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ウッテガエシ
ハダシで入れぬ
ハネ殺し、死はハネにあり
ハネもフトコロのうち
ハネにはノビよ
ハネを忘るな三手ヌキ
走りたい方の反対を這え
斜いにノゾクは急所なり
ハスカイにノゾクは急所なり
早逃げは三文の得
広いほうから
ボウシにケイマ
星打ちは勢力重視戦法
星打ちは勢力重視戦法
ポンヌキ30目
封鎖許すべからず
勝ち碁を勝ちきるむずかしさ
カケツギにも向きがある
カケツギはノゾキ注意
亀の甲羅60目
亀の甲60目
亀の甲の尻尾抜け
かなめ石捨てるべからず
歓迎三三入り
カラミ攻めは凌ぎにくい
カラんで攻めよ
カス石逃げるべからず
カス石は捨てよ
ケイマにコスミ
ケイマのツケコシ
ケイマの急所
ケイマのツケコシ切るべからず
ケイマの突き出し
形勢不利なら勝負手探せ
消しは肩から
利かしと悪手は紙一重
利き筋は後まで残せ
利き筋は後まで残せ
切れるところを覗くな
キリチガイ一方をノビよ
キリ一本が勝負のカギ
切った方を取れ
兄弟喧嘩は身の破滅
五目中手は八手なり
呉清源名言集
後手の先手
碁に勝って勝負に負ける
碁の力は局面評価能力と読みの力
碁は封鎖にあり
碁は封鎖にあり
碁は攻めにあり
コスミに妙手あり
コウダテは小さいものから使え
攻撃は最大の防御なり
コウ付き攻め合いは最後にコウを取る
コウは最後に取れ
コウを征するものが勝負を征する
グズミの巧手
車の後押し
車の後押し悪手の見本
車の後押しヘボ碁の見本
クシ形は生き形
くし型はイキなり
惑わされるなハザマトビ
マグサバで力むな
まずコウダテを数えよ
まずコウを取れ
眼あり眼なしも時によりけり
眼あり眼なしは唐の攻めあい
名人の定石知らず
目作りより中央志向
味方の多いところでは妥協するな
耳赤の一手
もたれて攻めよ
模様の接点を探す
模様の削しはカタツキから
模様の接点を見つける
模様の接点逃がすべからず
六目形は生き
力自慢のデギリかな六つに割れたらひとつは死ぬ
中手の形は全部で6型
中手は内外の攻め合い
中手の九九
中地を囲うな
根もとをついで石の下
二段バネ覚えて初段間近なり
二間ビラキは一家をなす
二子にして捨てよ
二目の頭タタかすべからず
二目の頭は見ずハネよ
二線三線余計にはうな
二線ハウべからず
二線は敗線
二線をハウは敗線
二手ヨセはコウにあらず
2の一に手あり
逃げは一間
ノゾキにツガぬ馬鹿はなし
ノゾキにツグバカ、ツガぬバカ
ノゾキに悪手あり
ノゾキにツガぬバカはなし
ノゾキにツグバカ、ツガぬバカ
両バネ利いて一手ノビ
両バネ一手ノビ
両キリのまえにキカセ
両ノゾキはダメヅマリに注意
両先手、逃すべからず
両コウ三年の患い
両ケイ、逃すべからず
HH1
三間に打ち込みあり
三目の真ん中が急所
三目の真ん中は急所
三方カラミにシノギなし
三立四析ヒラキの原則
三手ヨセコウ、コウに非ず
サバキは軽く
サバキはツケ
サバキを許さぬブラサガリ
左右同型中央に手あり
せかして打つ
攻めながら地を取れ
攻めたい石にツケるな
攻めはボウシ_ケイマ
攻めは分断にあり
先手は媚薬
四線勝線
陣笠の悪形
陣笠作って馬脚を出す
地はヨセになってから考えろ
定石の手抜き、許すべからず
定石覚えて二目弱くなり
定石は手筋と形の宝庫
定石おぼえて弱くなる
定石を知って定石を忘れよ
定石は覚えて忘れろ
シチョウを知らずに碁を打つな
シマリの両翼理想なり
シマって打つ
死んだら動くな
シンを止める
死はハネにあり
死活はまず広さ次に急所
初コウにコウなし
損コウたてるべからず
外ダメから詰めよ
外から攻めるは死活の基本
隅の急所は二の一
スソアキ囲うべからず
裾空き囲うべからず
捨てると死ぬとは大違い
ダメ場を地にするな
ダメ場を見極める
ダメのつまりが身のつまり
断点ノゾクべからず
大石死なず
種石とカス石を見極めろ
たたみ込む
手かずをつめるホウリコミ
敵の急所は我が急所
手戻りは避けよ
着手順序決定基準は石の強弱と大きさ
中央の一目は隅の十目に値する
中央を地にするな
力自慢のデギリかな
どちらにもヒラけるワリウチの手段
同線ではツケるな、異線でツケよ
同形は先着に利あり
トックリ形はコリ形
トリ番に回れ
取ろう取ろうは取られの元
ツギは堅ツギが基本
ツケギリ一方をノビよ
ツケコシ切るべからず
ツケにはハネよ
ツケにはノビよ
ツケたらハネよ、ハネたらノビよ
ツキアタリは悪手
包むように攻める
強い方にツケよ
強い石、厚い石に近づくな
強く打つ 囲碁
分からない時は手を抜け
四本鼻叩かすとも三本鼻叩かすな
ヨセのサガリは使用注意
寄せは両先手、片先手、後手の順
四隅取られて碁を打つな
様子を聞くのは高級手段
弱石にツケるべからず
HH1
相手の石を自己の厚みに誘い込め
相手の急所は味方の急所
相手の進出ボウシで止めよ
アキ三角は愚形の見本
浅く消すには、カタツキ・ボウシ
アタリ、アタリのへぼ碁かな
アタリは最後まで打つな
厚いだけでは碁に勝てぬ
厚み囲うべからず
厚味から追うな、厚味へ追え
厚みに近づくな
厚みに追いやれ
厚み地にするべからず
一合マスわかれば五段格
1から始める梅沢由香里の碁
一間トビに悪手なし
1モク這えば10目の損
一にアキスミ二にシマリ
一方地に勝ちなし
一方碁は危険なり
一方地を囲うな
一方石に死になし
一路隣が筋違い
一石に負けなし
一線トンで綱渡り
HH1
一隅二シマリ三ヒラキ
一手ばったり 囲碁
生きている石から動くな
生きている石の近くは小さい
今もすたらぬ一、三、五
石の効率「手割り」で考えよ
石の余力を忘れるな
石取って碁に勝たず
岩見重太郎の牢破り
岩より硬い梅鉢型
大場より急場
追うはケイマ、逃げるは一間
うっかりするなシッポ抜け
梅鉢に負けなし
上手一間、下手コスミ
上手まっすぐ、下手コスム
馬場滋
梅主長江
河燦錫
半田道玄
羽根直樹
羽根泰正
原田実(棋士)
原幸子(棋士)
長谷川章
長谷川知仙
長谷川広
橋本昌二
橋本宇太郎
橋本誼
服部因淑
服部正徹
服部雄節
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ブラウザーのみで動作するケースを特に囲碁ブラウザゲームと称することもあります。
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碁を知りたい。
なのに、打つ機会がない。

相手がいない。碁会所に入ってみたい。でも躊躇する。これが現実のようです。

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Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0) 九州電灯鉄道 九州電灯鉄道株式会社 本社ビル本館(1917年竣工) 種類 株式会社 略称 九鉄、九電鉄 本社所在地 日本の旗 日本 福岡県福岡市天神町58番地 設立 1896年(明治29年)3月26日 業種 電気 事業内容 電気供給事業、軌道事業、ガス供給事業 代表者 伊丹弥太郎(社長) 松永安左エ門(常務) 資本金 5000万円 (うち3431万2500円払込) 発行済株式総数 旧株:37万2500株(額面50円払込済) 新株:62万7500株(25円払込) 収入 514万6千円 支出 307万5千円 純利益 207万0千円 配当率 年率12.0% 総資産 6449万0千円 決算期 5月末・11月末(年2回) 資本金以下の経営指標は1921年11月期決算による[1] 1922年(大正11年)5月31日付で関西電気と合併 九州電灯鉄道株式会社(九州電燈鐵道株式會社、きゅうしゅうでんとうてつどうかぶしきがいしゃ)は、明治末期から大正にかけて存在した日本の電力会社・鉄道事業者である。福岡市に本社を置き、北部九州を中心に事業を展開した。略称は「九鉄」。 福岡市で1896年(明治29年)に設立された博多電灯株式会社(はかたでんとう)が起源。1911年(明治44年)に福岡市内で路面電車を運転する福博電気軌道と合併して博多電灯軌道株式会社(はかたでんとうきどう)と改称し、翌年さらに佐賀県の九州電気と合併して九州電灯鉄道となった。その後も合併を繰り返し、福岡・佐賀両県のほか長崎県・熊本県・山口県にも供給区域を広げた。 1922年(大正11年)、愛知県に本社を置く関西電気(旧・名古屋電灯)と合併して解散した。この直後に関西電気は東邦電力へと改称している。 目次 [非表示] 1 概要 2 沿革 2.1 博多電灯の設立 2.2 開業と拡大 2.3 合併問題 2.4 博多電灯軌道となる 2.5 九州電灯鉄道成立 2.6 九州電灯鉄道の拡大路線 2.6.1 1913・15年の統合 2.6.2 1916年の統合 2.6.3 1918年以降の統合 2.7 九州水力電気との対立 2.8 東邦電力への発展 2.9 業績推移表 3 供給の推移 3.1 博多電灯時代 3.2 九州電灯鉄道時代 3.3 供給実績推移表 3.4 供給区域一覧 3.4.1 1911年 3.4.2 1921年 4 電源の推移 4.1 東中洲発電所 4.2 住吉発電所 4.3 大牟田発電所 4.4 広滝発電所・川上川発電所 4.5 川上川第一・第二発電所 4.6 長崎発電所 4.7 名島発電所 4.8 前田発電所 5 軌道事業の推移 5.1 福博電車 5.2 唐津軌道 5.3 輸送実績推移表 6 その他事業の推移 6.1 ガス事業 6.2 製作所事業 6.3 土地建物事業 7 年表 8 本社・支店所在地 9 歴代役員一覧 10 備考:九州鉄道との関係 11 社史 12 脚注 13 参考文献 概要[編集] 九州電灯鉄道は、大正から昭和戦前期にかけての電力業界大手「五大電力」の一つ東邦電力(1922 - 1942年)の前身である。この東邦電力は、福岡県福岡市を中心とする北部九州を主な供給区域としていた九州電灯鉄道と、愛知県名古屋市を中心とする東海地方を主な供給区域としていた名古屋電灯が合併し成立した。ただしその成立過程はやや複雑で、奈良県の関西水力電気がまず1921年(大正10年)10月に名古屋電灯を吸収合併して名古屋へ移転の上関西電気と改称し、この関西電気が翌1922年(大正11年)5月に九州電灯鉄道を合併して同年6月東邦電力に改称する、という過程をたどっている。さらに合併に先立つ1921年12月に九州電灯鉄道の経営陣の一部が関西電気に入っており、合併時点では関西電気・九州電灯鉄道の社長は同一人物であった。 九州電灯鉄道は元は「博多電灯」と称し、1896年(明治29年)に福岡市で設立された。開業は翌1897年(明治30年)で、このときに電灯供給を開始。1908年(明治41年)には動力用電力の供給も始めた。1911年(明治44年)、福岡市の福博電気軌道との合併に伴い「博多電灯軌道」に改称し、事業に電気供給事業のほか軌道事業(福博電車)・土地建物事業を加える。翌1912年(明治45年)には佐賀県や福岡県筑後地方に供給する九州電気(旧・広滝水力電気)を合併して「九州電灯鉄道」に改名した。以降も九州電灯鉄道は周辺事業者の統合を積極的に進めて事業を拡大し、1920年(大正9年)にかけて11の電気事業者と1つの軌道事業者を合併ないし買収している。この結果、供給区域は福岡・佐賀両県のほか長崎県・熊本県・山口県に拡大、福岡市・久留米市・大牟田市・佐賀市・唐津町(現・唐津市)・佐世保市・長崎市・下関市といった都市に供給した。また唐津の軌道事業(唐津軌道)も引き継いだ。 統合した事業者のうち1916年(大正5年)に合併した長崎電気瓦斯から長崎市における都市ガス事業を引き継ぎ、1919年(大正8年)には「製作所」を建設して変圧器・電動機など電力機器の製作を始めた。こうして九州電灯鉄道は5種の事業を抱えるに至る。収入は電気供給事業が最多(1921年下期の決算では総収入の9割近くを占める)で、以下軌道事業・ガス事業・製作所事業・土地建物事業と続いた[1]。 電気事業者としての九州電灯鉄道は、1951年(昭和26年)に発足した九州電力・中国電力の管内にあった事業者の一つである。軌道事業者としては西日本鉄道(西鉄)の前身の一つであるが、運営していた路線はすべて廃止され現存しない。またガス事業は西部ガス、製作所事業は西部電機に引き継がれている。 沿革[編集] 博多電灯の設立[編集] 博多電灯設立に参加した太田清蔵(後に社長) 1887年(明治20年)に東京電灯によって始まった日本の電気事業は、1890年代に入ると九州にも上陸し、まず熊本市において1891年(明治24年)に熊本電灯(後の熊本電気)が開業。次いで長崎市でも1893年(明治26年)に長崎電灯(後の長崎電気瓦斯)が供給を開始した[2]。 福岡市における電気事業起業の契機は、先に開業した東京の事業者からの勧誘であった。九州に電気事業が起る前の1889年(明治22年)のことで、品川電灯社長の岩下清周らが福岡を訪れ、地元の有力者に電気事業の起業を勧誘したのである[3]。勧誘に応じて鋳物商磯野七平・油商太田清蔵らが起業に向けた調査を始めた[3]。翌年に始まる恐慌や帝国議会仮議事堂の漏電火災の影響で実際の会社設立は遅滞するが、県会議員らによる「福博電灯」設立の動き(1893年8月会社設立出願)に刺激されて前進し、博多商業会議所に博多電灯創立事務所を開設して設立準備が進められた[3]。日清戦争の影響で会社設立はさらに遅れるが、1895年(明治28年)10月に当局へ博多電灯の設立を出願、翌1896年(明治29年)1月にその許可を受けた[3]。そして同年3月26日に創立総会が開催され、ここに博多電灯株式会社が成立をみた[3]。 発足時の博多電灯の資本金は5万円[3]。総株数は2,000株で、700株を発起人にて引き受け、残りの1,300株は需要家を確実に得る意図から供給予約とセットで公募した[4]。ただし電気事業についての理解がいまだ浅い時代であったことから株式の公募は不振であった[4]。 社長には磯野七平が就任し、その他役員には太田清蔵らが名を列ねた[3]。役員はすべて博多の商人または福岡の銀行家であり、当初の博多電灯は地元企業としての色彩が強かったといえる[3]。 開業と拡大[編集] 会社設立とともに、あらかじめ土地を確保していた市内の東中洲において発電所(東中洲発電所)の建設に着手し、あわせて電灯2,000灯の供給計画に基づき60キロワット発電機2台を東京の芝浦製作所(現・東芝)に、ボイラーを地元の工場にそれぞれ発注した[4]。発電機を芝浦製作所に発注したのは、事業を勧誘した岩下清周が三井財閥の益田孝と関係があり、その益田から芝浦製作所(三井傘下)の機械を使うよう依頼されたため[5]。機械の据付は品川電灯から技師が出張して担当した[5]。工場の失火でボイラーの納入が遅延したため機械の据付完了は1897年(明治30年)7月であったが、今度は発電機の故障というトラブルがあり、修理のため営業開始は同年11月1日となった[4]。熊本電灯・長崎電灯に続く九州で3番目の電気供給事業である[6]。 会社設立前の段階では電灯1,000灯を供給する計画であったため発電機1台分の計算で資本金は5万円とされたが[4]、需要開拓のため電灯料金を低く抑えたことで想定以上の申込みがあり、急遽社債発行と資金の借り入れによって発電機1台を追加で用意した[7]。このため負債比率が高くなって追加融資が受けにくくなり、開業直後に早くも資金不足に陥ってしまう[7]。一方で開業時から電灯数が発電能力の限度に近い1,800灯に達するなど需要は多く発電所の増設は必須であった[7]。1898年(明治31年)になって倍額増資による負債一掃と発電所の増設という打開策が考案されたが、この計画は経営陣と株主の対立を招き、10月の株主総会で選出された役員が全員就任を拒否するという事態へと発展、一時は会社の解散さえ噂されるまでになった[7]。 12月になって社内に妥協が成立し、倍額増資が決定した[7]。この増資で可能となった発電所の増設は翌1899年(明治32年)12月に完成[7]。この間の1899年6月に燃料石炭費の高騰を理由に電灯料金を大幅に引き上げたが、熊本電灯や長崎電灯など周辺事業者と同水準の料金であり需要家の反対はなく、したがって需要増加のペースが衰えることはなかった[7]。料金の値上げと供給増加で業績は高配当が可能となるまでに好転し、好業績を背景に社内の対立は終息していった[7]。 合併問題[編集] 博多電灯社長・九州電灯鉄道常務山口恒太郎 日露戦争後の1906年(明治39年)、博多電灯の電灯供給は需要家数2千戸、灯数8千灯を突破した[8]。電源の東中洲発電所は需要増加とともに増設が重ねられていたが、この時期には敷地の問題でこれ以上の増設が不可能となっていた[8]。また石炭価格の高騰で業績が低下していたこともあり、双方の問題の解決策として当時の社長太田清蔵は水力発電を志向した[8]。そして当時、佐賀県を流れる筑後川水系の城原川における水力発電を、元博多電灯役員の牟田万次郎が計画していたことから、太田はこれと博多電灯の合同を計画した[8][9]。 1906年11月4日、城原川開発のための新会社広滝水力電気が発足(資本金30万円、社長中野致明)[9]。2日後の6日には早速博多電灯と広滝水力電気の間で合併契約が締結された[8]。合併の承認を得るべく11月25日に臨時株主総会が招集されるが、総会では株主の中から炭鉱業者の堀三太郎、元福岡日日新聞主筆の山口恒太郎ら「火力派」と呼ばれたグループから強い反対意見が出され、合併の承認は得られず後日調査の上結論を出すということとなった[8]。株主の中から選出された調査委員が広滝発電所建設予定地の視察や送電についての調査を行い、それを報告した結果、株主の間では「火力派」の勢力が強まるに至り、水力発電を提唱する太田らを支持する声は小さくなっていった[8]。資金調達などの都合で博多電灯社内の結論を待てない広滝水力電気は、12月20日をもって合併契約は失効すると博多電灯に通告する[8]。そして結論はこの期日までに出ず合併は自然消滅となり、博多電灯では太田が社長を辞任、経営陣は新たに社長となった山口をはじめ「火力派」へと交代した[8]。 水力発電への進出を選択しなかった博多電灯では、1908年(明治41年)9月、福岡市郊外の筑紫郡住吉村に新火力発電所の住吉発電所を建設した[10]。また同年6月、大牟田電灯株式会社を合併し福岡県南部の大牟田市に大牟田支社を設置、翌1909年(明治42年)2月27日より大牟田でも開業した[11]。この大牟田電灯は、三池土木社長野口忠太郎らを発起人とし[10]、資本金10万円にて設立が計画されていたが、株式の募集が難航していた[11]。これに着目した博多電灯は大牟田電灯発起人と交渉して一旦会社を設立した上でこれを博多電灯に合併し、博多電灯の手で大牟田市内の供給事業を行うこととしたのであった[11]。 博多電灯軌道となる[編集] 福博電気軌道社長福澤桃介 福博電気軌道専務・九州電気常務松永安左エ門 1910年(明治43年)3月、福岡市に路面電車が開業した。運営する事業者は福博電気軌道株式会社といい、前年1909年(明治42年)に設立されていた[12]。社長は東京の実業家福澤桃介で、博多電灯社長山口恒太郎や太田清蔵、牟田万次郎など博多電灯関係者も役員に名を列ねていた[12]。同社は電車の運転に要する電気は自社火力発電所(堅粕発電所)から得ていたが、1911年(明治44年)3月に博多電灯と電力受給契約を締結し、自社発電から受電に切り替えた[12]。このことで博多電灯と福博電気軌道の関係は緊密なものとなった[12]。 また1906年に博多電灯との合併契約を締結したが合併に至らなかった佐賀県の広滝水力電気は、1910年(明治43年)になって新会社・九州電気株式会社となっていた[13]。この九州電気の役員には福博電気軌道の役員を兼任する者が多く、九州電気取締役の福澤桃介は福博電気軌道社長、九州電気常務の松永安左エ門は福博電気軌道専務であった[13]。博多電灯と福博電気軌道の関係強化と、福博電気軌道・九州電気の人的結合を背景に、1911年(明治44年)になって博多電灯・福博電気軌道・九州電気3社の合併計画が浮上する[13]。 松永安左エ門の主導によって3社の合併は具体化し、1911年5月に合併契約の作成まで進んだ[13]。しかしながら博多電灯・九州電気の株主はこの合併に強く反対した[13]。当時の3社の業績を見ると、払込資本金は九州電気・福博電気軌道・博多電灯の順に多かったが、利益金はその反対で、したがって配当率も博多電灯12パーセント、福博電気軌道10パーセント、九州電気7パーセントという具合であった[13]。このことから博多電灯側は業績が見劣りする九州電気の合併に難色を示し、九州電気側は豊富な未開発の水力資源を抱えるにもかかわらず現状の営業成績のみを基準として不利な合併条件となることをおそれて合併に反対した[13]。 結果的に3社の合併は実現せず、さしあたり合併に異論が起きなかった博多電灯・福博電気軌道の2社で合併することとなった[13]。合併条件は存続会社である博多電灯の資本金160万円に解散する福博電気軌道の資本金120万円を加えて新資本金を280万円とし、福博電気軌道株主に対し持株1株につき博多電灯の新株1株を交付するというものであった[14]。合併は1911年11月に成立し、博多電灯が社名を変更して「博多電灯軌道株式会社」が成立[13]。博多電灯軌道の社長は博多電灯社長の山口恒太郎が引き続き務めたほか、専務取締役に松永が入った[13]。 九州電灯鉄道成立[編集] 九州電灯鉄道社長伊丹弥太郎 博多電灯・福博電気軌道の合併決定後、両社の株価は会社の将来への期待から高騰したものの、反対に合併に参加しなかった九州電気の株価は急落した[15]。株価下落をうけ、合併参加に反対していた九州電気の株主・役員も、年末には博多電灯軌道と九州電気の合併に前向きになった[15]。博多電灯軌道としても需要増加で再び電源拡充の必要性が生じたため社内で九州電気との合併の検討を始めたが、今度は博多電灯軌道社内での路線対立が表面化した[15]。合併賛成派の松永・福澤のグループに対し、反対派の堀三太郎(相談役)や原庫次郎(取締役)のグループが博多電気軌道との合併をむしろ推進すべきと主張したのである[15]。この博多電気軌道というのは1910年に福岡市内に路面電車を建設すべく設立された会社であるが、当時福岡市内とその郊外での電気供給を認可されており、博多電灯軌道にとって将来的に競合する可能性のあると見られていた[15]。 松永派と堀派の対立は株式の買い占めによる主導権争いにまで発展したが、最終的に松永派が主導権を確保し、九州電気との合併を方針化させることに成功した[15]。1912年(明治45年)4月26日、博多電灯軌道・九州電気は合併契約を締結[15]。合併に際しての存続会社は博多電灯軌道で、同社は資本金を280万円から485万円に増資の上、九州電気の株主に対して1対0.8125(額面50円払込済み株式の場合)または1対0.75(25円払込株式の場合)の割合で新株を交付するという合併条件であった[15]。 そして1912年6月29日、博多電灯軌道と九州電気の合併が成立し、博多電灯軌道の社名変更により「九州電灯鉄道株式会社」が成立した[15]。合併に際し佐賀県在住の株主が合併後の本社を佐賀市に置くよう求めたが、同日の株主総会で九州電灯鉄道の本社は引き続き福岡市に置くと決まった[15]。総会では続いて役員選出をめぐって紛糾し、その結果社長候補であった福澤桃介が社長就任を辞退、九州電気から佐賀の伊丹弥太郎が新社長に選出されている[15]。合併後の新体制は伊丹の下で常務取締役として山口恒太郎・松永安左エ門と九州電気常務の田中徳次郎の3名が経営実務を担うものとされた[15]。また1割以上の株式を握る筆頭株主の福澤桃介は相談役となった[15]。 合併後の九州電灯鉄道は、旧博多電灯の火力発電所に旧九州電気の広滝発電所・川上川発電所という2つの水力発電所が加わって水力・火力併用の電源構成となった[16]。その上未開発の水力を多く包蔵する川上川(嘉瀬川)が支配下に入り、さらなる水力開発が可能となった[16]。以後九州電灯鉄道は川上川第一・第二発電所をはじめ川上川を逐次開発することになる[16]。 九州電灯鉄道の拡大路線[編集] 日露戦争後の企業ブーム以来全国的に小規模電気事業者が相次いで設立されていたが、これらはその後組織・資本を整えた大規模事業者に統合される傾向があった[17]。九州電灯鉄道においても会社の基礎が確立すると周囲に散在する群小事業者を統合する方針を定め、1913年(大正2年)以後、福岡県・佐賀県内のみならず長崎県や九州を出て山口県へもその範囲を広げて統合を実施していった[17]。 1913・15年の統合[編集] 九州電灯鉄道がまず統合したのは、糸島電灯・七山水力電気・佐世保電気・大諌電灯・唐津軌道の計5社で、1913年11月にまとめて合併して資本金を625万円とした[17]。さらに1915年(大正4年)9月には津屋崎電灯・宗像電気の2社から事業を買収した[17]。これらの会社はいずれも資本や電力需給の面で九州電灯鉄道と密接な関係にあった[17]。 糸島電灯株式会社 1912年、松永安左エ門・田中徳次郎らの発起により資本金10万円にて設立[17]。開業は同年10月で、福岡市の西方、糸島郡前原町(現・糸島市)などを供給区域とした[18]。九州電灯鉄道から受電して配電した[17]。 七山水力電気株式会社 1912年、伊丹弥太郎・田中徳次郎らの発起により資本金40万円にて設立[17]。供給区域は佐賀県東松浦郡唐津町(現・唐津市)とその周辺[18]。玉島川水系七山川での水力発電を設立の目的としたが、資金不足で実際には九州電灯鉄道から受電し配電した[17]。 佐世保電気株式会社 1912年、福澤桃介・松永安左エ門らの発起により資本金100万円にて設立[17]。佐世保市とその周辺を供給区域とする京都電気佐世保支店(旧・大阪電灯佐世保支店)より事業を引き継いだ[17]。火力発電を電源としており合併時点で電力需給の関係はない[17]。 大諫電灯株式会社 1911年3月25日、資本金10万円にて長崎県東彼杵郡大村町(現・大村市)に設立[19]。大村町や北高来郡諫早町(現・諫早市)などを供給区域とした[18]。九州電灯鉄道の傘下にあり、同社が1913年1月に新設した大村町のガス力発電所を電源としていた[17]。 唐津軌道株式会社 1913年以後に統合した会社の中で唯一の非電気事業者。唐津地方で軌道事業を経営していた[17]。1911年設立で、松永安左エ門が社長であった[17]。 津屋崎電灯株式会社 1911年、資本金3万5000円にて設立[17]。自社発電所の建設を資金不足のため断念し、九州電灯鉄道からの受電によって1912年12月に開業した[17]。また翌年以降は九州電灯鉄道から松永や田中らが入って経営にあたっていた[17]。供給区域は福岡市の北方、宗像郡津屋崎町および福間町(現・福津市)[20]。 宗像電気株式会社 1911年8月、資本金10万円にて設立[17]。才賀藤吉によって設立された才賀系の会社であったが1913年以降は九州電灯鉄道から松永や伊丹が入って経営した[17]。開業は1915年5月で、九州電灯鉄道からの受電によって宗像郡赤間町(現・宗像市)などに供給した[20]。 1916年の統合[編集] 長崎電気瓦斯社長古賀春一 1916年(大正5年)5月には、久留米電灯・長崎電気瓦斯・馬関電灯の3社を合併し、合併と同時に行われた増資とあわせて資本金を1800万円とした[17]。 久留米電灯株式会社 久留米電灯は福岡県久留米市での供給事業を目的に久留米の有力商人らが1905年(明治38年)に設立した事業者である[21]。前身の広滝水力電気が電力を供給しており、1911年より旧九州電気の傘下となっていた[21]。資本金は15万円[17]。 長崎電気瓦斯株式会社 長崎電気瓦斯(旧・長崎電灯)は博多電灯に先駆けて1893年(明治26年)に開業した、長崎市の事業者である[22]。1914年(大正3年)に九州瓦斯というガス事業者と合併して社名を改めて以降は電気供給とガス供給を兼営した[23]。九州電灯鉄道からの受電開始を契機に会社の合併へと進んだ[23]。資本金は216万円[17]。 馬関電灯株式会社 馬関電灯は山口県下関市の事業者で、1896年(明治29年)の開業[23]。1911年に松永が役員に加わり、1914年からは松永の義兄竹岡陽一が専務を務めていた[23]。下関は九州と海峡で隔てられた地域で当時としては送電連系は不可能であったが、単純に供給区域を拡大するために合併に踏み切った[23]。松永によると、九州北部は九州水力電気や九州電気軌道がすでに地盤を固めていることからそれを超えて本州に向ったのだという[23]。資本金は50万円[17]。 1918年以降の統合[編集] 1918年(大正7年)1月、九州電灯鉄道は長府電灯より事業を買収し、1920年(大正9年)3月には彦島電気を合併した[17]。彦島電気との合併により資本金は1862万5000円となっている[17]。 長府電灯株式会社 1911年10月、地元有志と福岡の堀三太郎(九州電灯鉄道相談役)らによって資本金5万円で山口県豊浦郡長府町(現・下関市)に設立され、1914年3月に開業した[24]。供給区域は豊浦郡長府町ほか15村[24]。当初は火力発電(長府発電所・出力40キロワット)を電源としたが1915年(大正4年)6月より馬関電灯(後に九州電灯鉄道)からの受電に切り替えていた[24]。買収時の資本金は20万円で、払込資本金と同額の12万5000円で事業を九州電灯鉄道へ譲渡した[24]。 彦島電気株式会社 1912年12月、豊浦郡彦島村(現・下関市)への供給を目的に設立され、1914年7月に開業した[17]。長府電灯と同様に開業時の電源は火力発電(彦島発電所・出力50キロワット)であったが、1917年8月より九州電灯鉄道からの受電400キロワットへと切り替えた。合併時の資本金は50万円[24]。 九州水力電気との対立[編集] 女子畑発電所 以上のように成立以来相次いで合併・買収を繰り返した九州電灯鉄道であったが、博多電灯軌道と九州電気が合併する際に問題となった、同じ福岡の路面電車事業者博多電気軌道の合併については失敗した。同社が九州水力電気と合併したためである。 博多電気軌道の合併については、九州電灯鉄道成立前の1912年4月から協議が行われていた[25]。6月に合併条件で両社合意に達するが[25]、博多電気軌道の株主が合併条件に不満を持っているのを察知した九州水力電気が介入し、より有利な合併条件を提示して博多電気軌道に合併を勧誘した[26]。このことから7月17日に博多電気軌道は九州水力電気との合併を役員会で決定する[26]。その後麻生太吉の調停で九州電灯鉄道側は巻き返しを図り19日には博多電気軌道の間で合併契約を締結するに至るが、翌日の博多電気軌道の大株主会が九州水力電気との合併を支持したのを受けて21日の博多電気軌道役員会は九州電灯鉄道との合併契約締結を撤回し、改めて九州水力電気との合併を決定した[26]。そして同年11月、博多電気軌道は九州水力電気に合併された[26]。 博多電気軌道を合併した九州水力電気というのは、大規模水力開発と長距離送電技術を組み合わせ筑後川・山国川において水力開発をなすべく1911年に設立された電力会社である[27]。1913年に当時九州最大の出力1万2000キロワットを擁する女子畑発電所(大分県)を完成させ、翌年より北九州方面への送電を開始した[26]。その一方で九州水力電気は北九州に並ぶ九州北部における需要地である福岡市への進出を目論み開業に先立って博多電気軌道を合併[26]、同社が保有していた福岡市とその周辺町村における電気供給権を継承した[28]。こうして九州水力電気は九州電灯鉄道の地盤である福岡へと割り込む足がかりを得た[28]。 九州水力電気の福岡地区に対する供給権は、既存の九州電灯鉄道の架空配電線による供給と混乱しないよう地下配電線によるようにとの条件付で逓信省より認可されていた[29]。これを踏まえ1913年春より九州水力電気は地下線の工事に着手[28]。九州電灯鉄道よりも安価な電気料金により短期間のうちに需要家を獲得し、6月末までに2万2千灯の供給申し込みを集めた[28]。これに対抗して九州電灯鉄道側も料金を同水準に引き下げたものの、こうした両社の競争は市外在住の両社株主には好ましいものではなく、紛争を根絶してなおかつ重複投資を避け余剰電力が活用できて多大な利益があるなどとして両社の合併を推進する動きが生じた[28]。そして11月には両社の間で合併に関する申し合わせが取り交わされるに至った[28]。 合併に関する申し合わせにより、両社間の合意のない料金の値下げ・割引を禁止した上で、九州水力電気は地下配電線工事を停止する代わりに同工事施行済み地域(地下線区域)における九州電灯鉄道の供給権ならびに配電設備を電灯1灯につき10円で譲り受けることとなった[29]。これに基づき九州水力電気は地下線工事を停止している[28]。しかし合併交渉については、九州電灯鉄道の方が当時業績が優れていたことから合併条件をめぐって合意が成立せず、1916年(大正5年)冬になって決裂した[28]。 結局その後も合併が実現することはなかったが、地下線区域に関する問題は残り、1919年(大正8年)3月になって九州水力電気が九州電灯鉄道に対して地下線区域の営業権譲渡を要求して裁判を起こした[28]。この問題は東邦電力となった後まで続き、1923年(大正12年)に裁判が九州水力電気の勝訴で確定したのを受け、当時の逓信大臣犬養毅の裁定で翌年6月、申し合わせどおり九州水力電気が地下線区域の営業権を東邦電力から購入するもののそのまま東邦電力へと経営委託する、という条件で和解をみた[28]。 東邦電力への発展[編集] 関西電気初代副社長下出民義 1920年(大正9年)3月[17]、設備の拡張のため一挙に倍額以上の増資を行い資本金を5000万円とした[30]。この後戦後恐慌が発生するが、需要増加のペースが鈍ることはなく、おおむね経営に影響はなかった[31]。 1921年(大正10年)12月23日、九州電灯鉄道社長の伊丹弥太郎と同社常務の松永安左エ門は、それぞれ関西電気株式会社の社長と副社長に就任した[32]。この関西電気という電力会社は、九州電灯鉄道相談役の福澤桃介が1914年以来社長を務めていた愛知県の電力会社名古屋電灯と、奈良県の電力会社関西水力電気が1921年10月に合併し成立したものである[33]。成立当時資本金は6914万9650円で、本社は愛知県名古屋市にあり、名古屋電灯時代から伊丹・松永と交代するまで福澤が社長、下出民義が副社長であった[33]。 名古屋電灯(関西電気)は福澤の本拠のようになっていたが、伊丹・松永と交代して経営からほぼ退いた[34]。松永は後年の回想で、福澤は名古屋の政財界との折り合いが悪く、その上事業では需要急増に伴う供給力不足で停電が頻発して市民の不満を買っているような状況で行き詰っており、名古屋電灯と関西水力電気を合併しても打開できるよう状況ではないことから松永が「ピンチヒッター」として関西電気に移ったと書いている[34]。福澤は以後、名古屋電灯から派生した大同電力の経営に専念した[31]。 関西電気の社長・副社長に伊丹と松永が就任した時点で関西電気と九州電灯鉄道の合併は内定しており[32]、1921年12月25日、両社の間で合併契約が交わされた[35]。松永によると両社の合併は関西電気の窮状打開策であったという[34]。合併について九州電灯鉄道の一部株主からは、合併の動機が松永の私情に基づくものであり、また九州水力電気などとの合併による九州の電気事業統一という目標の放棄である、との批判が出たが、松永は九州の電気事業統一は直ちに実現するようなものではなく、中央の株式市場で募集できる関西電気と合併するならば地方的企業から脱皮でき資金調達の面で有利である、と反論し合併を主張した[31]。翌1922年(大正11年)1月12日、両社の株主総会で合併が承認された[35]。合併条件は、存続会社を関西電気として資本金を5000万円増資し、解散する九州電灯鉄道の株主に対して同社株式1株につき関西電気株式1株を交付するというものであった[35]。 1922年5月31日、関西電気と九州電灯鉄道の合併が成立し、九州電灯鉄道は消滅[35]。関西区域とそこから地理的に大きく隔てられた九州区域を加えた、計12府県を供給区域とする巨大で特異な電力会社が成立した[31]。合併後同年6月26日の株主総会をもって関西電気は東邦電力株式会社に社名を変更し、あわせて本社を東京へ移転している[31]。九州電灯鉄道は解散したものの、この新会社・東邦電力の首脳陣は引き続き伊丹が社長、松永が副社長を務め、専務に田中徳次郎が加わるなど、旧九州電灯鉄道の経営陣が主体であった[31]。以後、東邦電力は1942年(昭和17年)に解散するまで、業界大手「五大電力」の一角として活動することになる。 業績推移表[編集] 会社設立時(1896年)から関西電気(東邦電力)成立直前の1921年までの期別業績の推移は以下の通りである[36]。決算期は毎年5月(上期)・11月(下期)の2回。なお支出に償却金を含まないため『株式年鑑』の数値とは支出・利益金が若干異なる。 単位:千円 年度 公称資本金 払込資本金 収入 支出 利益金 配当率 1896 50 48 - - - - 1897上 50 50 63円 761円 △697円 - 1897下 50 50 3,453円 3,591円 △138円 - 1898上 50 50 12.5 10.1 2.3 6% 1898下 100 50 13.2 11.2 1.9 6% 1899上 100 61 14.1 9.8 4.3 12% 1899下 100 74 17.4 10.7 6.7 12% 1900上 100 100 19.8 10.5 9.2 15% 1900下 100 100 20.7 11.2 9.4 15% 1901上 100 100 25.0 14.2 13.9 12% 1901下 100 100 26.7 15.6 11.0 13% 1902上 100 100 28.0 15.3 12.7 20% 1902下 150 117 29.4 15.2 14.1 17% 1903上 150 133 29.9 14.9 14.9 16% 1903下 150 140 31.4 15.8 15.5 16% 1904上 150 150 30.9 15.6 15.2 15% 1904下 150 150 32.1 15.3 16.8 15% 1905上 150 150 34.9 17.4 17.5 15% 1905下 150 150 38.3 25.5 12.8 14% 1906上 150 150 36.5 27.9 8.6 8% 1906下 150 150 42.5 28.7 13.8 12% 1907上 150 150 46.1 29.0 17.1 20% 1907下 350 200 41.0 29.2 11.7 12% 1908上 350 268 51.0 31.9 19.0 12% 1908下 400 327 54.6 33.1 24.1 12% 1909上 800 453 77.8 40.7 37.1 12% 1909下 800 500 101.9 51.0 50.8 12% 1910上 800 606 142.1 66.2 75.9 12% 1910下 800 700 137.8 64.7 73.0 12% 1911上 1,600 828 161.6 72.9 88.7 12% 1911下 2,800 2,100 275 135 140 12% 1912上 4,850 3,287 452 249 202 12% 1912下 4,850 3,287 397 210 187 12% 1913上 4,850 3,287 507 267 239 12% 1913下 6,250 3,987 674 379 294 12% 1914上 6,250 6,228 728 415 312 12% 1914下 6,250 6,250 813 402 410 12% 1915上 6,250 6,250 876 434 441 12% 1915下 6,250 6,250 918 442 476 12% 1916上 8,886 8,886 1,528 823 704 12% 1916下 18,000 11,164 1,694 768 925 12% 1917上 18,000 11,164 1,797 876 921 12% 1917下 18,000 11,164 1,945 991 954 12% 1918上 18,000 11,164 2,260 1,297 962 12% 1918下 18,000 12,075 2,512 1,475 1,037 12% 1919上 18,000 12,075 2,268 1,176 1,091 12% 1919下 18,000 13,443 3,202 2,242 960 11% 1920上 18,625 18,607 3,933 2,755 1,178 16% 1920下 50,000 26,468 4,518 2,854 1,663 12% 1921上 50,000 26,468 4,960 2,870 2,090 12% 1921下 50,000 26,468 5,146 2,875 2,270 12% 供給の推移[編集] 以下、沿革のうち供給の推移について詳述する。 博多電灯時代[編集] 1897年(明治30年)11月1日に博多電灯が開業した当初、供給する電気は電灯用のみで、開業時の電灯数は1,811灯であった[7]。開業前の見積もりでは電灯の需要は1,000灯で、60キロワットの発電機1台で賄える計算であったが、実際にはこのように想定より需要が多く、当初の電源である東中洲発電所は発電機2台体制(出力120キロワット)でのスタートとなった[7]。開業当初は設備の不備から停電が相次いだものの、電灯は市民に歓迎され、供給力以上の供給申し込みがあったという[37]。 電灯料金は普及促進を目的に当初は安価に設定されていた[7]。料金は電灯の燭光別の定額制で、月額は終夜灯で10燭灯65銭・16燭灯90銭などであった[38]。その後日清戦争後の好況で燃料石炭費が高騰したため1898年(明治31年)4月より電灯料金の第1次値上げを実施し[4]、終夜灯の場合月額20銭ずつ引き上げた[38]。翌1899年(明治32年)6月にも第2次の値上げを実施し、月額15銭ずつ引き上げている[4]。しかし値上げにもかかわらず、1899年12月に1回目の発電所増設が完成し供給力が240キロワットとなって供給余力が生ずると、供給数は大幅に伸長した[7]。特に1902年(明治35年)は「菅公一千年祭」の開催時に臨時灯250灯余りを点灯し、祭典後も引き続き需要が増加したことから全発電機を常に運転する状態となった[39]。このため博多電灯では同年7月に2度目の発電所増設(出力360キロワットへ)を決定している[7]。 日露戦争の勃発によって石炭価格が再び高騰したため、1904年(明治37年)7月、第3次の電灯料金値上げを実施した[40]。以後月額料金は10燭灯1円40銭・16燭灯1円75銭などとなった[38]。戦後の1907年(明治30年)に反動恐慌が発生したのを受けて博多電灯でもその影響を受けるが、対策として需要家の希望に沿い低料金の低燭光灯(5燭灯)の供給を始めた[40]。低燭光灯の供給は、前年より始めていた断線した電球の無料交換とともに好評であり、恐慌の影響の軽減に繋がった[40]。 電灯数は1907年(明治40年)に9千灯を超え、供給力の限界に達して供給の申し込みを謝絶せざるを得ない状態となった[39]。既存の東中洲発電所は増設の余地がなくこうした需要増加に対処できなくなったため[8]、博多電灯は1908年(明治41年)9月、出力500キロワットの住吉発電所を新設した[10]。新発電所建設に伴う一応の供給力不足解消で供給は伸長し、まもなく電灯数は1万を突破している[10]。さらに新発電所建設を期に同年10月より動力用電力の供給も開始した[40]。電力供給は開始当初は精米などでの利用が見られるだけで需要はごくわずかであったが、電動機の普及につれて供給を伸ばしていった[40]。また夏季には扇風機も出現した[40]。 新発電所建設後も続く需要増加に対応するため、1910年(明治43年)3月に住吉発電所2号機増設を実施し、供給力を1,500キロワットとした[10]。増設を期に、これまで九州の他の火力発電事業者と比べて高価であった電気料金を同年7月に初めて引き下げ[41]、同時に従量料金制度(従量灯の供給)を設定している[40]。翌1911年(明治44年)6月には福博電気軌道との合併契約締結に伴う第2次料金値下げを実施した[42]。またこれらの福岡地区での供給とは別に、博多電灯は大牟田市内に大牟田発電所を新設して1909年(明治42年)2月より大牟田地区での供給を始めた[10]。 大牟田地区での開業と福岡地区でのさらなる需要増により、住吉発電所増設後の1910年下期には電灯数は2万4千灯に達し[43]、翌年には3万灯を突破した[44]。 九州電灯鉄道時代[編集] 1912年(明治45年)6月、博多電灯軌道と九州電気が合併し九州電灯鉄道が成立した。この合併による供給区域の拡大に加え、合併直後に住吉発電所の2,000キロワット増設工事が竣工して福岡市内を中心に電灯・電力供給が大幅増となったことで、九州電灯鉄道の供給は一挙に拡大し、1912年下期末時点での供給実績は、電灯数は1911年下期末の3万6千灯から2倍以上の10万1千灯、電力供給馬力数は約400馬力から5倍の約2,000馬力となった[45]。この間の1912年10月、供給力が豊富となったことを受けて福岡地方の電灯料金の第3次値下げを実施し、同時に電灯工事の無料化を行ったため、需要はさらなる増加に向った[46]。翌1913年(大正2年)6月には対外関係上再度の電灯料金の値下げを実施し[47]、定額灯の月額料金を5燭灯で40銭(10銭引き)、10燭灯で50銭(20銭引き)、16燭灯で75銭(25銭引き)などとした[38]。 1914年(大正3年)に始まった第一次世界大戦の期間中の電灯・電力需要は旺盛で、周辺事業者の合併による供給区域拡大とあわせて供給を拡大させる要因となり、九州電灯鉄道の供給実績は翌1915年(大正4年)には電灯数が20万灯、電力供給馬力数が5千馬力を超えるに至った[48]。さらに長崎電気瓦斯・久留米電灯・馬関電灯の3社を合併した1916年(大正5年)には、電灯数は36万灯となるとともに、電力供給が1万1千馬力に達している[48]。 戦中の後期から戦後にかけても需要の増加は続き、1921年(大正10年)下期の供給実績は電灯数が1916年の2倍近い70万灯、電力供給に至っては3倍近い3万3千馬力へと拡大した[48]。特に電力供給は1920年(大正9年)12月に大幅値上げされていたにもかかわらず供給がそれ以降に1万馬力増加するという状況であった[48]。ちなみに大口の電力需要家には、福岡炭田(福岡県)・唐津炭田(佐賀県)の中小炭鉱や、長崎所在の三菱造船長崎造船所・長崎紡績、長崎の路面電車会社長崎電気軌道などが存在した[31]。 なお1920年12月の料金値上げは賃金・物価の上昇に伴うもので、電灯料金についても行われており、福岡市内の定額灯では5燭灯・10燭灯・16燭灯の場合1917年6月の改訂料金から10銭ずつ引き上げられてそれぞれ月額50銭・60銭・80銭とされた[38]。 供給実績推移表[編集] 1897年の開業から1921年までの電灯供給実績(アーク灯の数値を除く)および電力供給実績の推移は以下の通り[49]。決算期は毎年5月(上期)・11月(下期)の2回で、供給実績の数値は各期末、収入の金額は各期中のものである。 年度 電灯供給 電力供給 馬力数 料金収入(単位:千円) 備考 需要家数 電灯数 電灯料 電力料 1897下 - 1,749 - 2 - 開業初年度 1898上 411 2,024 - 11 - 1898下 409 1,918 - 12 - 1899上 419 1,924 - 13 - 1899下 465 2,071 - 16 - 1900上 444 2,118 - 17 - 1900下 634 2,773 - 18 - 1901上 762 3,167 - 24 - 1901下 800 3,213 - 25 - 1902上 863 3,523 - 26 - 1902下 895 3,708 - 27 - 1903上 923 3,957 - 28 - 1903下 1,004 4,028 - 30 - 1904上 1,034 4,194 - 30 - 1904下 1,089 4,963 - 33 - 1905上 1,186 6,010 - 33 - 1905下 1,341 6,647 - 37 - 1906上 1,491 6,669 - 34 - 1906下 2,172 8,293 - 39 - 1907上 2,340 8,990 - 44 - 1907下 2,376 9,152 - 38 - 1908上 2,413 9,523 - 48 - 1908下 2,477 10,372 44 50 0.3 電力供給開始 1909上 5,568 12,853 168 64 5 大牟田支社設置 1909下 4,692 15,937 231 81 9 1910上 5,899 20,102 306 116 12 1910下 7,916 24,297 372 107 14 1911上 11,127 30,038 415 129 15 福博電気軌道を合併 1911下 13,641 36,783 378 165 左に含む 1912上 30,439 89,708 1,842 287 26 九州電気を合併 1912下 34,798 101,185 1,980.5 250 25 1913上 41,280 113,054 2,265 328 34 1913下 62,070 158,037 2,543.5 427 39 七山水力電気等合併 1914上 72,589 179,801 3,590.5 480 42 1914下 77,925 184,903 4,242 522 56 1915上 84,045 198,494 5,037.5 578 78 1915下 88,748 209,754 5,412.5 610 92 津屋崎電灯等合併 1916上 141,332 337,794 7,946 1,050 185 長崎電気瓦斯等合併 1916下 151,221 361,699 11,790.5 1,052 223 1917上 156,960 378,417 11,601.5 1,137 293 1917下 168,398 403,087 11,460 1,180 346 長府電灯買収 1918上 183,601 439,785 16,919 1,362 437 1918下 194,400 469,161 16,568.5 1,430 586 1919上 207,122 509,450 18,839 1,621 717 1919下 212,822 530,158 19,649.5 1,736 842 1920上 224,996 569,707 20,450 2,187 1,027 彦島電気合併 1920下 234,457 606,512 22,432.5 2,380 1,257 1921上 248,040 650,797 28,403 2,616 1,432 1921下 265,041 702,013 33,756 2,769 1,607 供給区域一覧[編集] 1911年[編集] 1911年(明治44年)末時点における博多電灯軌道の供給区域は以下のとおり[50]。 福岡県 福岡市 筑紫郡住吉町・千代村・堅粕村・豊平村・警固村(現・福岡市) 糟屋郡箱崎町(同上) 早良郡西新町・鳥飼村(同上) 三池郡大牟田町・三川村・駛馬村・三池町(現・大牟田市) 1921年[編集] 1921年(大正10年)11月末時点における九州電灯鉄道の供給区域は以下のとおり[51]。 福岡県 市部 福岡市、久留米市、大牟田市 筑紫郡 住吉町・堅粕町・千代町・八幡村・席田村(現・福岡市) 糟屋郡 箱崎町・多々良村・香椎村・和白村・志賀島村(現・福岡市)、 新宮村・立花村(現・新宮町)、 席内村・小野村・青柳村(現・古賀市)、 山田村・久原村(現・久山町)、 勢門村・篠栗村(現・篠栗町)、 大川村・仲原村(現・粕屋町)、 志免村(現・志免町) 宗像郡 福間町・上西郷村・神興村・津屋崎町・勝浦村(現・福津市)、 東郷村・赤間町・河東村・吉武村・田島村・神湊町・池野村(現・宗像市) 遠賀郡 岡垣村(現・岡垣町) 早良郡 西新町・樋井川村・原村・田隈村・入部村・脇山村・内野村・金武村・壱岐村(現・福岡市) 糸島郡 郡内全町村(現・福岡市・糸島市) 三井郡 国分村・合川村・節原村・御井町・高良内村(現・久留米市) 三潴郡 荒木村・安武村・大善寺村・三潴村・城島町・青木村(現・久留米市)、 大川町・三叉村・田口村・川口村・大野島村(現・大川市)、 蒲池村・浜武村・久間田村(現・柳川市) 山門郡 柳河町・城内村・沖端村・東宮永村・西宮永村・三橋村・大和村(現・柳川市) 三池郡 江浦村・開村・二川村(現・みやま市)、 銀水村・三池町・三川村・駛馬村・玉川村(現・大牟田市) 佐賀県 市部 佐賀市 佐賀郡 久保泉村以外の全町村(現・佐賀市) 神埼郡 神埼町・西郷村・仁比山村・城田村・境野村・千歳村・脊振村(現・神埼市)、 蓮池村(現・佐賀市)、 三田川村(現・吉野ヶ里町) 三養基郡 鳥栖町・田代村・旭村・基里村(現・鳥栖市)、 基山村(現・基山町)、 北茂安村・中原村・三川村(現・みやき町)、 上峰村(現・上峰町) 小城郡 芦刈村・牛津町・砥川村・三日月村・小城町・岩松村・晴田村・三里村(現・小城市)、 東多久村・多久村・西多久村・北多久村(現・多久市)、 南山村(現・佐賀市) 東松浦郡 唐津町・満島村・鏡村・久里村・鬼塚村・唐津村・佐志村・湊村・浜崎村・玉島村・厳木村・相知村・北波多村・呼子町・名古屋村(現・唐津市) 西松浦郡 伊万里町・牧島村・大坪村・松浦村・二里村・東山代村・西山代村・波多津村(現・伊万里市)、 有田町、有田村・大山村・曲川村(現・有田町) 杵島郡 武雄町・中通村・若木村(現・武雄市) 藤津郡 鹿島町・鹿島村・浜町・古枝村・能古見村(現・鹿島市)、 五町田村・塩田町・久間村(現・嬉野市) 長崎県 市部 長崎市、佐世保市 西彼杵郡 小ヶ倉村・土井首村・深堀村・茂木町・日見村・矢上村・西浦上村・小榊村・福田村・式見村(現・長崎市)、 長与村(現・長与町)、時津村(現・時津町) 北高来郡 諫早町・諫早村・北諫早村・小栗村・有喜村・江ノ浦村・田結村(現・諫早市)、 戸石村(現・長崎市) 東彼杵郡 大村町・大村・西大村・竹松村・福重村・松原村(現・大村市)、 佐世村・日宇村・早岐村・折尾瀬村・広田村・宮村(現・佐世保市) 北松浦郡 山口村・中里村・皆瀬村・大野村・柚木村・世知原村・吉井村・江迎村・小佐々村(現・佐世保市)、 佐々村(現・佐々町)、今福村・調川村・志佐町・福島村(現・松浦市) 熊本県 玉名郡 南関町、荒尾町・有明村・平井村(現・荒尾市) 山口県 市部 下関市 豊浦郡 彦島町・川中村・安岡村・豊西上村・勝山村・長府町・玉司村・清末村・小月村・豊東村・岡枝村・楢崎村・豊田下村・西市村・豊西村・黒井村・川棚村・小串村・宇賀村・神玉村・神田村・阿川村・栗野村・滝部村(現・下関市) 厚狭郡 王喜村・吉田村(現・下関市) 1921年11月末時点で電灯数が最も多い都市は長崎市(104,967灯)で、以下福岡市(81,073灯)、下関市(58,532灯)、佐世保市(41,789灯)、久留米市(33,193灯)、大牟田市(27,490灯)、佐賀市(25,544灯)と続く[51]。一方電動機馬力数は福岡市が1,147馬力と最多で、以下長崎市(712馬力)、下関市(659馬力)、久留米市(560馬力)、佐賀市(398馬力)、佐世保市(382馬力)、大牟田市(318馬力)の順である[51]。 これらの九州地方および下関地区の地域は、1922年の東邦電力成立後は同社「九州区域」とされ[31]、管内には福岡・久留米・大牟田・佐賀・佐世保・長崎・下関の7支店が設置された[52]。このうち下関支店管内の事業は1933年(昭和8年)に県営電気事業を営む山口県へと譲渡されたが、他は東邦電力に残り、1937年(昭和12年)にかけて周辺事業者の合併に伴って供給区域を広げた[53]。九州6支店管内の供給区域はその後、太平洋戦争中の配電統制令によって九州配電へと移行するものとされ、1942年(昭和17年)に同社へと設備が出資された[54]。戦後1951年(昭和26年)になって、この九州配電を引き継いで現在の九州電力が成立している。 電源の推移[編集] 以下、沿革のうち電源の推移について詳述する。 東中洲発電所[編集] 博多電灯最初の発電所は東中洲発電所といい、1897年(明治30年)11月の開業にあわせて福岡市東中洲に設置された[3]。上記供給の推移で記述したようにその後2度の増設が行われており、発電所出力は当初の120キロワットから240キロワット、360キロワットと推移している。 当初設置された発電機は芝浦製作所(現・東芝)製で、出力60キロワットの単相交流発電機(電圧2,000ボルト、周波数100ヘルツ)であった[3]。これらの開業時に用意された国産機器は故障が多かったため、増設に際してはアメリカからの輸入機器が設置されており、1899年(明治32年)12月増設の3号機および1902年(明治35年)7月増設の4号機はウェスティングハウス・エレクトリック製の120キロワット単相交流発電機1台(電圧2,200ボルト、周波数133ヘルツ)であった[3][7]。 東中洲発電所は下記住吉発電所の2号機増設竣工(1910年3月)によって予備設備とされ、後に廃止された[40]。 住吉発電所[編集] 東中洲発電所は2度にわたる増設でそれ以上の拡張の余地がなくなったため、博多電灯では当時福岡市の郊外であった筑紫郡住吉村での新発電所建設を決定し、1908年(明治41年)9月に住吉発電所を新設した[10]。発電所の主要設備は以下の通り[55]。 ボイラー : 計8台 原動機 : 750馬力カーチス式蒸気タービン1台(米国ゼネラル・エレクトリック製) 1,500馬力カーチス式蒸気タービン1台(英国ブリティッシュ・トムソン・ハウストン製) 3,000馬力カーチス式蒸気タービン1台(同上) 発電機 : 500キロボルトアンペア三相交流発電機1台(米国ゼネラル・エレクトリック製、電圧2,300ボルト・周波数60ヘルツ) 1,000キロボルトアンペア三相交流発電機1台(英国ブリティッシュ・トムソン・ハウストン製、電圧2,300ボルト・周波数60ヘルツ) 2,000キロボルトアンペア三相交流発電機1台(同上) 発電所出力 : 3,500キロワット このうち新設当初に設置されていたのは米国ゼネラル・エレクトリック (GE) 製機器各1台のみで、発電所出力は500キロワットであった[10]。需要の増加に伴って1910年(明治43年)3月に2号機が増設されて出力は1,500キロワットとなり[10]、九州電灯鉄道成立直後の1912年(明治45年)6月に3号機も完成して出力は2,000キロワット増の3,500キロワットとなった[56]。さらに1916年(大正5年)7月には発電機出力の変更で認可出力が4,000キロワットとなっている[56]。 住吉発電所は東邦電力時代の1938年(昭和13年)12月に廃止許可があり[57]、現存しない。 大牟田発電所[編集] 東中洲発電所・住吉発電所を置いた福岡地区とは別に、博多電灯は大牟田市内に大牟田発電所を新設して1909年(明治42年)2月より大牟田地区での供給を開始した[10]。この大牟田発電所の主要設備は以下の通り[55]。 ボイラー : 計2台 原動機 : 208馬力蒸気機関1台(米国製) 発電機 : 120キロボルトアンペア単相交流発電機1台(米国ウェスティングハウス・エレクトリック製、電圧2,200ボルト・周波数133ヘルツ) 発電所出力 : 120キロワット 下記の通り、大牟田発電所は1913年に予備設備となった後1915年7月に休止となっている。 広滝発電所・川上川発電所[編集] 広滝発電所(現・九州電力広滝第一発電所) 九州電気の合併により、九州電灯鉄道の電源には広滝発電所と川上川発電所という2つの水力発電所が加わった。前者は佐賀県神埼郡脊振村大字広滝(現・神埼市脊振町広滝)にある筑後川水系城原川(じょうばるがわ)の発電所、後者は佐賀県佐賀郡小関村大字小副川(現・佐賀市富士町大字小副川)にあった川上川(嘉瀬川上流部)の発電所である[58]。発電所出力は広滝が1,000キロワット(1918年以降1,500キロワット)、川上川が1,050キロワット(同900キロワット)であった[59]。 九州電気時代、広滝発電所からは佐賀(第一)・神埼・諸富・久留米・鳥栖の各変電所、川上川発電所からは佐賀(第二)・小城・唐津・三間坂(現武雄市)の各変電所へと送電されていた[60]。九州電灯鉄道の成立後、川上川発電所と福岡住吉発電所の連絡が完成すると、水力・火力発電の並列運転が可能となった[61]。これにより日中は水力発電所の電気を福岡方面へと送電して火力発電を休止できるようになり、反対に夜間は佐賀方面に対し火力発電によって供給力不足時の補給が可能なった[61]。また1913年(大正2年)に川上川発電所から大牟田まで送電線が架設されたことから大牟田発電所は予備となりその後1915年(大正4年)7月に休止された[62]。 川上川第一・第二発電所[編集] 川上川第一発電所 九州電灯鉄道は成立直後から水力・火力併用の発電を目指し、真っ先に九州電気から引き継いだ川上川の開発に着手する[63]。1912年12月、川上川にて川上川第一発電所・同第二発電所の水利権を得て、翌1913年3月まず川上川第二発電所を着工した[63]。 川上川第二発電所は佐賀郡小関村大字小副川にあり[64]、川上川発電所の上流に位置した[63]。着工翌年の1914年(大正3年)5月に竣工している[63]。第二発電所の主要設備は以下の通り[65]。 原動機 : 1,430馬力反動水車2台(ドイツ・フォイト製) 発電機 : 800キロボルトアンペア三相交流発電機2台(ドイツ・シーメンス製、周波数60ヘルツ) 変圧器 : 3台・総容量1,980キロボルトアンペア(ドイツ・シーメンス製) 発電所出力 : 1,600キロワット 第二発電所に続いてその下流、小城郡南山村大字下熊川(現・佐賀市富士町大字下熊川)[64]にて川上川第一発電所の建設が1913年5月に始まった[63]。1916年(大正5年)8月に一部が運転を開始し、翌1917年(大正6年)6月より計画通り出力6,600キロワットでの運転を開始している[63]。 第一発電所の主要設備は以下の通り[65]。 原動機 : 3,850馬力フランシス水車3台(スウェーデン・ベービング社製) 発電機 : 2,200キロボルトアンペア三相交流発電機3台(芝浦製作所製、周波数60ヘルツ) 変圧器 : 3台・総容量7,500キロボルトアンペア(米国ゼネラル・エレクトリック製) 発電所出力 : 6,600キロワット 発電所建設に前後して送電網の再整備も進められた。まず1914年8月、佐世保への送電線を建設して旧佐世保電気から引き継いだ佐世保発電所(出力530キロワット)を廃止、川上川系統の余力による供給に振り替えた[62]。さらに翌1915年11月には川上川第一発電所から長崎へ至る長崎送電線を新設[66]。あわせて大村にも変電所を設置し、旧大諫電灯への供給用であった大村発電所(出力100キロワット)を廃止している[62]。さらに1916年までに送電線の改廃・新設が相次いで実施され、九州電灯鉄道の送電網は一新された[66]。 なお両発電所の所属会社は九州電灯鉄道から東邦電力、日本発送電と変遷した後、1951年(昭和26年)より九州電力に移り、同社川上川第一発電所(位置)および川上川第二発電所(位置)となっている[59]。 長崎発電所[編集] 九州電灯鉄道が1916年に合併した長崎電気瓦斯は1912年に長崎市稲佐地区の旭町にて火力発電所(出力1,000キロワット)を建設していたが[67]、九州電灯鉄道でも1915年8月になって長崎進出に伴う予備電源として同発電所構内に自社の長崎発電所(出力1,000キロワット)を新設した[56]。長崎電気瓦斯の合併後は両発電所を合わせて「長崎発電所」と称している[56]。1919年(大正8年)2月には3,000キロワットの増設工事が竣工した[56]。 増設後の長崎発電所の主要設備は以下の通り[68]。 ボイラー : 6台 原動機 : 750馬力カーチス式蒸気タービン2台(英国ブリティッシュ・トムソン・ハウストン製) 1,500馬力カーチス式蒸気タービン1台(米国ゼネラル・エレクトリック製) 5,300馬力混成式蒸気タービン1台(三菱造船所製) 発電機 : 625キロボルトアンペア三相交流発電機2台(英国ブリティッシュ・トムソン・ハウストン製、周波数60ヘルツ) 1,000キロボルトアンペア三相交流発電機1台(米国ゼネラル・エレクトリック製、周波数60ヘルツ) 3,750キロボルトアンペア三相交流発電機1台(三菱造船所製、周波数60ヘルツ) 発電所出力 : 4,000キロワット 長崎発電所は1945年(昭和20年)に廃止されており現存しない[69]。 名島発電所[編集] 名島発電所 詳細は「名島火力発電所」を参照 川上川第一発電所に続く電源開発は、水力発電の適地が川上川以外に存在しないことから火力発電とされ、需要増加を見越して1916年11月に上述の長崎発電所の増設と2万キロワットの大規模発電所新設が決定された[48]。発電所の立地は翌年に佐賀県内の山本駅付近に一旦決定されたが、1918年(大正7年)になって福岡県糟屋郡多々良村名島(現・福岡市東区)に変更された[48]。こうして着工されたのが名島発電所で、1920年(大正9年)の4月と6月に発電機が1台ずつ完成し竣工した[48]。 名島発電所の主要設備は以下の通り[68]。 ボイラー : 10台 原動機 : 17,600馬力カーチス式蒸気タービン2台(米国ゼネラル・エレクトリック製) 発電機 : 12,500キロボルトアンペア三相交流発電機1台(同上、周波数60ヘルツ) 変圧器 : 9台(日立製作所製および芝浦製作所製) 名島発電所からは川上川第一発電所との間を連絡する66キロボルト送電線が建設された[66]。これにより名島発電所を起点に川上川第一発電所を中継点として南は佐賀・大川変電所へ、西は東多久・武雄を経て佐世保・大村・長崎の各変電所へと至る基幹送電線が完成、そこから各発電所・変電所にて分岐する枝線で各地へ送電する送電網が構築された[66]。 以上の発電所新設の結果、独立した送電系統の下関支店を除いた九州電灯鉄道の発電力は、水力が4発電所計1万600キロワット、火力が3発電所計2万8000キロワットとなり、総発電力は合計3万8600キロワットに達した(1921年6月末時点。なお他に電源としては九州水力電気からの受電225キロワットが存在)[70]。 なお名島発電所は、九州電灯鉄道から東邦電力・日本発送電を経て1951年より九州電力の発電所となるが、1960年(昭和35年)12月に廃止され現存しない[71]。 前田発電所[編集] 詳細は「前田発電所」を参照 1916年から1920年にかけて馬関電灯・長府電灯・彦島電気を統合したことで成立した下関支店管内の地域は、山口県内における電力需要の中心の一つであった[24]。電源としては馬関電灯から引き継いだ下関発電所(火力発電所)があり、はじめ出力800キロワットで運転していたが、九州電灯鉄道合併後の1917年5月に増設工事が竣工して出力は2,050キロワットとなった[56]。しかし第一次世界大戦後の需要増加に対応できなくなったため、九州電灯鉄道では豊浦郡長府町前田(現・下関市前田)での新火力発電所新設を決定した。こうして建設されたのが前田発電所である[56]。1921年(大正10年)7月より運転を開始した[56]。 前田発電所の主要設備は以下の通り[72]。 ボイラー : 2台 原動機 : 8,378馬力カーチス式蒸気タービン1台(米国ゼネラル・エレクトリック製) 発電機 : 6,250キロボルトアンペア三相交流発電機1台(米国ゼネラル・エレクトリック製、周波数60ヘルツ) 変圧器 : 3台(芝浦製作所製) 発電所出力 : 5,000キロワット この前田発電所も、名島発電所と同様にそれまでの総発電力を単体で上回る大出力の火力発電所であった[56]。このような大火力発電所の新設は、常務の松永安左エ門が計画したものという[56]。 前田発電所は九州電灯鉄道、東邦電力を経て1933年に山口県営となり、さらに日本発送電を経て1951年より中国電力前田発電所となるが、1960年3月に廃止されており現存しない[73]。 軌道事業の推移[編集] 以下、沿革のうち軌道事業(福博電車および唐津軌道)について詳述する。 福博電車[編集] 「福博電気軌道」も参照 九州電灯鉄道が経営した軌道事業のうち、福岡市を東西に縦貫する電気軌道は「福博電車」と呼ばれた。元は福博電気軌道が建設した路線で、1910年(明治43年)3月に最初の区間が開通したのを皮切りに、翌年までに箱崎・今川橋間と支線の呉服町・博多駅前間、計8.19キロメートルが全線複線で開業した[74]。1911年(明治44年)10月の博多電灯・福博電気軌道の合併に伴いこの路線は九州電灯鉄道(当初博多電灯軌道)の運営に移った。 電車の電源として開業時より堅粕発電所(出力240キロワット、筑紫郡堅粕村大字比恵所在)が運転されていたが、運転車両数が増加するにつれて供給力不足となったため、1911年3月、住吉発電所からの受電契約を結んで堅粕発電所を休止することとなった[75]。住吉発電所の発生電力を交流から直流に変換し電車用動力に供する変電所は、同年10月同発電所構内に完成した[76]。 電車の運賃は福博電気軌道時代の1911年3月に改訂されて以降は不変で[77]、全線を7分割し1区につき2銭を徴収する区間運賃制を採った[78]。運賃制度は不変であったが、沿線イベント開催時の運賃割引や沿線での住宅・娯楽施設経営など積極的な集客策により、1912年から1921年の9年間で乗客数は5倍、運賃収入は4倍に拡大している[77]。この間の1921年6月5日、箱崎から東へ工科大学前までの路線延伸区間約750メートルが営業を開始した[79]。 唐津軌道[編集] 「唐津軌道」も参照 九州電灯鉄道が経営した軌道事業のうち、佐賀県唐津地方の非電化軌道は「唐津軌道」と呼ばれた。元は唐津軌道株式会社(旧・満島馬車鉄道)が建設した路線で、1900年(明治43年)にまず浜崎 - 満島間が開業、その後満島から西へ順次延伸して九州電灯鉄道との合併直前、1913年(大正2年)11月に佐志まで到達していた[80]。全長は11.4キロメートル[80]。 この唐津軌道は馬車鉄道であったが、1913年11月に九州電灯鉄道へ引き継がれると石油発動車6台が導入されて運行本数が増加した[77]。さらに1916年(大正5年)には工藤式蒸気動車も導入されている[77]。しかし前身会社に携わった草場猪之吉によると、こうした施設の改良にもかかわらず唐津軌道は思うような成績を挙げなかったという[81]。 輸送実績推移表[編集] 1911年から1921年までの軌道事業輸送実績の推移は以下の通り[82]。決算期は毎年5月(上期)・11月(下期)の2回で、乗車人員・運賃収入ともに各期中のものである。 年度 乗車人員(単位:千人) 運賃収入(単位:千円) 福博電車 唐津軌道 福博電車 唐津軌道 1911上 - - 41 - 1911下 2,955 - 98 - 1912上 3,511 - 82 - 1912下 3,072 - 84 - 1913上 3,788 - 103 - 1913下 4,174 196 113 12 1914上 4,254 148 112 8 1914下 4,747 145 118 7 1915上 5,270 165 130 8 1915下 5,128 195 119 9 1916上 5,307 202 126 9 1916下 5,875 235 134 10 1917上 6,406 231 148 12 1917下 7,066 205 162 11 1918上 8,566 236 202 13 1918下 8,762 217 119 11 1919上 10,042 239 230 13 1919下 12,432 294 280 16 1920上 13,827 285 319 23 1920下 13,478 306 302 23 1921上 14,599 388 327 30 1921下 16,001 382 353 39 福博電車と唐津軌道は1922年以降東邦電力の軌道部門となったが、唐津軌道については1930年(昭和5年)11月に廃止され東邦電力系の九州鉄道によるバスで代替された[83]。福博電車については1934年(昭和9年)になって東邦電力から分離され、九州水力電気傘下の博多電気軌道(2代目・1929年九州水力電気より独立)と事業統合の上で福博電車株式会社に移された[84]。同社は1942年(昭和17年)に合併で西日本鉄道(西鉄)となり、その路線は西鉄福岡市内線とされたが、旧九州電灯鉄道の線区(貫線・呉服町線)は1975年(昭和50年)11月に廃止されており現存しない[85]。 その他事業の推移[編集] 以下、沿革のうち電気事業・軌道事業以外の沿革について詳述する。 ガス事業[編集] 石炭ガスの製造・供給、これに関する副生物の精製・販売といったガス事業は、1916年5月に長崎電気瓦斯に合併したことで同社より引き継ぎ開始した[86]。事業は長崎支店の所管で、石炭ガスの供給区域は長崎市内、ガス工場は同市八千代町1丁目にあった(1922年3月末時点)[87]。 九州電灯鉄道に関与した福澤桃介・松永安左エ門の両名は、九州では他にガス事業も経営し、1913年(大正2年)6月に西部合同瓦斯(現・西部ガス)を設立していた[88]。同社は九州と山口県のガス会社10社を一挙に合同したガス会社であり、福岡・大牟田・佐世保・下関のガス会社も合併に参加したが[88]、長崎市の九州瓦斯は参加せず、別に長崎電灯との合併を選び1914年(大正3年)に長崎電気瓦斯となった[89]。このガス事業が九州電灯鉄道へ引き継がれたのである。 1916年から1921年にかけての事業状況の推移は以下の通り[90]。決算期は毎年5月(上期)・11月(下期)の2回で、需要家数・孔数の数値は各期末、製造量と収入金額は各期中のものである。また収入には副生物収入を含む。 年度 需要家数 孔数 ガス製造量 (単位:立方尺) 収入 (単位:千円) 灯用 熱用 街灯用 1916上 2,996 8,137 4,914 38 - 41 1916下 2,941 7,816 4,914 38 25,865,100 38 1917上 2,942 7,670 5,005 38 29,922,600 50 1917下 2,896 7,420 5,148 38 26,204,000 46 1918上 2,909 7,075 5,300 38 32,896,200 63 1918下 2,879 6,804 5,524 38 33,566,800 69 1919上 2,625 6,042 5,348 14 36,059,500 83 1919下 2,471 5,437 5,175 3 30,484,300 75 1920上 2,463 5,240 5,249 3 35,479,800 97 1920下 2,387 4,963 5,216 2 33,290,700 92 1921上 2,426 4,817 5,395 1 34,751,000 98 1921下 2,536 4,699 5,690 1 35,378,100 96 表のように、電灯の普及によって灯用のガス利用、すなわちガス灯は減少する一方、熱用の利用は増加していった[91]。熱用の増加は、第一次世界大戦勃発後に薪炭の市価が高騰したことによる[92]。またガス事業の副業である副生物の精製・販売に力が注がれ、コークス製造以外にも、1916年にタール蒸留装置が完成し精製コールタール・ベンゼン・ナフタレン・ピッチなどの製造を開始し、1918年(大正7年)には硫酸アンモニウムの製造も開始した[91][92]。 長崎のガス事業は東邦電力成立後の1922年(大正11年)7月より西部合同瓦斯への委託経営となった[93]。1927年(昭和2年)4月に委託先は西部合同瓦斯を合併した東邦瓦斯(東邦ガス)となり[94]、さらに同年9月、正式に事業譲渡が成立し東邦瓦斯長崎支店の所管となった[95]。その3年後の1930年(昭和5年)、長崎を含む九州地方における東邦瓦斯の事業が独立して現在の西部瓦斯(西部ガス)が発足している。 製作所事業[編集] 製作所の広告(1920年) 九州電灯鉄道は1912年末より「工作所」の名で電車関係の機械・器具の製作・修理を兼業として始め、やがて変圧器や配電盤などの電気供給事業に関する機器の製作も手がけるようになった[96]。1918年(大正7年)になり、この事業を社外の注文にも応ずるべく拡大することとなり、8月に工場設置の許可を得た[96]。こうして翌1919年(大正8年)3月に九州電灯鉄道の「製作所」が完成[96]、営業を開始した[97]。製作する機器は変圧器・電動機・扇風機・開閉器などである[96]。製作所の所在地は堅粕町大字比恵(後の福岡市比恵)[98]。 製作所事業の収入は1921年上期に7万8千円となりピークを迎えたが、同年下期には同業他社との競争激化のため半減に近い4万1千円となった[97]。製作所は関西電気(東邦電力)との合併後、1922年6月より株式会社東邦電機工作所へと分離された[99]。さらに1927年(昭和2年)になって工場を引き継ぎ西部電気工業所(現・西部電機)が発足している[100]。 土地建物事業[編集] 福博電気軌道時代の1910年2月、電車経営の附帯事業として土地・家屋の売買・賃貸を手がけることを決定し[101]、ただちに福岡市西部、地行西町にて土地を買収、まず住宅5棟を建築して賃貸を開始した[102]。 九州電灯鉄道となった1912年6月時点では所有土地は2万7千坪、所有家屋は29棟であった[103]。こうした土地経営は電車事業の収益と相まって発展し、さらに1913年以降は百道方面にも事業の対象が拡大、1921年の所有土地は12万8千坪、所有家屋は65軒となった[103]。この結果、九州電灯鉄道時代の9年間で土地建物事業の収入は9倍(1921年下期で1万1千円)となっている[103]。 年表[編集] 1896年(明治29年) 3月26日 - 博多電灯株式会社設立。 1897年(明治30年) 11月1日 - 博多電灯開業、電灯供給開始。 1906年(明治39年) 11月 - 広滝水力電気と合併契約を締結(実現せず)。 1908年(明治41年) 6月 - 大牟田電灯(未開業)を合併。 9月 - 住吉発電所運転開始。 10月 - 電力供給開始。 1909年(明治42年) 2月 - 大牟田地区での供給開始。 1911年(明治44年) 11月 - 福博電気軌道を合併、博多電灯軌道株式会社に社名変更。軌道事業・土地建物事業開始。 1912年(明治45年/大正元年) 4月 - 九州電気(旧・広滝水力電気)との間に合併契約締結。 6月29日 - 九州電気との合併成立、九州電灯鉄道株式会社に社名変更。 7月 - 博多電気軌道との間に合併契約締結(実現せず)。 1913年(大正2年) 11月 - 糸島電灯・七山水力電気・佐世保電気・大諫電灯・唐津軌道の5社を合併。 1914年(大正3年) 5月 - 川上川第二発電所(出力1,600キロワット)運転開始。 1915年(大正4年) 8月 - 長崎発電所運転開始。 9月 - 津屋崎電灯・宗像電気の2社から事業を買収。 11月 - 長崎送電線使用開始。 1916年(大正5年) 5月 - 長崎電気瓦斯・久留米電灯・馬関電灯の3社を合併。ガス事業開始。 8月 - 川上川第一発電所運転開始(1917年6月より出力6,600キロワットで運転)。 1917年(大正6年) 6月 - 福岡市天神町に本社ビル竣工、東中洲町より本社移転。 1918年(大正7年) 1月 - 長府電灯より事業を買収。 1919年(大正8年) 3月 - 製作所竣工、事業開始。 1920年(大正9年) 3月 - 彦島電気を合併。 4月 - 名島発電所1号発電機(出力1万キロワット)運転開始。 6月 - 名島発電所2号発電機(出力1万キロワット)運転開始。 1921年(大正10年) 6月 - 福博電車、箱崎・工科大学前間延伸。 7月 - 前田発電所(出力5,000キロワット)運転開始。 12月23日 - 社長伊丹弥太郎・常務松永安左エ門、関西電気(旧・名古屋電灯)の社長・副社長に就任。 12月25日 - 関西電気との間に合併契約締結。 1922年(大正11年) 1月12日 - 株主総会にて関西電気との合併承認。 5月31日 - 関西電気との合併成立、九州電灯鉄道解散。 6月26日 - 関西電気は東邦電力株式会社に社名変更。 本社・支店所在地[編集] 九州電灯鉄道本社ビル跡地に建つ天神ビル(1960年竣工) 1922年1月時点における本社および支店の所在地は以下の通り[104]。 本社:福岡県福岡市天神町 久留米支店:福岡県久留米市日吉町 大牟田支店:福岡県大牟田市有明町 佐賀支店:佐賀県佐賀市唐人町 唐津支店:佐賀県東松浦郡唐津町 佐世保支店:長崎県佐世保市戸尾町 長崎支店:長崎県長崎市袋町 下関支店:山口県下関市竹崎町 本社は元は博多電灯時代より福岡市東中洲町にあったが、九州電灯鉄道成立後の1913年に社業の拡大に伴う移転を決定[105]。第一次世界大戦の勃発で着工が遅れるが、福岡市天神町58番地にて1916年に本社ビル本館・倉庫の建設に着手、翌1917年6月に竣工・移転した[105]。本社ビル本館は鉄筋コンクリート構造の地下1階・地上3階建てで、屋上には時計塔が設置された[105]。この建物は太平洋戦争後も残り九州電力へ引き継がれたが、戦災で全焼するなど老朽化したため傘下の株式会社天神ビルによって建て替えられ、1960年(昭和35年)跡地に「天神ビル」が竣工している[106]。 歴代役員一覧[編集] 歴代社長は以下の通りである[107]。 磯野七平 : 1896年3月 - 1897年10月(死去) 太田清蔵 : 1897年11月 - 1898年4月 この間社長空席、専務制 石橋勇三郎 : 1898年4月 - 同年8月 野村祐雄 : 1898年10月 - 1900年1月 野村祐雄 : 1900年1月 - 1902年1月 太田清蔵 : 1902年1月 - 1907年7月 山口恒太郎 : 1907年7月 - 1912年6月 伊丹弥太郎 : 1912年6月 - 1922年5月 また歴代の常務取締役は以下の通り[107]。 松永安左エ門 : 1911年11月(この間専務)1912年6月 - 1922年5月 田中徳次郎 : 1912年6月 - 1922年5月 山口恒太郎 : 1912年6月 - 1915年 歴代役員のうち、上記社長・専務・常務経験者以外の主な人物は以下の通り[107]。 奥村七郎(取締役) 牟田万次郎(取締役・監査役) 大島小太郎(取締役) 中野致明(取締役) 古賀春一(取締役) 桜木亮三(取締役兼支配人) 橋本辰二郎(監査役) 各務幸一郎(監査役) 堀三太郎(監査役・相談役) 福澤桃介(相談役) 備考:九州鉄道との関係[編集] 九州鉄道の電車(1940年) 1915年(大正4年)9月、伊丹弥太郎・松永安左エ門・田中徳次郎・山口恒太郎ら九州電灯鉄道関係者の発起により、福岡と久留米を結ぶ電気鉄道の建設を目指して筑紫電気軌道株式会社が設立された[108]。本社は九州電灯鉄道本社内に置かれ、社長も伊丹が兼任した[108]。 軌道敷設の特許を取得したのに伴い会社が成立したが、実際には福岡から久留米までの全区間にわたる特許は国鉄線(鹿児島本線)と並行しており不要であるとして許可されていなかった[108]。このため着工は計画よりも大幅に遅延し、久留米までの特許取得後の1922年(大正11年)9月となった[108]。この間の1922年3月、筑紫電気軌道は建設資金調達のため資本金を500万円増資して650万円としたが、このとき九州電灯鉄道との合併が決まっていた関西電気が新株の半数を引き受けている[108]。九州電灯鉄道が関西電気に合併されて消滅した直後の同年6月15日、筑紫電気軌道は「九州鉄道株式会社」に社名を変更した[108]。社名変更で明治時代の鉄道会社の名称を継承するとともに、九州電灯鉄道からも略称の「九鉄」と社章を引き継いだ[108]。 1924年(大正13年)4月、九州鉄道は福岡から久留米までの路線を開通させ開業した[108]。同線はその後大牟田まで延伸され、西鉄天神大牟田線となっている。 社史[編集] 『九電鉄二十六年史』 - 塩柄盛義編集、1923年12月東邦電力により発行。博多電灯の創業から関西電気との合併までの歴史を纏める。書名に「九電鉄」とあるのは、本来の略称「九鉄」を用いると九州鉄道と混同されるおそれがあるため脱稿後に変更したもの(同書緒言より)。 脚注[編集] [ヘルプ] ^ a b 『株式年鑑』大正11年度290頁、NDLJP:975424/203 ^ 『九州地方電気事業史』19・22・36頁他 ^ a b c d e f g h i j k 『九州地方電気事業史』38-40頁 ^ a b c d e f g 『東邦電力史』46-49頁 ^ a b 『九電鉄二十六年史』195-198頁 ^ 『九州地方電気事業史』34頁・巻末年表 ^ a b c d e f g h i j k l m n 『九州地方電気事業史』40-42頁 ^ a b c d e f g h i j 『九州地方電気事業史』95-97頁 ^ a b 『九州地方電気事業史』78-80頁 ^ a b c d e f g h i j 『九州地方電気事業史』97-98頁 ^ a b c 『東邦電力史』53頁 ^ a b c d 『九州地方電気事業史』99-102頁 ^ a b c d e f g h i j 『九州地方電気事業史』102-103頁 ^ 『東邦電力史』58-59頁 ^ a b c d e f g h i j k l m 『九州地方電気事業史』103-105頁 ^ a b c 『東邦電力史』62-63頁 ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab 『東邦電力史』63-66頁 ^ a b c 『電気事業要覧』大正元年80-87頁、NDLJP:974999/69 ^ 『新編大村市史』第4巻244-245頁 ^ a b 『電気事業要覧』第8回108-109頁、NDLJP:975001/83 ^ a b 『九州地方電気事業史』133-136頁 ^ 『九州地方電気事業史』36頁 ^ a b c d e f 『九州地方電気事業史』179-182頁 ^ a b c d e f 『中国地方電気事業史』243-245頁 ^ a b 『九州地方電気事業史』106頁 ^ a b c d e f 『九州地方電気事業史』110-112頁 ^ 『九州地方電気事業史』85-88頁 ^ a b c d e f g h i j 『九州地方電気事業史』170-173頁 ^ a b 『東邦電力史』69-72頁 ^ 『九州地方電気事業史』186頁 ^ a b c d e f g h 『九州地方電気事業史』187-189頁 ^ a b 『東邦電力史』86-89頁 ^ a b 『東邦電力史』82-86頁 ^ a b c 『私の履歴書』第21集松永安左エ門第7節 ^ a b c d 『東邦電力史』93-95頁 ^ 『九電鉄二十六年史』第7表(九州電灯鉄道株式会社毎期成績一覧表) ^ 『九電鉄二十六年史』4-6頁 ^ a b c d e 『九電鉄二十六年史』91-92頁 ^ a b 『九電鉄二十六年史』9-10頁 ^ a b c d e f g h 『東邦電力史』49-52頁 ^ 『九州地方電気事業史』98-99頁 ^ 『九電鉄二十六年史』39-41頁 ^ 『九電鉄二十六年史』10-11頁 ^ 『九電鉄二十六年史』18-19頁 ^ 『九州地方電気事業史』106-107頁 ^ 『九電鉄二十六年史』54-56頁 ^ 『九電鉄二十六年史』89-90頁 ^ a b c d e f g 『九州地方電気事業史』183-186頁 ^ 『九電鉄二十六年史』第4表(電灯電力供給表)および第7表(九州電灯鉄道株式会社毎期成績一覧表) ^ 『電気事業要覧』明治44年68・96頁、NDLJP:974998/77 ^ a b c 『九電鉄二十六年史』第6表「供給区域別電灯電力供給数及架空電線路状況」 ^ 『東邦電力史』105・109頁 ^ 『九州地方電気事業史』275-276頁 ^ 『東邦電力史』592・594頁 ^ a b 『電気事業要覧』第8回238-239頁、NDLJP:975001/149 ^ a b c d e f g h i j 『東邦電力史』75-77頁 ^ 『電気年鑑』昭和14年20頁、NDLJP:1115068/31 ^ 『電気事業要覧』明治44年66頁、NDLJP:974998/62 ^ a b 『九州地方電気事業史』772頁(発電所一覧) ^ 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『西部瓦斯株式会社史』243-244頁 ^ a b c d 『九電鉄二十六年史』142-143頁 ^ a b 『九電鉄二十六年史』103頁 ^ 『電気年鑑』大正11年313頁、NDLJP:948318/210 ^ 『東邦電力史』96-97頁 ^ 「西部電機株式会社第83期有価証券報告書」(2016年)による ^ 『九電鉄二十六年史』32頁 ^ 『九電鉄二十六年史』35頁 ^ a b c 『九電鉄二十六年史』99-101頁 ^ 『日本全国諸会社役員録』第30回下編735頁、NDLJP:968834/874 ^ a b c 『九電鉄二十六年史』143-147頁 ^ 『九州電力10年史』247-248頁 ^ a b c 『九電鉄二十六年史』149-157頁 ^ a b c d e f g h 『西日本鉄道百年史』39-43頁 参考文献[編集] 企業史 九州電力(編) 『九州地方電気事業史』 九州電力、2007年。 九州電力10年史編集会議(編) 『九州電力10年史』 九州電力、1961年。 西部瓦斯株式会社史編纂委員会(編) 『西部瓦斯株式会社史』 西部瓦斯、1982年。 塩柄盛義(編) 『九電鉄二十六年史』 東邦電力、1923年。 中国地方電気事業史編集委員会(編) 『中国地方電気事業史』 中国電力、1974年。 東邦電力史編纂委員会(編) 『東邦電力史』 東邦電力史刊行会、1962年。 西日本鉄道株式会社100年史編纂委員会(編) 『西日本鉄道百年史』 西日本鉄道、2008年。 その他文献 今尾恵介(監修) 『日本鉄道旅行地図帳』12号九州沖縄、新潮社、2009年。 大村市史編さん委員会(編) 『新編大村市史』第4号(近代編)、大村市、2016年。 商業興信所(編) 『日本全国諸会社役員録』第30回、商業興信所、1922年。 逓信省電気局(編)『電気事業要覧』各号 『電気事業要覧』明治44年、逓信協会、1912年。 『電気事業要覧』大正元年、逓信協会、1914年。 『電気事業要覧』第8回、逓信協会、1916年。 『電気事業要覧』第10回、逓信協会、1918年。 『電気事業要覧』第12回、逓信協会、1920年。 『電気事業要覧』第13回、逓信協会、1922年。 『電気事業要覧』第14回、電気協会、1922年。 電気之友社(編)『電気年鑑』各号 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