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Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0)

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Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0) 林海峰 林海峰 名誉天元 (九段) 名前 林海峰 生年月日 1942年5月6日(75歳) プロ入り年 1955年 出身地 中国上海市 所属 日本棋院東京本院 師匠 藤田梧郎・呉清源 名誉称号 名誉天元 段位 名誉天元 (九段) 概要 タイトル獲得合計 35 七大タイトル 棋聖 挑戦者 (1980・82・84) 名人 8期 (1965-67・69・71-73・77) 本因坊 5期 (1968-70・83-84) 王座 1期 (1973) 天元 5期 (1989-93) 碁聖 1期 (1994) 十段 1期 (1975) この表について[表示] 林 海峰(りん かいほう、1942年5月6日 - )は日本、台湾の囲碁棋士。上海出身、日本棋院東京本院所属、藤田梧郎七段、呉清源九段門下、九段、名誉天元。名人8期、本因坊5期、世界囲碁選手権富士通杯優勝など獲得タイトルは35。若い頃には地に辛く粘りのある棋風で「二枚腰」と呼ばれたが、壮年以後は戦闘的な棋風となった。同世代のライバルである大竹英雄とともに「竹林」とも称される。林海峯の表記も多く使われている。 林海峰(峯) プロフィール 出生: 1942年5月6日 出身地: 中華民国の旗 中華民国上海 職業: 囲碁棋士 各種表記 繁体字: 林海峰 簡体字: 林海峰 拼音: Lín Hăifēng 注音符号: ㄌ|ㄣˊ ㄏㄞˇ ㄈㄥ 和名表記: りん かいほう 発音転記: リン ハイフォン テンプレートを表示 目次 [非表示] 1 経歴 1.1 生い立ち 1.2 棋歴 2 主な成績 2.1 主なタイトル 2.2 他の棋歴 2.3 その他 3 海峰棋院 4 著名局 5 著作 6 参考文献 7 外部リンク 経歴[編集] 生い立ち[編集] 東京帝国大学に留学経験のある中華民国の外交官林國珪の9人兄弟の末っ子として、1942年に上海に生まれた。国民政府の官吏の家だった林家は、1946年に国共内戦で蒋介石の率いる国民政府が敗れたときに、台湾に移った。彼の父は無類の碁好きで、林は父が友人達と碁を打つのを見て自然に囲碁を覚え、めきめきと上達し台湾の少年囲碁大会で優勝して、天才少年として注目された。 1952年10歳の時に、台湾を訪れていた呉清源に六子で指導碁を打ってもらう機会に恵まれ、結果は一目負けとなったが、呉に才能を認められ来日した。 棋歴[編集] 1953年東京本院院生。1954年関西総本部院生となり藤田梧郎門で学ぶ。1955年12歳で入段。六段時の1961年から東京本院に移る。1962年に木谷一門百段突破記念大会で後に林の最多勝利を更新することとなる趙治勲(当時6歳)に五子のハンデを与え敗れる。 1963年に初の名人リーグ入り。同年囲碁選手権戦準優勝と高松宮賞獲得。1965年に坂田栄男名人本因坊を4-2で破り、23歳の史上最年少(当時)で名人位を獲得。名人戦では高川格、藤沢秀行、石田芳夫らと死闘を繰り広げた。1967年九段。1968年には坂田栄男本因坊を破り、選手権史上2人目の名人本因坊になるなど、早くから才能を発揮して活躍した。 1973年には石田芳夫挑戦者との名人戦で、七番勝負初の3連敗後の4連勝を記録。1983年の本因坊戦でも趙治勲本因坊を相手に再度の3連敗4連勝で12年振りの本因坊復位を果たし、驚異の粘り腰を発揮した。 1977年には大竹英雄を破り名人に復位。富士通杯では1988年、89年に連続準優勝の後、90年に決勝で聶衛平を破り優勝。1989年より5期連続して天元位を獲得して、名誉天元を名乗る。1994年碁聖位獲得。棋聖位への挑戦は3回。2001年の名人戦で59歳で挑戦者となり、坂田栄男と並ぶ最年長記録となった。 CSK杯囲碁アジア対抗戦では、2002年から05年まで中華台北チームとして出場。名人リーグに35年連続を含む39期在籍の実績があり、これは囲碁界において今後も破られそうにない記録のひとつとされる。通算成績は1371勝850敗1ジゴ2無勝負(2012年4月)で、2010年に趙治勲に破られるまで通算最多勝記録保持者だった。 1996年に全日本学生囲碁連盟副会長。その後特別顧問を務める。門下に、台湾から招いて内弟子にした張栩九段、林子淵七段、林漢傑七段、富紅梅初段ら。一男二女の父親でもあり、長女はNHK教育TV囲碁講座や囲碁・将棋ジャーナル等の司会を務めた林芳美、次女は同じくNHK囲碁講座の司会などを務めた林浩美。 主な成績[編集] 主なタイトル[編集] 他の棋士との比較は、囲碁のタイトル在位者一覧 を参照。 タイトル 番勝負 獲得年度 登場 獲得期数 連覇 名誉称号 棋聖 七番勝負 1-3月 3 名人 七番勝負 9-11月 1965-67, 1969 1971-73, 77年 16 8期 (歴代2位タイ) 3連覇 本因坊 七番勝負 5-7月 1968-70, 1983-84年 11 5期 3連覇 王座 五番勝負 10-12月 1973年 4 1期 天元 五番勝負 10-12月 1989-93年 7 5期 (歴代1位タイ) 5連覇 (歴代1位) 名誉天元 碁聖 五番勝負 6-8月 1994年 3 1期 十段 五番勝負 3-4月 1975年 4 1期 獲得合計21期=歴代6位タイ 囲碁七大タイトル獲得記録 順位 獲得回数 棋士名 1位 42期 趙治勲* 2位 35期 小林光一* 3位 34期 井山裕太* 4位 31期 加藤正夫 5位 23期 張栩* 6位タイ 21期 坂田栄男 | 林海峰* 8位 17期 大竹英雄* 9位タイ 14期 藤沢秀行 | 山下敬吾* 表示 *は現役棋士 2016年天元戦終了時点 世界囲碁選手権富士通杯 1990年 プロ十傑戦 1966, 73, 74年 NHK杯テレビ囲碁トーナメント 1970, 74, 78年 早碁選手権戦 1976、85、87年 鶴聖戦 1979、92、98年 NECカップ囲碁トーナメント戦 1990年 他の棋歴[編集] 国際棋戦 世界囲碁選手権富士通杯 準優勝 1988、89年 東洋証券杯世界選手権戦 準優勝 1992年 日中天元戦 1990年 2-1 劉小光 1991年 2-1 聶衛平 1992年 0-2 聶衛平 1993年 0-2 劉小光 1994年 0-2 馬暁春 SBS杯世界囲碁最強戦 1991年 2-1(○李昌鎬、○馬暁春、×徐奉洙) 真露杯SBS世界囲碁最強戦 1993年 2-1(○李昌鎬、○劉小光、×徐奉洙) 1995年 0-1(×曺薫鉉) 日中スーパー囲碁 1995年 0-1(×常昊) CSK杯囲碁アジア対抗戦 2002年 1-1(○馬暁春、×曺薫鉉) 2003年 0-3(×加藤正夫、×丁偉、×曺薫鉉) 2004年 1-2(×崔哲瀚、×丁偉、○羽根直樹) 2005年 1-2(×李昌鎬、○孔傑、×結城聡) 国内棋戦 囲碁選手権戦 準優勝 1963、67年 棋聖戦 挑戦者 1980、82、84年 全段争覇戦優勝 1977年 九段戦優勝 1977、79、83、89年 名人戦 挑戦者 1987、91、94、2001年 本因坊戦 挑戦者 1967、72、73、79年 王座戦 挑戦者 1986年 十段戦 挑戦者 1988年 碁聖戦 挑戦者 1993年 天元戦 挑戦者 1996年 NHK杯テレビ囲碁トーナメント 準優勝 1987年 NECカップ囲碁トーナメント戦 準優勝 1987、96年 早碁選手権戦 準優勝 1990、95年 大手合第一部優勝 1962、66年 その他[編集] 棋道賞最優秀棋士賞 3回(歴代5位) 大倉喜七郎賞 2012年 紫綬褒章 2005年 秀哉賞 1965、66、69、73、83年 1987年の名人戦で加藤正夫名人との七番勝負第3局で、2手打ちの反則負けを記録している。これは対局2日目に持ち時間残り1分となって秒読みの中、夕食休憩前に白番林が着手していたにも関わらず、休憩直後にもまた着手してしまったことによる。 海峰棋院[編集] 1997年(中華民国暦86年)に台湾で海峰囲棋基金会を創設し、アマチュアの大会の主催など囲碁の普及や、棋士の育成にも力を注ぐ。2008年に海峰棋院に改名し、プロ棋士の棋戦棋王戦を台湾棋院などとともに創設、及び日本と台湾の若手棋士による日台精鋭プロ選手権(中日精鋭職業圍棋賽)を創設した。 著名局[編集] 「3連敗4連勝」第12期名人戦挑戦手合第4局 1973年9月25-26日 林海峰-石田芳夫(先番) Rin-ishida-19730925-61-74.jpg この名人戦で挑戦者石田芳夫に3連敗し、前年とこの年の本因坊戦も含めると石田に9連敗中だった林だが、白2(62手目)の強手が成立し、上辺黒を大きく取り込んで優勢となった。その後黒が逆転するが、白が再逆転し、盤面で5目、白番ジゴ勝ちで1勝を返した。この後さらに林は3連勝して、七番勝負史上初の3連敗4連勝の記録で名人位を防衛した。 著作[編集] 打碁集 『名人戦一手一手の研究(実力囲碁新書)』東京創元社 1969年 『激闘の七番勝負 林・石田 第十二期名人戦』日本棋院 1974年 『林海峯打碁集』(全3巻)大泉書店 1974年 『林海峰』(現代花形棋士名局選5)日本棋院 1975年 『林海峯(上)(下)』(現代囲碁大系33,34)講談社 1980年 『林海峯 名局細解 すごく見やすい』(全12巻)誠文堂新光社 1983-85年 『林海峯 現代囲碁名勝負シリーズ10 』講談社 1988年 『林海峰 打碁鑑賞シリーズ〈4〉 (囲碁文庫) 』日本棋院 2004年 『林海峰 名局細解』誠文堂新光社 2004年 その他 『林海峯の囲碁読本-最新型定石と置碁実戦』棋苑図書 1966年 『林海峯囲碁講座』(全6巻)平凡社 1969年 『基本布石事典(上)(下)』日本棋院 1978年 『コウの魔力』日本棋院 1989年 『秀甫』(日本囲碁大系16)筑摩書房 1976年 『闘将 林海峰』誠文堂新光社 2004年 『簡明定石だけで勝つ方法』毎日コミュニケーションズ 2008年 他多数 参考文献[編集] 林海峯「ワンパク本因坊誕生まで」文藝春秋1968年9月号(中野孝次編『日本の名随筆 別巻11 囲碁II』作品社 1992年) 中山典之『昭和囲碁風雲録(下)』岩波書店 2003年 外部リンク[編集] 日本棋院の林海峯の紹介ページ 海峰棋院 典拠管理 WorldCat VIAF: 40671350 LCCN: n80056952 ISNI: 0000 0001 1058 3009 NDL: 00064409 [表示] 表 話 編 歴 名誉称号資格者 [表示] 表 話 編 歴 最優秀棋士賞 [表示] 表 話 編 歴 日本の現役囲碁棋士 [表示] タイトル(6冠)21期 カテゴリ: 台湾の囲碁棋士日本の囲碁棋士紫綬褒章受章者上海出身の人物1942年生存命人物 武庫川駅 武庫川駅 西宮市側駅舎。右奥が武庫川線ホーム 西宮市側駅舎。右奥が武庫川線ホーム むこがわ Mukogawa 兵庫県西宮市武庫川町2-15(武庫川線) 兵庫県尼崎市大庄西町一丁目1-1(本線) 北緯34度43分6.35秒 東経135度22分58.25秒 駅番号 ○HS 12 所属事業者 Hanshin-logo-black.png阪神電気鉄道 駅構造 地上駅(武庫川線)[1] 橋梁上駅(本線)[1] ホーム 1面2線(武庫川線)[1] 2面2線(本線)[1] 乗降人員 -統計年次- 28,860人/日 -2015年- 開業年月日 1905年(明治38年)4月12日[1] 乗入路線 2 路線 所属路線 本線 キロ程 12.0km(梅田起点) ◄HS 11 尼崎センタープール前 (1.2km)鳴尾 HS 13► (1.2km) 所属路線 武庫川線 キロ程 0.0km(武庫川起点) (0.7km) 東鳴尾 HS 53► テンプレートを表示 尼崎市側駅舎 武庫川の上をまたいでホームが設置されている 武庫川駅(むこがわえき)は、阪神電気鉄道の駅[1]。駅番号はHS 12。兵庫県尼崎市と西宮市に跨っている[1]。 急行・区間急行停車駅で、平日の朝晩を除き快速急行も停車する[1]。 目次 [非表示] 1 利用可能な鉄道路線 2 歴史 3 駅構造 3.1 本線 3.2 武庫川線 3.3 駅舎 4 利用状況 5 駅周辺 5.1 西宮市側 5.2 尼崎市側 5.3 バス路線 6 隣の駅 6.1 かつて存在した路線 7 脚注 8 関連項目 9 外部リンク 利用可能な鉄道路線[編集] 阪神電気鉄道 本線 武庫川線 ※始発駅 歴史[編集] 武庫川駅の三線軌条を通過する国鉄貨物列車と停車中の1121号。1121号の尾灯の個数、取り付け位置やドアの張出しステップさらに行き先板が「武庫川・洲先」であることから1950年代半ば撮影と思われる 武庫川線ホームに停車中の阪神3301形(1981年6月) 1905年(明治38年)4月12日 - 阪神本線の開業と同時に設置[1]。 1943年(昭和18年)11月21日 - 武庫川線の当駅 - 洲先駅間開業。 1944年(昭和19年)8月17日 - 武庫川線の武庫大橋駅 - 当駅間開業。 1946年(昭和21年)1月5日 - 武庫川線の旅客営業休止。 1948年(昭和23年)10月10日 - 武庫川線の当駅 - 洲先駅間の旅客営業を再開[1]。 1984年(昭和59年)4月3日 - 武庫川線洲先駅 - 武庫川団地前駅間延伸により、西口改札(西宮市側、上の写真参照)を開設、武庫川線ホームとの間に中間改札を設置[1]。 1985年(昭和60年)4月14日 - 休止中の武庫大橋駅 - 当駅間が廃止。 2001年(平成13年)3月10日 - それまで時間帯限定停車であった急行が終日停車となる。 2002年(平成14年) - 「近畿の駅百選」に選定される。 2009年(平成21年)3月20日 - 平日朝晩を除き快速急行が停車。 2014年(平成26年)4月1日 - 駅番号導入[2][3]。 駅構造[編集] 本線[編集] 本線は武庫川にかかる橋梁上に相対式ホーム2面2線を有する[1]。分岐器や絶対信号機を持たないため、停留所に分類される。武庫川線の接続駅であるが、武庫川線への連絡線は当駅ではなく当駅 - 鳴尾駅間にある[1]武庫川信号場で分岐している。 ホーム有効長は阪神車両6両編成分の長さだったが、2008年にホームが延長され近畿日本鉄道車両6両編成分の長さになった。同時にLED式の案内表示装置が設置されている。さらに自動放送についても詳細タイプとなったが、2017年1月現在、文面上でのりば番号は省かれている(芦屋駅と同じタイプ)。 武庫川線[編集] 武庫川線ホームは西宮市側の地上部にあり、島式ホーム1面2線を有する[1]。西側の線路は行き止まり、東側の線路は引き上げ線および本線への連絡線に続いている[1]。ただし、旅客列車は東側の線路しか使用されず、西側の線路には場内・出発信号機とも設置されていない。実質的には単式ホーム1面1線である。 駅舎[編集] 橋の両端、つまり西宮市側・尼崎市側の双方にある[1]。尼崎市側は武庫川堤防上に本線の上下線それぞれのホームに接する形で駅舎(改札口)がある[1]。西宮市側は武庫川線ホームに接する形で堤内の地上部分に駅舎がある[1]。 武庫川橋梁上の本線ホームと堤内にある武庫川線ホームの間は連絡通路が設けられている[1]。西宮市側の駅舎内、武庫川線ホーム入り口には中間改札があり、本線からの乗り換え客・当駅で改札口から入場した客はもう一度改札を通過する必要がある[1]。 かつては西宮市側には駅舎はなかった[1]。本線から武庫川線へと乗り継ぐためにはいったん尼崎市側の改札から出場したのち、橋梁の最も南側にホームに隣接する形で設置されている改札外連絡通路で武庫川を渡る必要があった。この通路は、西宮市側に駅舎が設置され両路線が改札内で乗り換えられるようになってからも、歩行者用自由通路として使用され両市を行き来するのに利用されている。なお改札外連絡だった時代は、阪神本線から武庫川線に乗り継ぐ際は降車時に改札の駅員に乗り継ぎを申し出て武庫川線ホームへ向かうようになっていた。一方、武庫川線内だけで完結する乗客あるいは武庫川線から阪神本線に乗り継ぐ乗客は、武庫川線の車掌に申し出て車内補充券を購入するようになっていた(この補充券で自動改札機は通れなかった)。 のりば ホーム 位置 路線 方向 行先 1 橋上 ■■■本線 上り 尼崎・大阪(梅田)・難波・奈良方面 2 橋上 ■■■本線 下り 神戸(三宮)・明石・姫路方面 東側 地上 ■武庫川線 東鳴尾・洲先・武庫川団地前方面 西側 地上 武庫川線 未使用 武庫川駅・武庫川信号場配線図 ↑ 武庫川線 : 武庫川団地前方面 ← 本線 : 梅田方面 武庫川駅・武庫川信号場配線図 → 本線 : 三宮・元町方面 凡例 出典:[4] 本線ホーム(手前は2番線ホーム、大阪方に向けて撮影) 武庫川線ホーム(右側のみ使用。左側は通常使用しないが、駅で掲示されている啓発ポスター[5]の撮影で使用された) 本線の高架下に昼間留置される武庫川線用車両 利用状況[編集] 2015年(平成27年)次の1日平均乗降人員は28,860人である。 近年の1日平均乗車・乗降人員数は下表の通り。 年次 1日平均 乗降人員 1日平均 乗車人員 出典 2001年(平成13年) 24,056 12,012 [6] 2002年(平成14年) 24,946 12,513 [6] 2003年(平成15年) 25,819 12,954 [6] 2004年(平成16年) 25,256 12,653 [6] 2005年(平成17年) 26,161 13,143 [6] 2006年(平成18年) 26,994 13,444 [7] 2007年(平成19年) 26,484 13,339 [8] 2008年(平成20年) 26,994 13,537 [9] 2009年(平成21年) 27,485 13,775 [10] 2010年(平成22年) 27,213 13,719 [11] 2011年(平成23年) 27,151 13,711 [12] 2012年(平成24年) 27,699 13,968 [13] 2013年(平成25年) 28,271 14,186 [14] 2014年(平成26年) 28,573 14,289 [15] 2015年(平成27年) 28,860 14,504 [16] 駅周辺[編集] 西宮市側[編集] 兵庫医科大学 兵庫医科大学病院 西宮すなご医療福祉センター 岡太神社 西宮小松郵便局 尼崎市側[編集] 田中病院 明照山円徳寺 楠霊神社 素盞嗚神社 武庫川郵便局 尼崎大庄郵便局 バス路線[編集] 尼崎市側駅舎の南側200mほど離れた国道43号高架下に武庫川停留所があり、阪神バス(尼崎市内線[17])が発着する。かつては、尼崎市側の駅前にもバスが発着していた。 1番標柱 47番 武庫営業所 行(大庄西・西消防署・JR立花(上)・阪急武庫之荘(南)・西武庫経由) 47-2番 武庫営業所 行(大庄西・稲葉荘1丁目・労災病院・JR立花(上)・阪急武庫之荘(南)・西武庫経由) 80-1番 阪神出屋敷 行(琴浦神社経由) 2番標柱 30番 阪急塚口 行(元浜・リサーチコア前・尼崎競艇場・JR立花(上)・立花支所・尼崎北小学校経由) 80-2番 阪神出屋敷 行(元浜・高洲経由) 90番 尼崎テクノランド前 行(尼崎スポーツの森・末広町[18] 経由、朝1便のみ、休日運休) 隣の駅[編集] 阪神電気鉄道 本線 ■■直通特急・■特急・■区間特急・■快速急行(平日朝晩) 通過 ■快速急行(平日日中・土休日)・■急行 尼崎駅 (HS 09) - 武庫川駅 (HS 12) - 甲子園駅 (HS 14) ■区間急行 尼崎駅 (HS 09) - 武庫川駅 (HS 12) - 鳴尾駅 (HS 13) ■普通 尼崎センタープール前駅 (HS 11) - 武庫川駅 (HS 12) - (武庫川信号場) - 鳴尾駅 (HS 13) 武庫川線(全列車が各駅に停車) 武庫川駅 (HS 12) - 東鳴尾駅 (HS 53) かつて存在した路線[編集] 阪神電気鉄道 武庫川線(廃止区間) 武庫大橋駅 - 小松駅 - 武庫川駅 (- 東鳴尾駅) 脚注[編集] [ヘルプ] ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 『兵庫の鉄道全駅 私鉄・公営鉄道』 神戸新聞総合出版センター、2012年12月10日、47頁。ISBN 9784343006745。 ^ “阪神「三宮」を「神戸三宮」に駅名変更、駅ナンバリングを導入し、すべてのお客さまに分かりやすい駅を目指します” (PDFlink) (プレスリリース), 阪神電気鉄道株式会社, (2013年4月30日), オリジナルの2016年4月8日時点によるアーカイブ。 2016年4月8日閲覧。 ^ “[アラカルト]3月20日=兵庫 ◆駅ナンバリング、神鉄が導入”. 読売新聞(大阪朝刊) (読売新聞大阪本社): p. p.32. (2014年3月20日) ^ 『東海道ライン 全線・全駅・全配線 第7巻 大阪エリア-神戸駅』 川島令三 編著、講談社〈図説 日本の鉄道〉、2009年。ISBN 978-4-06-270017-7。29頁 ^ 「線路に物を落とした時は、自分で拾わず係員をお呼び下さい」というもの。 ^ a b c d e 尼崎市統計書(平成18年) (PDF) ^ 尼崎市統計書(平成19年) (PDF) ^ 尼崎市統計書(平成20年) (PDF) ^ 尼崎市統計書(平成21年) (PDF) ^ 尼崎市統計書(平成22年) (PDF) ^ 尼崎市統計書(平成23年) (PDF) ^ 尼崎市統計書(平成24年) (PDF) ^ 尼崎市統計書(平成25年) (PDF) ^ 尼崎市統計書(平成26年) (PDF) ^ 尼崎市統計書(平成27年) (PDF) ^ 尼崎市統計書(平成28年) (PDF) ^ 旧・尼崎市交通局 ^ 2014年2月までパナソニックPDP前と称した。同社工場閉鎖により改称 関連項目[編集] 日本の鉄道駅一覧 北赤羽駅、東大島駅、土佐北川駅、石手川公園駅 - 同じく橋梁上にホームがある駅 外部リンク[編集] ウィキメディア・コモンズには、武庫川駅に関連するカテゴリがあります。 武庫川駅(阪神電気鉄道) [表示] 表・話・編・歴 乗り入れ路線と駅の一覧 [表示] 表 話 編 歴 近畿の駅百選 カテゴリ: 尼崎市の鉄道駅西宮市の鉄道駅日本の鉄道駅 む阪神電気鉄道の鉄道駅1905年開業の鉄道駅 案内メニュー ログインしていませんトーク投稿記録アカウント作成ログインページノート閲覧編集履歴表示検索 Wikipedia内を検索 表示 メインページ コミュニティ・ポータル 最近の出来事 新しいページ 最近の更新 おまかせ表示 練習用ページ アップロード (ウィキメディア・コモンズ) ヘルプ ヘルプ 井戸端 お知らせ バグの報告 寄付 ウィキペディアに関するお問い合わせ 印刷/書き出し ブックの新規作成 PDF 形式でダウンロード 印刷用バージョン 他のプロジェクト コモンズ ツール リンク元 関連ページの更新状況 ファイルをアップロード 特別ページ この版への固定リンク ページ情報 ウィキデータ項目 このページを引用 他言語版 English Esperanto Italiano リンクを編集 最終更新 2017年5月8日 (月) 07:02 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。 テキストはクリエイティブ・コモンズ 表示-継承ライセンスの下で利用可能です。追加の条件が適用される場合があります。詳細は利用規約を参照してください。 プライバシー・ポリシーウィキペディアについて免責事項開発者Cookieに関する声明モバイルビューWikimedia Foundation Powered by MediaWiki