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ハメ手 囲碁 - 検索
日本囲碁連盟 囲碁用語 より
ハメ手
少しインチキな手や手順で、相手を陥れる手法。
次図は「十八目のハメ手」として昔から有名。
囲碁は、陣地を囲むゲームです。
RPGゲームやアクションゲームとは異なる思考で次の一手を考える、面白いゲームです。
将棋、チェスと並ぶ、究極の思考ゲームとも言われます。
ブラウザーのみで動作するケースを特に囲碁ブラウザゲームと称することもあります。
専用ソフト使用の囲碁ゲームも多々あります。
碁を知りたい。
なのに、打つ機会がない。
相手がいない。碁会所に入ってみたい。でも躊躇する。これが現実のようです。
面白くて、夢中になる碁です。この機会に碁を始めてはいかがでしょうか。ネット碁会所なら、敷居が低いです。
相手が見つからないときは、思考エンジンが、お相手します。待ち惚けになりません。
『考慮時間制』の対局場です。勝敗でスコアが増減します。
対局(専用)ソフトを使用しません。ブラウザーのみで動作します。インストール不要なので不安がありません。
一般的なゲームでは、「礼」に重きをおきませんが、知的ゲームでは、礼を重んじる利用者が多いので、礼を心がけたいものです。
将棋に「ハサミ将棋」や「山崩し」があるように、囲碁にも「ポン抜きゲーム」/「石取りゲーム」があります。基本となる「アタリ」の習得に有用です。
ドンジャラも麻雀の基礎ルールの説明には有用ですね。
▲TOPページ
当サイトに、お越しいただいて有難うございます。
一局の碁をお楽しみください。
当サイトで、御覧頂いているブラウザを使用して囲碁対局ができます。HTML5を使用するので、ソフトのインストールは不要です。
初心者の方も、対局できるようになっております。
ルールを知ったが、対局する機会がない人に最適です。ルールが解らない方は、申し訳ありませんが事前に習得して頂けれは幸いです。
囲碁のルールは単純なのでずか、ゲームは難しいです。
入門者もベテランもロボットと対局できるサイトは多々あります。
実体験に基づいた、オススメ記事もネット上にあります。
「ネット碁を打ちたいけどどこで打ったらいいのかわからない」という方は、参考にしてください。
オススメするネット囲碁対局場3選
ここによると、
・いつでもどこでも打てる!それがネット碁の魅力
・囲碁はワールドワイドなゲーム
・ユーザーの多さ
・ユーザーの質
・コミュニティ機能の充実
・サポートの充実
・コンテンツの充実
これらを鑑みると、
3:幽玄の間
2:KGS
1:パンダネット
だそうです。
推薦者のブログ
幽玄の間の口コミ
幽玄の間サイト
KGSの口コミ
KGS
パンダネット
当サイトも、及ばずながら、がんばります。
Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0)
碁
囲碁
ゲーム
Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0)
名鉄羽島線
名古屋鉄道 羽島線
NP-TH.png
新羽島駅に進入する3150系
新羽島駅に進入する3150系
右手に見えるのは岐阜羽島駅の新幹線保線施設
概要
系統 ■羽島方面
起終点 起点:江吉良駅
終点:新羽島駅
駅数 2駅
路線記号 TH
ウェブサイト 竹鼻線/羽島線
運営
開業 1982年12月11日
所有者 名古屋鉄道 名古屋鉄道
路線諸元
路線総延長 1.3 km (0.81 mi)
軌間 1,067 mm (3 ft 6 in)
電化 直流1,500 V,
架空電車線方式
運行速度 最高70km/h
[展開する]路線図
テンプレートを表示
[表示]停車場・施設・接続路線
羽島線(はしません)は、江吉良駅から新羽島駅までを結ぶ名古屋鉄道(名鉄)の鉄道路線。全線が岐阜県羽島市内を走行する。開通当初は、羽島新線(はしましんせん)と称していた。
目次 [非表示]
1 概要
1.1 加算運賃
1.2 路線データ
2 歴史
3 運行形態
4 駅一覧
5 脚注
6 参考文献
7 関連項目
概要[編集]
岐阜市から東海道新幹線岐阜羽島駅へのアクセス路線として、竹鼻線江吉良駅から分岐する形で建設されたが、新幹線アクセスより沿線住民の通勤利用が多い。その背景には、岐阜駅付近から新幹線を利用する場合、羽島線経由よりも名古屋駅に出た方が速く、列車本数が多いという事情がある(特に東京方面への移動の場合)。東海道本線を利用すると岐阜駅 - 名古屋駅間所要20分間(新快速・快速の場合)、1時間あたり8本程度(新快速・快速・普通)に対して、羽島線経由は所要32分間、1時間あたり4本である。また、新幹線も岐阜羽島駅停車列車が1時間あたり2本程度に対して、名古屋駅は全列車停車駅なので停車列車は1時間あたり10本程度あり、利便性に差がある。
運賃計算区分はC(運賃計算に用いる距離は営業キロの1.25倍)。全駅でmanacaなどの交通系ICカード全国相互利用サービス対応カードの利用ができる。
なお、『鉄道要覧』による起点は江吉良駅だが、列車運行および旅客案内、列車番号の設定においては、新羽島駅から江吉良駅へ向かう列車が下り、逆方向が上りとなっている。
加算運賃[編集]
新線であるため、キロ程で算出された運賃に加えて、別途30円(大人の普通運賃に対する)の加算運賃が徴収される。
路線データ[編集]
路線距離(営業キロ):1.3 km
軌間:1067mm
駅数:2駅(起終点駅含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:全線電化(直流1500V)
閉塞方式:自動閉塞式
最高速度:70 km/h
歴史[編集]
新幹線駅(岐阜羽島駅)と岐阜市内とを連絡する目的で建設された羽島線だが、元は近鉄の羽島・岐阜進出に対抗するためでもあった。
近鉄は養老線(当時)から岐阜への延伸計画を応用した大垣市と岐阜羽島駅を結ぶ新線を1961年(昭和36年)に発表、将来的には岐阜市内への延伸を視野に入れていた[1]。一方、名鉄は岐阜市内と羽島(新幹線駅)・大垣・養老を結ぶモノレールを構想しており、近鉄の動きを察知して計画の具体化を進めた[2]。モノレール構想では長良橋駅から新岐阜、宇佐と至り、宇佐から分岐して羽島および大垣・養老へと伸ばすルートが考えられていたが、これとは別に普通鉄道で連絡する竹鼻線江吉良駅(休止中)から岐阜羽島に至るルートが羽島新線として計画され、1963年(昭和38年)5月に免許を取得した。
他方、近鉄の計画は羽島新線の認可によって申請見送りとなった[1]。モノレール構想も1970年代までは養老長良線[3] の名称で羽島新線と並存していたが未成に終わり、岐阜羽島駅と岐阜市内を結ぶ路線は羽島新線一本に絞られた。
当初は1964年(昭和39年)の岐阜羽島駅開業に合わせて建設される予定だったが、新駅開業に伴って沿線の開発が計画されていたため、名鉄の用地買収と自治体の開発(土地区画整理事業)が競合して交渉に難航した。また、名鉄自身も豊田新線、知多新線、瀬戸線改良といった計画を同時進行させており、それらと比べて優先度が低かった羽島新線の建設は遅延する一方だった[4]。結果、羽島新線は免許取得から12年後に着工、建設に7年の歳月を要し、1982年(昭和57年)12月11日になってようやく開業した。
1962年(昭和37年)1月 - 羽島新線の建設計画指示[2]。
1963年(昭和38年)5月 - 免許取得[1]。
1975年(昭和50年)12月 - 着工[4](用地買収が難航し、本格的な工事が始まるのは1978年(昭和53年)3月30日から[5])。
1982年(昭和57年)
10月 - 完成[4]。
12月11日 - 開業
2002年(平成14年)1月3日 - 名鉄新羽島駅電車衝突事故発生。
2005年(平成17年)1月29日 - 1時間あたりの本数が2本から4本に増発。
2007年(平成19年)12月14日 - トランパス導入[6]。
運行形態[編集]
名古屋本線名鉄岐阜駅には羽島線直通・接続列車の専用発車標がある。
すべて竹鼻線と直通し、15分間隔で運行されている。朝晩および平日夕方の列車は、名古屋本線名鉄岐阜駅と直通しており、名鉄岐阜駅 - 笠松駅間が急行(途中無停車)で、竹鼻線・羽島線内では普通列車となり各駅に停車する(平日朝の一部と土休日夜の列車は名古屋本線内も普通列車として運転)。
江吉良駅、新羽島駅とも交換設備のない無人駅であり、竹鼻線の羽島市役所前駅まで1閉塞で1本の列車しか入線できない。新羽島駅での夜間滞泊はなく、平日23時32分着はそのまま羽島市役所前駅まで回送され、5時台の始発列車は名鉄岐阜発新羽島行き急行がそのまま折り返しとなる。
竹鼻線部分廃止前の2001年9月30日までは、朝に新羽島発羽島市役所前行きの急行が運転されていた。途中の江吉良駅は通過し、羽島市役所前到着後の列車は折り返し普通大須行きとして運転していた。これは朝に大須発新岐阜(現・名鉄岐阜)行きを運転する関係で、その後の車両を確保する目的で運転されたものである。その時間帯に新羽島駅から新岐阜駅へ向かうには、終点の羽島市役所前駅で前述の大須発の列車に乗り換える必要があった。
江吉良駅を出るとすぐに高架に上がり、終点の新羽島駅まで高架区間となっているため、踏切は江吉良駅付近にしか存在しない。
駅一覧[編集]
両駅とも岐阜県羽島市に所在。
普通列車のみ運行。全列車、両駅に停車。
全区間単線。両駅ともに列車交換は不可能。
駅番号 駅名 営業キロ 接続路線
TH08 江吉良駅 0.0 名古屋鉄道:竹鼻線 (TH)
TH09 新羽島駅 1.3 東海旅客鉄道:東海道新幹線(岐阜羽島駅)
脚注[編集]
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^ a b c 森口 2001, p.97
^ a b 中村 1995, p.267
^ 名古屋鉄道「名古屋鉄道の現勢」、『鉄道ピクトリアル』第246巻、電気車研究会、1971年1月、 10頁。
^ a b c 中村 1995, p.268
^ 清水 2009, p.114
^ “トランパス15駅に導入/名鉄、14日から”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 1. (2007年12月7日)
参考文献[編集]
清水武「名古屋鉄道の新線展開を振り返る」、『鉄道ピクトリアル』第816巻、電気車研究会、2009年。
森口誠之 『鉄道未成線を歩く 私鉄編』 JTB、2001年。ISBN 978-4-533-03922-5。
中村隆義 『鉄路風雪の百年 なるほど・ザ・名鉄』 中部経済新聞社、1995年。ISBN 978-4885200175。
関連項目[編集]
ウィキメディア・コモンズには、名鉄羽島線に関連するカテゴリがあります。
日本の鉄道路線一覧
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表 話 編 歴
Meitetsu logomark w.svg 名古屋鉄道の路線
カテゴリ: 中部地方の鉄道路線名古屋鉄道の鉄道路線岐阜県の交通
名鉄羽島線
名古屋鉄道 羽島線
NP-TH.png
新羽島駅に進入する3150系
新羽島駅に進入する3150系
右手に見えるのは岐阜羽島駅の新幹線保線施設
概要
系統 ■羽島方面
起終点 起点:江吉良駅
終点:新羽島駅
駅数 2駅
路線記号 TH
ウェブサイト 竹鼻線/羽島線
運営
開業 1982年12月11日
所有者 名古屋鉄道 名古屋鉄道
路線諸元
路線総延長 1.3 km (0.81 mi)
軌間 1,067 mm (3 ft 6 in)
電化 直流1,500 V,
架空電車線方式
運行速度 最高70km/h
[展開する]路線図
テンプレートを表示
[表示]停車場・施設・接続路線
羽島線(はしません)は、江吉良駅から新羽島駅までを結ぶ名古屋鉄道(名鉄)の鉄道路線。全線が岐阜県羽島市内を走行する。開通当初は、羽島新線(はしましんせん)と称していた。
目次 [非表示]
1 概要
1.1 加算運賃
1.2 路線データ
2 歴史
3 運行形態
4 駅一覧
5 脚注
6 参考文献
7 関連項目
概要[編集]
岐阜市から東海道新幹線岐阜羽島駅へのアクセス路線として、竹鼻線江吉良駅から分岐する形で建設されたが、新幹線アクセスより沿線住民の通勤利用が多い。その背景には、岐阜駅付近から新幹線を利用する場合、羽島線経由よりも名古屋駅に出た方が速く、列車本数が多いという事情がある(特に東京方面への移動の場合)。東海道本線を利用すると岐阜駅 - 名古屋駅間所要20分間(新快速・快速の場合)、1時間あたり8本程度(新快速・快速・普通)に対して、羽島線経由は所要32分間、1時間あたり4本である。また、新幹線も岐阜羽島駅停車列車が1時間あたり2本程度に対して、名古屋駅は全列車停車駅なので停車列車は1時間あたり10本程度あり、利便性に差がある。
運賃計算区分はC(運賃計算に用いる距離は営業キロの1.25倍)。全駅でmanacaなどの交通系ICカード全国相互利用サービス対応カードの利用ができる。
なお、『鉄道要覧』による起点は江吉良駅だが、列車運行および旅客案内、列車番号の設定においては、新羽島駅から江吉良駅へ向かう列車が下り、逆方向が上りとなっている。
加算運賃[編集]
新線であるため、キロ程で算出された運賃に加えて、別途30円(大人の普通運賃に対する)の加算運賃が徴収される。
路線データ[編集]
路線距離(営業キロ):1.3 km
軌間:1067mm
駅数:2駅(起終点駅含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:全線電化(直流1500V)
閉塞方式:自動閉塞式
最高速度:70 km/h
歴史[編集]
新幹線駅(岐阜羽島駅)と岐阜市内とを連絡する目的で建設された羽島線だが、元は近鉄の羽島・岐阜進出に対抗するためでもあった。
近鉄は養老線(当時)から岐阜への延伸計画を応用した大垣市と岐阜羽島駅を結ぶ新線を1961年(昭和36年)に発表、将来的には岐阜市内への延伸を視野に入れていた[1]。一方、名鉄は岐阜市内と羽島(新幹線駅)・大垣・養老を結ぶモノレールを構想しており、近鉄の動きを察知して計画の具体化を進めた[2]。モノレール構想では長良橋駅から新岐阜、宇佐と至り、宇佐から分岐して羽島および大垣・養老へと伸ばすルートが考えられていたが、これとは別に普通鉄道で連絡する竹鼻線江吉良駅(休止中)から岐阜羽島に至るルートが羽島新線として計画され、1963年(昭和38年)5月に免許を取得した。
他方、近鉄の計画は羽島新線の認可によって申請見送りとなった[1]。モノレール構想も1970年代までは養老長良線[3] の名称で羽島新線と並存していたが未成に終わり、岐阜羽島駅と岐阜市内を結ぶ路線は羽島新線一本に絞られた。
当初は1964年(昭和39年)の岐阜羽島駅開業に合わせて建設される予定だったが、新駅開業に伴って沿線の開発が計画されていたため、名鉄の用地買収と自治体の開発(土地区画整理事業)が競合して交渉に難航した。また、名鉄自身も豊田新線、知多新線、瀬戸線改良といった計画を同時進行させており、それらと比べて優先度が低かった羽島新線の建設は遅延する一方だった[4]。結果、羽島新線は免許取得から12年後に着工、建設に7年の歳月を要し、1982年(昭和57年)12月11日になってようやく開業した。
1962年(昭和37年)1月 - 羽島新線の建設計画指示[2]。
1963年(昭和38年)5月 - 免許取得[1]。
1975年(昭和50年)12月 - 着工[4](用地買収が難航し、本格的な工事が始まるのは1978年(昭和53年)3月30日から[5])。
1982年(昭和57年)
10月 - 完成[4]。
12月11日 - 開業
2002年(平成14年)1月3日 - 名鉄新羽島駅電車衝突事故発生。
2005年(平成17年)1月29日 - 1時間あたりの本数が2本から4本に増発。
2007年(平成19年)12月14日 - トランパス導入[6]。
運行形態[編集]
名古屋本線名鉄岐阜駅には羽島線直通・接続列車の専用発車標がある。
すべて竹鼻線と直通し、15分間隔で運行されている。朝晩および平日夕方の列車は、名古屋本線名鉄岐阜駅と直通しており、名鉄岐阜駅 - 笠松駅間が急行(途中無停車)で、竹鼻線・羽島線内では普通列車となり各駅に停車する(平日朝の一部と土休日夜の列車は名古屋本線内も普通列車として運転)。
江吉良駅、新羽島駅とも交換設備のない無人駅であり、竹鼻線の羽島市役所前駅まで1閉塞で1本の列車しか入線できない。新羽島駅での夜間滞泊はなく、平日23時32分着はそのまま羽島市役所前駅まで回送され、5時台の始発列車は名鉄岐阜発新羽島行き急行がそのまま折り返しとなる。
竹鼻線部分廃止前の2001年9月30日までは、朝に新羽島発羽島市役所前行きの急行が運転されていた。途中の江吉良駅は通過し、羽島市役所前到着後の列車は折り返し普通大須行きとして運転していた。これは朝に大須発新岐阜(現・名鉄岐阜)行きを運転する関係で、その後の車両を確保する目的で運転されたものである。その時間帯に新羽島駅から新岐阜駅へ向かうには、終点の羽島市役所前駅で前述の大須発の列車に乗り換える必要があった。
江吉良駅を出るとすぐに高架に上がり、終点の新羽島駅まで高架区間となっているため、踏切は江吉良駅付近にしか存在しない。
駅一覧[編集]
両駅とも岐阜県羽島市に所在。
普通列車のみ運行。全列車、両駅に停車。
全区間単線。両駅ともに列車交換は不可能。
駅番号 駅名 営業キロ 接続路線
TH08 江吉良駅 0.0 名古屋鉄道:竹鼻線 (TH)
TH09 新羽島駅 1.3 東海旅客鉄道:東海道新幹線(岐阜羽島駅)
脚注[編集]
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^ a b c 森口 2001, p.97
^ a b 中村 1995, p.267
^ 名古屋鉄道「名古屋鉄道の現勢」、『鉄道ピクトリアル』第246巻、電気車研究会、1971年1月、 10頁。
^ a b c 中村 1995, p.268
^ 清水 2009, p.114
^ “トランパス15駅に導入/名鉄、14日から”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 1. (2007年12月7日)
参考文献[編集]
清水武「名古屋鉄道の新線展開を振り返る」、『鉄道ピクトリアル』第816巻、電気車研究会、2009年。
森口誠之 『鉄道未成線を歩く 私鉄編』 JTB、2001年。ISBN 978-4-533-03922-5。
中村隆義 『鉄路風雪の百年 なるほど・ザ・名鉄』 中部経済新聞社、1995年。ISBN 978-4885200175。
関連項目[編集]
ウィキメディア・コモンズには、名鉄羽島線に関連するカテゴリがあります。
日本の鉄道路線一覧
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表 話 編 歴
Meitetsu logomark w.svg 名古屋鉄道の路線
カテゴリ: 中部地方の鉄道路線名古屋鉄道の鉄道路線岐阜県の交通
伊豆箱根鉄道駿豆線
駿豆線
三島二日町 - 大場間のカーブを走行する駿豆線の列車
三島二日町 - 大場間のカーブを走行する駿豆線の列車
基本情報
国 日本の旗 日本
所在地 静岡県
起点 三島駅
終点 修善寺駅
駅数 13駅
路線記号 IS
開業 1898年5月20日
所有者 伊豆箱根鉄道
運営者 伊豆箱根鉄道
使用車両 使用車両の節を参照
路線諸元
路線距離 19.8 km
軌間 1,067 mm
線路数 単線
電化方式 直流1,500 V 架空電車線方式
閉塞方式 自動閉塞式
最高速度 85 km/h
テンプレートを表示
[隠す]停車場・施設・接続路線
凡例
eABZq+l
STRq
←JR東海:御殿場線→
exABZg+l
(旧)三島駅 (現・下土狩駅)
xKRZ STRq
←JR東海:東海道新幹線→
xKRZ ABZq+l
←JR東海:東海道本線→
exSTR ABZg+l
0.0 IS01 三島駅
exSTRl eABZg+r
1.3 IS02 三島広小路駅
uexABZq+l
emKRZ uexSTR+r
←軌道線
uexKDSTe uexSTRl eABZg+r uexSTR
軌道線車庫
2.0 IS03 三島田町駅
eABZg+l exKDSTeq
軌道線車庫 -1959
BHF
2.9 IS04 三島二日町駅
KDSTaq ABZg+r
大場工場
BHF
5.5 IS05 大場駅
BHF
7.0 IS06 伊豆仁田駅
BHF
8.5 IS07 原木駅
BHF
9.8 IS08 韮山駅
BHF
11.4 IS09 伊豆長岡駅
BHF
14.2 IS10 田京駅
BHF
16.6 IS11 大仁駅
BHF
18.6 IS12 牧之郷駅
KBHFe
19.8 IS13 修善寺駅
駿豆線(すんずせん)は、静岡県三島市の三島駅から伊豆市の修善寺駅までとを結ぶ伊豆箱根鉄道の鉄道路線。地元では社名をもじっていずっぱこと呼ぶことも多い。
路線名の駿豆とは駿河国と伊豆国を意味するが、これはかつて同線が駿河国に属する沼津市と伊豆国に属する三島市の間に軌道線(路面電車、1963年廃止)を運行していた駿豆電気鉄道の路線だったことから来ている。 駿豆線自体、かつては(旧)三島駅(現・御殿場線下土狩駅)を国鉄線との接続駅にしていたため、駿河国域をわずかにかすめていたが、1934年の(新)三島駅開業後は全線が伊豆国内を走っている。
目次 [非表示]
1 路線データ
2 運行形態
2.1 特急
2.2 普通
3 利用状況
3.1 輸送実績
3.2 収入実績
3.3 営業成績
4 使用車両
5 車両基地
6 設備
6.1 架線
6.2 踏切
7 歴史
7.1 年表
8 駅一覧
8.1 過去の接続路線
9 イメージキャラクター
10 関連作品・記述
11 乗車券・ICカードについて
12 脚注
13 関連項目
路線データ[編集]
路線距離(営業キロ):19.8km
軌間:1067mm
駅数:13駅(起終点駅含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:全線(直流1500V)
閉塞方式:自動閉塞式
最高速度:85km/h
運行形態[編集]
特急[編集]
東京方面から東日本旅客鉄道(JR東日本)・東海旅客鉄道(JR東海)東海道本線を経由して特急「踊り子」が毎日1日2往復(加えて臨時列車が土曜日に下り2本・上り1本、日曜日に下り1本・上り2本)乗り入れる。特急は駿豆線内では料金不要となるが、11号車・12号車の自由席車両のみ乗車可能で、通学定期券では乗車できない。2000年以前は土休日の上り列車については駿豆線内のみの乗車が不可であった。
普通[編集]
普通列車はおおむね15分間隔での運転であるが、朝ラッシュ時は約8 - 12分間隔で運行されている。三島駅 - 修善寺駅間の直通運転が基本であるが、朝には出庫列車として大場発の列車が修善寺行き・三島行きそれぞれ1本ずつ設定されており、23時台の三島発下り最終列車(241列車)は大場行きとなっている。
2007年3月18日にJR東海に合わせて行われたダイヤ改正では、朝に運転される上り24列車の休日の始発駅が大場駅から修善寺駅へ、同じく朝に運転される大場発の下り213列車が休日運休から毎日運転に変更されたため、特急「踊り子」を除き休日に運休する列車がなくなった。また、この改正により、全線で7時30分から8時30分の間は約10分間隔の運転が実施された。改正前は、朝ラッシュ時に大場発の列車があったため、一部区間で10分間隔運転になっていなかった。
2009年2月14日のダイヤ改正では、同年4月1日から開始されたワンマン運転に備え、各駅の停車時間が見直され、全線の所要時間が従来の約32分から約35分に延長されたほか、運転間隔の見直しや車内放送内容の変更なども行われた。
以前は7000系(設定当初は3000系3001編成)を利用した一部座席指定席の快速が運行されていたが1998年3月末で廃止され、以後は設定されていない。
また将来の東海道本線乗り入れ準備として7000系には「沼津」「熱海」「富士」等の行先方向幕が用意されていた[要出典]が現在は社線内のみのものに交換されている。
利用状況[編集]
輸送実績[編集]
駿豆線の近年の輸送実績を下表に記す。当線の輸送量は中小私鉄としてはかなり多い量であり、優良線区に位置付けされる。最近では輸送量は減少している。表中、輸送人員の単位は万人。輸送人員は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
[隠す]年度別輸送実績
年度 輸送実績(乗車人員):万人/年度 輸送密度
人/1日 特記事項
通勤定期 通学定期 定期外 合計
1975年(昭和50年) 386.4 366.0 593.9 1346.3 16,366
1976年(昭和51年) 389.6 379.2 613.4 1382.2 16,265
1977年(昭和52年) 373.5 397.8 662.2 1433.6 15,933
1978年(昭和53年) 361.4 397.6 674.4 1433.5 15,775
1979年(昭和54年) 355.5 397.3 606.8 1359.7 15,807 3000形電車運転開始
1980年(昭和55年) 357.5 402.2 608.6 1368.3 15,844
1981年(昭和56年) 347.7 396.9 601.5 1346.2 15,757 特急「踊り子」運転開始
1982年(昭和57年) 354.2 384.7 606.7 1345.6 15,755
1983年(昭和58年) 355.5 384.9 603.9 1344.3 15,880 修善寺駅新駅舎完成
1984年(昭和59年) 354.6 392.4 589.4 1336.3 15,921
1985年(昭和60年) 358.2 399.9 610.3 1368.4 16,353
1986年(昭和61年) 354.9 403.3 615.0 1373.2 16,532 伊豆長岡駅新駅舎完成
1987年(昭和62年) 353.8 414.8 629.1 1397.7 16,820
1988年(昭和63年) 353.6 425.6 628.0 1407.2 17,056
1989年(平成元年) 369.5 430.0 635.9 1435.4 17,379
1990年(平成2年) 369.6 431.5 682.0 1483.1 18,145 7000形電車運転開始
1991年(平成3年) 399.0 423.2 709.6 1531.8 18,642
1992年(平成4年) 401.4 426.8 700.5 1528.7 18,565
1993年(平成5年) 383.9 403.8 672.6 1460.3 17,766
1994年(平成6年) 379.1 394.6 666.2 1439.9 17,467
1995年(平成7年) 391.2 388.3 655.0 1434.5 17,008
1996年(平成8年) 399.0 373.3 654.0 1426.3 17,041
1997年(平成9年) 393.8 346.0 659.7 1399.5 16,328
1998年(平成10年) 393.5 340.2 594.1 1327.8 16,113
1999年(平成11年) 375.5 328.5 578.2 1282.2 15,591
2000年(平成12年) 361.1 315.9 559.5 1236.5 14,995
2001年(平成13年) 362.0 298.1 551.3 1211.4 14,648
2002年(平成14年) 368.8 289.8 537.3 1195.9 14,223
2003年(平成15年) 356.1 288.5 525.2 1169.8 13,966
2004年(平成16年) 356.9 278.9 498.5 1134.3 13,503 大場駅新駅舎竣工
2005年(平成17年) 349.6 278.9 492.2 1120.7 13,377
2006年(平成18年) 345.4 272.7 491.6 1109.7 13,213
2007年(平成19年)
2008年(平成20年)
鉄道統計年報(国土交通省鉄道局監修)より抜粋
収入実績[編集]
駿豆線の近年の収入実績を下表に記す。最近は収入総合計額は減少しているが、他中小私鉄路線と比較して格段に多い収入額となっている。 表中、収入の単位は千円。数値は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
[隠す]年度別収入実績
年度 旅客運賃収入:千円/年度 運輸雑収
千円/年度 総合計
千円/年度
通勤定期 通学定期 定期外 手小荷物 合計
1975年(昭和50年) 389,673 ←←←← 843,036 9,962 1,242,671 41,599 1,284,270
1976年(昭和51年) 399,370 ←←←← 860,870 12,461 1,272,701 45,725 1,318,426
1977年(昭和52年) 471,611 ←←←← 960,696 12,585 1,444,893 46,590 1,491,484
1978年(昭和53年) 463,199 ←←←← 987,819 13,429 1,464,447 34,440 1,498,888
1979年(昭和54年) 502,510 ←←←← 1,088,631 12,035 1,603,177 27,666 1,630,844
1980年(昭和55年) 511,958 ←←←← 1,095,622 8,551 1,616,131 29,010 1,645,142
1981年(昭和56年) 568,339 ←←←← 1,201,876 6,947 1,777,162 47,080 1,824,242
1982年(昭和57年) 570,563 ←←←← 1,232,730 5,049 1,808,343 29,743 1,838,086
1983年(昭和58年) 636,124 ←←←← 1,321,885 3,112 1,961,121 29,258 1,990,379
1984年(昭和59年) 647,641 ←←←← 1,292,759 0 1,940,400 29,877 1,970,277
1985年(昭和60年) 668,823 ←←←← 1,390,691 0 2,059,514 31,396 2,090,910
1986年(昭和61年) 711,249 ←←←← 1,483,620 0 2,194,869 34,444 2,229,313
1987年(昭和62年) 378,173 331,665 1,515,350 0 2,225,118 33,151 2,258,339
1988年(昭和63年) 386,129 345,016 1,516,245 0 2,247,390 37,588 2,284,978
1989年(平成元年) 402,689 348,014 1,539,908 0 2,290,611 44,679 2,335,290
1990年(平成2年) 405,123 347,332 1,672,434 0 2,424,889 48,989 2,473,878
1991年(平成3年) 424,461 352,037 1,737,316 0 2,513,814 45,914 2,559,728
1992年(平成4年) 433,679 351,051 1,698,693 0 2,483,423 46,745 2,530,168
1993年(平成5年) 423,611 337,035 1,617,979 0 2,378,625 45,869 2,424,494
1994年(平成6年) 425,718 326,357 1,575,659 0 2,327,734 45,599 2,373,333
1995年(平成7年) 442,500 325,193 1,594,974 0 2,362,667 45,202 2,407,869
1996年(平成8年) 477,708 327,656 1,657,393 0 2,462,757 47,172 2,509,929
1997年(平成9年) 485,433 308,589 1,637,582 0 2,431,604 41,642 2,384,871
1998年(平成10年) 492,622 306,079 1,495,199 0 2,293,900 41,807 2,335,707
1999年(平成11年) 467,936 299,326 1,447,949 0 2,215,211 39,891 2,255,102
2000年(平成12年) 450,514 288,312 1,391,267 0 2,130,093 85,639 2,281,538
2001年(平成13年) 443,637 274,037 1,372,126 0 2,089,800 63,471 2,153,271
2002年(平成14年) 436,322 265,220 1,333,025 0 2,034,567 55,523 2,090,090
2003年(平成15年) 427,663 263,750 1,303,820 0 1,995,233 57,677 2,052,910
2004年(平成16年) 427,688 256,083 1,227,071 0 1,910,842 58,883 1,969,725
2005年(平成17年) 423,750 253,145 1,214,973 0 1,891,868 58,214 1,950,082
2006年(平成18年) 420,051 246,137 1,213,913 0 1,880,101 59,414 1,939,515
2007年(平成19年)
2008年(平成20年)
鉄道統計年報(国土交通省鉄道局監修)より抜粋
営業成績[編集]
駿豆線の近年の営業成績を下表に記す。 表中、収入の単位は千円。数値は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
[隠す]年度別営業成績
年度 営業収益
千円/年度 営業経費:千円/年度 営業損益
千円/年度 営業
係数
人件費 修繕費 経費 諸税 減価
償却費 一般
管理費 合計
2006年(平成18年) 1,939,515 1,040,392 167,909 248,900 73,987 155,193 157,374 1,843,755 95,760 95.1
2007年(平成19年)
2008年(平成20年)
鉄道統計年報(国土交通省鉄道局監修)より抜粋
使用車両[編集]
JRから乗り入れる185系「踊り子」
2015年現在当路線で使用されている車両の形式は以下の通りである。なお、当路線を走行する車両はすべて抵抗制御である。
普通列車(全車大場工場所属)
7000系
3000系
1300系
特急「踊り子」
JR東日本185系(大宮総合車両センター所属)
1000系(通称「赤電」)は最期まで残存していた編成が2005年に廃車されて形式消滅しているが、旧モハ1008の1両だけは大場工場内で倉庫として残存している。また、大雄山線5000系の検査出入場時や工事車両牽引などに使用される東芝製のED32, ED33形の小型電気機関車が在籍している。
また、2008年11月5日と2009年5月11日の2回に分けて、西武鉄道から新101系3両2編成を譲り受けた。この編成は第1編成は2008年12月14日、第2編成は2009年5月12日に営業運転についており、駿豆線内での形式名は1300系となった。またこれにともない1100系2編成が大場工場で廃車となり、残る1100系は1編成のみとなったが、2012年6月13日をもって営業運転を終了した。
車両基地[編集]
大場工場が伊豆箱根鉄道本社敷地内北側にあり、車両工場と車両基地を兼ねている。大場駅から出入庫を行う。
設備[編集]
伊豆仁田駅構内踏切の電鈴式警音器(2012年2月5日)
架線[編集]
架線はほとんど片持ち式が使用されている。
踏切[編集]
第1種踏切は全71箇所ある。そのうち駅構内の踏切は6箇所ある。一部第4種踏切もある。交通量の多い踏切には踏切支障報知装置も設置されており特殊発光信号機は踏切支障報知装置が設置されている大きな踏切では回転型が使用され、踏切支障報知装置が設置されている小さな踏切では点滅型が使用されている。一部の踏切には8角形の故障表示機も設置されている。踏切動作反応灯は一般的なデザインのものが使用されている。
警音器は、70箇所で電子音が使用されているが、1箇所(伊豆仁田駅構内)のみ電鈴式(金属ベル)が使用されている。一部の踏切ではJR東海などと同じ電子音を使用している所もある。
歴史[編集]
当初は湯治客の便を図り、伊豆中部の大仁と東海道本線を結ぶ目的で建設された。初めの計画では沼津を起点とする予定であったが、東海道本線敷設時に駅が設けられず衰退が著しかった宿場街三島の者が土地寄贈を行うなど積極的に誘致を行い、現在の下土狩駅の所に新しく(初代)三島駅を設けた上で、ここを起点とすることになった。1898年に開業し、1924年には修禅寺・修善寺温泉のある修善寺町(今の伊豆市)まで延伸されている。
昭和に入り、1934年12月に丹那トンネルの開通に伴い東海道本線のルートが御殿場経由から現行の熱海経由に変更されることになった際、熱海経由の新線に(2代目)三島駅が設置されたため、起点を変更した(この時、御殿場経由の元の東海道本線のルートは御殿場線となった。これに先立ち、初代の三島駅は同年10月に下土狩駅に改称された)。これらの経緯については三島駅#歴史も参照のこと。
なお、戦後まもなくしてから国鉄80系電車を用いて国鉄からの直通運転が開始されたが、開始されてから約10年間は国鉄線の電圧が1500V、駿豆線の電圧が600Vと異なっていたため、80系は走行性能を落して駿豆線内を運行していた。
年表[編集]
1898年(明治31年)
5月20日:豆相鉄道三島町(現・三島田町) - 南条(現・伊豆長岡)間開業(1,067mm軌間、蒸気動力)。
6月15日:三島(現・御殿場線下土狩駅) - 三島町間開業。
1899年(明治32年)7月17日:南条 - 大仁間開業。
1900年(明治33年)8月5日:北条駅(現・韮山駅)開業。
1907年(明治40年)7月19日:伊豆鉄道に譲渡。
1912年(明治45年)4月1日:駿豆電気鉄道に譲渡。
1914年(大正3年):広小路連絡所(現・三島広小路駅)開業。
1916年(大正5年):富士水電と合併。
1917年(大正6年)11月5日:駿豆鉄道に譲渡。
1918年(大正7年)8月10日:三島町 - 大場間電化。
1919年(大正8年)
5月1日:北条駅を韮山駅に、南条駅を伊豆長岡駅に改称。
5月25日:三島 - 三島町間電化、軌道線が三島町まで直通運転開始。
6月5日:大場 - 大仁間電化。
1921年(大正10年)6月30日:伊豆仁田駅開業。
1924年(大正13年)8月1日:大仁 - 修善寺間開業。
1928年(昭和3年)4月18日:広小路連絡所を三島広小路駅に改称。
1932年(昭和7年)12月15日:三島二日町駅開業。
1933年(昭和8年)5月6日:東京方面から週末に直通列車の運転開始(戦時中に消滅)。
1934年(昭和9年)
10月1日:三島駅を下土狩駅に改称。
12月1日:丹那トンネル開通による東海道線経路変更に伴い、三島広小路 - 下土狩間廃止。三島広小路 - 現・三島駅間開業。
1937年(昭和12年)6月10日:大場駅貨物線工事完成。
1938年(昭和13年)4月6日:駿豆鉄道箱根遊船に改称。
1940年(昭和15年)
5月4日:共立水産(株)大場工場引込み線建設竣成。
11月28日:駿豆鉄道に改称。
1949年(昭和24年)
4月1日:軌道線営業列車の直通運転中止。
10月9日:東京から国鉄の準急「いでゆ」が乗り入れ開始。
1950年(昭和25年)10月7日:東京から国鉄の準急「あまぎ」(後の「伊豆」)乗り入れ開始。
1956年(昭和31年)2月1日:三島町駅を三島田町駅に改称。
1957年(昭和32年)6月1日:伊豆箱根鉄道に改称。本社を田町から大場へ移転。
1958年(昭和33年)9月26日:狩野川台風直撃により被害を受けたが10日で復旧。
1959年(昭和34年)9月7日:架線電圧を600Vから1500Vに昇圧。これに伴い、三島田町の軌道線車庫への軌道線回送列車の直通運転中止。三島広小路の軌道線連絡線撤去。
1964年(昭和39年)
9月17日:三島 - 大場間自動閉塞化。
9月21日:大場駅貨物取扱廃止。
12月1日:三島田町駅貨物取扱廃止。
1965年(昭和40年)10月1日:駿豆線に大垣からの準急「するが」(後の「中伊豆」)が乗り入れ開始。
1966年(昭和41年)3月2日:大場 - 伊豆長岡間自動閉塞化。
1967年(昭和42年)
3月25日:三島 - 修善寺間自動信号化。
4月2日:三島田町駅総合駅舎完成。
9月22日:伊豆長岡 - 修善寺間自動閉塞化。
9月30日:常磐線平(現・いわき)からの急行「常磐伊豆」が駿豆線へ直通運転開始。
1968年(昭和43年)4月1日:線内急行運転開始。
1971年(昭和46年)5月1日:原木駅無人化。
1972年(昭和47年)
6月16日:貨物営業廃止。
10月1日:三島広小路駅手小荷物営業廃止。
12月1日:三島駅手小荷物配達取扱廃止。
12月:ATS導入。
1973年(昭和48年)1月1日:三島田町駅手小荷物営業廃止。
1974年(昭和49年):線内急行運転廃止。
1975年(昭和50年)3月10日:急行「伊豆」1往復に連結のグリーン車廃止。これにより社線内グリーン料金も廃止。
1976年(昭和51年)12月25日:三島駅連絡通路拡張工事完成。
1977年(昭和52年)10月6日:三島駅ホーム三線化工事完成。
1978年(昭和53年)
8月20日:大場駅下りホーム拡幅、上屋改築工事完成。
12月:駿豆線に列車無線、地震計設置。
1979年(昭和54年)12月15日:3000系電車運転開始。
1981年(昭和56年)10月1日:特急「踊り子」運転開始(2000年(平成12年)まで休日上り列車の線内のみの乗車を禁止)。
1983年(昭和58年)4月27日:修善寺駅新駅舎完成。
1985年(昭和60年)11月1日:列車運行システム (CTC) 導入。
1986年(昭和61年)10月21日:伊豆長岡駅新駅舎完成。
1991年(平成3年)3月19日:7000系電車運転開始。
1993年(平成5年)
4月21日:伊豆仁田駅全面改築工事完成。
6月23日:伊豆仁田 - 原木間の来光川橋梁架け替え工事完成。同橋梁には伊豆箱根鉄道初のロングレールを敷設。
1995年(平成7年)12月4日:三島二日町 - 大場間の大場川橋梁架け替え工事完成。
1998年(平成10年)5月16日:駿豆線開業100周年記念式典を三島田町駅で実施。
2001年(平成13年)4月6日:大場駅東口開設。
2002年(平成14年)
1月25日:三島広小路駅自動改札供用開始。
2月7日:伊豆長岡駅自動改札供用開始。
2月26日:修善寺駅自動改札供用開始。
3月15日:三島駅自動改札供用開始。
2003年(平成15年):三島田町駅、韮山駅自動改札化。
2004年(平成16年):大仁駅自動改札化。
10月9日:台風22号直撃により、伊豆長岡 - 修善寺間が不通となったが、10月14日の始発電車から全線開通。
2005年(平成17年)
3月27日:大場工場で1000系電車(赤電)お別れ会実施。
3月31日:大場駅新駅舎竣工、自動改札供用開始。
2006年(平成18年)12月18日:緊急地震速報警報システム運用開始。
2007年(平成19年)3月31日:列車運行システム(CTC)更新、始発より使用開始。
2008年(平成20年)
2月1日:2010年(平成22年)3月まで韮山古川橋梁架け替え工事を実施。
12月14日:1300系電車運転開始[1]。
2009年(平成21年)
4月1日:駅収受システムによるワンマン運転開始(特急「踊り子」は除く)。
10月12日:この日から2010年3月31日まで、大仁高校の創立90周年を記念して、ラッピング電車『大仁高アルバム電車』を運行。また大仁駅の発車メロディも同校の校歌をアレンジしたものに変更。
2010年(平成22年)
8月27日・9月3日:伊豆の国市韮山の地ビール「反射炉ビヤ」が飲み放題の「反射炉ビヤガー電車」運行。
11月19日・26日:中伊豆産のワインと各種料理が飲食できる「中伊豆ワイン列車」運行。
2011年(平成23年)
2月18日・25日:伊豆産の日本酒と鹿料理などが飲食できる列車、日本酒電車「イズシカトレイン」運行。
7月16日:2012年(平成24年)6月に引退が予定されている1100系1009Fに、この日から「ありがとう1100系」ヘッドマークを掲出して運行。
8月21日:「西武グループこども応援プロジェクト」の一環として、大場工場で有料のイベント『親子電車教室in駿豆線』が開催された。
2015年(平成27年)3月27日:田京 - 修善寺間で、 鉄道総研が超伝導送電技術(超電導送電技術)を用いた世界初の列車走行試験[2]を行って成功する。
2016年(平成28年)
12月1日:自転車をそのまま電車に持ち込めるサイクルトレインの実証実験を開始。2017年4月1日から本格実施[3]
12月10日:西武鉄道で1979年に登場した当時の黄色とベージュ塗装を復刻した1300系「イエローパラダイストレイン」を運行開始[4]。
2017年(平成29年)3月25日:伊豆市と二つのNPO法人と共催して、修善寺駅にて『いずっぱこスプリングミニフェスタ 春一番!行くずら修善寺!!』を開催。駅構内に大雄山線の5000系(甲種車両輸送の形態)がED32形電気機関車と連結して登場。1300系「イエローパラダイストレイン」を使用しての運転台乗車体験・車掌体験も実施。[5]
駅一覧[編集]
全駅静岡県に所在。
停車駅
●:停車、|:通過
普通列車は省略(各駅に停車)
特急=「踊り子」
線路(全線単線)… ◇・∨・∧:列車交換可、|:列車交換不可
駅番号 駅名 駅間キロ 営業キロ 特急 接続路線 線路 所在地
IS01 三島駅 - 0.0 ● 東海旅客鉄道:新幹線 東海道新幹線・東海道本線 ∨ 三島市
IS02 三島広小路駅 1.3 1.3 | |
IS03 三島田町駅 0.7 2.0 ● ◇
IS04 三島二日町駅 0.9 2.9 | |
IS05 大場駅 2.6 5.5 ● ◇
IS06 伊豆仁田駅 1.5 7.0 | ◇ 田方郡函南町
IS07 原木駅 1.5 8.5 | ◇ 伊豆の国市
IS08 韮山駅 1.3 9.8 | ◇
IS09 伊豆長岡駅 1.6 11.4 ● ◇
IS10 田京駅 2.8 14.2 | ◇
IS11 大仁駅 2.4 16.6 ● ◇
IS12 牧之郷駅 2.0 18.6 | ◇ 伊豆市
IS13 修善寺駅 1.2 19.8 ● ∧
過去の接続路線[編集]
三島広小路駅:軌道線 - 1963年2月5日廃止
三島田町駅(当時は三島町):軌道線 - 1914年まで別線、1919年から1949年まで三島広小路から乗り入れ。
イメージキャラクター[編集]
修善寺まきの
トミーテック『鉄道むすめ』シリーズの一員として2016年3月24日に誕生。シリーズナンバーPU27。当線の駅務掛。趣味は自転車で特技は手品。ダイヤ帳にこまめにメモをとる癖があるという。同年4月26日より記念乗車券が発売された[6]。
関連作品・記述[編集]
「豆相鉄道唱歌」(1900年10月)
同年5月に発表された「鉄道唱歌」に倣って製作されたもので、当時の開業区間であった三島駅(現・下土狩駅) - 大仁駅間を全30番で歌っている。2001年5月にCDも販売された。
尾崎紅葉
1902年(明治35年)5月の尾崎紅葉の日記で、当時の豆相鉄道の記述があり、「汽車を見るに軽微にして粗鹵(ソロ)、其(そ)の来るや狸の化けたる者の如く、煙突の小なるむしろ噴飯すべし、車六輛を列ねて軒輊(ケンチ)して去る」との記述がある。
芥川龍之介
1925年(大正14年)4月21日に、芥川龍之介が修善寺温泉の新井旅館に行くために、東海道線三島駅から駿豆線三島駅へ乗り換える様子を伝える手紙があり、「…(東京から汽車で、午後4時39分に)三島についたらプラットホームの向う側に修善寺行きの軽便(豆相鉄道)がついているゆえ、それへ乗れば六時には修善寺につく。修善寺駅から新井までは乗合自動車、人力車荷でもある。時間がわかれば僕が迎えに出る。切符は東京駅より修善寺駅まで買ったほうがよし。(三島まで買うと又買わねばならないから面倒くさい。東京駅で修善寺駅まで売っている)」との記述がある。
ごめんね青春!
2014年放送されたTBSのテレビドラマ。脚本は宮藤官九郎。撮影協力にクレジットされ、作品中の通学用路線として駿豆線が愛称の「いずっぱこ」とともに実名で登場し、ロケにも利用された。
逃げるは恥だが役に立つ
2016年に放送されたTBSのテレビドラマ。第6話で津崎とみくりの新婚旅行にて。
ラブライブ!サンシャイン!!
伊豆長岡駅が2016年に放送されたテレビアニメ第1期6話の舞台の一つとなっている。また、2017年4月5日発売のAqoursの3rdシングル「HAPPY PARTY TRAIN」のアニメーションPVで登場。他にも作品とのコラボ企画によるAqoursのキャラクターが装飾されたラッピング電車が2016年4月27日から[7]、第2弾のラッピング電車「HAPPY PARTY TRAIN」が2017年4月8日から[8]運行されている。
出没!アド街ック天国
2017年8月12日(テレビ東京)・8月26日(SBS静岡放送)放送の『三島』編のベストテンで第5位にランクイン。大場工場等で開運アイテムの『ハートのつり革』が紹介された。
乗車券・ICカードについて[編集]
伊豆箱根鉄道では2007年3月18日に大雄山線でICカード「PASMO」が導入されたが、駿豆線では2015年時点で導入が先送りされている。また、2008年3月1日にJR東海でTOICAの利用区域が拡大され、三島駅も利用エリア内となったが、2015年時点で駿豆線への導入計画は無い。三島駅にはJR線との連絡改札口があるものの、ICカードには対応していない。この場合一旦南口改札から出場してからの入場となる。
当路線の各駅に設置されている自動券売機で三島駅乗り換えでJR線の連絡乗車券が発売されている。窓口では、東は常磐線我孫子駅まで、西は大阪市内までの乗車券を取り扱っている。
脚注[編集]
ウィキメディア・コモンズには、伊豆箱根鉄道駿豆線に関連するカテゴリがあります。
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^ 伊豆箱根鉄道1300系が営業運転を開始 - 鉄道ファン・railf.jp 鉄道ニュース、2008年12月15日
^ 超電導き電ケーブルを用いた列車走行実験について (PDF) - 鉄道総研、2015年1月16日閲覧。
^ 自転車をそのまま電車に持ち込めるサイクルトレイン本格運用開始 (PDF) - 伊豆箱根鉄道、2017年3月3日
^ 伊豆箱根鉄道で「イエローパラダイストレイン」運転 - 鉄道ファン・railf.jp 鉄道ニュース、2016年12月20日
^ いずっぱこスプリングミニフェスタ「春一番! 行くずら修善寺!!」について (PDF) - 伊豆箱根鉄道、2017年4月4日
^ 鉄道むすめ「修善寺まきの」記念乗車券発売について - 伊豆箱根鉄道、2016年4月20日。
^ 「ラブライブ!サンシャイン!!」電車の運行期間延長のお知らせ (PDF) - 伊豆箱根鉄道、2016年6月29日
^ 「ラブライブ!サンシャイン!!」ラッピング電車 NEWデザイン「HAPPY PARTY TRAIN」運行開始 (PDF) - 伊豆箱根鉄道、2017年3月27日
関連項目[編集]
日本の鉄道路線一覧
カテゴリ: 中部地方の鉄道路線伊豆箱根鉄道静岡県の交通部分廃止路線