TOP > 囲碁段級位
囲碁段級位

囲碁段級位

囲碁段級位について


ネット囲碁対局なら『みんなの碁』

ネット囲碁対局 入口 (ここをクリック)


ページ     補足     
囲碁段級位

囲碁段級位 に関する検索

お問い合わせ
メールはこちらまで
minnanogo99@gmail.com
囲碁は、陣地を囲むゲームです。
RPGゲームやアクションゲームとは異なる思考で次の一手を考える、面白いゲームです。
将棋、チェスと並ぶ、究極の思考ゲームとも言われます。
ブラウザーのみで動作するケースを特に囲碁ブラウザゲームと称することもあります。
専用ソフト使用の囲碁ゲームも多々あります。

碁を知りたい。
なのに、打つ機会がない。

相手がいない。碁会所に入ってみたい。でも躊躇する。これが現実のようです。

面白くて、夢中になる碁です。この機会に碁を始めてはいかがでしょうか。ネット碁会所なら、敷居が低いです。

相手が見つからないときは、思考エンジンが、お相手します。待ち惚けになりません。

『考慮時間制』の対局場です。勝敗でスコアが増減します。

対局(専用)ソフトを使用しません。ブラウザーのみで動作します。インストール不要なので不安がありません。

一般的なゲームでは、「礼」に重きをおきませんが、知的ゲームでは、礼を重んじる利用者が多いので、礼を心がけたいものです。
将棋に「ハサミ将棋」や「山崩し」があるように、囲碁にも「ポン抜きゲーム」/「石取りゲーム」があります。基本となる「アタリ」の習得に有用です。
ドンジャラも麻雀の基礎ルールの説明には有用ですね。


ネット碁会所、囲碁対局
フリーソフト
関連語
碁序盤打ち方
ネット碁会所サイト
あれこれ
あれこれ2

囲碁段級位
▲TOPページ
当サイトに、お越しいただいて有難うございます。 一局の碁をお楽しみください。 当サイトで、御覧頂いているブラウザを使用して囲碁対局ができます。HTML5を使用するので、ソフトのインストールは不要です。 初心者の方も、対局できるようになっております。 ルールを知ったが、対局する機会がない人に最適です。ルールが解らない方は、申し訳ありませんが事前に習得して頂けれは幸いです。 囲碁のルールは単純なのでずか、ゲームは難しいです。 入門者もベテランもロボットと対局できるサイトは多々あります。
実体験に基づいた、オススメ記事もネット上にあります。 「ネット碁を打ちたいけどどこで打ったらいいのかわからない」という方は、参考にしてください。 オススメするネット囲碁対局場3選 ここによると、
・いつでもどこでも打てる!それがネット碁の魅力
・囲碁はワールドワイドなゲーム
・ユーザーの多さ
・ユーザーの質


・コミュニティ機能の充実
・サポートの充実
・コンテンツの充実

これらを鑑みると、
3:幽玄の間
2:KGS
1:パンダネット
だそうです。 推薦者のブログ 幽玄の間の口コミ 幽玄の間サイト KGSの口コミ KGS パンダネット

当サイトも、及ばずながら、がんばります。




Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0)

囲碁

ゲーム




Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0) 囲碁の段級位制 囲碁 Go board part.jpg ゲームの詳細 囲碁のルール 囲碁のハンデキャップ (互先 - 定先 - 置き碁) 囲碁の格言 囲碁用語 歴史と文化 囲碁の歴史 碁盤 - 碁石 囲碁の記録一覧 囲碁のタイトル在位者一覧 棋道賞 組織と棋士 国際囲碁連盟 日本棋院 関西棋院 中国棋院 韓国棋院 台湾棋院 全日本学生囲碁連盟 棋戦 棋士 日本の囲碁棋士一覧 コンピュータ コンピュータ囲碁 幽玄の間 AlphaGo対李世乭 表 話 編 歴 囲碁の段級位制(いごのだんきゅういせい)は、囲碁の技量の度合いを表すための等級制度。級位は数字の多い方から少ない方へと昇っていき、段位になると数字の少ない方から多い方へと昇っていく。棋士を呼ぶ際は、「吉原由香里六段」「一力七段」のように、敬称に代えて氏名または名字の下に段位をつけて呼称することが通例である。英語では「初段=first degree black belt(黒帯1度)」のように意訳する場合と、「初段=shodan」とそのまま表記する場合がある。 通常、段位は漢数字で、級位はアラビア数字で表記する。ただしプロ棋士には級位は存在しない。 目次 [非表示] 1 歴史 2 プロ 2.1 昇段規定 2.2 経緯 3 アマチュア 3.1 ネット碁における段級位 4 アマチュアとプロの比較 5 関連項目 6 脚注 7 参考文献 歴史[編集] 段級位制は、江戸時代の囲碁の大棋士・本因坊道策が始めたものである。それまでは互いの間の手合い割(ハンデキャップ)によって強さを表していたが、家元制度が確立して棋士が増えたこともあり、統一された基準が欲しいということになり、道策は名人(九段)・準名人もしくは名人上手間(八段)・上手(じょうず、七段)を制定し、後に初段から九段までの段位が定められた。 江戸時代は級位やアマチュア段位などは存在せず、専門棋士と素人の段位に区別は無かった。それだけに初段になるのも非常に厳しく、地方ならば初段・二段の免状があればそれを種に生活できたと言う。 明治に入り、村瀬秀甫(後の本因坊秀甫)は「方円社」を設立し、囲碁人口の拡大を図るために新しく級位制を創設した。ただし、これは現在の段級位制度とは違ったものであり、後に従来の段位制に戻した。 プロ[編集] 昇段規定[編集] 2014年時点での日本の囲碁のプロ組織での昇段規定は以下である。いずれかを満たせば昇段できる。 昇段 条件 九段へ 対象棋戦200勝 七大タイトルの下位4タイトル2期獲得(天元、王座、碁聖、十段) 三大タイトル獲得(棋聖、名人、本因坊) 特定国際棋戦優勝(三星火災杯、LG杯、春蘭杯、応昌期杯) 八段へ 対象棋戦150勝 七大タイトルの下位四タイトル1期獲得(天元、王座、碁聖、十段) 三大タイトル挑戦(棋聖、名人、本因坊) 特定国際棋戦準優勝(三星火災杯、LG杯、春蘭杯、応昌期杯) 七段へ 対象棋戦120勝、賞金ランキングによる昇段(日本棋院のみ六段より1名) 特定タイトル戦の優勝(桐山杯、竜星。関西棋院は前述のとおり新人王戦、NHK杯、関西棋院第一位決定戦が加わる) 七大タイトルの下位四タイトル挑戦(天元、王座、碁聖、十段) 三大タイトルリーグ入り(棋聖・名人・本因坊、棋聖はSリーグのみ) 特定国際棋戦四強(関西棋院のみ三星火災杯、LG杯、春蘭杯、応昌期杯) 六段へ 対象棋戦90勝、賞金ランキングによる昇段(日本棋院のみ五段より2名) 五段へ 対象棋戦70勝、賞金ランキングによる昇段(日本棋院は四段より2名、関西棋院は初段~四段の中で1名) 四段へ 対象棋戦50勝、賞金ランキングによる昇段(日本棋院は三段より2名、関西棋院は初段~四段の中で1名) 三段へ 対象棋戦40勝、賞金ランキングによる昇段(日本棋院は二段より2名、関西棋院は初段~四段の中で1名) 二段へ 対象棋戦30勝、賞金ランキングによる昇段(日本棋院は初段より2名、関西棋院は初段~四段の中で1名) 対象棋戦=棋聖戦(対アマチュアも含む)・名人戦・本因坊戦・王座戦・天元戦・碁聖戦・十段戦・新人王戦・竜星戦(対アマチュアも含む)・桐山杯(対アマチュアも含む)・広島アルミ杯・マスターズカップ三星火災杯(本戦のみ)・LG杯(本戦のみ)・農心杯春蘭杯百霊杯(本戦のみ)・夢百合杯(本戦のみ)・グロービス杯 勝数で昇段した場合は賞金ランキング上位者の対象から除く 飛び段も可能。(例・三段の棋士がリーグ入りした場合一気に七段になる[1]) 経緯[編集] 日本棋院創設以前の段位は、棋士間の手合割から二段差で置き石1子の基準で決定されていた。日本棋院設立後には三段差1子に改められた。 現在、プロ試験に合格した者は一律初段となる。これを「入段」と呼ぶ。 日本棋院の場合、プロ試験は予選を行って受験者を絞った後で、総当りリーグ戦を行う。東京本院では夏季に院生(棋院の中で修行するプロ志望者)から1人、冬季に上位2人及び関西総本部・中部総本部で1人または2人と、女流枠1人または2人がプロとなる。 関西棋院の場合、院生は10級から始まり(10級以外の場合もある)、昇級を重ねて初段格になったうえで12勝4敗の成績を上げれば合格となる。誰も12勝できない場合はそのまま持越しであったが、2011年より初段リーグに変更されその成績で入段が可能となった。その他に研修棋士制度も設けており、アマチュアで卓越した成績を収めたものが、四段以下の棋士と2局、九段と1局を打ち、その結果によっては入段することができる。 入段した棋士は、大手合と呼ばれる昇段のための対局で規定の点数を挙げることで昇段していた。しかし大手合制度には九段が参加せず、実力の基準が相対的でしかないという矛盾があり、九段の数が一番多くて初段の方が少ないという逆転現象を生み出した(2004年時点で、日本棋院・関西棋院合わせて九段が109人、初段が31人)。一部の棋士に至っては、昇段にうま味がなく手合自体の負担も大きいことから九段昇段以前から大手合に出場しないこともあった(その中には、柳時熏、山田規三生といった有力棋士も多い)。 そうしたこともあって、2003年、日本棋院は昇段制度を改定した。 それ以前の段位に関わらず、 三大タイトル(棋聖・名人・本因坊)・世界選手権のどれかを1回、あるいは碁聖・十段・王座・天元のどれかを2回以上優勝した場合は無条件に九段。 三大タイトル・世界選手権に準優勝、あるいはそれ以外の七大タイトルに優勝した場合は八段。 三大タイトルの挑戦者決定リーグに入るか、あるいは三大タイトル以外の七大タイトルの準優勝、あるいは阿含桐山杯・竜星戦に優勝した場合は七段。 ある一定以上の勝ち星で順次昇段。 (初段から六段までは)1または2で昇段しなかった各段の棋士の中で賞金ランキングが上位の者が順次昇段。 関西棋院も2005年、これとほぼ同様の新昇段制度(違いは関西棋院第一位優勝、NHK杯優勝、新人王戦優勝で七段昇段)に移行している。 日本棋院、関西棋院ともに、対象棋戦での勝敗による単年ごとの賞金ランキングの優秀者を一段昇段させる制度を導入している。両棋院の違いは、日本棋院が六段から1名、五段から初段まで各段2名の上位者が昇段するのに対し、関西棋院は初段~四段の中で最上位者1名のみ昇段することである。また両棋院独自戦の勝数やアマチュア参加が認められる棋戦の対アマ勝利が勝数規定に含まれるかの違いも存在する。一例として、日本棋院においては独自棋戦である若鯉戦、フマキラー囲碁マスターズカップも対象棋戦に含まれるなど。 日本棋院の昇段者は大手合廃止まで年平均40人を超えていたが、廃止後から2008年までを平均すると、廃止前の半数以下となっている。2008年は17人と、初めて20人を割り込んだ。一方、現役の九段は76人で、全棋士のうち23.6%と高率を占める現状に変わりはないが(制度廃止直前は73人で22.7%)、概して増加は抑制傾向にある[2]。2010年には、日本棋院・関西棋院ともに九段昇段者が出なかった。特に関西棋院においては、移行した2005年以降九段昇段者が2014年現在まで出ていない。 降段制度がないため、高齢の棋士が高段となる傾向が強く、プロ囲碁界では段位が正確に棋力を反映しているとは言えない。90年代に急激なレベルの向上を経た韓国ではこれが顕著で、一部の第一線級を除けば90年代以前に活躍したベテランの九段棋士はほとんど活躍できず、初段や二段程度の棋士が彼らを差し置いて国際戦で代表となることが多い。 なお、タイトルの十段の保持者は○○十段と呼ばれることになるが、十段は「名人」や「棋聖」などと同様の「タイトル名」なので段位そのものとは関係がない。 アマチュア[編集] 現在日本ではプロの段位とは別にアマチュアの段級位があり、日本棋院・関西棋院が発行している。2015年現在、日本棋院が認定している最高の段位は八段で、段級位を認定されるためには 日本棋院の認定問題で指定の成績を収める。 日本棋院が関連する大会にてある程度の成績を収める。 プロ棋士・日本棋院支部長の推薦を受ける。 などの方法がある。このうち1.は常に、2.は成績にも応じて一定の金額(初段で3万円程度、8段は100万円など)を支払う必要がある。日本棋院のWebサイトからも応募できる。この方式に対しては段級位を金で売っているかのようであるとの批判もあり、藤沢秀行は独自の低廉な段位免状を発行したことで一時期日本棋院から脱退したことがある(後に独自の免状を発行しないと約束の上で復帰している)。 しかしながら、下記のような事情があり、アマチュアにおいても認定された段級位が必ずしも正確に実力を反映しているわけではない。 日本棋院の認定問題は新聞や雑誌等に掲載されて出されるため、実戦と異なり碁盤に並べて時間をかけて検討することも可能であるし、カンニング等についても実質的に解答者の良識に任されている。 布石など明確な解答の出ないジャンルは特に高段者向けの問題には適さないケースが多い。 段級位認定大会では、目標とする段級位を参加者が自己申告するため相対的な評価にならざるを得ない。 アマチュアでは位が1下がるごとに、置き石が1子増えるのが目安となっている。 碁会所などではハンデの目安などのため、「何段格」などと段級位を設定する場合が多い。しかし、これも碁会所内での固定された対局者内での相対評価とならざるを得ないため、格差が発生することは避けがたい。ある碁会所で初段格で打っていたのに、別の碁会所でその通り初段と名乗った所相手を圧倒してしまうというような例もある。 他に囲碁普及の功労者などに、日本棋院・関西棋院から名誉段位を贈る場合がある。著名な例では、福田赳夫総理大臣に名誉八段、スペースシャトルで初の宇宙囲碁対局を行った若田光一に名誉初段(同ダニエル・T・バリーに二段)などがある。 ネット碁における段級位[編集] ネット碁でも、各サイトの基準などに応じて段級位が表示されるものが多い。また、プロが登録して打つ場合にも、アマチュアと共通の段級位が設定される場合が少なくない。 参加者の多いネット碁サイトで多数対局した結果としてつけられた段級位は、実力を正確に測ったものと捉えられるが、その基準は各サイトによってまちまちであり、日本棋院や関西棋院の認定する段級位の基準とは必ずしも一致しない。 他方で、棋力を意図的に過少申告して下位の棋力の者をいたぶるように打って楽しむサンドバッカーの存在もあり、マナー違反として認知されている。 アマチュアとプロの比較[編集] アマチュアとプロの段位の比較は、俗にプロの初段に9子置いて勝てればアマチュア初段と言われる。日本の全国大会で優勝するトップアマがトッププロに対して2子程度である。 坂井秀至は世界アマチュア囲碁選手権戦優勝などの実績を持ち、試験碁の成績により飛び付き五段に認定され、プロ棋士となった。 阿含・桐山杯全日本早碁オープン戦ではアマ棋戦上位入賞者がプロ棋士と対等の条件で対局して勝ち上がることも珍しくなくなっている[3]。 また、プロと初心者の差を示す「四星目」という囲碁用語がある。プロに星目(9子)置く人(ほぼアマチュア1級)に星目置く人(ほぼ10級)に星目置く人(ほぼ20級)に星目置くのが初心者という意味の言葉である[4]。ルールを覚えただけの状態が30級とされ、アタリが理解できたら25級とも言われる。 近年の囲碁においては、日本国内と海外との段位の格差が大きく開いている。アマチュアにおいては日本の五段と韓国・中国の初段が対等などといわれている。 関連項目[編集] 囲碁 脚注[編集] ^ 2013年に余正麒が本因坊戦のリーグ入りしたことで、三段から七段へと昇段した。 ^ 朝日新聞2009年2月10日 ^ 第18期の同棋戦における金成進アマ・河成奉アマが双方、予選Cから出場しながら最終予選をも勝ち抜き、本戦ベスト8まで進出したのが最高である。なお、金成進は後に韓国にてプロとなり、LG杯世界棋王戦では予選を勝ち抜いて本戦進出している。 ^ 『囲碁百科辞典』71頁 参考文献[編集] -------------------------------------------------------- 宝永 宝永(ほうえい、旧字体:寶永)は、日本の元号の一つ。元禄の後、正徳の前。1704年から1710年までの期間を指す。この時代の天皇は東山天皇、中御門天皇。江戸幕府将軍は徳川綱吉、徳川家宣。 改元[編集] 元禄17年3月13日(グレゴリオ暦1704年4月16日) 前年11月22日の元禄地震のため改元 宝永8年4月25日(グレゴリオ暦1711年6月11日) 正徳に改元 前回の元禄改元の際に霊元上皇が希望して幕府が拒絶した案だったが、今回の改元の際には朝廷の案と幕府の希望が合致しなかったために採用されたと言われている。 出典[編集] 『旧唐書』の「寶祚惟永、暉光日新」から。 皇帝の徳が光り輝き、そして世の中を一新するという意味である 宝永年間の出来事[編集] 宝永4年(1707年)に南海トラフ巨大地震の一つで歴史上日本最大級と推定されている宝永地震(M8.4~8.7)が発生、その49日後には今日までにおける史上最後の富士山の噴火となった宝永大噴火が起きている。 ※日付はいずれも旧暦。 元年 4月24日 羽後・陸奥で地震、野代(現在の能代市周辺)で大被害。 2年 この年京都を中心にお蔭参りが大流行する。 10月6日 徳川吉宗が紀州藩の第5代藩主に。 12月15日 霧島連山の高千穂峰御鉢が噴火。 12月 桜島が噴火。 3年 1月11日 柳沢吉保が大老格に。 7月9日 寶字銀の通用開始。 10月16日 浅間山が噴火。 4年 この年「赤福」が創業。 7月12日 善光寺本堂が再建。 10月4日 遠州灘・紀州灘で推定マグニチュード8.4の大地震(宝永の大地震)。 10月13日 札遣い禁止令、藩札の発行を禁止し50日以内に正貨との引替回収を命じる。 11月23日 富士山が史上最後の大噴火(宝永大噴火)を起こして宝永山が出現。江戸でも数センチの降灰を記録。 5年 閏1月7日 「諸国高役金令」を公布、宝永大噴火による灰除け金として石高100石に付き金2両を徴集。 3月8日 京都で宝永の大火、禁裏をはじめ1万0351軒を焼失。 4月 寳永通寳の通用開始。 8月29日 イタリア人宣教師ジョバンニ・シドッチが屋久島に上陸し、捕らえられる。 11月18日 浅間山が噴火。28日にも噴火。 6年 1月4日 阿蘇山が噴火。 1月17日 前年通用を開始したばかりの寳永通寳を流通不便を理由に通用停止。 1月20日 5代将軍徳川綱吉の死去後10日で生類憐れみの令を廃止。 3月14日 岩木山と三宅島が同じ日に噴火。 3月21日 奈良東大寺大仏殿が再建。 5月1日 徳川家宣に将軍宣下。 7年 3月6日 永字銀の鋳造開始。 3月15日 浅間山が噴火。 4月15日 乾字金の通用開始。 8年 2月26日 浅間山がまた噴火。 死去[編集] 2年 5月18日 徳川綱教(紀州藩3代藩主) 8月8日 徳川光貞(紀州藩2代藩主) 9月8日 徳川頼職(紀州藩4代藩主) 5年10月24日 関孝和(数学者) 6年1月10日 徳川綱吉(幕府5代将軍) 西暦との対照表[編集] ※は小の月を示す。 宝永元年(甲申) 一月 二月※ 三月 四月※ 五月 六月 七月※ 八月 九月 十月※ 十一月 十二月※ グレゴリオ暦 1704/2/5 3/6 4/4 5/4 6/2 7/2 8/1 8/30 9/29 10/29 11/27 12/27 ユリウス暦 1704/1/25 2/24 3/24 4/23 5/22 6/21 7/21 8/19 9/18 10/18 11/16 12/16 宝永二年(乙酉) 一月 二月※ 三月※ 四月 閏四月※ 五月 六月※ 七月 八月 九月※ 十月 十一月 十二月※ グレゴリオ暦 1705/1/25 2/24 3/25 4/23 5/23 6/21 7/21 8/19 9/18 10/18 11/16 12/16 1706/1/15 ユリウス暦 1705/1/14 2/13 3/14 4/12 5/12 6/10 7/10 8/8 9/7 10/7 11/5 12/5 1706/1/4 宝永三年(丙戌) 一月 二月※ 三月※ 四月 五月※ 六月※ 七月 八月 九月※ 十月 十一月 十二月 グレゴリオ暦 1706/2/13 3/15 4/13 5/12 6/11 7/10 8/8 9/7 10/7 11/5 12/5 1707/1/4 ユリウス暦 1706/2/2 3/4 4/2 5/1 5/31 6/29 7/28 8/27 9/26 10/25 11/24 12/24 宝永四年(丁亥) 一月※ 二月 三月※ 四月※ 五月 六月※ 七月※ 八月 九月※ 十月 十一月 十二月 グレゴリオ暦 1707/2/3 3/4 4/3 5/2 5/31 6/30 7/29 8/27 9/26 10/25 11/24 12/24 ユリウス暦 1707/1/23 2/21 3/23 4/21 5/20 6/19 7/18 8/16 9/15 10/14 11/13 12/13 宝永五年(戊子) 一月 閏一月※ 二月 三月※ 四月※ 五月 六月※ 七月※ 八月 九月※ 十月 十一月 十二月 グレゴリオ暦 1708/1/23 2/22 3/22 4/21 5/20 6/18 7/18 8/16 9/14 10/14 11/12 12/12 1709/1/11 ユリウス暦 1708/1/12 2/11 3/11 4/10 5/9 6/7 7/7 8/5 9/3 10/3 11/1 12/1 12/31 宝永六年(己丑) 一月※ 二月 三月 四月※ 五月※ 六月 七月※ 八月※ 九月 十月※ 十一月 十二月 グレゴリオ暦 1709/2/10 3/11 4/10 5/10 6/8 7/7 8/6 9/4 10/3 11/2 12/1 12/31 ユリウス暦 1709/1/30 2/28 3/30 4/29 5/28 6/26 7/26 8/24 9/22 10/22 11/20 12/20 宝永七年(庚寅) 一月※ 二月 三月 四月※ 五月 六月※ 七月 八月※ 閏八月※ 九月 十月※ 十一月 十二月※ グレゴリオ暦 1710/1/30 2/28 3/30 4/29 5/28 6/27 7/26 8/25 9/23 10/22 11/21 12/20 1711/1/19 ユリウス暦 1710/1/19 2/17 3/19 4/18 5/17 6/16 7/15 8/14 9/12 10/11 11/10 12/9 1711/1/8 宝永八年(辛卯) 一月 二月 三月 四月※ 五月 六月※ 七月 八月※ 九月※ 十月 十一月※ 十二月 グレゴリオ暦 1711/2/17 3/19 4/18 5/18 6/16 7/16 8/14 9/13 10/12 11/10 12/10 1712/1/8 ユリウス暦 1711/2/6 3/8 4/7 5/7 6/5 7/5 8/3 9/2 10/1 10/30 11/29 12/28 参考文献[編集] 震災予防調査会編 『大日本地震史料』 上巻、丸善、1904年 [隠す] 表 話 編 歴 日本の元号 飛鳥時代 大化645-650 白雉650-654 白鳳? 朱雀? 朱鳥686 大宝701-704 慶雲704-708 和銅708-715 奈良時代 霊亀715-717 養老717-724 神亀724-729 天平729-749 天平感宝749 天平勝宝749-757 天平宝字757-765 天平神護765-767 神護景雲767-770 宝亀770-781 天応781-782 延暦782-806 平安時代 大同806-810 弘仁810-824 天長824-834 承和834-848 嘉祥848-851 仁寿851-854 斉衡854-857 天安857-859 貞観859-877 元慶877-885 仁和885-889 寛平889-898 昌泰898-901 延喜901-923 延長923-931 承平931-938 天慶938-947 天暦947-957 天徳957-961 応和961-964 康保964-968 安和968-970 天禄970-974 天延974-976 貞元976-978 天元978-983 永観983-985 寛和985-987 永延987-989 永祚989-990 正暦990-995 長徳995-999 長保999-1004 寛弘1004-1013 長和1013-1017 寛仁1017-1021 治安1021-1024 万寿1024-1028 長元1028-1037 長暦1037-1040 長久1040-1044 寛徳1044-1046 永承1046-1053 天喜1053-1058 康平1058-1065 治暦1065-1069 延久1069-1074 承保1074-1077 承暦1077-1081 永保1081-1084 応徳1084-1087 寛治1087-1095 嘉保1095-1097 永長1097-1097 承徳1097-1099 康和1099-1104 長治1104-1106 嘉承1106-1108 天仁1108-1110 天永1110-1113 永久1113-1118 元永1118-1120 保安1120-1124 天治1124-1126 大治1126-1131 天承1131-1132 長承1132-1135 保延1135-1141 永治1141-1142 康治1142-1144 天養1144-1145 久安1145-1151 仁平1151-1154 久寿1154-1156 保元1156-1159 平治1159-1160 永暦1160-1161 応保1161-1163 長寛1163-1165 永万1165-1166 仁安1166-1169 嘉応1169-1171 承安1171-1175 安元1175-1177 治承1177-1181 養和1181-1182 寿永1182-1184 元暦1184-1185 鎌倉時代 文治1185-1190 建久1190-1199 正治1199-1201 建仁1201-1204 元久1204-1206 建永1206-1207 承元1207-1211 建暦1211-1214 建保1214-1219 承久1219-1222 貞応1222-1224 元仁1224-1225 嘉禄1225-1228 安貞1228-1229 寛喜1229-1232 貞永1232-1233 天福1233-1234 文暦1234-1235 嘉禎1235-1238 暦仁1238-1239 延応1239-1240 仁治1240-1243 寛元1243-1247 宝治1247-1249 建長1249-1256 康元1256-1257 正嘉1257-1259 正元1259-1260 文応1260-1261 弘長1261-1264 文永1264-1275 建治1275-1278 弘安1278-1288 正応1288-1293 永仁1293-1299 正安1299-1302 乾元1302-1303 嘉元1303-1307 徳治1307-1308 延慶1308-1311 応長1311-1312 正和1312-1317 文保1317-1319 元応1319-1321 元亨1321-1324 正中1324-1326 嘉暦1326-1329 元徳1329-1331(大覚寺統)、1329-1332(持明院統) 大覚寺統 元弘1331-1334 持明院統 正慶1332-1333 南北朝時代 室町時代 建武1334-1336(南朝)、1334-1338(北朝) 南朝 延元1336-1340 興国1340-1347 正平1347-1370 建徳1370-1372 文中1372-1375 天授1375-1381 弘和1381-1384 元中1384-1392 北朝 暦応1338-1342 康永1342-1345 貞和1345-1350 観応1350-1352 文和1352-1356 延文1356-1361 康安1361-1362 貞治1362-1368 応安1368-1375 永和1375-1379 康暦1379-1381 永徳1381-1384 至徳1384-1387 嘉慶1387-1389 康応1389-1390 明徳1390-1394 応永1394-1428 正長1428-1429 永享1429-1441 嘉吉1441-1444 文安1444-1449 宝徳1449-1452 享徳1452-1455 康正1455-1457 長禄1457-1461 寛正1461-1466 文正1466-1467 戦国時代 応仁1467-1469 文明1469-1487 長享1487-1489 延徳1489-1492 明応1492-1501 文亀1501-1504 永正1504-1521 大永1521-1528 享禄1528-1532 天文1532-1555 弘治1555-1558 永禄1558-1570 元亀1570-1573 安土桃山時代 天正1573-1593 文禄1593-1596 慶長1596-1615 江戸時代 元和1615-1624 寛永1624-1645 正保1645-1648 慶安1648-1652 承応1652-1655 明暦1655-1658 万治1658-1661 寛文1661-1673 延宝1673-1681 天和1681-1684 貞享1684-1688 元禄1688-1704 宝永1704-1711 正徳1711-1716 享保1716-1736 元文1736-1741 寛保1741-1744 延享1744-1748 寛延1748-1751 宝暦1751-1764 明和1764-1772 安永1772-1781 天明1781-1789 寛政1789-1801 享和1801-1804 文化1804-1818 文政1818-1831 天保1831-1845 弘化1845-1848 嘉永1848-1855 安政1855-1860 万延1860-1861 文久1861-1864 元治1864-1865 慶応1865-1868 明治時代以降 明治1868-1912 大正1912-1926 昭和1926-1989 平成1989-現在 ※注1:元号の後の年代は、元号の初年と終年に対応する西暦。「天正」の初年まではユリウス暦、同じく終年以後はグレゴリオ暦による。 ※注2:「白鳳」と「朱雀」は正史『日本書紀』には見えない私年号だが、地方の文献等に散見する。 カテゴリ: 日本の元号江戸時代 案内メニュー ログインしていませんトーク投稿記録アカウント作成ログインページノート閲覧編集履歴表示検索 Wikipedia内を検索 表示 メインページ コミュニティ・ポータル 最近の出来事 新しいページ 最近の更新 おまかせ表示 練習用ページ アップロード (ウィキメディア・コモンズ) ヘルプ ヘルプ 井戸端 お知らせ バグの報告 寄付 ウィキペディアに関するお問い合わせ 印刷/書き出し ブックの新規作成 PDF 形式でダウンロード 印刷用バージョン ツール リンク元 関連ページの更新状況 ファイルをアップロード 特別ページ この版への固定リンク ページ情報 ウィキデータ項目 このページを引用 他言語版 English Français 한국어 Русский Simple English Српски / srpski Svenska 中文 リンクを編集 最終更新 2015年7月14日 (火) 01:46 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。 テキストはクリエイティブ・コモンズ 表示-継承ライセンスの下で利用可能です。追加の条件が適用される場合があります。詳細は利用規約を参照してください。 プライバシー・ポリシーウィキペディアについて免責事項開発者Cookieに関する声明モバイルビューWikimedia Foundation Powered by MediaWiki