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Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0)

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Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0) --------- サガリ (囲碁) サガリは囲碁用語で、すでに打たれた自分の石から、盤端に近い方に向けて隣接させて打つ手のこと。多くの場合第1~第3線に打つ手を指し、それより高い場合は「ノビ」や「ナラビ」という語が使われることが多い。動詞では「サガる」となる。昔は「オリる」という言葉も使われたが、近年では廃れている。下図1がサガリの実例である。 また、第4線の石からサガる手を、特に「鉄柱」と呼ぶことがある。極めて堅い形であることからこの名がある。下図の黒1が鉄柱の例。敵にサバキの形を与えないなどの利点があるが、反面重くなることもある。 Go dl.svg Go d.svg Go d.svg Go d.svg Go d.svg Go d.svg Go d.svg Go d.svg Go d.svg 目次 [非表示] 1 サガリの活用例 1.1 定石におけるサガリ 1.2 死活におけるサガリ 1.3 ヨセにおけるサガリ 2 参考図書 サガリの活用例[編集] 定石におけるサガリ[編集] 高目定石の一形。黒1のサガリが手筋。この石は逃げられはしないが、以下白が2から8と取りに来る間に外から利かし、厚みを築く。 死活におけるサガリ[編集] 黒1から3のハネサガリで、ふところを広げての生きとなる。 上の左図、▲のような一線までのサガリを、強調の意味を込めて「オリキリ」と呼ぶことがある。こうしたオリキリは石の死活に大きな影響を及ぼすことがある。この図の場合、右図黒1のホウリコミから黒3のオキで白が全滅となる。 ヨセにおけるサガリ[編集] 黒1のサガリがヨセの手筋。白が2のオサエなら、3から5とハネツギを先手で決められる。黒1で2にハネ、白6、黒1とハネツぐのは後手を引く。 参考図書[編集] 片岡聡『ノビとサガリ (烏鷺うろブックス)』日本棋院 1990年 --------- サバキ サバキ(さばき)は、 空手のテクニックの一つ。 囲碁用語の一つ。下記に記載。 目次 [非表示] 1 囲碁のサバキ 2 サバキの実例 2.1 例1 2.2 例2 3 参考図書 囲碁のサバキ[編集] 打ち込みや模様の消しの際に、石の強弱を適切に判断して「弱い石や孤立した石の始末をうまくつけること」(大辞泉)。全てを助けようとするのではなく、捨て石の手筋を活用して形を整えるなどが代表的なサバキの手筋で、高度なテクニックに属する。敵の重包囲網下でなんとか二眼を作り、生きを求めるような打ち方は「シノギ」と呼ばれ、サバキと区別される。 「サバキはツケから」と言われる通り、敵の石にツケることからサバキの調子を求めることは多い。また「石数が少ないときはナナメライン」(苑田勇一)という格言もある。 サバキの実例[編集] 例1[編集] 黒1のキリに対し、下方の2子をなんとか助け出そうと白2,4のようにアテ押すと、△の1子が自然に呑み込まれ、黒に大きな地を与えてしまう。 白2のツケが手筋。黒3と立って抵抗するならば、白4から6・8と突き出して10とマガれば、右方の黒2子を制しながら頭を出し、白好調と判断される。 白2のトビツケに対しては黒3とノビるくらい。以下6までが定石とされる。白のサバキが成功した図。 例2[編集] 高中国流の布石から、白が右下の黒模様に侵入した場面。白1とまともにツグと、黒2・4・6と攻めを受け、下辺が黒地として固まってしまう上、白は眼型を作るあてもない。 白1が手筋。もし黒が2のキリなら、白5から7と突き抜き、▲の石を腐らせて好調。このように、敵の勢力圏内のサバキでは全ての石を助けようとするのではなく、捨て石を効果的に使って形を整える手段が有効なことが多い。 黒も無理に切って取りに行かず、2から6と打つくらい。以下白7まで、眼型も豊富で攻められにくい形を得て、白のサバキ成功と見られる。 参考図書[編集] 『依田紀基のサバキの急所と手筋 (NHK囲碁シリーズ) 』日本放送出版協会 1994年 『片岡聡 サバキのテクニック (NHK囲碁シリーズ)』日本放送出版協会 2002年 依田紀基『サバキの最強手筋』成美堂出版 2003年 --------- サルスベリ (囲碁) サルスベリは囲碁に現れる形のひとつで、2線の石から1線にスベリを打つこと。通常サルスベリといった場合大ゲイマスベリを指し、「大ザル」とも呼ぶ。小ゲイマスベリの場合は区別して「小ザル」と呼ぶことがある。大ザルは場合にもよるが先手8目ほどの大きなヨセであるため、ヨセの初期段階で打たれることが多い。 サルスベリはヨセの重要な基本手筋であり、対策も記憶しておく必要がある。下図、左上黒1が小ザルで白は2と止める。下辺黒1のサルスベリに対しては、白2とコスミツケて受け、以下番号順に打って進出を止めるのが基本である。 余談[編集] ポカ(凡ミス)で有名な藤沢秀行は、サルスベリの止め方を間違えて半目負けを喫したことがある。[1]。 --------- 三々 三々(さんさん)は囲碁用語の一つで、碁盤上の位置を指す言葉。碁盤の隅から数えて(3,3)の地点(下図参照)。布石の段階で隅の着点として単独で打たれる他、星や高目、目ハズシなど位の高い着点に対する隅への侵入手段として打たれることも多い。 目次 [非表示] 1 布石における三々 1.1 特徴 1.2 三々の活用方法 2 星に対しての三々 3 三々の歴史 布石における三々[編集] 特徴[編集] 単独の着点としての三々は、一手で確実に実利を確保して足早に辺などへの展開が図れる利点を有する。反面星や小目に比べ位が低く、上からの圧迫を受けやすいため模様の発展性には欠ける面がある。小目などに比べれば変化が少なく紛れにくいため、実利派のアマチュアには好まれる着点でもある。 三々の活用方法[編集] 三々は一手で隅を完全に確保しているため、ここからのシマリ・カカリは小目の場合ほどに急がない。シマる場合は状況により下図a〜dなどへ展開する。カカる場合にもこれらの点にカカる時が多く、黒は対辺の一間・ケイマなどに受ける。最も多い三々へのアプローチはeの肩ツキで、位の低い三々の弱点を直接にとがめる手である。特に三々から両翼の辺に展開された場合、模様を消す意味で肩ツキは急がれる着点となる。 肩ツキした場合の基本定石を示す。黒は隅に堅く10目ほどの地を確保するが、勢力は白に奪われることになる。 白は左辺を重視する場合、白5にオサエる手もある。7まで一段落。 星に対しての三々[編集] 現代囲碁の布石の花形である星の最大の弱点は三々であり、単独で入られた場合は下図のように生きられてしまう。 上記は黒の星に対して白が他に石が無い単独の状態から三々入りした場合の定石である。ただし部分的には星に構えた所にすぐに三々入りするのは不利である。周囲にカカリがある場合やヒラキがある場合など、状況に応じて三々入りが有利か不利かは変動する。そのため「いつ三々入りするか」「いつ三々入りされないように守るか」が星の布石の重要なポイントとなる。 三々の歴史[編集] 囲碁の歴史の初期に隅への着点としてまず発生したのは小目であり、室町時代後期から江戸時代、明治時代にかけては三々はほとんど省みられなかった。特に本因坊家では三々は禁手とされており、その他の打ち手が打つ場合にも相手への挑発的な意図を込めて打たれるケースが多かったとされる。記録に残っているものでは、1838年(天保9年)の本因坊秀和-安井算知戦(先相先白番)で、9手目に秀和が空き隅に星へ打ったところ、10手目に算知が残りの空き隅の三々へ打っている。 長らく一人前の着点と見なされていなかった三々に光を当てたのは呉清源で、一手で隅を打ち切って辺への展開のスピードを重視する手法としてこれを多用し、布石の考え方に革命を起こした(新布石)。特に1933年、本因坊秀哉との対戦で三々・星・天元を連打する大胆な布石を披露し、大きな話題を呼んでいる。その後1960〜70年代にかけては坂田栄男・石田芳夫らが二隅三々を打つ「両三々」の布石を駆使して好成績を納め、流行の着点となった。 しかし近年では布石において中央への発展性を重視する傾向が強くなり、この風潮の中で三々は徐々に打たれなくなってきている(武宮正樹などは「三々は盤から落ちそうで打つ気がしない」と冗談を言っている)。現代のプロの間では、三々は趣向あるいは特殊な状況での着点という認識が強くなっているが、簡明さと機動性からいまだこれを好む人も少なくない。 --------- 三連星 曖昧さ回避 この項目では、囲碁の戦術について説明しています。天体については「連星」を、ガンダムシリーズの登場人物については「黒い三連星」をご覧ください。 三連星(さんれんせい)は囲碁における布石手法の一つ。隣り合った隅・辺・隅の星を占める布石である。辺を打たず、隣り合った隅の星を占めるのは二連星と呼ばれる。中央に大きな模様を張ることを主眼としたスタイルで、武宮正樹が有名な使い手である。 図の黒の配置が三連星、白の配置が二連星である。 目次 [非表示] 1 歴史 2 特徴 2.1 牛角三連星 2.2 オールスター 3 参考図書 4 関連項目 歴史[編集] 三連星は六子以上の置碁には必ず現れる形でありながら、互先の布石としては長らく打たれることはなかった。1933年に当時24歳の木谷実が前田陳爾を相手に実戦で試したのが始まりといわれる。この後プロ棋士間でも大流行したが、新布石の衰退に伴って打たれる回数は減っていった。 三連星に新たな輝きを与えたのは木谷の弟子武宮正樹であり、黒番ではほぼ三連星一本槍の布石を打ち続けて世界選手権を2連覇するなど活躍し、豪快な「宇宙流」を披露した。これに影響を受けて中韓でも三連星が大いに打たれた時期もあったが、近年では対策の研究が進み、やや碁形が単調になりがちとしてプロの間では打たれることが少なくなっている。 特徴[編集] 三連星の特徴は全ての石が第四線にあるため中央に模様を張るのに有利であり、かつ隅を一手で済ませているため足早な展開が可能である点である。反面地には甘く、攻め損ねて模様を荒らされてしまうと即負けにつながりやすい。 白1と内側からカカるのは黒2・白3・黒4と重くして攻め立てられ、主導権を黒に与えてしまう。また攻められている間に下方の黒模様が大きくなり、弱石を抱えている限り侵入は難しくなる。このため布石初期において、三連星に対する内側からのカカリは一般に不利とされている。 白の外側からのカカリに対しては例えば黒2へ一間にハサみ、白3への三々入りを促して黒4と押さえ、右辺に大きな黒模様を構築することを目指す。下図のような形は三連星のひとつの理想形である。またカカリに手を抜いて下辺星(a)へと展開するような手もあり、これを「四連星」と呼ぶことがある。 これに対し、白は一間バサミに対して白3と中央にトビ出し、黒4なら白5へとカケて中央への制空権を奪う手法が開発された。左辺が二連星である場合など関連させて大模様を築くこともでき、白の側からの有力な対策とされた。 また黒▲の一間には、白1の打ち込みが絶好になり、簡単に黒模様を荒らされてしまう。これは三連星布石の大きな弱点とされる。 牛角三連星[編集] 黒は前図を避けるため、カカリに対して中央へコスむ手が開発された。これも三々入りを誘って中央勝負を目指すこととなる。下図の形は2つのコスミを牛の角に見立て、「牛角三連星」と命名されている。 オールスター[編集] 黒の三連星に対して白も三連星を打ち、辺・天元を占め合うと図のような布石となる。これはオールスターまたは九連星と呼ばれ、1990年前後に流行した。ただしこの形は黒が有利という結論が出ており、現在では打たれない。 参考図書[編集] 武宮正樹『システム布石 三連星』誠文堂新光社 呉清源『呉清源教室〈1〉三連星―布石でリードする新戦略』毎日コミュニケーションズ 加藤充志『中盤の花形戦法 運用、撃退マニュアル』 関連項目[編集] 中国流 ミニ中国流 小林流 --------- 最高位戦 曖昧さ回避 この項目では、日本で開催されている麻雀のタイトル戦について説明しています。韓国で開催されている囲碁の最高位戦については「最高位戦 (韓国)」をご覧ください。 最高位戦(さいこういせん)とは、最高位戦日本プロ麻雀協会が実施する麻雀のタイトル戦である。1976年創設。現存する麻雀のタイトル戦としては1973年創設の王位戦に次いで、2番目に長い歴史をもつ。麻雀における運の要素を極力排除すべく、年間を通じた固定メンバーによる長期リーグ戦により優勝者を決するのが特徴。また、最高位戦日本プロ麻雀協会の略称として「最高位戦」が用いられることもある。 目次 [非表示] 1 概要 2 第1期最高位戦 3 歴代最高位決定戦結果 4 歴代女流最高位 5 脚注 6 外部リンク 7 関連項目 概要[編集] ムツゴロウこと畑正憲の発案を元に、1976年に初めて行われ、以後毎年1回開催されている。第1期(1976年)から第9期(1984年)までは竹書房発行の麻雀専門誌『近代麻雀』(現在は廃刊。現存する麻雀劇画誌とは別物)によって主催・運営され[1]、同誌の誌上タイトル戦という位置づけだった。しかし『近代麻雀』が編集方針変更等の理由により最高位戦の主催・運営を打ち切ったため、第10期(1985年)からは参加選手の自主運営という形で開催されるようになり、これが現在の最高位戦日本プロ麻雀協会の母体となっている。 1980年の第5期最高位決定戦の途中で、いわゆる最高位戦八百長疑惑事件が発生した。 1987年(第12期)、「日本麻雀最高位戦競技規定」を成文化[1]。1997年(第22期)より、それまでのいわゆる競技麻雀ルールから一発、裏ドラ、ノーテン罰符ありの一般的なルールに改正[2]。 本選リーグではD1リーグ、C3リーグ、C2リーグ、C1リーグ、B2リーグ、B1リーグ、Aリーグが行われており、各リーグの結果により昇級と降級が行われる。Aリーグ試合結果の上位3人が前年度最高位との「最高位決定戦」に出場する権利を得る[2]。ただし、第2期から第6期までは5名で決定戦が行われ、途中で成績が最下位の者を足切りとしていた。なお、2014年(39期)後期からD1リーグに降級点制度が導入され、2期連続降級点を取ると再受験しなければならない。 飯田正人が最多獲得数(通算10期、永世最高位)と最多連覇(4連覇、第14期〜17期)の記録を持っている。 2001年には「女流最高位戦」が発足[1]、以降毎年最高位戦リーグと同じルールで行われており[3]、本選成績上位3人が前年度女流最高位との女流最高位決定戦に出場する権利を得る[3]。 第1期最高位戦[編集] 第1期最高位戦には、元麻雀新撰組から阿佐田哲也・小島武夫・古川凱章・田村光昭・青柳賢治、日本麻雀連盟から稲垣真幸、日本麻雀道連盟から川田隆、全国麻雀段位審査会から青木博、元日本麻雀道連盟の灘麻太郎、および第2期名人位大隈秀夫が出場、この10名で「プロ・高段者限定」の固定メンバーによるリーグ戦が組まれることになり[4]、3か月後に下部リーグも設けられた[4]。ところが最高位を決める方法に関して小島武夫と古川凱章の意見が分かれ[5]、順位率と得点のどちらにするかが開催まで決まらず、結局2部門に分けて成績を評価することになった。本戦100半荘の結果、 順位率部門1位:灘麻太郎(平均順位2.305) 得点部門1位:川田隆(+356.5) となった両者が初代最高位となった。第2期以降で行われている決定戦は行われなかった。第2期からは得点と順位点の合計で成績を決める評価法を用いることで、2部門が統合され、最高位は一期につき一人だけになった。100戦で行われた本戦も、第2期は年間リーグ戦本戦40半荘・決勝リーグ30半荘という形式に変更された[6]。 歴代最高位決定戦結果[編集] 最高位の列のみ氏名の50音順ソート。 期 開催年 最高位 2位 3位 4位 5位 第1期[* 1] 順位率部門 1976年 灘麻太郎(2.305) 川田隆 (2.340) 田村光昭(+2.425) 古川凱章(2.475) 第1期[* 1] 得点部門 1976年 川田隆 (+356.5) 灘麻太郎 (+263.0) 古川凱章(+33.8) 田村光昭(+21.8) 第2期 1977年 田村光昭(+297.1) 灘麻太郎(+102.8) 川田隆(△37.8) 高木賢治(△91.7) 青柳賢治(△280.4) 第3期 1978年 小島武夫(+187.5) 佐藤孝平(+17.4) 田中貞行(△36.7) 田村光昭(△42.4) 高木賢治(△124.8) 第4期 1979年 小島武夫(+107.5) 佐藤孝平(+69.1) 大竹真吉(+58.7) 荒正義(△91.4) 高木賢治(△142.9) 第5期 1980年 田村光昭(+182.0) 畑正憲(△37.9) - [* 2] - [* 2] 小島武夫(△108.1) 第6期 1981年 狩野洋一(+178.3) 深野浩士(+16.3) 高見沢治幸(△8.9) 佐藤孝平(△108.5) 田村光昭(△77.2) 第7期 1982年 大隈秀夫(+28.2) 古川凱章(+9.2) 狩野洋一(△18.2) 大沢健二(△19.2) 第8期 1983年 青野滋(+117.3) 深野浩士(+46.2) 大隈秀夫(+7.3) 古川凱章(△170.8) 第9期 1984年 金子正輝(+208.2) 飯田正人(△42.2) 青野滋(△77.3) 伊東一(△98.7) 第10期 1985年 佐藤孝平(+134.4) 久保谷寛(+133.1) 伊東一(△104.1) 金子正輝(△189.4) 第11期 1986年 金子正輝(+77.9) 嶋村俊幸(+0.7) 大隈秀夫(△18.0) 井出洋介(△70.6) 第12期 1987年 金子正輝(+168.5) 阪元俊彦(+116.1) 井出洋介(△104.2) 久保谷寛(△180.4) 第13期 1988年 西田秀幾(+75.6) 飯田正人(+28.7) 井出洋介(△26.4) 金子正輝(△77.9) 第14期 1989年 飯田正人(+116.0) 金子正輝(△20.6)[* 3] 三浦勇雄(△41.6)[* 4] 西田秀幾(△104.2) 第15期 1990年 飯田正人(+91.7) 久保谷寛(+81.2) 深野浩士(△25.0) 金子正輝(△147.9) 第16期 1991年 飯田正人(+58.0) 阪元俊彦(+11.5) 金子正輝(△1.8) 古久根英孝(△76.7) 第17期 1992年 飯田正人(+120.9) 忍田幸夫(△9.7) 青山史彦(△14.8) 金子正輝(△100.2) 第18期 1993年 徳久英人(+95.7) 久保谷寛(△4.5) 伊東一(△43.9) 飯田正人(△59.3) 第19期 1994年 井出洋介(+272.8) 岩川聖基(△42.2) 伊藤英一郎(△98.1) 徳久英人(△133.5) 第20期 1995年 飯田正人(+120.1) 金子正輝(+84.1) 井出洋介(△66.6) 伊藤英一郎(△144.6) 第21期 1996年 五十嵐毅(+20.3) 木村和幸(+0.6) 忍田幸夫(△13.3) 飯田正人(△14.6) 第22期 1997年 岩川聖基(+263.5) 五十嵐毅(△59.9) 古久根英孝(△100.1) 新津潔(△105.5) 第23期 1998年 飯田正人(+99.6) 立川宏(+14.3) 金子正輝(△11.4) 古久根英孝(△106.5) 第24期 1999年 金子正輝(+148.7) 飯田正人(+94.0) 土井泰昭(+25.7) 立川宏(△270.4) 第25期 2000年 飯田正人(+236.7) 金子正輝(+49.0) 古久根英孝(+22.6) 宇野公介(△314.3) 第26期 2001年 古久根英孝(+257.7) 飯田正人(+154.6) 新津潔(△153.8) 尾崎公太(△301.5) 第27期 2002年 古久根英孝(+118.8) 宇野公介(+78.1) 飯田正人(+36.3) 新津潔(△240.2) 第28期 2003年 飯田正人(+66.9) 古久根英孝(+63.3) 金子正輝(△64.3) 宇野公介(△66.9) 第29期 2004年 尾崎公太(+189.6) 宇野公介(+30.2) 村上淳(△102.4) 飯田正人(△120.4) 第30期 2005年 古久根英孝(+216.6) 金子正輝(+111.7) 尾崎公太(△68.0) 嶋村俊幸(△262.3) 第31期 2006年 張敏賢(+44.6) 村上淳(+9.5) 古久根英孝(△7.1) 尾崎公太(△51.0) 第32期 2007年 張敏賢(+112.5) 尾崎公太(+77.5) 伊藤英一郎(△32.2) 金子正輝(△157.8) 第33期 2008年 飯田正人(+168.3) 金子正輝(+113.3) 張敏賢(△120.9) 佐藤崇(△160.7) 第34期 2009年 飯田正人(+137.7) 金子正輝(+51.7) 尾崎公太(△10.1) 石橋伸洋(△180.3) 第35期 2010年 村上淳(+134.7) 飯田正人(+37.5) 佐藤崇(△80.4) 水巻渉(△96.8) 第36期 2011年 石橋伸洋(+154.7) 曽木達志(+131.0) 村上淳(△71.6) 佐藤聖誠(△214.1) 第37期 2012年 近藤誠一(+212.7) 張敏賢(+56.3) 石橋伸洋(△100.8) 佐藤聖誠(△173.2) 第38期 2013年 新井啓文(+278.6) 村上淳(△2.3) 佐藤聖誠(△83.4) 近藤誠一(△173.9) 第39期 2014年 村上淳(+174.4) 佐藤聖誠(+143.6) 近藤誠一(△65.3) 新井啓文(△256.7) 第40期 2015年 近藤誠一(+292.7) 宇野公介(+37.9) 村上淳(△119.7) 設楽遙斗(△212.9) 第41期 2016年 近藤誠一(+250.1) 金子正輝(+43.2) 中嶋和正(△41.9) 平賀聡彦(△252.4) 出典:最高位戦日本プロ麻雀協会/歴代最高位--> ^ a b 第1期は各自半荘100回のリーグ戦で、順位点部門、得点部門の2部門制。決定戦は行われなかった。 ^ a b 最高位戦八百長疑惑事件により灘麻太郎、荒正義は失格となったので3位、4位は空位である。小島武夫は事件発生前に足切りとなっているので5位のままである。 ^ 遅刻により△10のペナルティ ^ 遅刻により△40のペナルティ 歴代女流最高位[編集] 期 開催年 最高位 第1期 2001年 渡辺洋香 第2期 2002年 山口まや 第3期 2003年 山口まや 第4期 2004年 山口まや 第5期 2005年 根本佳織 第6期 2006年 根本佳織 第7期 2007年 根本佳織 第8期 2008年 根本佳織 第9期 2009年 根本佳織 第10期 2010年 石井あや 第11期 2011年 茅森早香 第12期 2012年 花本まな 第13期 2013年 小池美穂 第14期 2014年 大平亜季 第15期 2015年 大平亜季 第16期 2016年 大平亜季 出典:女流最高位戦リーグ 脚注[編集] ^ a b c 最高位戦日本プロ麻雀協会 (2011年). “団体概要”. 2011年7月28日閲覧。 ^ a b 最高位戦日本プロ麻雀協会. “最高位戦リーグ”. 2011年7月28日閲覧。 ^ a b 最高位戦日本プロ麻雀協会. “女流最高位戦リーグ”. 2011年7月28日閲覧。 ^ a b 小島武夫 『ろくでなし -伝説のミスター麻雀、酒と女とカネの無頼75年-』 徳間書店、2010年、p185-p186。ISBN 978-4198630874。阿佐田は胆石の手術のため途中欠場。以降は9名でリーグ戦が組まれた。 ^ 小島武夫 『ろくでなし -伝説のミスター麻雀、酒と女とカネの無頼75年-』 徳間書店、2010年、p185。ISBN 978-4198630874。「通常の得点形式で優勝を決めればいい」とする小島武夫に対し、のちに順位戦101(101競技連盟の前身)を主催することになる古川凱章が「勝敗は順位点のみ」として譲らなかった。 ^ 小島武夫 『ろくでなし -伝説のミスター麻雀、酒と女とカネの無頼75年-』 徳間書店、2010年、p186。ISBN 978-4198630874。 外部リンク[編集] 最高位戦日本プロ麻雀協会 最高位戦日本プロ麻雀協会 / ルール概要 最高位戦日本プロ麻雀協会競技規定 - 規定全文(最高位戦の旧ホームページ) 最高位戦日本プロ麻雀協会競技規定 - 規定全文(pdf) 最高位戦Blog! 最高位戦日本プロ麻雀協会 - Twitter 関連項目[編集] 最高位戦日本プロ麻雀協会 最高位戦Classic 最高位戦八百長疑惑事件 --------- --------- --------- 暦仁 暦仁(りゃくにん)は、日本の元号の一つ。嘉禎の後、延応の前。ユリウス暦で1238年-1239年の期間を指す。この時代の天皇は四条天皇。鎌倉幕府将軍は藤原頼経、執権は北条泰時。 日本の元号の中では最も日数が短い。 目次 [非表示] 1 改元 2 出典 3 暦仁期におきた出来事 4 西暦との対照表 5 脚注 6 関連項目 改元[編集] 嘉禎4年11月23日(ユリウス暦1238年12月30日) 天変により改元 暦仁2年2月7日(ユリウス暦1239年3月13日) 延応に改元 撰進者は藤原経範であるが、『百錬抄』によれば、世間では「暦仁=略人」すなわち、この世から人々が略される(=死んで消えてしまう)とする風評が発生したために再び改元を実施したとある(ただし、詔書では「変災」を理由としている)[1]。 出典[編集] 「隋書」(音楽志下)の「皇明馭レ暦、仁深二海県一」より。 暦仁期におきた出来事[編集] 暦仁元年 僧・浄光が鎌倉高徳寺の大仏(鎌倉大仏)の建立を開始 西暦との対照表[編集] ※は小の月を示す。 暦仁元年(戊戌) 一月※ 二月 閏二月※ 三月 四月※ 五月※ 六月 七月※ 八月 九月※ 十月 十一月 十二月 ユリウス暦 1238/1/18 2/16 3/18 4/16 5/16 6/14 7/13 8/12 9/10 10/10 11/8 12/8 1239/1/7 暦仁二年(己亥) 一月※ 二月 三月※ 四月 五月※ 六月※ 七月 八月※ 九月 十月※ 十一月 十二月 ユリウス暦 1239/2/6 3/7 4/6 5/5 6/4 7/3 8/1 8/31 9/29 10/29 11/27 12/27 脚注[編集] ^ 北爪真佐夫「元号と武家」(初出:『札幌学院大学人文学会紀要』第68号(2000年9月)/所収:北爪『文士と御家人』(青史出版、2002年) ISBN 978-4-921145-13-2)。 関連項目[編集] [隠す] 表 話 編 歴 日本の元号 飛鳥時代 大化645-650 白雉650-654 白鳳? 朱雀? 朱鳥686 大宝701-704 慶雲704-708 和銅708-715 奈良時代 霊亀715-717 養老717-724 神亀724-729 天平729-749 天平感宝749 天平勝宝749-757 天平宝字757-765 天平神護765-767 神護景雲767-770 宝亀770-781 天応781-782 延暦782-806 平安時代 大同806-810 弘仁810-824 天長824-834 承和834-848 嘉祥848-851 仁寿851-854 斉衡854-857 天安857-859 貞観859-877 元慶877-885 仁和885-889 寛平889-898 昌泰898-901 延喜901-923 延長923-931 承平931-938 天慶938-947 天暦947-957 天徳957-961 応和961-964 康保964-968 安和968-970 天禄970-974 天延974-976 貞元976-978 天元978-983 永観983-985 寛和985-987 永延987-989 永祚989-990 正暦990-995 長徳995-999 長保999-1004 寛弘1004-1013 長和1013-1017 寛仁1017-1021 治安1021-1024 万寿1024-1028 長元1028-1037 長暦1037-1040 長久1040-1044 寛徳1044-1046 永承1046-1053 天喜1053-1058 康平1058-1065 治暦1065-1069 延久1069-1074 承保1074-1077 承暦1077-1081 永保1081-1084 応徳1084-1087 寛治1087-1095 嘉保1095-1097 永長1097-1097 承徳1097-1099 康和1099-1104 長治1104-1106 嘉承1106-1108 天仁1108-1110 天永1110-1113 永久1113-1118 元永1118-1120 保安1120-1124 天治1124-1126 大治1126-1131 天承1131-1132 長承1132-1135 保延1135-1141 永治1141-1142 康治1142-1144 天養1144-1145 久安1145-1151 仁平1151-1154 久寿1154-1156 保元1156-1159 平治1159-1160 永暦1160-1161 応保1161-1163 長寛1163-1165 永万1165-1166 仁安1166-1169 嘉応1169-1171 承安1171-1175 安元1175-1177 治承1177-1181 養和1181-1182 寿永1182-1184 元暦1184-1185 鎌倉時代 文治1185-1190 建久1190-1199 正治1199-1201 建仁1201-1204 元久1204-1206 建永1206-1207 承元1207-1211 建暦1211-1214 建保1214-1219 承久1219-1222 貞応1222-1224 元仁1224-1225 嘉禄1225-1228 安貞1228-1229 寛喜1229-1232 貞永1232-1233 天福1233-1234 文暦1234-1235 嘉禎1235-1238 暦仁1238-1239 延応1239-1240 仁治1240-1243 寛元1243-1247 宝治1247-1249 建長1249-1256 康元1256-1257 正嘉1257-1259 正元1259-1260 文応1260-1261 弘長1261-1264 文永1264-1275 建治1275-1278 弘安1278-1288 正応1288-1293 永仁1293-1299 正安1299-1302 乾元1302-1303 嘉元1303-1307 徳治1307-1308 延慶1308-1311 応長1311-1312 正和1312-1317 文保1317-1319 元応1319-1321 元亨1321-1324 正中1324-1326 嘉暦1326-1329 元徳1329-1331(大覚寺統)、1329-1332(持明院統) 大覚寺統 元弘1331-1334 持明院統 正慶1332-1333 南北朝時代 室町時代 建武1334-1336(南朝)、1334-1338(北朝) 南朝 延元1336-1340 興国1340-1347 正平1347-1370 建徳1370-1372 文中1372-1375 天授1375-1381 弘和1381-1384 元中1384-1392 北朝 暦応1338-1342 康永1342-1345 貞和1345-1350 観応1350-1352 文和1352-1356 延文1356-1361 康安1361-1362 貞治1362-1368 応安1368-1375 永和1375-1379 康暦1379-1381 永徳1381-1384 至徳1384-1387 嘉慶1387-1389 康応1389-1390 明徳1390-1394 応永1394-1428 正長1428-1429 永享1429-1441 嘉吉1441-1444 文安1444-1449 宝徳1449-1452 享徳1452-1455 康正1455-1457 長禄1457-1461 寛正1461-1466 文正1466-1467 戦国時代 応仁1467-1469 文明1469-1487 長享1487-1489 延徳1489-1492 明応1492-1501 文亀1501-1504 永正1504-1521 大永1521-1528 享禄1528-1532 天文1532-1555 弘治1555-1558 永禄1558-1570 元亀1570-1573 安土桃山時代 天正1573-1593 文禄1593-1596 慶長1596-1615 江戸時代 元和1615-1624 寛永1624-1645 正保1645-1648 慶安1648-1652 承応1652-1655 明暦1655-1658 万治1658-1661 寛文1661-1673 延宝1673-1681 天和1681-1684 貞享1684-1688 元禄1688-1704 宝永1704-1711 正徳1711-1716 享保1716-1736 元文1736-1741 寛保1741-1744 延享1744-1748 寛延1748-1751 宝暦1751-1764 明和1764-1772 安永1772-1781 天明1781-1789 寛政1789-1801 享和1801-1804 文化1804-1818 文政1818-1831 天保1831-1845 弘化1845-1848 嘉永1848-1855 安政1855-1860 万延1860-1861 文久1861-1864 元治1864-1865 慶応1865-1868 明治時代以降 明治1868-1912 大正1912-1926 昭和1926-1989 平成1989-現在 ※注1:元号の後の年代は、元号の初年と終年に対応する西暦。「天正」の初年まではユリウス暦、同じく終年以後はグレゴリオ暦による。 ※注2:「白鳳」と「朱雀」は正史『日本書紀』には見えない私年号だが、地方の文献等に散見する。 カテゴリ: 日本の元号鎌倉時代 案内メニュー ログインしていませんトーク投稿記録アカウント作成ログインページノート閲覧編集履歴表示検索 Wikipedia内を検索 表示 メインページ コミュニティ・ポータル 最近の出来事 新しいページ 最近の更新 おまかせ表示 練習用ページ アップロード (ウィキメディア・コモンズ) ヘルプ ヘルプ 井戸端 お知らせ バグの報告 寄付 ウィキペディアに関するお問い合わせ 印刷/書き出し 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