TOP > はがす 囲碁 - 検索
はがす 囲碁 - 検索
日本囲碁連盟 囲碁用語 より
はがす
石をはがすことから「待った」の意。プロでは即負けとなるが、アマチュアも慎まなければならない。
囲碁は、陣地を囲むゲームです。
RPGゲームやアクションゲームとは異なる思考で次の一手を考える、面白いゲームです。
将棋、チェスと並ぶ、究極の思考ゲームとも言われます。
ブラウザーのみで動作するケースを特に囲碁ブラウザゲームと称することもあります。
専用ソフト使用の囲碁ゲームも多々あります。
碁を知りたい。
なのに、打つ機会がない。
相手がいない。碁会所に入ってみたい。でも躊躇する。これが現実のようです。
面白くて、夢中になる碁です。この機会に碁を始めてはいかがでしょうか。ネット碁会所なら、敷居が低いです。
相手が見つからないときは、思考エンジンが、お相手します。待ち惚けになりません。
『考慮時間制』の対局場です。勝敗でスコアが増減します。
対局(専用)ソフトを使用しません。ブラウザーのみで動作します。インストール不要なので不安がありません。
一般的なゲームでは、「礼」に重きをおきませんが、知的ゲームでは、礼を重んじる利用者が多いので、礼を心がけたいものです。
将棋に「ハサミ将棋」や「山崩し」があるように、囲碁にも「ポン抜きゲーム」/「石取りゲーム」があります。基本となる「アタリ」の習得に有用です。
ドンジャラも麻雀の基礎ルールの説明には有用ですね。
▲TOPページ
当サイトに、お越しいただいて有難うございます。
一局の碁をお楽しみください。
当サイトで、御覧頂いているブラウザを使用して囲碁対局ができます。HTML5を使用するので、ソフトのインストールは不要です。
初心者の方も、対局できるようになっております。
ルールを知ったが、対局する機会がない人に最適です。ルールが解らない方は、申し訳ありませんが事前に習得して頂けれは幸いです。
囲碁のルールは単純なのでずか、ゲームは難しいです。
入門者もベテランもロボットと対局できるサイトは多々あります。
実体験に基づいた、オススメ記事もネット上にあります。
「ネット碁を打ちたいけどどこで打ったらいいのかわからない」という方は、参考にしてください。
オススメするネット囲碁対局場3選
ここによると、
・いつでもどこでも打てる!それがネット碁の魅力
・囲碁はワールドワイドなゲーム
・ユーザーの多さ
・ユーザーの質
・コミュニティ機能の充実
・サポートの充実
・コンテンツの充実
これらを鑑みると、
3:幽玄の間
2:KGS
1:パンダネット
だそうです。
推薦者のブログ
幽玄の間の口コミ
幽玄の間サイト
KGSの口コミ
KGS
パンダネット
当サイトも、及ばずながら、がんばります。
Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0)
碁
囲碁
ゲーム
Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0)
関東鉄道竜ヶ崎線
竜ヶ崎線
竜ヶ崎線入地-竜ヶ崎間を走るキハ2000形気動車
竜ヶ崎線入地-竜ヶ崎間を走るキハ2000形気動車
(2009年10月27日)
概要
起終点 起点:佐貫駅[1]
終点:竜ヶ崎駅[1]
駅数 3駅[1]
運営
開業 1900年8月14日[2]
所有者 竜崎鉄道→鹿島参宮鉄道→
関東鉄道
使用車両 車両の節を参照
路線諸元
路線総延長 4.5[1] km (2.8 mi)
軌間 1,067 mm (3 ft 6 in)[1]
電化 全線非電化
テンプレートを表示
[隠す]停車場・施設・接続路線
凡例
STRq
←JR東: 常磐線→
STRrg
0.0 佐貫駅
eBHF
南中島駅 -1957
BHF
2.2 入地駅
eBHF
門倉駅 -1957
ABZlf STRlg
KBHFe KDSTe
4.5 竜ヶ崎駅
竜ヶ崎 - 入地の田園地帯を走るキハ532
竜ヶ崎駅(右側は車両基地)
全駅にICカード簡易改札機設置
竜ヶ崎線(りゅうがさきせん)は、茨城県龍ケ崎市の佐貫駅と竜ヶ崎駅を結ぶ関東鉄道の鉄道路線である。
目次 [非表示]
1 概要
1.1 路線データ
2 歴史
3 運行形態
4 利用状況
4.1 輸送実績
4.2 収入実績
5 車両
5.1 キハ532形
5.2 キハ2000形
5.3 過去の車両
6 駅一覧
6.1 廃駅
7 脚注
8 参考文献
9 関連項目
10 外部リンク
概要[編集]
JR常磐線と接続する佐貫駅から東南東へ向かい、龍ケ崎市の中心市街地へと延びる全長4.5キロの路線である。線形は各駅付近を除き直線である[3]。1954年(昭和29年)の町村合併により全線が龍ケ崎市内となっている。関東鉄道常総線と同じく非電化・内燃動力(気動車使用)の鉄道路線で、全線単線かつ途中に列車交換(行き違い)施設を持たない(全線1閉塞)。ほとんどの列車が1両(単行)で運転されている。
沿線途中は農村地帯で田園風景が広がる[3] もののローカル線的性格ではなく、定期通勤者を中心とした利用状況となっている。一方、需要の多い竜ヶ崎ニュータウンや流通経済大学の輸送は専ら関東鉄道のバスに委ねており、本路線は一日数千人程度の小規模な輸送に特化している。また、平坦な土地であることも影響して自転車通学など自転車とも競合している。日中は旅客運賃のみで自転車をそのまま列車内に持ち込むことができるようになっている[4]。
2009年(平成21年)3月14日よりICカード「PASMO」を導入し、全駅にPASMO・Suica専用の簡易改札機が設置された。ただし、関東鉄道の鉄道路線は交通系ICカードの全国相互利用サービス対象外である。
路線データ[編集]
路線距離(営業キロ):4.5 km[1]
軌間:1067mm[1]
駅数:3駅(起終点駅含む)[1]
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:なし(全線非電化)
閉塞方式:タブレット閉塞式(全線1閉塞区間で列車交換はしない)
車両基地所在駅:竜ヶ崎駅(組織上は常総線水海道車両区の一部)
歴史[編集]
竜ヶ崎線は竜崎鉄道を前身としている[2]。当初は馬車鉄道として計画されたが、輸送力を確保するため蒸気軽便鉄道に変更[2]。区間も敷設免許取得時は藤代 - 竜ヶ崎間であったが、費用の削減のために起点を小貝川に架橋する必要がない佐貫に変更している。竜崎鉄道開業と同時に日本鉄道も乗り換え駅となる佐貫駅を開設した[2]。なお、計画区間であった藤代方面には直営の路線バス(竜ヶ崎駅 - 藤代 - 取手駅)が現在も運行されている。
1900年(明治33年)8月14日:竜崎鉄道佐貫 - 竜ヶ崎間が開業[2]。日本鉄道(現在の常磐線)佐貫駅も同時に開業した[2]。当時は762mm軌間の蒸気軽便鉄道だった[2]。
1901年(明治34年)1月1日:入地駅開業[5][6][7]。
1915年(大正4年)7月:1067mmに改軌[2]。
1927年(昭和2年)9月13日:ガソリンカー運行開始[2]。
1944年(昭和19年)5月13日:竜崎鉄道は鹿島参宮鉄道に鉄道事業を移譲[8]。
1957年(昭和32年):佐貫 - 入地間の南中島駅、入地 - 竜ヶ崎間の門倉駅廃止[2]。
1965年(昭和40年)6月1日:鹿島参宮鉄道と常総筑波鉄道が合併して関東鉄道となり、竜ヶ崎線となる[2]。
1971年(昭和46年)
4月1日:貨物営業廃止[2]。
8月1日:日本の旅客列車初のワンマン運転を開始[2]。
運行形態[編集]
全列車ワンマン運転の普通列車(各駅停車)で列車交換はなく1編成の列車のみが佐貫駅 - 竜ヶ崎駅間の全線を行き来する。区間運転、他路線への乗り入れや通過運転はない。5時25分 - 23時23分の間、毎時2本程度の運行[3]。他社線接続路線という性格上、等間隔ではなく、佐貫駅でのJR常磐線接続を考慮したダイヤグラムとなっている。上野方面との接続が重視されており、佐貫行き列車は上野行きの列車に概ね4分前後で接続するように設定されている[9]。
利用状況[編集]
佐貫 - 竜ヶ崎駅間を利用する乗客が全体の90%以上を占めている[3]。
輸送実績[編集]
竜ヶ崎線の近年の輸送実績を下表に記す。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
[隠す]年度別輸送実績
年度 輸送実績(乗車人員):万人/年度 輸送密度
人/1日 特記事項
通勤定期 通学定期 定期外 合計
1975年(昭和50年) 93.8 59.2 70.8 238.2 6,043
1976年(昭和51年) 85.6 58.6 67.9 212.2 5,734
1977年(昭和52年) 80.4 60.6 65.3 206.3 5,564
1978年(昭和53年) 73.7 59.1 59.3 192.2 5,188
1979年(昭和54年) 72.8 54.4 54.5 181.8 4,899
1980年(昭和55年) 69.8 51.9 53.2 175.0 4,714
1981年(昭和56年) 65.9 48.6 50.5 165.1 4,641
1982年(昭和57年) 62.9 43.7 49.3 156.0 4,216
1983年(昭和58年) 59.9 40.1 51.9 152.0 4,702
1984年(昭和59年) 57.1 38.5 48.6 144.2 4,518
1985年(昭和60年) 52.3 37.0 47.4 136.7 3,699
1986年(昭和61年) 46.9 35.9 45.3 128.1 3,473
1987年(昭和62年) 43.2 36.9 44.8 124.9 3,376
1988年(昭和63年) 43.2 38.2 50.9 132.3 3,592
1989年(平成元年) 44.3 44.2 54.3 142.8 3,878
1990年(平成2年) 43.3 49.1 57.1 149.5 4,058
1991年(平成3年) 41.7 49.8 61.9 153.4 4,149
1992年(平成4年) 40.9 46.7 65.0 152.6 4,138
1993年(平成5年) 41.9 49.9 67.9 159.7 4,327
1994年(平成6年) 41.2 52.2 66.8 160.2 4,348
1995年(平成7年) 42.6 51.5 67.0 161.1 4,364
1996年(平成8年) 42.0 46.1 67.1 155.2 4,214
1997年(平成9年) 42.7 42.7 66.8 152.2 4,138
1998年(平成10年) 39.7 41.5 66.5 147.7 4,007
1999年(平成11年) 34.6 40.5 61.3 136.4 3,693
2000年(平成12年) 31.6 37.9 56.9 126.4 3,433
2001年(平成13年) 31.3 36.2 53.5 121.0 3,288
2002年(平成14年) 28.9 30.8 51.7 111.4 3,027
2003年(平成15年) 29.1 29.9 51.5 110.5 2,989
2004年(平成16年) 28.7 27.2 48.9 104.8 2,837
2005年(平成17年) 102.4
2006年(平成18年)
2007年(平成19年) 96.7
2008年(平成20年) 93.4
2009年(平成21年) 91.2
2010年(平成22年) 86.9
2011年(平成23年) 84.0
2012年(平成24年) 85.7
2013年(平成25年) 86.3
収入実績[編集]
竜ヶ崎の近年の収入実績を下表に記す。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
[隠す]年度別収入実績
年度 旅客運賃収入:千円/年度 運輸雑収
千円/年度 総合計
千円/年度
通勤定期 通学定期 定期外 手小荷物 合計
1975年(昭和50年) 74,456 ←←←← 55,076 2,704 132,236 4,394 136,630
1976年(昭和51年) 85,735 ←←←← 64,651 2,994 153,380 4,547 157,927
1977年(昭和52年) 86,773 ←←←← 62,646 3,405 152,825 4,972 157,798
1978年(昭和53年) 98,277 ←←←← 72,608 2,902 173,787 5,014 108,801
1979年(昭和54年) 99,271 ←←←← 67,169 2,742 169,183 4,977 174,162
1980年(昭和55年) 95,243 ←←←← 65,386 2,154 162,783 4,904 167,688
1981年(昭和56年) 99,768 ←←←← 70,950 1,351 172,070 4,807 176,877
1982年(昭和57年) 97,869 ←←←← 70,593 1,171 169,633 4,933 174,566
1983年(昭和58年) 94,616 ←←←← 77,601 680 172,896 4,556 177,452
1984年(昭和59年) 93,801 ←←←← 73,955 0 167,756 3,978 171,734
1985年(昭和60年) 87,878 ←←←← 71,760 0 159,638 4,227 163,865
1986年(昭和61年) 84,658 ←←←← 74,450 0 159,108 6,132 165,240
1987年(昭和62年) 48,847 35,420 77,020 0 161,287 6,244 167,531
1988年(昭和63年) 48,932 37,022 87,751 0 173,705 6,217 179,922
1989年(平成元年) 50,640 42,662 96,299 0 189,601 6,244 195,845
1990年(平成2年) 49,023 46,786 101,323 0 197,132 7,662 204,794
1991年(平成3年) 47,600 47,469 110,187 0 205,256 10,672 215,928
1992年(平成4年) 46,744 44,711 115,714 0 207,169 10,143 217,312
1993年(平成5年) 47,857 47,567 120,638 0 216,062 10,803 226,865
1994年(平成6年) 46,644 49,692 118,463 0 214,799 12,948 227,747
1995年(平成7年) 48,213 48,969 118,736 0 215,918 15,490 231,408
1996年(平成8年) 47,469 43,910 118,577 0 209,956 16,452 226,408
1997年(平成9年) 48,413 40,679 116,476 0 205,568 16,963 222,531
1998年(平成10年) 44,857 39,517 115,924 0 200,298 15,580 215,878
1999年(平成11年) 38,893 38,670 106,843 0 184,406 17,532 201,938
2000年(平成12年) 35,620 36,381 99,141 0 171,142 13,131 184,273
2001年(平成13年) 35,219 34,754 93,043 0 163,016 12,130 175,146
2002年(平成14年) 32,604 29,561 89,902 0 152,067 13,935 166,002
2003年(平成15年) 32,855 28,572 89,331 0 150,758 15,342 166,100
2004年(平成16年) 32,178 26,063 84,685 0 142,926 15,022 157,948
2005年(平成17年)
2006年(平成18年)
2007年(平成19年)
車両[編集]
片側3ドア車を基本とし、すべてステップ付きとなっている。各駅のホームは竜ヶ崎方に向かってすべて右側に設置されているため、竜ヶ崎方の運転台は乗務員が乗降の安全確認を行いやすい進行方向右側に設置されている。ワンマン運転対応であるが、長らく無人駅は途中の入地駅のみであったため整理券発行機・運賃箱等の設備はない。
キハ532形[編集]
詳細は「関東鉄道キハ532形気動車」を参照
532の1両が在籍。元国鉄キハ20系気動車の走行装置を流用し、車体新製した車両である。1981年12月竣工。
キハ310形(313 - 318)・0形と同様に新潟鐵工所製で、前面が切妻3枚窓の貫通扉付きでよく似ているが、側面は片開き3ドアかつステップ付きとなっている点が異なる。
登場当時からワンマン運転対応となっているが、ワンマン表示機以外に目立つ専用装備は存在しない。
これは運行区間が短いことによる特徴で、容量増設が必要ない燃料タンクも走行装置と同じくキハ20用タンクをそのまま流用している。 キハ310形と異なり、前照灯の位置変更や方向幕の設置工事は行われていない。乗務員室は全室構造である。客室ドアはホームのない側にも非常用として設置されている。
現在では、第1・3土曜日と第2・4日曜日の9時台 - 14時台に定期運行され、運転予定が公式サイトで発表されている。
キハ532
(2007年8月14日)
キハ532の車内
(2007年8月14日)
竜ヶ崎線110周年記念のヘッドマークを掲げたキハ532
(2007年8月14日)
キハ2000形[編集]
詳細は「関東鉄道キハ2000形気動車」を参照
2001・2002の2両が在籍。1997年新潟鉄工所製の自社発注車。常総線配置のキハ2100形シリーズと同様に側面は両開き3ドアだが、ステップ付きとなっている点が異なる。乗務員室は完全な半室構造となり、乗務員室扉はホーム側にのみ設置。反対側は小窓が設置されており、仕切りもないため前面展望が可能。客室ドアはホームのない側にも非常用として設置されている。
過去の車両[編集]
キハ100形(101 - 103)
鹿島参宮鉄道初の2軸ガソリンカー。102は晩年はエンジンを外され、事実上客車状態だった。103は1965年廃車。
キハ305形(初代)(305)
常総鉄道キホハ61を改番したもの。常総筑波鉄道キハ300(初代)とほぼ同型。キハ300が2段窓なのに対し、こちらは小型の1段窓。1970年廃車。
キハ40402形(40402)
元阿南鉄道キハ201(1932年製)。阿南鉄道の買収により国鉄に引き取られてキハ40510となり、その後キハ40307に改番された。戦後鹿島参宮鉄道に引き取られ、ホハフ402となった後に、キハ40402となった。前面は非常に変わった4枚窓で、前から見て左から1枚目と3枚目が大きく、2枚目と4枚目が小さいというスタイルだった。側面も前後非対称で、佐貫側は運転台のすぐ後ろにドアがあるが、竜ヶ崎側は運転台とドアの間に窓が2枚あった。前照灯は、鹿島参宮鉄道特有の小型の物だった。1970年廃車。
キハ41300形(41301・41302・41303)
元国鉄キハ04形気動車。
佐貫駅に停車するキハ41302。右側の線路は機回し線。
(1979年9月16日)
国鉄キハ04 7→鹿島参宮鉄道キハ41301 1958年譲受。当初鉾田線に配置の後、移籍。
国鉄キハ04 36→鹿島参宮鉄道キハ41302 1960年譲受。
国鉄キハ04 18→鹿島参宮鉄道キハ41303 1962年譲受。
41301・41303は1969年の江若鉄道からの車両転入後に鉾田線へ移籍したが、41302はそのまま残されて1971年にワンマン化され、同時に竜ヶ崎方の運転台が右側に移された(ワイパーの位置でわかる)。液体式変速機(トルコン)搭載へも改造され、かなり遅くまでほぼ原形に近い車体のまま運用された。もっともトルコン化されたものの電磁空気リンク式総括制御装置を搭載しなかったためトルコン搭載の他形式との併結時に総括制御ができなかった。1982年廃車。
キサハ41800形(41801)
元国鉄キハ04 23。1964年譲受。入線時に車体更新を実施し、エンジンを下ろして付随車となっている。何故かクリーム色1色だった。後に常総線に転属、さらに最後は筑波線に配置された。1979年廃車。
キハ5120形(5121・5122)→キハ520形(521・522)
元江若鉄道キハ5121・5122。1969年譲受。共に以下の通り複雑な経緯を辿っている。
国鉄キハ42043→江若鉄道C18形キハ18→C28SM形キハ5121→関東鉄道キハ5121→キハ521
国鉄キハ42017→長門鉄道キハ11→江若鉄道C18形キハ19→L29SM形キハ5122→関東鉄道キハ5122→キハ522
江若鉄道では、1965年に液体式変速機を搭載した気動車の総括制御による長大な「気動車列車」実現のため、総括制御化・片運転台化・連結面側妻面への貫通路設置が実施され、その際客用扉を移設して乗務員室を拡大、乗務員扉が設置された。関東鉄道に転入後、1971年の竜ヶ崎線ワンマン化の際に編成中間に連結されていたハ5010を外し、さらに客扱いの便を図って竜ヶ崎方のキハ5121は運転台の右側移設を実施した。1972年にキハ520形キハ521・522へ改番され、1975年に大栄車輌にて車体を新造したが、その後も台車は製造時のTR29のまま使用された。新車体は常総線のキハ310形に似たデザインだが、最大幅が2,720mmとキハ310より160mm細く、またホーム床面高さが低い当線の地上設備事情と、種車から流用した背の高い縦型機関を搭載したことから、客用扉はステップ付きとしている。貫通幌は連結面側妻面にのみ設置され、運転台側妻面は貫通扉こそ設置されたものの、手摺が取り付けられているのみであった。通常はキハ521とキハ522で編成を組んで使用されたが、いずれかの故障時や検査時、あるいはラッシュ時にはキハ531およびキハ532と組んで2両ないしは3両編成で運用された。1997年廃車。なお、本形式2両とキハ531、それに竜ヶ崎線配置時代のハ5010の4両は、関東鉄道として初の貫通幌常用車両である。
キハ5123形(5123)→キハ530形(531)
江若鉄道C25M形キニ5123。1969年譲受。本来はC6形キニ6として兵庫県神戸市の川崎車両で1931年に製造された、両運転台の120人乗り機械式ガソリンカー。名古屋の日本車輌製造本店で製造された同時発注のC4形キニ4・キニ5と共に国鉄に先駆けて18m級の大型車体を日本で初めて実現した、戦前日本の気動車発達史を飾る記念碑的形式である。1965年に「気動車列車」実現のため変速機およびクラッチを機械式のコッターFAおよびロング34Aから液体式の振興造機TC-2に変更、電磁空気リンク式の総括制御装置も搭載して総括制御化され、車体も両端に貫通路を設置するなど大改造された。関東鉄道へ移籍当初、番号・車体はそのままに運用され、1971年にワンマン化、1972年にキハ531へ改番された。車体の老朽化が深刻となった1977年には大栄車輌にてキハ520とほぼ同一仕様の両運転台式車体を新造、車体更新を実施した。2001年廃車。
ハ5010形(5010)
元江若鉄道C22M形ハ5010。1969年譲受。本来はC10形キニ10として兵庫県神戸市の川崎車両で1935年に製造された、両運転台かつ流線形の18m級120人乗り機械式ガソリンカー。C4形・C6形の後継増備形式にあたり、日本車輌製造本店製のC9形キニ9と競作されたものである。1965年に上述のC28SM・L29SM形の中間車として大改造され、運転台を備えない貫通路および総括制御用信号線引き通しのある付随車とされた。譲受後、当初は当線に配置されてそのままキハ5120形の中間車として使用されたが、1971年のワンマン化時に編成から外されて常総線へ移籍、キハ900形2両の間に挟まれる形で使用された後、キサハ71へ改番されて筑波線で1974年まで使用された。
DB11形ディーゼル機関車 (11)
常総筑波鉄道が鬼怒川線砂利輸送の蒸気機関車置き換え用として導入したディーゼル機関車。1953年東急横浜製作所製。水海道工場の入換え用を経て竜ヶ崎線に移籍後、貨物営業廃止により1972年に廃車。廃車後は荒川沖駅の霞ヶ浦通運へ売却された。
駅一覧[編集]
全駅が茨城県龍ケ崎市に所在する。
全駅にICカード簡易改札機設置。
線路は全線単線、交換不可。
駅員
◎:終日配置
○:6時 - 9時、16時 - 20時に限り配置。通話システム導入[10]。
なお、接続しているJRへの業務委託は一切していない。
駅名 駅間キロ 累計キロ 駅員 券売機 接続路線
佐貫駅 - 0.0 ○ 有 東日本旅客鉄道:常磐線
入地駅 2.2 2.2 無
竜ヶ崎駅 2.3 4.5 ◎ 有
廃駅[編集]
南中島駅 (佐貫 - 入地間 1900年8月14日[2] - 1957年[11])
門倉駅 (入地 - 竜ヶ崎間 1900年8月14日[2] - 1957年[11])
脚注[編集]
[ヘルプ]
^ a b c d e f g h 『歴史でめぐる鉄道全路線 公営鉄道・私鉄』21号 3頁
^ a b c d e f g h i j k l m n o 『歴史でめぐる鉄道全路線 公営鉄道・私鉄』21号 9頁
^ a b c d 『歴史でめぐる鉄道全路線 公営鉄道・私鉄』21号 12頁
^ “サイクルトレイン”. 関東鉄道. 2017年2月5日閲覧。
^ 今尾恵介(監修) 『日本鉄道旅行地図帳 全線・全駅・全廃線』3号 関東1、新潮社、2008年、40頁。ISBN 978-4-10-790021-0。
^ 『明治34年 茨城県統計書』(国立国会図書館近代デジタルライブラリーより)
^ 「停車場設置」『官報』1901年1月12日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 3月27日許可「鉄道譲渡」『官報』1944年3月30日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 時刻表より
^ “関東鉄道佐貫駅 窓口営業時間変更のお知らせ (PDF)”. 関東鉄道. 2013年3月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年2月5日閲覧。
^ a b 『歴史でめぐる鉄道全路線 公営鉄道・私鉄』21号 10頁
参考文献[編集]
『世界の鉄道’68』、朝日新聞社、1968年
『世界の鉄道’75』、朝日新聞社、1974年
「地方鉄道の瓦斯倫機動車 (III)」、『鉄道史料 第6号』、鉄道史資料保存会、1977年、pp.13-20
『鉄道ピクトリアル No.418 1983年6月臨時増刊号』、電気車研究会、1983年
湯口徹 『レイル No.19 私鉄紀行 昭和30年代関東のローカル私鉄をたずねて からっ風にタイホーンが聴こえる (上)』、エリエイ出版部プレス・アイゼンバーン、1986年
湯口徹 「江若鉄道の気動車」、『関西の鉄道 No.28 1993 新緑号』、関西鉄道研究会、1993年、pp.39-46
川崎重工業株式会社 車両事業本部 編 『蒸気機関車から超高速車両まで 写真で見る兵庫工場90年の鉄道車両製造史』、交友社(翻刻)、1996年
『鉄道ピクトリアル No.620 1996年4月臨時増刊号』、電気車研究会、1996年
湯口徹 『レイル No.39 私鉄紀行 昭和30年代近畿・三重のローカル私鉄をたずねて 丹波の煙 伊勢の径 (上)』、エリエイ出版部プレス・アイゼンバーン、2000年
曽根悟(監修) 『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 公営鉄道・私鉄』21号 関東鉄道・真岡鐵道・首都圏新都市鉄道・流鉄、朝日新聞出版分冊百科編集部(編集)、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2011年8月7日。
関連項目[編集]
ウィキメディア・コモンズには、関東鉄道竜ヶ崎線に関連するカテゴリがあります。
日本の鉄道路線一覧
外部リンク[編集]
関東鉄道 鉄道情報
カテゴリ: 関東地方の鉄道路線茨城県の交通関東鉄道鹿島参宮鉄道竜崎鉄道
ひたちなか海浜鉄道湊線
湊線
湊線の主力車両、キハ3710形気動車(2007年)
湊線の主力車両、キハ3710形気動車(2007年)
基本情報
国 日本の旗 日本
所在地 茨城県ひたちなか市
起点 勝田駅
終点 阿字ヶ浦駅
駅数 10駅
開業 1913年12月25日(初開業)
1928年7月17日(全通)
所有者 ひたちなか海浜鉄道
運営者 ひたちなか海浜鉄道
路線諸元
路線距離 14.3 km
軌間 1,067 mm
線路数 単線
電化方式 非電化
最大勾配 10 ‰
最小曲線半径 200 m
最高速度 60 km/h[1]
テンプレートを表示
[隠す]停車場・施設・接続路線
凡例
STRq
JR東:常磐線
STRrg
0.0 勝田駅
BHF
0.6 日工前駅
BHF
1.8 金上駅
BHF
4.8 中根駅
BHF
7.1 高田の鉄橋駅
BHF
8.2 那珂湊駅
BHF
9.6 殿山駅
BHF
10.8 平磯駅
BHF
13.3 磯崎駅
KBHFe
14.3 阿字ヶ浦駅
湊線(みなとせん)は、茨城県ひたちなか市の勝田駅から旧那珂湊市街を経由して阿字ヶ浦駅とを結ぶ、ひたちなか海浜鉄道の鉄道路線である。旧称の湊鉄道や湊鉄道線と案内されることがある。
目次 [非表示]
1 概要
1.1 路線データ
2 歴史
3 運行形態
4 利用状況
4.1 輸送実績
4.2 収入実績
4.3 営業成績
5 車両
5.1 現在の車両
5.2 過去の車両
5.3 車両数の変遷
6 駅一覧
7 運賃
8 延伸構想
9 新駅設置計画
10 その他
11 脚注
12 参考文献
13 関連文献
14 関連項目
15 外部リンク
概要[編集]
全駅がひたちなか市内にある。那珂湊駅までは、那珂川北岸から少し離れた所を通り、那珂湊駅から阿字ヶ浦駅までは海岸沿いを通る。
1990年度までは海水浴シーズンに東日本旅客鉄道(JR東日本)常磐線上野駅から臨時急行「あじがうら」が阿字ヶ浦駅まで乗り入れていた(後に快速になり、我孫子駅からに短縮されたり、水戸線小山駅や水郡線からの運転になった。一時期は水戸駅で大洗駅行きの「おおあらい」との分割併合もあった)。
2008年3月31日までは茨城交通の路線であった。2005年12月に、茨城交通は地元ひたちなか市に対して、赤字で経営状況が厳しいため2008年3月で廃線にする意向を示し、ひたちなか市は、財政支援も視野に存続を目指すと、2006年9月に報道がなされた。茨城交通は支援を受ければ赤字の解消や老朽化した施設の改善が可能として2007年3月31日に廃止届の提出を当面見合わせると発表した。設備更新には国の鉄道軌道近代化設備整備補助制度を利用し、その事業者負担分も市が負担する方針が示され、茨城交通の鉄道部門を別会社に分離することになった。当初市は茨城交通100%出資の子会社の設立を求めていたが、過半数の株式を保有することで連結子会社となると不採算部門から撤退することにならず茨城交通が難色を示したため、運営会社は第三セクター会社として市も出資して経営に参画することになり[2]、同年9月27日に最終合意した[3][4]。 2008年4月1日、湊線はその運営会社として設立されたひたちなか海浜鉄道に移管された。地元の支援も手厚く、2008年度はひたちなか市が湊鉄道線存続支援事業として199,521千円(内訳:出資金90,000 千円 貸付金40,000 千円 鉄道近代化等補助金57,218 千円 基金積立金11,000 千円)を支出している[5]。
路線データ[編集]
路線距離(営業キロ):14.3km
軌間:1067mm
駅数:10駅(起終点駅含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:なし(全線非電化)
閉塞方式:自動閉塞式
最高速度:60km/h[1]
車両基地所在駅:那珂湊駅
歴史[編集]
1904年(明治37年)3月4日 - 武平鉄道に対し仮免許状下付(武田-平磯間)[6]。
1907年(明治40年)11月18日 - 湊鉄道に改め[7]会社設立[8][9](創始者 大谷新介)。
1908年(明治41年)3月11日 - 免許状下付(那珂郡勝田村大字武田-同郡湊町間)[10]。
1911年(明治44年)2月16日 - 軽便鉄道指定[11]
1913年(大正2年)12月25日 - 勝田 - 那珂湊間が開業[12]。
1922年(大正11年)12月22日 - 鉄道免許状下付(湊町-平磯町間)[13]。
1924年(大正13年)9月3日 - 那珂湊 - 磯崎間が延伸開業[14]。
1928年(昭和3年)
5月10日 - 鉄道免許状下付(那珂郡平磯町-同郡前渡村間)[15]。
7月17日 - 磯崎 - 阿字ヶ浦間が延伸開業(全通)[16]。
1936年(昭和11年)7月25日 - 瓦斯倫動力併用実施[9]。
1944年(昭和19年)8月1日 - 湊鉄道が県内交通統合で、水浜電車、茨城鉄道などと合併し、茨城交通発足[17]。同社の湊線となる。
1962年(昭和37年)4月1日 - 日立工機従業員専用駅として日工前駅が開業。
1963年(昭和38年)6月20日 - 国鉄水戸駅までの直通運転廃止。
1984年(昭和59年)
2月1日 - 車扱貨物全面廃止[18]
6月1日 - 手小荷物取扱廃止[18]
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、勝田駅の委託業務先をJR東日本に変更。
1998年(平成10年)12月8日 - 日工前駅一般旅客営業開始。
2005年(平成17年)12月 - 地元ひたちなか市に対して、茨城交通が2008年(平成20年)3月で廃線にする意向を示す。
2007年(平成19年)9月27日 - 茨城県知事、ひたちなか市長、茨城交通社長が県庁内で会談し、市と同社が出資する第三セクター方式の別会社を設立し同線を存続することで最終合意。
2008年(平成20年)4月1日 - ひたちなか海浜鉄道に移管。
2011年(平成23年)
3月11日 - 東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の影響により路線が被災し、全線で不通となる。同月19日から茨城交通バスによる列車代行のバスが運行される。
6月25日 - 中根 - 那珂湊間が運行再開。
7月3日 - 勝田 - 平磯間が運行再開。
7月23日 - 平磯 - 阿字ヶ浦間が運行再開。
2013年(平成25年)12月15日 - 開業100周年を迎え、記念イベント開催。
2014年(平成26年)
10月1日 - 中根 - 那珂湊間に高田の鉄橋駅が開業[19][20][21]。
東日本大震災で破壊された道床
東日本大震災によるレールの歪み
列車代行バス
運行形態[編集]
勝田駅 - 阿字ヶ浦駅間の直通運転が約30 - 40分間隔で、阿字ヶ浦駅の平日の始発は4時台と早い。勝田駅 - 那珂湊駅間の区間運転が平日朝夕中心(土曜・休日を含めての運行は夕方1往復と勝田発23時台の下り最終のみ)と土曜・休日の始発列車(平日は阿字ヶ浦発として運転)として1本ある。朝5時台の下り始発と23時台の上り最終は那珂湊駅 - 阿字ヶ浦駅間の運行である。
全列車が各駅停車である。朝のラッシュ時は2両編成(学校が休みの期間は1両で運行)、それ以外の時間は1両編成となる。2010年4月6日から全列車がワンマン運転となった。多客期などは3両編成で運行されることもある。以前は4両編成もあった。
1963年までは水戸駅までの直通運転もあった[22]。1990年度まで夏季に国鉄・JR東日本常磐線上野駅からの直通運転もあったため、新駅である高田の鉄橋駅を除き、各駅のホームは、国鉄・JRからの長大編成の列車が停車できる長さになっている。
夜間滞泊は那珂湊駅のみで行っている。このため、平日朝4時台には那珂湊発阿字ヶ浦行きの回送列車が運行されている。列車交換は原則那珂湊駅のみだが、2010年9月1日のダイヤ改正で増発された勝田駅 - 那珂湊駅間の区間列車との交換は金上駅で行われる。
2009年3月14日のダイヤ改正以前は、最終列車が早く、阿字ヶ浦発勝田行きが21時台、折り返しの勝田発阿字ヶ浦行きが22時台で、ほかに22時台に阿字ヶ浦発那珂湊行きの列車が設定されていた。また、2010年3月13日のダイヤ改正以前は始発の1往復が土曜日・休日は運休であった。この改正で全日同一のダイヤとなったが、同年12月4日のダイヤ改正で、土曜日・休日に運転しない列車が再び設定されることとなった。
利用状況[編集]
輸送実績[編集]
湊線の近年の輸送実績を下表に記す。輸送量は減少している。 表中、輸送人員の単位は万人。輸送人員は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
[隠す]年度別輸送実績(湊線)
運 営
主 体 年 度 輸送実績(乗車人員):万人/年度 輸送密度
人/1日 貨物輸送量
万t/年度 特 記 事 項
通勤定期 通学定期 通勤通学
定 期 計 定 期 外 合 計
茨城交通
1952年(昭和27年) 192.5 8.4
1958年(昭和33年) 200.6 7.0
1963年(昭和38年) 248.3 4.8
1966年(昭和41年) 255.4 3.5
1970年(昭和45年) 215.3 2.5
1975年(昭和50年) 52.5 71.2 72.8 196.5 3,392 1.0
1976年(昭和51年) 46.6 75.4 71.2 193.2 3,325 1.0
1977年(昭和52年) 44.1 71.4 69.1 184.7 3,108 0.9
1978年(昭和53年) 40.9 69.3 66.1 176.4 2,980 0.9
1979年(昭和54年) 37.5 62.3 60.5 160.4 2,691 0.9
1980年(昭和55年) 36.9 59.2 54.6 150.8 2,510 0.8
1981年(昭和56年) 36.5 60.1 58.1 154.8 2,589 0.8
1982年(昭和57年) 33.5 60.3 56.0 149.8 2,481 0.8
1983年(昭和58年) 31.6 62.5 55.7 149.8 2,493 0.3
1984年(昭和59年) 31.1 61.8 58.6 151.5 2,555 0.0
1985年(昭和60年) 29.2 59.7 57.9 146.8 2,490 0.0
1986年(昭和61年) 28.4 60.3 54.2 142.9 2,409 0.0
1987年(昭和62年) 25.2 57.7 52.1 135.0 2,265 0.0
1988年(昭和63年) 25.4 62.5 53.2 141.1 2,330 0.0
1989年(平成元年) 25.2 66.5 54.5 146.2 2,423 0.0
1990年(平成2年) 25.6 70.5 53.9 150.0 2,496 0.0
1991年(平成3年) 26.1 68.7 55.0 149.8 2,480 0.0
1992年(平成4年) 25.0 61.2 53.8 140.0 2,317 0.0
1993年(平成5年) 22.9 50.8 50.3 124.0 2,034 0.0
1994年(平成6年) 21.4 45.5 48.8 115.7 1,911 0.0
1995年(平成7年) 21.4 42.7 49.0 113.1 1,867 0.0
1996年(平成8年) 18.9 43.1 44.2 106.2 1,764 0.0
1997年(平成9年) 17.7 41.9 41.6 101.2 1,676 0.0
1998年(平成10年) 18.3 40.2 39.1 97.6 1,601 0.0
1999年(平成11年) 16.4 39.3 37.2 92.9 1,519 0.0
2000年(平成12年) 15.3 38.8 34.7 88.8 1,457 0.0
2001年(平成13年) 16.4 38.2 34.6 89.2 1,458 0.0
2002年(平成14年) 16.1 38.6 33.1 87.8 1,420 0.0
2003年(平成15年) 13.3 37.1 30.9 81.3 1,294 0.0
2004年(平成16年) 13.7 34.5 29.7 77.9 1,247 0.0
2005年(平成17年) 13.2 37.1 28.2 78.5 1,152 0.0
2006年(平成18年) 13.8 28.5 27.8 70.1 1,127 0.0
2007年(平成19年) 14.5 27.3 28.8 70.5 0.0
新会社 2008年(平成20年) 12.7 29.1 33.7 75.5 0.0
2009年(平成21年) 12.4 30.3 34.6 77.3 1,214 0.0
2010年(平成22年) 44.4 34.3 78.7 0.0
2011年(平成23年) 10.0 27.1 37.1 30.2 67.3 0.0
2012年(平成24年) 43.3 35.5 78.8 0.0
2013年(平成25年) 14.1 33.4 47.5 36.5 84.0 0.0
2014年(平成26年) 15.9 38.0 53.9 40.0 94.0 0.0
2015年(平成27年) 17.5 38.5 56.0 42.8 98.8 0.0
2016年(平成28年) 18.2 38.4 56.6 39.4 96.0 0.0
地方鉄道軌道統計年報1952年度、私鉄統計年報1958.1963.1966.1970年度版
収入実績[編集]
湊線の近年の収入実績を下表に記す。 表中、収入の単位は千円。数値は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
[隠す]年度別収入実績(湊線)
運 営
主 体 年 度 旅客運賃収入:千円/年度 貨物運輸
収入
千円/年度 運輸雑収
千円/年度 総合計
千円/年度
通勤定期 通学定期 通勤通学
定 期 計 定 期 外 手小荷物 合 計
茨城交通 1975年(昭和50年) 111,523 104,617 4,399 220,539 2,331 13,385 236,255
1976年(昭和51年) 114,770 107,549 5,722 228,041 2,691 15,555 246,287
1977年(昭和52年) 122,846 117,299 5,471 245,617 3,099 24,970 273,687
1978年(昭和53年) 120,923 118,087 4,692 243,703 3,088 28,636 275,428
1979年(昭和54年) 128,074 123,561 4,003 255,638 3,459 25,911 285,010
1980年(昭和55年) 123,743 110,323 3,184 237,250 3,731 25,828 266,809
1981年(昭和56年) 124,160 116,992 2,423 243,575 3,868 24,862 272,306
1982年(昭和57年) 122,567 114,429 2,022 239,018 3,956 24,801 267,775
1983年(昭和58年) 131,110 125,617 1,193 257,920 1,476 17,600 276,997
1984年(昭和59年) 132,846 140,564 123 273,533 0 14,286 287,818
1985年(昭和60年) 136,699 150,933 0 287,632 0 13,581 301,213
1986年(昭和61年) 138,994 141,406 0 280,400 0 14,577 294,977
1987年(昭和62年) 47,689 88,016 143,291 0 278,996 0 15,746 294,742
1988年(昭和63年) 47,571 95,268 144,160 0 286,999 0 14,782 301,781
1989年(平成元年) 47,313 102,118 146,695 0 296,126 0 16,637 312,763
1990年(平成2年) 48,596 109,050 145,257 0 302,903 0 14,584 317,487
1991年(平成3年) 49,165 107,723 148,222 0 305,110 0 14,585 319,695
1992年(平成4年) 47,994 97,524 149,042 0 294,560 0 15,259 309,819
1993年(平成5年) 45,068 86,139 142,592 0 273,799 0 16,467 290,266
1994年(平成6年) 40,452 78,202 141,046 0 259,700 0 17,463 277,163
1995年(平成7年) 40,476 73,628 144,990 0 259,094 0 18,658 277,752
1996年(平成8年) 37,671 80,338 144,302 0 262,311 0 20,287 282,598
1997年(平成9年) 35,513 77,710 134,940 0 248,163 0 21,994 270,157
1998年(平成10年) 36,887 73,812 125,264 0 235,963 0 27,537 263,500
1999年(平成11年) 33,298 72,233 117,735 0 223,266 0 49,740 273,006
2000年(平成12年) 31,454 71,271 109,586 0 212,311 0 61,753 274,064
2001年(平成13年) 34,295 69,475 109,876 0 213,646 0 57,376 271,022
2002年(平成14年) 33,889 70,025 105,864 0 209,778 0 62,867 272,645
2003年(平成15年) 27,435 64,507 99,450 0 191,392 0 60,039 251,431
2004年(平成16年) 28,196 59,050 96,785 0 184,031 0 58,984 243,015
2005年(平成17年) 27,425 53,200 92,541 0 173,166 0 58,792 231,958
2006年(平成18年) 92,734 0 170,895 0 60,157 231,052
2007年(平成19年) 28,917 49,267 96,597 0 174,781 0
新会社 2008年(平成20年) 26,390 51,293 99,613 0 177,296 0 53,392 230,688
2009年(平成21年) 25,141 47,758 99,745 0 172,644 0 60,362 233,006
2010年(平成22年) 170,981 0 61,915 232,896
2011年(平成23年) 144,122 0 67,718 211,841
2012年(平成24年) 170,022 0 64,228 234,250
2013年(平成25年) 178,171 0 63,342 240,513
2014年(平成26年) 191,527 0 88,928 280,455
2015年(平成27年) 199,895 0 57,980 257,875
2016年(平成28年) 191,308 0 67,310 258,618
営業成績[編集]
湊線の近年の営業成績を下表に記す。 表中、収入の単位は千円。数値は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
[隠す]年度別営業成績(湊線)
運営主体 年 度 営業収益
千円/年度 営業経費:千円/年度 営業損益
千円/年度 営業
係数
人件費 修繕費 一 般
管理費 経 費 諸 税 減 価
償却費 合 計
茨城交通 2004年(平成16年) 243,015 131,214 49,294 254,855 △11,840 104.9
2005年(平成17年) 231,958 112,937 42,989 233,207 △1,249 100.5
2006年(平成18年) 231,052 97,185 14,274 11,768 29,479 17,043 38,183 207,932 23,120 90.0
2007年(平成19年)
新会社 2008年(平成20年) 230,688 6,502 87,998 267,282 △36,594 115.9
2009年(平成21年) 233,006 15,239 79,948 270,654 △37,648 116.2
2010年(平成22年) 232,896 14,524 40,363 251,952 △19,056 108.2
2011年(平成23年) 211,841 17,576 41,464 254,405 △42,564 120.1
車両[編集]
茨城交通は「性能が安定し長寿命で故障が少ない」としてコピー品も含め日本全国からキハ20系気動車をかき集めてきた。1990年代後半に入ると同系で状態の良い稼働車が出ることがほとんどなくなったため、新製車の導入に移行した。原則として、平日と日曜は旧型と新型1編成ずつ、土曜日は新型のみでの運行となっていたが、2009年8月のミキ300形導入以降、日曜日でも新型のキハ3710形・キハ37100形およびミキ300形のみで運行されることが多くなり、キハ20タイプの旧型気動車は徐々に一般運用の機会が減少した。さらにキハ11形導入により、2016年現在旧型車は1両のみとなり、イベントを中心に稼働するようになっている。なお、土曜・日曜の車両運用は、ホームページに掲載されている。
現在の車両[編集]
キハ20形 (205)[23]
1965年に帝国車輛にて製造。元国鉄キハ20形のラストナンバー・キハ20-522で、西日本旅客鉄道(JR西日本)から水島臨海鉄道を経て、1996年1月28日に入線し、同年8月にワンマン改造を実施している。水島臨海鉄道時代にトイレの撤去と共に冷房化(デンソー製、サブエンジン式)もされている。1998年5月ごろより塗色は国鉄気動車標準色の朱色地に窓周り肌色の2色塗装に復元された[24]が、朱色部分は国鉄色よりややオレンジがかっている。
キハ3710形 (3710-01, 3710-02)
新製車両。1995年11月1日、1998年7月1日に1両ずつ入線。湊線の主力車両である。全長は18.5mでエンジンは、DMF13HZ (330PS/2000rpm) を1基搭載している。室内はオールロングシート。形式名称は3710(みなと)の語呂合わせ。塗色は当初茨城交通色だったが、2010年に2両とも公募によるデザインコンテストにより決定した「曙光の大地」をテーマとした下部に濃緑色・上部にクリーム色・その境界部に金帯・扉に黄色を配した新塗色に変更された。02は、2014年10月1日からアニメ『デュエル・マスターズ』とのタイアップによりラッピングトレイン「勝太駅発!熱血デュエマ列車!!」となっている[25]。
キハ37100形 (37100-03)
新製車両。2002年入線。キハ3710形とほぼ同じだがブレーキの二重化など一部仕様が異なるため形式が変更された。2010年からひたちなか海浜鉄道2周年を記念して塗装を変更したアニマルトレインとなっている。
ミキ300形(ミキ300-103)
2008年に廃止された三木鉄道から、旧型車両を更新する目的で2009年にミキ300形(ミキ300-103)を購入、同年6月11日に那珂湊駅構内に搬入し、そのままの形式名・車番・塗色で同年8月30日から運行を開始した。
キハ11形(2代)(キハ11-5 - キハ11-7)
元東海旅客鉄道(JR東海)および東海交通事業のキハ11形(JR東海の123、東海交通事業の203, 204)で、2015年3月のダイヤ改正により、高山本線・太多線の運用を外れていた[26][27]。2015年4月22日にJR東海および東海交通事業から購入し(5月7日発表)[28]、愛知機関区まで回送された後、そこからトレーラによる陸送により[29]、同年4月30日に湊機関区に搬入[30][31]、必要最低限の改造工事ならびに整備・試運転・改番(元番号順に5 - 7に変更)を行い、同年12月30日朝の始発から順次、営業運転を開始した[32][33]。また、2015年9月には東海交通事業からさらに201, 202の2両をひたちなか海浜鉄道に譲渡することが発表された[34][35]。入線後は那珂湊駅構内に留置されている。運用に入る予定はなく、運用されている3両の部品取り用となっている[36]。2016年4月1日より、キハ11-7がクリーニング専科ラッピングトレインとなった[37]。
キハ20形205(2011年)
キハ3710形(2009年)
キハ3710形新塗色(2010年)
キハ37100形(2009年)
キハ37100形新塗色(2011年)
ミキ300形(2009年)
キハ11形(2代)(2016年)
過去の車両[編集]
キハ2000形 (2004, 2005)
キハ2004は留萠鉄道の廃線に伴い1970年に同鉄道から湊線に移籍、キハ2005は1969年に同じく同鉄道から移籍した。国鉄キハ22形の類似車。キハ2005は1966年に東急車輛製造にて製造された車両で、ベンチレーターの形状がキハ2004と異なっている。塗色は2004が国鉄準急色の淡黄色地に赤帯、キハ2005は茨城交通色だったが、帯の配置が他車と違っていた(キハ3710形に近い)。キハ2005は2010年に国鉄急行色の肌色地に窓周りスカーレットの2色塗りに変更され、2013年に島原鉄道塗装(三本ヒゲ)となったが、水漏れのため運用から外れていた。また、キハ2004は前述のキハ11形(2代)導入に伴い2015年12月25日を最後に運用を外れていた[33]。その後2両とも2015年限りで正式に引退となった[38]が、キハ2004は平成筑豊鉄道での動態保存のため、2016年10月13日に那珂湊駅から搬出[39]、10月17日に金田駅に搬入された[40]。
キハ200形 (201 - 204)
元国鉄キハ20形で、国鉄から鹿島臨海鉄道を経て譲り受けた車両である(鹿島臨海鉄道での形式は2000形で、ヘッド・テールライトが角型に改造されていた)。キハ201 - 204の4両が在籍したが、冷房が取り付けられていないこととワンマン化改造がなされていないため2006年までにすべて廃車になっている。キハ201はキハ221とともに阿字ヶ浦駅に留置され、海水浴客の臨時更衣室になっていたが、2009年3月に撤去・解体された。キハ202 - 204 は、那珂湊駅に放置されていたが、203については展示車両として2009年に塗色が国鉄首都圏色の柿色一色塗りに変更されている。202と204はその後、撤去・解体された。
キハ11形(初代) (111 - 113)
元国鉄キハ11。1956年・東急車輌製の個体が集められていた。キハ111は映画『鉄道員(ぽっぽや)』の撮影に用いられた後に解体され、113は佐久間レールパークに保存された後、同所廃止以降はリニア・鉄道館に移動して収蔵・保存されている。112は2004年まで使用され、最後の営業用のキハ10系列となった。その後112は埼玉県さいたま市の鉄道博物館に収蔵・保存されている。
キハ1000形 (1001, 1002)
元留萠鉄道キハ1001, 1002で、1955年日立製作所製。国鉄キハ10を基本とした設計で、側窓の形状はキハ10系と酷似している。ただし乗務員扉を持たない。全体に、北海道の酷寒地での運転を前提とした試験的な特殊装備を多用していた。台車はキハ10のDT19とは異なる菱枠形で、留萠鉄道時代は駆動力確保のため2軸駆動仕様であったが、茨城交通譲渡時に通常の1軸駆動となっている。正面2枚窓のいわゆる湘南型と呼ばれる前面を持ち、北国の激しい降雪下の走行での視界確保を目的とした腰部の大型前照灯「ヘソライト」が特徴的であった。これは路面電車風であるが、光束をカーブで軌道中心方向に合わせるため手動回転が可能な構造であった。吹雪などまず考えられない当線では無用な装備ではあるものの、最後まで撤去されることはなかった。
キハ1100形 (1103)
元留萠鉄道キハ1103で1959年・東急車輌製。キハ1000の後継モデルとして登場した。国鉄キハ20系列を基本とした設計だが、前面は湘南型である。キハ1000で装備されていた「ヘソライト」は省略され、2軸駆動も廃止されるなど、各部位の設計は国鉄気動車と共通する一般的な構造となった。茨城交通では廃車後もしばらく那珂湊駅に放置されていた(現存せず)。
キハ22形 (221-223)
羽幌炭礦鉄道の廃線に伴い1970年から1971年にかけてキハ221, 222, 223の3両が同鉄道から移籍。国鉄キハ22形の類似車。塗色は当初、羽幌炭礦鉄道色の臙脂地に白帯であったがキハ222は茨城交通色を経て旧国鉄気動車標準色に近い藍色地に窓周りベージュの2色塗装、キハ223は白地に赤・青帯の茨城交通色となった。キハ221, 223はそれぞれ1998年[41]、2009年[41]に廃車となっており、キハ221は阿字ヶ浦駅に留置されていたが2009年に撤去された。またキハ223は羽幌炭礦鉄道色に変更の上、2009年12月17日に搬出され[42]、埼玉県さいたま市緑区にある「ほしあい眼科」にて保存されている。
1962年に富士重工で製造されたキハ222は[43]、羽幌炭礦鉄道のキハ22最後の1両であり、旅客営業車として旋回窓を有する最後の車両でもあった。2012年秋にエンジン故障を起こしたため、長らく運用されていなかったが、2013年秋に修理され運用に復帰。2015年2月22日をもって営業運転を終了し、検査期限切れにより休車扱いとなっていたが[41]、その後正式に同年限りで引退となった[38]。
ケハ600形 (601)
1960年・新潟鐵工所製。日本初のステンレス製気動車で、新潟鐵工所が試作的に開発し、海浜に近い条件の湊線に入線したものである。正面は湘南型となっており、左右上部に行先表示窓に類似した小窓があったが、表示装置等は装着されず明かり取り窓のような状態となっていた。登場時より液体式であるが総括制御不能であり、連結運転時に付随車として使用するためのジャンパ線が新設されたものの不便が多かったこともあり、鹿島臨海鉄道からの譲渡車などに押され後年はほとんど稼動しなかった。1992年廃車。1963年6月20日までは水戸駅への直通運転にも使用されていた。車体のみ那珂湊機関区に現存し倉庫となっていたが市民団体「おらが湊鉄道応援団」の手により整備され、現在はギャラリーになっている(当初は動態復元をする計画があったが、車体の老朽化が激しく断念されたという)。
ケハ400形 (401)
1955年・新潟鐵工所製。元は山鹿温泉鉄道が発注した車両だったが同社が水害被災し注文流れになったため茨城交通に回されたもので、有田鉄道キハ250とほぼ同型。窓はシル・ヘッダー付きの2段窓である。山鹿温泉鉄道車特有の低い2段ステップ付きである。茨城線から転属。
ケハ402形 (402)
1957年・新潟鐵工所製で、ケハ401を基本に増備車として自社発注した車両。窓はシル・ヘッダーがなくなり、バス窓になった。ステップも1段になった。
ケハ45形 (45, 46)
元国鉄キハ41000で、46は東野鉄道を経由して入線、後に付随車化され、ハフ46となった。
ハフ12
1945年に廃止された篠山鉄道より購入した1900年東京月島車両製造所製の木製2軸客車。履歴は大阪鉄道 ハ6→篠山鉄道ハ4。他にハフ1・2も購入したが那珂湊に留置されたままであった。
ハフ13形 (13,14)
元大沼電鉄の半鋼製4輪単車フ1・2で、茨城交通移籍後はハフ13・14となり湊線で使用された。ハフ13・14は1963年(昭和38年)3月に廃車となった。
オハフ70形 (1-4)
1962年に国鉄より譲り受けた17m級鋼製客車国鉄オハ31系客車。通勤輸送や夏期海水浴用に使用された。新旧番号対象はオハ701←30128、702←307、703←31124、704←31130。
ケキ100形 (101,102,103,104)
ケキ101は、1953年に新潟鐵工所で製造されたL形20t機関車で、湊線で使用された。1980年10月8日付けで廃車となった。
ケキ102は1957年に新潟鐵工所で製造された35t凸形機関車で、茨城線に配属された。同線廃止後は湊線に移り、貨物(気動車と貨車を牽引する混合列車も存在した)や勝田駅での貨車の入換え作業のほか、多客時は客車列車を牽引したこともある。貨物廃止後、使用されることが減り2005年に廃車になり、那珂湊機関区に留置されていたが、2009年に搬出された[42]。同車は富山県の日本貨物鉄道(JR貨物)伏木駅貨物側線に移送され、2010年8月現在、同所にて修復作業が行われている。
ケキ103はケキ102の運行成績が好調であったことから1953年7月に製造された機関車。ケキ102が転属してくると主役の座を明け渡し、1990年3月6日付けで廃車となった。
ケキ104は1956年に川崎車両で製造された30tL形機関車で、倉敷市交通局(現水島臨海鉄道)DC502として登場した。1966年に茨城交通に転じた。1971年度中に廃車となった。
トラ1形 (15,16)
元東武鉄道の無蓋貨車トラ1形で貨物廃止後はイベントなどで使用されたがほとんど動くことはなく阿字ヶ浦駅などに長期間留置されていた。2016年現在、車籍はないが現存しており那珂湊機関区でカバーをかけられ倉庫代わりとなっている。
ト1形 (5,7)
茨城交通キハ111+キハ112(1997年)
元鹿島臨海鉄道のキハ201(2002年)
元羽幌炭礦鉄道のキハ221
元羽幌炭礦鉄道のキハ222(2006年)
元羽幌炭礦鉄道のキハ223(2009年)
国鉄準急色に塗られたキハ2000形2004(2006年)
旧国鉄急行色に変更後のキハ2000形2005(2010年)
ケハ600形の廃車体(2006年)
ギャラリーになったケハ600形(2009年)
ケキ102形ディーゼル機関車(2003年)
トラ1 15
車両数の変遷[編集]
年 キハ11形 キハ22形 ケハ600形 キハ1000形 キハ1100形 キハ2000形 キハ200形 キハ3710形 キハ37100形 ミキ300形 計(冷房車)
1982-
1985 3 3 1 2 1 2 12(0)
1986-
1989 3 3 1 1 1 2 11(0)
1990 3 3 1 1 2 1 11(0)
1991 3 3 1 2 2 11(0)
1992 3 3 1 2 2 11(0)
1993-
1995 3 3 2 4 12(0)
1996 2 3 2 4 1 12(1)
1997 1 3 2 5 1 12(2)
1998 1 3 2 5 1 12(2)
1999-
2002 1 2 2 4 2 11(3)
2003 1 2 2 3 2 1 11(4)
2004 1 2 2 3 2 1 11(4)
2005-
2008 2 2 3 2 1 10(4)
2009 2 2 1 2 1 8(4)
2010 1 2 1 2 1 1 8(5)
2011 1 2 1 2 1 1 8(5)
1982・83年は1月1日現在、84年以降は4月1日現在
『私鉄車両編成表』各年版、ジェー・アール・アール
駅一覧[編集]
全駅茨城県ひたちなか市に所在。
乗車人員は2005年度の数値。
線路 - ◇:列車交換可、|:列車交換不可
駅名 駅間キロ 累計キロ 乗車人員
人/年 接続路線・備考 線路
勝田駅 - 0.0 162,444 東日本旅客鉄道:常磐線 |
日工前駅 0.6 0.6 1,021 |
金上駅 1.2 1.8 42,131 ◇
中根駅 3.0 4.8 2,515 |
高田の鉄橋駅 2.3 7.1 当時未開業 |
那珂湊駅 1.1 8.2 182,162 ◇
殿山駅 1.4 9.6 62,228 |
平磯駅 1.2 10.8 52,267 |
磯崎駅 2.5 13.3 34,646 |
阿字ヶ浦駅 1.0 14.3 15,289 ◇
運賃[編集]
「ひたちなか海浜鉄道#運賃」を参照
延伸構想[編集]
ひたちなか市は、終点の阿字ヶ浦駅から国営ひたち海浜公園の南側を通って公園西口付近を終点とするルートで延伸を計画している[44]。市企画調整課は「正式決定ではないが、今回示した案をメインに考え、意見をいただきたい」と説明している[44]。運行開始は、2024年度の予定[44]。
新駅設置計画[編集]
平磯駅 - 磯崎駅間に新駅を設置する計画があり[45]、2021年3月までの整備を目指す[46]。
その他[編集]
湊線はストアードフェアシステムを導入していないので、PASMOやSuicaなどのICカードは利用できないが、JRと共同使用の勝田駅ではJRの自動券売機で湊線の切符を発売しているため、Suica、TOICA、ICOCA、PASMO、Kitaca、SUGOCA、nimoca、PiTaPa、manaca、はやかけん(以下、ICカード)を利用して乗車券を購入することができる。ただし、改札内のひたちなか海浜鉄道出札口では現金のみでの購入となるため、JRから乗り換えてICカードを利用し、乗車券を購入する場合は、一旦改札を出てひたちなか海浜鉄道の乗車券を購入することになる。
駅の自動券売機は、タッチパネル式の新型に更新されている。
勝田駅構内の乗り換え案内表示は、転換前は「茨城交通湊線」だったが、転換後は社名が長いため、「湊線」とシンプルに書き換えられている。
CMやバラエティー番組などでよく使われ、特に阿字ヶ浦駅や中根駅に近い所でよく撮影が行われる。近年は映画『フラガール』や、「チオビタドリンク」のCMなどのロケにも使用されており、テレビアニメでは、『サザエさん』(フジテレビ系放送)で2010年2月にオープニング映像で中根駅とキハ205らしき気動車が登場した。また2010年9月には『奇跡体験!アンビリバボー』で放送された1993年(平成5年)に起きた8.6豪雨での鹿児島県竜ヶ水地区での土石流被害の再現VTRで、JR竜ヶ水駅で大雨と土石流で立ち往生した列車と車内にいた乗客の撮影でキハ222が登場している。
湊線各駅の駅名標は文字をイラスト化したロゴタイプのものを使用している。ひたちなか海浜鉄道移管後の2009年8月から使用されているもので、2015年度のグッドデザイン賞に選ばれた[47]。
中根駅の駅標(2009年10月24日)
観光列車は費用が掛かるなど、観光だけで経営が成立しない場合が多いこともあり「あえて観光に頼らない」といった経営形態が黒字転換に結びついたと言われ、それが延伸の具体化に繫がった[48]。
脚注[編集]
[ヘルプ]
^ a b 「速度向上 最高速度時速60キロになりました」ひたちなか海浜鉄道の社長ブログ「海浜鉄道日誌」
^ 「湊線存廃問題協議大詰め ひたちなか市、三セク設立へ」東京新聞 TOKYO Web 2007年9月18日
^ 「湊線、三セクで存続決定 ひたちなか市と茨城交通が共同出資」東京新聞 TOKYO Web 2007年9月28日
^ 「湊線、3セクで存続へ」朝日新聞 asahi.com 2007年09月28日
^ 「平成20年度 ひたちなか市予算重点施策の予算措置状況」市報ひたちなか4月10日第320号
^ 『鉄道局年報. 明治36年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 『日本鉄道史. 下篇』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 『日本全国諸会社役員録. 明治42年』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ a b 『地方鉄道及軌道一覧. 昭和12年4月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「本免許状下付」『官報』1908年3月13日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「軽便鉄道指定」『官報』1911年2月21日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1914年1月9日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 『鉄道省鉄道統計資料. 大正11年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1924年9月6日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「鉄道免許状下付」『官報』1928年5月12日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1928年7月21日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 7月4日許可「鉄道譲渡」『官報』1944年7月11日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ a b 『湊線百年史』ひたちなか海浜鉄道、2015年、156頁
^ “新駅「高田の鉄橋駅」開業について” (プレスリリース), ひたちなか海浜鉄道, (2014年9月9日) 2014年9月10日閲覧。
^ “新駅名称について” (プレスリリース), ひたちなか海浜鉄道, (2013年12月17日) 2013年12月17日閲覧。
^ “湊線100年式典 新駅名も発表”. 茨城新聞 (茨城新聞社). (2013年12月16日) 2013年12月16日閲覧。
^ 寺田裕一『データブック日本の私鉄』ネコ・パブリッシング、2002年 p.189
^ 西脇浩二「ひたちなか海浜鉄道キハ2004」『鉄道ファン』No.658、98頁
^ 『鉄道ジャーナル』第32巻第10号、鉄道ジャーナル社、1998年10月、 89頁。
^ “勝太駅発!熱血デュエマ列車!! (PDF)”. ひたちなか海浜鉄道. 2017年8月12日閲覧。
^ railf.jp(鉄道ニュース)、鉄道ファン (2015年3月17日). “美濃太田車両区所属のキハ11形が全車運用離脱”. 交友社. 2015年3月31日閲覧。
^ “平成27年3月ダイヤ改正について” (日本語) (PDF) (プレスリリース), 東海旅客鉄道, (2014年12月19日) 2015年3月31日閲覧。
^ “営業車両の購入について(お知らせ)” (日本語) (PDF) (プレスリリース), ひたちなか海浜鉄道, (2015年5月7日) 2015年5月7日閲覧。
^ railf.jp(鉄道ニュース)、鉄道ファン (2015年4月25日). “キハ11形が稲沢へ”. 交友社. 2015年4月25日閲覧。
^ railf.jp(鉄道ニュース) (2015年4月30日). “JR東海キハ11形がひたちなか海浜鉄道へ”. 交友社. 2015年5月2日閲覧。
^ railf.jp(鉄道ニュース) (2015年5月1日). “もとJR東海キハ11形が湊機関区へ”. 交友社. 2015年5月2日閲覧。
^ “キハ11 5号車から運用開始” (プレスリリース), ひたちなか海浜鉄道, (2015年12月30日) 2015年12月30日閲覧。
^ a b railf.jp(鉄道ニュース) (2016年1月2日). “ひたちなか海浜鉄道でキハ11形の営業運転開始”. 交友社. 2016年1月4日閲覧。
^ レスポンス (2015年9月8日). “東海交通事業、城北線の車両をキハ11形ステンレス車に置換え”. 株式会社イード. 2015年9月27日閲覧。
^ 営業車両の購入について - 東海交通事業、2015年9月8日、2016年6月16日現在閲覧不可
^ ひたちなか海浜鉄道に乗って吉田社長に会いに行ってきました|鉄道チャンネルニュース - 2016年6月16日閲覧。
^ 全面広告第1号「クリーニング専科」様 快走 - ひたちなか海浜鉄道 海浜鉄道日誌、2016年4月3日。
^ a b 「ありがとう北海道型キハ引退記念乗車券」を発売します - ひたちなか海浜鉄道、2016年1月7日
^ railf.jp(鉄道ニュース)、鉄道ファン (2016年10月16日). “キハ2004が平成筑豊鉄道へ向けて輸送される”. 交友社. 2016年10月17日閲覧。
^ railf.jp(鉄道ニュース)、鉄道ファン (2016年10月19日). “平成筑豊鉄道金田駅にキハ2004が搬入される”. 交友社. 2016年10月21日閲覧。
^ a b c 岸田法眼 (2015年6月1日). “フォーエヴァースペシャル2015-鉄道車両の引退が相次ぐIII-”. Yahoo!ニュース(個人). オリジナルの2015年6月7日時点によるアーカイブ。 2015年6月2日閲覧。
^ a b 鉄道ホビダス『RM News』 (2009年12月18日). “【ひたちなか海浜鉄道】キハ223・ケキ102搬出”. ネコ・パブリッシング. 2015年5月2日閲覧。
^ 車両情報 - ひたちなか海浜鉄道
^ a b c “海浜鉄道湊線延伸ルート 公園南側3.1キロ有力”. 茨城新聞. (2016年4月19日) 2016年4月19日閲覧。
^ “平成28年教育委員会議事一覧” (PDF). 平成28年11月定例会(第12回). ひたちなか市. pp. 2-3 2017年4月6日閲覧。
^ “ひたちなか海浜鉄道湊線 平磯 - 磯崎駅間に新たに駅設置へ”. 東京新聞. (2017年4月6日) 2017年4月6日閲覧。
^ 茨城)ひたちなか海浜鉄道、駅名標がグッドデザイン賞 - 朝日新聞デジタル、2015年10月22日
^ 「ひたちなか海浜」赤字路線脱し驚きの延伸へ - 東洋経済オンライン、2016年07月31日
参考文献[編集]
白土貞夫「茨城交通・湊・茨城線」、『鉄道ピクトリアル』No. 1731965年7月臨時増刊号:私鉄車両めぐり6、1965年、 pp. 6-7, 30-42。(再録:『私鉄車両めぐり特輯』2、鉄道ピクトリアル編集部、鉄道図書刊行会、東京、1977年。)
吉川文夫編『探検鉄道② 関東北部(私鉄)』(大正出版、1996年)
関連文献[編集]
土谷敏治「地方鉄道第三セクター化の課題 : ひたちなか海浜鉄道の事例」、『経済地理学年報』第59巻第1号、経済地理学会、2013年、 111-135頁、 doi:10.20592/jaeg.59.1_111。
関連項目[編集]
日本の鉄道路線一覧