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囲碁は、陣地を囲むゲームです。
RPGゲームやアクションゲームとは異なる思考で次の一手を考える、面白いゲームです。
将棋、チェスと並ぶ、究極の思考ゲームとも言われます。
ブラウザーのみで動作するケースを特に囲碁ブラウザゲームと称することもあります。
専用ソフト使用の囲碁ゲームも多々あります。

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一般的なゲームでは、「礼」に重きをおきませんが、知的ゲームでは、礼を重んじる利用者が多いので、礼を心がけたいものです。
将棋に「ハサミ将棋」や「山崩し」があるように、囲碁にも「ポン抜きゲーム」/「石取りゲーム」があります。基本となる「アタリ」の習得に有用です。
ドンジャラも麻雀の基礎ルールの説明には有用ですね。


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当サイトに、お越しいただいて有難うございます。 一局の碁をお楽しみください。 当サイトで、御覧頂いているブラウザを使用して囲碁対局ができます。HTML5を使用するので、ソフトのインストールは不要です。 初心者の方も、対局できるようになっております。 ルールを知ったが、対局する機会がない人に最適です。ルールが解らない方は、申し訳ありませんが事前に習得して頂けれは幸いです。 囲碁のルールは単純なのでずか、ゲームは難しいです。 入門者もベテランもロボットと対局できるサイトは多々あります。
実体験に基づいた、オススメ記事もネット上にあります。 「ネット碁を打ちたいけどどこで打ったらいいのかわからない」という方は、参考にしてください。 オススメするネット囲碁対局場3選 ここによると、
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だそうです。 推薦者のブログ 幽玄の間の口コミ 幽玄の間サイト KGSの口コミ KGS パンダネット

当サイトも、及ばずながら、がんばります。




Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0)

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Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0) 巡将碁 巡将碁(じゅんしょうご、スンジャン・パドゥク)は、朝鮮で20世紀前半頃まで行われていた囲碁の一つ。基本的なルールは囲碁と同じだが、対局開始時に黒白8子ずつの石を碁盤の決まった位置に置いてから始める。 目次 [非表示] 1 対局方法 2 歴史 3 特徴 4 参考文献 対局方法[編集] 巡将碁のルールは、事前置き石制の一種で、開始時にあらかじめ図のように黒白8子ずつを置いて対局を始める。黒番から打ち始め、1手目は天元に打つのが「決まり手」となっている。 巡将碁の置き石 終局時の地の数え方は、中国ルールとも日本ルールとも異なり、陣地の大きさを数える方法であるが、終局時に地の輪郭が崩れないように地の中の石を取り除いて数える。石を取り除く時は、石がアタリにならないようにする。アゲハマは地の数え方には関係しない。 歴史[編集] 朝鮮に中国から囲碁が伝来したのは紀元前1世紀頃とされ、5世紀頃に最初の囲碁の記録が現れ、16世紀末頃から両班階級に普及した。このため巡将碁もこの16世紀から17世紀初頃から始まったのではないかと、一般には考えられている。 それに対し、正倉院宝物にある碁盤「木画紫檀棊局」では、盤上の星の位置が巡将碁の置石と同じであることから、これが朝鮮の碁盤であって、7世紀頃の百済で巡将碁が始まったのではないかという林裕や安玲二の説がある。また安の説では、開始時の置き石は城を守る将軍になぞらえたものと考えられている。 20世紀半ばになって、日本で修行して韓国に帰国した趙南哲は、韓国棋院を設立して日本式の自由布石による囲碁を普及させ、巡将碁は打たれることは少なくなった。 特徴[編集] 布石の段階が無いため、現代の囲碁に比べると最初から激しい戦いが起きる。 参考文献[編集] 大島正雄「安玲二氏の巡将碁仮説」(『棋道』1996年1-2月号) 哲学飛将碁 哲学飛将碁(てつがくとびしょうご)は、明治時代に井上円了が考案したチェッカーに似たボードゲーム[1]。従来の囲碁・将棋は勝負が決するまでに時間がかかるため忙しい時代にはそぐわないとして、競技時間が短く、さらに哲学の教育にも役立つゲームを、囲碁と将棋のルールを折衷して開発したとされている[2]。現代のイギリス式チェッカーのルールと似ていて、異なる点は、将棋と同じ縦横9マスであることと、将棋の玉将と同じように取られたら負ける駒(主票)がある[3]、という2点だけである。二人零和有限確定完全情報ゲームである。 目次 [非表示] 1 ルール 1.1 道具 1.2 初期配置 1.3 駒の動かし方 1.4 勝敗 1.5 派生ルール 2 注釈 3 参考文献 4 関連項目 ルール[編集] 道具[編集] 縦横9マスの盤面に、斜線の升目が市松模様で並んだ盤面[4]を用いる。駒は斜線のマス目に置く。 黒白2種類の駒(票)をそれぞれ14個ずつ用い、黒派と白派で争う。黒派は黒い文字が書かれている駒を、白派は白い文字が書かれている駒を用いる。黒と白それぞれ、大きな駒(主票)を1個と小さな駒(属票)を13個用いる[5]。 黒の属票には「唯物」、白の属票には「唯心」と書かれている[6]。唯物と唯心の裏面には、それぞれ「理」と書かれている。主票には「理想」と書かれている。 初期配置[編集] 初期配置図の様に並べてから、黒と白交互に指し手を進める。黒と白どちらが先手(先攻)となっても構わない。 盤面 初期配置図 駒の動かし方[編集] 唯物と唯心は斜め前の2方向に1マス進むことができる。理想は斜め前と斜め後ろの4方向に1マス進む事ができる。動きはすべて斜めに限られるため、斜線のマス目のみを動く。属票が一番奧の列にまで進むと、裏返して「理」の面として、理想と同じ動きとなる。 自分の駒の斜め1つ前に敵の駒があり、同じ方向へさらに1つ斜め前へ進んだマス目に駒が置かれていない場合は、その空いているマス目に自分の駒を進めて、飛び越えた敵の駒を盤上から取り去ることができる。 敵の駒を飛び越えて着地した箇所から、さらに敵の駒を飛び越えることが可能な時には、連続して飛び越える。 連続して飛び越える時には、飛び越える方向を変えても良い。 敵の駒が2個以上連続して並んでいる時には、飛び越えることができない。 理想(理)は斜め前方だけでなく斜め後方に敵の駒を飛び越えることができる。 敵の駒を飛び越えることができる時には、必ず飛び越えなければならない。 勝敗[編集] 主票を失った方が負けとなる[7]。 派生ルール[編集] 2種類の派生ルール(変則法)がある。 中央のマスに不動駒を置き、どの駒も不動駒を飛び越す事ができない。不動駒には、主票よりも一回り大きい黒い駒を用いる。 主票を用いず、唯物と唯心のみを用いる。この派生ルールのために、唯物と唯心はそれぞれ14個用意され、通常ルールでは1枚ずつ余る。 注釈[編集] ^ 東洋大学(創立者・井上円了)が所蔵し東洋大学井上円了記念博物館で展示されている(2011年12月21日現在)。 ^ 丸山(1890)。このページのルールはすべてこの文献に基づいて記載している。 ^ 玉将に相当する駒を持つチェッカーと似たゲームには、タコツボがある。東君平. “タコツボ本舗” (日本語). 2011年12月23日閲覧。 ^ このゲームは論争をモチーフとしているため、論争の場となる盤面を論壇(あるいは単に「壇」)と呼ぶ。 ^ 玉将を主票とし、歩と香車を属票とすることで、将棋盤と駒を使って対戦することができる。ただし、哲学教育の意義は失われる。 ^ 考案者の井上円了は哲学者・教育家であり、哲学の教育を目的として、駒の名前に哲学の用語を用いた。難解な哲学を大衆に分かりやすく広める活動の一環であった。唯物論と唯心論の論客が論争を繰り広げる様子をゲームとし、ゲームの勝敗は論争の勝敗を意味する。 ^ 理想を失った方が負け、というルールから井上円了が理想を重視していたことが分かる。哲学用語で理想主義は唯心論を表すが、唯物、唯心双方とも理想を主票としているところが興味深い。 参考文献[編集] 丸山福治 『哲学飛将碁指南』 哲学書院、1890年。 関連項目[編集] 将棋 将棋類の一覧 変則将棋 変則チェス (en:Chess variant) チェッカー (en:Draughts) 囲碁将棋 囲碁将棋(いごしょうぎ) 囲碁と将棋を総称した言葉。 囲碁・将棋ジャーナル 囲碁・将棋板 学校の部活の「囲碁将棋部(同好会)」など。 囲碁将棋 (お笑いコンビ) - よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属のお笑いコンビ。 囲碁将棋 (お笑いコンビ) この記事に雑多な内容を羅列した節があります。事項を箇条書きで列挙しただけの節は、本文として組み入れるか、または整理・除去する必要があります。(2012年6月) Question book-4.svg この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2012年6月) 囲碁将棋 メンバー 文田大介 根建太一 結成年 2003年 事務所 よしもとクリエイティブ・エージェンシー 活動時期 2003年 - 出身 東京NSC9期生 出会い 東海大学付属相模高等学校囲碁将棋部 芸種 漫才 ネタ作成者 文田大介 同期 ハリセンボン ジューシーズ えんにち エリートヤンキー しずる ゆったり感 ライス 公式サイト 公式プロフィール テンプレートを表示 囲碁将棋(いごしょうぎ)は、吉本興業東京本社(東京吉本、厳密には子会社のよしもとクリエイティブ・エージェンシー)所属のお笑いコンビ。東京NSC9期生。 東海大学付属相模高等学校在学中、二人とも囲碁将棋部に在籍していたことが、コンビ名の由来である。出囃子はサザンオールスターズの「爆笑アイランド」。 目次 [非表示] 1 メンバー 2 概説 3 ネタ 4 単独ライブ 5 出演 6 ラジオ 7 DVD 8 脚注 9 外部リンク メンバー[編集] 文田 大介(ふみた だいすけ、1980年(昭和55年)6月20日(36歳) - )主にボケ担当 神奈川県茅ヶ崎市出身。血液型はB型。立ち位置は主に左。 高校時代、囲碁将棋部で部長を務めていたことがある(しかし部員は文田、根建ともう1人の3人だけだった)。 眼鏡がトレードマークだが、レーシック手術をしたため伊達眼鏡。レンズは入っていない。 2008年夏頃まで、眼鏡チェーンで金髪であった。 大塚甲喜(エレベーターマンション)、浅井優(山田カントリー)、大波康平(タモンズ)、滝野元気(サヨナラダンス)と、神奈川県の鷺沼にある文田の見つけた物件でルームシェアをしており(通称「鷺沼ハウス」)、「鷺沼芸人」として全員でシチサンライブに出演したり、鷺沼ハウスからUstream配信をすることもある。住人ではないが、Ustream配信には藤本淳史(田畑藤本)と岡部(ペペ)が参加している。鷺沼ブログでも二人が書き込みを行うことがある。 東海大学理学部数学科卒で、数学の教員免許を持っている。 4人兄弟の長男。次男と三男もB型で名前に「介」がついているが、四男はA型で「介」がはいっていない。 2015年元日早朝、ルミネtheよしもとにて開催された新春囲碁将棋大会にて、2014年8月に結婚していたことを発表。 ロックバンドkoziesでボーカルをしている。 根建 太一(ねだて たいち、1981年(昭和56年)3月23日(36歳) - )主にツッコミ担当 神奈川県横浜市出身。血液型はO型。立ち位置は主に右。愛称は「太一」「ねけん」 天然キャラであり、MCでのカンペを持つ手が震える、漫才のネタを間違えてネタ中に客席に謝るなど、逸話を持つ。 囲碁将棋部時代、将棋で本当に王将を取られた経験を持つ(本来はその一手前で終わるもの)。 普段は中ぐらいの音域の声だが、低音ボイスを持つ。 2009年3月に相方・文田らの家へ引っ越したが、翌月には実家に戻っている。 父、母、弟の4人家族。 東海大学工学部動力機械工学科卒業。中学からずっと東海大学系に通う。 お笑いコンビ「ひよしなかよし」(ニュースタッフエージェンシー所属)のボケ担当・ねんねんこと、根建耕二は実弟。 好きなタイプは松雪泰子。 ブログでは「お暇なら来てよね」「ありがとう」という言葉をよく用いる。文末に「喜」とつけることもある。また、ネタ中には「嬉しい~!」ということがよくある。ブログのタイトルは決まって「あーーー○○ーーー!!」という表記である。○○の部分が毎回変わる。 トータルテンボスが監督・キャプテンを務める芸人草野球チーム「アフロモンキーズ」に参加している。 概説[編集] 文田は中学生時代まで野球をやっており、東海大学付属相模高等学校入学後も野球を続けるつもりで野球部を見学したが、自分たちとの実力の差を感じ、野球をあきらめて囲碁将棋部に入部した。根建は『漫画「月下の棋士」を読んで憧れた』ことが入部のきっかけだったという。その後、文田は高校在学中に出場した将棋大会で優勝したことがある[1]。高校卒業後は二人とも東海大学に進学。 共に身長が185cmあり、吉本興業きっての長身コンビである。囲碁将棋の後に漫才をやる芸人が「マイク高い」とつぶやいたこともある。身長を聞かれた際に「185cmをやらせてもらってます。」と答えるのがお約束になっている。しかし実際には文田のほうがやや大きい。NSC時代は体重もほぼ一緒(75kg)だった。 2011年4月27日、吉本興業の『あなたの街に“住みます”プロジェクト』にて、神奈川県に住みます芸人に任命された。 ネタ中に噛んだ時には、自身の頬を叩くことがあり「連帯責任」としてもう一人も自身の頬を叩く。 以前は二人ともTシャツにズボンというラフな格好でネタをやっていたが、今は根建が白いYシャツにクリーム色のスーツを着るようになった。文田は特に決まった衣装はないが、稀にスーツを着ることがある。 ネタ[編集] 主に漫才。ネタ中にコントに入ることはあまりなく、正統派しゃべくり漫才である。コントに関しては「演技力がないためできない」との理由でやっていない[2]。根建は神保町花月において、舞台演出に「呼んでごめん」と言われたことがある。ただ、全くコントのある漫才をやっていないというわけでもなく、たまにコントを織り交ぜた漫才も披露する。 基本は根建がツッコミだが、根建自身もネタ中にそこそこの割合でボケることがあるためスタイルとしてはWボケに近い。 自分たちの漫才を「文化系」と自評している一方で、他からもそのように評されたこともある。 ショートネタ代表作として根建の「トランポリン」があり、一時期メディア露出時の中心ネタであり、このネタであらびき団に出演したこともある。しかし、漫才での露出が増えて以降はほぼ行っていない。 デビューしたばかりの頃にツカミの決めポーズとして、二人で将棋の駒を指す仕草をして「テンション上げて!」と言っていた。 2008年のM-1グランプリでは初の準決勝進出。敗者復活戦にも出場。翌2009年も準決勝まで進出。最後の2010年でも準決勝進出。敗者復活戦にも参加したが、この年の敗者復活戦の出番順は「予選での成績が悪かった順(準々決勝敗退者→準決勝敗退者)」であり、囲碁将棋の出番は最後から2番目(予選10位)という前年度優勝者かつ敗者復活勝者であったパンクブーブーに次ぐ好成績であった。 THE MANZAI 2014では認定漫才師50組に選ばれ、本戦サーキットにて上位15組に入り決勝大会出場が決定。大会ではトップバッターを務めた。 翌2012年度大会にも出場し認定漫才師に選ばれる。本戦サーキットでは一度ベスト3に入る好成績をあげるも、結果は14位となりワイルドカード決定戦に進出することとなった。 ネタではこれといった台本を用いず、ネタ帳にはタイトルだけが書いてある。内容を忘れてしまったネタは「賞味期限が過ぎた」として削除している。 単独ライブ[編集] 2008年 07月22日 - 『ステゴマワライスキー』(新宿シアターブラッツ/東京) 2009年 02月07日 - 『先手ふみた後手ねだて』(新宿シアターブラッツ/東京) 08月01日 - 『ALL SUMMER LONG』(新宿シアターブラッツ/東京) 2010年 03月01日 - 『劇空間ホール』(北沢タウンホール/東京) 08月12日 - 『想い出リボン』(よしもとプリンスシアター/東京) 2011年 03月30日 - 『喜』(よしもとプリンスシアター/東京) 09月10日 - 『湘南September』(よしもとプリンスシアター/東京) 10月16日 - 『湘南オクトーバー』(伊勢原市民文化会館小ホール/神奈川) 2012年 02月05日 - 『2・五・歩』(ヤクルトホール/東京) 07月28日 - 『スプリング・コンサート』(ヤクルトホール/東京) 2013年 02月16日 - 『海のミルク、山のキャビア、森のバター』(シアターD/東京) 2014年 01月17日 - 『55』(ルミネtheよしもと/東京) 08月02日 - 『最幸』 (ルミネtheよしもと/東京) 2015年 10月12日 - 『働きマン』(ルミネtheよしもと/東京) 2016年 07月02日 - 『最初で最後のベストネタライブ』(大宮ラクーンよしもと劇場/埼玉) 08月15日 - 『13』(ルミネtheよしもと/東京) 出演[編集] ヨシモト∞(ヨシモトファンダンゴTV) あらびき団(TBSテレビ、2007年12月12日、2009年10月14日) PLAY!AWA'S 〜美と笑いの大お見せ合いパーティ〜(GyaO) ぐるナイおもしろ荘 生放送ですいまメ~ン(日本テレビ、2009年1月1日) よしもとオンライン(Yahoo!バラエティ、2009年3月1日) 爆笑レッドカーペット(フジテレビ) - キャッチコピーは「先手必勝」 爆笑ホワイトカーペット(フジテレビ、2009年4月4日) - キャッチコピーは「先手必勝」 爆笑トライアウト(NHK総合) 会場審査は7位(353TP)、視聴者投票は5位(925票)。 オンバト+(NHK総合) 戦績3勝4敗 最高465KB U・LA・LA@7(TOKYO MX、2009年4月28日)『よしもとうららちゃん』コーナー オリエンタルラジオのマンガの日(よしもとオンライン、2009年12月18日) エンタの神様 未公開ネタ大連発SP!!(日本テレビ、2010年3月6日) - キャッチコピーは「歌う漫才迷人戦」 笑う妖精(テレビ朝日)- 根建のみ 芸人報道(日本テレビ、2010年10月18日) - 根建のみ お笑いDynamite!(TBSテレビ、2011年12月29日) THE MANZAI(フジテレビ、2011年12月17日) ソフトくりぃむ(テレビ朝日、2012年2月21日) - 文田のみ オサレもん(フジテレビ、2014年11月4日) ラジオ[編集] 夕やけ寺ちゃん 活動中(文化放送)準レギュラー 湘南ワンダーチャンス(藤沢エフエム放送、毎週土曜日 2200〜2300 2011年10月1日~) レギュラー KANAGAWA HAPPY TOWN(横浜エフエム放送、毎週土曜日19:00〜19:30) DVD[編集] 「ルミネtheよしもと 業界イチの青田買い2008夏」(2008年) 脚注[編集] ^ 参考:2008年12月22日付サンケイスポーツ芸能面『次は任せなさい お笑いニューヒーロー』 ^ 2009年3月1日配信 よしもとオンライン 外部リンク[編集] 公式プロフィール 囲碁将棋の交換日記(仮) 鷺沼ハウスのブログ 文田大介 (@ff190mm) - Twitter YNN神奈川チャンネル The Kozies ------------------------------------------- 康正 曖昧さ回避 この項目では、元号の康正について説明しています。仏師の康正については「康正 (仏師)」をご覧ください。 康正(こうしょう)は、日本の元号の一つ。享徳の後、長禄の前。1455年から1457年までの期間を指す。この時代の天皇は後花園天皇。室町幕府将軍は足利義政。 目次 [非表示] 1 改元 2 出典 3 康正期におきた出来事 3.1 出生 3.2 死去 4 西暦との対照表 5 脚注 6 関連項目 改元[編集] 享徳4年7月25日(ユリウス暦1455年9月6日) 改元 康正3年9月28日(ユリウス暦1457年10月16日) 長禄に改元 出典[編集] 『史記』と『尚書』の「平康正直」から。 康正期におきた出来事[編集] 3年4月8日(1457年5月1日) - 太田道灌が武蔵国荏原郡桜田郷に江戸城を築城。 出生[編集] 元年4月25日(1455年5月11日) - 三条西実隆、公卿(天文6年死去) 元年9月3日(1455年10月13日)- 陶弘護、周防守護代(文明14年死去) 元年(1455年)- 赤松政則、播磨守護(明応5年死去) 元年(1455年) - 富樫政親、加賀守護(長享2年死去) 元年(1455年)[1] - 武田元信、若狭守護(大永元年死去) 2年2月2日(1456年3月8日) - 伏見宮邦高親王、皇族(享禄5年死去) 2年(1456年) - 蠣崎光広、蝦夷の領主(永正15年死去) 2年(1456年)[2]- 北条早雲、相模・伊豆の戦国大名(永正16年死去) 3年(1457年)- 斯波義寛、尾張守護(永正10年死去) 死去[編集] 2年8月29日(1456年9月28日)- 伏見宮貞成親王、皇族で後花園天皇の父(応安5年出生) 2年10月2日(1456年11月8日)- 六角久頼、近江守護(生年不詳) 西暦との対照表[編集] ※は小の月を示す。 康正元年(乙亥) 一月 二月※ 三月 四月 閏四月※ 五月 六月※ 七月 八月※ 九月 十月※ 十一月 十二月※ ユリウス暦 1455/1/18 2/17 3/18 4/17 5/17 6/15 7/15 8/13 9/12 10/11 11/10 12/9 1456/1/8 康正二年(丙子) 一月 二月※ 三月 四月※ 五月 六月 七月※ 八月 九月※ 十月 十一月※ 十二月 ユリウス暦 1456/2/6 3/7 4/5 5/5 6/3 7/3 8/2 8/31 9/30 10/29 11/28 12/27 康正三年(丁丑) 一月※ 二月 三月※ 四月 五月※ 六月 七月※ 八月 九月 十月※ 十一月 十二月 ユリウス暦 1457/1/26 2/24 3/26 4/24 5/24 6/22 7/22 8/20 9/19 10/19 11/17 12/17 脚注[編集] ^ 寛正2年(1461年)出生説もあり。 ^ 永享4年(1432年)出生説もあり。 関連項目[編集] [隠す] 表 話 編 歴 日本の元号 飛鳥時代 大化645-650 白雉650-654 白鳳? 朱雀? 朱鳥686 大宝701-704 慶雲704-708 和銅708-715 奈良時代 霊亀715-717 養老717-724 神亀724-729 天平729-749 天平感宝749 天平勝宝749-757 天平宝字757-765 天平神護765-767 神護景雲767-770 宝亀770-781 天応781-782 延暦782-806 平安時代 大同806-810 弘仁810-824 天長824-834 承和834-848 嘉祥848-851 仁寿851-854 斉衡854-857 天安857-859 貞観859-877 元慶877-885 仁和885-889 寛平889-898 昌泰898-901 延喜901-923 延長923-931 承平931-938 天慶938-947 天暦947-957 天徳957-961 応和961-964 康保964-968 安和968-970 天禄970-974 天延974-976 貞元976-978 天元978-983 永観983-985 寛和985-987 永延987-989 永祚989-990 正暦990-995 長徳995-999 長保999-1004 寛弘1004-1013 長和1013-1017 寛仁1017-1021 治安1021-1024 万寿1024-1028 長元1028-1037 長暦1037-1040 長久1040-1044 寛徳1044-1046 永承1046-1053 天喜1053-1058 康平1058-1065 治暦1065-1069 延久1069-1074 承保1074-1077 承暦1077-1081 永保1081-1084 応徳1084-1087 寛治1087-1095 嘉保1095-1097 永長1097-1097 承徳1097-1099 康和1099-1104 長治1104-1106 嘉承1106-1108 天仁1108-1110 天永1110-1113 永久1113-1118 元永1118-1120 保安1120-1124 天治1124-1126 大治1126-1131 天承1131-1132 長承1132-1135 保延1135-1141 永治1141-1142 康治1142-1144 天養1144-1145 久安1145-1151 仁平1151-1154 久寿1154-1156 保元1156-1159 平治1159-1160 永暦1160-1161 応保1161-1163 長寛1163-1165 永万1165-1166 仁安1166-1169 嘉応1169-1171 承安1171-1175 安元1175-1177 治承1177-1181 養和1181-1182 寿永1182-1184 元暦1184-1185 鎌倉時代 文治1185-1190 建久1190-1199 正治1199-1201 建仁1201-1204 元久1204-1206 建永1206-1207 承元1207-1211 建暦1211-1214 建保1214-1219 承久1219-1222 貞応1222-1224 元仁1224-1225 嘉禄1225-1228 安貞1228-1229 寛喜1229-1232 貞永1232-1233 天福1233-1234 文暦1234-1235 嘉禎1235-1238 暦仁1238-1239 延応1239-1240 仁治1240-1243 寛元1243-1247 宝治1247-1249 建長1249-1256 康元1256-1257 正嘉1257-1259 正元1259-1260 文応1260-1261 弘長1261-1264 文永1264-1275 建治1275-1278 弘安1278-1288 正応1288-1293 永仁1293-1299 正安1299-1302 乾元1302-1303 嘉元1303-1307 徳治1307-1308 延慶1308-1311 応長1311-1312 正和1312-1317 文保1317-1319 元応1319-1321 元亨1321-1324 正中1324-1326 嘉暦1326-1329 元徳1329-1331(大覚寺統)、1329-1332(持明院統) 大覚寺統 元弘1331-1334 持明院統 正慶1332-1333 南北朝時代 室町時代 建武1334-1336(南朝)、1334-1338(北朝) 南朝 延元1336-1340 興国1340-1347 正平1347-1370 建徳1370-1372 文中1372-1375 天授1375-1381 弘和1381-1384 元中1384-1392 北朝 暦応1338-1342 康永1342-1345 貞和1345-1350 観応1350-1352 文和1352-1356 延文1356-1361 康安1361-1362 貞治1362-1368 応安1368-1375 永和1375-1379 康暦1379-1381 永徳1381-1384 至徳1384-1387 嘉慶1387-1389 康応1389-1390 明徳1390-1394 応永1394-1428 正長1428-1429 永享1429-1441 嘉吉1441-1444 文安1444-1449 宝徳1449-1452 享徳1452-1455 康正1455-1457 長禄1457-1461 寛正1461-1466 文正1466-1467 戦国時代 応仁1467-1469 文明1469-1487 長享1487-1489 延徳1489-1492 明応1492-1501 文亀1501-1504 永正1504-1521 大永1521-1528 享禄1528-1532 天文1532-1555 弘治1555-1558 永禄1558-1570 元亀1570-1573 安土桃山時代 天正1573-1593 文禄1593-1596 慶長1596-1615 江戸時代 元和1615-1624 寛永1624-1645 正保1645-1648 慶安1648-1652 承応1652-1655 明暦1655-1658 万治1658-1661 寛文1661-1673 延宝1673-1681 天和1681-1684 貞享1684-1688 元禄1688-1704 宝永1704-1711 正徳1711-1716 享保1716-1736 元文1736-1741 寛保1741-1744 延享1744-1748 寛延1748-1751 宝暦1751-1764 明和1764-1772 安永1772-1781 天明1781-1789 寛政1789-1801 享和1801-1804 文化1804-1818 文政1818-1831 天保1831-1845 弘化1845-1848 嘉永1848-1855 安政1855-1860 万延1860-1861 文久1861-1864 元治1864-1865 慶応1865-1868 明治時代以降 明治1868-1912 大正1912-1926 昭和1926-1989 平成1989-現在 ※注1:元号の後の年代は、元号の初年と終年に対応する西暦。「天正」の初年まではユリウス暦、同じく終年以後はグレゴリオ暦による。 ※注2:「白鳳」と「朱雀」は正史『日本書紀』には見えない私年号だが、地方の文献等に散見する。 カテゴリ: 日本の元号室町時代 案内メニュー ログインしていませんトーク投稿記録アカウント作成ログインページノート閲覧編集履歴表示検索 Wikipedia内を検索 表示 メインページ コミュニティ・ポータル 最近の出来事 新しいページ 最近の更新 おまかせ表示 練習用ページ アップロード (ウィキメディア・コモンズ) ヘルプ ヘルプ 井戸端 お知らせ バグの報告 寄付 ウィキペディアに関するお問い合わせ 印刷/書き出し ブックの新規作成 PDF 形式でダウンロード 印刷用バージョン ツール リンク元 関連ページの更新状況 ファイルをアップロード 特別ページ この版への固定リンク ページ情報 ウィキデータ項目 このページを引用 他言語版 English Français 한국어 Русский Simple English Српски / srpski Svenska 中文 リンクを編集 最終更新 2013年7月19日 (金) 14:57 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。 テキストはクリエイティブ・コモンズ 表示-継承ライセンスの下で利用可能です。追加の条件が適用される場合があります。詳細は利用規約を参照してください。 プライバシー・ポリシーウィキペディアについて免責事項開発者Cookieに関する声明モバイルビューWikimedia Foundation Powered by MediaWiki