を得ない掲載や転載を禁じているケースもあり[14]、必ずしもスタンスは一定していない。一時、江戸時代の棋譜に著作権を主張し、物議をかもしたこともある(後に撤回された)。2012年2月現在、ニコニコ動画においては現役故人を問わず日本将棋連盟所属棋士の棋譜に著作権を主張し、棋譜を機械的に再生した動画を削除させている。 著作権は別にして、将棋連盟の主な収入が棋譜掲載の権利によることから、棋戦スポンサーである新聞社の優先掲載権に対して一定の配慮を行うというポリシーを取る棋譜掲載サイトも多いが、一方で全く配慮せず自由に掲載するサイトもあり対応はまちまちであり、個人主催の棋譜データベースサイトが多数運営されている。 囲碁[編集] 日本棋院・関西棋院は、棋譜に著作権があると主張しており、許諾を得ずに棋譜を公開したり配布したりすることを禁じている。一方で海外ではチェスの慣習から、日本国内棋戦の棋譜が海外サイト経由で出回るという状況となっている。将棋と同様に個人サイトの対応もまちまちであり、データベースサイトに関しても同様である。 コンピュータ上での棋譜保存[編集] Smart Game Format (SGF)の様な共通のファイル形式も存在するが、囲碁を除くと普及度は低い。 チェス[編集] Portable Game Notation(PGN)形式が事実上の標準である。 インターネット上に公開されている棋譜は大多数がPGN形式のため、大半のチェス関連ソフトは対応している。 盤面図についてはForsyth-Edwards Notation(FEN)が標準として使用される。 チェッカー[編集] Portable Draughts Notation (PDN, 英語版) が標準である。PDN 3.0 はUnicodeに対応しており、オセロにも使用することができる[15]。 コントラクトブリッジ[編集] Portable Bridge Notation (PBN)が存在する[16]。 将棋[編集] コンピュータ将棋協会が策定した「CSA形式」以外にも「柿木形式」「PSN形式」など、多数のフォーマットがあるため、ソフトが読めない形式の棋譜ファイルを利用する際は、ファイルコンバータが必要である。 囲碁[編集] SGFが一般的であるが、その他の独自形式も存在する。 注釈[編集] ^ 「x」ではなく、「:」(コロン)が使用されることもある。 ^ つまりチェスの1手は、将棋や囲碁の2手に相当する。 ^ 「=」の記号はドロー・オファーなどに使用されるため、国際チェス連盟(FIDE)では「b8/Q」を標準としている。 ^ 「Full Algebraic Notation」とも呼ばれている。 ^ 以前は英語の方でも、「English Descriptive Notation」と呼ばれていた。 ^ 「B-N5」について→「N5」だけだと「QN5」なのか「KN5」なのか紛らわしいが、局面上明確な場合は省略することができる。 ^ 『よくあるご質問:棋譜の表記方法』 日本将棋連盟。 ^ PDN 3.0 standard ^ Othello, Mattel ^ 実例は以下を参照: 『棋譜鑑賞室』 日本バックギャモン協会。 ^ 加戸守行『著作権法逐条講義・五訂新版』著作権情報センター、2006年 ^ 渋谷達紀『知的財産法講義II 第2版 著作権法・意匠法』有斐閣、2007年 ^ http://bug.org/ML/shogi/onegai.txt ^ 大和証券杯ネット将棋利用規約http://www.daiwashogi.net/agreement.html ^ PDN 3.0 standard 1.0 documentation, World Draughts Federation ^ PBN Homepage 参考文献[編集] 「Chess Training」 Nigel Povah 著 CADOGAN Chess ISBN 1-85744-170-2 「チェスの本」 フランソワ・ル・リヨネ 著 成相恭二 訳 白水社 ISBN 4-560-05603-X 「挑戦するチェス」 権田源太郎 著 中央公論事業出版 ISBN 4-89514-159-4 「ヒガシ コウヘイのチェス入門 定跡編」 東 公平 著 河出書房新社 ISBN 4-309-26001-2 外部リンク[編集] チェスの記法の解説 FIDE のサイト。E . Algebraic notation の項目 (英語) チェスの記法の解説 JCA notation website 棋譜の表記方法(日本将棋連盟) --------- 急場 急場(きゅうば)とは、物事が差し迫ってすぐに対処しなければならない状況をいう。 その他、囲碁用語の一つとして用いられる。(下記に記載) 囲碁用語の急場[編集] 特に序盤、中盤の石の根拠に関わる要点のことをいい、大場よりも優先される場合がある。また、石の競り合いの場面、模様の接点も急場と言える。とくに「石数が多く生きていないところが大きい」(苑田勇一)という格言は至言である。 参考図書[編集] 石田芳夫『目で解く大場と急場』 (ISBN 978-4416689059 誠文堂新光社 1989年) --------- キリ (囲碁) キリ(きり、切り)は囲碁用語の一つで、斜めの位置関係にある相手の石を、つながらせないように連絡を絶つ手のこと。「切り」と表記されることも多い。動詞では「キる」「切る」と表現される。 Go l.svg Go board diagram image.svg Go board diagram image.svg Go board diagram image.svg Go board diagram image.svg Go board diagram image.svg Go board diagram image.svg Go board diagram image.svg Go board diagram image.svg Go l.svg Go board diagram image.svg Go board diagram image.svg Go board diagram image.svg Go board diagram image.svg Go board diagram image.svg Go board diagram image.svg Go board diagram image.svg Go board diagram image.svg Go l.svg Go board diagram image.svg Go board diagram image.svg Go board diagram image.svg Go board diagram image.svg Go board diagram image.svg Go board diagram image.svg Go board diagram image.svg Go board diagram image.svg Go l.svg Go board diagram image.svg Go board diagram image.svg Go board diagram image.svg Go board diagram image.svg Go board diagram image.svg Go board diagram image.svg Go board diagram image.svg Go board diagram image.svg Go l.svg Go board diagram image.svg Go board diagram image.svg Go board diagram image.svg Go board diagram image.svg Go board diagram image.svg Go board diagram image.svg Go board diagram image.svg Go board diagram image.svg Go l.svg Go board diagram image.svg Go b.svg Go -.svg Go w.svg Go b1.svg Go board diagram image.svg Go board diagram image.svg Go board diagram image.svg Go l.svg Go board diagram image.svg Go board diagram image.svg Go b.svg Go b.svg Go w.svg Go board diagram image.svg Go board diagram image.svg Go board diagram image.svg Go l.svg Go board diagram image.svg Go board diagram image.svg Go board diagram image.svg Go board diagram image.svg Go board diagram image.svg Go board diagram image.svg Go board diagram image.svg Go board diagram image.svg Go dl.svg Go d.svg Go d.svg Go d.svg Go d.svg Go d.svg Go d.svg Go d.svg Go d.svg 黒1に打つ手が「キリ」の一例である。 目次 [非表示] 1 概要 2 キリのいろいろ 2.1 キリチガイ 2.2 デギリ 2.3 捨て石としてのキリ 2.4 キリコミ 2.5 キリトリ 2.6 参考図書 概要[編集] 碁においては、弱い石(相手の攻撃目標になる石)を作らないように打つのが基本である。多くの石がつながっていれば、たいていの場合強い石となり、戦いに有利に働く。このためなるべく自分の石同士はつながるように、相手の石は連絡しないように打つのが基本的な考えとなる。このためキリは囲碁において重要な基礎技術であり、「碁は断にあり」と述べる棋士もいるほどである。 例えば上図では、黒1の点に切るのが絶対の一手になる。同じ点を白にツガれると白は連絡して非常に強い石となり、黒は隅の2子と辺の1子に分断されて苦しい姿となる。 このように、キリは相手の石を弱い二団の石に分断し、戦いを挑む手である。もちろん打つ方にとっても兵力を分けて用いる手であるから、ただどこでも切ればいいというものではなく、彼我の石の強さを比べ、局面に合わせて打つべき手である。 キリのいろいろ[編集] キリは上述のような戦いを挑む手段以外にも、様々な形で現れる。 キリチガイ[編集] 上図のように黒1にツケ、白2のハネと換わって黒3に切る手を「キリチガイ」あるいは「ツケギリ」と称する。サバキの手段として頻出する。 デギリ[編集] 黒1と出て、白2のオサエと換わって3と切る一連の手順を「デギリ」と呼ぶ。敵を強く分断して戦いを挑む手。 捨て石としてのキリ[編集] 高目定石の一形。黒1のキリを捨て石にして、黒3,5と隅を確保する。 黒は上図1と内側を切って、黒5までと運ぶこともある(黒がシチョウがよいことが条件)。白2で3の点にツイで頑張ってもよい結果にならないので、素直に切ってきた石を取っておくのがセオリー(格言:切った方を取れ) 左図で一見△の黒石は取られているように見えるが(単にaやbと打っても攻め合い負け)、右図の黒1のキリが手筋。白2と換わってから黒3と打てば、白が△の黒石を取ろうにもダメヅマリのためcに入れず(先にdに抜くよりない)、黒が攻め合い勝ちとなる。 キリコミ[編集] このままであれば白からa,b両方のハネツギを先手で打たれる。黒1のキリを捨て石にして黒3・白4を交換すれば一方のハネツギを先手で防げる。こうした黒1のような小技のキリを「キリコミ」などと表現することがある。 キリトリ[編集] 黒1のキリから黒3と取り上げる一連の打ち方をキリトリと称する(カミトリ、噛み取りなどとも)。状況によるが、ヨセとして10目前後の大きさがある、また石の根拠にかかわる場合には、序盤であっても急がれる着点となる。 参考図書[編集] 趙治勲『キリの技法(最強囲碁塾)』河出書房新社 『切りちがい対策 (二子アップ中級シリーズ) 』誠文堂新光社 --------- 切り賃 Question book-4.svg この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2011年3月) 切り賃(きりちん)は、近代まで使われていた囲碁のルールの一つ。今日では使われていない。 切り賃のルールというのは「生きるための目を地に数えない」というもので、現代でいう2目の生きは、切り賃ルールのもとでは0目の地となり、20目の地は18目の地として計算される。 一回相手の石を切るたびに二目もらえるので「切り賃」と呼ばれる。 中国のある時代においては、切り賃が1目のときもあった。 切り賃のルールは、古代の囲碁のルールが、純碁に近いことを示唆している。 --------- 棋力 棋力(きりょく)とは、囲碁・将棋などの強さのこと。具体的には段級位、レイティングなどで表す。 段級位とレイティング[編集] 段級位とレイティングはともに、棋力をはかる指標となるが、両者の性格は微妙に異なる。 段級位は江戸時代にはあった指標であり、囲碁・将棋を統轄する団体(囲碁では日本棋院、将棋では日本将棋連盟)から正式な免状や認定証が与えられるなど、伝統と権威を持ったものである。その反面、段級位の認定が実際の棋力を反映していないといわれることが多い。 理由としては、アマチュアの段級位の取得方法の代表的なものとして認定問題の解答によるものがあるが、認定問題では特定の局面での正解手を選ぶだけであり、1局の対局全体においての強さを測定しているわけではないということがある。プロの場合は、一定の対局数や勝数を積み重ねれば昇段し、年齢などの理由で棋力が低下しても降段することはないため、最高段位である九段であっても成績が伴わない棋士が存在している。 これに対してレイティングは、純粋に対局の結果のみで値が決定し、対局に勝つと数値が大きくなり負けると小さくなる。従ってその時点での棋力をかなり正確に反映したものといえるが、計算方法が非常に複雑になるため、その多くはインターネットを利用した対局サイトで行われている。 碁会所や将棋道場などでは、独自に段級位を定め、道場での対局結果によって昇降段を決定しているところが多い。インターネット上の対局サイトでも、レイティングと段級位を併用しているところがある。 棋力とハンディキャップ[編集] 対局相手との棋力差が大きい場合、ハンディキャップをつけて対局することがある。 囲碁の場合、「置石」といって弱いほう(通常黒を持つ)が2個以上の石を置いた状態からゲームを開始する。 将棋の場合は、「駒落ち」といって強いほうが何枚かの駒を除去(ゲーム中は使わない)した状態からゲームを開始する。ただし、駒落ち戦には駒落ち戦特有の指し方があり、平手(駒落ちでないゲーム)の棋力とは違う結果になることもある。 関連項目[編集] 段級位制 囲碁の手合割 将棋の手合割 将棋の段級 --------- 棋書 (囲碁) 棋書(きしょ)は囲碁についての書籍。 囲碁のルールについて述べたもの。入門用解説書など。 打碁集。過去の対局の棋譜を収録したもの。棋士毎に集めたもの、棋戦やテーマ毎に集めたもの、年鑑などがある。 解説書。囲碁理論の説明、上達のためのアドバイスなど。 辞典。定石や、布石、その他について、型毎に整理してまとめたもの。 詰碁集。詰碁の問題を集めたもの。手筋、攻め合い、ヨセなどの問題も含むことがある。 雑誌、新聞(囲碁の専門誌)。 目次 [非表示] 1 古典 2 打碁集 3 詰碁集 4 雑誌・新聞 5 その他 6 関連項目 7 外部リンク 古典[編集] 『忘憂清楽集』最古の本格的な棋書とされる。1104年頃に李逸民が著した。囲碁論、打碁、定石、詰碁などが収められている。 『玄玄碁経』南宋時代に厳徳甫と晏天章が編纂し、1347年に虞集が再編した。囲碁論、定石、布石、打碁、詰碁などが収められている。 『適情録』中国に滞在していた日本の虚中上人が林応龍とともに、1525年に完成。囲碁論、棋譜、定石、詰碁などを収めている。 打碁集[編集] 『国技観光』本因坊丈和が自戦譜73局に解説を付けたもの。1826年刊。 『囲碁妙伝』井上幻庵因碩が自戦譜に解説を付けたもの。1852年刊。 『敲玉余韵』本因坊秀策の打碁集で、石谷広策が1900年にまとめた。日本以外にも中国、韓国などでも愛読されている。 『御城碁譜』瀬越憲作らによってまとめられた、御城碁の記録。1950-51年刊。 『日本囲碁大系』筑摩書房より1975-77年から刊行。本因坊算砂から本因坊秀哉までの棋士毎の棋譜を収録。全18巻。 『現代囲碁大系』講談社より1980-84年に刊行。明治から昭和のまでの棋士毎の棋譜を収録。全48巻。 『呉清源打込十番碁集(全5巻)』1979年刊。『呉清源自選百局』1982年刊。『呉清源全集(全16巻)』1987年刊。『呉清源打碁全集(全4巻)』1997年刊。 『曺薫鉉囲碁名局集』曺薫鉉の打碁集。1995年刊。 『聶衛平囲碁名局集』聶衛平の打碁集。1995年刊。 『日本棋院囲碁年鑑』毎年の日本のプロ、アマチュアの国内棋戦、国際棋戦の棋譜を収録。日本棋院刊。現在の形のものは1961年から刊行開始した。 『韓国棋院囲碁年鑑』韓国棋院刊。 その他、多くの著名棋士の打碁集が出版されている。 詰碁集[編集] 『官子譜』明の時代に過百齢が著し、その後、陶式玉らに再編された。 『囲碁発陽論』井上道節因碩が1713年に著す。難解なことで知られ、「不断桜」とも呼ばれる。 『碁経衆妙』船橋元美(林元美)が1812年に著す。比較的平易な問題が集められている。 『死活妙機』本因坊秀哉が実戦を元に作成した問題集。1909年刊。 『前田詰碁集』『新選前田詰碁集』昭和の代表的な詰碁作家前田陳爾の作品集。簡明な形での意外な手筋が特徴。1952、58年刊。 『寿石不老』『自強不息』呉清源の作品集。1995、97年刊。 『張栩の詰碁』張栩の作品集。2006年刊。 雑誌・新聞[編集] 日本棋院発行の、月刊誌「碁ワールド」「囲碁未来」、週刊紙「週刊碁」 関西棋院発行の、月刊誌「囲碁関西」 日本放送出版協会の、月刊誌「NHK囲碁講座」 誠文堂新光社の、月刊誌「圍碁」 中国の新体育雑誌社の、月2回発行「囲棋天地」 その他[編集] 囲碁に関する書籍としては以下のようなものもあるが、一般には棋書とは呼ばれていない。 囲碁の歴史や文化について述べたもの。 棋士の評伝、自伝、随筆。 囲碁を題材にした小説、漫画、随筆、及び映画・ドラマ等の解説書。 囲碁のコンピュータゲームに関する研究書、特定のゲームの説明書。 関連項目[編集] 定石 詰碁 外部リンク[編集] 日本棋院「出版物のご案内」 関西棋院「囲碁用品」 --------- 棋正社 棋正社(きせいしゃ)は、日本の囲碁の組織。1924年(大正13年)に雁金準一、高部道平らによって設立され、1926年に行った日本棋院との対抗戦(院社対抗戦)では満天下を湧かせたが、その後3棋士は日本棋院に復帰し、1941年に雁金の離脱により事実上消滅した。 目次 [非表示] 1 設立の経緯 2 院社対抗戦 2.1 棋正社の挑戦 2.2 戦局の推移 3 消滅まで 4 院社対抗戦戦績 5 参考文献 設立の経緯[編集] 1924年の碁界大合同により日本棋院が設立された際、それまで各組織が個々に新聞社と棋譜掲載の契約をしていたのを、日本棋院一括の抽選により提供されると言う方式に改まった。これに不満を持った報知新聞社がこの年の10月、雁金準一、鈴木為次郎、加藤信、高部道平六段、小野田千代太郎五段の5棋士と、独自の棋戦を行って棋譜を提供すると言う契約を結んだ。しかしこれは日本棋院の規約違反となる個人契約であったため、5名は日本棋院を除名となり、10月25日新たに棋正社結成を宣言し、11月16日に発会式が行われた。 翌年には雑誌「棋友」を買収して、棋正社の機関紙とした(1926年に廃刊)。 院社対抗戦[編集] 棋正社の挑戦[編集] 棋正社の5棋士は当時のスター棋士であり、かつての稗聖会と同様にすべて互先による対局という方式により対局を行ったが、木谷実ら若手の成長により層の厚くなっていた日本棋院にも勢いがあった。1925年5月には雁金の七段昇段を発表。翌年1月には鈴木の七段昇段を発表するが、鈴木は3月に棋正社を離脱して日本棋院に復帰。次いで加藤も8月に離脱した。 棋正社は読売新聞を通じて8月20日、日本棋院に対して対抗戦の呼びかけを公開した。日本棋院副総裁大倉喜七郎は当初これを拒絶したが、読売新聞社長正力松太郎の本因坊秀哉らへの交渉により、日本棋院は受けて立つこととなり、「日本棋院対棋正社敗退手合」通称院社対抗戦が行われることとなった。方式は双方の棋士が交替で出場する勝ち抜き戦形式で、初戦は本因坊秀哉と雁金準一(先番)戦で1926年(大正15年)9月27日に開始された。 戦局の推移[編集] 双方の主将戦とも言える秀哉雁金戦は、特別に持ち時間一人16時間の持ち時間で、打ち掛けをはさみ6日をかけて打たれた。碁は中盤から大乱戦となったが、10月18日に雁金の時間切れ負けとなった。 この対決で勝者の秀哉は健康を損ね、しばらく手合を休むことになり、2局目は高部道平と岩本薫の臨時手合が行われた。 2局目以降は、棋正社は小野田、高部、雁金の3棋士が交互に出場、日本棋院は橋本宇太郎、岩本薫など実力が段位を上回ると言われる伸び盛りの若手棋士が次々に出場し、コミ無し先番の手合割が多かったこともあって優勢に進めた。特に木谷実はジゴをはさんで8連勝を果たした。28局まで進んだところで棋正社は、碁界大合同には参加せずに神戸に隠遁していた野沢竹朝五段を加え、六段、続いて七段を贈って対抗戦に参加させる。通算42局まで行い、棋正社の14勝26敗2ジゴで終了した。 読売新聞はこれを「大正の大争碁」として大々的に宣伝し、観戦記には碁界で初めて河東碧梧桐、村松梢風、菊池寛などの文士を配し、大盤による速報を行うなどして人気を博し、発行部数が一挙に3倍になって一流紙の仲間入りを果たした。この時に紙上で解説を書いた「覆面子」の名前は、これ以降の読売新聞紙上の観戦記者に代々受け継がれる。 また院社対抗戦に続いては、これもかつてのライバル同士であった野沢竹朝と鈴木為次郎の十番碁を企画し、1927年から野沢病気による中止となる30年までに9局まで打たれて、野沢の2勝5敗2ジゴとなった。 消滅まで[編集] 小野田も対抗戦の途中で日本棋院に復帰し、野沢は1931年に死去、残るのは雁金と高部、及びそれぞれの弟子のみという状態となった。1930年6月に月刊機関誌『碁』を発刊、高部による打碁講評と、雁金の随想「ぶらつ記」などを掲載した。その後の参加棋士としては、東京の渡辺昇吉、荒木親吉、小沢了正、大阪の都谷森逸郎、堀憲太郎、堀田忠弘、吉田浩三、橋本国三郎、名古屋の稲垣日省、渡辺英夫などがいる。三宅一夫は名古屋に中部日本囲碁連盟(後に東海棋院)を設立するなど、地方都市や朝鮮、台湾に支部を設けるようになる。 1933年には雁金と高部の八段昇段を発表する。これには日本棋院の機関誌『棋道』に大倉喜七郎名で異議が掲載されたが、それ以上の問題には発展しなかった。 1941年に雁金が呉清源との十番碁実施などのために高部と対立し、雁金の娘婿でもあった渡辺昇吉六段など一門の棋士を率いて棋正社を離脱して瓊韻社を設立。高部の懐刀と言われていた小沢了正五段もこれに追従した。棋正社には高部だけが残ることとなり、事実上消滅となった。東海棋院の長村正英、吉川潔、板野棋源各三段、植松弘聖二段は、戦後1948年に日本棋院東海支部が東海本部に再組織する際に合流した。 院社対抗戦戦績[編集] △は先番 日本棋院 棋正社 ↓ 日本棋院 棋正社 − 本因坊秀哉 ○ × 雁金準一 △ 2子 木谷 ○ × 雁金 △ 橋本宇太郎 ○ × 小野田千代太郎 △ 木谷 ジ ゴ 小野田 △ 橋本 ○ × 高部道平 △ 木谷 ジ ゴ 小野田 △ 橋本 × ○ 雁金 △ 木谷 ○ × 小野田 △ 岩本薫 ○ × 雁金 △ 木谷 ○ × 高部 岩本 × ○ 小野田 △ △ 木谷 × ○ 雁金 △ 福田正義 × ○ 小野田 △ 向井一男 ○ × 雁金 △ 篠原正美 ○ × 小野田 △ 向井 ○ × 野沢竹朝 △ 篠原 ○ × 高部 △ 向井 ○ × 高部 △ 篠原 × ○ 雁金 2子 向井 ○ × 雁金 △ 林有太郎 ○ × 雁金 2子 向井 × ○ 野沢 △ 林 ○ × 小野田 △ 前田陳爾 × ○ 野沢 △ 林 ○ × 高部 △ 宮坂寀二 ○ × 野沢 △ 村島誼紀 ○ × 雁金 △ 宮坂 ○ × 高部 △ 村島 × ○ 小野田 △ 宮坂 × ○ 雁金 △ 瀬越憲作 × ○ 小野田 2子 長谷川章 ○ × 雁金 △ 木谷 ○ × 小野田 △ 長谷川 × ○ 野沢 △ 木谷 ○ × 高部 △ 小杉丁 × ○ 野沢 △ 木谷 ○ × 雁金 2子 井上一郎 ○ × 野沢 △ 木谷 ○ × 小野田 △ 井上 × ○ 高部 △ 木谷 ○ × 高部 △ 高橋俊光 × ○ 高部 臨時手合成績 高部道平六段 ×-○ 岩本薫六段(互先先番) 雁金準一七段 ×-○ 長谷川章四段(先二先先番) 小野田千代太郎六段 ○-× 岩本薫六段(互先先番) 小野田千代太郎六段(先相先先番) ○-× 野沢竹朝七段 参考文献[編集] 木谷実『囲碁百年 2 新布石興る』平凡社 1968年 坂田栄男『囲碁百年 3 実力主義の時代』平凡社 1969年 中山典之『昭和囲碁風雲録 (上)』岩波書店 2003年 --------- 棋待詔 棋待詔(きたいしょう)は、中国の唐以降で置かれた官職で、待詔のうち囲碁をもって仕える役職。その時代の囲碁の名手、国手と呼ばれる者などが務めた。 目次 [非表示] 1 前史 旧王朝における囲碁 2 唐の時代 3 宋の時代 4 元・明の時代 5 参考文献 前史 旧王朝における囲碁[編集] 後漢の時代には、史家の班固がもっとも古い囲碁論とされている「奕旨」を著し、学者の馬融が「囲棋賦」、文人の李尤が「囲棋銘」を著すなど、宮廷に仕える文化人で水準の高い愛棋家が現れた。晋では竹林の七賢の一人阮籍が愛棋家として知られ、官僚だった范汪による「棊品」ではこの時代の愛棋家たちの棋力が論評されている。南北朝時代には、宋の明帝が棋士を管轄する官庁囲棋州邑を設置し、梁の武帝も愛棋家で「棋賦」を残した他、棋手の柳惲に著名棋譜を評定する「棋品」をまとめさせた。 唐の時代[編集] 待詔は、琴棋書画などの技芸の優れた者が皇帝に召し出される翰林院の役職で、唐の玄宗皇帝が713年(開元元年)に囲碁の優れた者である棋待詔を設けた。当時これには、「囲碁十訣」の作者として後世に知られる王積薪や、顧師言、王倚、順宗に重用された王叔文、滑能、新羅人の朴球などがいた。玄宗は、「忘憂清楽集」に鄭観音という者と対局した棋譜が載せられるなど囲碁好きであり、また新羅の聖徳王の葬儀に弔問使節を送った際は、囲碁の強い近衛兵の楊李膺という者を副使節に加えたという。中唐の頃の顧師言は「旧唐書」宣宗本記で、848年(大中2年)に入唐した日本国王子と対局したと記されていて、蘇鶚「杜陽雑編」ではこの王子はたいへん強く、顧は一手で二つのシチョウを防ぐ鎮神頭という妙手によって勝つことが出来たと書かれている。 宋の時代[編集] 宋にも棋待詔の制度は引き継がれ、賣充、楊希粲、「棋訣」の作者劉仲甫、「忘憂清楽集」を編した李逸民、沈才子などがいた。宋代には囲碁に関する著作も多く書かれ、囲碁のレベルは大きく向上した。北宋の太宗は自分で詰碁を作るほどの囲碁好きで、作品は「忘憂清楽集」にも収められている。太宗は棋待詔の賣玄(賣元)には三目を置いて打ったが、賣玄は常に1目負にしていた。太宗は賣玄に今度負けたら鞭で打つと言ったところ、賣玄はジゴ(引き分け)にした。そこで太宗は、賣玄が勝てば緋衣を与え、勝てなければ池に投げ込むと言った。すると今度もジゴになったが、賣玄を池に投げ込ませようとすると、賣玄は手にアゲハマが残っているのを見せたという話が「湘山野録」に記されている。 他にも太祖に仕えた官僚の宋白は囲碁論「奕棋序」を著し、仁宗に仕えた張擬は「棋経」(棋経十三篇)を著した。南唐の高官であった潘慎修は宋に仕え、囲碁観をまとめた「棋説」を太祖に献上し、この中の「十要」(仁、全、義、守、礼、変、智、兼、信、克)が後の「囲碁十訣」であるとも言われる。同じく南唐出身の徐鉉は、碁盤上の点の呼び方に、一から十九までの線を用いるようにし、また囲碁術語の解説書「囲棋義例詮釈」を著したとも言われる。南宋の孝宗は女性と碁を打つのが好きで、女性の打ち手も増え、囲碁で客の相手をする棋妓も現れた。南宋末期には「玄玄棋経」が晏天章と厳徳甫によって著された。 元・明の時代[編集] 元の王族は囲碁への深い執着は無かったが、それまでに倣い囲碁を教えることを務めとする棋官を置く。この時代には、「玄玄棋経」を再編した虞集や、劉因、黄庚などの名手が現れた。奎章閣に勤めていた虞集は文宗に囲碁について問われて、孔子や孟子を引いた上で、碁を習うことは治にいて乱を忘れぬ心がけであると説いたと、「玄玄棋経」序文に記している。 明の時代には、初期には相子先、楼得達、趙九成、氾洪などが国手と呼ばれた。太祖は相子先、楼得達を呼んで対局させ、勝った楼得達に棋官の地位を与えた。嘉靖から万暦の頃に明では最も囲碁が盛んになり、浙江省一帯の永嘉派、安徽省一帯の新安派、北京周辺の京師派の三派が生まれる。永嘉派には鮑一中、李沖、周源、余希聖など、新安派には程汝亮、汪曙、方子謙など、京師派には李釜、顔倫などがいた。明末には、「官子譜」など著し国手とされた過百齢、方子振、林符卿、汪幼清などが名手として名を上げた。 参考文献[編集] 田振林、祝士維「中国囲碁外史 5〜29」(『棋道』1987年1月〜89年1月号) 『玄々碁経』高木祥一解説、教育社 1989年 平本弥星『囲碁の知・入門編』集英社 2001年 中野謙二『囲碁中国四千年の知恵』創土社 2002年 カテゴリ: 中国の囲碁棋士囲碁の組織 --------- 棋風 Question book-4.svg この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2013年10月) 棋風(きふう)とは、将棋や囲碁、チェスなどのボードゲームにおけるその人の着手の特徴のことである。 目次 [非表示] 1 概要 2 将棋における棋風 2.1 代表的な将棋棋士の棋風 3 囲碁における棋風 3.1 代表的な囲碁棋士の棋風 4 チェス 5 関連項目 概要[編集] 二人零和有限確定完全情報ゲームでは、理論上は完全な先読みが可能ではあるが、現実的には指せる手の選択肢が多く、時間の制限もある。またゲームに対する棋士の考え方などにも影響されるため、同じ局面を同じ技量の棋士が検討しても指し方に違いが現れる。 将棋における棋風[編集] 将棋の場合、「居飛車党」と「振り飛車党」のいずれかに該当し、さらに「急戦派」か「持久戦派」のどちらかに分類される。また、羽生善治のように相手にあわせて自在に戦法を変えたり、加藤一二三のように一つの戦法にこだわりを見せる、などの信念の違いも棋風の一つとされる。 定跡データベースを利用した序盤研究が盛んになるにつれ、それまでの人生観や美的感覚が反映された棋風ではなく、「データベース将棋」と称される、勝率や効率など合理性を追求した棋風も見られるようになっている。 プロ棋士の特徴的な棋風には「○○流」などのキャッチフレーズがつけられているが、これは、原田泰夫が命名したものが多い。 代表的な将棋棋士の棋風[編集] 升田幸三 大駒、特に角の使い方に独特の感性を持つ。大山康晴が全盛期を迎える頃からは、「新手一生」を座右の銘として掲げ、数々の新手を生み出して対抗した。 大山康晴 若い頃は相居飛車も指したが、居飛車対振り飛車対抗形を得意としている。守りながら敵玉の距離を計るのが上手く、仕留めるときは一気に決めることが多い。囲いで守るよりも序盤は陣形全体のバランスで守り、中盤から徐々に駒を玉側に寄せていくのは独特の感性であり、囲いで守る代表の穴熊を苦にしなかった。羽生善治は大山の棋風について、深く読んで最善手を追求することをせず、大らかに指す棋風であると評している。 加藤一二三 生粋の居飛車党で、良いと思った戦法を指し続けることが多い。代表的な例としては「加藤棒銀」と呼ばれるほど、棒銀にこだわりを持っている。序盤の研究も深く、「加藤流」の名がついたものが多い。先攻しながらも一気にいかずに柔軟に攻めを続けたり、受けつつ力を溜めて一気に攻撃に行くなど、斬り合いに強い。 内藤國雄 指し手のバリエーションが豊富で、「自在流」と呼ばれる。横歩取りの後手番で角を3三に上がり、飛車・角が高く舞う「空中戦法」で、升田幸三賞を受賞。 米長邦雄 中央の厚みを活かす戦い方が多い。終盤で劣勢のとき、紛れを作って逆転することから「泥沼流」と呼ばれる。香車の上に玉を置く「米長玉」で升田幸三賞を受賞している。 中原誠 振り飛車も指すが、全盛期時代は居飛車が多かった。攻防のバランスが取れた棋風であり、指されてみれば自然に見える、格調が高い指し回しで圧倒的な強さを誇ったことから、「自然流」と呼ばれる。桂馬の使い方がうまく、「桂使いの名手」と言われる。手を作ることが上手いため、「中原流」と呼ばれる多くの戦法(将棋大賞の升田幸三賞を受賞)がある。 谷川浩司 終盤において、早い段階で寄せの手順を読むため「光速の寄せ」「光速流」と言われる。また、指し手に迷うとき、駒が前に行く手を優先することから「谷川前進流」とも呼ばれる。 南芳一 対局している姿、棋風ともに「地蔵流」と呼ばれてはいるが、敵陣を一気に攻め潰す将棋も多い。その攻めを「地蔵攻撃」と呼ぶことも。 羽生善治 急戦・持久戦問わず指しこなす居飛車党で、振り飛車を採用することもある。終盤で相手を惑わせる手や気づきにくい妙手を放つことから、「羽生マジック」と呼ばれる。盤面全体を上手く使う柔軟な棋風で、殆どの戦型で高い勝率を誇るため、得手不得手は際立っていない。 佐藤康光 成算があると思えば危険でも踏み込んでいく特徴があり、直線的な指し手が多い。かつては居飛車を主に指し、相手の得意戦法を真っ向から受けて立つ棋風であったが、タイトル戦への登場が頻繁になった頃から振り飛車も頻繁に採用するようになった。またこの頃から、数々の新手も編み出すようになった(2006年度の将棋大賞で、最優秀棋士賞と升田幸三賞を同時受賞)。なお、深く鋭い読みを持つことから「緻密流」と呼ばれるが、先崎学は「‘緻密’ではなく‘野蛮’」と評している。 森内俊之 主に矢倉を好むが振り飛車も指しこなす、オールラウンドプレイヤーである。「受けが強い」というイメージから、一般的には「鉄板流」と呼ばれる。 丸山忠久 居飛車党で、角換わり腰掛け銀などの激しい戦形を得意とするが、攻撃的な手よりも渋い手の方が目立つ。終盤で勝勢になっても一気に勝負を決めに行かずに、着実に自身の優勢を積み上げていく(将棋用語で"辛い")指し回しから、「激辛流」と呼ばれる。 藤井猛 振り飛車の天敵であった居飛車穴熊や左美濃を、序盤から一気に撃退しに行く革新的な四間飛車戦法「藤井システム」(98年度升田幸三賞を受賞)の開発や'振り飛車には角交換'の格言を覆す角交換四間飛車(12年度升田幸三賞を受賞)を発展させるなど四間飛車における序盤研究の大家として有名。対急戦にも研究が深く、対棒銀などでも決定打を出している。また、大駒を切って、金銀で露骨に相手玉に迫る「ガジガジ流」でも恐れられている。なお、居飛車の矢倉も指すことがあり、特に、2008年頃から指すことが増えて話題となった。 渡辺明 居飛車党。穴熊囲いの採用率が多いところが「現代的」と言われていて、居飛車対振り飛車の対抗形だけでなく、矢倉戦でも玉を穴熊に囲うことが多い。ただ、穴熊が多いことでプロでの評価は低かったが、竜王戦で羽生相手に矢倉後手急戦を連続採用したことで、谷川に「評価が変わった」と言わしめた。また、素朴な指し手が多いのも、ある意味特徴的と言える。 久保利明 振り飛車党で三間飛車を得意とし、早石田を現代に蘇らせた棋士の一人である。駒の軽い捌きが特徴で「捌きのアーティスト」「カルサバ流」と呼ばれる。久保の左桂の捌きに憧れるプロ棋士も多い。 囲碁における棋風[編集] 囲碁の場合、「実利派」と「模様派」に大別される。前者は先に地を稼いで相手模様の荒らしに賭けるタイプ、後者は雄大な模様のスケールで勝負する。 近年は地に辛いスタイルが、世界的に主流になりつつあるといわれる。 代表的な囲碁棋士の棋風[編集] 趙治勲 低く構えて地を先に稼ぎ、後から相手の模様に侵入して荒らすタイプ。ギリギリまで最善を求める、妥協のない打ち方をする。普通とうてい入れないと見られるような地模様に打ち込んで荒らしてしまったり、攻めの対象にはならないような強い壁を攻撃し、もぎ取ってしまうことも。また高尾紳路は趙について、「まったく目算をしていない(できていない)。目算をすると、どうしても手が緩んで、負けに近づいてしまうからでしょう。」と語っている。 山下敬吾 位の高い碁を志向する。攻撃的で読みが鋭く、実戦的なスタイル。かつては五ノ五や初手天元など意表を突く布石を試みたが、近年はオーソドックスな布石を打つ。また地に辛くなりつつあるともいわれる。 張栩 実利を好むタイプ。部分の読みの速さ、正確さに支えられた戦闘力にも定評がある。早い時点から正確に形勢を見切る能力に長けているといわれる。ヨセやコウに強いことでも有名。 高尾紳路 現代にあっては珍しく、厚みを重視する棋風。手厚い打ち方から繰り出される、重厚な攻めに定評がある。 羽根直樹 低段時代は手厚い碁が多かったが、近年は石の形を重視し、地に辛い碁を打つことが多い。バランス型とされるが、時に深いヨミを発揮することもある。 河野臨 冷静な打ち方で、ヨセで勝負をつけることが多かったが、近年戦闘力を身につけて力強さを増したといわれる。また布石の研究にも熱心で、布石の打ち方に工夫が多い。 結城聡 石の働きを追求する戦闘的な棋風で、上段の構えから力で圧倒する。乱戦を好み、「武闘派」と称される。 依田紀基 スケールが大きく華麗な棋風で、大胆なフリカワリや捨て石を見せることも多い。石の筋を重視し、筋についての考え「筋場理論」を考えだしている。また時に白番天元・初手5の十・2手目7の十など非常に大胆な布石を見せることもあるが、総じて布石の上手さには定評がある。「勝ち碁を勝ちきるのが上手い」と評されるが、時に楽観から大逆転負けを喫することもある。 小林光一 実利派であるが、部分の味や含みを残さず「決め打ち」をしてしまうことで有名。勝負に徹した打ち方と評されることが多い。 武宮正樹 黒番のときは、相手に実利を与えて中央に巨大な模様を張る、「宇宙流」といわれる独特のスタイルの碁を打つ。白番のときには、相手の打ち方によって動き方を決める、平明で流れるような碁を打つことから「自然流」といわれる。アマチュアに人気がある他、世界の囲碁界に与えた影響も絶大である。 加藤正夫 圧倒的な戦闘力、攻撃力や、死にそうにない相手の大石を殺してしまうことから「殺し屋」と恐れられた。一時はヨセの正確さから「ヨセの加藤」と謳われた時代もあった。序盤は厚みを重視することが多い。 石田芳夫 緻密な計算と正確なヨセから「コンピュータ」と呼ばれた。定石や布石の研究にも定評がある。目外しや三々を好んで用いることでも有名。 林海峰 若い頃には実利を重視し、粘りのある棋風で「二枚腰」と呼ばれたが、壮年以後は戦闘的な棋風となった。 大竹英雄 石の形、筋にこだわった手厚い打ちまわしは「大竹美学」と呼ばれ、称えられることが多い。 王立誠 実利とスピードを重視した実戦的な棋風と評されることが多い。変幻自在な打ちまわしを見せ、中盤から終盤にかけての逆転力にも定評があり、「立誠マジック」とよばれる。 小林覚 筋を基調とする碁で、若いころは厚みを活かした追い込みに特徴があったが、徐々に地やスピードも重視する棋風に変わってきたと言われる。近年は序盤構想に新境地を見出すことも多い。 片岡聡 石田芳夫と対比して「新コンピュータ」と呼ばれるほど終盤の正確さが際立つ。筋のよい碁を打つことでも有名。 王銘琬 「ゾーンプレス」という独自の理論(正確にはサッカーの戦法からの流用)に基づき、「メイエンワールド」と呼ばれる実利よりも模様・位を重視する独特の碁を打つ。勝率は高いが、ポカが多いことでも有名。 坂田栄男 切れ味の鋭いシノギを特徴として「カミソリ坂田」の異名を持ち、数々の妙手、鬼手と呼ばれる手を残している。また、布石での三々を多用した。 藤沢秀行 豪快で華麗な碁で、「厚みの働きを最もよく知る」と言われた。序盤から中盤にかけて圧倒的な構想力を見せるが、ポカで負けることが多かった。 呉清源 積極的な打ちまわしを見せ、大局観や終盤の収束力に優れていると評される。コウに強いとも言われた。木谷実とともに「新布石法」を発表するなど、序盤研究に余念がない。 井山裕太 決まったスタイルを持たず、地に辛い碁も厚い碁も柔軟に使い分ける。全局的な発想に長けており、定石研究も積極的に行っている。また、常に最強手を選び、妥協しないことでも有名である。 伊田篤史 序盤は厚く打ち、中盤にかけて相手を攻める棋風。また、目外し二連打や大高目打ちなど、奇抜な布石を敷くことも多い。 一力遼 早見えで、序盤から積極的に勝負を仕かけていく好戦的な棋風。 AlphaGo 序盤から終盤まで、徹底的して効率重視の打ち回し。カタツキを多用し、三々入りが早い。 チェス[編集] チェスにおいては棋風に相当する用語としてスタイル(Style)と呼ばれる考えがあり、得意とするオープニングや、駒の交換の拒否、引き分けを積極的に狙うなど、選手の気質や戦略などを表すときに使われる。 関連項目[編集] 将棋棋士一覧 将棋の戦法一覧 棋士 (将棋) 棋士 (囲碁) --------- 棋戦優勝者選手権戦 棋戦優勝者選手権戦(きせんゆうしょうしゃせんしゅけんせん)は、日本の囲碁の棋戦で、その年の棋戦優勝者によって行われる。日本棋院創立90周年記念事業の一環として、2013年創設[1]。優勝者には内閣総理大臣杯・賞、文部科学大臣楯・賞が贈られる。 主催 日本棋院、関西棋院 協力 囲碁・将棋チャンネル 優勝賞金 200万円(2015年度現在) 目次 [非表示] 1 方式 2 歴代優勝者と決勝戦 3 脚注 4 外部リンク 方式[編集] 出場者は、タイトル保持者(開催年の12月31日時点)及びファン投票1名で、トーナメント戦で争う。1回戦及び2回戦はネット対戦。決勝戦は日本棋院東京本院で公開で行われる。 対象タイトルは、前期優勝者、棋聖・名人・本因坊・王座・天元・碁聖・十段、阿含桐山杯、新人王戦、NHK杯、竜星、大和証券杯(第1回のみ)、関西棋院第一位、囲碁マスターズカップ、グロービス杯(第2回から)、女流本因坊・女流名人・女流棋聖・会津中央病院杯(第2回から)、王冠、若鯉戦、おかげ杯、中野杯U20選手権(第2回からゆうちょ杯)、 ファン投票の投票対象棋士の条件は、前述タイトルホルダー以外で、日本棋院及び関西棋院所属棋士全て。ハガキ投票かWeb投票のいずれかで一人1票。重複投票は無効となる[2]。選出棋士は、第1回佐田篤史(関西棋院)[3]、第2回伊田篤史、第3回熊本秀生。 コミは6目半。 持時間は無し、1手30秒、1分の考慮時間10回。 歴代優勝者と決勝戦[編集] 回 対局日 優勝 準優勝 1 2013年 井山裕太 (棋聖、名人、本因坊 、天元 、王座 、碁聖) 山下敬吾 (竜星) 2 2014年 井山裕太 (棋聖・名人・本因坊・碁聖・阿含桐山杯) 高尾紳路 (天元・十段) 3 2015年 趙治勲 (囲碁マスターズカップ) 許家元 (新人王・ゆうちょ杯) タイトルは出場時のもの 脚注[編集] ^ 90周年記念事業日本棋院 ^ 『棋戦優勝者選手権戦』ファン投票日本棋院 2014年1月6日 ^ 佐田篤史二段のコメント関西棋院 外部リンク[編集] 棋戦優勝者選手権戦 - 日本棋院 --------- 棋道報国会 棋道報国会(きどうほうこくかい)は、昭和初期に囲碁・将棋棋士により戦争協力のために設立された組織。1941年(昭和16年)に設立。 目次 [非表示] 1 経緯 2 体制 2.1 役員 2.2 棋道訓 3 活動 4 参考文献 5 脚注 経緯[編集] 1937年(昭和12年)の日華事変の勃発後から、囲碁、将棋の棋士達は、各地の軍病院や軍需工場への慰問活動を行っていた。戦況の深刻化する1941年3月に、前年に結成されていた大日本産業報国会の働きかけで、産業報国会の一組織として日本棋院及び将棋大成会の合同による棋道報国会を結成する準備が進められ、8月までに役員を決定して最初の役員会を開催して今後の方針を決議する。これは、将棋、囲碁をもって産業戦士に奉仕して、間接的に産業増産の一助となるべく、「生産的な思考、推理、創造といふ様な精神的な科学的訓練」と為すことを趣旨として、専門棋士を派遣して指導し、棋道精神を植え付けることを目的とされた。 会長には大政翼賛会第五委員会委員長の下村宏が就き、結成式は10月4日に丸の内糖業会館にて行われ、来賓祝辞には菊池寛なども招かれた。活動の費用は産業報国会が負担した。 体制[編集] 役員[編集] 会長:下村宏(貴族院議員) 顧問:林幾太郎(日本棋院理事長)、木村義雄(将棋大成会)、三輪嘉壮(大日本産業報国会) 理事:瀬越憲作、小野田千代太郎、村島誼紀、八幡恭助(以上日本棋院)、花田長太郎、土居市太郎、金易二郎、金子金五郎(以上将棋大成会) 常任委員:岩本薫(日本棋院)、渡辺東一(将棋大成会) 棋道訓[編集] 一、棋道ハ国技ナリ尊ブベシ 一、棋道ハ推理ナリ鍛フベシ 一、棋道ハ礼ニ依リテ行ヲ慎ムベシ 一、棋道ハ趣味ナリ貪ル勿レ 一、棋道ハ決戦ナリ敢闘スベシ 活動[編集] 結成前の1939年には、棋士による中国への皇軍慰問団が上海、南京を訪問した。団長は安永一、塚田正夫で、田岡敬一、梶為和、藤沢秀行、加藤治郎、松田茂行ら、囲碁将棋各5人の編成。1941年には、坂田栄男、藤沢秀行、建部和歌夫らが、満州のハルピン、大連などを訪問[1]。1942年には、青木一男大東亜大臣の招きで、瀬越憲作、橋本宇太郎、呉清源が南京を訪問した。 1942年8月から毎月の定例会を実施、日本棋院の野上彰が書記長となる。10月に棋士を鍛えるための「練成会」が結成され、10月6-9日に有栖川公園にて、日本棋院30名、将棋大成会10名の棋士が参加して、産業報国会錬成部の指導により、講義、禊、静座、勤労作業などを行なった。 1943年1月、棋道報国挺身隊が作られて講演、慰問などの活動を開始。皮切りには、瀬越憲作、岩本薫、木村義雄などが、北海道の日本製鐵、幌内炭坑などを回り、その後も全国各地での活動を行った。3月、婦人棋士による銃後奉公会が結成され、傷病軍人の慰問と、建艦献金活動に従事、5月には傷病兵500人を日本棋院に招待した。また同年、満州で設立された満州棋院を福田正義、藤沢秀行、榊原章二、安田清が訪問、福田は終戦まで滞在して、帰国できたのは終戦1年後だった。11月には、棋院勤労奉公隊が、汐留駅の帯貨整理に従事。12月には、皇軍慰問資金募集大会を開催。 戦況が進むに連れ、棋士達も徴兵されたり疎開したりする者も増え、紙不足で雑誌も休刊を余儀なくされ、1944年にも国内、中国東北部のでの慰問活動を行ったが、7月の千葉県訪問が最後の活動となった。その後には産業報国会とは別に、陸軍の招待により岐阜、石川、新潟などの療養所の慰問活動も行われた。 参考文献[編集] 安藤如意、渡辺英夫『坐隠談叢』新樹社 1955年 岩本薫『囲碁を世界に-本因坊薫和回顧録』講談社 1979年 増川宏一『碁 ものと人間の文化史59』法政大学出版局 1987年 藤沢秀行『勝負と芸 わが囲碁の道』岩波書店 1990年 脚注[編集] ^ 坂田栄男『坂田一代』(日本棋院Z)P.77 --------- キリン杯GO団体戦 キリン杯GO団体戦(きりんはいごだんたいせん)は、囲碁の囲碁のプロとアマチュアの棋士による棋戦。地区ごとにプロとアマチュア棋士の混成によるチームによって団体戦で争われる。1988年創設。1996年終了。 主催 日本棋院「囲碁クラブ」、北海道新聞、河北新報、新潟日報、東京新聞、中日新聞、大阪産経新聞、中国新聞、西日本新聞 協賛 キリンビール株式会社 方式[編集] 出場チームは、北海道、東北、関東・甲信越、東京、中部、近畿、中国・四国、九州の8地区から、東京3、関東・甲信越2、中部2、他は各1チームの計12チーム。第9回は各地区1チームの8チーム。 出場選手は、第1-2回は、各地区出身の日本棋院のプロ棋士3名と、在住のアマチュア選手2名の計5名ずつ。第3回以降はプロ3名とアマチュア4名の計7名ずつで、アマチュアの1名は女性枠。主将は主催者指定のプロ棋士で、その他は地区ごとの予選の勝ち抜き者。第9回のみはファン投票による選出。 対戦はトーナメント方式。公開で行われる。 手合割は総互先。コミは5目半。持ち時間は各30分、使い切ると1手60秒の秒読み。 概況[編集] アマチュア選手としてはプロ棋士と身近で戦うことができ、プロ棋士は団体戦の雰囲気を味わうことができ、観戦するファンはプロや有名アマチュア選手の戦いぶりを間近で見ることができるなど、棋戦としての盛り上がり、プロとアマチュアの交流の拡大という点で人気が高かった。 アマチュア強豪の多い東京、関東・甲信越の優勝が多かったが、各試合は接戦が多く、第7回は世界アマチュア囲碁選手権戦優勝経験者2名を揃えた東北チームが優勝するなど、地方勢のレベルの高さも発揮された。 歴代優勝チームと決勝戦[編集] (左が優勝者) 1988年 東京A(坂田栄男、鄭銘鍠、マイケル・レドモンド、菊池康郎、今村文明) 4-1 中部A(石田芳夫、彦坂直人、小松英樹、阿部啓幸、青木義生) 1989年 東京A(武宮正樹、淡路修三、柳時熏、菊池康郎、三浦浩) 4-1 近畿(林海峰、後藤俊午、山田和貴雄、唐木田憲嗣、坂井秀至) 1990年 東京C(石田章、淡路修三、楊嘉栄、本家慶昭、森淳行、林琢、佐藤亜紀子) 4-3 近畿(林海峰、後藤俊午、石田篤司、浅野満三、斉藤和行、奈良昌利、山本三七子) 1991年 東京A(武宮正樹、王立誠、柳時熏、平田博則、河野照哉、日高雅博、金井和子) 4-3 東京B(坂田栄男、井上国夫、王銘琬、菊池康郎、鮫島一郎、渡会清隆、胡燕華) 1992年 関東・甲信越A(趙治勲、中村秀仁、青木紳一、中園清三、久代俊明、坂本修作、山下千文) 4-3 東京A(武宮正樹、王銘琬、楊嘉源、三浦浩、青木英明、和田幸樹、胡燕華) 1993年 東京C(石田章、王立誠、加藤充志、平田博則、青木英明、馬渡茂樹、中村智佳子) 4-3 近畿(林海峰、石井邦生、石田篤司、金沢盛栄、唐木田憲嗣、奈良昌利、佐野智子) 1994年 東北(工藤紀夫、淡路修三、菅野清規、今村文明、平岡聡、本名将人、吉田美穂) 4-3 東京B(武宮正樹、楊嘉源、趙祥衍、神作文明、青木英明、小串清文、馬場智弓) 1995年 近畿(林海峰、山田規三生、矢中克典、金沢盛栄、大島照師、坂井秀至、糸井庚代子) 6-1 中四国(山城宏、中野寛也、桑本晋平、村上文祥、陶山英敏、岩井真一、玉山千愛) 1996年 関東・甲信越(趙治勲、小林覚、片岡聡、原田実、中園清三、久代俊明、山下千文) 4-3 九州(加藤正夫、大竹英雄、三村智保、村岡利彦、深堀正雄、小森祥嗣、星野智美) --------- 棋道 曖昧さ回避 この項目では、1924年-1999年に発行されていた日本棋院の機関誌について説明しています。方円社が1913年に発行した雑誌については「方円社#出版活動」をご覧ください。 棋道(きどう)とは、1924年-1999年に発行されていた日本棋院の機関誌。1924年(大正13年)の日本棋院発足とともに、その機関誌として10月に発刊される。1999年(平成11年)7月号で終刊、姉妹誌『囲碁クラブ』と合併して『碁ワールド』となった。 棋戦などの手合の棋譜や解説などの情報の掲載の他、独自の企画なども行い、情報誌としての機能に加え、メディアを通じての囲碁普及の役割も担った。雑誌として75年の歴史は、日本でも『中央公論』『文藝春秋』に次ぐ長さだった。 目次 [非表示] 1 歴史 2 記事・企画 3 棋道賞 4 参考文献 歴史[編集] 日本棋院設立時の出版事業として、方円社「囲碁新報」、中央棋院「棋院新報」を引き継ぐ新たな機関誌として発行されることとなり、会員に無料配付することとなった。創刊号は68ページ、定価50銭、表紙は斎藤松洲。 1935年からは駅売店で販売される。1944年(昭和19年)には紙の供給事情悪化のため『囲碁クラブ』を合併し、次いで11月に休刊となる。戦後1946年8月に村島誼紀が編集主任となって復刊。復刊時は32ページで定価6円だった。1948年に職員採用があるまで高川格ら棋士によって編集されていた。 1948年からグラビアページを掲載。1950年4月号で初の誌上実力認定試験を行う。1968年からは「棋道賞」を設け、年間の優秀棋士を表彰。1974年からはカラーグラビア掲載。1984年7月号から活版からオフセット印刷に移行。1990年代後半の日本棋院の財政事情の悪化により、「囲碁クラブ」と統合して「碁ワールド」となり、「棋道」は1997年7月号通巻923号をもって終刊となる。 他に大手合の棋譜を掲載した「棋院棋譜」が発行され、1927年の大手合制度改正後は「大手合週報(週刊棋道)」が1943年まで刊行された。1961年からは棋道臨時増刊「囲碁年鑑」が毎年発行されるようになった。 記事・企画[編集] 独自棋戦 「新鋭三羽烏勝抜争覇戦」1943年、藤沢朋斎、高川格、坂田栄男による総当戦(優勝坂田)。 「棋道チャンピオン戦」1977-78年、プロトップ棋士による勝ち抜き戦。 「共立住販杯争奪プロアマ8強オープン戦」1987-88年、若手プロとアマ強豪各8名によるトーナメント、第2回まで実施。(優勝結城聡、趙善津) 「荏原製作所・暁星グループ杯世界頂上対決三番勝負」1990年に800号記念企画として、前年の応昌期杯優勝の曺薫鉉と富士通杯優勝の武宮正樹の三番勝負を行った(武宮2-0)。 「32時間一番勝負」1996年、持時間各16時間、打ち継ぎ4回の一番勝負を主催。棋戦の持ち時間が短縮される傾向にあり、三大タイトルの挑戦手合も各8時間、国際棋戦では3時間が主流となっている時世へのアンチテーゼとして「挑戦!平成の名局」と銘打って企画された。第1局は依田紀基-結城聡(中押勝)戦が1-4月号に掲載。第2局は山田規三生-羽根直樹(半目勝)を6-9月号に掲載。 読み物・講座 「昭和新法互先布陣」1928年連載。本因坊秀甫『方円新法』を上回る布石体系を築こうと本因坊秀哉、中川亀三郎、岩佐銈、瀬越憲作、鈴木為次郎などの合議による布石講座。過去に比して足早で戦い方が厳しく、四線への着手でバランスを取ろうという手法が見られる。 「秀格棋話」1977年に、高川秀格名誉本因坊のエッセイを連載。 「中国囲碁外史」1986年9月号から1991年12月号まで連載。古代から清代までの中国の囲碁の歴史、エピソード。田振林・祝士維。 「棋道ミニ博物館」1993年1月号から1995年12月号に連載、囲碁に関する文化事物の紹介。文は相楽十梧、資料提供は水口藤夫で、切手、浮世絵から古代発掘品まで幅広く掲載された。 「ぶらり囲碁紀行」1996年1月号から1999年7月号まで連載した、早稲田大学教授三浦修により、全国各地の囲碁にまつわる史跡、文化を訪ね、写真と共に紹介するエッセイ。 「由紀のイタリア日記」1997年4月号から、ヨーロッパでの囲碁普及のためにイタリアに長期滞在する重野由紀の近況報告エッセイを連載。「碁ワールド」でも引き続き連載。 その他 「日本棋院全棋士年間総合星取表」毎月の棋士の成績を掲載。 「詰碁コーナー」詰碁の新題2問を毎号掲載し、解答正解者に賞品を贈呈。1999年6月号まで掲載。戦後復刊以後の一部は「昭和の詰碁」(全3巻、日本棋院 1990年)として出版された。 「段位認定テスト」誌上に掲載された問題に綴じ込み葉書で回答し、得点に応じて段位(六段まで)を認定する。 「県百傑戦」1983年に各県の日本棋院会員による100位までの順位戦を企画、掲載した。しかし各県支部、幹事による運営負担が大きく、1984年6月号で掲載は終了、自然消滅となった。 「プロの一手グランプリ」1985-87年、プロ棋士の毎月の対戦の中から「現代版耳赤の一手」を選考し、年間最優秀一手賞を選出。最優秀作品の賞金は30万円。選考は石田章(85)、高木祥一(86)、片岡聡(87)、選考委員は藤沢秀行、坂田栄男。 棋道賞[編集] 1968年から日本棋院所属棋士の前年の成績による優秀棋士を表彰。 「棋道賞」も参照 第1回の賞は、「最優秀棋士賞」「最多勝利賞」「勝率第一位賞」「連勝賞」「殊勲賞」「敢闘賞」「技能賞」「女流賞」「新人賞」部門。記録部門である最多勝利、勝率、連勝以外の賞は、棋戦主催社である新聞社、テレビ局などの担当記者による選考委員の選考会の評議で決定する。部門賞は23回(1989年度)から「国際賞」新設。25回(1991年度)から殊勲賞、敢闘賞、技能賞を廃止し、「優秀棋士賞」「最多対局賞」新設。その他、年度によって随時特別賞が贈られる。また記録部門は当初七段以上が対象だったが、29回(1995年度)から五段以上に変更。その後「碁ワールド」誌に継続される。 参考文献[編集] 木谷實『囲碁百年 2 新布石興る』平凡社 1968年 --------- 棋道賞 棋道賞(きどうしょう)は年間で活躍した囲碁棋士に贈られる賞。 BYR color wheel.svg この項目では色を扱っています。閲覧環境によっては、色が適切に表示されていない場合があります。 目次 [非表示] 1 概要 2 歴代受賞者 3 記録 4 詳細 5 出典 6 参考資料 7 外部リンク 概要[編集] 1967年(昭和42年)、日本棋院の機関誌「棋道」主催で、関係者と棋戦主催者の代表により誌上で選考する形で創設。1999年(平成11年)の第33回からは、「碁ワールド」誌主催となった。 部門賞は年によって変更されることがある。 賞は「最優秀棋士賞」「最多勝利賞」「勝率第一位賞」「連勝賞」「殊勲賞」「敢闘賞」「技能賞」「女流賞」「新人賞」、第25回(1991年度)から殊勲賞、敢闘賞、技能賞、を廃して、「優秀棋士賞」「最多対局賞」「国際賞」が創られた。 毎年2月の選考会の後に発表、3月に日本棋院で合同表彰式が行われる。 歴代受賞者[編集] ※受賞は翌年。 - 年号 成績年 最優秀 棋士賞 最多勝利 賞 勝率 第一位賞 連勝 記録賞 殊勲賞 敢闘賞 技能賞 女流賞 新人賞 特別賞 第1回 昭和42 1967年 坂田栄男 林海峰 大窪一玄 大窪一玄 武宮正樹 岩本薰 久井敬史 木谷禮子 加藤正夫 第2回 昭和43 1968年 高川格 高川格 藤澤秀行 高川格 藤澤秀行 兒玉幸子 石田芳夫 加藤正夫 木谷禮子 武宮正樹 第3回 昭和44 1969年 林海峰 藤澤秀行 梶原武雄 藤沢朋斎 大竹英雄 加藤正夫 武宮正樹 本田幸子 石田芳夫 第4回 昭和45 1970年 大竹英雄 石田芳夫 石田芳夫 石田芳夫 武宮正樹 小島高穗 加藤正夫 木谷禮子 曹薰鉉 第5回 昭和46 1971年 石田芳夫 石田芳夫 加藤正夫 島村俊廣 島村俊宏 工藤紀夫 藤沢朋斎 杉内雅男 --- 趙治勲 第6回 昭和47 1972年 坂田栄男 高木祥一 加藤正夫 高木祥一 加藤正夫 趙治勲 杉内寿子 大平修三 本田幸子 小林光一 第7回 昭和48 1973年 林海峰 武宮正樹 武宮正樹 武宮正樹 小林光一 岩本薰 石井邦生 杉内寿子 山城宏 第8回 昭和49 1974年 石田芳夫 武宮正樹 戸澤昭宣 土田正光 戸澤昭宣 趙治勲 小林光一 島村俊宏 白鳥澄子 上村陽生 第9回 昭和50 1975年 大竹英雄 趙治勲 大平修三 小林光一 趙治勲 坂田栄男 大平修三 小川誠子 郡寿男 第10回 昭和51 1976年 加藤正夫 加藤正夫 趙治勲 武宮正樹 高木祥一 武宮正樹 小林光一 趙治勲 小林千寿 小林覚 第11回 昭和52 1977年 加藤正夫 林海峰 林海峰 林海峰 小林光一 島村俊宏 工藤紀夫 小林千寿 新垣武 第12回 昭和53 1978年 加藤正夫 大竹英雄 羽根泰正 大竹英雄 山城宏 羽根泰正 石田章 小川誠子 王立誠 第13回 昭和54 1979年 加藤正夫 趙治勲 林海峰 橋本誼 趙治勲 趙治勲 春山勇 石田章 小川誠子 片岡聡 第14回 昭和55 1980年 趙治勲 趙治勲 佐藤昌晴 山部俊郎 福井正明 佐藤昌晴 山部俊郎 木谷禮子 伊藤庸二 第15回 昭和56 1981年 趙治勲 山城宏 山城宏 山城宏 王銘琬 依田紀基 小林光一 楠光子 石倉昇 白鳥澄子 第16回 昭和57 1982年 趙治勲 小林光一 石田章 小林覚 石田章 片岡聡 王立誠 石田章 小林禮子 依田紀基 第17回 昭和58 1983年 林海峰 林海峰 小林覚 山城宏 王銘琬 小林覚 高木祥一 杉内寿子 小県真樹 楠光子 第18回 昭和59 1984年 趙治勲 小林光一 桑田泰明 桑田泰明 小林光一 山城宏 依田紀基 大平修三 楠光子 王銘琬 第19回 昭和60 1985年 小林光一 小林光一 郡寿男 羽根泰正 王銘琬 楠光子 宮沢吾朗 楠光子 大矢浩一 武宮正樹 第20回 昭和61 1986年 加藤正夫 王立誠 工藤紀夫 加藤正夫 依田紀基 王立誠 山城宏 小川誠子 新海洋子 第21回 昭和62 1987年 加藤正夫 趙治勲 大平修三 大平修三 依田紀基 王銘琬 大平修三 宮崎志摩子 小松英樹 藤澤秀行 第22回 昭和63 1988年 小林光一 小県真樹 羽根泰正 小林覚 小林光一 依田紀基 依田紀基 宮崎志摩子 羽根泰正 宮崎志摩子 三村智保 藤澤秀行 第23回 平成元年 1989年 小林光一 依田紀基 依田紀基 依田紀基 王銘琬 依田紀基 依田紀基 青木喜久代 - 第24回 平成2 1990年 小林光一 依田紀基 後藤俊午 後藤俊午 羽根泰正 小林覚 依田紀基 中澤彩子 柳時熏 - 連勝 記録賞 殊勲賞 敢闘賞 技能賞 25~ 年号 成績年 最優秀 棋士賞 最多 勝利賞 勝率 第一位賞 連勝賞 最多 対局賞 優秀 棋士賞 国際賞 女流賞 新人賞 特別賞 第25回 平成3 1991年 小林光一 小松英樹 工藤紀夫 王立誠 柳時熏 藤澤秀行 青木喜久代 趙善津 第26回 平成4 1992年 小林光一 小松英樹 土田正光 加藤正夫 小林光一 小松英樹 藤澤秀行 小松英樹 加藤朋子 山田規三生 第27回 平成5 1993年 小林光一 加藤正夫 王銘琬 加藤正夫 加藤正夫 佐藤昌晴 小川誠子 加藤朋子 第28回 平成6 1994年 趙治勲 加藤正夫 小林覚 小林覚 山田規三生 柳時熏 加藤朋子 森田道博 第29回 平成7 1995年 小林覚 小林覚 王立誠 王立誠 小県真樹 加藤正夫 武宮正樹 王立誠 中澤彩子 羽根直樹 第30回 平成8 1996年 趙治勲 羽根直樹 山田規三生 松村龍一 片岡聡 依田紀基 柳時熏 西田栄美 高尾紳路 第31回 平成9 1997年 趙治勲 羽根直樹 山下敬吾 山田規三生 山下敬吾 工藤紀夫 山田規三生 青木喜久代 山下敬吾 第32回 平成10 1998年 趙治勲 山下敬吾 高尾紳路 小松英樹 山下敬吾 山下敬吾 王立誠 彦坂直人 依田紀基 小林泉美 秋山次郎 第33回 平成11 1999年 趙治勲 高尾紳路 山下敬吾 羽根直樹 高尾紳路 趙善津 小林光一 依田紀基 知念かおり 小林泉美 第34回 平成12 2000年 王立誠 山下敬吾 張栩 高尾紳路 山下敬吾 依田紀基 王銘琬 山下敬吾 王立誠 祷陽子 張栩 第35回 平成13 2001年 王立誠 羽根直樹 三村智保 高尾紳路 羽根直樹 林海峰 羽根直樹 --- 小林泉美 溝上知親 第36回 平成14 2002年 加藤正夫 張栩 張栩 小林覚 張栩 王立誠 張栩 ハンス・ピーチ 小林泉美 河野臨 第37回 平成15 2003年 張栩 張栩 蘇耀国 山田規三生 張栩 山下敬吾 依田紀基 羽根直樹 趙治勲 小林泉美 蘇耀国 第38回 平成16 2004年 張栩 高尾紳路 鶴山淳志 高尾紳路 山下敬吾 山下敬吾 - 知念かおり 金秀俊 趙治勲 第39回 平成17 2005年 張栩 小林覚 井山裕太 武宮正樹 張栩 羽根直樹 高尾紳路 張栩 矢代久美子 井山裕太 第40回 平成18 2006年 山下敬吾 張栩 仲邑信也 張栩 山下敬吾 高尾紳路 張栩 依田紀基 謝依旻 松本武久 第41回 平成19 2007年 張栩 張栩 森田道博 張栩 張栩 山下敬吾 趙治勲 - 謝依旻 黄翊祖 第42回 平成20 2008年 張栩 張栩 林子淵 森田道博 井山裕太 羽根直樹 井山裕太 - 謝依旻 謝依旻 第43回 平成21 2009年 張栩 井山裕太 李沂修 張栩 井山裕太 高尾紳路 井山裕太 - 謝依旻 李沂修 第44回 平成22 2010年 張栩 山下敬吾 山城宏 山下敬吾 山下敬吾 山下敬吾 謝依旻 - 謝依旻 林漢傑 第45回 平成23 2011年 山下敬吾 井山裕太 金秀俊 金沢真 井山裕太 井山裕太 羽根直樹 謝依旻 - 謝依旻 内田修平 謝依旻 第46回 平成24 2012年 井山裕太 井山裕太 井山裕太 張豊猷 井山裕太 張栩 山下敬吾 - 謝依旻 伊田篤史 第47回 平成25 2013年 井山裕太 井山裕太 一力遼 富士田明彦 井山裕太 - 井山裕太 向井千瑛 富士田明彦 一力遼 第48回 平成26 2014年 井山裕太 河野臨 許家元 河野臨 河野臨 高尾紳路 一力遼 藤沢里菜 金沢真 藤沢里菜 第49回 平成27 2015年 井山裕太 井山裕太 許家元 芝野虎丸 井山裕太 山下敬吾 伊田篤史 一力遼 謝依旻 許家元 - 年号 成績年 最優秀 棋士賞 最多 勝利賞 勝率 第一位賞 連勝賞 最多 対局賞 優秀 棋士賞 国際賞 女流賞 新人賞 特別賞 ※5期以上のタイトルを獲得した棋士の名前には着色している。 記録[編集] 最優秀棋士賞獲得数 9回:趙治勲 7回:加藤正夫・小林光一・張栩 3回:林海峰 詳細[編集] ※受賞は翌年。 - 成績年 最多勝利 賞 勝数 勝率 第一位賞 率 連勝 記録賞 第1回 1967年 林海峰 30 大窪一玄 .750 大窪一玄 12 第2回 1968年 高川格 藤澤秀行 26 高川格 .722 藤澤秀行 11 第3回 1969年 藤澤秀行 34 梶原武雄 .727 藤沢朋斎 9 第4回 1970年 石田芳夫 35 石田芳夫 .795 石田芳夫 9 第5回 1971年 石田芳夫 加藤正夫 36 島村俊廣 .786 島村俊宏 13 第6回 1972年 高木祥一 加藤正夫 30 高木祥一 .732 加藤正夫 12 第7回 1973年 武宮正樹 36 武宮正樹 .818 武宮正樹 13 第8回 1974年 武宮正樹 39 戸澤昭宣 .765 土田正光 戸澤昭宣 11 第9回 1975年 趙治勲 39 大平修三 .739 小林光一 11 第10回 1976年 加藤正夫 趙治勲 46 武宮正樹 .787 高木祥一 13 第11回 1977年 林海峰 42 林海峰 .808 林海峰 24 第12回 1978年 大竹英雄 39 羽根泰正 .829 大竹英雄 13 第13回 1979年 趙治勲 林海峰 39 橋本誼 .762 趙治勲 12 第14回 1980年 趙治勲 38 佐藤昌晴 .735 山部俊郎 11 第15回 1981年 山城宏 38 山城宏 .792 山城宏 12 第16回 1982年 小林光一 42 石田章 小林覚 .795 石田章 14 第17回 1983年 林海峰 38 小林覚 .795 山城宏 11 第18回 1984年 小林光一 38 桑田泰明 .786 桑田泰明 13 第19回 1985年 小林光一 39 郡寿男 .788 羽根泰正 12 第20回 1986年 王立誠 37 工藤紀夫 .750 加藤正夫 13 第21回 1987年 趙治勲 40 大平修三 .838 大平修三 17 第22回 1988年 小県真樹 39 羽根泰正 小林覚 .800 小林光一 依田紀基 12 第23回 1989年 依田紀基 51 依田紀基 .773 依田紀基 16 第24回 1990年 依田紀基 46 後藤俊午 .800 後藤俊午 14 成績年 最多 勝利賞 勝率 第一位賞 連勝賞 最多 対局賞 局 第25回 1991年 小松英樹 38 工藤紀夫 .844 王立誠 16 柳時熏 59 第26回 1992年 小松英樹 43 土田正光 .815 加藤正夫 16 小林光一 小松英樹 63 第27回 1993年 加藤正夫 40 王銘琬 .813 加藤正夫 22 加藤正夫 62 第28回 1994年 加藤正夫 39 小林覚 .829 小林覚 18 山田規三生 54 第29回 1995年 小林覚 王立誠 44 王立誠 .800 小県真樹 16 加藤正夫 67 第30回 1996年 羽根直樹 48 山田規三生 .810 松村龍一 15 片岡聡 66 第31回 1997年 羽根直樹 50 山下敬吾 .913 山田規三生 18 山下敬吾 69 第32回 1998年 山下敬吾 60 高尾紳路 .806 小松英樹 山下敬吾 17 山下敬吾 75 第33回 1999年 高尾紳路 61 山下敬吾 .821 羽根直樹 19 高尾紳路 75 第34回 2000年 山下敬吾 59 張栩 .811 高尾紳路 20 山下敬吾 77 第35回 2001年 羽根直樹 63 三村智保 .795 高尾紳路 18 羽根直樹 88 第36回 2002年 張栩 70 張栩 .833 小林覚 17 張栩 84 第37回 2003年 張栩 56 蘇耀国 .782 山田規三生 18 張栩 77 第38回 2004年 高尾紳路 44 鶴山淳志 .750 高尾紳路 15 山下敬吾 71 第39回 2005年 小林覚 46 井山裕太 .7547 武宮正樹 16 張栩 63 第40回 2006年 張栩 49 仲邑信也 .805 張栩 15 山下敬吾 68 第41回 2007年 張栩 51 森田道博 .8049 張栩 17 張栩 73 第42回 2008年 張栩 51 林子淵 .7949 森田道博 14 井山裕太 69 第43回 2009年 井山裕太 43 李沂修 .7600 張栩 17 井山裕太 高尾紳路 57 第44回 2010年 山下敬吾 40 山城宏 .800 山下敬吾 16 山下敬吾 63 第45回 2011年 井山裕太 48 金秀俊 .7742 金沢真 13 井山裕太 67 第46回 2012年 井山裕太 51 井山裕太 .8095 張豊猷 13 井山裕太 63 第47回 2013年 井山裕太 43 一力遼 .8511 富士田明彦 18 井山裕太 61 第48回 2014年 河野臨 50 許家元 .7895 河野臨 19 河野臨 76 第49回 2015年 井山裕太 許家元 41 芝野虎丸 .8125 井山裕太 24 山下敬吾 60 - 成績年 最多 勝利賞 勝 勝率 第一位賞 率 連勝賞 最多 対局賞 局 出典[編集] [1]【ニュースリリース】第43回大倉喜七郎賞・第47回棋道賞の受賞者決定 日本棋院 2014.02.19 [2] 日本棋院 棋士 『棋道』日本棋院 『碁ワールド』日本棋院 参考資料[編集] 『囲碁年鑑 2015』 囲碁編集部 外部リンク[編集] 日本棋院 --------- 銀河戦 銀河戦(ぎんがせん)は、囲碁将棋チャンネル主催の将棋のテレビ棋戦。双方の持ち時間が少ない早指し戦である。毎年8月から9月にかけて、決勝トーナメントが行われる。1991年度創設で、2000年から公式戦となった。最多優勝は、羽生善治の7回である。 銀河戦は同社のCS放送『囲碁・将棋チャンネル』で毎週火曜と木曜に放映されているほか、ネット配信も行われている。(詳しくはテレビ放送の項を参照) 目次 [非表示] 1 方式 1.1 予選 1.2 ブロック戦 1.3 決勝トーナメント 2 歴代決勝結果 2.1 棋士別成績 3 テレビ放送 3.1 関連番組 3.1.1 過去に放送されていたもの 3.1.2 現在放送されているもの 4 備考 5 脚注 6 関連項目 7 外部リンク 方式[編集] 予選・ブロック戦・決勝トーナメントからなり、ブロック戦以降の対局の模様が「囲碁・将棋チャンネル」で放送される。 予選[編集] ブロック戦に出場する棋士を決定するもので、将棋会館で非公開で行われる。 ただし、次の棋士は予選免除となる[要出典]。 タイトル保持者[1] 前年度決勝トーナメント進出者 順位戦上位者 持ち時間は各25分で、切れたら1手30秒。 ブロック戦[編集] A~Hの8ブロックに、各12名の棋士(合計96名、女流棋士2名、アマ4名=アマ王将・準アマ王将、アマチュア銀河戦優勝者、将棋プレミアム杯G1グランプリ優勝者=を含む[2])がパラマス形式のトーナメントを戦う。出場順は女流・アマチュアが1回戦に出場し、その後は順位戦の順位が下位の棋士から順(フリークラス→C級2組→……→A級→名人の順)に出場する。 各ブロックの優勝者と、優勝者を除く最多勝ち抜き者(複数いる場合は、出場順が後の棋士)が決勝トーナメントに出場する。1回戦の出場者が優勝したときは、そのブロックからは優勝者のみが出場し、他のブロックの決勝トーナメント出場者を除く最多勝ち抜き者に出場権が割り振られる[3]。 持ち時間は各15分で、切れたら1手30秒となる。ただし切れてからも1分単位で合計10回の考慮時間がある。 第9期まではA~Dの4ブロックに、各24名(第4期・第5期のみ各12名)の棋士によるパラマス形式トーナメントだった。このため、決勝トーナメント出場者は8名だった。 解説者・聞き手は固定されていないが、ブロック戦は2局を1日で収録しているため、解説者・聞き手は2局続けて出演している。 決勝トーナメント[編集] 16名による通常のトーナメントである。初戦は、ブロックの優勝者と他のブロックの最多勝ち抜き者が当たるように組まれる。 持ち時間はブロック戦と同じ。 第9期までは8名によるトーナメントだった。 決勝戦で優勝した場合、「銀河」の称号が与えられ、次回大会まで番組内では「稲葉陽銀河」などのように呼称される。渡辺明が優勝した時には「銀河竜王」という称号になるため本人のブログなどで話題になった。第22期 銀河戦 歴代決勝結果[編集] 第1期から第7期までは非公式戦であり、棋士の成績(勝敗数、公式戦優勝回数等)にはカウントされていない。 ※段位・称号は対局当時のもの。 期 決勝年 優勝 準優勝 1 1992年 郷田真隆王位 森下卓七段 2 1993年 森内俊之六段 南芳一九段 3 1994年 田中寅彦八段 川上猛四段 4 1996年 森内俊之八段 田中寅彦九段 5 1997年 羽生善治四冠 福崎文吾八段 6 1998年 羽生善治四冠 佐藤康光名人 7 1999年 郷田真隆八段 谷川浩司棋聖 以降、公式戦 8 2000年 羽生善治五冠 堀口一史座五段 9 2001年 羽生善治四冠 深浦康市七段 10 2002年 谷川浩司王位 羽生善治竜王 11 2003年 佐藤康光棋聖 中川大輔七段 12 2004年 羽生善治王位・王座 谷川浩司棋王 13 2005年 渡辺明竜王 森内俊之名人 14 2006年 羽生善治三冠 小林裕士六段 15 2007年 渡辺明竜王 森内俊之名人 16 2008年 佐藤康光棋王 三浦弘行八段 17 2009年 阿久津主税七段 深浦康市王位 18 2010年 佐藤康光九段 丸山忠久九段 19 2011年 渡辺明竜王 糸谷哲郎五段 20 2012年 羽生善治二冠 阿久津主税七段 21 2013年 稲葉陽六段[4] 橋本崇載八段 22 2014年 渡辺明二冠 松尾歩七段 23 2015年 深浦康市九段 佐藤天彦八段 24 2016年 藤井猛九段 広瀬章人八段 棋士別成績[編集] 棋士 優勝 準優 優勝年度 準優勝年度 羽生善治 7 1 1997,1998,2000,2001,2004,2006,2012 2002 渡辺明 4 - 2005,2007,2011,2014 佐藤康光 3 1 2003,2008,2010 1998 森内俊之 2 2 1993,1996 2005,2007 郷田真隆 2 - 1992,1999 谷川浩司 1 2 2002 1999,2004 深浦康市 1 2 2015 2001,2009 田中寅彦 1 1 1994 1996 阿久津主税 1 1 2009 2012 稲葉陽 1 - 2013 藤井猛 1 - 2016 森下卓 - 1 1992 南芳一 - 1 1993 川上猛 - 1 1994 福崎文吾 - 1 1997 堀口一史座 - 1 2000 中川大輔 - 1 2003 小林裕士 - 1 2006 三浦弘行 - 1 2008 丸山忠久 - 1 2010 糸谷哲郎 - 1 2011 橋本崇載 - 1 2013 松尾歩 - 1 2014 佐藤天彦 - 1 2015 広瀬章人 - 1 2016 テレビ放送[編集] 1週間に2局ずつ放送される。時刻はいずれも日本時間。 火曜日 20:00~21:38(再放送:翌週火曜日 8:00~、再々放送:水曜日 24:00~) 木曜日 20:00~21:38(再放送:翌週木曜日 8:00~、再々放送:金曜日 24:00~) その他、前期以前の対局も放送されている。いずれも対局が早く終わった場合は、「スーパー詰将棋」などの再放送で穴埋めする。 第21期(2012年10月)からは、両対局者と記録係に合わせて棋譜読み上げ係が登場し、NHK杯同様に棋譜の読み上げを行うようになった。同チャンネルで放送される女流棋戦の女流王将戦でも同様の措置がとられている。 第22期(2013年10月8日)から、初回放送が火曜日、木曜日(いずれも20:00~21:38)に変更となる。また、この期から、手番が表示されるようになった。この措置は上記の棋譜読み上げと同じく女流王将戦でも実施されている。 ネット配信については、2017年現在は自社運営の「将棋プレミアム」、ニコニコ動画の「銀河将棋チャンネル」での視聴が可能(いずれも有料)。また、AbemaTVの将棋チャンネルでは過去分の再放送が行われている。 関連番組[編集] 過去に放送されていたもの[編集] 以下の2番組が、第19期まで放送されていた。 銀河クラブ(毎週水曜日17:30~18:00、毎週金曜日12:30~13:00、毎週土曜日9:00~9:30) - 最新2局の棋譜解説や、翌週放送の見所などを紹介。 銀河戦ダイジェスト(毎週水曜日17:15~18:00ほか) - 最新2局の棋譜解説など。進行役の観戦記者1名と解説役のプロ棋士1名の計2名が出演。 現在放送されているもの[編集] 第20期以降は、本棋戦のダイジェスト番組は放送されていない。 備考[編集] 第4期(1995-1996年)に、女流棋士の斎田晴子がベスト8に入っている。 第12期(2003-2004年)に、当時アマチュアの瀬川晶司がベスト8に入っている。瀬川がプロ入りを嘆願するきっかけとなった。 第6期(1997-1998年)Aブロック22回戦(1998年7月1日対局)、島朗が丸山忠久との対局で、持ち駒だった銀将を誤って成銀で打ってしまい、反則負けとなった。島は「テレビ対局用の一字彫の駒だったため、見間違えた」と語った。 第7期(1998-1999年)Dブロック3回戦では山崎隆之が佐伯昌優相手に、第22期(2013-2014年)Bブロック1回戦では沖幹生アマが伊藤博文相手に、二歩を打って反則負けとなった。 第13期(2004-2005年)のCブロック9回戦(2005年5月26日放送、5月10日対局)で、加藤一二三が阿部隆との対局で「待った」の反則をしたとして、次回第14期大会への出場停止と対局料没収の処分を科された。実際には加藤が秒読みに追われいったん△3七桂不成と着手して秒読みが止まった後で、その駒を再び取り上げて桂成に指し手を変更したもので、阿部がその場で秒読みの扱いについて抗議した。その結果、加藤の消費時間を算入した上で対局は続行され、結果、加藤の勝ちとなった。しかし放映後に視聴者からの抗議が寄せられた為、将棋連盟の理事会で検討した結果、反則と裁定された。ただし、理事会の決定が次の10回戦の対局後だったため、加藤の勝ちは変わらなかった(結局、加藤はその10回戦で深浦康市に敗れた)。 脚注[編集] [ヘルプ] ^ 朝日オープン選手権が挑戦手合制であった2000~2006年は同選手権者も含まれた。 ^ 2007年度の第16期は、女流棋士が3名、アマチュア選手が1名という構成になっている。 ^ 2013年度までに1回戦出場者がブロック優勝した例はないが、同一システムで実施されている囲碁の竜星戦で発生している(第12期Eブロックの河野臨六段が唯一達成、段位は当時)。 ^ 稲葉はこの対局に勝利して昇段規定の「六段昇段後全棋士参加棋戦優勝」を満たし、収録日の2013年8月16日付で七段に昇段した(放送日は2013年9月26日)。日本将棋連盟トップページ(2013年9月27日閲覧)、稲葉陽六段が七段に昇段 日本将棋連盟2013年8月17日付お知らせ。 関連項目[編集] 竜星戦(囲碁将棋チャンネル主催の囲碁のテレビ棋戦) 日本将棋連盟 外部リンク[編集] 囲碁・将棋チャンネル --------- 銀星囲碁 銀星囲碁(ぎんせいいご)は、コンピュータ囲碁のプログラム。2002年には初段の認定を受けた。 思考エンジンは北朝鮮の朝鮮コンピューターセンターが開発したKCC囲碁が元となっている。 目次 [非表示] 1 足跡 2 シリーズ 2.1 発売元:シルバースタージャパン 2.2 発売元:マグノリア 2.3 発売元:ジャングル 2.4 販売元:ソースネクスト 2.5 販売元:メディアカイト 3 銀星囲碁の主な仕様 4 脚注 5 関連項目 6 外部リンク 足跡[編集] 1997年 FOST杯コンピュータ囲碁世界選手権などに「シルバー囲碁 Silver Igo」として出場。ING杯世界コンピュータ囲碁大会では4位となる。 1998年 FOST杯で6勝1敗の成績で優勝。 1999年 FOST杯で7勝1敗の成績で優勝。日本棋院より2級の認定を受ける。 2002年 金島忠九段より初段認定、『世界最強銀星囲碁3』として発売される。 2003年 世界コンピュータ囲碁大会 岐阜チャレンジ2003を、7勝1敗で優勝。 2004年 世界コンピュータ囲碁大会 岐阜チャレンジ2004を、9勝1敗で優勝。 2005年 世界コンピュータ囲碁大会 岐阜チャレンジ2005を、9戦全勝で優勝、3連覇。 2006年 au携帯端末向け「最強銀星モバイル」を開始。 世界コンピュータ囲碁大会 岐阜チャレンジ2006を、9戦全勝で優勝、4連覇、公式戦23連勝を記録。 2007年 ニンテンドーDS向け『遊んで囲碁が強くなる 銀星囲碁DS』(発売:エレクトロニック・アーツ)が発売される。 2009年 近年急速に台頭してきたモンテカルロ法による思考エンジンを中盤用に採用した『世界最強銀星囲碁10』が発売される。 第3回UEC杯コンピュータ囲碁大会優勝。 2010年 PlayStation Portable (PSP)向け『銀星囲碁ポータブル』(発売:シルバースタージャパン)が発売される。 2014年 PlayStation Vita向け『銀星囲碁 ネクストジェネレーション』(発売:シルバースタージャパン)が発売される[1]。 2016年 近年急速に台頭してきたディープラーニングのアルゴリズムを取り入れ、アマチュア八段相当とされる『世界最強銀星囲碁17』が発売される。 シリーズ[編集] 発売元:シルバースタージャパン[編集] 銀星囲碁(1999年4月9日発売) 銀星囲碁 2(2000年9月8日発売) 世界大会(FOST杯)優勝エンジン搭載 小島高穂九段より2級認定を受けた 自動対局ツール搭載 OCR機能搭載 世界最強 銀星囲碁 3(2002年4月18日発売) 金島忠九段から初段認定を受けた 前作までの思考エンジン5種類をすべて搭載 別の手機能・目隠し碁・一色碁・リアルタイム地合い表示機能搭載 世界最強 銀星囲碁 3 感謝特別価格版(2002年11月16日発売) 銀星囲碁3が売上No.1を獲得したことを記念した廉価版 世界最強 銀星囲碁 3 Newスタンダード(2003年2月28日発売) 機能限定の廉価版 世界最強 銀星囲碁 4(2003年6月27日発売) 約10万手の定石データベース・定石エディタを搭載 詰碁問題80問収録 詰碁エンジン・音声エンジン搭載 世界最強 銀星囲碁 4 優勝記念特別版(2003年11月28日発売) 「世界コンピュータ囲碁大会Gifuチャレンジ2003」優勝を記念して国際囲碁大学発行の書籍「史上初世界の覇者 薫鉱 布石学特別講座1-3」3冊をもれなくプレゼント 世界最強 銀星囲碁 4 NEW スタンダード(2004年4月23日発売) 機能限定の廉価版 世界最強 銀星囲碁 5 王座(2004年7月9日発売) 宣伝文句は、「15万手におよぶ定石データ、その定石をカバーする布石データを入力し、アマチュア3・4段に匹敵する序盤を実現」 定石・布石エディタ搭載 盤面を3D化(2Dも選択可能) 詰碁問題100問収録 銀星囲碁研究(2004年11月26日発売) 銀製囲碁5に、詰碁問題を400問・手筋問題を100問・布石問題を100問の計600問をプラス 超高速銀星囲碁(2004年11月26日発売) 銀星囲碁5のエンジンを、平均1手5秒という超高速型に改良(棋力は若干低下) 世界最強 銀星囲碁 6(2005年8月26日発売) 4段階の思考速度、5種類のコンピュータ戦法 一度負けた手順は二度と使わない自動学習機能搭載 詰碁問題200問収録 世界最強 銀星囲碁 6 3年連続優勝記念パワーアップキット(2005年12月16日発売) 世界コンピュータ囲碁大会3連覇を記念して、銀星囲碁 六に流行定石・布石を追加したパワーアップ版 簡単銀星囲碁(2006年3月24日) 銀星囲碁 六の機能限定・高速版(棋力は若干低下) 世界最強 銀星囲碁 7(2006年12月15日発売) 5種類の戦法(一般型/三連星/小林流/中国流/ミニ中国流)、3種類の棋風(一般型/勢力型/実利型)、4段階のレベル(下級/標準/上級/最上級)、4段階の思考時間(無制限/長い/普通/短い)から選択できる 詰碁エンジン搭載 詰碁問題200問・ヨセ問題30問・この手何目問題30問収録 スリムパッケージ版も同日発売 世界最強 銀星囲碁 6 NEWスタンダード(2007年4月27日発売) 機能限定の廉価版 世界最強 銀星囲碁 8(2007年12月21日発売) 超高速銀星囲碁2(2008年10月3日発売) 平均1手5秒という銀星囲碁九の高速改良版(棋力は若干低下) 世界最強 銀星囲碁 7 NEWスタンダード(2008年10月24日) 機能限定の廉価版 世界最強 銀星囲碁 9(2008年12月12日発売) アルゴリズムに「αβ法」を搭載 マルチコアCPU対応 世界最強 銀星囲碁 10(2009年12月18日発売) モンテカルロ法を採用。 世界最強 銀星囲碁 8 NEWスタンダード(2010年3月12日) 廉価版 世界最強 銀星囲碁 11(2010年11月26日) 世界最強 銀星囲碁 9 NEWスタンダード(2011年3月18日) 廉価版 世界最強 銀星囲碁 12(2011年12月9日) 世界最強 銀星囲碁 10 NEWスタンダード(2012年3月16日) 廉価版 世界最強 銀星囲碁 13(2012年12月7日) 世界最強 銀星囲碁 14(2013年12月13日) 世界最強 銀星囲碁 15(2014年12月19日) 世界最強 銀星囲碁 16(2016年3月4日) 世界最強 銀星囲碁 17(2016年12月16日) 発売元:マグノリア[編集] ファミリー囲碁(1998年発売) バリュー囲碁(1999年発売) 世界最強 銀星囲碁 for WindowsCE(2000年3月24日発売) 銀星囲碁のWindowsCE版 2級認定 棋譜記録鑑賞ソフト「PocketGoban」を同梱 世界最強 銀星囲碁 for Macintosh(2000年11月10日発売) 銀星囲碁のMacintosh版 2級認定 ファミリー囲碁 2(2000年発売) 世界最強 銀星囲碁 2 with パワーアップキット(2001年7月発売) 銀星囲碁 2のパワーアップ版 日本棋院1級認定 ファミリー囲碁3 スーパーストロング(2001年11月9日発売) 2級認定 バリュー囲碁 2(2001年12月7日発売) ファミリー囲碁3 デラックス&ストロング(2002年8月2日発売) 日本棋院1級認定 思考時間は一局を通して平均5分以内 バリュー囲碁 3(2003年5月30日発売) ファミリー囲碁 4(2004年3月25日発売) バリュー囲碁 4(2004年6月25日発売) バリュー囲碁 5(2006年6月16日発売) IT囲碁(2009年4月27日発売) 銀星囲碁 Premium(2010年4月2日発売) 銀星囲碁 Premium 2(2011年5月20日発売) 銀星囲碁 Premium 3(2012年4月27日発売) マグノリアから発売しているのは、非モンテカルロの廉価版である。 発売元:ジャングル[編集] 世界最強銀星囲碁 Super PLATINUM(2010年7月8日発売) 世界最強銀星囲碁 Super PLATINUM 2(2011年4月21日発売) 世界最強銀星囲碁 Super PLATINUM 3(2012年4月6日発売) 世界最強銀星囲碁 Super PLATINUM 4(2013年4月18日発売) ジャングルから販売している廉価版である。 販売元:ソースネクスト[編集] 世界最強銀星囲碁4 NEWスタンダード(2006年6月30日発売) ソースネクストは現在、銀星囲碁を販売していない。 販売元:メディアカイト[編集] Great Series 世界最強 銀星囲碁 2(2002年3月8日販売) Ultra Series 世界最強 銀星囲碁(2002年4月5日発売) Super1500 ファミリー囲碁 2 (2002年4月19日販売) Great Series 世界最強 銀星囲碁 2の廉価版 遊遊 世界最強 銀星囲碁 2(2004年2月19日販売) 遊遊 ファミリー囲碁 2(2004年2月19日販売) おやじの挑戦 囲碁の奥義(2004年11月19日発売) 遊遊 ファミリー囲碁 3 デラックス&ストロング(2005年8月19日発売) メディアカイトは2007年に破産した。 銀星囲碁の主な仕様[編集] データ:15万手の定石、および布石パターンを格納、詰碁エンジンを搭載。 対局機能:戦法や棋風や、レベルを複数から選択可。 他の機能:自動学習機能、定石・布石エディタ、盤面編集機能・変化図の編集(分岐棋譜の作成)、棋譜OCR・棋譜印刷機能、リアルタイム地合い表示、目隠し碁・一色碁設定、音声認識による対局機能、ネット碁会所接続機能。 脚注[編集] ^ “PS Vita向け「銀星囲碁 ネクストジェネレーション」11月27日に発売決定”. 4Gamer.net. Aetas, Inc. (2014年9月2日). 2014年9月3日閲覧。 関連項目[編集] コンピュータ囲碁 最強の囲碁 天頂の囲碁 銀星将棋 外部リンク[編集] シルバースタージャパン 銀星囲碁17 | シルバースタージャパン --------- 養老 曖昧さ回避 この項目では、日本の元号について説明しています。その他の用法については「養老 (曖昧さ回避)」をご覧ください。 養老(ようろう)は、日本の元号。霊亀の後、神亀の前。717年から724年までの期間を指す。この時代の天皇は元正天皇。 改元[編集] 霊亀3年11月17日(ユリウス暦717年12月24日) 養老の滝命名に因んで改元 養老8年2月4日(ユリウス暦724年3月3日) 神亀に改元 養老期におきた出来事[編集] 717年(養老元年) 4月23日、行基の活動を禁圧する。 718年(養老2年) 5月2日、能登国・安房国を建てる。藤原不比等、養老律令を選定する。 719年(養老3年) 9月、天下の民戸に陸田を給する。 720年(養老4年) 2月、隼人の反乱勃発。5月、『日本書紀』完成、撰上。8月、藤原不比等没(63)。 721年(養老5年) 6月、諏方国を建てる。 722年(養老6年) 4月、良田100万町の開墾を計画する。 723年(養老7年) 4月17日、田地開墾のため、三世一身法施行する。 西暦との対照表[編集] ※は小の月を示す。 養老元年(丁巳) 一月 二月※ 三月※ 四月 五月※ 六月※ 七月 八月※ 九月 十月 十一月※ 十二月 ユリウス暦 717/2/16 3/18 4/16 5/15 6/14 7/13 8/11 9/10 10/9 11/8 12/8 718/1/6 養老二年(戊午) 一月 二月 三月※ 四月※ 五月 六月※ 七月※ 八月 九月※ 十月 十一月※ 十二月 ユリウス暦 718/2/5 3/7 4/6 5/5 6/3 7/3 8/1 8/30 9/29 10/28 11/27 12/26 養老三年(己未) 一月 二月 三月※ 四月 五月※ 六月 七月※ 閏七月※ 八月 九月※ 十月 十一月※ 十二月 ユリウス暦 719/1/25 2/24 3/26 4/24 5/24 6/22 7/22 8/20 9/18 10/18 11/16 12/16 720/1/14 養老四年(庚申) 一月 二月※ 三月 四月 五月※ 六月 七月※ 八月※ 九月 十月※ 十一月 十二月※ ユリウス暦 720/2/13 3/14 4/12 5/12 6/11 7/10 8/9 9/7 10/6 11/5 12/4 721/1/3 養老五年(辛酉) 一月 二月※ 三月 四月 五月※ 六月 七月※ 八月 九月 十月※ 十一月※ 十二月 ユリウス暦 721/2/1 3/3 4/1 5/1 5/31 6/29 7/29 8/27 9/26 10/26 11/24 12/23 養老六年(壬戌) 一月※ 二月 三月※ 四月 閏四月※ 五月 六月 七月※ 八月 九月 十月※ 十一月 十二月※ ユリウス暦 722/1/22 2/20 3/22 4/20 5/20 6/18 7/18 8/17 9/15 10/15 11/14 12/13 723/1/12 養老七年(癸亥) 一月※ 二月 三月※ 四月 五月※ 六月 七月※ 八月 九月 十月※ 十一月 十二月 ユリウス暦 723/2/10 3/11 4/10 5/9 6/8 7/7 8/6 9/4 10/4 11/3 12/2 724/1/1 養老八年(甲子) 一月※ 二月※ 三月 四月※ 五月※ 六月 七月※ 八月 九月 十月 十一月※ 十二月 ユリウス暦 724/1/31 2/29 3/29 4/28 5/27 6/25 7/25 8/23 9/22 10/22 11/21 12/20 関連項目[編集] [隠す] 表 話 編 歴 日本の元号 飛鳥時代 大化645-650 白雉650-654 白鳳? 朱雀? 朱鳥686 大宝701-704 慶雲704-708 和銅708-715 奈良時代 霊亀715-717 養老717-724 神亀724-729 天平729-749 天平感宝749 天平勝宝749-757 天平宝字757-765 天平神護765-767 神護景雲767-770 宝亀770-781 天応781-782 延暦782-806 平安時代 大同806-810 弘仁810-824 天長824-834 承和834-848 嘉祥848-851 仁寿851-854 斉衡854-857 天安857-859 貞観859-877 元慶877-885 仁和885-889 寛平889-898 昌泰898-901 延喜901-923 延長923-931 承平931-938 天慶938-947 天暦947-957 天徳957-961 応和961-964 康保964-968 安和968-970 天禄970-974 天延974-976 貞元976-978 天元978-983 永観983-985 寛和985-987 永延987-989 永祚989-990 正暦990-995 長徳995-999 長保999-1004 寛弘1004-1013 長和1013-1017 寛仁1017-1021 治安1021-1024 万寿1024-1028 長元1028-1037 長暦1037-1040 長久1040-1044 寛徳1044-1046 永承1046-1053 天喜1053-1058 康平1058-1065 治暦1065-1069 延久1069-1074 承保1074-1077 承暦1077-1081 永保1081-1084 応徳1084-1087 寛治1087-1095 嘉保1095-1097 永長1097-1097 承徳1097-1099 康和1099-1104 長治1104-1106 嘉承1106-1108 天仁1108-1110 天永1110-1113 永久1113-1118 元永1118-1120 保安1120-1124 天治1124-1126 大治1126-1131 天承1131-1132 長承1132-1135 保延1135-1141 永治1141-1142 康治1142-1144 天養1144-1145 久安1145-1151 仁平1151-1154 久寿1154-1156 保元1156-1159 平治1159-1160 永暦1160-1161 応保1161-1163 長寛1163-1165 永万1165-1166 仁安1166-1169 嘉応1169-1171 承安1171-1175 安元1175-1177 治承1177-1181 養和1181-1182 寿永1182-1184 元暦1184-1185 鎌倉時代 文治1185-1190 建久1190-1199 正治1199-1201 建仁1201-1204 元久1204-1206 建永1206-1207 承元1207-1211 建暦1211-1214 建保1214-1219 承久1219-1222 貞応1222-1224 元仁1224-1225 嘉禄1225-1228 安貞1228-1229 寛喜1229-1232 貞永1232-1233 天福1233-1234 文暦1234-1235 嘉禎1235-1238 暦仁1238-1239 延応1239-1240 仁治1240-1243 寛元1243-1247 宝治1247-1249 建長1249-1256 康元1256-1257 正嘉1257-1259 正元1259-1260 文応1260-1261 弘長1261-1264 文永1264-1275 建治1275-1278 弘安1278-1288 正応1288-1293 永仁1293-1299 正安1299-1302 乾元1302-1303 嘉元1303-1307 徳治1307-1308 延慶1308-1311 応長1311-1312 正和1312-1317 文保1317-1319 元応1319-1321 元亨1321-1324 正中1324-1326 嘉暦1326-1329 元徳1329-1331(大覚寺統)、1329-1332(持明院統) 大覚寺統 元弘1331-1334 持明院統 正慶1332-1333 南北朝時代 室町時代 建武1334-1336(南朝)、1334-1338(北朝) 南朝 延元1336-1340 興国1340-1347 正平1347-1370 建徳1370-1372 文中1372-1375 天授1375-1381 弘和1381-1384 元中1384-1392 北朝 暦応1338-1342 康永1342-1345 貞和1345-1350 観応1350-1352 文和1352-1356 延文1356-1361 康安1361-1362 貞治1362-1368 応安1368-1375 永和1375-1379 康暦1379-1381 永徳1381-1384 至徳1384-1387 嘉慶1387-1389 康応1389-1390 明徳1390-1394 応永1394-1428 正長1428-1429 永享1429-1441 嘉吉1441-1444 文安1444-1449 宝徳1449-1452 享徳1452-1455 康正1455-1457 長禄1457-1461 寛正1461-1466 文正1466-1467 戦国時代 応仁1467-1469 文明1469-1487 長享1487-1489 延徳1489-1492 明応1492-1501 文亀1501-1504 永正1504-1521 大永1521-1528 享禄1528-1532 天文1532-1555 弘治1555-1558 永禄1558-1570 元亀1570-1573 安土桃山時代 天正1573-1593 文禄1593-1596 慶長1596-1615 江戸時代 元和1615-1624 寛永1624-1645 正保1645-1648 慶安1648-1652 承応1652-1655 明暦1655-1658 万治1658-1661 寛文1661-1673 延宝1673-1681 天和1681-1684 貞享1684-1688 元禄1688-1704 宝永1704-1711 正徳1711-1716 享保1716-1736 元文1736-1741 寛保1741-1744 延享1744-1748 寛延1748-1751 宝暦1751-1764 明和1764-1772 安永1772-1781 天明1781-1789 寛政1789-1801 享和1801-1804 文化1804-1818 文政1818-1831 天保1831-1845 弘化1845-1848 嘉永1848-1855 安政1855-1860 万延1860-1861 文久1861-1864 元治1864-1865 慶応1865-1868 明治時代以降 明治1868-1912 大正1912-1926 昭和1926-1989 平成1989-現在 ※注1:元号の後の年代は、元号の初年と終年に対応する西暦。「天正」の初年まではユリウス暦、同じく終年以後はグレゴリオ暦による。 ※注2:「白鳳」と「朱雀」は正史『日本書紀』には見えない私年号だが、地方の文献等に散見する。 カテゴリ: 日本の元号奈良時代 案内メニュー ログインしていませんトーク投稿記録アカウント作成ログインページノート閲覧編集履歴表示検索 Wikipedia内を検索 表示 メインページ コミュニティ・ポータル 最近の出来事 新しいページ 最近の更新 おまかせ表示 練習用ページ アップロード (ウィキメディア・コモンズ) ヘルプ ヘルプ 井戸端 お知らせ バグの報告 寄付 ウィキペディアに関するお問い合わせ 印刷/書き出し ブックの新規作成 PDF 形式でダウンロード 印刷用バージョン ツール リンク元 関連ページの更新状況 ファイルをアップロード 特別ページ この版への固定リンク ページ情報 ウィキデータ項目 このページを引用 他言語版 English Español Français Bahasa Indonesia 한국어 Русский 中文 他 5 リンクを編集 最終更新 2014年6月21日 (土) 08:56 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。 テキストはクリエイティブ・コモンズ 表示-継承ライセンスの下で利用可能です。追加の条件が適用される場合があります。詳細は利用規約を参照してください。 プライバシー・ポリシーウィキペディアについて免責事項開発者Cookieに関する声明モバイルビューWikimedia Foundation Powered by MediaWiki --------- --------- ---------