日本囲碁連盟 囲碁用語 より 突っ走る 相手の間隙を突き破って自軍と連絡すること。 八戸線 JR logo (east).svg 八戸線 陸中八木駅に停車中のキハ40 陸中八木駅に停車中のキハ40 基本情報 国 日本の旗 日本 所在地 青森県、岩手県 起点 八戸駅 終点 久慈駅 駅数 25駅[1] 開業 1894年1月4日 所有者 JR logo (east).svg 東日本旅客鉄道(JR東日本) 運営者 JR logo (east).svg 東日本旅客鉄道(全線) JR logo (freight).svg 日本貨物鉄道(八戸-本八戸間) 使用車両 車両を参照 路線諸元 路線距離 64.9km 軌間 1,067mm 線路数 単線 電化方式 全線非電化 閉塞方式 単線自動閉塞式(八戸駅 - 八戸貨物駅間) 特殊自動閉塞式(八戸貨物駅 - 久慈駅間。本八戸駅 - 久慈駅間は軌道回路検知式) 最高速度 85km/h [折り畳む]路線図 JR Hachinohe Line linemap.svg テンプレートを表示 [表示]停車場・施設・接続路線 八戸線(はちのへせん)は、青森県八戸市の八戸駅から岩手県久慈市の久慈駅を結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(地方交通線)である。 八戸駅 - 鮫駅間には、「うみねこレール八戸市内線」という愛称が付けられている。 目次 [非表示] 1 概要 2 路線データ 3 平均通過人員 4 運行形態 4.1 過去の臨時列車 5 車両 5.1 導入予定車両 5.2 過去に使用された車両 6 歴史 6.1 年表 7 優等列車の沿革 8 駅一覧 8.1 廃止区間 8.2 廃止駅 8.3 過去の接続路線 9 脚注 10 参考文献 11 関連項目 概要[編集] 気仙沼線・大船渡線・山田線・三陸鉄道とともに三陸海岸沿岸を走行する。沿線の眺望は田園・高架・都市・工場・海岸・丘陵と様々に変遷する。近年は安全だけでなく景観についても配慮されている[3]。 2010年12月4日の東北新幹線の八戸駅 - 新青森駅間開業に伴い、東北本線の八戸駅 - 青森駅間が青い森鉄道に移管され、大湊線とともに、他のJR在来線と接続のない孤立路線となった(なお、大湊線は新幹線とも接続しないため、八戸線とは若干状況が異なる)[4]。2007年11月、JR東日本が新幹線延伸後も八戸線を運営していく方針であることを正式に発表している[5]。なお、青春18きっぷは青森または野辺地から八戸まで青い森鉄道線の駅で途中下車しないことを条件に使用が認められる特例が新たに設けられた。 2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)で全線が不通となっていたが、2012年3月17日までに全面復旧した。 路線データ[編集] 管轄(事業種別)・区間(営業キロ) 東日本旅客鉄道(第一種鉄道事業者) 八戸駅 - 久慈駅 64.9km[1] 日本貨物鉄道(第二種鉄道事業者) 八戸駅 - 本八戸駅 (5.5 km) 軌間:1067 mm 駅数:25駅(起終点駅含む)[1] 起終点駅を含めたすべての駅が八戸線所属駅となっている。なお、起点の八戸駅は2010年12月3日までは東北本線所属[6]であったが、翌日から同線が青い森鉄道へ移管されたため、JRの駅としては八戸線所属に変更された。 複線区間:なし(全線単線) 電化区間:なし(全線非電化) 閉塞方式: 八戸駅 - 八戸貨物駅間 単線自動閉塞式 八戸貨物駅 - 本八戸駅間 自動閉塞式(特殊) 本八戸駅 - 久慈駅間 特殊自動閉塞式(軌道回路検知式) 最高速度:85km/h 運転指令所:盛岡総合指令室(八戸貨物駅 - 久慈駅間 CTC) 全線東日本旅客鉄道盛岡支社の管轄である。在来線の八戸駅は青い森鉄道管轄であるが、共同使用駅のため、盛岡支社管内のJR駅としても扱われる(なお、東北新幹線の八戸駅は盛岡支社が直轄)。 平均通過人員[編集] 各年度の平均通過人員(人/日)は以下の通り[7] 八戸駅 - 鮫駅間 1987年度:6,079人 2011年度:2,864人 2012年度:2,962人 2013年度:2,970人 2014年度:3,025人 2015年度:2,951人 鮫駅 - 久慈駅間 1987年度:1,650人 2011年度:407人 2012年度:561人 2013年度:615人 2014年度:646人 2015年度:617人 運行形態[編集] 八戸線は現在普通列車のみの地域輸送に特化された運行形態となっている。2017年3月4日改正時点で、八戸駅 - 久慈駅間全線通し列車1日9往復に加え、八戸駅 - 鮫駅間には1日10往復の区間列車が設定されており、この区間については昼間の閑散時間帯でも1時間に1本程度の運転間隔となっている[8]。八戸駅 - 鮫駅間の区間列車のうち、朝の下り2本は青い森鉄道線三戸駅を始発駅とする直通列車となっている[8]。 当線と東北本線(現在のいわて銀河鉄道線・青い森鉄道線)を直通する列車としては、1970 - 1980年代前半には優等列車として急行「深浦」や急行「なつどまり」などが、また1990年代前後には東北本線一戸・二戸・三戸・三沢・野辺地方面直通の普通列車が多数設定されていたが[9][10][11]、1996年の東北本線盛岡以北区間への701系電車投入に伴い当線のディーゼル気動車列車の東北本線乗り入れは限定的となり[12]、東北本線(当時)盛岡方面から当線に直通する前述の朝の下り列車2本を除き解消されている[13]。また、久慈駅から南方に延びる国鉄久慈線が1984年に三陸鉄道へ転換され北リアス線となる以前は1日3本程度が久慈線直通で普代駅まで運転されていた[10]。1999年以降は、毎年夏に三陸鉄道北リアス線・南リアス線などからなる三陸縦貫鉄道を経由して八戸駅から仙台駅まで直通する臨時快速列車「リアス・シーライナー」が運転されていたが、東日本大震災で三陸縦貫鉄道の各線が不通となったため2011年以降は運転されていない[14][15]。 八戸駅 - 久慈駅間の定期普通列車のうち1日1往復は、土曜・休日などには「リゾートうみねこ」を使用して運転される。「リゾートうみねこ」は2011年4月29日から八戸駅 - 階上駅間で運転を開始した(「リゾートうみねこ」運転開始前にはキハ48形改造のジョイフルトレイン「うみねこ」を使用した定期普通列車「うみねこ」が1往復設定されていた[16])。当初、同年4月23日より、八戸駅 - 久慈駅 - (三陸鉄道北リアス線経由) - 宮古駅間で運転される予定だったが、3月11日に発生した東日本大震災による大津波によって甚大な被害(沿線駅舎の冠水・浸水や線路流出など)を出したことによって運転できなくなったため、計画が変更されたことによるものである[17]。2012年3月17日に八戸線が全線復旧し、運行区間が八戸駅 - 久慈駅間に延長された。 2013年10月19日からは、団体臨時列車としてレストラン列車「TOHOKU EMOTION(東北エモーション)」の運転が開始された。 リゾートうみねこ TOHOKU EMOTION 当線は大半の区間で海沿いを走るが、陸中中野駅(標高約41m) - 陸中夏井駅(標高約9m)間の約13kmは内陸部を走行し[13][18]、この区間は侍浜駅付近(標高約155m)を頂点とする勾配区間で30km/h程度で走行する。ほか長苗代駅 - 本八戸駅間の馬淵川橋梁においては機関車牽引列車は30km/h、気動車列車は 40km/hの速度制限を受けていたり、もともと当線で運用されている八戸運輸区所属車(キハ40形・キハ48形)はJRに残る国鉄型気動車の大半がエンジン換装による性能向上が図られた現在でも原型車がほとんどであり、八戸都市計画都市高速鉄道八戸線として連続立体交差化が行われ高架線が続く八戸市内を含め60 - 70km/h程度で運転されており、列車の運転速度は全体的に低い。 近隣非電化線区のキハ100系列気動車への置き換えが完了し速度向上の図られた2011年現在では、「リゾートうみねこ」以外の車両が非冷房のままである上に、ワンマン運転が行われておらず各無人駅での車掌による運賃収受が行われていることと相まって、一昔前の非電化路線の姿を残す貴重な存在となっている。 過去の臨時列車[編集] 「優等列車の沿革」の節を参照 車両[編集] キハ40形・キハ48形 キハ48形「うみねこ」 以下において車種は特記なければ気動車である。 キハ40形・キハ48形 - 八戸運輸区所属。主に2 - 3両で運転。 定期運用につく車両では冷房改造された車両が無く、ワンマン化された車両も元大湊線使用車両のみであるためオリジナル車両の国鉄時代からの変更点は塗色とトイレの汚物処理装置設置くらいである。一方、数少なくなった扇風機設置車両であるほか、ドア数が少ないことや片引き戸が存在することから冬季は暖気が漏れにくい構造となっている。また旧来のセミクロスシート車両である。 2012年の全線運行再開後からは津波対策として車内に避難用梯子が搭載されている。 リゾートうみねこもキハ48形の改造車である。こちらは冷房改造済みである。 キハ110系700番台 レストラン列車「TOHOKU EMOTION(東北エモーション)」で使用。 導入予定車両[編集] キハE130系500番代 2017年(平成29年)8月以降順次落成し、試験走行を経て同年度中の営業運転開始を予定している。2両編成と1両編成それぞれ6編成ずつ計18両を新造[19]。車体や主要機器毎に国内外の企業から公募で調達を行った[19][20][21]。 過去に使用された車両[編集] キハ10系 キハ20形・キハ22形 キハ28形・キハ58形 以上はいずれも、現在の八戸運輸区所属 50系客車 盛岡客車区(現・盛岡車両センター)所属 歴史[編集] 日本鉄道により1891年に開業した本線(後の東北本線)の駅が海沿いの八戸市街から離れた尻内に設置されたことから、1894年に尻内駅(現・八戸駅)から分岐して八ノ戸(現・本八戸駅)を結ぶ支線を敷設したのが始まりである[22]。同年中に八ノ戸から湊へ延伸され、この状態で日本鉄道は1906年に公布された鉄道国有法により1907年11月1日に買収され官設鉄道に編入後、1909年に八ノ戸線と命名され、1924年に八戸線と改称された[22]。1924年より八戸(現・本八戸)から分岐する種市への路線延伸工事が行なわれ、翌年には陸中八木、1930年に久慈まで延長されて八戸線が全通した[22]。 八戸駅 - 久慈駅間の経路設定にあたっては、当時の陸軍より岩手県大野付近が鉄鋼の原材料供給地であること、有事の際の鉄道破壊を懸念し、海岸線より内陸の大野付近を通過することが望ましいと主張していたが、結局海岸線を通過するルートとなった[23]。 鮫駅 - 久慈駅間は1968年の赤字83線の議論に上がっている。1975年に当線の実質的延長線である久慈線が普代まで開業したが、こちらは国鉄再建法の施行により特定地方交通線に指定され、1984年に第三セクターの三陸鉄道へ転換されている。 陸中八木駅にはJR線における最後の腕木式信号機があったが、2005年6月28日に色灯化され廃止された。タブレット閉塞式を用いて運転していたが、本八戸駅 - 久慈駅間で軌道回路検知式化の工事が進められ、2005年10月には同区間の特殊自動閉塞化が完成し、2005年12月のダイヤ改正時にCTC化された。 2011年3月11日の東日本大震災により宿戸駅 - 陸中中野駅の間で大津波による浸水や線路の流出・水没事故が発生。これにより全線で不通となったが、段階を追って復旧工事を行い、2012年3月17日のダイヤ改正で全線での運行が再開された。JR東日本の東北地方被災地域では7つの路線が地震や津波による路線・駅舎崩壊や浸水などの被害を受けて部分的に運休する区間がある中、全線復旧の第1号となった。復旧工事を行うに当たり、津波や浸水が予想される駅では駅舎に避難経路を作り、また、線路から高台に避難ができるルートも設定された[24][25]。 なお、列車運行中に津波警報が発令された場合の対策として、車両の乗降口デッキ[26]に避難の仕方や避難口の案内などが書かれた「津波警報が発令された場合のお願い」の案内が掲示されているほか、各車両に緊急避難用はしごが配置された[27][出典無効]。 年表[編集] 1893年(明治26年)3月21日 尻内駅(現・八戸駅) - 湊駅間の支線敷設を閣議決定・認可[22]。 1894年(明治27年) 1月4日 日本鉄道が尻内駅(現・八戸駅) - 八ノ戸駅(現・本八戸駅)間を開業[22]。八ノ戸駅を新設[22]。 10月1日 八ノ戸駅 - 湊駅間を延伸開業[22]。湊駅を新設[22]。 1906年(明治39年)11月1日 鉄道国有法により日本鉄道が買収・国有化され官設鉄道の路線となる[22]。 1907年(明治40年)11月1日 八ノ戸駅を八戸駅(初代)に改称[22]。 1909年(明治42年)10月12日 国有鉄道線路名称制定により八ノ戸線となる[22]。 1924年(大正13年)11月10日 八戸駅 - 種市駅間を延伸開業[22]。鮫・種差・階上・種市の各駅を新設[22]。八戸線に線名を改称(尻内駅 - 種市駅間・八戸駅 - 湊駅間)[22]。 1925年(大正14年)11月1日 種市駅 - 陸中八木駅間を延伸開業[22]。陸中八木駅を新設[22]。 1926年(大正15年)7月11日 陸奥湊駅を新設[22]。 1930年(昭和5年)3月27日 陸中八木駅 - 久慈駅間を延伸開業し八戸線が全通[22]。陸中中野駅・侍浜駅・陸中夏井駅・久慈駅の各駅を新設[22]。 1934年(昭和9年)6月1日 尻内駅 - 鮫駅間ガソリンカー運転開始[28]長苗代・小中野・白銀の各駅を新設[22]。 1944年(昭和19年)4月1日 八戸駅 - 湊駅間の旅客営業を休止[22]。 1954年(昭和29年)8月5日 角の浜駅・玉川駅・宿戸駅の各駅を新設[22]。 1956年(昭和31年) 11月19日? 大久喜、金浜、大蛇の各仮乗降場を新設。 12月10日 大久喜・金浜・大蛇の仮乗降場を駅に改める[22]。 1959年(昭和34年)2月5日 平内駅を新設[22]。 1961年(昭和36年) 4月15日 陸奥白浜駅を新設[22]。 12月25日 有家駅を新設[22]。 12月 久慈市・野田村・種市町・普代村が830万円の鉄道債券を引き受け、久慈駅 - 盛岡駅間の直通列車(準急)の運行開始。 1966年(昭和41年)3月25日 青森県営専用線(後の八戸臨海鉄道)の分岐点として北八戸信号場を新設[22]。 1970年(昭和45年)10月1日? 青森県営専用線が八戸貨物駅へ延長されたため北八戸信号場を廃止。 1971年(昭和46年) 2月1日 八戸駅を本八戸駅に改称[22]。 4月1日 尻内駅を八戸駅(2代)に改称[22]。 1972年(昭和47年)10月28日 C58 239によるSLさよなら列車運転[22]。 1975年(昭和50年)7月20日 久慈線の久慈駅 - 普代駅間が開業[22]。 1977年(昭和52年)7月 長苗代駅 - 陸奥湊駅間高架化。 1982年(昭和57年)11月15日 鮫駅 - 久慈駅間の貨物営業を廃止。 1984年(昭和59年) 2月1日 陸奥湊駅 - 鮫駅間の貨物営業を廃止。 4月1日 久慈線を廃止、三陸鉄道に転換。 1985年(昭和60年)3月14日 本八戸駅 - 湊駅間を廃止[22]。 1986年(昭和61年) 8月1日 プレイピア白浜臨時乗降場を新設。 11月1日 本八戸駅 - 陸奥湊駅間の貨物営業を廃止。 1987年(昭和62年)4月1日 国鉄分割民営化により東日本旅客鉄道(第1種・八戸駅 - 久慈駅間)[22]、日本貨物鉄道(第2種・八戸駅 - 本八戸駅間)が承継、プレイピア白浜臨時乗降場を臨時駅に改める。 1993年(平成5年)12月1日 ダイヤ改正により、全列車が気動車での運転。 2002年(平成14年)12月1日 種差駅を種差海岸駅に改称。 2003年(平成15年)4月1日 SLうみねこ号運転[22]。 2004年(平成16年)10月16日 種市駅・侍浜駅での列車交換が廃止され交換設備撤去、侍浜駅無人化。 2005年(平成17年) 7月6日 階上駅 - 久慈駅間特殊自動閉塞化。 10月 本八戸駅 - 階上駅間特殊自動閉塞化。 12月10日 CTC化、小中野・白銀・階上・陸中八木の各駅を無人化。 2011年(平成23年) 3月11日 東北地方太平洋沖地震とこれにより発生した大津波により全線で不通。 3月18日 八戸駅 - 鮫駅間で運行を再開。 3月24日 鮫駅 - 階上駅間で運行を再開。 3月30日 階上駅 - 久慈駅間で代行バス運行開始(列車による運転再開見込みが立たないため)。 4月7日 東北地方太平洋沖地震の余震発生により全線で再び不通。 4月10日 八戸駅 - 階上駅間で運行を再開。階上駅 - 久慈駅間で代行バス運行を再開。 8月8日 階上 - 種市間で運行再開。 2012年(平成24年)3月17日 種市駅 - 久慈駅間で運行再開。これにより全線で運転が再開[29]。なお、当初の全面再開は4月の予定だった。臨時駅のプレイピア白浜駅を廃止[30]。 優等列車の沿革[編集] この節には、JIS X 0213:2004 で規定されている文字(橅編成(ぶなへんせい)の1文字目)が含まれています(詳細)。 1959年(昭和34年)7月1日 盛岡駅 - 大鰐駅(青森経由)間を運行する準急「八甲田」の一部車両を鮫発着とする[22]。八戸線内は普通列車。 1960年(昭和35年)12月28日 秋田駅 - 鮫駅間を結ぶ準急「白鳥」が運行開始[22]。奥羽本線・東北本線・八戸線経由で運転[22]。 1961年(昭和36年) 9月 準急「白鳥」を改称して準急「岩木」とし、青森駅で系統分離。 10月1日 準急「八甲田」を改称し準急「しもきた」運行開始。八戸線内は普通列車。 1962年(昭和37年)7月1日 久慈駅 - 盛岡駅間を結ぶ全線準急の「うみねこ」が運行開始[22]。 1965年(昭和40年)10月1日 鰺ケ沢駅 - 鮫駅間を結ぶ準急「岩木」が運行開始[22]。 1966年(昭和41年) 3月5日 「うみねこ」を準急から急行列車に格上げ[22]。 10月1日 急行「うみねこ」廃止[22]。2両編成12時間半で久慈駅 - 上野駅間を結ぶ急行「三陸」運行開始。 1967年(昭和42年)12月 鮫駅→上野駅間で臨時夜行急行「はちのへ」運転。 1968年(昭和43年) 3月25日 「岩木」が急行列車に格上げ、上り列車の始発駅を深浦に変更。 8月 鮫駅→上野駅間で臨時夜行急行「はちのへ」運転。常磐線経由。 10月1日 久慈駅 - 上野駅間の急行「三陸」を急行「八甲田」に統合。青森駅 - 鮫駅間に急行「なつどまり」運転開始(青森駅 - 大湊駅間に運転する編成を青森駅 - 野辺地駅間で併結)[22]。急行「岩木」を急行「深浦」に改称[22]。 当時の八戸線内の急行列車停車駅。 尻内駅(現・八戸駅) - 八戸駅(現・本八戸駅) - 陸奥湊駅 - 鮫駅 - 種市駅 - 久慈駅。 1970年(昭和45年)10月1日 急行「八甲田」の久慈編成廃止。久慈 - 盛岡間の急行「うみねこ」復活[22]。 1971年(昭和46年)7月 盛岡駅 - 陸中八木駅間で臨時急行として「たねさし」運転開始(八戸線内は普通列車)。 1972年(昭和47年) 3月15日 久慈駅 - 盛岡駅間の急行「うみねこ」廃止[22]。急行「深浦」の運行区間を陸中八木まで延長(ただし、八戸線内は普通列車)。 7月 「たねさし」運行区間を盛岡駅 - 種市駅間に短縮、八戸線内は普通列車として運転。以降、1974年(昭和49年)までの夏季に運転。また、八戸駅 - 久慈駅間臨時快速「久慈」運転開始。 1973年(昭和48年)2月1日 快速「久慈」定期化。 1975年(昭和50年)7月 「たねさし」全区間急行列車として、盛岡駅 - 種市駅間で運転。 1976年(昭和51年)7月 「たねさし」臨時快速へ格下げ。以降1980年(昭和55年)までの夏季に、盛岡駅 - 種市駅間で運転。 1978年(昭和53年)10月2日 急行「なつどまり」が快速列車に格下げ(運行区間・併結運転はそのまま)[22]。 廃止時の停車駅:青森駅 - 浅虫駅(現・浅虫温泉駅) - 小湊駅 - 野辺地駅 - 乙供駅 - 上北町駅 - 三沢駅 - 陸奥市川駅 - 八戸駅 - 本八戸駅 - 陸奥湊駅 - 鮫駅。 ※大湊線内の停車駅は「しもきた」を参照。 1981年(昭和56年)7月 「たねさし」運行区間を盛岡駅 - 久慈駅間に延長。以降1991年(平成3年)までの夏季に運転。 1984年(昭和59年)3月31日 久慈線の三陸鉄道移管に伴い、この日限りで下り快速「久慈」が普代行きから久慈行きに短縮。 1985年(昭和60年)7月 快速「うみねこ」として盛岡駅 - 久慈駅間臨時運転。 1988年(昭和63年) 3月13日 このときのダイヤ改正により、三戸駅→久慈駅間・久慈駅→三沢駅間を運行する快速列車の名称を「久慈」から「こはく」に変更。快速「なつどまり」の鮫編成を快速「うみねこ」に変更。青森駅 - 野辺地駅間における併結運転は上り列車のみ実施。 7月 仙台駅 - 八戸駅間で「三陸パノラマ号」を運行。(八戸線内は定期列車に併結)。 1989年(平成元年)12月 盛岡駅 - 鮫駅間で臨時快速「エーデルワイス」運転。 1990年(平成2年)5月 盛岡駅 - 鮫駅間で臨時快速「はるかぜ」運転。 1991年(平成3年)4月 盛岡駅 - 鮫駅間で臨時快速「エーデルワイス」運転。 1992年(平成4年)7月 「たねさし」運行区間が一戸駅 - 久慈駅間に短縮。 1993年(平成5年) 7月 「たねさし」この年の運転をもって廃止。 12月 「こはく」運行区間を三戸駅→久慈駅間、久慈駅→八戸駅間に変更。 1994年(平成6年)12月 「こはく」運行区間を三戸駅 - 久慈駅間に固定。 1995年(平成7年)12月1日 「こはく」運行区間を八戸駅 - 久慈駅間に短縮。 1996年(平成8年)3月16日 快速「うみねこ」八戸駅 - 鮫間駅廃止。 1997年(平成9年)2月1日 快速「うみねこ」を電車化、701系での運転に。 1999年(平成11年)7月31日 夏に久慈駅 - 仙台駅間で運転されていた臨時快速「リアス・シーライナー」が八戸まで運行区間延長(以後、2010年まで毎年運転)。 2000年(平成12年)12月2日 快速「こはく」廃止(普通列車へ格下げ)。 2002年(平成14年)12月1日 快速「うみねこ」廃止。愛称はキハ48形を改造した「ジョイフルトレインうみねこ」が継承。 2004年(平成16年) 7月17日 盛岡駅 - 青森駅間(山田線・北リアス線・八戸線経由)で臨時快速「キハ58ぐるっと北リアス号」運転。 7月18日 青森駅 - 鮫駅間で「なつかしの急行なつどまり号」が復活運転。 7月19日 青森駅 - 盛岡駅間(山田線・北リアス線・八戸線経由)で臨時快速「キハ58海の日号」運転。 2007年(平成19年)9月8日 八戸駅 - 階上駅間で、びゅうコースター風っこによる臨時快速「風っこシーガル号」運転(同年9月7日から3日間の運転予定だったが、初日の運行が台風9号の影響で八戸線内での運転の見合わせに伴って運休し、2日間のみに短縮された)。 2008年(平成20年) 7月24日 臨時快速「リアス・シーライナー」がこの日未明に発生した地震のため、八戸行きが気仙沼線気仙沼駅で運転打ち切り、25日の仙台行きが運休。 9月6日・7日 八戸駅 - 階上駅間で臨時快速「風っこシーガル号」運転。 2009年(平成21年)7月25日・26日 八戸駅 - 久慈駅間で臨時快速「風っこシーガル号」運転(久慈行きは「風っこシーガル久慈」、八戸行きは「風っこシーガル八戸」として運転)。 2010年(平成22年)3月27日・28日 八戸駅 - 久慈駅間で、リゾートしらかみ橅(ブナ)編成車両による臨時快速「八戸線全通80周年記念号」運転。 2013年(平成25年)10月19日 レストラン列車「TOHOKU EMOTION(東北エモーション)」を運転開始。 2015年(平成27年)7月1日 夏季の臨時列車として大湊線の臨時快速「はまなすベイライン」を鮫駅 - 八戸駅 - 大湊駅間に延長して運行開始[31]。久々のキハ40系(元「ジョイフルトレインうみねこ」のキハ48形リクライニング車)を使用した快速列車。 駅一覧[編集] ◇:貨物取扱駅(定期貨物列車の発着なし) 定期列車は全列車、臨時駅を除く全駅に停車。 線路(全線単線) … ◇・∨・∧:列車交換可、|:列車交換不可 愛称 駅名 駅間営業キロ 累計営業キロ 接続路線 線路 所在地 うみねこレ丨ル八戸市内線 八戸駅 - 0.0 東日本旅客鉄道:■ 東北新幹線 青い森鉄道:■青い森鉄道線(直通あり) ∨ 青森県 八戸市 (八戸貨物駅) - 1.7 ◇ 長苗代駅 3.4 3.4 | 本八戸駅◇ 2.1 5.5 ◇ 小中野駅 1.8 7.3 | 陸奥湊駅 1.7 9.0 ◇ 白銀駅 1.3 10.3 | 鮫駅 1.5 11.8 ◇ 陸奥白浜駅 5.7 17.5 | 種差海岸駅 2.1 19.6 | 大久喜駅 2.2 21.8 | 金浜駅 2.5 24.3 | 大蛇駅 1.5 25.8 | 三戸郡 階上町 階上駅 1.7 27.5 ◇ 角の浜駅 2.0 29.5 | 岩手県 九戸郡 洋野町 平内駅 2.6 32.1 | 種市駅 2.1 34.2 | 玉川駅 3.9 38.1 | 宿戸駅 1.9 40.0 | 陸中八木駅 3.1 43.1 ◇ 有家駅 2.7 45.8 | 陸中中野駅 2.6 48.4 | 侍浜駅 6.0 54.4 | 久慈市 陸中夏井駅 7.3 61.7 | 久慈駅 3.2 64.9 三陸鉄道:■北リアス線 ∧ 廃止区間[編集] ( ) 内は営業キロ 貨物支線(1985年3月14日廃止) 本八戸駅 (0.0) - (貨)湊駅 (2.7) 廃止駅[編集] プレイピア白浜駅:鮫駅 - 陸奥白浜駅間、2012年3月17日廃止 過去の接続路線[編集] 尻内駅(現・八戸駅):南部鉄道 … 1968年5月17日休止、1969年4月1日廃止 脚注[編集] [ヘルプ] ^ a b c 『歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』 通巻21号 釜石線・山田線・岩泉線・北上線・八戸線 13頁 ^ 今尾恵介(監修) 『2 東北』 新潮社〈日本鉄道旅行地図帳:全線・全駅・全廃線〉、東京、2008年。ISBN 978-4-10-790020-3。 ^ 八戸線沿線の樹木伐採へ現地視察 - 東奥日報、2013年6月16日(47NEWS) ^ 他のJR旅客会社の在来線との接続がない路線は八戸線のほか、JR西日本の氷見線と城端線がある。また大湊線のように新幹線とも接続しない完全な飛び地路線としてはJR西日本の七尾線がある。 ^ 『鉄道ピクトリアル』2008年2月号 (Vol. 800)、2008年、 p. 166。 ^ 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』JTB 1998年 ^ 路線別ご利用状況(2011〜2015年度) (PDF) - 東日本旅客鉄道 ^ a b JTB時刻表 2017年3月号(JTBパブリッシング) ^ 時刻表 1975年10月号(日本交通公社) ^ a b 時刻表 1980年10月号(日本交通公社) ^ 時刻表 1990年3月号(日本交通公社) ^ 時刻表 1997年3月号(日本交通公社) ^ a b JTB時刻表 2014年5月号(JTBパブリッシング) ^ JTB時刻表 2010年7月号(JTBパブリッシング) ^ JTB時刻表 2011年7月号(JTBパブリッシング) ^ 『JTB時刻表』2011年3月号、JTBパブリッシング、pp.624-625 ^ 春の増発列車 運転計画と一部運転取り止めについて (PDF) - 東日本旅客鉄道盛岡支社プレスリリース、2011年4月22日 ^ Yahoo!Japan地図 岩手県久慈市夏井町 ^ a b 八戸線および新潟・秋田地区への車両新造計画について (PDF) - 東日本旅客鉄道、2017年7月4日 ^ 気動車調達の予定に関するお知らせ (PDF) - 東日本旅客鉄道、2014年6月20日 ^ 八戸線用気動車の公募調達の実施について (PDF) - 東日本旅客鉄道、2014年11月28日 ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at 『歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』 通巻21号 釜石線・山田線・岩泉線・北上線・八戸線 26頁 ^ 『新編八戸市史』近現代資料編2、八戸市、2008年、p. 382。 ^ 八戸線に津波避難ルート JR盛岡支社72か所設定 - 岩手日報、2012年2月12日 ^ JR八戸線、全線で運転再開 - デーリー東北、2012年3月18日 ^ キハ48形の運転台が無い側は客室入口付近 ^ 参考リンク (PDF) ^ 『鉄道省年報. 昭和10年度』(国立国会図書館デジタルコレクション) ^ 八戸線 全線運転再開日のお知らせ (PDF) - 東日本旅客鉄道盛岡支社プレスリリース、2011年12月16日 ^ 2012年3月 ダイヤ改正について (PDF) - 東日本旅客鉄道盛岡支社プレスリリース、2011年12月16日 ^ 青い森鉄道、今夏のJR直通臨時快速列車 - 「リゾートあすなろ八戸」新登場 - マイナビニュース、2015年5月25日 参考文献[編集] 曽根悟(監修) 『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』21号 釜石線・山田線・岩泉線・北上線・八戸線、朝日新聞出版分冊百科編集部(編集)、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2009年12月6日、13・24-26頁。 関連項目[編集] ウィキメディア・コモンズには、八戸線に関連するカテゴリがあります。 日本の鉄道路線一覧 [表示] 表 話 編 歴 東日本旅客鉄道 JR東日本の鉄道路線 [表示] 表 話 編 歴 JR logo (east).svg 東日本旅客鉄道盛岡支社 [表示] 表 話 編 歴 日本国有鉄道 赤字83線 カテゴリ: 東北地方の鉄道路線東日本旅客鉄道の鉄道路線日本国有鉄道の鉄道路線赤字83線日本鉄道青森県の交通岩手県の交通 花輪線 JR logo (east).svg 花輪線 花輪線で使用されているキハ110系(前:キハ112形100番台・後:キハ111形100番台) 花輪線で使用されているキハ110系 (前:キハ112形100番台・後:キハ111形100番台) 基本情報 国 日本の旗 日本 所在地 岩手県、秋田県 起点 好摩駅 終点 大館駅 駅数 27駅 開業 1914年7月1日 (1931年10月17日全通) 所有者 JR logo (east).svg 東日本旅客鉄道(JR東日本) 運営者 JR logo (east).svg 東日本旅客鉄道(JR東日本) 使用車両 使用車両を参照 路線諸元 路線距離 106.9 km 軌間 1,067 mm 線路数 単線 電化方式 全線非電化 最大勾配 33.3 ‰ 閉塞方式 特殊自動閉塞式(軌道回路検知式) 最高速度 85 km/h [折り畳む]路線図 鉄道路線図 JR花輪線.svg テンプレートを表示 [隠す]停車場・施設・接続路線 凡例 HST 盛岡 STR いわて銀河鉄道線 BHF 0.0 好摩 KRW+r いわて銀河鉄道線 BHF 4.9 東大更 exKRW+r BHF exBHF 9.0 大更 STR exSTRl 松尾鉱業鉄道 BHF 13.7 平館 BHF 15.0 北森 BHF 17.8 松尾八幡平 BHF 25.0 安比高原 BHF 30.0 赤坂田 BHF 33.6 小屋の畑 BHF 37.6 荒屋新町 BHF 40.3 横間 BHF 49.1 田山 BHF 55.8 兄畑 BHF 59.9 湯瀬温泉 BHF 64.2 八幡平 BHF 66.1 陸中大里 BHF 69.7 鹿角花輪 eHST 71.7 鏡田 (季)-1934 BHF 74.4 柴平 KBHFaq ABZr+r 77.7 十和田南 BHF 82.2 末広 BHF 84.6 土深井 BHF 86.6 沢尻 BHF 89.6 十二所 BHF 92.1 大滝温泉 eHST 97.4 南扇田 (季)1944休止 BHF 98.6 扇田 eHST 101.2 池内 (季)-1934 BHF 103.3 東大館 eHST 103.8 片山 (季)-1934 STR+l KRZo 奥羽本線 KRWg+l KRWr exKRW+l exBHF BHF 106.9 大館 exABZgl eKRZu exSTRq 同和鉱業花岡線 exSTR3 STR 小坂製錬小坂線 STR 奥羽本線 季:季節停留所 毎年4-11月営業 花輪線(はなわせん)は、岩手県盛岡市にある好摩駅から秋田県大館市にある大館駅を結ぶ、東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(地方交通線)である。「十和田八幡平四季彩ライン」(とわだはちまんたいしきさいライン)の愛称が付けられている。 目次 [非表示] 1 路線データ 2 運行形態 3 使用車両 4 歴史 4.1 国有鉄道花輪線 4.2 秋田鉄道 4.3 秋田鉄道買収・編入後 5 駅一覧 5.1 過去の接続路線 6 脚注 7 関連項目 路線データ[編集] 管轄(事業種別):東日本旅客鉄道(第一種鉄道事業者) 区間(営業キロ):好摩駅 - 大館駅 106.9 km 駅数:27(起終点駅含む) 花輪線所属駅に限定した場合、終点の大館駅(奥羽本線所属[1])が除外され、26駅となる。なお、起点の好摩駅はかつて東北本線所属[1]であったが、同線のIGRいわて銀河鉄道への移管により、JRの駅としては花輪線所属に変更された。 軌間:1067 mm 複線区間:なし(全線単線) 電化区間:なし(全線非電化) 閉塞方式:特殊自動閉塞式(軌道回路検知式) 最高速度:85 km/h 運転指令所:盛岡総合指令室 (CTC) 最急勾配:33.3 ‰(松尾八幡平 - 安比高原間) 起終点駅をのぞく全線が東日本旅客鉄道盛岡支社管轄である(好摩駅はIGRいわて銀河鉄道、大館駅は東日本旅客鉄道秋田支社管轄。ただし好摩駅は共同使用駅のため、盛岡支社管内のJR駅としても扱われる)。東北本線の一部が東北新幹線八戸延伸開業でIGRいわて銀河鉄道と青い森鉄道に転換されたため、同支社管轄の路線としてはいわば「飛地路線」となっている。 好摩駅から大更駅までは岩手県道301号渋民田頭線と、大更駅から十和田南駅までは国道282号及び東北自動車道と、十和田南駅から大館駅までは国道103号(国道104号・国道285号重複)とそれぞれ並行している。 運行形態[編集] 基本的には、大館駅 - 盛岡駅間通しの運行であり(好摩駅 - 盛岡駅間はいわて銀河鉄道線の区間だがIGRの乗務員は気動車を運転できる免許を所持していないため、JRの乗務員が通し乗務)、好摩駅での折り返し列車はない。ただし、朝夕の一部列車は荒屋新町駅・鹿角花輪駅発着の列車が設定されていて、平日の鹿角花輪発の上り列車1本は盛岡駅からさらに東北本線に直通して日詰行きで運行する(土休日は盛岡行き)[2]。かつては松尾八幡平駅で折り返す列車が午後にあったが2009年3月14日ダイヤ改正で廃止された。青春18きっぷで好摩駅から盛岡方面へ行く場合、いわて銀河鉄道線の運賃が別途必要である(好摩駅 - 盛岡駅間 650円)。 盛岡駅始発の花輪線列車は下り始発列車の盛岡発大館行きと前述の鹿角花輪発日詰行きが3番ホームから発着する以外はすべてIGRホーム(0・1番線)から発車するため、東北本線・田沢湖線・山田線から乗り換える場合はいわて銀河鉄道線利用と同様に、一度JR改札を出てIGR改札を通る必要がある。また、いわて銀河鉄道との連絡運輸の関係上、盛岡方面の各駅と花輪線各駅相互間の乗車券は通しで購入できるが、八戸方面の各駅と花輪線各駅相互間の乗車券は通しで購入することができない(ただしJR線各駅相互間の通過連絡乗車券はのぞく)。そのため花輪線から八戸方面に乗り継ぐ場合は、好摩駅で乗車券を買い直すか車内精算となる。 花輪線内の速達列車としては快速列車「八幡平」が盛岡駅 - 大館駅間に1往復設定されていたが、「八幡平」は2015年3月14日のダイヤ改正で廃止され、下りは盛岡発大館行き、上りは大館発鹿角花輪行きの普通列車に変更された[3]。 2008年3月15日より奥羽本線直通列車は廃止された(後節を参照)。1980年代前半頃までは、奥羽本線陣場駅や鷹ノ巣駅まで乗り入れる列車[4]がそれぞれあった。なお、臨時列車としては、花輪ばやしが開催される特定日に限り、快速「はなわばやし」が奥羽本線秋田駅まで運行される。 自家用車の普及や過疎化による沿線人口の減少、さらに1980年代以降は並行する東北自動車道を走る高速バスとの競争にて劣勢に追い込まれたことにより、上野駅や秋田駅に直通していた急行列車の設定もなくなり、他の列車も減便された。2015年6月20日[5]現在の運転間隔は大館駅 - 鹿角花輪駅間で1 - 2時間に1本、鹿角花輪駅 - 好摩駅間で1 - 4時間に1本程度と開いており、国鉄時代にあった交換設備が撤去された駅も多い。 使用車両[編集] キハ110系 - 盛岡車両センター所属 2008年3月15日より全列車、盛岡車両センターに所属するキハ110系列の気動車により運行されている。ワンマン運転は行われていない。 また、かつて快速「八幡平」の運用は秋田支社が受け持っていたため、秋田色の気動車が乗り入れる姿が見られた。 2007年3月18日ダイヤ改正をもって車両がキハ58・キハ52形からキハ110系列(キハE130系が投入された水郡線からの転属車両)に置き換えられ、非冷房車は姿を消した。なお、キハ58系気動車は機関1台あたりの出力が小さく、花輪線のような急勾配線区においては全車2台機関搭載車とせざるを得なかったという事情もあり、最後まで冷房装置の取り付けは行われなかった。また、鹿角花輪駅 - 秋田駅間の奥羽本線直通列車1往復(大館 - 秋田間快速、かつての急行「よねしろ」)は、秋田車両センター所属のキハ58系(こちらは冷房付であった)により運行されていたが、2008年3月15日のダイヤ改正で運転系統が大館駅で分断され、キハ110系列に置き換えられた(奥羽本線大館駅 - 秋田駅間は701系電車に置き換え)。 キハ110系快速八幡平 キハ58系アコモ改善車 (元急行「よねしろ」用) 歴史[編集] 花輪線の建設は、鹿角花輪(旧・陸中花輪)を境に2つに分かれる。先に開業したのは大館側で、こちらは私鉄の秋田鉄道(あきたてつどう)として1914年から1923年にかけて陸中花輪までが全通した。このうち、毛馬内(十和田南) - 陸中花輪間は、改正鉄道敷設法別表第5号に規定する予定線「青森県三戸ヨリ秋田県毛馬内ヲ経テ花輪ニ至ル鉄道」の一部である。 一方、好摩側は国が軽便鉄道法により計画した区間で、花輪線として1922年から順次開業し、1931年に陸中花輪まで延伸され、秋田鉄道に接続した。1934年には、秋田鉄道が買収・国有化のうえ花輪線に編入され、名実ともに東北横断ルートとして完成した。 国有鉄道花輪線[編集] 1922年(大正11年)8月27日 好摩 - 平館間を新規開業、大更・平館の両駅を新設 1926年(大正15年)11月10日 平館 - 赤坂田間を延伸開業、岩手松尾駅・赤坂田駅・龍ヶ森信号場を新設 1927年(昭和2年)10月30日 赤坂田 - 荒屋新町間を延伸開業、荒屋新町駅を新設 1929年(昭和4年)10月25日 荒屋新町 - 田山間を延伸開業、田山駅を新設 1931年(昭和6年)10月17日 田山 - 陸中花輪間を延伸開業、兄畑・湯瀬・小豆沢の各駅を新設(陸中花輪は秋田鉄道の駅として既設) 秋田鉄道[編集] 1912年(大正元年)8月30日 鉄道免許状下付(北秋田郡大館町-鹿角郡尾去沢村間)[6] 1914年(大正3年)7月1日 大館 - 扇田間を新規開業、片山停留場・東大館駅・池内停留場・扇田駅を新設[7] 1915年(大正4年) 1月19日 扇田 - 大滝温泉間を延伸開業、南扇田停留場・大滝温泉駅を新設[8] 12月25日 大滝温泉 - (貨)毛馬内間を延伸開業、十二所・尾去沢・毛馬内(初代)の各貨物駅を新設[9] 1916年(大正5年)1月5日 大滝温泉 - 毛馬内間の旅客営業を開始、十二所・尾去沢・毛馬内の各貨物駅を一般駅に変更[10] 1917年(大正6年)4月27日 鉄道免許状下付(鹿角郡錦木村-同郡小坂町間)[11] 1920年(大正9年) 5月1日 毛馬内駅を末広駅に改称[12] 7月4日 末広 - 毛馬内(2代)間を延伸開業、毛馬内駅(2代)を新設[13] 8月13日 鉄道免許状下付(鹿角郡錦木村-同郡大湯村間)[14] 1922年(大正11年)8月1日 鉄道免許失効(1920年8月13日免許鹿角郡錦木村-同郡大湯村間 指定ノ期限内ニ工事施工認可申請ヲ為ササルタメ)[15] 1923年(大正12年)11月10日 毛馬内 - 陸中花輪間を延伸開業、柴平駅を新設[16] 1926年(大正15年)4月13日 起業廃止(1917年4月27日免許鹿角郡錦木村-同郡小坂町間)[17] 1928年(昭和3年)7月11日 沢尻停留場を新設 1929年(昭和4年) 4月5日 片山・鏡田の両停留場を新設 12月4日 片山・池内・南扇田・沢尻・鏡田の各停留場を季節停留場に変更 1930年(昭和5年)12月8日 鉄道免許状下付(鹿角郡錦木村-同郡大湯町間)[18] 1934年(昭和9年)6月15日 鉄道免許失効(1930年12月8日免許 鹿角郡錦木村-同郡大湯町間 指定ノ期限マテニ工事著手セサルタメ)[19] 秋田鉄道買収・編入後[編集] 詳細な急行・準急・快速列車の沿革については「八幡平 (列車)」を参照 1934年(昭和9年) 6月1日 秋田鉄道を買収・国有化し花輪線に編入[20]。沢尻・南扇田の両季節停留場を駅に変更、鏡田・池内・片山の各季節停留場を廃止。機関車5両、ガソリンカー6両、客車16両、貨車23両を引き継ぐ[21]。 8月1日 陸中花輪-湯瀬間ガソリンカー運転開始[22](旧秋田鉄道線はガソリンカー導入済)。 1942年(昭和17年)4月1日 尾去沢駅を土深井駅に改称 1944年(昭和19年)11月11日 南扇田駅を休止 1957年(昭和32年) 4月1日 小豆沢駅を八幡平駅に改称 6月1日 毛馬内駅を十和田南駅に改称 1960年(昭和35年)12月1日 東大更・小屋の畑・陸中大里の各駅を新設 1961年(昭和36年) 4月20日 北森駅を新設 12月28日 龍ヶ森信号場を駅に変更 1962年(昭和37年)2月20日 盛岡 - 秋田間に準急「よねしろ」運転開始(1963年に1往復増発し2往復に)[23] 1965年(昭和40年)10月1日 上野 - 大鰐間に急行「みちのく」(下り1号・上り2号)、仙台 - 弘前間(釜石・宮古経由)に準急「さんりく」運転開始[23] 1966年(昭和41年) 3月5日 準急「よねしろ」「さんりく」を急行に格上げ[23] 10月1日 急行「よねしろ」2往復のうち1往復と「さんりく」を廃止し仙台 - 秋田間(釜石・宮古経由)に急行「陸中」運転開始[23]。「みちのく」下り1号・上り2号の大鰐編成を弘前発着に変更[23] 11月1日 横間駅を新設 1968年(昭和43年)10月1日 急行「よねしろ」を「はちまんたい」に改称[23] 1970年(昭和45年)10月1日 急行「みちのく」廃止、仙台 - 秋田間に急行「よねしろ」運転開始[23] 1971年(昭和46年)9月30日 蒸気機関車8620形の運行終了にともない無煙化 1972年(昭和47年)3月15日 急行「陸中」の宮古-盛岡間・急行「はちまんたい」を「よねしろ」に統合し、急行「よねしろ」は宮古・盛岡 - 秋田間の運転となる 1982年(昭和57年)11月15日 急行「よねしろ」の運転区間を盛岡 - 大館・弘前間に変更[23] 1984年(昭和59年)2月1日 全線の貨物営業を廃止 1985年(昭和60年)3月14日 急行「よねしろ」を格下げして快速「八幡平」運転開始[23] 1986年(昭和61年)11月1日 秋田 - 陸中花輪間に急行「よねしろ」運転開始[23] 1987年(昭和62年)4月1日 国鉄分割民営化にともない東日本旅客鉄道が承継 1988年(昭和63年)3月13日 岩手松尾駅を松尾八幡平駅に、龍ヶ森駅を安比高原駅に改称 1995年(平成7年)12月1日 湯瀬駅を湯瀬温泉駅に、陸中花輪駅を鹿角花輪駅に改称 1998年(平成10年)12月 好摩 - 大更間特殊自動閉塞化 1999年(平成11年) 7月 大更 - 荒屋新町間特殊自動閉塞化 12月4日 荒屋新町 - 大館間特殊自動閉塞化、全線CTC化 2002年(平成14年)12月1日 東北本線盛岡 - 目時間がIGRいわて銀河鉄道に移管され、東北本線との直通運転からいわて銀河鉄道線への直通運転に変更。急行「よねしろ」廃止。 2007年(平成19年) 9月17日 大雨によって岩手県内の川沿いの線路の土砂が崩れた影響で、松尾八幡平 - 鹿角花輪間が不通に。20日からバス代行輸送開始 9月28日 松尾八幡平 - 荒屋新町間が復旧 10月6日 荒屋新町 - 鹿角花輪間復旧、バス代行輸送終了 2009年(平成21年)3月14日 松尾八幡平 - 盛岡間区間運転列車すべて廃止 2011年(平成23年) 3月11日 東北地方太平洋沖地震発生により全区間不通に 3月18日 好摩 - 松尾八幡平間が復旧 3月19日 松尾八幡平 - 大館間が復旧 4月7日 東北地方太平洋沖地震の余震発生により全区間で再び不通 4月11日 全線復旧 2013年(平成25年) 8月9日 秋田・岩手集中豪雨の影響で、柴平 - 十和田南で線路の盛土が崩れたため、全線不通に 8月13日 好摩 - 鹿角花輪間が復旧 9月4日 鹿角花輪 - 大館間が復旧 2015年(平成27年)3月14日 北森駅を好摩側へ0.6km移転[24]。快速「八幡平」が廃止[3]。 駅一覧[編集] 線路 … ∥:複線区間、∨:これより下は単線、◇:列車交換可能駅、◆:スイッチバック駅(列車交換可能)、|:列車交換不可 運営 会社 路線名 駅名 駅間 営業 キロ 好摩 からの 営業 キロ 接続路線 線路 所在地 I G R い わ て 銀 河 鉄 道 い わ て 銀 河 鉄 道 線 盛岡駅 - 21.3 東日本旅客鉄道:■ 東北新幹線・秋田新幹線・北海道新幹線・■東北本線・■田沢湖線・■山田線 ∥ 岩手県 盛岡市 青山駅 3.2 18.1 ∥ 厨川駅 2.4 15.7 ∥ 巣子駅 4.6 11.1 ∥ 滝沢市 滝沢駅 2.0 9.1 ∥ 渋民駅 4.4 4.7 ∥ 盛岡市 好摩駅 4.7 0.0 IGRいわて銀河鉄道:■いわて銀河鉄道線(二戸、目時方面) ∨ 東 日 本 旅 客 鉄 道 花 輪 線 東大更駅 4.9 4.9 | 八幡平市 大更駅 4.1 9.0 ◇ 平館駅 4.7 13.7 | 北森駅 1.3 15.0 | 松尾八幡平駅 2.8 17.8 ◇ 安比高原駅 7.2 25.0 | 赤坂田駅 5.0 30.0 | 小屋の畑駅 3.6 33.6 | 荒屋新町駅 4.0 37.6 ◇ 横間駅 2.7 40.3 | 田山駅 8.8 49.1 | 兄畑駅 6.7 55.8 | 湯瀬温泉駅 4.1 59.9 | 秋田県 鹿角市 八幡平駅 4.3 64.2 | 陸中大里駅 1.9 66.1 | 鹿角花輪駅 3.6 69.7 ◇ 柴平駅 4.7 74.4 | 十和田南駅 3.3 77.7 ◆ 末広駅 4.5 82.2 | 土深井駅 2.4 84.6 | 沢尻駅 2.0 86.6 | 大館市 十二所駅 3.0 89.6 | 大滝温泉駅 2.5 92.1 ◇ 扇田駅 6.5 98.6 | 東大館駅 4.7 103.3 | 大館駅 3.6 106.9 東日本旅客鉄道:■奥羽本線 | 過去の接続路線[編集] 大更駅:松尾鉱業鉄道 - 1972年10月10日廃止 大館駅: 同和鉱業花岡線 - 1985年4月1日廃止 小坂製錬小坂線 - 1994年10月1日旅客営業廃止、2008年4月1日休止、2009年4月1日廃止 脚注[編集] [ヘルプ] ^ a b 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』JTB 1998年 ^ 日詰行きの列車は他に、毎年8月19・20日に開催される「花輪ばやし」終了後に運転される鹿角花輪発日詰行き上り臨時快速「花輪ばやし号」がある(下りは盛岡発鹿角花輪行き)。 ^ a b 2015年3月ダイヤ改正 (PDF) - JR東日本盛岡支社、2014年12月19日 ^ その名残で2016年3月まで、朝に奥羽本線大館駅 - 鷹ノ巣駅間でディーゼル車による区間普通列車が運行されていた。 ^ 交通新聞社『JR時刻表』2015年7月号 ^ 「軽便鉄道免許状下付」『官報』1912年9月3日(国立国会図書館デジタルコレクション) ^ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1914年7月3日(国立国会図書館デジタルコレクション) ^ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1915年1月22日(国立国会図書館デジタルコレクション) ^ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1916年1月13日(国立国会図書館デジタルコレクション) ^ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1916年1月13日(国立国会図書館デジタルコレクション) ^ 「鉄道免許状下付」『官報』1920年4月28日(国立国会図書館デジタルコレクション) ^ 「地方鉄道停車場名改称」『官報』1920年3月26日(国立国会図書館デジタルコレクション) ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1920年7月8日(国立国会図書館デジタルコレクション) ^ 「鉄道免許状下付」『官報』1920年8月16日(国立国会図書館デジタルコレクション) ^ 「鉄道免許失効」『官報』1922年8月1日(国立国会図書館デジタルコレクション) ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1923年11月17日(国立国会図書館デジタルコレクション) ^ 「鉄道起業廃止許可」『官報』1926年4月15日(国立国会図書館デジタルコレクション) ^ 「鉄道免許状下付」『官報』1930年12月11日(国立国会図書館デジタルコレクション) ^ 「鉄道免許失効」『官報』1934年6月15日(国立国会図書館デジタルコレクション) ^ 「鉄道省告示第207号・第208号」『官報』1934年5月23日(国立国会図書館デジタルコレクション) ^ 『鉄道統計資料. 昭和9年度』(国立国会図書館デジタルコレクション) ^ 『鉄道省年報. 昭和10年度』(国立国会図書館デジタルコレクション) ^ a b c d e f g h i j 今尾恵介・原武史監修『日本鉄道旅行歴史地図帳』2号 東北、新潮社、2010年、pp.33-48 ^ 『JTB時刻表』2014年4月号p.625、2015年3月号p.627 関連項目[編集] ウィキメディア・コモンズには、花輪線に関連するカテゴリがあります。 日本の鉄道路線一覧 [表示] 表 話 編 歴 東日本旅客鉄道 JR東日本の鉄道路線 [表示] 表 話 編 歴 JR logo (east).svg 東日本旅客鉄道盛岡支社 カテゴリ: 東北地方の鉄道路線東日本旅客鉄道の鉄道路線日本国有鉄道の鉄道路線秋田鉄道岩手県の交通秋田県の交通
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