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低い 囲碁 - 検索
日本囲碁連盟 囲碁用語 より
低い
位が低いこと。
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囲碁は、陣地を囲むゲームです。
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Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0)
碁
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Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0)
名鉄小牧線
曖昧さ回避 この項目では、現在の小牧線(旧・大曽根線)について説明しています。岩倉と小牧を結んでいた初代小牧線については「名鉄岩倉支線」をご覧ください。
名古屋鉄道 小牧線
NP-KM.png
味鋺駅から地下へ潜る新線
味鋺駅から地下へ潜る新線
概要
系統 ■犬山方面
起終点 起点:上飯田駅
終点:犬山駅
駅数 14駅
路線記号 KM
ウェブサイト 小牧線
運営
開業 1931年2月11日
全通 1931年4月29日
上飯田連絡線開業 2003年3月27日
所有者 名岐鉄道 名岐鉄道→
Meitetsu logomark 2.svg 名古屋鉄道
※上飯田 - 味鋺間は
上飯田連絡線(第三種)
運営者 Meitetsu logomark 2.svg 名古屋鉄道
(上飯田 - 味鋺間:第二種)
(味鋺 - 犬山間:第一種)
路線諸元
路線総延長 20.6 km (12.8 mi)
軌間 1,067 mm (3 ft 6 in)
電化 直流1,500 V,
架空電車線方式
運行速度 最高95 km/h
最急勾配 33 ‰
[折り畳む]路線図
Linemap of Komaki Line.svg
テンプレートを表示
小牧線(こまきせん)は、愛知県名古屋市北区の上飯田駅から愛知県犬山市の犬山駅までを結ぶ名古屋鉄道(名鉄)の鉄道路線である。
運賃計算区分はB(運賃計算に用いる距離は営業キロの1.15倍)。すべての駅でmanacaなどの交通系ICカード全国相互利用サービス対応カードが使用できる。なお、地下線である上飯田駅 - 味鋺駅間は新線区間となるが、加算運賃は設定されていない。
目次 [非表示]
1 路線データ
2 歴史
2.1 開業
2.2 設備の近代化と小牧線への改称
2.3 上飯田連絡線の建設
2.4 年表
3 運行形態
4 利用状況
5 使用車両
5.1 現行車両
5.2 過去の車両
6 駅一覧
6.1 廃駅
6.2 過去の接続路線
7 東海地震への対応
8 脚注
8.1 注釈
8.2 出典
9 参考文献
10 関連項目
11 外部リンク
路線データ[編集]
管轄・路線距離(営業キロ):全長20.6 km
名古屋鉄道(第二種鉄道事業者)・上飯田連絡線(第三種鉄道事業者):
上飯田駅 - 味鋺駅間 2.3 km
名古屋鉄道(第一種鉄道事業者):
味鋺駅 - 犬山駅間 18.3 km
軌間:1067mm
駅数:14駅(起終点駅含む)
複線区間:上飯田駅 - 小牧駅間
電化区間:全線(直流1500V)
閉塞方式:車内信号式(上飯田駅 - 味鋺駅間)、自動閉塞式(味鋺駅 - 犬山駅間)
上飯田駅 - 味鋺駅間は名鉄唯一のATC設置区間である。
交換可能駅:田県神社前駅・楽田駅・五郎丸信号場
最高速度:75 km/h(上飯田駅 - 味鋺駅間)、95 km/h(味鋺駅 - 犬山駅間)
最小曲線半径:300m(味美駅 - 春日井駅間)
最急勾配:33‰(味鋺駅付近)
歴史[編集]
開業[編集]
1931年(昭和6年)、名岐鉄道(現在の名古屋鉄道の前身の一つ)が城北電気鉄道(押切町 - 大曽根 - 坂下町間および勝川町 - 小牧町間免許保有)と尾北鉄道(小牧町 - 犬山町間免許保有)の事業を統合し、 上飯田駅 - 勝川駅間および味鋺駅 - 新小牧駅(現在の小牧駅)間を城北線として開業した。上街道沿いのこの地域は、明治時代に中央本線の誘致に失敗した経緯があり、鉄道の敷設は地元の悲願であった。当時は非電化路線で、ガソリンカー(キボ50形)による運行であった。
その他の区間の免許については、開業直後に失効したため、経路を改め、1931年(昭和6年)2月24日、上飯田 - 東大曽根町(現在の大曽根駅付近)間について軌道敷設の特許を取得した。1931年(昭和6年)4月29日には、新小牧駅 - 犬山駅間が開通し、上飯田駅 - 犬山駅間を大曽根線、味鋺駅 - 勝川駅間を勝川線とそれぞれ改称した。しかし、上飯田 - 東大曽根町間の延伸計画は立ち消えとなり、代わりに、1944年(昭和19年)7月11日、名古屋市電御成通線が上飯田駅まで開業した。
設備の近代化と小牧線への改称[編集]
第二次世界大戦下において、ガソリン供給が難しくなると、1942年(昭和17年)7月1日まず、上飯田駅 - 新小牧駅間が電化された。その後は、戦争の深刻化に伴い、数多くの駅が休止に追い込まれた。
おもに鷹来町にあった陸軍の陸軍造兵廠鷹来工廠へ通勤する工員輸送対策として鷹来線が計画され、1945年(昭和20年)5月1日、鷹来線との連絡のため小牧線(のちの岩倉支線)の新小牧駅への乗り入れが完成し、小牧駅(旧)が廃止され、新小牧駅は小牧駅と改称した。
戦後、1947年(昭和22年)11月24日、小牧駅 - 犬山駅間が電化され、1948年(昭和23年)5月16日、大曽根線は小牧線と改称した。同時に、これまで小牧線と呼ばれていた岩倉駅 - 小牧駅間は岩倉支線と改称した。
その後、1954年(昭和29年)には、閉塞方式に名鉄初の単線自動閉塞を導入し、1956年(昭和31年)にかけては、全線に列車集中制御装置 (CTC) を導入し、1964年(昭和39年)10月1日には、架線電圧を600Vから1500Vに昇圧した。
このほか1965年(昭和40年)に博物館明治村が開業し、羽黒駅を明治村口駅に改称して連絡バスとのアクセス駅とした。特急列車の乗入れも行われたが、1985年(昭和60年)に連絡バスの発着が犬山駅に変更されたことにより役目を終え、元の羽黒駅に戻された。
上飯田連絡線の建設[編集]
1964年(昭和39年)4月25日に岩倉支線が、1971年(昭和46年)2月1日に名古屋市電御成通線が廃止されると他の鉄道線との接続が終点の犬山駅だけになり、起点の上飯田駅はバスが接続するだけとなった。通勤時間帯は、時間の読めないバスを避けて、最寄り(徒歩10分)の名古屋市営地下鉄名城線平安通駅まで歩く人も多くおり、乗り換えの不便さが嫌われて名古屋市内へ向かう路線にもかかわらず、ローカル線然とした運行形態が続いていた。この状態を解消するために、上飯田駅 - 味鋺駅間の地下線化と、上飯田駅 - 平安通駅間を結ぶ地下新線(上飯田線)が整備されることとなった。なお、この整備の際には駅間の長い上飯田駅 - 味鋺駅間に瀬古駅を設ける(新設ではなく復活)話も浮上したが、結局設置は見送られた[注釈 1]。
2003年(平成15年)、上飯田線との相互直通運転を前に名古屋鉄道の路線では初めて無人駅に遠隔操作による駅集中管理システムを導入。線内の全駅に自動券売機と自動改札機・自動精算機が設置され、名古屋地区共通の共通乗車カードシステム「トランパス」が導入された。また、上飯田駅には可動柵(ホームゲート)が設置された。
同年3月27日に上飯田駅 - 味鋺駅間の地下新線が複線で開業し、旧来の同区間の地上単線区間は廃止された。この結果、小牧駅以南の区間がすべて複線となった[注釈 2]。同時に、名古屋市営地下鉄上飯田線との相互直通運転をワンマン運転で開始し、名城線の平安通駅まで直通するようになり、飛躍的に利便性が向上した。なお、上飯田駅 - 味鋺駅間の地下線区間は上飯田連絡線株式会社が保有することとなったため、当該区間は名古屋鉄道が第二種鉄道事業者となっている。 また、この区間は、名鉄の路線の中で唯一ATCが導入されている区間でもある。
年表[編集]
キボ50形ガソリンカー
1931年(昭和6年)
2月11日:名岐鉄道城北線上飯田駅 - 新小牧駅(現在の小牧駅)間開業。
4月29日:新小牧駅 - 犬山駅間が開業。大曽根線と改称。
1942年(昭和17年)
追分駅を楽田原駅に改称。
4月1日?:上飯田駅 - 味鋺駅間の瀬古駅廃止。
7月1日:上飯田駅 - 新小牧駅間が電化。
1944年(昭和19年):味美駅 - 春日井駅間の春日井口駅、牛山駅 - 新小牧駅間の間内駅、小牧口駅、新小牧駅 - 味岡駅間の上新町駅・小牧原駅、味岡駅 - 楽田駅間の久保一色駅、楽田駅 - 羽黒駅間の楽田原駅、羽黒駅 - 東犬山駅間の五郎丸駅が休止。
1945年(昭和20年)
5月1日:新小牧駅を小牧駅と改称。小牧線(のちの岩倉支線)の小牧駅が廃止され、大曽根線の小牧駅に乗り入れ。
10月1日:春日井駅 - 牛山駅間に牛山信号場開設。
1946年(昭和21年)3月1日:広見線の犬山口駅 - 東犬山駅 - 富岡前駅間廃止に伴い、乗換駅である羽黒駅 - 犬山駅間の東犬山駅廃止。
1947年(昭和22年)11月24日:小牧駅 - 犬山駅間が電化。間内駅営業再開。
1948年(昭和23年)5月16日:大曽根線を小牧線、岩倉駅 - 小牧駅間の小牧線を岩倉支線と改称。
1951年(昭和26年)
2月18日:牛山信号場を貨物駅に変更し豊山駅開業。
10月11日:休止していた小牧原駅営業再開。
1954年(昭和29年)
閉塞方式に名鉄初の単線自動閉塞導入。
11月1日:豊山駅 - 小牧駅間に名鉄初の列車集中制御装置 (CTC) を導入。
1955年(昭和30年)
7月1日:上飯田駅 - 豊山駅間にCTC導入。
10月20日:小牧駅 - 楽田駅間にCTC導入。
1956年(昭和31年)2月10日:楽田駅 - 犬山駅間にCTC導入、これにより全線で導入。
1964年(昭和39年)
5月1日:休止していた小牧口駅営業再開。
10月1日:架線電圧を600Vから1500Vに昇圧。
1965年(昭和40年)3月1日:休止していた久保一色駅を田県神社前駅として営業再開。
1966年(昭和41年)11月3日:羽黒駅を明治村口駅に改称。
1968年(昭和43年)10月1日:豊山駅廃止。
1969年(昭和44年)4月5日:休止中の春日井口駅・上新町駅・楽田原駅・五郎丸駅廃止。
1974年(昭和49年)11月26日:明治村口駅 - 犬山駅間の単独立体交差事業(高架)が完成。国道41号との平面交差が解消。
1977年(昭和52年)5月29日:間内駅 - 小牧駅間が複線化。
1979年(昭和54年)
4月1日:味鋺駅 - 味美駅間が高架化、味美駅 - 豊山信号場間が複線化。春日井駅 - 牛山駅間に豊山信号場開設。
8月:連続立体交差化事業の国庫補助が確定。
1980年(昭和55年)7月:小牧線関連の都市計画策定(連続立体交差事業・高架事業)。
1981年(昭和56年)12月:小牧線の連続立体交差事業の認可が下りる。
1982年(昭和57年)
7月:小牧線の高架事業に関する3者間の事業協定締結(愛知県・小牧市・名鉄)。
10月:高架事業工事着工。
1983年(昭和58年)3月:連続立体交差事業工事着工。
1985年(昭和60年)10月9日:明治村口駅を羽黒駅と改称。
1987年(昭和62年)6月14日:小牧駅 - 田県神社前駅間の単独立体交差事業(高架)が完成。小牧原駅と味岡駅が高架駅となった。1989年完成の連続立体交差事業との境界は、東名高速道路となっている。
1989年(平成元年)4月23日:間内駅 - 小牧原駅間の連続立体交差事業(南側掘割区間795m・中央地下区間1150m・北側掘割区間555m)が完成。小牧口駅が掘割区間に移設され、小牧駅は地下駅として旧駅の150m東側に移設された。
1990年(平成2年)3月:連続立体交差事業完了。
1991年(平成3年)10月21日:昼間時、上飯田駅 - 小牧駅15分間隔、小牧駅 - 犬山駅30分間隔から全線20分間隔の運転に変更する。
1997年(平成9年)2月8日:二子信号場 - 味美駅間が複線化。味鋺駅 - 味美駅間に二子信号場開設。
2000年(平成12年)10月18日:豊山信号場 - 間内駅間が複線化。豊山信号場廃止。
2002年(平成14年)3月:小牧駅 - 犬山駅間を15分間隔の運行とするため、田県神社前駅構内に列車行き違い用設備と羽黒駅 - 犬山駅間に五郎丸信号場を開設。
2003年(平成15年)3月27日:上飯田駅 - 味鋺駅間が地下化され名古屋市営地下鉄上飯田線と相互直通運転を開始。この前後から「駅集中管理システム」を導入、稼動開始。味鋺駅 - 二子信号場間複線化、二子信号場廃止。昼間時15分間隔に増発。
2004年(平成16年)5月8日:間内駅 - 小牧口駅間の限度額立体交差事業(高架)が完成。
2005年(平成17年)6月29日:上飯田駅以外の全駅で「乗車券確認システム」を導入。名鉄初の不正乗車防止システム。
2011年(平成23年)2月11日:ICカード乗車券「manaca」供用開始。
2012年(平成24年)2月29日:トランパス供用終了。
運行形態[編集]
[表示]停車場・施設・接続路線
ほぼすべての列車が上飯田駅から平安通駅までの名古屋市営地下鉄上飯田線と直通運転し、上飯田線と運行が一体化している。現在は普通列車のみの運行である。上飯田線平安通駅 - 犬山駅間(所要は昼間時間帯で下り37分・上り34分)の列車を毎時4本運行しているほか、平安通駅 - 小牧駅間(所要約15分)の列車が平日朝に毎時4本、夕ラッシュ時と土曜・休日の朝に同2本加わる。後者の時間帯は平安通駅 - 小牧駅間が10分毎、小牧駅 - 犬山駅間が約15分毎の運行となるので、運転間隔調整のために犬山駅発着列車の半数は小牧駅で約5分停車する。
駅集中管理システムの導入によって車掌による発券や改札作業が不要となったことから、各駅のホームの映像を運転席のモニタに電送するシステムを導入した上でワンマン運転を実施している。また、発車時には上飯田線と共通の車載乗降促進メロディを使用するほか、上飯田駅にはホームゲートが設置され、電車の到着・発車時に一緒に開閉する。
通常は名鉄の他線と直通する列車はなく、名鉄名古屋駅・新鵜沼駅・新可児駅方面などへは犬山駅で乗り換えなくてはならないが、毎年8月10日の日本ライン夏まつり納涼花火大会の際に犬山線新鵜沼駅への延長運転が行われている(犬山駅から先はワンマン運転を行わない)。過去には、各務原線新岐阜駅(現在の名鉄岐阜駅)や新鵜沼駅、広見線新可児駅まで直通する列車や明治村口駅(現・羽黒駅)発着で犬山線名鉄名古屋駅方面に直通する特急列車も定期運行していた。上飯田線への乗り入れ開始前までは、毎年3月15日に開催される田縣神社の豊年祭の観客輸送のため、名鉄名古屋駅方面から犬山線直通の急行を臨時運行したり、前述の犬山線直通の特急が小牧駅まで臨時延長運転することもあった。
平日朝ラッシュ時のみ、小牧以南の増発に対応するため犬山駅から送り込む定期回送列車が運行されている。回送列車は一部の駅を通過する。沿線で小牧基地航空祭などのイベントが行われて臨時に増発されるときも同様に送り込みの回送列車が運行される。
利用状況[編集]
上飯田駅(青)、小牧駅(桃色)、田県神社前駅(緑)の年間乗車人員の推移[1]。上飯田連絡線の開業で利用者数を伸ばした小牧駅とは対照的に、それまで終端駅だった上飯田駅は中間駅になったことで減少に転じた。
そのほかの駅の年間乗車人員の推移[1]。各駅とも相互直通運転開始とともに利用者数が増加しているが、なかでも味鋺駅、味美駅の増加が目立つ。
2003年(平成15年)3月27日、名古屋市営地下鉄上飯田線との相互直通運転の開始により利便性が飛躍的に向上し、それまで減少傾向にあった利用者数は大幅な増加に転じた。2008年度末には当路線の利用者数が1985年以降では最高となり、当路線の一日平均利用者数としては初めて4万人を突破した。
愛知県の統計によれば、2003年度(平成15年度)の一日あたりの輸送人員は30,860人であった[2] 。また国土交通省中部運輸局の統計によれば、2008年度(平成20年度)の一日あたりの輸送人員は40,391人である。2009年以降もほぼ同等の輸送人員を維持している。
小牧線輸送実績[2][3]
年度 年間輸送人員
(千人) 一日平均輸送人員
(人) 備考
1985年(昭和60年) 11,681 32,002
1986年(昭和61年) 11,426 31,304
1987年(昭和62年) 11,352 31,101
1988年(昭和63年) 11,440 31,342
1989年(平成元年) 11,470 31,424
1990年(平成2年) 11,322 31,019
1991年(平成3年) 11,813 32,364
1992年(平成4年) 11,804 32,340
1993年(平成5年) 11,813 32,364
1994年(平成6年) 11,595 31,767
1995年(平成7年) 11,524 31,486
1996年(平成8年) 11,065 30,315
1997年(平成9年) 10,430 28,575
1998年(平成10年) 9,857 27,005
1999年(平成11年) 9,317 25,526
2000年(平成12年) 8,832 24,197
2001年(平成13年) 8,369 22,929
2002年(平成14年) 8,195 22,452
2003年(平成15年) 11,264 30,860 上飯田線開業
2004年(平成16年) 12,383 33,926
2005年(平成17年) 13,395 36,698
2006年(平成18年) 13,945 38,205 [4]
2007年(平成19年) 14,345 39,301
2008年(平成20年) 14,743 40,391
2009年(平成21年) 14,335
2010年(平成22年) 14,560 39,890 [5]
使用車両[編集]
現行車両[編集]
2003年の上飯田線開業以後は、ステンレス車両かつVVVF車のみで運行されている。このような路線は、2014年に瀬戸線の車両が4000系に統一されるまで、名鉄では唯一の存在であった。
名鉄300系電車
名古屋市交通局7000形電車
一部の駅では6両分に延長可能になっているものの、犬山駅を除く、ほぼすべての駅においてホーム長が4両までの対応となっており、いずれの形式も4両固定編成が単独で運用され、増解結は行われない。
名古屋市交通局7000形電車
名古屋鉄道300系電車
過去の車両[編集]
上飯田線開業以前は、おもに以下の車両により運行されていた。2両や3両の編成も存在し、小牧駅で増解結することがあった。
旧3300系
3100系・3500系
6000系・6800系
この他、旧3700系、3400系、7700系、7300系、5500系などの運行もあった。
3500系や6000系などの方向幕には、運用がなくなった現在でも臨時での乗り入れに備え、上飯田と小牧のコマが残っている。ただし、いずれの車両も、必ずしもA-A基準を満たす、いわゆる地下鉄対応車両ではない。
駅一覧[編集]
全駅愛知県に所在。
普通列車のみ運行。全列車とも各駅に停車。
線路… |:単線区間 ◇:単線区間の交換可能駅・信号場 ∧:これより下は複線 ∥:複線区間 ∨:これより下は単線
駅番号 駅名 駅間キロ 営業キロ 接続路線 線路 所在地
名古屋市営地下鉄上飯田線平安通駅まで直通運転
KM13 上飯田駅 - 0.0 名古屋市営地下鉄:Nagoya Subway Logo (Kamiiida Line).svg 上飯田線 (K01) ∥ 名古屋市
北区[* 1]
KM12 味鋺駅 2.3 2.3 ∥
KM11 味美駅 1.4 3.7 ∥ 春日井市
KM10 春日井駅 1.7 5.4 ∥
KM09 牛山駅 1.5 6.9 ∥
KM08 間内駅 0.9 7.8 ∥
KM07 小牧口駅 1.2 9.0 ∥ 小牧市
KM06 小牧駅 0.8 9.8 ∨
KM05 小牧原駅 1.5 11.3 |
KM04 味岡駅 1.1 12.4 |
KM03 田県神社前駅 0.9 13.3 ◇
KM02 楽田駅 1.6 14.9 ◇ 犬山市
KM01 羽黒駅 2.3 17.2 |
五郎丸信号場 - (18.9) ◇
IY15 犬山駅 3.4 20.6 名古屋鉄道:犬山線 (IY)・広見線 (HM) ∧
^ 上飯田 - 味鋺間で名古屋市守山区を通過するが、駅は現存しない。
廃駅[編集]
瀬古駅(上飯田駅 - 味鋺駅間)1942年4月1日廃止。
春日井口駅(味美駅 - 春日井駅間)1944年休止、1969年4月5日廃止。
豊山駅(春日井駅 - 牛山駅間)1968年10月1日廃止。貨物駅。
上新町駅(小牧駅 - 味岡駅間)1944年休止、1969年4月5日廃止。
楽田原駅(楽田駅 - 羽黒駅間)1944年休止、1969年4月5日廃止。
五郎丸駅(休止時、羽黒駅 - 東犬山駅間)1944年休止、1969年4月5日廃止。
東犬山駅(五郎丸駅 - 犬山駅間)広見線の犬山駅への起点変更に伴い、1946年3月1日廃止。
過去の接続路線[編集]
味鋺駅:名鉄勝川線 … 1937年2月1日廃止。
小牧駅:
名鉄岩倉支線 … 1964年4月25日廃止。
桃花台新交通桃花台線 … 2006年10月1日廃止。
小牧原駅:桃花台新交通桃花台線 … 2006年10月1日廃止。
東犬山駅(廃止):名鉄広見線 … 広見線の犬山駅への起点変更に伴い、1946年3月1日犬山口駅 - 富岡前駅間廃止。東犬山駅も同時に廃止。
東海地震への対応[編集]
小牧線では上飯田駅 - 小牧駅間が東海地震の防災対策強化地域に含まれており、東海地震に関する警戒宣言が発令された場合、同区間では列車の運行が休止されることになっている[6]。
脚注[編集]
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注釈[編集]
^ 瀬古駅設置(復活)に備え、新線の一部の区間にてトンネルのシールドが変えてあるなどの工夫がなされている。
^ 1992年(平成4年)運輸政策審議会答申第12号名古屋圏における高速鉄道を中心とする交通網の整備に関する基本計画についてにおいては、小牧駅 - 犬山駅間の複線化が答申路線A(2008年までに整備することが適当である路線)として盛り込まれているが、同区間のみでの需要が少ないと判断されたために着工には至っていない。
出典[編集]
^ a b 愛知県統計年鑑
^ a b あいちの陸上交通(統計資料) - 愛知県
^ 愛知県累年統計表
^ 数字でみる中部の運輸2009 輸送状況(平成18年度) (PDF) - 中部運輸局
^ 数字でみる中部の運輸2012 輸送状況(管内) (2)事業者・路線別輸送実績 (PDF) - 中部運輸局
^ 列車運行に支障がある場合の取扱い 名古屋鉄道
参考文献[編集]
今尾恵介監修『日本鉄道旅行地図帳 7号 東海』新潮社、2008年、p. 50 - 駅の改廃
関連項目[編集]
ウィキメディア・コモンズには、名鉄小牧線に関連するカテゴリがあります。
日本の鉄道路線一覧
外部リンク[編集]
小牧線
小牧線の歴史 (PDF) - 小牧市
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表 話 編 歴
Meitetsu logomark w.svg 名古屋鉄道の路線
カテゴリ: 中部地方の鉄道路線名古屋鉄道の鉄道路線名岐鉄道愛知県の交通
名鉄津島線
名古屋鉄道 津島線
NP-TB.png
3500系による弥富行き普通列車
3500系による弥富行き普通列車
概要
系統 ■津島方面
起終点 起点:須ヶ口駅
終点:津島駅
駅数 8駅
路線記号 TB
ウェブサイト 津島線
運営
開業 1914年1月23日(全通)
区間縮小 1941年8月12日
(枇杷島橋駅 - 須ヶ口駅間)
所有者 名古屋電気鉄道 名古屋電気鉄道→名古屋鉄道 (旧)名古屋鉄道→名岐鉄道→名古屋鉄道 名古屋鉄道
路線諸元
路線総延長 11.8 km (7.3 mi)
軌間 1,067 mm (3 ft 6 in)
電化 直流1,500 V,
架空電車線方式
運行速度 最高105km/h
[折り畳む]路線図
Linemap of Tsushima Line.svg
テンプレートを表示
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津島線(つしません)は、愛知県清須市の須ヶ口駅から愛知県津島市の津島駅までを結ぶ名古屋鉄道(名鉄)の鉄道路線。
目次 [非表示]
1 概要
1.1 路線データ
1.2 東海地震への対応
2 歴史
2.1 年表
3 運行形態
3.1 特急
3.2 急行
3.3 準急
3.4 普通
4 駅一覧
4.1 廃駅
5 脚注
5.1 注釈
5.2 出典
6 参考文献
6.1 電子資料
6.2 書籍
6.3 時刻表
6.4 雑誌記事
7 関連項目
8 外部リンク
概要[編集]
名古屋鉄道の前身である名古屋電気鉄道が最初期に建設した名古屋市郊外路線(「郡部線」)の一つで[1]、津島街道に沿って津島市に至る通勤通学路線である[2][3]。沿線は海抜ゼロメートル地帯を擁する低湿地帯であり[4]、伊勢湾台風や東海豪雨といった水害を何度も経験している[5][6]。一方で、伊勢湾台風罹災後の復興で沿線のベッドタウン化が進行し、津島線も通勤通学路線としての色彩が濃くなった[7]。通勤対策として投入された6000系電車の出発式も津島線で行われている[8]。
運賃計算区分はB(運賃計算に用いる距離は営業キロの1.15倍)。すべての駅でmanacaなどの交通系ICカード全国相互利用サービス対応カードが使用できる。
路線データ[編集]
路線距離(営業キロ):11.8 km
軌間:1067mm
駅数:8駅(起終点駅含む)
複線区間:全線
電化区間:全線電化(直流1500V)
閉塞方式:自動閉塞式
認可最高速度:105 km/h(普通90km/h)
最小曲線半径:200m(須ヶ口駅構内。上り3番線進入箇所のみ160m)
東海地震への対応[編集]
東海地震に関する警戒宣言が発令された場合、津島線では地震防災対策強化地域にあたる須ヶ口駅 - 津島駅間の全区間で列車の運行が休止されることになっている[9]。
歴史[編集]
名古屋から尾張地方西部へ鉄道を敷設しようとする運動は鉄道黎明期から存在し、名古屋から津島を経て桑名に至る「尾勢電気鉄道」計画が1889年(明治22年)6月に出願されているが、当時の電気鉄道の技術は未成熟で、実現は困難であるとして却下されている[10]。その後、この地方初の私鉄として関西鉄道が開業したが、同社線は津島を経由しなかった。折しも時勢は第二次鉄道ブーム[注釈 1]の真っ只中であり、この地域でも津島街道・佐屋街道沿いで名古屋と津島とを結ぶ鉄道計画が多数出願されてはいた[10]。しかしこれらは関西鉄道との競合を理由に全て却下され、結局この時期に開業に至ったのは関西鉄道と競合しない尾西鉄道(弥富駅 - 一宮間)だけであった[12]。
その後も名古屋 - 津島間の鉄道敷設の模索は続いた。1900年代後半になると、電気鉄道技術の発展に伴う全国的な鉄道建設ブーム(第一次電鉄ブーム[11])が再び到来し[13]、阪神電気鉄道などのように、(私設鉄道法による「鉄道」ではなく)軌道条例による「軌道」とすることで特許を手中に収めるケースも増えてきた[14]。名古屋周辺でも同様の動きがあり、1906年(明治39年)11月になると「尾張電気鉄道[注釈 2]」「津島電気鉄道」「名古屋電気鉄道(以下、名電とする)」の三社が名古屋 - 津島間の鉄道計画を申請している[13]。同区間の特許は競合の末名電が敷設権を勝ち取り、1907年(明治40年)には軌道条例による特許が下付された[15](電車・貨車連結運転のため後に軽便鉄道法による軽便鉄道に変更した[15])。
名電の計画路線は津島街道経由のルートを取っていた。これは同社「郡部線」の拠点となる押切町駅から庄内川を渡った枇杷島橋駅(現・枇杷島分岐点)から枝分かれするルートを選択したためで、佐屋街道経由と比べると遠回りであった[2]。そのため、名電のように郊外鉄道(インターアーバン)の建設を目論んだ名古屋土地(後の中村電気軌道)や名電の津島進出に対抗したい尾西鉄道など、名電が津島線の特許を得た後も数社が佐屋街道経由ルートでの鉄道建設に名乗りを上げたが、いずれの計画も特許・免許が得られず未成に終わっている[10][注釈 3]。
津島線は申請の段階では他の郡部線計画より先行していたが[15]、用地買収と橋梁材製作に手間取ったことから[16]、建設の段階では他線の後れを取った[4]。測量は1910年(明治43年)10月頃より開始し[4]、1912年(大正元年)12月には津島方面から工事に着手した[16]。河川が多い沿線では鉄道による河川の分断について上流側と下流側とで意見が分かれており[注釈 4]、名電や地元自治体は意見調整に奔走した(最終的には愛知県に調停を求め、1913年(大正2年)6月頃解決した)[4]。
路線は1914年(大正3年)1月に完成し、同23日に開業した[16]。当時は枇杷島橋駅 - 新津島駅間が津島線で、6の停車場(西枇杷島、須ヶ口、甚目寺、木田、勝幡、新津島)と4の停留場(新川橋[注釈 5]、七宝、青塚、藤浪[注釈 6])が設けられた[17]。既に1913年11月より押切町駅から柳橋駅への市内線乗り入れが実施されていたため、津島線の列車も柳橋駅発着となった[16]。
津島線の開業が尾西鉄道に与えた影響は大きく、同社は名電に対抗するため中村線(現在の名古屋本線の一部)の建設など様々な策を講じたが、1925年(大正14年)には名古屋鉄道[注釈 7]に鉄道事業を譲り渡すことになる[19]。これにより津島駅も名鉄の駅となったため、新津島駅から100mほど枇杷島橋方に構内乗換場を設けて乗換の便宜を図った[8][20]。その後、新津島・津島間の乗換問題は1931年(昭和6年)[注釈 8]に両駅を統合することで抜本的な解決を見た[22]。
一方、名古屋鉄道は名古屋 - 岐阜間の都市間連絡鉄道を求めて美濃電気軌道を合併し、名岐鉄道となった[23]。既存の路線を繋ぎ合わせる新線が建設され、須ヶ口駅から分岐していた清洲線は国府宮駅 - 丸ノ内駅間の開業により一部区間が名岐線に編入された[24]。そして愛知電気鉄道との合併を経た1941年(昭和16年)、東西連絡線のうち東枇杷島信号所 - 新名古屋駅(現・名鉄名古屋駅)間が開通[25]。開通区間および一宮線東枇杷島信号所 - 枇杷島橋駅間、津島線枇杷島橋駅 - 須ヶ口駅間が名岐線に編入され、津島線は須ヶ口駅 - 津島駅間となった[26]。
年表[編集]
名古屋電気鉄道津島線拡大
Clip
名古屋電気鉄道津島線
1906年(明治39年)11月5日 - 軌道敷設特許申請(名古屋市押切町 - 海東郡津島町間)[27]。
1907年(明治40年)
3月8日 - 申請区間を西春日井郡西枇杷島町 - 海東郡津島町間に変更[28]。
12月10日 - 軌道特許状下付[28][29]。
1910年(明治43年)10月頃 - 測量開始[4]。
1911年(明治44年)7月1日 - 津島線・一宮線・犬山線建設のため社債150万円発行[30]。
1912年(明治45年)
3月12日 - 軽便鉄道法の適用を受ける[30][31]。
12月 - 津島方面より建設着手[16]。
1914年(大正3年)
1月 - 枇杷島橋駅 - 新津島駅間竣工[16]。
1月23日 - 津島線として枇杷島橋駅 - 須ヶ口駅 - 新津島駅間開業[17][32]。
7月3日 - 甚目寺駅 - 七宝駅間に新居屋駅開業[33]。
1915年(大正4年)7月24日 - 藤浪駅 - 新津島駅間に津島口駅開業[34]。
1921年(大正10年)7月1日 - 名古屋電気鉄道が津島線などを名古屋鉄道へ譲渡[18][35]。
1930年(昭和5年)9月5日 - 社名を名岐鉄道に変更[36]。
1931年(昭和6年)10月25日 - 新津島駅を尾西線の津島駅に統合[22][注釈 8]。
1935年(昭和10年)8月1日 - 名岐鉄道が愛知電気鉄道と合併して名古屋鉄道となる[37]。
1941年(昭和16年)8月12日 - 枇杷島橋駅 - 須ヶ口駅間が名岐線に編入され、津島線は須ヶ口駅 - 津島駅間となる[26]。
1944年(昭和19年) - 新居屋駅、津島口駅休止[38]。
1948年(昭和23年)5月12日 - 架線電圧を600Vから1500Vに昇圧[39]。
1959年(昭和34年)
9月26日 - 伊勢湾台風によって津島線全線が冠水[40]。
10月1日 - 須ヶ口駅 - 藤浪駅間営業再開[41]。
10月10日 - 藤浪駅 - 津島口仮乗降場[注釈 9]間の運行を減水時に実施[41]。
10月14日 - 藤浪駅 - 津島駅間の運行を減水時に実施[41]。以降、11月9日まで潮の干満により運転区間が変化[41]。
11月23日 - 尾西線弥富駅 - 津島駅間の復旧により津島駅営業再開[6]。
1961年(昭和36年)6月27日 - 集中豪雨により冠水。甚目寺駅以西を運休[8]。
1968年(昭和43年)5月3日 - 津島駅付近高架化[42]。
1969年(昭和44年)4月5日 - 休止中の新居屋駅、津島口駅廃止[38]。
2000年(平成12年)9月11日 - 東海豪雨により津島線及び須ヶ口駅、七宝駅、木田駅、青塚駅、勝幡駅構内が冠水。9月13日午後10時45分復旧[5]。
2002年(平成14年)7月13日 - 勝幡駅 - 津島駅間高架化(県道あま愛西線ほかと立体交差化)[21]。
2005年(平成17年)7月14日 - トランパス導入。
運行形態[編集]
津島線内で完結する列車は数本[注釈 10]しかなく、津島側では大半の列車が尾西線弥富方面へ直通し、須ヶ口側では半数以上の列車が名古屋本線へ直通している[3]。また、名古屋本線では岐阜方面の普通列車が須ヶ口駅発着となっているため、名古屋本線に編入された旧・津島線区間(枇杷島分岐点 - 須ヶ口間)のローカル運用は現在でも津島線直通列車が担っている[44]。
パターンダイヤは時間帯によって以下のように変化する。
津島線のダイヤパターン (2011年3月26日改正以降)[45][46]
列車種別: 特急 急行 準急 普通
型 方向 接続先 … 神宮前 … 名鉄名古屋 … 須ヶ口 … 津島 日比野 佐屋 五ノ三 弥富 本数
(毎時)
名 古 屋 本 線 津島線 尾 西 線
基本 下り→ 吉良吉田 2本
豊明 2本
2本
上り← 吉良吉田 2本
豊明 2本
2本
平日昼 下り 吉良吉田 2本
2本
上り 吉良吉田 2本
2本
平日夕 下り→ 内海 (常滑線→) 1本
吉良吉田 2本
豊明 2本
2本
上り← 吉良吉田 2本
豊明 2本
2本
基本パターンおよび平日夕方のパターンは2008年12月27日改正以降のもので、平日昼間帯のパターンは2011年3月26日改正で基本パターンから変更されたものである。図のように上りと下りとで優等列車の設定本数に差異があり、普通停車駅では(基本パターンでは)日中毎時下り6本・上り4本と乗車機会が異なっている[46]。
最大編成は下り、上り共に8両であるが、高架化された藤浪駅を除く中間駅は、下り6両・上り8両とホームの長さが異なることが特徴である(下りの8両は後部2両ドアカット。全区間の所要時間は優等列車が12 - 13分、普通列車が16 - 17分となっている。
直通先の名古屋本線は犬山線など他線区からの直通もあって線路容量が限界に近いため、津島線の輸送力増加策は専ら増発ではなく車両の増結によって対処されてきた[7]。そのため津島線の線路容量は名古屋本線と比べると余裕があり、かつてはその余裕分を使って新川工場(須ヶ口駅構内に所在)で整備された新車や修理車両の試運転を行っていた[47]。
特急[編集]
一部特別車特急(2200系)
「名鉄特急」も参照
現在の列車
一部特別車特急(2008年12月-現行)
津島方面への帰宅利用の便宜を図るために2008年12月改正で新設された系統で、河和線の特急を平日夕方のみ尾西線佐屋駅まで延長運転する形に改めたものである[48][49]。設定されたのは平日夕方18時台 - 21時台の毎時1本(計4本)で、設定当初は河和駅始発[50] だったが2011年3月改正以降は内海駅始発となっている[46]。
車両は2200系・1700系または1200系が使用されている。
過去の列車
一般特急(1965年-1975年)
津島線線内の急行運転開始時期は不明だが、戦前から既に柳橋駅や新名古屋駅に乗り入れていた[51]。当時の優等運用は朝夕時の数本のみで、戦後もしばらくその状態が続いた(この間に設定された急行列車は一時期須ヶ口駅 - 津島駅をノンストップ運行していた)[50]。その後1965年12月改正で特急(一般特急)の定期運用(毎時1本、須ヶ口駅 - 津島駅間ノンストップ)が始まり、翌1966年12月改正で西尾・蒲郡線系統の特急と統合されて毎時2本に増発した[50][52]。以後、津島線および尾西線の優等列車は西尾・蒲郡線または三河線とペアを組む運用を行っている[注釈 11][50]。津島線一般特急の運行は1960年代後半が最盛期で、一時は尾西線森上・玉ノ井方面への直通特急を合わせた毎時4本の特急が運行されていた[54]。その後は全線に亘る普通列車増発の流れ(1970年12月改正、1974年9月白紙改正)に沿い、津島線の一般特急も急行に格下げされた[注釈 12][50]。最後まで残ったのは1974年3月改正で再設定された森上方面直通特急(毎時1本)で、1975年9月改正で急行に変更された[56]。
座席指定特急(1973年-1992年)
1973年11月改正で津島線初の座席指定特急が1往復設定された[57]。この列車は高山本線直通特急「たかやま」用のキハ8000系気動車を使用した間合い特急であり、元々新名古屋駅 - 豊橋駅間に設定されていたものを津島駅まで延長したものである[47]。延長先が津島線だったのは甚目寺駅に気動車の給油設備があったことが関係しているが[47]、1975年9月改正以降は犬山線方面への直通に変更されたため[58]、同改正以降は電車による運転に変更された[50]。1992年11月白紙改正で特急が増発されるまで津島線の特急はこの1往復のみだった[59]。また下り列車(神宮前駅発津島行き393列車)は須ヶ口駅にも停まらず新名古屋駅 - 津島駅間をノンストップで運行していた[60]。
8800系「パノラマDX」拡大
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8800系「パノラマDX」
全車指定席(全車特別車)特急(1992年-2008年6月)
1992年11月白紙改正で西尾線系統の特急が尾西線佐屋駅まで延長され、津島線の特急が増発された[61]。全車指定席特急(1999年5月改正で全車特別車に改称)の設定本数は毎時1本程度となり、同運用には8800系「パノラマDX」が集中投入された[62]。当初は須ヶ口駅 - 津島駅間をノンストップで運行していたが[63]、2000年3月改正以降は木田駅、勝幡駅に特別停車する列車が増え[64]、2001年10月改正で両駅とも標準停車駅に昇格した[65]。2005年1月白紙改正では西尾・津島系統の特急運用が見直され、利用率が低かった末端部(西尾線吉良吉田駅 - 西尾駅間と名鉄名古屋駅 - 佐屋駅間)の運用が朝方と夕ラッシュ時のみに削減された[66]。その後、この系統自体が2008年6月改正で快速急行以下に格下げされたため、津島線内の特急は一旦消滅した[67][68]。
その他臨時列車など
尾張津島天王祭などのイベント時には臨時特急が津島駅から運転される。2008年度までは一部特別車が金山行き、全車特別車が神宮前行きであったが、2009年度以降は定期列車の区間延長での対応となり、2009年と2010年は内海行きと西尾行き(ともに一部特別車)が各1本、11年は河和行き(一部特別車)1本のみであった。2012年は普通列車の増発のみの対応となり、臨時特急は運転されなかった。
この他に、2005年ダイヤ改正以前は正月に佐屋駅発着の臨時全車特別車特急が豊川稲荷駅まで1往復だけ走っていた(1000系4両。この特急は甚目寺駅にも停車していた)。
急行[編集]
2008年12月改正でそれまで快速急行(2005年1月改正以前は急行)として運行されていた西尾線直通系統が準急に変更されたため、津島線内を急行として運行するのは平日の下り朝1本(741列車[69])、上り夜2本(2148列車、2242列車[70])のみとなっている。このうち741列車は3500系・3700系・3300系のいずれかによる8両編成で運転され(佐屋駅では増結ができないため上り列車への送り込みを兼ねて8両編成になっている)、当線内では始発の須ヶ口駅と津島駅以外は6両ホームのため(尾西線の日比野駅は6両、佐屋駅は8両)、名古屋寄り2両はドアカットを行う。
過去に存在した急行列車は基本的に名古屋本線直通列車で直通先も優等運用を行っていたが、2005年1月白紙改正で増発した上り急行[71](毎時1本)は尾西線・津島線内のみ急行運転し、直通先では普通列車に種別変更していた[72]。この列車は2005年1月白紙改正で廃止された昼間帯の特急を補完する形で設定されたもので、現行パターンに整理される2008年12月改正まで設定されていた[注釈 13]。
準急[編集]
準急(3500系)
平日の夕方ラッシュ時間帯および土休日の朝から夕方までの時間帯の上りに設定され、尾西線佐屋駅 - 西尾線吉良吉田駅間に毎時2本運行されている(名鉄名古屋駅から先は急行、一部時間帯は西尾線内準急[55])[50]。同じ系統の下り列車は須ヶ口駅から普通になるため、津島線内を準急で走る下り列車は存在しない(この系統が下りのみ普通に種別変更するようになったのは1998年4月改正以降[50])。
以前は平日も土休日同様に終日運転されていたが、2011年3月改正で豊明駅発着系統が削減されたため、代替としてこの系統が神宮前駅(下り。上りは名鉄名古屋駅) - 弥富駅間の普通列車を担うようになり、それに伴い当該時間帯の準急運転が無くなった[44]。
津島線の名古屋本線直通列車は1982年3月改正で一旦大半が普通(名古屋本線内は準急)のみとなったが、翌1983年3月改正で急行が復活し、1985年3月改正からは再び西尾・蒲郡線系統と統合した[50][55]。下り方面が普通に変更される1998年4月改正までは蒲郡線蒲郡駅 - 尾西線佐屋駅間の運行だったが、同改正で佐屋駅 - 西尾駅間に縮小された[50](2005年1月白紙改正からは「快速急行」に変更されたが、津島線内の停車駅は同じ[73])。2008年6月改正で同じ経路を辿っていた全車特別車特急が廃止されると、代替として快速急行を毎時1本から毎時2本に増発し、運行区間も吉良吉田駅 - 佐屋駅間に拡大した[注釈 13][67]。その後、同年12月改正で種別を準急に改めて現在に至る[50]。
現在の準急は急行・特急と同じ停車駅だが、1990年10月改正以前に存在した準急は現在の停車駅に加えて青塚駅にも停車していた(1980年4月改正で準急停車駅に昇格[74])。晩年の準急列車は平日の上り1本(844A列車)と下り2本(749B列車と741列車)の計3本しかなく[75]、これら3本の列車は準急廃止後(急行化後)も青塚駅に特別停車していた[76][注釈 14]。
普通[編集]
普通(5700系)
上下線とも、須ヶ口駅で名古屋本線の急行に連絡するダイヤが基本となっている。
現行ダイヤではいずれのパターンでも、須ヶ口駅 - 佐屋駅(弥富駅)間(毎時2本)の列車と名古屋本線直通列車(毎時2本、平日昼以外の下りは毎時4本)とを組み合わせたダイヤとなっている[80]。前述の通り、平日昼間帯以外のパターンは2008年12月改正で組み立てられ、平日昼間帯のみ2011年3月改正で変更(削減)されたものである[46]。
平日昼間帯を除き、基本的に同じ系統への折り返しは無く、吉良吉田駅→佐屋駅→須ヶ口駅→弥富駅→豊明駅→佐屋駅→吉良吉田駅というサイクルで運転されることが多い(須ヶ口駅または豊明駅で出入庫となる列車もある)。
佐屋駅(弥富駅) - 豊明駅間の系統は元・三河線直通列車で、2005年白紙改正で三河線への直通が廃止された[66]。同改正から2008年12月改正までは弥富駅 - 知立駅間(2006年4月改正からは、平日夕方以降の上りを除き東岡崎駅発着に延長、須ヶ口駅 - 前後駅間は準急)として運行されていた。
2008年12月改正以前は昼間帯に津島線・尾西線内で完結する列車は少なく、常滑線(河和・内海)方面直通の普通列車と名古屋本線内は優等に種別変更する普通列車がそれぞれ毎時2本運転されていた。
過去には尾西線森上方面と行き来する列車も多数存在した(特急節および尾西線の運行形態参照)が、現在では平日朝ラッシュ時にのみ名鉄一宮駅発の直通列車が3本あるのみである(3762列車、3764列車、3842列車。津島駅でそれぞれ762列車、764列車、842列車に併結する[81])。
ほとんど4両編成で運転されるが、平日の朝ラッシュピーク時の上りは6000・6500・6800系や3500・3700・3300系の8両編成により、約10分間隔で運転され、須ヶ口駅で急行や準急に種別変更するパターンとなっている。これらへの送り込みのため設定されている下りの8両編成の列車は、須ヶ口駅、藤浪駅、津島駅を除き、6両ホームのため、名古屋方2両はドアカットを行う。
駅一覧[編集]
全駅愛知県に所在。
停車駅は2008年12月27日からのもの。
普通列車は各駅に停車(表中省略)。
凡例
●:全列車停車 ▼:下り列車のみ停車(上り列車の運転はなし) |:全列車通過
駅番号 駅名 駅間キロ 営業キロ 準急 急行 特急 接続路線 所在地
NH42 須ヶ口駅 - 0.0 ● ● ▼ 名古屋鉄道:名古屋本線 (NH) 清須市
TB01 甚目寺駅 2.0 2.0 ● ● ▼ あま市
TB02 七宝駅 1.7 3.7 | | |
TB03 木田駅 1.7 5.4 ● ● ▼
TB04 青塚駅 1.9 7.3 | | | 津島市
TB05 勝幡駅 1.7 9.0 ● ● ▼ 愛西市
TB06 藤浪駅 1.2 10.2 | | |
TB07 津島駅 1.6 11.8 ● ● ▼ 名古屋鉄道:尾西線 (TB / BS) 津島市
廃駅[編集]
新居屋駅(甚目寺駅 - 七宝駅間) - 1944年休止、1969年4月5日廃止。
津島口駅(藤浪駅 - 新津島駅間) - 1944年休止、1969年4月5日廃止。
脚注[編集]
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注釈[編集]
^ 日清戦争による大戦景気に後押しされて1890年代後半に起こった鉄道建設出願ラッシュのこと。これに対し、日本鉄道の設立に刺激されて全国各地で私鉄建設が計画された1880年代の現象を「第一次鉄道ブーム」と呼び、尾勢電気鉄道や関西鉄道は第一次鉄道ブーム期に計画された鉄道である[11]。
^ 現在の犬山線に相当する路線を出願した「尾張電車鉄道」とは異なる[13]。
^ 後世には七宝町中心部(佐屋街道沿い)と名古屋の間に地下鉄(名古屋市営地下鉄桜通線)を建設する構想も立ち上がっているものの、実現には至っていない。運輸政策審議会1992年答申(名古屋圏における高速鉄道を中心とする交通網の整備に関する基本計画について)も参照。
^ 上流側では川の流れを円滑にするためなるべく多くの橋梁建設を要望したが、下流側では氾濫の危険からこれに反対した[4]。
^ 開業当初は「新川」だったとする資料も散見される[16] が、「津島線竣工監査の復命書」の記載では「新川橋」となっており[8]、開業を知らせる『官報』の記載も「新川橋」である[17]。
^ 開業当初は「諏訪」だったとする資料も散見される[16] が、開業前の段階で「諏訪」が停留場名であったのは確かなものの、開業時点では「藤浪」に改められている[8]。開業を知らせる『官報』の記載も「藤浪」である[17]。
^ 名電市内線の市営化に伴い「郡部線」を運営する会社として1921年(大正10年)設立[18]。
^ a b 『名古屋鉄道百年史』では1932年と記されているが、これは誤植である[21]。
^ 津島駅構内はまだ冠水していたので、駅北方約500m、休止中の津島口駅付近に仮乗降場を設けて対応した[8]。
^ 津島線内のみを走る列車は664列車(津島発須ヶ口行き、土休日のみ運行)と2363/2365列車(須ヶ口発津島行き、平日/土休日運行)の2本のみ[43]。
^ 例外的な運用としては1966年3月改正から同年12月改正まで設定された弥富駅→常滑駅間の一般特急[50][53] などがある。
^ 1974年9月白紙改正で三河線直通系統の一般特急(毎時2本)は朝夕時を除いて新名古屋駅 - 津島駅間(名古屋本線内特急、津島線内急行。朝夕時の三河線内も普通運用)に縮小され、1975年9月改正で普通に変更された[50][55]。
^ a b 西尾・津島特急系統が快速急行に格下げされた2008年6月改正以降も、上りのみ昼間帯は毎時1本は名鉄名古屋駅始発だったため、引き続き設定されていた。
^ 844A列車と749B列車は1994年3月改正で[77]、741列車は2000年3月改正で津島線内の種別が普通に変更(列車番号も761に変更)された[78]。761列車は2003年3月改正で再び急行741列車になるが、青塚駅は通過している[79]。
出典[編集]
^ 「総説:名古屋鉄道」 p.11
^ a b 『東海地方の鉄道敷設史 II』 p.92
^ a b 「輸送と運転 近年の動向 (2009)」 p.38
^ a b c d e f 『東海地方の鉄道敷設史 II』 p.93
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^ a b 『尾西線の100年 保存版』 p.26
^ a b c d e f “津島線開通100周年記念展”
^ “列車運行に支障がある場合の取扱い”
^ a b c 『東海地方の鉄道敷設史 III』 p.8
^ a b 『鉄道未成線を歩く 私鉄編』 p.159
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^ a b 『官報』 「鉄道譲渡」 1921年8月8日
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^ 『官報』 「軽便鉄道停留場設置」 1914年7月16日
^ 『官報』 「軽便鉄道停留場設置」 1915年8月9日
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^ a b c d “伊勢湾台風と名鉄電車”
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^ 『名鉄時刻表 Vol.6』 pp.172-173, 180
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^ 『名鉄時刻表 Vol.26』 p.142
参考文献[編集]
電子資料[編集]
『官報』(国立国会図書館デジタルコレクション)
「軽便鉄道指定」 1912年3月16日
「軽便鉄道運輸開始」 1914年1月30日
「軽便鉄道停留場設置」 1914年7月16日
「軽便鉄道停留場設置」 1915年8月9日
6月13日臨時株主総会可決 「鉄道譲渡」 1921年8月8日
『鉄道院年報. 明治42年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
名古屋鉄道
“便利できめ細かい輸送サービスの提供を目指して 3月21日からダイヤを大幅改正 −フリークエンシーの向上や特急・急行と普通の接続改善など−”(ウェイバックマシンによるアーカイブ。2000年6月4日取得)、2015年11月29日閲覧。
“平成17年1月29日にダイヤ改正を実施”(PDF)、2015年11月29日閲覧。
“平成20年12月27日(土)にダイヤ改正を実施 ―もっと身近に ますます便利―”、2015年11月29日閲覧。
“津島線の歴史”、名鉄資料館:特別展示室、2015年6月16日閲覧。
“津島線開通100周年記念展(平成26年 春季特別展)”、 名鉄資料館:特別展示室、2015年11月17日閲覧。
“伊勢湾台風と名鉄電車(平成26年 秋季特別展)”、名鉄資料館:特別展示室、2015年11月29日閲覧。
“列車運行に支障がある場合の取扱い”、2015年11月19日閲覧。
書籍[編集]
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井戸田弘 『東海地方の鉄道敷設史 II』、2006年
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今尾恵介、原武史(監修) 『日本鉄道旅行歴史地図帳 7号 東海―全線全駅全優等列車』、新潮社、2010年 ISBN 978-4107900418
清水武・神田年浩(解説)『尾西線の100年 保存版』、郷土出版社、1999年 ISBN 978-4876701186
所澤秀樹「私鉄の創立ラッシュと鉄道国有化」、『私鉄全史』、学習研究社、2004年 ISBN 978-4056035469
徳田耕一 『名鉄の廃線を歩く―愛執の30路線徹底調査』、JTB、2001年 ISBN 978-4533039232
徳田耕一 『名鉄 名称列車の軌跡』、JTBパブリッシング、2009年 ISBN 978-4533076732
徳田耕一 『名鉄 昭和のスーパーロマンスカー』、JTBパブリッシング、2015年 ISBN 978-4533106392
徳田耕一 『新版 まるごと名鉄ぶらり沿線の旅』、七賢出版、1997年 ISBN 978-4883043323
徳田耕一 『名古屋の電車 ぶらり旅して ここが気になる』、河出書房新社、2008年 ISBN 978-4309224763
徳田耕一 『まるごと名古屋の電車 昭和ロマン』、河出書房新社、2008年 ISBN 978-4309224930
徳田耕一 『まるごと名古屋の電車 ぶらり沿線の旅 名鉄・地下鉄(名市交)ほか』、河出書房新社、2011年 ISBN 978-4309225456
徳田耕一 『まるごと名古屋の電車 激動の40年: 愛知・三重・岐阜 昭和後期 - 平成 鉄道の記録』、河出書房新社、2014年 ISBN 978-4309226101
森口誠之『鉄道未成線を歩く 私鉄編』、JTB、2001年 ISBN 978-4533039225
時刻表[編集]
『名鉄時刻表 Vol.6』、名古屋鉄道株式会社広報宣伝部、1989年
『名鉄時刻表 Vol.7』、名古屋鉄道株式会社広報宣伝部、1990年
『名鉄時刻表 Vol.8』、名古屋鉄道株式会社広報宣伝部、1991年
『名鉄時刻表 Vol.11』、名古屋鉄道株式会社交通事業本部、1994年
『名鉄時刻表 Vol.17』、名古屋鉄道株式会社交通事業本部、2000年
『名鉄時刻表 Vol.19』、名古屋鉄道株式会社交通事業本部、2003年
『名鉄時刻表 Vol.26』、名古屋鉄道株式会社交通事業本部、2011年
雑誌記事[編集]
『鉄道ピクトリアル』 鉄道図書刊行会
中川浩一 「名古屋鉄道の系譜」 1971年1月号(通巻246号) pp.43-50
清水武 「名古屋鉄道の路線の主な変遷」 1971年1月号(通巻246号) pp.51-57
志甫裕「輸送と列車運転の現況」 1986年12月号(通巻473号) pp.14-19
青木栄一 「名古屋鉄道のあゆみ -その路線網の形成と地域開発-」 1986年12月臨時増刊号(通巻473号) pp.65 - 81
徳田耕一 「2001年10月1日 名古屋鉄道ダイヤ改正」 2002年1月号(通巻712号) pp.137 - 139
徳田耕一 「名古屋鉄道空港線開業―1月29日名鉄ダイヤ改正」 2005年5月号(通巻761号) pp.114 - 117
福田衛司 「輸送と運転 近年の動向」 2006年1月臨時増刊号(通巻771号) pp.28-38
名古屋鉄道広報宣伝部 「総説:名古屋鉄道」 2009年3月臨時増刊号(通巻816号) pp.10 - 16
太田貴之 「輸送と運転 近年の動向」 2009年3月臨時増刊号(通巻816号) pp.36 - 47
『鉄道ピクトリアル アーカイブズセレクション』 鉄道図書刊行会
「“読者短信”に見る 名古屋鉄道の記録 1960年代後半 - 70年代前半」 2015年6月号(通巻31号) pp.158-165
『鉄道ジャーナル』 鉄道ジャーナル社
「名古屋本線を軸に 名古屋鉄道の列車ダイヤ研究」 2014年5月号(通巻571号) pp.60 - 71
関連項目[編集]
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外部リンク[編集]
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