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星脇 囲碁 - 検索
日本囲碁連盟 囲碁用語 より
星脇(ほしわき)
辺の星の横。
右図のb点。c点を星脇とする説もある。
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囲碁は、陣地を囲むゲームです。
RPGゲームやアクションゲームとは異なる思考で次の一手を考える、面白いゲームです。
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Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0)
碁
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ゲーム
Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0)
大阪市営地下鉄今里筋線
大阪市営地下鉄 今里筋線
シンボルマーク
今里筋線で使用される80系車両
今里筋線で使用される80系車両
基本情報
国 日本の旗 日本
所在地 大阪府の旗 大阪府大阪市
種類 地下鉄
路線網 大阪市営地下鉄 大阪市営地下鉄
起点 井高野駅
終点 今里駅
駅数 11駅
1日利用者数 平均 64,385(2014年)
路線記号 I I
路線番号 8号線
路線色 柑子色(ゴールデンオレンジ)
開業 2006年12月24日
所有者 大阪市交通局(軌道経営者)
運営者 大阪市交通局
車両基地 鶴見緑地北車庫
使用車両 車両の節を参照
路線諸元
路線距離 11.9 km
軌間 1,435 mm (標準軌)
線路数 複線
電化方式 直流1,500 V 架空電車線方式
車上一次鉄輪式リニアモーター方式
閉塞方式 車内信号閉塞式
保安装置 CS-ATC、TASC
最高速度 70 km/h
[折り畳む]路線図
今里筋線 Subway Imazatosuji Line.jpg
テンプレートを表示
[表示]停車場・施設・接続路線
今里筋線仕様の改札(今里駅)
今里筋線仕様の改札(今里駅)
可動式ホーム柵(今里駅)
可動式ホーム柵(今里駅)
エレベーター(井高野駅)
エレベーター(井高野駅)
開業初日の装飾
開業初日の装飾
今里筋線(いまざとすじせん)は、大阪府大阪市東淀川区の井高野駅から東成区の今里駅までを結ぶ大阪市営地下鉄の路線。正式名称は高速電気軌道第8号線、大阪市交通局では大阪市高速鉄道第8号線と称し『鉄道要覧』では8号線(今里筋線)と記載されている。駅番号を表す際に用いられる路線記号は「I」。2006年(平成18年)12月24日に開業した。
ラインカラーは暖さをイメージした柑子色(ゴールデンオレンジ、マンセル記号5YR6.5/14 I )である[1]。
目次 [非表示]
1 概要
1.1 路線データ
2 運行形態
3 車両
4 利用状況
5 歴史
6 建設
7 延伸区間の工事着工問題
8 未完の構想・答申・計画路線
9 駅一覧
10 輸送実績
11 駅別乗降人員
12 脚注
13 関連項目
14 外部リンク
概要[編集]
長堀鶴見緑地線と同じく、標準軌ながら従来の車両より2割ほど断面積の小さい鉄輪式リニアモーターミニ地下鉄を採用し、ワンマン運転を実施している。
国道479号(大阪内環状線)・国道163号・国道1号(京阪国道)・今里筋(市道大阪環状線(都市計画道路森小路大和川線))の地下を走り、大阪市東部を南北に縦断して、放射状に延びる地下鉄路線や京阪本線・片町線(学研都市線)などと連絡する。
淀川を地下トンネルでくぐる鉄道路線としてはJR東西線に次ぐ路線である(大阪市営地下鉄としては初)。大阪環状線の内側を通らない初の地下鉄路線であり、大阪市営地下鉄の路線で御堂筋線との直接の乗換駅が一切ない唯一の地下鉄路線でもある。この他にも四つ橋線、堺筋線とも直接乗り換えができない。大阪市内完結路線ではなく、途中の太子橋今市駅付近では守口市も通る。沿線は住宅地が多い。
建設費を圧縮するため、設計が極力共通化されている。駅のホームのデザインも共通化されている部分が多く、長堀鶴見緑地線が各駅ごとに異なる装飾を施しているのとは対照的である。
駅ホームには大阪市営地下鉄で初となる可動式ホーム柵(車両扉と連動、高さ約 1.3 m)が設置されている。ホームの乗降部分は 1 mm 単位で上下前後に調整できる仕組みとなっており、ホームと車両の隙間は他の駅と比べて極めて小さくなっている。今里筋線のホームドアの線路側についているラインカラーは他線と違い全6色になっていて、今里筋線の色は入っていない。
駅構内にはオストメイト対応トイレを男女それぞれ1箇所ずつ設置しており、急患患者の搬送にも対応した大型エレベーターも太子橋今市駅を除き2か所設置している。
今里筋線単独駅の改札、あるいは既存駅で今里筋線に関して新設された改札には、上部に現時刻・発車時刻・列車接近を案内するモニターが備えられている。ホームにも同様のものがあるが、発車時刻は表示されない。
多くの駅で駅構内と一体となった地下駐輪場が併設されている。また、今里筋線単独駅あるいは既存駅で今里筋線開通に関して新設された駅出入口は、遠くからでも目立つように、オレンジ色のゲートを設置しているものが多い。
今後、今里筋の地下を今里駅から湯里六丁目まで延伸することが計画されている(詳細は後述)。
路線データ[編集]
路線距離(実キロ):11.9 km
軌間:1435 mm
駅数:11駅(起終点駅含む)
複線区間:全線
電化区間:全線(直流 1500 V・架空電車線方式)
閉塞方式:車内信号式 (CS-ATC, TASC)
最高速度:70 km/h
編成両数:4両(2006年 - )
ホーム最大編成両数:6両
混雑率(今里方面行き):69.8%(2012年度:鴫野駅→緑橋駅間)[2]
混雑率(井高野方面行き):55.9%(2012年度:鴫野駅→蒲生四丁目駅間)[2]
運行形態[編集]
ほとんどの列車が井高野駅 - 今里駅間の通しで運転され、朝夕時のみ井高野駅 - 清水駅間の区間列車が設定されている。2013年3月23日改正時点の運転本数は、全線通しの列車が平日はラッシュ時が1時間に11 - 15本、日中が1時間に6本(10分間隔)、土曜・休日は朝夕時が9 - 10本、昼間時が6本(10分間隔)。このほかにも、最終列車として今里発清水行きが毎日1本運転されている。
清水駅 - 新森古市駅間から鶴見緑地(花博記念公園)へも掘削を行い、車両基地(鶴見緑地北車庫)を建設した。およそ1km 先に長堀鶴見緑地線の鶴見緑地駅があるため、この間を接続して同線の工場(鶴見検車場)を共用している。専用の車両工場を持たない他の大阪市営地下鉄の路線としては、千日前線の車両を中央線の森之宮検車場に配置している例がある。
車両[編集]
80系(2006年 - )
利用状況[編集]
2014年度決算における経常収支は約46億円の赤字、営業収支は約53億円の赤字、営業係数は269.6である。経常損失では長堀鶴見緑地線(約47億円)に次いで2番目に大きい赤字であり、営業係数は大阪市営地下鉄全線で唯一200を越えている。
また、2014年度の一日平均輸送人員は64,385人である。輸送人員は開業以降一貫して増加傾向にあるが、大阪市営地下鉄全線で最も輸送人員が少なく、2番目に少ない長堀鶴見緑地線(161,093人)の半分にも満たない。
2007年3月1日に今里筋線の1日あたりの利用者数(乗り換え人員を含めた全駅調査)が予想(約12万人)の3分の1以下(約37,000人)であることが判明し、その後同年6月15日には4月末に行った調査で、他の地下鉄路線と接続していない7駅の利用者数が、1日平均約45,000人であることが判明した。
既設線との関係により、より深いところに敷設したために乗り換え駅での導線が長くなっている。当初、大阪経済大学関係者の利用(最寄り駅・瑞光四丁目駅)が見込まれていたものの、梅田方面へは太子橋今市駅で谷町線に乗り換える必要があり、梅田まで直接行くことのできる阪急京都本線上新庄駅の利用客を切り崩すことができず、利用者数は伸び悩んでいる。運賃についても、上新庄駅から梅田駅までが190円であるのに対し、瑞光四丁目駅から東梅田駅までは280円と阪急を利用する方が安い。
年度 収支状況[3] 一日平均
輸送人員:人 特記事項
経常収支:百万円 営業収支:百万円
収益 費用 収支差引 収益 費用 収支差引 営業係数
2006年(平成18年) 826 3,763 △ 2,937
2007年(平成19年) 3,377 14,163 △ 10,786 2,222 11,404 △ 9,182 513.3 44,273
2008年(平成20年) 3,679 13,443 △ 9,764 2,495 10,724 △ 8,229 429.7 49,437
2009年(平成21年) 3,894 12,742 △ 8,848 2,738 10,037 △ 7,299 366.5 54,439
2010年(平成22年) 4,021 12,219 △ 8,198 2,849 9,498 △ 6,649 333.4 56,806
2011年(平成23年) 3,758 11,961 △ 8,203 2,903 9,302 △ 6,399 320.4 58,535
2012年(平成24年) 4,073 10,776 △ 6,703 3,010 8,280 △ 5,270 275.1 60,724
2013年(平成25年) 4,174 10,115 △ 5,941 3,162 7,737 △ 4,575 244.6 62,321
2014年(平成26年) 6,189 10,788 △ 4,599 3,154 8,503 △ 5,349 269.6 64,385
2015年(平成27年) 6,111 10,361 △ 4,250 3,219 8,226 △ 5,007 255.6 65,000
2016年(平成28年) 5,920 9,993 △ 4,073 3,289 7,999 △ 4,710 243.3
歴史[編集]
地下鉄今里筋線が通る今里筋には、1957年からトロリーバスが運行され、大阪市電と連携して大阪市内東部と都心部を結ぶ役割を担っていた。しかしモータリゼーションの進展で自動車交通量が増加したためトロリーバスは1969年には廃止に追い込まれ、代わって市バスがその役割を継承したが、渋滞に悩まされないとして、また放射鉄道路線を補完する鉄道路線として、新たな地下鉄の建設が計画された。
1989年の運輸政策審議会第10号答申で、今後路線整備を検討すべき路線として上新庄 - 湯里六丁目間が示された[4]。その後、上新庄までの経路となる国道479号(大阪内環状線)と東海道新幹線との交点(大隅1交差点)で地下構造物につかえることが判明したため[要出典]、起点を1996年に当時東淀川区内でも住宅開発が進み人口が急増していた井高野に変更、1999年に井高野 - 今里間の軌道事業特許を受けて翌2000年3月に着工され、2006年12月24日正午に開業した。残る今里 - 湯里六丁目間は後述する経緯から事実上凍結となっており未着手である。
2006年(平成18年)
7月6日:愛称・駅名が正式決定[5][7]。
12月24日:井高野駅 - 今里駅間 (11.9 km) が開業。
2013年(平成25年)3月23日:ダイヤ改正を実施[8]。平日ダイヤの午前8時台の運転間隔を4分間隔から4分 - 5分間隔に変更。日中の運転間隔を8分間隔から10分間隔に変更。これまでの終電後に井高野発今里行きが1本、清水行きが2本増発され、井高野発の終電が今里まで約10分延長され井高野23:50発、清水まで約30分延長され井高野0:10発となる。今里発清水行きの列車が新設され、清水までの終電が約10分延長され今里0:10発となる。
※上記のキロ数は実キロ
建設[編集]
建設区間には非常に難所も多く、なかなか工事が捗らなかった。既設の路線や地下埋設物を避けるためほぼ全線に渡り地下 10 m 以上の深度で走り、特に寝屋川や第二寝屋川の真下では地下 30 m 以上の大深度を走る(第二寝屋川の下を潜る鴫野駅 - 緑橋駅では大阪市営地下鉄で最も深い地下 37 m 地点がある)。そのため、既存路線と比較して急勾配区間が多いのも特徴である。
今里筋線が走る区間の地層は、水分が多く軟らかい「超軟弱粘土層」であり、ブルドーザーの身動きがとれなくなることも多かった。地盤を安定させるため、吸水効果のある円柱型の石灰のくいを多数打ち込んだものの、その効果はあまりなかった。
道幅の狭い道路の下も走る。特に道路幅員が 8 m しかない瑞光四丁目駅 - だいどう豊里駅間では、大阪市営地下鉄ではほとんど前例のない、トンネルを上下に掘り進める工法を採用した。清水駅 - 新森古市駅 - 関目成育駅間には急カーブが存在し、特に清水駅 - 新森古市駅間の緑1交差点地下には日本の地下鉄の本線上(車庫や連絡線等を除く)で最も急なカーブ(曲線半径 83 m)がある。この区間では時速 30 km/h 程度に減速して走行する。
これらの影響もあり、ミニ地下鉄の採用で工事全体のコストを 2/3 近くまで圧縮したとはいえ、建設費は約2,718億円(井高野駅 - 今里駅)にも上った。
延伸区間の工事着工問題[編集]
2006年に開業した井高野駅から今里駅までの区間で事業費が2,718億円かかっており、今里駅から湯里六丁目駅までの延伸を行うと、さらに調査費用や工事建設など1,320億円程度の費用がかかってしまうことから、大阪市の財政負担をさらに増やすことになるため、大阪市長(当時)の關淳一は2005年11月に実施された市長選挙での公約でこの延伸区間の工事着工を見直すことを掲げていた。
同年11月28日、再選された關は今里駅から湯里六丁目駅(東住吉区)の延伸区間について、大阪市の財政面の問題から当初予定していた2006年度中の着工・2016年度の開業の予定を凍結することを決め、少なくとも1年間以上かけて延伸を実施するか否かを判断するとした。これに伴い、この区間の鉄道事業許可申請も当面延期する。2006年に開業した北半分が採算ベースに乗るような利用状況になれば、南半分の延伸の実施も現実味を帯びて来る可能性があるが、同じく平成になって開業した新路線で、市内中心部を通る長堀鶴見緑地線が全通して10年近く経つ2007年時点でも、厳しい利用状況(2005年度一日平均輸送人員:約88,000人)となっているため、市内中心部を通らない今里筋線の採算性はきわめて低いとされている。さらに、大阪市はそれまでの交通局を公設民営化する方針から急遽転換して『株式上場も視野に入れた完全民営化』する方針を打ち出したため、これが実現した際には、延伸はほぼ実現不可能となる公算がきわめて大きかった。ところが2007年11月に市長に就任した平松邦夫がこれを見直し、当面現行の地方公営企業のままとした。
今里筋線は今里駅から南側への延伸のほかに、井高野駅からの延伸についても、阪急京都本線正雀およびJR京都線岸辺まで北伸させるといった提案がなされている。しかし、南側延伸同様の理由のほかに、大阪市を越境してしまうことから、こちらも実現は難しいものと見られている。
未完の構想・答申・計画路線[編集]
区間は構想・答申・計画が出された時点において未完のものを示す。
鉄道網整備調査委員会(大阪府・大阪市の合同構想)(1982年2月)
路線名:森小路大和川線
区間:太子橋今市 - 緑橋 - 湯里六丁目
キロ程:15 km
運輸政策審議会答申10号(1989年5月31日)[4]
区間:上新庄 - 太子橋今市 - 湯里六丁目
答申内容:今後路線整備について検討すべき区間。
※前述した通り、建設にあたり起点は井高野に変更されている。
近畿地方交通審議会答申8号(2004年10月8日)
区間:今里 - 湯里六丁目
キロ程:6.7 km
答申内容:中期的に望まれる鉄道ネットワークを構成する新たな路線。
吹田市東部拠点のまちづくり計画(2009年)
区間:井高野 - 正雀および岸辺
キロ程:1.8 km
〜緑と水につつまれた健康・教育創生拠点
大阪維新の会「北特別区マニフェスト」(中間試案)(2014年8月7日)
区間:井高野 - 正雀および岸辺
キロ程:1.8 km
都心に相応しい“交通ネットワーク”
駅一覧[編集]
全駅大阪府大阪市に所在[* 1]。
駅番号 駅名 駅間
キロ 営業
キロ 接続路線 所在地
I11 井高野駅 - 0.0 東淀川区
I12 瑞光四丁目駅
0.9 0.9
I13 だいどう豊里駅 1.0 1.9
I14 太子橋今市駅 1.8 3.7 大阪市営地下鉄:T 谷町線 (T13) 旭区[* 1]
I15 清水駅 1.2 4.9
I16 新森古市駅 0.9 5.8
I17 関目成育駅[* 2] 1.3 7.1 京阪電気鉄道:KH 京阪本線 … 関目駅 (KH06) 城東区
I18 蒲生四丁目駅 1.4 8.5 大阪市営地下鉄:N 長堀鶴見緑地線 (N23)
I19 鴫野駅 0.9 9.4 西日本旅客鉄道:H 片町線(学研都市線)
I20 緑橋駅 1.2 10.6 大阪市営地下鉄:C 中央線 (C20) 東成区
I21 今里駅 1.3 11.9 大阪市営地下鉄:S 千日前線 (S20)
^ a b 太子橋今市駅の所在地は大阪市旭区とされているが、駅施設の大部分(今里筋線部分については全体)が隣接する守口市内に設けられている。
^ 関目成育駅は国道1号地下の京阪本線(関目駅付近)と交差する位置にあり、地下埋設物がある関係で、上下線のホームが地下2階と地下4階に分離して配置される。同駅が「関目成育」駅の名称となったのは谷町線に関目高殿駅があり、混同を避けるためである。
輸送実績[編集]
調査年月日 乗車人員(人) 降車人員(人)
定期利用 定期外利用 合計 定期利用 定期外利用 合計
2007年11月13日 6,666 9,963 16,629 6,575 9,690 16,265
駅別乗降人員[編集]
[表示]2007年11月13日調査結果
[表示]2008年11月11日調査結果
^ a b 谷町線を含む
^ a b 長堀鶴見緑地線を含む
^ a b 中央線を含む
^ a b 千日前線を含む
脚注[編集]
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^ “地下鉄第8号線の路線カラー及び車両のデザイン決定”. 大阪市交通局 (2004年11月10日). 2005年4月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年5月10日閲覧。
^ a b 平成24年度 地下鉄・ニュートラム 交通調査の結果について (PDF) - p.11、大阪市交通局、2014年4月5日閲覧。
^ 地下鉄 路線別収支 - 大阪市交通局
^ a b 平成元年5月31日運輸政策審議会答申第10号 大阪圏における高速鉄道を中心とする交通網の整備に関する基本計画について(抄) (PDF) - 国土交通省
^ “地下鉄第8号線の路線愛称及び駅名が決定しました” (PDF) (プレスリリース), 大阪市交通局, (2006年7月6日), オリジナルの2006年7月20日時点によるアーカイブ。 2016年12月27日閲覧。
^ “大阪市の地下鉄新線整備計画”. 大阪市交通局. 2005年12月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年12月27日閲覧。
^ 愛称が正式決定する前の仮称は「森小路大和川線」[6]
^ 【報道発表資料】市営地下鉄・ニュートラムの終発時間を延長します 〜3月23日からダイヤ改正を行います〜 - 大阪市、2013年2月7日。
関連項目[編集]
日本の鉄道路線一覧
緑橋
外部リンク[編集]
ウィキメディア・コモンズには、大阪市営地下鉄今里筋線に関連するメディアがあります。
大阪市の地下鉄新線整備計画
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表 話 編 歴
大阪市営地下鉄・ニュートラムの路線
カテゴリ: 近畿地方の鉄道路線大阪市交通局の鉄軌道事業大阪府の交通
加古川線
JR logo (west).svg 加古川線
厄神駅 - 市場駅間の加古川橋梁を渡る列車
厄神駅 - 市場駅間の加古川橋梁を渡る列車
基本情報
国 日本の旗 日本
所在地 兵庫県
起点 加古川駅
終点 谷川駅
駅数 21駅
路線記号 I
開業 1913年4月1日(初開業)
1924年12月27日(全通)
所有者 JR logo (west).svg西日本旅客鉄道
運営者 JR logo (west).svg西日本旅客鉄道
使用車両 103系、125系
路線諸元
路線距離 48.5 km
軌間 1,067 mm
線路数 単線
電化方式 直流1,500 V 架空電車線方式
最高速度 85 km/h
テンプレートを表示
加古川線(かこがわせん)は、兵庫県加古川市の加古川駅から丹波市山南町の谷川駅に至る西日本旅客鉄道(JR西日本)の鉄道路線(地方交通線)である。
目次 [非表示]
1 概要
1.1 路線データ
2 運行形態
3 阪神・淡路大震災の迂回路として
4 使用車両
4.1 横尾忠則のラッピング列車
4.2 過去の車両
4.3 全国公募によるイラスト列車
5 歴史
5.1 年表
5.1.1 播州鉄道・播丹鉄道
5.1.2 国有化後
5.1.3 西日本旅客鉄道
6 駅一覧
6.1 廃駅
6.2 過去の接続路線
7 脚注
8 参考文献
9 関連項目
10 外部リンク
概要[編集]
[表示]停車場・施設・接続路線
兵庫県の中央部を流れる加古川に沿って山陽本線と福知山線を結んでいるが、パークアンドライドの普及とともに、神戸市や大阪市への通勤輸送が増加する一方、地域輸送も担っており、朝夕は特に混雑が激しい。時折、積み残しが発生する。
1995年に発生した阪神・淡路大震災の際には、東海道・山陽本線(JR神戸線)の迂回路の役割を果たした。しかし単線・非電化であったことから迂回路としての機能強化を求める声が起き、2004年12月19日には全線が直流電化された。2013年4月1日には加古川駅 - 厄神駅間、同年8月10日には厄神駅 - 西脇市駅間が開業100年を迎えた。
全線が旅客営業規則の定める「大阪近郊区間」に含まれている。
路線記号は I [1]。ラインカラーは青緑(■)で、車体色や駅名標でも使用されているが、これは神戸支社が管轄していたときの独自のものであった。2015年3月14日の路線記号導入にあわせて、ラインカラーの拡充が行われた[2]。
加古川駅 - 久下村駅間は近畿統括本部、谷川駅付近は福知山支社が管轄している。
2016年3月26日から、ICカード「ICOCA」が加古川駅 - 西脇市駅間で使用可能になった[3]。
社町駅付近
国道175号の高架下を通過する本線路
路線データ[編集]
管轄(事業種別):西日本旅客鉄道(第一種鉄道事業者)
路線距離(営業キロ):48.5km
軌間:1067mm
駅数:21(起終点駅含む)
加古川線所属駅に限定した場合、山陽本線所属の加古川駅と福知山線所属の谷川駅が除外され[4]、19駅となる[5]。
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:全線(直流1500V)
閉塞方式:自動閉塞式(特殊)
運転指令所:大阪総合指令所加古川指令所
最高速度:85km/h
平均通過人員
2013年度[6]
加古川駅 - 谷川駅間(全区間)2,701人/日
加古川駅 - 厄神駅間 7,520人/日
厄神駅 - 谷川駅間 1,834人/日
2015年度[7]
加古川駅 - 谷川駅間(全区間)2,726人/日
加古川駅 - 厄神駅間 7,401人/日
厄神駅 - 谷川駅間 1,884人/日
運行形態[編集]
歌声列車
全線を通して運転される列車は下りの1日1本のみで、厄神駅・西脇市駅で運転系統が分かれている。ただし、全線を直通する列車も西脇市駅で列車番号が変わる。全列車が全線でワンマン運転を行っている。全列車ともドアは半自動となっている。
日中時間帯は1時間に1 - 2本運行されており、加古川駅 - 厄神駅間と加古川駅 - 西脇市駅間の列車が交互に運転されている。加古川駅 - 粟生駅間の区間運転列車も平日の朝夕に4往復設定されている。西脇市駅 - 谷川駅間は1日9往復(土曜・休日は8往復)が運転されており、ほかの区間より運転本数が少なく3時間ほど運転がない時間帯がある。
2010年度までは4・8・12月以外の第4土曜日に保守工事のため厄神駅 - 谷川駅間で日中の列車が運休していたが、2011年度からは運休は取り止めとなっている。保守労力軽減のため、狭隘な箇所における速度制限 (25km/h) が日本へそ公園駅 - 黒田庄駅間などで実施されている。
年に数回、貸切列車として車内で生バンド演奏に合わせて童謡や唱歌などを乗客が合唱する「歌声列車」が運転されている。
阪神・淡路大震災の迂回路として[編集]
1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災では、JR神戸線が寸断され、播但線と共に、迂回路線として非常に重要な役割を果たした。
加古川線は播但線よりも迂回距離・所要時間も短いが、ワンマン運転が主体の線区で列車の行き違いのため編成両数が制限されること、および谷川駅の福知山線と加古川線を結ぶ構内配線が非常用の分岐器しかないことから福知山線への直通運転ができず、線内列車の増発および増結で対応した。加古川線では西脇市駅で運行形態が分かれており、西脇市駅で乗り換えが必要であったが、乗り換えを解消して直通列車を設定し、震災前に9本しかなかった直通列車は同年2月6日には45本に増加し、ほとんどの列車で直通運転が行われた。また加古川駅 - 谷川駅間で快速も運転された。
使用車両[編集]
現在使用されている車両はすべて電車で、網干総合車両所明石支所加古川派出所に所属する125系および103系(3550番台)で運転されている。西脇市駅を境に、南北それぞれの区間で需要に大きな差があり、加古川駅 - 西脇市駅間には2両や4両編成が必要になることから103系が優先的に使用されており、需要が格段に少なくなる西脇市駅 - 谷川駅間には、当線の電化に合わせて製造された1両で運行可能な125系が基本的には全列車で使用されている(検査などで103系3550番台による代走の場合がある)。そのため、125系の運行は加古川駅 - 西脇市駅間では本数が少なくなっており、主に加古川駅 - 厄神駅間の区間列車に使用されている。朝ラッシュ時には125系による3両編成運行もある。
後述のラッピング車以外の103系の塗色は、かつて走っていた常磐線の103系と同じ青緑1号である。
103系3550番台
125系
横尾忠則のラッピング列車[編集]
2004年12月19日の電化時から、103系に横尾忠則がデザインしたラッピング電車が運行され、2007年6月には4本目となる列車の運行が開始された。2010年5月15日から車両の全般検査のため順次運用を終了し[8]、2012年11月18日をもって運行を終了した[9]。各編成の運転開始日・終了日・テーマは次の通り。
眼のある電車「見る見る速い」:2004年12月19日 - 2011年5月15日
「銀河の旅」:2005年12月18日 - 2011年6月19日 …電化1周年記念
「滝の音、電車の音」:2006年3月12日 - 2011年10月10日 …加東市発足記念
「走れ!Y字路」:2007年6月10日 - 2012年11月18日 …西脇市の夜のY字路がモデル
現車に施された4種類のラッピング以外にさらに2種類ラッピング案が存在していたが、諸般の事情により採用されなかった[10]。
「眼(め)のある電車」
「銀河の旅」
過去の車両[編集]
加古川機関区所属のキハ20形などの気動車が使用されるとともに、同区所属のC12形蒸気機関車を牽引機として貨物列車が運行された。蒸気機関車は1972年3月で運用を終了した。
蒸気機関車の運用終了後、キハ37形やキハ30・35形、キハ23形、キハ40・47形が投入される。国鉄分割民営化直前には、車両転属により加古川気動車区から姫路機関区へ籍を移している。
分割民営化後はキハ40・47形の転入によって他形式の気動車は運用を外れ、1999年にキハ37形が運用を離脱した後はキハ40・47形のみで運用されるようになる。
2004年12月に電化され、当路線で使用されていた気動車は、JR西日本のほかの非電化路線へ運用の場を移している。
1989年にワンマン運転を開始した当初は、ワンマン運転対応車は非対応車と区別するため全ての扉をオレンジに塗装していた。
加古川線で使用されていたキハ37形とキハ40形
山陰本線で運用されているキハ47(キハ47 1016 山陰本線鳥取駅)
加古川線で使用されていたキハ30形
加古川線で使用されていたキハ23形
全国公募によるイラスト列車[編集]
1998年10月には、イラスト列車が運行された。車体のイラストは全国公募により2作品が選ばれ、川魚やトンボをデザインした列車を「せいりゅう号」(キハ40 2134)、恐竜の親子をデザインした列車を「きょうりゅう号」(キハ40 2133)と名付けた。イラスト列車は各1両のみだが、加古川線全体の運行車両数が多くないため、見かける機会は結構多かった。「せいりゅう号」は兵庫県加古川市在住の米田昌広、「きょうりゅう号」は東京都八王子市在住の主婦のデザインだった。その後、約5年間運行されたが、車両の全般検査に伴い2003年7月に「せいりゅう号」、同年11月に「きょうりゅう号」が元の塗色に戻されイラスト列車は姿を消した。
イラスト列車せいりゅう号(加古川駅)
イラスト列車きょうりゅう号(加古川駅)
歴史[編集]
電化後加古川線を走っている車両(クモハ125 11、谷川駅)
加古川水系の舟運を代替する目的で設立された播州鉄道と、その路線を譲り受けた播丹鉄道(播但線の前身である播但鉄道とは別)が開業させた路線を、戦時買収したものである。そのため、同じ播丹鉄道に属していた支線の高砂線・三木線・北条線、鍛冶屋線とは密接な関係があり、高砂線を除いてほぼ一体となった運行形態であったが、そのすべてが特定地方交通線として廃止・転換され、本路線のみがJR線として残っている。
播州鉄道は加古川およびその支流で行われていた舟運を鉄道に代替する目的で路線を敷設したため、加古川線の各駅は物流拠点付近に設置されており、集落から離れた場所であることが多い。旅客の流動に合わない路線設定ゆえに旅客需要は伸び悩んでおり、各支線への直通列車も多かったが乗客は少なかった。ただし西脇市については、鍛冶屋線西脇駅が中心市街地至近に立地していたため同駅の利用は多く、加古川線の多くの列車が鍛冶屋線へ直通し西脇駅発着となっていた。
前述の国鉄の特定地方交通線の廃止・転換の結果、各支線との直通がなくなり、また実質的な本線区間であり需要の大きかった鍛冶屋線野村駅(現在の西脇市駅) - 西脇駅間も失ったことから利用者は減り続けた。民営化後には通勤利用を狙って朝ラッシュ時間帯に加古川行きの快速列車を設定したりとテコ入れがなされたが、充分な効果が得られず快速列車も数年で取りやめになるなど明るい話題に乏しかった(快速列車自体は、国鉄時代にも需要の少ない駅を通過する形態で日中に運行されていた)。さらには大阪・神戸方面への需要に対しては、直通列車がないこともあり西脇市内や滝野・社地区の市街側から発着する高速バス(大阪駅発着の中国ハイウェイバスと三宮駅発着の西脇方面の急行バス)に圧倒されていた。
1995年の阪神・淡路大震災の際には、播但線などとともに寸断された山陽本線の迂回路の役割を果たした。谷川駅の1日の乗り換え客が8,500人に達するほどであったという[11]。しかし単線非電化であったことから迂回路としての機能強化を求める声が起き、2001年10月には、加古川線電化を行うことがJR西日本から発表された[12]。2004年12月19日には全線が電化され、125系や103系電車が走るようになった。総事業費は約60億円で、うち45億円をJR西日本や兵庫県などの沿線自治体が負担し、残る15億円を沿線地域での募金などにより民間が負担した[13]。
年表[編集]
播州鉄道・播丹鉄道[編集]
1913年(大正2年)
4月1日:播州鉄道 加古川町駅 - 国包駅(初代、現在の厄神駅)間(4.7M≒7.56km)開業。加古川町駅・日岡駅・神野停留場・国包駅が開業[14]。
8月10日:国包駅 - (野村) - 西脇駅間延伸開業。国包駅 - 野村駅(この時点では未開業)間は14.8M(≒23.82km)。現在の加古川線にあたる区間に市場停留場・小野町駅・粟生駅・河合西停留場・大門口駅(現在の青野ケ原駅)・社口駅(現在の社町駅)・仮滝野駅(現在の滝駅)が開業[15]。
8月28日:仮滝野駅が停留所に変更され、滝停留場に改称[16]。
9月1日:滝野駅が開業[17]。
10月22日:野村駅(現在の西脇市駅)が開業[18]。
11月10日:市場停留場が駅に変更。
1914年(大正3年)
1月1日:滝停留場の営業が休止。
5月1日:滝停留場の営業が再開。
1915年(大正4年)5月14日:加古川町駅が国有鉄道加古川駅に統合(公示日)。
1916年(大正5年)
2月4日:粟島停留場が開業[19]。
10月6日:河合西停留場が駅に変更。
10月21日:播鉄中津停留場・釣橋駅が開業[20]。
11月22日:国包駅(初代)が厄神駅に、大門口駅が播鉄大門駅に、社口駅が播鉄社駅に、滝野駅が播鉄滝野駅に改称[21]。
1921年(大正10年)5月9日:播鉄中津停留場・粟島停留場が休止。釣橋駅の旅客営業が廃止され、貨物駅になる。滝停留場が臨時停留場に変更[22]。
1923年(大正12年)12月21日:播丹鉄道に譲渡[23]。
1924年(大正13年)12月27日:野村駅 - 谷川駅間(10.7M≒17.22km)が延伸開業し、現在の加古川線が全通。比延駅・黒田庄駅・本黒田駅・船町口停留場・久下村駅が開業[24]。
1925年(大正14年)
4月28日:河合西駅が停留場に変更。
10月1日:新西脇停留場が開業。
1926年(大正15年)10月21日:喜多駅が開業[25]。
1929年(昭和4年)8月23日:神野停留場が駅に変更。
1930年(昭和5年)4月1日:営業距離をマイル表記からメートル表記に変更(30.2M→48.8km)。
1931年(昭和6年)2月9日:釣橋駅が停留場に変更。
1934年(昭和9年)4月5日:休止中の播鉄中津停留場・粟島停留場が廃止。
1937年(昭和12年)3月24日:釣橋停留場が駅に変更。
国有化後[編集]
1943年(昭和18年)6月1日:播丹鉄道が国有化され、加古川線となる[26]。全線改キロ、0.3km短縮。停留場・臨時停留場が駅に変更。播鉄大門駅が青野ケ原駅に、播鉄社駅が社町駅に、播鉄滝野駅が滝野駅に改称。釣橋駅・喜多駅が廃止。
1958年(昭和33年)
6月10日:全列車が気動車に統一[27]。
11月1日:経営改善を目的に、加古川線管理所が設置される[28]。
1970年(昭和45年)4月1日:加古川線管理所が廃止される[28]。
1972年(昭和47年)3月15日:蒸気機関車が廃止され無煙化。
1985年(昭和60年)7月15日:臨時駅として日本へそ公園駅が開業。
1986年(昭和61年)11月1日:貨物営業が廃止。
西日本旅客鉄道[編集]
1987年(昭和62年)
4月1日:国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道が承継。
12月23日:日本へそ公園駅が通年営業となる。
1989年(平成元年)8月1日:野村駅 - 谷川駅間でワンマン運転開始[29]。
1990年(平成2年)
4月1日:鍛冶屋線廃止に伴い、野村駅が西脇市駅に改称。
6月1日:鉄道部制度に伴い、第1次鉄道部として加古川鉄道部が発足し、同線を管轄するようになる。加古川駅 - 西脇市駅間でワンマン運転開始[29]。
10月1日:全線で光方式電子閉塞装置が導入[30]。
1999年(平成11年)8月 - 2001年3月:日岡駅 - 厄神駅間においてバリス式列車検知形閉塞装置 (COMBAT) の試験を実施。
2001年(平成13年)3月3日:運行本数の削減および保守工事による列車運休が導入。
2004年(平成16年)
4月25日:列車集中制御装置 (CTC) が導入。
12月19日:全線が電化。同時に加古川駅 - 日岡駅間0.9kmおよび加古川駅が高架化。
2009年(平成21年)7月1日:加古川鉄道部が廃止され神戸支社の直轄になる[31][32]。谷川駅をのぞく各駅は加古川駅の管理下となる[32]。
2010年(平成22年)12月1日:組織改正により、神戸支社が管轄していた区間を近畿統括本部の管轄に変更[33][34]。
2011年(平成23年)4月1日:保守工事による列車運休が中止。
2013年(平成25年)4月7日:加古川駅で、加古川線開業100周年記念出発式を開催[35]。
2015年(平成27年)3月14日:路線記号が本格導入開始、ラインカラーが正式に設定される[2]。
2016年(平成28年)3月26日:加古川駅 - 西脇市駅間でICOCAが利用可能になる[3] 。
駅一覧[編集]
全列車普通列車(全駅に停車)
線路(全線単線) … ◇・∨:列車交換可能、|:列車交換不可
全駅兵庫県内に所在
駅名 駅間営業キロ 累計営業キロ 接続路線 線路 所在地
加古川駅 - 0.0 西日本旅客鉄道:A 山陽本線(JR神戸線) ∨ 加古川市
日岡駅 2.3 2.3 ◇
神野駅 2.5 4.8 ◇
厄神駅 2.6 7.4 ◇
市場駅 4.1 11.5 ◇ 小野市
小野町駅 2.2 13.7 |
粟生駅 2.9 16.6 北条鉄道:北条線
神戸電鉄:粟生線 ◇
河合西駅 2.6 19.2 |
青野ケ原駅 2.1 21.3 |
社町駅 2.9 24.2 ◇ 加東市
滝野駅 3.1 27.3 |
滝駅 1.1 28.4 |
西脇市駅 2.8 31.2 ◇ 西脇市
新西脇駅 1.1 32.3 |
比延駅 2.3 34.6 |
日本へそ公園駅 1.5 36.1 |
黒田庄駅 2.4 38.5 |
本黒田駅 3.5 42.0 |
船町口駅 1.8 43.8 |
久下村駅 2.5 46.3 | 丹波市
谷川駅 2.2 48.5 西日本旅客鉄道:G 福知山線 |
中間駅のうち、神野駅・厄神駅・粟生駅・西脇市駅の4駅がジェイアール西日本交通サービスによる業務委託駅であり、それ以外の各駅は無人駅である。中間駅には直営駅は存在しない。
日岡駅 - 神野駅間で新駅設置の構想がある[36]。
廃駅[編集]
( )内は加古川駅起点の営業キロ。
播鉄中津停留場:1921年休止、加古川駅 - 日岡駅間(約1.2km)
釣橋駅:1943年廃止、日岡駅 - 神野駅間 (3.7km)
粟島停留場:1921年休止、粟生駅 - 河合西駅間
喜多駅:1943年廃止、黒田庄駅 - 本黒田駅間 (39.2km)
過去の接続路線[編集]
加古川駅:高砂線
厄神駅:三木鉄道三木線
野村駅(現在の西脇市駅):鍛冶屋線
脚注[編集]
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^ 近畿エリア・広島エリアに「路線記号」を導入します - 西日本旅客鉄道ニュースリリース 2014年8月6日
^ a b JR西日本で路線記号の本格使用が始まる - 『鉄道ファン』交友社 railf.jp鉄道ニュース、2015年3月16日。
^ a b “平成28年春ダイヤ改正について” (プレスリリース), 西日本旅客鉄道近畿統括本部, (2015年12月18日) 2016年3月26日閲覧。
^ 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』JTB、1998年。ISBN 978-4-533-02980-6。
^ 鉄道事業ダイジェスト - 西日本旅客鉄道
^ 「区間別平均通過人員および旅客運輸収入(平成25年度)」『データで見るJR西日本2014』 (PDF) - 西日本旅客鉄道、2015年2月23日閲覧
^ 「区間別平均通過人員および旅客運輸収入(平成25年度)」『データで見るJR西日本2016』 (PDF) - 西日本旅客鉄道、2017年9月15日閲覧
^ さよなら「ラッピング電車」(インターネットアーカイブ) - 読売新聞 2011年4月23日
^ ラッピング電車:横尾忠則さんデザイン「走れ!Y字路」さようなら あすJR加古川線西脇市駅でラストランセレモニー /兵庫[リンク切れ] - 毎日新聞、2012年11月17日
^ 横尾忠則さんのデザイン2点 お蔵入り JR電車(インターネット・アーカイブ) - 神戸新聞、2011年10月10日付
^ 阪神大震災、迂回路で活躍した加古川線 ファン、今でも(インターネット・アーカイブ) - 朝日新聞 2011年1月15日
^ 2001年10月定例社長会見(インターネット・アーカイブ)- 西日本旅客鉄道 2001年10月16日
^ JR加古川線電化募金にご協力を!(インターネット・アーカイブ) - 東播磨流域文化協議会
^ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1913年4月5日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1913年8月22日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「軽便鉄道駅名改称」『官報』1913年9月3日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「軽便鉄道停車場開始」『官報』1913年9月4日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「軽便鉄道停車場設置」『官報』1913年10月27日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「軽便鉄道停留場設置」『官報』1916年2月12日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「軽便鉄道停車場及停留場設置」『官報』1916年10月26日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「軽便鉄道運輸開始及停車場名改称」『官報』1916年11月28日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「地方鉄道運輸営業一部休止其他」『官報』1921年5月14日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 『鉄道省鉄道統計資料. 大正12年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1925年1月15日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「地方鉄道駅設置」『官報』1926年11月24日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「鉄道省告示第120号」『官報』1943年5月25日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 『近畿地方の日本国有鉄道 - 大阪・天王寺・福知山鉄道局史』大阪・天王寺・福知山鉄道局史編集委員会、2004年、p.363。
^ a b 村上心『日本国有鉄道の車掌と車掌区』成山堂書店、2008年、p.185 - p.186。ISBN 978-4-425-30341-0。
^ a b ジェー・アール・アール編『JR気動車客車編成表 2011』交通新聞社、2011年。ISBN 978-4-330-22011-6。
^ 『JR気動車客車編成表 91年版』ジェー・アール・アール、1991年。ISBN 4-88283-112-0。
^ 加古川鉄道部組織改正について(インターネット・アーカイブ)- 西日本旅客鉄道プレスリリース 2009年6月19日
^ a b “加古川鉄道部を7月1日付廃止 JR西日本神戸支社”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 1. (2009年6月25日)
^ 組織改正などについて[リンク切れ] - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2010年11月16日
^ “「近畿統括本部」来月1日新設 JR西日本 京都、大阪、神戸支社を統合”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 1. (2010年11月18日)
^ JR加古川線が開業100周年 利用者らが祝福 - 神戸新聞、2013年4月7日。
^ 新駅は2010年目標 加古川線日岡-神野駅間 - 神戸新聞
参考文献[編集]
今尾恵介監修『日本鉄道旅行地図帳 - 全線・全駅・全廃線』9 関西2、新潮社、2009年。ISBN 978-4-10-790027-2。
西日本旅客鉄道監修『よみがえれ!線路よ街よ - 阪神・淡路大震災 JR西日本100人の証言』交通新聞社、1996年。ISBN 978-4-875130-51-2。
交通新聞社編『阪神・淡路大震災 鉄道復旧記録誌』西日本旅客鉄道 1996年
川島令三編著『山陽・山陰ライン - 全線・全駅・全配線』2 北神戸・福知山エリア、講談社、2012年。ISBN 978-4-06-295152-4。
関連項目[編集]
ウィキメディア・コモンズには、加古川線に関連するメディアがあります。
日本の鉄道路線一覧
兵庫電気軌道(加古川線の前身となる播州鉄道が、敵対的買収を行った)
外部リンク[編集]
JR加古川線電化高速化事業 (PDF) - 兵庫県[リンク切れ]
JR加古川線の電化開業及び高架切替について (PDF) - 兵庫県[リンク切れ]
JR加古川線 ラッピング電車 ラストラン - ウェイバックマシン(2012年7月6日アーカイブ分) - 加古川線等利用促進・沿線地域活性化協議会
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