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囲碁は、陣地を囲むゲームです。
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ブラウザーのみで動作するケースを特に囲碁ブラウザゲームと称することもあります。
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将棋に「ハサミ将棋」や「山崩し」があるように、囲碁にも「ポン抜きゲーム」/「石取りゲーム」があります。基本となる「アタリ」の習得に有用です。
ドンジャラも麻雀の基礎ルールの説明には有用ですね。


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当サイトも、及ばずながら、がんばります。




Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0)

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Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0) --------- ツギ ツギは囲碁において、すでに打った石を相手に切断されないよう連絡する手を指す。 Go u.svg Go u.svg Go u.svg Go u.svg Go u.svg Go u.svg Go u.svg Go u.svg Go ur.svg Go board diagram image.svg Go board diagram image.svg Go board diagram image.svg Go board diagram image.svg Go board diagram image.svg Go board diagram image.svg Go board diagram image.svg Go board diagram image.svg Go r.svg Go board diagram image.svg Go board diagram image.svg Go board diagram image.svg Go b.svg Go w.svg Go w.svg Go board diagram image.svg Go board diagram image.svg Go r.svg Go board diagram image.svg Go board diagram image.svg Go board diagram image.svg Go b1.svg Go b.svg Go -.svg Go w.svg Go board diagram image.svg Go r.svg Go board diagram image.svg Go board diagram image.svg Go board diagram image.svg Go board diagram image.svg Go board diagram image.svg Go board diagram image.svg Go board diagram image.svg Go board diagram image.svg Go r.svg Go board diagram image.svg Go board diagram image.svg 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aの点をツグ代わりに、1に打つことでもキリを防いでいる(aに切られてもシチョウで取れる)。こうしたツギ方をケイマツギと呼び、働いたツギ方である。 タケフ[編集] 図で黒1と打つと、aとbが見合いで切断されない(白がaに出てくればbとツギ、bに出てくればaにツグ)。この形を「タケフ」と呼ぶ(漢字で書くと「竹節」)。黒はaやbに直接ツグよりも1に打った方が中央に進出しやすく、働いた形である。 カネツギ[編集] 黒1から3のハネツギに対して、普通にaなどとツグと、黒b、白c、黒dのハネツギも先手で利かされてしまう。白4と受ければ、黒からのaのキリに対する防御となる上、黒bからのハネツギを後手にすることができる。このように、両方のツギを一手で済ます働いたツギ方を「カネツギ」と呼ぶことがある。 参考図書[編集] 春山勇『切りとツギ (烏鷺うろブックス) 』 --------- ツキアタリ ツキアタリ(つきあたり、突き当たり)は囲碁用語の一つで、相手と自分の石が一路隙間を空けて対峙しているとき、その隙間に打つ手のこと。文字通り相手に突き当たるような手。下図が「ツキアタリ」の一例である。 動詞では「ツキアタる」となる。また「突っ張り」「ブツカリ」と表現されることもある。 ツキアタリの例[編集] 白1ではaのオサエではなく、▲の石に響かせてツキアタリで決める。黒2と受けさせ、白3とハネて制すれば好形。ただし、黒2だと将来白b黒c白dから白eのサガリを狙う手段が残るので、黒2でeに打つ場合もある。 図1 図2 △のハイコミに対し、図1のようにすぐオサエると白2のオキからえぐられ、根拠を奪われる。これを防ぐため、図2黒1とツキアタリを決めてから黒3とオサエれば無事。ただし、白2とノビられるのは損なので、黒1でaやbに打つ場合が多い。 --------- 作る (囲碁) 作る(つくる)は、囲碁用語の一つで、終局後に地を数えやすいように石をずらしたり取り替えたりして整形すること[1]。 この「作る」という囲碁用語は現在でも使われているが、近年は「整地(せいち)」または「整地する」と書かれることが多くなった。 また、投了せずに終局に至る碁を「作り碁」という。 目次 [非表示] 1 作る方法 2 作る形の例 3 脚注 4 参考文献 5 関連項目 作る方法[編集] 自分の地の中にある相手の死石を取り上げハマに加える。 双方が相手側の地を作る。 ハマを相手の地の中に置く。 地を数えやすいように石をずらしたり取り替えたりして整形する。この際、地の大きさが変わらないように注意する。 作る形の例[編集] 左上隅は、3×4-2で、10目の黒地である。 右上隅は、7×3-1で、20目の白地である。 下辺は、辺の星の位置が盤端から10番目であることを利用した40目の黒地である。 脚注[編集] ^ 『囲碁百科辞典』96頁 参考文献[編集] 林裕『囲碁百科辞典』金園社、1975年 関連項目[編集] 囲碁 --------- ツケ 曖昧さ回避 この項目では、囲碁用語のツケについて説明しています。その他の用法については「ツケ (曖昧さ回避)」をご覧ください。 ツケは囲碁用語で、着手を表す言葉のひとつ。すでに打たれている相手の石に隣接させるように打つ手を指す。例えば下図の黒1などがツケの例である。 ただし「ツケ」という言葉は多くの場合単独で打つ場合を指し、打った石の周辺に味方や相手の石がある場合には別の用語を使うことが多い。例えば下図左の黒1は「ハネ」であり、下図右の黒2は「ワリコミ」である。 (ハネ) (ワリコミ) 目次 [非表示] 1 関連用語 1.1 ハサミツケ 1.2 ツケコシ 1.3 鼻ヅケ 2 ツケに関する格言 2.1 参考図書 関連用語[編集] またコスミながら相手の石にツケる手を「コスミツケ」、トビながらツケる手を「トビツケ」などと呼ぶ。 (コスミツケ) (トビツケ) またツケた後ヒキを打つ手、ツケた後ノビる手をワンセットにして「ツケヒキ」「ツケノビ」と称することがある。下記の形からは、「ツケヒキ定石」「ツケノビ定石」と呼ばれる有名な定石が発生する。 (ツケヒキ) (ツケノビ) ハサミツケ[編集] 黒1のように、相手の石を挟み込むようにツケる手を「ハサミツケ」と称する。サバキの手筋、ヨセの手筋などとして頻出する。 ツケコシ[編集] 黒1のように、ケイマの位置にある相手の石の間にツケ、△同士の分断を図る手を「ツケコシ」と称する(格言:「ケイマにツケコシ」)。 鼻ヅケ[編集] 黒1のように、△2子の先端にツケる手を「鼻ヅケ」と呼ぶことがある。白がaに遮断すればbで取られ、bならaとワタって白地は激減する。 ツケに関する格言[編集] 弱い石にツケるな……ツケは自分の石を固めるが、一方で相手の石も強くしてしまう。このため相手の弱石に対しては直接ツケるのではなく、遠巻きに攻める方が多くの場合有効である。 サバキはツケから……敵の勢力圏内で軽くサバく場合には、相手の石にツケることで手がかりを得ることが有効になる。例えば下図の白はaなどとまともに逃げ出しても石数からいって不利であるため、白1にツケて形に就く手がかりとする。 参考図書[編集] 趙治勲『ツケの技法 (最強囲碁塾)』河出書房新社 --------- 詰碁 詰碁(つめご)とは、囲碁の部分的な死活を問う問題のこと。将棋の詰将棋に対応するもの。 目次 [非表示] 1 概要 2 例題 2.1 解答 3 歴史 4 詰碁名作ベストテン 5 その他 6 脚注 7 関連項目 8 参考文献 9 外部リンク 概要[編集] 白黒の石が置かれた囲碁の盤面の一部(まれには全部)と、手番(「白番」、「白先」もしくは「黒番」、「黒先」)が示され、どのように打てば自分の石を生きにもちこめるか、または相手の石を殺すことができるか、すなわち死活を考えるものである。 いくつも詰碁を解き、パターンを覚えておけば、実戦に類似した形が生じた場合に短時間で対応できるようになる。また、読みの力を養う絶好のトレーニングともなることから、囲碁の上達には欠かせない。このため、多数の詰碁問題集が市販されている。 なお、詰碁という用語は、死活のからむ問題に用いられる。一方で、死活に関係なく、局所的な得を図るような問題は手筋問題といわれる。 たとえば、黒番で黒の石を生かす問題は「黒先活(くろせんいき)」、白の石を殺す問題は「黒先白死(くろせんしろし)」という(白番の場合は、「白先活(しろせんいき)」、「白先黒死(しろせんくろし)」)。また、最善の手順を尽くすとコウになる(コウに勝ったとした場合にのみ自分の石が生きられる/相手の石を殺せる)問題もあり、それらは「黒先コウ」「白先コウ」という。詰碁の問題集では結果(たとえば「黒先コウ」)まで書いているものもあるが、「黒先」か「白先」のみが示されていることの方が多い。結果が書かれていないものでは、最善の結果になる手を答える。たとえば、黒先の問題で、白の無条件死になる手順と、コウになる手順があったとすると、無条件死の手順を示さなければ正解とならない。 詰碁の難易度は様々で、初級者でもすぐ解けるものから、プロ棋士が何日もかかるような難問もある。「3分で解ければ初段」などと、棋力の目安のついた問題などもある。 例題[編集] 自分の石を生かす問題と相手の石を殺す問題[1]。共に黒先。 問題 1: 問題 2: 解答[編集] 解答 1: 1が「二の一」と呼ばれる急所で、本問では白にここを打たれるとどう打っても生きられない。黒1・3に打った左側に一眼できるのを白は防げない(黒がaに打てば一眼できるのは明らかであり、白がここに打ったとしても取られる)ため、右側に作ることができる一眼と合わせて二眼の生きとなる。白2で3に打つのは黒2でやはり生き。 解答 2: 3の後、ダメヅマリにより白はaに打つことができない(まとめて取られてしまう)。白の2手目が3なら黒2でやはり白死(欠け眼になる)。なお、黒が初手で2に打つと白1 黒3 白aで失敗(白活き)となる。 歴史[編集] 詰碁は、囲碁の死活を独立させたもので、古くから棋書の一部として存在した。中でも元に成立した『玄玄碁経(げんげんごきょう)』(1349年)が有名。明時代には『官子譜(かんずふ)』が作られた。この時代には詰碁を「珍瓏(ちんろう)」と呼んでいる。また中国ではヨセを官子と呼ぶ。(「詰碁」の語はおそらく「詰将棋」の影響によって日本で作られたと考えられる。囲碁の死活には「詰める」という言葉を使わないため)中国では詰碁という言葉は用いられず「死活問題集」「攻防問題集」「手筋問題集」「官子(ヨセ)問題集」「布局問題集」という用語が使われてきた。 日本では、1713年、井上道節因碩により『囲碁発陽論』が作られた。これは難解なことで有名だが、作成当時は井上家門外不出の書とされていた。1812年には林元美により『碁経衆妙(ごきょうしゅうみょう)』が出版された。 近代になると、職業棋士が、雑誌、新聞などで継続的に詰碁を発表するようになる。有名な詰碁作家として前田陳爾、橋本宇太郎、呉清源、加田克司、石榑郁郎、石田章、張栩らがいる。また数は多くないがアマチュアの作家(塚本惠一ら)も活躍している。 詰碁名作ベストテン[編集] 詰碁名作ベストテンは、前田陳爾が昭和47年に『棋道』誌に連載したエッセー(『詰碁の神様 前田陳爾傑作集2』に再録)。 玄玄碁経 発陽論 官子譜 玄覧(赤星因徹) 碁経衆妙 死活妙機(本因坊秀哉) 橋本宇太郎 佐藤直男 加田克司 筆者 となっている。 その他[編集] 現在は「珍瓏」といえば、盤面の全体を使った問題を指す。「珍瓏」では「この石が取れるか?」といった条件付きの問題も認められていて、定められた石をアタリの連続で(主にシチョウを使って)追うものもある。中山典之が多くの作品を発表している。 脚注[編集] ^ 『碁経衆妙』(林元美) 関連項目[編集] 玄玄碁経 碁経衆妙 官子譜 囲碁発陽論 参考文献[編集] 出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2014年10月) 事典類 趙治勲『基本死活事典』全2巻 日本棋院 1984-85年 『新・早わかり 死活小事典』日本棋院 1993年 張栩『基本死活事典』日本棋院 2014年 瀬越憲作『詰碁辞典(改訂版) 』日本貿易出版 1971年 関山利一、利夫『傑作詰碁辞典』誠文堂新光社 1975年(改訂版 2010年) 橋本昌二『名作詰碁辞典 玄玄碁経と発陽論』誠文堂新光社 1976年 加藤正夫『死活小辞典』誠文堂新光社 1984年 江場弘樹『基本死活辞典』エフエー出版 1992年 現代の代表的詰碁作家の作品集 『前田陳爾』(100万人の詰碁1)講談社 1983年 『橋本宇太郎』(100万人の詰碁2)講談社 1983年 『呉清源』(100万人の詰碁3)講談社 1983年 『加田克司詰碁教室』(ゴ・スーパーブックス15)日本棋院 1971年  『石榑郁郎傑作詰碁選』三一書房 1996年 佐藤直男『棋力アップ さわやか詰碁』誠文堂新光社 1999年 『秀行創作詰碁傑作集』日本棋院 1980年 『坂田 珠玉詰碁』誠文堂新光社 1995年 『石田章 詰碁傑作選 ~基本手筋の反復練習~ (マイコミ囲碁ブックス) 』2007年  『張栩の特選詰碁』日本棋院 2008年 塚本恵一『読むだけで強くなる 詰碁の鉄人』毎日コミュニケーションズ 2007年 入門書 『藤沢秀行詰碁教室 初級編』読売新聞社 1980年 『藤沢秀行詰碁教室 中・上級編』読売新聞社 1980年 『前田初級詰碁』東京創元社 『前田中級詰碁』東京創元社 『前田上級詰碁』東京創元社 『囲碁次の一手〈2 初・中級編〉初・中級詰碁』角川文庫 『囲碁次の一手〈5 上級編〉上級詰碁』角川文庫 『詰碁ジョイブックス』全10巻 日本棋院 外部リンク[編集] 黒白の部屋(塚本恵一) 詰碁の創り方(塚本惠一) 詰碁を楽しむ会 基本死活辞典(江場弘樹) 鈴木歩三段の詰碁のすすめ --------- --------- 但馬国 但馬国 地図 令制国 但馬国.svg ■-但馬国 ■-山陰道 別称 但州(たんしゅう) 所属 山陰道 相当領域 兵庫県北部 諸元 国力 上国 距離 近国 郡・郷数 8郡59郷 国内主要施設 但馬国府 1. 未詳 2. 兵庫県豊岡市 但馬国分寺 兵庫県豊岡市(但馬国分寺跡) 但馬国分尼寺 兵庫県豊岡市 一宮 出石神社(兵庫県豊岡市) テンプレートを表示 但馬国(たじまのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。山陰道に属する。 目次 [非表示] 1 「但馬」の名称 2 領域 3 沿革 3.1 近世以降の沿革 4 国内の施設 4.1 国府 4.2 国分寺・国分尼寺 4.3 神社 5 地域 5.1 郡 5.2 江戸時代の藩 5.3 明治時代の藩 6 人物 6.1 国司 6.1.1 但馬守 6.1.2 但馬介 6.2 守護 6.2.1 鎌倉幕府 6.2.2 室町幕府 6.3 国人 6.4 戦国大名 6.5 織豊大名 6.6 武家官位の但馬守 6.6.1 江戸時代以前 6.6.2 江戸時代 7 但馬国の合戦 8 現代的用法 8.1 気象予報区域 9 脚注 10 参考文献 11 関連項目 12 外部リンク 「但馬」の名称[編集] 『古事記』には「多遅麻国」と記載される。但馬の歴史的仮名遣いは「たぢま」。 領域[編集] 明治維新の直前の領域は現在以下のようになっている。太字の自治体及び郡は全域が、通常体は一部が国土にあたる。 兵庫県 豊岡市 養父市 朝来市(播磨国の部分を除く) 美方郡 当該地域の2010年国勢調査による人口は17万9530人(男8万5568人/女9万3962人)、世帯数は6万1880世帯、面積は2099.01km2、人口密度は85.5人/km2[1]。 沿革[編集] 7世紀、丹波国より8郡を分割して成立したとする説もあるが確証はない。『日本書紀』天武天皇4年(675年)条に国名がみえるので、この頃成立したと推定されている。 近世以降の沿革[編集] 「旧高旧領取調帳データベース」に記載されている明治初年時点での支配は以下の通り[2]。太字は当該郡内に藩庁が所在。国名のあるものは飛地領。 朝来郡 - 幕府領(生野代官所)、丹波篠山藩 養父郡 - 幕府領(生野代官所)、旗本領、出石藩 出石郡 - 幕府領(生野代官所)、出石藩 気多郡 - 幕府領(生野代官所)、旗本領、出石藩 城崎郡 - 幕府領(久美浜代官所)、豊岡藩 美含郡 - 幕府領(久美浜代官所)、出石藩 七美郡 - 旗本領(交代寄合山名氏) 二方郡 - 幕府領(久美浜代官所)、豊岡藩 慶応4年 4月19日(1868年5月11日) - 生野代官所の管轄地域が府中裁判所の管轄となる。 閏4月28日(1868年6月18日) - 久美浜代官所の管轄地域が久美浜県の管轄となる。 6月20日(1868年8月8日) - 交代寄合山名氏が立藩して村岡藩となる。 7月29日(1868年9月15日) - 府中裁判所の管轄地域が久美浜県の管轄となる。 明治2年 8月10日(1869年9月15日) - 朝来郡の久美浜県の管轄地域が生野県の管轄となる。 旗本領が久美浜県の管轄となる。 明治4年 7月14日(1871年8月29日) - 廃藩置県により、藩領が出石県、豊岡県、村岡県および篠山県の飛地となる。 11月2日(1871年12月13日) - 第1次府県統合により、全域が豊岡県の管轄となる。 明治9年(1876年)8月21日 - 第1次府県統合により兵庫県の管轄となる。 国内の施設[編集] [表示]全ての座標を示した地図 - OSM 全ての座標を示した地図 - Google 国府[編集] 祢布ヶ森遺跡 (兵庫県豊岡市) 『和名抄』および『拾芥抄』によると、国府は気多郡にあった。 初期の国府の所在地には、豊岡市出石町の袴狭(はかざ)遺跡とする説、気多郡(現在の豊岡市日高町)内とする説があるが、明らかでない。『日本後紀』によると、延暦23年(804年)に気多郡高田郷に国府が移されたという[3]。豊岡市役所日高総合支所(旧日高町役場)の付近で発掘された祢布ヶ森遺跡(豊岡市日高町祢布)がこれに比定される(位置)。 国分寺・国分尼寺[編集] 但馬国分寺跡 石碑 (兵庫県豊岡市) 但馬国分尼寺跡 石碑 (兵庫県豊岡市) 但馬国分寺跡(豊岡市日高町国分寺、位置) 国の史跡。寺域は1町半(約160メートル)四方。伽藍遺構として金堂・回廊・塔・中門、また寺域を示す築地の雨落溝の一部が確認され、その溝からは36点の木簡が出土している。跡地付近にある護国山国分寺(豊岡市日高町国分寺、位置)が法燈を伝承する。 但馬国分尼寺跡(豊岡市日高町水上・山本、位置) 国分寺跡から北方の豊岡市立日高東中学校付近。礎石が伝世され、尼寺の遺構とされる。北方の天台山法華寺(豊岡市日高町山本、位置)が後継を称する。 神社[編集] 延喜式内社 『延喜式神名帳』には、大社18座10社・小社113座106社の計131座116社が記載されている(「但馬国の式内社一覧」参照)。大社10社は以下に示すもので、全て名神大社である。 朝来郡 粟鹿神社 比定社:粟鹿神社(朝来市山東町粟鹿) 養父郡 夜夫坐神社二座(五座のうち) 比定社:養父神社(養父市養父市場) 養父郡 水谷神社 比定社:水谷神社(養父市奥米地) 出石郡 伊豆志坐神社八座 比定社:出石神社(豊岡市出石町宮内) 出石郡 御出石神社 比定社:御出石神社(豊岡市出石町桐野、位置) 気多郡 山神社 比定社:山神社(豊岡市日高町山宮、位置) 気多郡 戸神社 比定社:戸神社(豊岡市日高町十戸、位置) 気多郡 雷神社 比定社:雷神社(豊岡市佐野、位置) 気多郡 欘椒神社 比定社:欘椒神社(豊岡市竹野町椒、位置) 城崎郡 海神社 比定社:海神社(豊岡市小島、位置) 出石神社(兵庫県豊岡市) 総社・一宮以下 『中世諸国一宮制の基礎的研究』に基づく一宮以下の一覧[4]。 総社:気多神社(豊岡市日高町上郷、位置) 一宮:出石神社(豊岡市出石町宮内、位置) 二宮:粟鹿神社(朝来市山東町粟鹿、位置) 鎌倉時代の「但馬国大田文」では粟鹿神社を二宮とするが、室町時代の『大日本国一宮記』では粟鹿神社を一宮に挙げる(出石神社は記載なし)。現在は粟鹿神社も但馬国一宮を称し、全国一の宮会に加盟する。 三宮:次の2説。 水谷神社(養父市奥米地、位置) 養父神社(養父市養父市場、位置) 地域[編集] 郡[編集] 朝来郡 - 朝来市 養父郡 - 養父市、朝来市(大蔵・糸井地区)、豊岡市(日高町赤崎・日高町朝倉地区) 出石郡 - 豊岡市(出石地域、但東地域、神美地区) 気多郡 - 豊岡市(日高地域、竹野町南地区) 城埼郡 - 豊岡市(城崎地域、豊岡・八条・三江・田鶴野・五荘・新田・奈佐・港地区) 美含郡 - 美方郡香美町(香住区)、豊岡市(竹野町竹野・竹野町中地区) 七美郡 - 美方郡香美町(村岡区、小代区)、養父市(熊次地区) 二方郡 - 美方郡新温泉町 ※郡名は『延喜式』による。 江戸時代の藩[編集] 出石藩:小出家(6万石→5万石)→松平(藤井)家(4万8千石)→仙石家(5万8千石→3万石) 豊岡藩:杉原家(2万石→2万5千石→1万石)→天領→京極家(3万5千石→1万5千石)  八木藩:別所家(1万5千石→2万石) 清富藩:宮城家(1万3千石) 竹田藩: 明治時代の藩[編集] 村岡藩:山名家(6700石→1万1千石) 人物[編集] 国司[編集] [icon] この節の加筆が望まれています。 但馬守[編集] 藤原魚名:宝亀元年(770年)任官 藤原刷雄:775年頃 藤原内麻呂:延暦15年(796年)任官 良岑安世:弘仁4年(813年)任官 藤原長岡:天長8年(831年)任官 春澄善縄:仁寿2年(852年)任官 源経基:960年頃 源為親:寛和2年(986年)任官 源国盛:永延元年(987年)任官 源致遠:永祚元年(989年)任官 高階明順:正暦4年(993年)任官 平生昌:長徳4年(998年)任官 高階明順:長保元年(999年)任官 源則忠:寛弘3年(1006年)任官 藤原朝経:寛弘4年(1007年)任官 大江嘉言:寛弘6年(1009年)任官 源頼光:1010年頃 源国拳:寛弘8年(1011年)任官 橘為義:長和5年(1016年)任官 源則理:1035年頃 橘俊綱 藤原顕綱 平正盛:天仁元年(1108年)任官 平経正 藤原忠隆:元永元年(1118年)任官 平忠盛:天承元年1131年任官?(平家物語に記載有り) 藤原隆季:長承2年(1133年)任官 平重衡:1182年任官(権守) 源家長:建保6年(1218年)任官 但馬介[編集] 源満頼 平有親 1224年 守護[編集] 鎌倉幕府[編集] 1185年~? - 小野時広 1197年~1221年 - 安達親長 1221年~1223年 - 常陸坊昌明 1285年~1321年 - 太田政頼 ?~1333年 - 太田氏 室町幕府[編集] 1336年 - 今川頼貞 1336年~1338年 - 桃井盛義 1338年~? - 吉良貞家 1340年~1351年 - 今川頼貞 1361年~1365年 - 仁木頼勝 1366年~1372年 - 長氏 1372年~1376年 - 山名師義 1376年~1389年 - 山名時義 1389年~1390年 - 山名時熙 1390年~1391年 - 山名氏清 1392年~1433年 - 山名時熙 1433年~1454年 - 山名持豊 1454年~1458年 - 山名教豊 1458年~1472年 - 山名持豊 1472年~1499年 - 山名政豊 1499年~1536年 - 山名致豊 国人[編集] 垣屋氏 八木氏 太田垣氏 田結庄氏 田公氏 宿南氏 戦国大名[編集] 山名氏 織豊大名[編集] 山名氏政 - 豊臣政権の大名。居城は有子山城。播磨に転封。 前野長康(5万3千石→11万石) 小出吉政(6万石):文禄4年(1595年)から有子山城城主。西軍についたものの、弟小出秀政が東軍に付いたために安堵され、後に但馬出石藩初代藩主。 武家官位の但馬守[編集] 江戸時代以前[編集] 室町・戦国時代足利長尾氏 長尾景人:室町時代後期の武将。足利長尾氏の祖 長尾定景:足利長尾氏の第2代当主 長尾当長:戦国時代の上野国の武将。 長尾景長:戦国時代初期の武将、画家 その他 大国実頼:安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。直江兼続の弟 佐野宗綱:戦国時代の武将。佐野氏第17代当主 島田秀満:戦国時代の織田信長の奉行 前野長康:戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。豊臣氏の家臣 母里友信:安土桃山時代から江戸時代にかけての武将。「黒田節」で知られる 八木豊信:戦国時代・安土桃山時代の武将。但馬国八木城主。山名四天王の1人 矢沢頼康:戦国時代の武将。真田昌幸の従兄弟 江戸時代[編集] 上野館林藩秋元家 秋元泰朝:秋元家2代。総社藩藩主、甲斐谷村藩第3代藩主 秋元喬知:秋元家4代。谷村藩主、武蔵川越藩主・老中 秋元喬房:秋元家5代。川越藩第2代藩主  秋元凉朝:秋元家7代。川越藩主、出羽山形藩初代藩主・老中 秋元永朝:秋元家8代。山形藩第2代藩主  秋元久朝:秋元家9代。山形藩第3代藩主 秋元志朝:秋元家10代。山形藩第4代藩主、上野館林藩初代藩主 秋元礼朝:秋元家11代。館林藩第2代藩主 出羽亀田藩岩城家 岩城宣隆:第2代藩主 岩城隆韶:第5代藩主 岩城隆永:第9代藩主 近江三上藩遠藤家 遠藤慶隆:遠藤家初代。美濃八幡藩初代藩主  遠藤慶利:遠藤家2代。八幡藩第2代藩主 遠藤胤親:遠藤家6代。近江三上藩の初代藩主 遠藤胤統:遠藤家10代。三上藩第5代藩主 遠藤胤城:遠藤家11代。三上藩第6代藩主。和泉吉見藩主 備中新見藩関家 関長広:第2代藩主 関長輝:第6代藩主 関長道:第8代藩主 常陸土浦藩土屋家 土屋数直:初代藩主・老中 土屋陳直:第3代藩主 土屋英直:第7代藩主 直良系越前松平家 松平直良:直良系越前松平家初代。越前木本藩主、越前勝山藩主 松平直常:直良系越前松平家3代。播磨明石藩第2代藩主 松平直泰:直良系越前松平家5代。明石藩第4代藩主 大和柳生藩柳生家 柳生宗矩:初代藩主。徳川将軍家の剣術師範、柳生新陰流の地位を確立 柳生俊平:第6代藩主 柳生俊峯:第7代藩主 柳生俊則:第8代藩主 柳生俊章:第10代藩主 柳生俊順:第12代藩主 柳生俊益:第13代藩主 常陸牛久藩山口家 山口重政:初代藩主 山口弘隆:第2代藩主 山口弘豊:第4代藩主 山口弘道:第6代藩主 山口弘致:第8代藩主 山口弘封:第9代藩主 その他 浅野長晟:備中足守藩主、紀伊和歌山藩第2代藩主、安芸広島藩初代藩主 浅野宗恒:広島藩第6代藩主 池田喜通:播磨福本藩第2代藩主 池田徳潤:福本藩第3代藩主 島津久雄:日向佐土原藩第3代藩主 島津忠雅:佐土原藩第7代藩主 徳川宗勝:尾張藩第8代藩主 戸田氏西:美濃大垣藩第3代藩主 一柳頼寿:伊予小松藩第5代藩主 前田重煕:加賀藩第8代藩主 松平友著:川田久保松平家初代当主 松平信孝:駿河小島藩初代藩主 松平信義:丹波亀山藩第7代藩主・老中 毛利広豊:周防徳山藩第5代藩主 但馬国の合戦[編集] 1569年:此隅山城の戦い、織田軍(羽柴秀吉) x 山名祐豊 1577年:竹田城の戦い、織田軍(羽柴秀長) x 太田垣輝延(山名四天王) 1580年:有子山城の戦い、織田軍(羽柴秀吉) x 山名堯熙 1581年:但馬国人一揆、織田軍(藤堂高虎) x 但馬国人衆 現代的用法[編集] 但馬は、現代でも兵庫県北部を指す地域名として用いられる。また北部を北但(ほくたん)、南部を南但(なんたん)として二分することがある。(北但を、北但東部、北但西部と二分して三分する事もある。) 気象予報区域[編集] 但馬北部:豊岡市、美方郡 但馬南部:養父市、朝来市 脚注[編集] [ヘルプ] ^ “平成22年国勢調査、小地域集計、28兵庫県”. 総務省統計局(e-Stat) (2010年10月1日). 2014年5月28日閲覧。 ^ 「旧高旧領取調帳」は但馬国分が欠けているため、木村礎の手により「天保郷帳」をもとに作成され、「日本史料選書11 旧高旧領取調帳 近畿編」(近藤出版社、1975年)に掲載されたデータが国立歴史民俗博物館によりデータベース化されている。 ^ 『日本後紀』では「但馬の国治(国府)を気多郡高田郷に遷す」とあり、それまでは別の場所にあったと推測されている。 ^ 『中世諸国一宮制の基礎的研究』 中世諸国一宮制研究会編、岩田書院、2000年、pp. 406-409。 参考文献[編集] 角川日本地名大辞典 28 兵庫県 旧高旧領取調帳データベース 関連項目[編集] ウィキメディア・コモンズには、但馬国に関連するカテゴリがあります。 但馬牛 令制国一覧 山名氏 但馬弁 但馬県民局 但馬杜氏 外部リンク[編集] 但馬の百科事典 但馬情報特急 山陰道但馬国正法寺辺りの方言 [表示] 表 話 編 歴 令制国の一覧 [表示] 表 話 編 歴 但馬国の郡 執筆の途中です この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。 カテゴリ: 日本の旧国名山陰道兵庫県の歴史但馬国 案内メニュー ログインしていませんトーク投稿記録アカウント作成ログインページノート閲覧編集履歴表示検索 Wikipedia内を検索 表示 メインページ コミュニティ・ポータル 最近の出来事 新しいページ 最近の更新 おまかせ表示 練習用ページ アップロード (ウィキメディア・コモンズ) ヘルプ ヘルプ 井戸端 お知らせ バグの報告 寄付 ウィキペディアに関するお問い合わせ 印刷/書き出し ブックの新規作成 PDF 形式でダウンロード 印刷用バージョン 他のプロジェクト コモンズ ツール リンク元 関連ページの更新状況 ファイルをアップロード 特別ページ この版への固定リンク ページ情報 ウィキデータ項目 このページを引用 他言語版 Deutsch English Español Français Bahasa Indonesia 한국어 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